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2008.04.05

動物を殺して食べるということ

4月3日付のAFP通信が伝えたところによると、韓国のソウル市が、ついに、犬を「食用家畜」に分類することに決めたそうだ。韓国では、1日に1万1000匹以上、年間に約400万匹もの犬が食用にされてるんだけど、今は「食用家畜」に分類されてないために、屠殺、食肉処理、加工などの工程が、必ずしも衛生的とは言えないような状況で行なわれてる。法的にいろんな衛生基準を設けてるのは、あくまでも「食用家畜」だけで、それに分類されてない犬の肉の処理に関しては、衛生上の規制が何もないからだ。

それで、「このままでは消費者に健康被害が出る」って判断したソウル市は、犬も他の牛や豚とおんなじに「食用家畜」に分類して、キチンとした屠殺場や処理工場で、衛生的に殺して、衛生的に加工して、衛生的に提供できるようにすることにしたんだそうだ。一部のマニアだけがヒッソリと食べてるような特殊な肉ならともかく、専門の人が犬牧場で食用犬を繁殖させて、専門の業者がそれを買い取って殺し、専門の人たちがそれを食肉に加工して流通させてるんだから、マイナーとは言え、それなりの需要がある韓国の食文化だ。だから、ソウル市としても、仕方ない決断だったんだと思う。

犬が「食用家畜」に分類されるとどうなるのかっていうと、これからは「市のお墨付き」をいただいた商品になるワケだから、まず、今までは街の小さな個人商店などで売られてるだけだった犬の肉が、大きなスーパーやデパートの食料品売り場にも並ぶことになる。そして、今までは犬料理を置いていなかったようなお店でも、メニューに加えるようになるだろう。つまり、犬の肉の消費量が、大幅に拡大するってことだ。推測だけで言うのは乱暴だと思うけど、ある動物愛護団体の試算によると、「2~3年のうちに5倍から10倍にまで拡大するだろう」ってことらしい今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、最初に言っとくけど、あたしは、他国の食文化を批難するつもりはモートーない。それどころか、あたしたちニポン人にも、クジラやイルカを食べる食文化があって、今、アングロサクソンから批難されてるワケだ。だから、こうした現状を客観的に考えてみよう‥‥ってのが、今日の日記の趣旨だ。で、こうした問題を取り上げる時に、何よりも気をつけなきゃならないのは、「民族的な決めつけ」だけは絶対にしちゃいけないってことだ。

韓国の人たちの中には、日常的に犬の肉を食べてる人たちがたくさんいる。事実、あの狭いソウル市の中だけでも、500軒以上もの「犬料理専門店」が営業してるのだ。これは、東京都内に10軒以下しかない「クジラ料理専門店」の数と比べれば、どれほどのものかが分かるだろう。だけど、これほどの数の「犬料理専門店」があっても、日常的に犬の肉を食べてる人もいれば、まったく口にしない人たちもたくさんいる。そして、韓国の人たちの中には、犬の肉を食べることに対して、モーレツに反対してる人たちもいる。

今回のソウル市の決定に対しても、どの国の動物愛護団体よりも大反対してるのが、韓国の動物愛護団体なのだ。だから、すぐに感情的になっちゃう一部の偏向的な人たちみたく、ひと括りに「韓国は」「韓国人は」って言うんじゃなくて、現状をキチンと把握した上で、冷静に、客観的に見ることが重要なのだ。あたしたちニポン人が、みんな、クジラやイルカを食べてるワケじゃないように、韓国の人たちも、みんなが犬の肉を食べてるワケじゃない。だから、自分のことを棚に上げて、他国の食文化を批難するというアホな行為に走りたい人にしても、「韓国人は残酷だ!」って言うんじゃなくて、「韓国人の中で犬の肉を食べてるヤツは残酷だ!」って言うべきなのだ。

