猫まみれゲーム
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まだ愛が生まれる前のこと
人間には3つの性があった
男と男が背中あわせ
その名は太陽の子
地球の子は女と女
そして、月の子はフォーク・スプーン
太陽と地球、娘と息子の中間
神は力をつけた人を恐れ
地上に稲妻を放たれた
ナイフの刃のように体を引き裂いた
人はさみしい2本足の生き物に
愛の起源

‥‥これは、あたしの大好きな映画、「ヘドウィグ・アンド・ザ・アングリーインチ」の挿入歌、「愛の起源」の和訳だけど、しばらく前に、GyaOで配信してた時にお知らせしたから、その時に観た人も多いと思う。で、観てない人のために、フランク・ザッパに説明すると、共産主義体制下の東ドイツに生まれた男の子が、少年と青年のハザマくらいの時に、アメリカ兵のオッサンから同性愛を仕込まれて、自由の国、アメリカへ渡るために、性転換手術をすることになる。だけど、手術に失敗して、オチンチンが1インチほど残っちゃった上に、そのアメリカ兵のオッサンにも捨てられて、性転換ロックシンガーとして生きて行く‥‥って感じのストーリーだ。
それで、ヘドウィグは、この歌の通りに、もともと人間は「2人が背中合わせになって1人だった」って信じてる。そして、ある時、神様によって2人はバラバラにされちゃって、その自分の「カタワレ」を探すことが「愛の起源」だって信じてる。つまり、もともとは一緒だった2人が、モトの姿に戻ることこそが、愛の完結だと信じてる今日この頃、皆さん、愛しあってますか?

‥‥そんなワケで、この歌は、あたしの大好きなギリシャ神話から作られた歌だ。ギリシャ神話に出て来る最初の人間は、2人の人間が背中あわせにくっついてて、頭が2つ、手が4本、足が4本ある。ギリシャ神話の世界では、これがもともとの人間の姿なのだ。そして、この人間には、男と男がくっついたものと、女と女がくっついたものと、男と女がくっついたものの3種類がいた。
だけど、この人間たちは、神様を恐れないゴーマンなフルマイを続けてたので、ある日、怒った最高神ゼウスは、人間たちのいる地上に激しいイナヅマを降らせて、すべての人間の体を2つに裂いちゃった。昔から「きっこの日記」を読んでる人なら、このゼウスって神様が、どれほどデタラメな神様なのか、よく知ってると思う。人の女房だろうと自分の娘だろうと、挙句の果てには少年までも、ダレでもカレでもカタッパシからヤリまくるド変態のエロオヤジで、こんなヤツが最高神なんだから、ギリシャ神話はワンダホーなのだ。
そして、ヤリたい相手とはどんなことをしてもヤリまくり、欲しいものは何でも手に入れ、気に入らないものは徹底的に叩き潰すようなワガママなゼウスによって、すべての人間たちは、バラバラにされちゃって、自分のカタワレを探してさまようようになった。これが、「愛の起源」てワケで、それまでの人間は、自分1人の中で、陰と陽、正と負、プラスとマイナス、すべてが完結してたから、「誰かを求める」っていう意識、つまり、「愛する相手を求める」って意識などなかったのだ。
だから、あたしたち人間が、今、誰かと付き合っても別れたり、誰かと結婚しても離婚したりするのは、自分のカタワレじゃない別の人との出会いだってワケで、俗に言う「赤い糸でつながってる相手」を見つけるまでは、人間は本来の姿には戻れないってワケだ。
で、最初に書いた「3種類の人間」を見れば分かるように、男と男がくっついた「太陽の子」は、自分も男でカタワレも男だから、差別用語で言うと「ホモ」ってことだし、女と女がくっついた「地球の子」は、自分も女でカタワレも女だから、差別用語で言うと「レズ」ってことになる。そして、太陽と地球の間にあり、娘と息子の間にあるのが、男と女がくっついた「月の子」ってワケで、これが、人間界におけるマジョリティー、男と女のカップルの起源てことになる。
