命でしか償えないこと
9年前の1999年4月に起こった山口県光市の母子殺害事件の差し戻し控訴審の判決が、今日、広島高裁であった。楢崎康英裁判長は、「身勝手かつ自己中心的で、人格を無視した卑劣な犯行」として、無期懲役とした1審判決を破棄して、求刑通りに「死刑」を言い渡した。そして、朗読が2時間にも及んだとても長い判決文によると、例のトンデモ弁護団による荒唐無稽な大バカ作戦こそが、わずかに残されていた「情状酌量の余地」すらもゼロにしてしまったってことが分かった。
例のトンデモ弁護団は、被害者の首についた傷の角度がどうだとか、「今さらソコかよ?」って感じのヨマイゴトを繰り返して、こともあろうに、「殺す気などなかった」「殺人ではなく過失致死だ」などという天動説を唱え始めた。そして、カンジンの凶悪犯のほうも、押入れの中でドラえもんがどうしたとか、殺した女性が生き返るだとか、天国に行ったら被害者の女性と結婚するだとか、ご遺族の神経を逆なでするような「異常者のフリ」を続けたり、当初の自供とは正反対のことを言い出したりと、死刑をまぬがれるためにジタバタしてた。
だけど、今日の判決公判で、楢崎裁判長は、極めてマットウな見解から、これらの卑劣で幼稚な作戦をすべて一蹴した。凶悪犯の意味不明な言動やコロコロ変わる供述の信用性については、「(死姦をすれば)女性が生き返るという発想は荒唐無稽で到底信用できない。起訴後、6年半以上経過して、安田弁護士に会ってから急に新供述を始めたのは不自然。弁護団が組織されたことにより、何を言っても弁護してもらえるという思いから、被告の心に芽生え始めていた反省の気持ちが消えてしまったと考えられる。新供述は死刑回避のための虚偽供述であり、酌量すべき事情を見いだす術(すべ)がなくなった」とし、トンデモ弁護団の支離滅裂な主張に対しては、「弁護側の主張は遺体の状況と整合しない。性的欲求を満たすためと推認するのが合理的」とした。そして、次のように総括した。
「自分の犯した罪の深刻さと向き合うことを放棄し、死刑回避に懸命になっているだけで、遺族への謝罪は表面的。反省謝罪の態度とは程遠く、反社会性は増進した。極めて短絡的、自己中心的で、結果は極めて重大であり、18才になって間もない少年であると考慮しても極刑はやむを得ない」
‥‥そんなワケで、今日は「いかがお過ごしですか?」はナシにして行くけど、判決後の会見で、ご遺族の本村洋さんは、マットウな判断をしてくれた裁判長へのお礼の言葉を述べてから、加害者に対しては、「誰の指示かはしらないが、供述を変えるような作戦などとらずに、自分の犯した罪と真摯に向き合い、心から反省、謝罪をしていれば、情状酌量で死刑を回避できたかもしれないのに」という趣旨のことを言ってた。
例のトンデモ弁護団も、判決後にさっそく会見をひらき、この期に及んで、まだ「被害者の傷の角度がナンタラカンタラ」って繰り返した挙句に、裁判そのものを完全否定するような発言を繰り返してた。そして、即日、最高裁に上告したんだけど、相変わらず「殺す気などなかった」「殺人ではなく過失致死だ」っていう天動説をゴリ押ししてるから、上告は間違いなく棄却されて、数ヶ月のうちに「死刑」が確定するだろう。
とにかく、今回の裁判では、9年に渡って冷静に正論を展開して来た本村さんの努力で、素晴らしい前例を作ることができたと思う。どんなに凶悪な事件でも、常に加害者の救済にばかり重きを置き、被害者やご遺族の気持ちを踏みにじり続けて来たニポンの腰抜け司法制度にも、「正義」というものが残されたってことが分かった。これまでは、何の罪もない善良な市民が、ひと握りの自己チューな凶悪犯に苦しめられ、その挙句、司法にまで苦しめられて来たけど、「命を奪った者は自らの命をもって償う」という、ごく当たり前のことが、ようやく通用するようになったのだ。「被害者は泣き寝入りするしかない」という今までの非常識な司法の場に、一筋の光が差し込んだようなミゴトな判決だった。