ま、「HNN」の「週刊きっこの目」を読んでくれてる人なら、あたしたちニポン人にも、つい最近まで犬の肉を食べてた歴史があることを知ってるだろうし、江戸時代なんか、「犬の肉こそが何よりも美味い食べ物だ」って言われてて、カタッパシから犬を殺して食べてたセイで、江戸の町から犬の姿が消えちゃったってことも知ってるだろう。そして、これも「週刊きっこの目」に書いたけど、現在でも、東京の某所にある韓国料理店では、表のメニューには書かれてないけど、裏メニューとして、常連さんにだけ「ポシンタン(犬鍋)」を提供してるとこがある。真っ赤なポシンタンを囲むお年寄りたちは、目を細めて、祖国の味を懐かしむように食べているそうだ。そして、このお店の犬の肉は、1匹約4万円で韓国から闇で輸入してる赤犬の肉で、韓国の犬牧場で食用として生産されてるものだ。つまり、ここまで来れば、完全に食文化ってことになる。

‥‥そんなワケで、1年くらい前に、ニポンの何箇所かでイルカの肉を食べてるっていう話題を取り上げた時に、たくさんの人からメールが寄せられて、ここで紹介させていただいた。そして、2007年4月17日の日記、「イルカの話題あれこれ」では、実際に子供のころにイルカの肉を食べてたっていう人たちからのメールを紹介させていただいた。

あたしは、最初に「ニポン人がイルカを殺して食べてるということが、世界的に批難されてる」っていう話を聞いた時に、「そんなアホな」って思った。恥ずかしながら、あたしは、ニポンにイルカを食べる文化があったなんて、この年まで知らなかったからだ。そして、いろいろと調べてみたり、たくさんの人からメールをいただいて、「イルカは小型のクジラとして食べられてる」「クジラ肉として販売されている」ってことを知って、愕然としたのだ。

だけど、ニポンの調査捕鯨船に薬品のビンを投げ込むような、過激な動物愛護団体のようにヒステリックにならずに、落ち着いてジックリと事実を確認してみたら、ニポン人がイルカを食べることは、クジラを食べることとおんなじで、立派な食文化だったってことが分かった。「イルカの話題あれこれ」で紹介させていただいたメールには、まだ牛肉、豚肉、鶏肉などが高価で手に入らなかった昭和30年代に、貴重なタンパク源として、給食に「イルカの味噌煮」が出てた話とか、お母さんが、タマにイルカの肉とごぼうを煮た「イルカごぼう」を作ってくれた話とか、その時代背景が分かるだけじゃなくて、子供たちを元気に育てたいっていう親たちの愛情が感じられる、胸がジーンとするような話がたくさんあった。

ニポンのイルカ漁を批難してるアングロサクソンは、ニポンの漁師さんたちが浅瀬に追い込んだイルカを殺して、血で真っ赤に染まった海の写真や映像を公開して、ニポン人がどれほど残酷なのかってことをアピールしてる。牛や豚を殺す時のように、外からは見えない閉鎖された屠殺場の中で、電気ショックで瞬殺して、首の頸動脈を切って大量に流れ出る血も、自動的に地下の廃血タンクへと流れて行くようなシステムにしてれば、残酷なシーンは人の目には触れない。これは、見えるか見えないかの違いだけで、やってることはおんなじだ。

さらに言えば、イルカの場合は、漁師さんたちが魚を獲る近海に群れで押し寄せて、魚をみんな食べちゃうことから、最初は、自分たちの漁獲を守るために、仕方なくイルカを駆除したってのが始まりだ。そして、ただ殺すだけじゃかわいそうだから、駆除したイルカを食べるようになった。つまり、イルカ漁ってのは、漁師さんたちが自分たちの生活を守るための仕方ない選択でもあるってことだ。そして、もちろん、ヤミクモにイルカを殺してるワケじゃなくて、どの種類のイルカは年間に何頭までっていう決められた捕獲数の中でやってるワケだ。

‥‥そんなワケで、ニポンの調査捕鯨を批難しまくってるオーストラリアの環境大臣、ピーター・ギャレットは、自分の国にカンガルーが増えすぎたからって、400頭もの野生のカンガルーを駆除することを容認した。このピーター・ギャレットっていうスキンヘッドのオッサンは、「ミッドナイト・オイル」っていうロックバンドのボーカルだった人で、6年前にバンドを脱退してから、環境保護活動を続けて来て、去年の政権交代で環境大臣になった。だから、あたしも、それなりに評価してた部分もあった。そして、仮に、ニポンの調査捕鯨に反対してても、自国のカンガルーも大切にしてるんなら、それは「言ってることに一貫性がある」ってワケで、あたしは評価する。