ようするに、女を恋愛対象にしてる男とか、男を恋愛対象にしてる女とかってのは、もともとは男と女が背中あわせにくっついて1人だったワケで、お互いに、ゼウスによって切り離された自分自身のカタワレを求めてるってワケだ。だから、世の中で大多数を占める男女のカップルや夫婦ってのは、もともとの姿は「両性具有」だったワケで、この男女のくっついた最初の人間のことを「アンドロギュノス」って呼ぶ。これは、ギリシャ語で「男性」を意味する「アンドロ」と、「女性」を意味する「ギュノス」とを合わせた言葉だ。
ちなみに、「アンドロイド」ってのは、「男性のようなもの」って意味だ。だから、細かいことを言うと、「女性の形をしたアンドロイド」ってのはアリエナイザーで、女性の姿をしてる人造人間のことは、「ガイノロイド(ギュノスロイド)」って呼はなきゃならない。そして、松本零士大先生が作り出したエッチな女性型人造人間は、「セクサロイド」だ。
‥‥そんなワケで、この「アンドロギュノス」ってのは、男と女がくっついた人間、男女の両方の性を持った人間てワケだけど、これとおんなじように、男女の両方の性を持った神様もいる。それが、「ヘルマフロディトス」だ。今まで何度も書いて来たように、ギリシャ神話ってのは壮大な近親相姦のドラマだから、思わぬとこで思わぬ男と思わぬ女が思わぬセックスをして思わぬ子供を作ったりしてるんだけど、この「ヘルマフロディトス」も、そうしたドロドロの中から誕生した。
分かりやすく順序立てて書いてくけど、いろんな女神にたくさんの子供を産ませたゼウスは、自分でも把握しきれないほどの子供がいるんだけど、その中に「ヘルメス」っていう男の神様もいた。覚えてる人は少ないと思うけど、2007年8月7日の日記、「ペルセウスの大冒険」の中で、メデューサを倒しに行くペルセウスに、斬れ味バツグンのマゴロクソードを渡したのが、オリュンポス12神のうちの1人、ヘルメスだ。
そして、美女ぞろいのギリシャ神話の女神たちの中で、ひときわ美しい愛の女神が「アフロディーテ」だ。アフロディーテは、2007年12月13日の日記、「ふたご座の秘密」の中で、エロオヤジのゼウスが、ヨソの国の王女様を奪いに行くのを手助けしたトンデモ女神だ。
で、このヘルメスとアフロディーテの間に生まれた子供が「ヘルマフロディトス」ってワケなんだけど、これは、「ヘルメス+アフロディーテ=ヘルマフロディトス」ってワケで、2人の名前を合体させて命名されてる。だから、「男性」を意味する「アンドロ」と、「女性」を意味する「ギュノス」とを合わせて「アンドロギュノス」って命名したのとおんなじで、男の神様の「ヘルメス」と、女の神様の「アフロディーテ」とを合わせて、「ヘルメスアフロディーテ」→「ヘルメスフロディーテ」→「ヘルマフロディーテ」→「ヘルマフロディトス」って感じになってるのだ。
‥‥そんなワケで、美男美女のカップルから生まれた絶世の美少年、ヘルマフロディトスは、15才になった時に、東方へと冒険の旅に出発した。そして、故郷から遠く離れたリキュアの地で、ある泉のそばを通りかかると、とても美しいハープの音が聴こえて来た。ヘルマフロディトスが、その音楽に導かれるように進んで行くと、その泉のほとりで、1人のニンフ(妖精)が、ハープを弾いていた。
このニンフは、水の精、サルマキスで、他の水の精たちとは違い、とっても色気づいた娘だった。だから、突然やって来たヘルマフロディトスを見て、その美少年ぶりにひと目惚れしちゃって、ソッコーでアタックを開始した。でも、お得意のニャンニャン攻撃でヘルマフロディトスに言い寄るも、まだ女性に興味のなかったヘルマフロディトスから、強く拒否されちゃう。ヘルマフロディトスにしてみれば、急に見ず知らずの変な女がベタベタして来たんだから、当然だろう。

それで、アタックに失敗したサルマキスは、いったんコマーシャル‥‥じゃなくて、いったんその場を離れて、作戦を練り直した。一方、変な女がいなくなってホッとしたヘルマフロディトスは、服を脱いで目の前の美しい泉に入り、旅の汚れを清めていた。だけど、この泉は、水の精であるサルマキスが支配する泉だったのだ。物陰から様子を見てたサルマキスは、惣流アスカラングレーばりに「チャ~ンス!」って思い、自分も裸になって背後から忍び寄り、ヘルマフロディトスに抱きついた!