ご遺族にしてみれば、自分の愛するかけがえのない家族を惨殺されたんだから、たとえ犯人が死刑になったところで、完全には報われない。すべての殺人事件の被害者のご遺族が思ってることは、被害者を「生き返らせて欲しい」ってことなのだ。だけど、それは現実的にはムリなことなので、現行の法律での極刑を望んでるってだけのことだ。今のニポンには「終身刑」がないから、「死刑」の下は「無期懲役」で、複数の被害者を殺したとしても、この「無期懲役」になれば、だいたい20年前後で刑務所から出て来られる。つまり、自分の犯した罪に対して、その100万分の1も償わずに、シャバに出て来られるってワケだ。
だからこそ、こうした凶悪犯に家族を殺されたご遺族たちは、みんな、極刑を望んでるのだ。「死刑」と「無期懲役」との間に、一生、刑務所から出て来られない「終身刑」があれば、これほどまでに極刑を望む声は上がらないと思う。今回の事件のご遺族の本村さんは、今日の会見で、死刑の判決を「正しい判決」として納得した反面、「私の妻と子供、そして、加害者の3人の命を失うことになってしまった」と言っていた。だから、もしも「終身刑」があったのなら、本村さんも、「加害者の命をも奪うこと」よりも、「一生を刑務所の中で反省しながら暮らすこと」を望んだんじゃないかって思った。
でも、理想論は理想論として、別の場で論じることであって、すでに起こってしまった凶悪犯罪に対しては、現行の法律の中で考えて行くしかない。だから、あたしは、何の罪もない人を殺した者に対しては、極刑をもって罪を償わせるしかないと思ってる。どんなに反省しようとも、どんなに謝罪しようとも、私利私欲のために見ず知らずの人間を残酷に殺したような凶悪犯には、更生の道を与えるんじゃなくて、被害者と同じ恐怖や苦しみを与えるべきだと思うし、それしか罪を償える方法はないと思ってる。人の命を奪い、その家族の一生をメチャクチャにした凶悪犯が、十数年したらシャバに出て来て、ナニゴトもなかったかのように生活できるなんて、どう考えても理解できない。
‥‥そんなワケで、去年の8月24日、名古屋の自宅付近で3人組の男に拉致されて、惨殺された磯谷利恵さんの事件では、犯人が自首したことや、殺した人数が「1人」だってことから、今までの判例から考えると、極刑は望めないという。ある弁護士さんがテレビで言ってたけど、「主犯格の男が無期懲役、残りの2人が有期刑」っていうことになる公算が大きいという。
だけど、ホントに、こんなことでいいのだろうか? 磯谷利恵さんは、あたしとおんなじに、母ひとり娘ひとりの母子家庭で、子供のころから、2人で力を合わせてがんばって生きて来た。そして、これから結婚して、幸せな家庭を築き、お母さまにいっぱい親孝行しようとしてた矢先に、闇サイトで知り合ったという3人組の鬼畜、川岸健治、神田司、堀慶末に拉致されて、わずか6万円の現金を盗むために、惨殺されたのだ。
あたしは、この事件を知った時、殺された利恵さんの無念と、たったひとり残されたお母さまの気持ちを思い、涙が止まらなくなった。そして、利恵さんの年齢があたしと近かったこともあり、これが、もしも自分の身に起こっていたら‥‥と思った。たったひとり残された母さんの病院代、身のまわりのこと、いったい誰がみてくれるんだろうか。そして、この世からあたしがいなくなったことに対して、母さんは‥‥って考えたら、頭の中が真っ白になるほど恐くなった。
それなのに、何の罪もない母子を地獄の底に突き落とすような凶悪犯罪を犯したのに、何で死刑にならないの? 何で何年かしたら出所して来れて、普通に生活できちゃうの?