だけど、ヨソの国には文句を言うクセに、自分の国じゃ野生動物を大量に殺すなんて、こんなペテン師は「オーラの泉」でしか見たことがない。そして、このオッサンの暴挙には、あのポール・マッカートニーも怒っちゃって、イギリスの動物愛護団体を通じて、オーストラリア政府を批難するコメントを出した。で、結局、あまりにも多くの反対の声があがったもんだから、このカンガルーの大量虐殺計画は中止に追い込まれたんだけど、今回のピーター・ギャレットの二枚舌っぷりを見て、多くの支持者が離れちゃったそうだ。

多くの農民たちから、「野生のカンガルーが増えすぎて困ってる」って陳情されても、「野生動物を殺すことは絶対に許さん!」って一喝してれば、これぞピーター・ギャレットってワケで、ニポンの調査捕鯨を口汚く批難し続けて来たことにもスジが通る。だけど、ニポンの調査捕鯨に対しては、「残酷で野蛮だ!」って批難し続けて来たクセに、食べもしないカンガルーを大量に殺すことは「増えすぎたので仕方ない」って言うこの感覚が、あたしにはまったく理解できなかった。たとえば、両方とも「調査のため」や「食べるため」だったとしてもドッコイドッコイなのに、片や「増えすぎた」なんていうトンデモな理由なんだから、ニポン人としては、「お前に言われるスジアイはないよ!」って言いたくなる。そんな理由で生き物の命を奪ってもいいんなら、ユダヤ人を大量虐殺したヒトラーとおんなじ感覚じゃん。

‥‥そんなワケで、どんな理由であろうとも、どんな動物であろうとも、「動物を殺す」ってこと、「命を奪う」っことは、極めて残酷な行為だ。だけど、あたしたち人間は、自分たちが生きてくために、その残酷なことをしなくちゃならない。そして、その残酷な現場を見たり、話を聞いたりして、それでも動物の肉を食べ続けて行けるか、あたしみたく食べられなくなっちゃうかは、想像力の問題だから、人それぞれだ。

たとえば、ニポン人は、イノシシの肉の「ぼたん鍋」を食べるけど、あたしも、3回ほど食べたことがある。そのうちの3回目が、もう何年も前に、ある山奥の温泉宿に泊まった時のことなんだけど、囲炉裏を囲んで、宿のご主人が捕ったというイノシシで作った「ぼたん鍋」をごちそうになった。それまでに食べたどんなお肉よりも美味しくて、あたしは、夢中で食べていた。そこで、そのご主人は、ニコニコと笑いながら、こんな話を聞かせてくれた。


「イノシシはねえ、銃で仕留めるよりも、罠(わな)で捕ったもののほうがずっと美味いんだよ。銃で仕留めると、即死して肉が硬くなっちまうけど、罠で捕ったものは、時間をかけて丸太で殴り殺すんだ。そうすると、全身に血が回って肉が上手くなるんだよ」


もちろん、ご主人は悪気などなくて、あたしたちが「美味しい」「美味しい」と連発してたイノシシの肉に対して、「これは罠で捕って殴り殺したものだから美味いんだよ」ってことを親切に説明してくれただけだ。だけど、すぐに頭の中に映像として浮かんじゃうあたしとしては、時間をかけて殴り殺されてくイノシシの映像が浮かんじゃって、あまりにもかわいそうで、とてもじゃないけど食べられなくなった。

この時も、東京に帰って来てから、しばらくの間、お肉が食べられなくなった。時間をかけて殺されなくても、人間のために殺され続けてる牛や豚も、おんなじことだと思ったからだ。だけど、1ヶ月、2ヶ月と過ぎてくうちに、生々しい焼肉やステーキはムリだけど、挽肉になってるハンバーグとかミートボールとかから食べるようになって、そのうちに、牛丼とかも食べるようになった。ようするに、あたしは、動物を殺してる現場を見てるワケじゃなくて、スライスされてパックに入って陳列されてるとこからしか見てないから、自分が「動物を殺して食べてる」ってことに実感がなかったんだよね。