ビックル一気飲みのヘルマフロディトスは、何とか振りほどこうとしたんだけど、ここはサルマキスの能力が最大限に発揮されるサルマキスの泉、ヘビのように絡みつくサルマキスの腕をほどくことはできない! そして、クチビルまで奪われてしまったヘルマフロディトス! もはや、逃げることはできないのか!?‥‥と、その時、サルマキスが、天に向かって叫んだ。
「天の神々よ、どうかこのままずっと、私たち2人が永遠に離れられないようにしてください!」
すると、ヘルマフロディトスに抱きついてたサルマキスの姿が、だんだんと薄くなって行き、白い煙のように消えてしまった。そして、泉の中にポツンと残されたヘルマフロディトスが、ホッと胸を撫で下ろそうとすると、「えっ?」ってことになった。ナナナナナント! ヘルマフロディトスの胸がどんどん膨らんで来て、アッと言う間に、豊かな女性のオッパイになっちゃった! 「なんじゃこりゃ~!」って叫んだその声も、女性のようなカン高い声だ!
体全体のラインもなめらかになり、ウエストはくびれ、ヒップは丸みを帯び、ヘルマフロディトスは、完全に女性の体に変わってしまった。すかさず自分の下半身に目をやると、ご自慢のオチンチンは今まで通りにぶら下がってたので、その点だけはホッとしつつも、女性の体にオチンチン‥‥という、中途半端なニューハーフみたいな体になっちゃったヘルマフロディトスは、何が何だかしばらくは理解できなかった。女性になりたくて性転換手術を希望してる男性ならいいんだけど、そんな気がまったくなかったヘルマフロディトスにしてみれば、これは、とんだ災難だった。たまたま通りかかった泉で、知らない女から言い寄られ、挙句の果てには、その女と合体して、両性具有にされちゃった。両性具有っていうくらいだから、オッパイだけじゃなくて、オチンチンの下のオイナリサンの後ろあたりには、女性器もついてんだろう。
そして、ヘルマフロディトスが、自分に抱きついていたサルマキスと一体化しちゃったってことを理解したころには、日はトップリと暮れていた。思い切り凹んだヘルマフロディトスは、冒険の旅を打ち切りにして、トボトボとお家に帰って行った。そして、変わり果てた自分の姿をお父さんとお母さん、ヘルメスとアフロディーテに見せて、こう言った。
「父さん、母さん! ボクはこんなの納得できないよ! このままじゃ悔しいから、あの泉に入った者は、みんなボクとおんなじ体になっちゃうようにしてよ!」
で、息子をかわいそうに思ったヘルメスとアフロディーテは、サルマキスの泉に魔法をかけて、息子の願いを叶えちゃったのだ。それ以来、サルマキスの泉には、古今東西の性転換したい男性が押し寄せて、ゲイのハッテン場としても有名になった。そして、みんなで海辺へ行きましたとさ。めでたし、めでたし‥‥ってワケで、望みもしないのに中途半端な体にさせられちゃったヘルマフロディトスは気の毒だけど、この「中途半端」って感覚は、男と女に分かれてるあたしたち現代人の感覚であって、男と女が1つだった最初の人間、「アンドロギュノス」の感覚で言えば、これこそが本来の人間の姿なのだ。切り裂かれた自分のカタワレと、ようやく1つになれた本来の姿なのだ。
‥‥そんなワケで、見方を変えれば、もともとが絶世の美少年だったヘルマフロディトスだから、自分に欠けてた女性の部分が補完されたことで、ホントに美しい完璧な姿になった‥‥とも言える。実際、それまでは女性からしか見染められなかったヘルマフロディトスだけど、両性具有になってからは、男性からも女性からも注目されるようになり、「完全なる美」って見られるようになったのだ。
これは、古代ギリシャの観念なんだけど、「普通の男性や女性はすべて欠陥人間であって、両性具有者だけが完璧な人間である」って言われてた。こうした観念が先にあって、それがギリシャ神話に生かされたのか、それとも、先にギリシャ神話が書かれて、そこからこうした観念が生まれたのかは分からないけど、とにかく、この時代には、両性具有者を「完璧な人間」として理想視する風潮があった。そして、それは、女性が男性の体を手に入れたいと思うよりも、男性が女性の体を手に入れたいと思う傾向のほうが強かった。あたしは、これは、「男よりも女のほうがセックスの時にエクスタシーを感じる」ってことが原因じゃないかって思ってる。