あたしが絶対に許せないのは、これほどまでの凶悪犯罪を犯しておきながら、この犯人たちが、まったく反省をしてない点だ。この鬼畜どもは、もともと、「死刑になるのが恐いから」って理由で自首した自己チューなヤツラなんだけど、自首した当初から「別に反省なんかしてない」って供述してた。だけど、長いこと拘置所にいれば、少しは後悔や反省をするだろうって思ってた。でも、これほど残酷で凶悪な犯罪に手を染めるようなヤツラに、そんな「人間の心」など期待するほうがバカだった。
数日前に、どこかのテレビ局の夕方のニュース番組で、この3人のうちの1人と面会した様子を放送してたんだけど、それを見て、あたしは唖然とした。お金のために人を惨殺するという凶悪犯罪を犯していながら、コイツラは、「主犯格だけが最長の無期懲役になるだろう」ってことから、取り調べの中で、「闇サイトで仲間を募った者が主犯格だ」「いや、最初に被害者に手を出した者が主犯格だ」「いや、車の運転をして現場に向かった者が主犯格だ」と、3人で主犯格の押しつけ合いをしてるって言うのだ。その上、平然と「謝罪する気なんかないよ。別に悪いことをしたとは思ってないから」と言い放った。そして、何よりもあたしが唖然としたのは、コイツが最後に発したセリフだった。
「どうせ極刑にはならないから」
‥‥そんなワケで、あたしは、この信じられないセリフを聞いて、少年たちによる「オヤジ狩り」を思い出した。何年か前から流行ってる「オヤジ狩り」だけど、少年たちは、帰宅途中のサラリーマンにナイフを突きつけて、こう言うそうだ。
「おとなしく金を出さないと刺しちゃうよ。オレたち、人を殺しても少年法で守られてるから」
今回の事件でも、逮捕された当初の少年は、拘置所の中から友人に宛てた手紙に、ご遺族を誹謗中傷する内容とともに、「どうせ6~7年で出られるから」というようなことを書いている。あたしは、法律における刑罰ってものは、「罪を償わせる」って意味と、「犯罪を抑止する」っていう意味があると思ってる。だけど、私利私欲のために何の罪もない人間を惨殺した凶悪犯が、平然と「どうせ極刑にはならないから」と言い放ち、少年たちに至っては、現行法を脅しの文句に使ってるのだ。これじゃあ、「犯罪を抑止する」どころか、逆に、法律が犯罪を助長させてるとしか言いようがない。
あたしは、去年の9月23日の日記、「あたしは絶対に許さない!」で、磯谷利恵さんの事件を取り上げた。それで、利恵さんのお母さまが、この鬼畜どもを死刑にするために開設した署名サイトを紹介した。そして、アッと言う間に10万人以上もの署名が集まったので、10月4日の日記、「利恵さんのお母さまからのメッセージ」では、お母さまからのお礼のメッセージを掲載させていただいた。
そして、このあとも、お母さまと協力者たちの地道な努力が続いてて、4月22日現在の署名数は、とうとう27万人を超えた。だけど、どんなに署名が集まろうとも、凶悪犯どもが「謝罪する気なんかないよ。別に悪いことをしたとは思ってないから」って言い放ってても、過去の判例通りの判断しかできないような無能裁判長が担当することになれば、この鬼畜どもは、わずか十数年後にはシャバに出て来て、また、次なる獲物を探して街をうろつき、何の罪もない女性を惨殺するのだ。
‥‥そんなワケで、この鬼畜どもが死刑にならなかったら、何のために死刑制度があるのか分からなくなる。そして、「お金を奪うために何の罪もない女性を拉致して惨殺しても、わずか十数年でシャバに出て来られる」という悪しき前例を増やしてしまい、ますます犯罪の凶悪化、犯罪の短絡化に拍車が掛かるだろう。残虐で自己チューな人殺しどもに、平然と「どうせ極刑にはならないから」と言わせてしまう法律など、何の抑止効果もない。だから、こんなに残酷な犯罪を撲滅させるためにも、一生、悲しみを背負って生きて行かなきゃならない人を1人でも減らすためにも、この3人は、絶対に死刑にすべきだと思う。この事件のことをあまりよく知らない人は、ぜひ、去年の9月23日と、10月4日の日記を読んでみて欲しい。そして、利恵さんのお母さまが、どれほどつらい思いをしているのか、考えてみて欲しい。
「磯谷利恵さんの事件の署名フォーム」
http://www2.odn.ne.jp/rie_isogai/
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