‥‥そんなワケで、あたしは、それから、中国の市場で生きた猫をその場で殺して売ってる映像を観たり、韓国で食用の犬の皮を剥ぐ映像を観たり、去年は、ニポンのイルカ漁の映像を観たりして、ようやく、お肉を食べることをやめたのだ。そして、いくら自分がお肉を食べることをやめたからって、今までずっと食べて来たんだから、食べてる人たちのことは批難できないと思った。自分が牛や豚を殺して食べて来たのに、イルカや猫や犬を殺して食べてる人たちのことも決して批難できないと思った。

こういうことを書くと、必ず、「牛や豚はかわいそうで、魚はかわいそうじゃないのか?」って言う人がいるけど、生き物を殺すことは、たとえ蚊でもゴキブリでもかわいそうだ。あたしは、水族館でお魚を観ることが大好きだし、自分でもメダカとクチボソを飼ってる。そして、自分の飼ってるクチボソを水槽からすくって、自分の手で殺して、網で焼いて食べることなんて、絶対にできない。だけど、スーパーでメザシを買って来て、焼いて食べてる。自分ではかわいそうで殺せないクセに、売られてるものは平気で買って来て食べる。これは、牛や豚を平気で食べてたこととおんなじだ。

だから、あたしは、自分でも矛盾してることは分かってる。矛盾してることが分かってるけど、あたしとしては、いろんなことを考えた上で、せめてあたしにできること、何とか譲歩できるギリギリのラインが、「自分とおんなじ哺乳類のお肉をできる限り食べないことにする」ってものだった。

人間が生きてくためには、何かを食べなきゃなんないワケで、食べ物ってのは、すべて他の生き物の命で作られてる。たとえば、お肉だけじゃなくて、お魚を食べるのもやめて、穀物やお野菜だけしか口にしない完全なベジタリアンになったとしても、「植物にも感情がある」っていう人たちもいる。盆栽や鉢植えの植物を大切に育ててる人たちにしてみれば、植物に対しても、猫や犬に対する愛情とおんなじ気持ちを持って接してるワケだし、そうした人たちにとったら、大切に育ててた植物を折られることは、可愛がってた猫を殺されることとおんなじなのだ。

そしたら、あたしは、何も食べられなくなっちゃう。だから、あたしが考えたのは、あまりにも極端なことをするんじゃなくて、できるだけ長く、できることなら一生ずっと続けて行けるような、ユルいレベルでの食生活を考えたワケだ。決してムリをするんじゃなくて、自分も満足できて、その上で、できるだけ動物を殺さないように生きて行く。これが、あたしの考えた「ユルユルのベジタリアン」てワケだ。だから、お魚も食べるし、出されたお弁当にお肉が入ってたら、それも感謝して残さずにいただく。ただし、自分から進んでお肉を食べることをやめたってだけだ。

‥‥そんなワケで、あたしは、牛や豚を食べてる民族が、クジラやイルカを食べてる民族を批難することが理解できないし、クジラやイルカを食べてる民族が、猫や犬を食べてる民族を批難することも理解できない。これは、アメリカの人殺しのために莫大な援助をしてるニポン人が、チベット人を殺してる中国のことを批難できないっていう理屈とおんなじだ。あたしたちニポン人は、中国なんかを批難してるヒマがあるんなら、まずは、自国が他民族を殺し続けてることを自覚して、これほど酷いことを続けてる政府に対して、選挙で「NO!」を突きつけることのほうが、遥かに先だと思う。だから、あたしは、これからも、自国のことを棚に上げて他国や他民族の批判ばっかりしてるような人たちとは別の次元で、この「きっこの日記」を書いて行こうと思う。それが、「ユルユルのベジタリアン」とおんなじで、「まずは自分のできる小さなこと」だと思う今日この頃だからだ。


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