最高神にしてエロ大魔王のゼウスには、何人もの奥さんや恋人がいたんだけど、その中の1人、ヘラは、ゼウスの実の姉だった。近親相姦やりたい放題のギリシャ神話の世界では、自分のお姉さんや妹と結婚しちゃうなんて日常チャーハンなのだ。で、ある日のこと、ゼウスとヘラが、「セックスの時に男と女のどちらがエクスタシーを感じるのか?」って話をしてた。そして、男であるゼウスは「女に決まってる!」って言って、女であるヘラは「男のほうでしょ?」って言って、言い争いになっちゃった。
そこで、ゼウスたちは、テイレシアスを呼んで意見を聞くことにした。このテイレシアスってのは、もともとは男性だったんだけど、山道で絡み合ってる2匹のヘビを見つけて、木の枝で叩いてお楽しみのジャマをしたら、バチが当たったのか、女性に変わっちゃったのだ。そして、女性として7年間を過ごした時に、またまた山道で絡み合ってる2匹のヘビを見つけたから、おんなじように木の枝で叩いてみたら、男性に変わったのだ。こんな経歴を持つ男だから、男性と女性の両方の立場でのことが分かる。それで、ゼウスたちは、このテイレシアスに聞いてみようってことになったのだ。そして、呼ばれたテイレシアスは、こう答えた。
「男性としても女性としてもセックスしたことのある私の意見としては、セックスの時のすべてのエクスタシーを10とすると、男性が感じるのが1で、女性が感じるのが9ですね」
これを聞いて、自分の意見が正解だったと分かったゼウスは喜んだんだけど、言い争いに負けちゃったヘラは激怒して、その場でテイレシアスの目をつぶしちゃう。すごいよね。自分で呼びつけておいて、気に入らない答えをしたからって目をつぶしちゃうなんて。だけど、これじゃあまりにもかわいそうだと思ったゼウスは、両目をおさえてうずくまるテイレシアスに、通常の7倍の寿命と、予知能力を授けたのだ。こうして、テイレシアスは、「盲目の預言者」としての道を歩き始めたのだ。
ヘラを激怒させたテイレシアスの言葉によれば、セックスの時に感じるエクスタシーの度合いは、男女で1対9の違いがあるってワケだ。だから、女性の体を手に入れたいと思う男性が多かったんだと思うけど、この「セックスの時のすべてのエクスタシーを10とすると」っていう前提こそが、かつては「男と女がくっついて1人の人間だった」っていう観念から出発してるように思える。
古代ギリシャでは、男性が作り物のオッパイをつけて、女装して踊る儀式みたいなのもあったそうだし、このあたりの流れを見ると、男性の多くが、女性の考え方や感性などの精神的なことよりも、セックスの時に多くのエクスタシーを感じる「女性の肉体」に憧れてたってことが推測される。
‥‥そんなワケで、ギリシャ神話には、両性具有の人間のアンドロギュノスや、両性具有の神様のヘルマフロディトス、男から女に変わり、また男に戻ったテイレシアスなどの他にも、いろんな「性の融合体」が登場する。たとえば、ヘルマフロディトスのような後天性の両性具有者じゃなくて、先天性の両性具有の神様もいる。それが、「アグディスティス」だ。
来る日も来る日もセックスに明け暮れるエロ大魔王のゼウスは、こんなにいっぱいセックスをしてるのに、それでも「夢精」もしちゃう。夢精ってのは、寝てる間に自然に射精しちゃうことで、あたしには分かんないけど、地元の男友達に聞いてみたら、「すごくエッチな夢を見て、夢の中でものすごく気持ちが良くなって、朝起きるとパンツの中がベトベトになってる」ってことだった。う~ん、なんかキモイ(笑)
で、この夢精は、何日も何週間も射精をしないでいると、どんどん製造される精子がオイナリサンの中にパンパンになっちゃって、それで起こる自然現象みたいなんだけど、ゼウスが夢精したら、大量の精子が大空に飛び散っちゃって、あたりの山々に滴り落ちて、そこから生まれたのがアグディスティスってワケだ。ちゃんとしたセックスじゃなくて、夢精した精子から生まれるなんて、これだけでも情けないのに、生まれてみたら両性具有、これじゃあグレちゃうよね。
そして、ヤケクソになったアグディスティスは、毎日毎日、大暴れして、周りの神様たちに迷惑をかけ続けた。それで、「これじゃあヤバイ!」ってことになり、神様たちは作戦を練って、アグディスティスのオチンチンを切り落としちゃう。これで、女神として生きるしかなくなったアグディスティスは、大人しくなったってワケだ。
さらには、切り落とされたオチンチンから木が生えて、そこにアンズの実がなって、その実を食べたニンフが妊娠してニンプになっちゃって、それで生まれたのが「アッティス」なんだけど、ここから先も、発狂してオチンチンを切り落としたり、刺し殺したりする刃傷沙汰が満載で、スゴイ展開になる。だけど、あまりにも長くなっちゃうし、本線からどんどんダッフンしちゃうので、今日のとこはサクッとカットさせてもらう。
‥‥そんなワケで、27才という若さで、乗ってた自動車が電車にはねられて亡くなった悲劇の天才作家、渡辺温(わたなべ おん)に、「アンドロギュノスの裔(ちすじ)」っていう短編がある。痒いとこに猫の手が届く「きっこの日記」だから、上のタイトルをクリックすれば青空文庫で読めるようにしてあるけど、この秀作の冒頭部分で、渡辺温は、次のように書いてる。
「だが、たとえば、アメリカの機械靴の左右を合わせるのに、ほんの寸法だけで左足の堆積(やま)と右足の堆積とから手当り次第に掴み取りして似合の一対とするように、人間が肢を八本もっていたアンドロギュノスの往古(むかし)に復(かえ)り度い本能からばかりならば、幾千万の男と幾千万の女との適偶性(プロバビリイティ)もまた幾千万と云わなければならない。思うに天のアフロバイテ(アフロディーテ)を讃える恋の勝負は造化主の意思の外にあるのであろう。神さまは、ただ十文半の黄皮の短靴の左足は十文半の黄皮の短靴の右足こそ応(ふさ)わしけれ、と思し召すだけに違いない。男と女。男と女。――たった二種類しかない人間が、何故せつない恋に身を焦がしたりしなければならぬのであろうか?」
つまり、渡辺温は、切り裂かれた自分のカタワレを求めるという本能から恋愛の相手を探すのであれば、ものすごい数の相手と付き合ったり恋愛したりしなくちゃならないし、それはものすごく大変なことだって言ってる。そして、もともとはそうだったのかも知れないけど、今の恋愛は、もっと違った欲望や本能によって突き動かされているのではないか?って言ってるのだ。
これは、あたしも、そう思う。人間は、自分に欠けてるものを欲しがったり憧れたりする習性が強いから、たとえば、運動神経の鈍い女性なら、スポーツ万能の男性を好きになっちゃったりすることも多い。これは、もともとが1つの体で、切り裂かれたカタワレが運動神経を多く持ってっちゃったことによる「補充欲」だと仮定することはできるけど、だからといって、出会ったスポーツ万能の男性が、必ずしも自分のカタワレとは限らないのだ‥‥ってよりも、自分のカタワレである確率は極めて低い。ただ、運動神経に関する「補充欲」を満たしてくれる点に惹かれてるだけで、他の欠損してる部分は満たされないだろう。
さらには、相手に欠損してる部分をこちらが満たしてあげられるとも限らないから、この2人は、ピッタリと合うジクソーパズルのピースじゃないってことで、一定期間が過ぎれば、自然と別れることになる。そして、それぞれが、自分の欠損した部分を完璧に満たしてくれるカタワレを求めて、新たな旅に出るってことになる。
そして、本当のカタワレに出会えた時に、初めて、人は人として完成されるのだ。そこには、浮気も暴力も何もない、純粋な「愛」しかない。ホントの「愛」とは、相手が自分であり、自分が相手であり、2人で1人なんだから、そこに浮気や暴力があるってことは、自分で自分を裏切ったり、自分で自分を痛めつけたりすることであり、理論上はアリエナイザーだ。つまり、浮気をしたり暴力をふるったりしてるカップルってのは、自分のホントの相手じゃない、どっかの誰かのカタワレと恋愛のマネゴトをしてるだけで、それによって苦しんでるだけなのだ。
‥‥そんなワケで、ヘドウィグが信じてるように、ギリシャ神話に書かれてるように、古代ギリシャの人たちが考えてたように、人間の起源が「2人がくっついて1人」だったのなら、すべての人間は自分1人で完璧だったってワケだ。「愛」ってものも、他人に求めたり他人に捧げたりするんじゃなくて、自分の内側で処理されてたってことになる。そして、切り裂かれた人間たちは、男が男を求めるパターンや、女が女を求めるパターンなら、自己にそれほどの欠損性を感じないだろうけど、男と女とがお互いを求め合う「アンドロギュノス」の場合には、常に自分の内側に「何か大切なものが足りない」って感覚を持ち続けてるんだと思った。何にしても、あたしのカタワレを探す旅は、まだまだ続くと思う。いつの日か、自分のカタワレと、背中あわせに安心して眠れる日が来るまで‥‥なんて思う今日この頃なのだ。
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「<四川大地震>中国、日本を初の人的援助受け入れ国に決定」(毎日新聞)
中国外務省は15日、四川大地震で道路事情などを理由に受け入れに難色を示していた国際救援隊などの人的援助に関して「日本からの緊急援助要員を受け入れる」と発表した。各国から申し出がある中で、日本は中国が人的援助受け入れを決定した最初の国となった。胡錦濤国家主席は今月初めに訪日したばかり。日本を受け入れ第1号に選んだことは、中国政府が、日本の豊富な災害救援経験を認めただけでなく、日中関係を重視したことを意味している。中国外務省によると、日本以外の国に関しても近く人的援助の受け入れを発表していくという。(5月15日12時58分)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080515-00000044-mai-cn
クリティカル・ポイントの72時間を迎えたところでの「受け入れ発表」ということは、「死人に口無し」ということなのでしょうか? 少なくとも、今までの「道路が分断されていて受け入れ態勢が整っていないから」という拒否の理由は、ウソだったということが証明されましたね。
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12日に中国の四川省で起こった大地震は、四川省だけでも昨日までに1万5000人以上の死亡が確認されて、まだ生き埋めになってる人が2万5000人以上、行方不明者が2000人以上もいるそうだ。だけど、別の報道によると、4万人が行方不明になってるとか、6万人が行方不明になってるとかっていう情報もあって、何がホントなのか分からない。チベット問題の時もそうだったけど、チベット側と中国側とで言ってることがぜんぜん違ってたし、何よりも外ヅラを重要視する中国政府は、こんな大変な時にも、まっさきに報じたのは、「北京市内にあるすべての五輪関連施設はマグニチュード8クラスの地震に耐えうる構造なので絶対に安全だ」っていうアホみたいなアピールだった。
地震などで生き埋めになった場合のクリティカル・ポイントは、72時間が限界だって言われてる。最初の24時間の生存率は75%、2日目の24時間の生存率は35%、3日目の24時間の生存率は15%だそうだ。つまり、生き埋めになってから24時間以内に救助すれば助かった人たちも、3日目になると5分の1しか生存してないってことだ。だから、一刻も早く救助しなきゃならないのに、最初の救助が始まったのが、地震から30時間後だの、50時間後だの、さらには、未だに救助が来てない場所もあるそうだ。
それなのに、中国政府は、「お金や物資の援助は歓迎するが人的支援は必要ない」って言ってる。表向きの理由は、「人的支援を受け入れる体制が整っていない」ってことなんだけど、ホントなんだろうか? そして、こんな悠長なことを言ってる場合なんだろうか? たとえば、ガケ崩れで道路が分断されてる場所だって、1人でも多くの救援隊が参加して作業したほうが早いと思うんだけど‥‥。昨日、どこかのチャンネルのニュースを見てたら、コメンテーターの1人が、「今回の被災地の多くは、ふだんから中国政府に不満を持っている人たちが住んでいる地域なので、海外から来た救助隊員たちに政府への不満をしゃべられると困るから」って言ってたけど、これがホントなら、人命よりも外ヅラが大事な国ってことになる。
‥‥そんなワケで、今日は話題が話題だから、「いかがお過ごしですか?」はナシにして行くけど、あたしは、もしもこんな理由で人的支援を拒否してるのなら、冗談じゃないと思った。地震が発生してから24時間以内に全世界に向けてSOSを出せば、ニポンの自衛隊やロシアの軍隊を始めとして、たくさんの国からプロのレスキュー隊が駆けつけただろう。そして、船や飛行機やヘリコプターを出動させてレスキューに向かえば、たくさんの人たちが助かったハズだ。
だけど、もうクリティカル・ポイントの72時間が過ぎちゃったんだから、生き埋めになって、必死に助けを求めてた人たちの8割から9割は息絶えているだろう。現地では、オンカホー首相がソッコーで被災地へ飛び、陣頭指揮をとってがんばってるそうだけど、これだって、国内の不満を少しでも鎮静化するためのアピールと、海外メディアに対するアピールにしか見えない。ホントに被災者たちのことを考えてるのなら、何よりも先にやるべきことは、他国への人的支援の要請だろう。
そして、政府も政府なら国民も国民だ。こんな大変なことが起こったっていうのに、中国では、今、義捐金詐欺が横行してる。地震が起こった翌日の13日から、ケータイサイトやインターネット上に震災への義捐金を募る詐欺サイトが林立し、メールによる振り込め詐欺もあとを絶たず、次々と摘発されてる。もちろん、こんなことをするのはホンのひとにぎりのヤツラなんだろうけど、自分の国の人たちが何万人も苦しんでるのに、どうしてこんな酷いことを平然とできるんだろう? 他国民のあたしでさえ、少しでも力になろうと思って義捐金を送ったのに、その国のヤツラがこんなことをしてるなんて、心の底から悲しい気持ちになる。
そして、昨日、14日には、救援物資を積んだトラックが被災者たちに止められて、荷台の物資を奪い合う人たちでメチャクチャになったそうだ。奪われずに現場までちゃんと届いた救援物資も、担当者がキチンと配布しようとするのを押しのけて、我れ先にと奪い合ったため、体力のある元気な男性ばかりが食糧や飲み水を何人分もひとり占めして、ケガをしてる人やお年寄り、子供には、ほとんど行き渡らなかったそうだ。
中国政府は、暴徒と化した被災者たちを抑えつけるために、武装した警察官を何十人も配備したそうだけど、被災者を武力で黙らせるなんてキチガイ沙汰だ。モトはと言えば、政府の救助が遅れてることから、被災者たちの不満が爆発して、こんな状況になったっていうのに‥‥。あたしは、こんな状況を知るにつけ、ヨケイに海外からの人的支援が必要だと思うんだけど、サスガ、オリンピックを開催するために野良犬や野良猫をカタッパシから殺すような政府は、やることがイカレてるよね。
‥‥そんなワケで、あたしが、今回、何よりも心を痛めてるのが、小学校や中学校の倒壊だ。どんな事故でも、事件でも、災害でも、子供の命が失われるというのは、ホントにつらい。そして、今回は、数えきれないほどの子供たちが生き埋めになり、すぐに救助すれば助かった命も、たくさん失われたのだ。中国の政府のメンツって、子供たちの命よりもずっと大事なんだろうか?
そして、本来なら、その地域の避難場所であるハズの小中学校が、こんなにも簡単に倒壊するなんて、そのこと自体も衝撃だった。だけど、これって、他人ゴトじゃないんだよね。このニポンも、全国の学校や病院などのうち、耐震強度の基準を満たしてるのは、わずか58%しかない。残りの42%は、最低基準の0.7を下回ってて、今回の中国の地震とおんなじクラスの地震が起これば、簡単に倒壊しちゃうのだ。それどころか、0.5を下回ってるものも全国に4000棟以上もあり、これらは、震度5強の地震でも倒壊する恐れがあるのだ。
それなのに、ニポンの政府は、ムダな道路を造ることには何十兆円もつぎ込むのに、こうした強度不足の学校や病院に関しては、まったくのノータッチ。中には、予算がなくて耐震強度を測定することすらできない学校もたくさんあるのに、政府は何の援助もせずに、ずっとホッタラカシ。小学生や中学生の子供を持つ親は、自分の子供が通ってる学校の耐震強度を知ってるのだろうか? 少なくとも約4割の学校は、中国とおんなじことになるって知ってるのだろうか? つまり、「明日は我が身」ってことなのだ。
ちなみに、学校や病院ですらこんなアリサマなんだし、何よりも危険な原発でさえも55基のうちの17基もが耐震強度不足なんだから、一般のマンションやホテルなんか酷いもんだ。耐震強度の基準を満たしてないマンションやホテルは、分かってるだけでも、全国に200万棟以上もある。そして、そのうちの2割から3割は、0.5を下回ってるって言われてる。これは、これほどの地震多発国なのにも関わらず、少しでも原価を安くするために、手抜き設計や手抜き工事を乱発する悪徳業者と、それをインペイし続けて来た国交省、そして、こうした悪徳業者や国交省の官僚と癒着して甘い汁を吸い続けて来た自民党の森派の面々が生み出したものだ。
‥‥そんなワケで、あたしは、こんな大震災の時にまで、人命よりも外ヅラを最優先して、できるだけ感動的なシーンを報道するように指示した中国政府って、どこまで愚かなんだろうと思った。そして、地震が起こったあとも、オリンピックの施設の工事を予定通りに行なってるってことを知って、唖然とした。そんな重機が余ってるのなら、すべて被災地へ向かわせるべきじゃないのか? あたしは、最初っから中国のオリンピック開催には反対してるけど、こんなレベルの政府は、根本的な部分から変わらなかったら、とてもじゃないけどオリンピックを開催するに値しない国だと思った。こんな政府のメンツのために、救助が間に合わなくて亡くなって行った人たちが、ホントにかわいそうだと思った。どうか、1人でも多くの人が助かりますように‥‥。
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どんな商売でもおんなじだけど、何よりも大切なお客さんは「常連さん」や「リピーター」で、「一見(いちげん)さん」は大切じゃない。もちろん、一見さんが来店しても、常連さんとおんなじようにサービスするのが普通だけど、パチンコ屋さんの場合は違う。パチンコ屋さんにとっては、常連さんにはホドホドに勝たせるけど、一見さんからはザックリとむしり取る。それが顕著なのが、年末とかゴールデンウィークとかの「回収期間」だ。
こうした時期は、ふだんは来ないような人たちがドバッと押し寄せるから、どのパチンコ屋さんも、釘をガチガチにしめて回らなくする。遠隔操作をしてるホールなら、軒並み大ハマリ台にされちゃう。ようするに、ふだん来ない人たちからたくさん回収する期間てワケで、こんな時期に打ちに行くのは、カモがネギしょった上に、ポン酢まで持参して行くようなもんだ。
で、回収期間のゴールデンウィークも終わり、そろそろ通常の出玉に戻ってるころなので、あたしは、早めにお仕事が終わった今日、久しぶりに地元のパチンコ屋さんに行って来た。夕方の4時前くらいに行ったんだけど、「エヴァンゲリオン~使徒、再び~」は、3分の1くらいが埋まってて、残りの8割くらいがそこそこ回してたんだけど、朝から誰も打ってない台も何台かあった。それで、まだ誰も打ってない台の中で、一番良さそうな釘の台で打ち始めたら、最初の500円で13回も回ったから、「おおっ!」って思って、そのまま打ち続けてた。
それで、ちょうど4時になったので、台の横についてるテレビを6チャンにして、「水戸黄門」を観つつ、コーヒーを飲みつつ、タバコを吸いつつ、パチンコも打ちつつ‥‥なんて聖徳太子みたいなことをしてたら、30回転目に「レイちゃんモード」になった。そしたら、前代未聞のことが起こっちゃった。「レイちゃんモード」の1回転目に、ビックリマークも使徒も出ずに、ジョグを回したりコインが回ったりもせずに、何の予告もなく、普通に「4」と「5」のダブルリーチが掛かった。だから、「えっ?」って思って見てたら、そのまま「4」で当たり!‥‥って、「なんじゃこれ?」って思った今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?
‥‥そんなワケで、あたしは、ものすごくヘンテコな当たり方をしちゃった。確変中なら、ノーマルリーチが発展しないでそのままスコッと当たることもマレにあるけど、通常モードで普通に打ってて、何の予告も前ぶれもなく、何も発展しないで、そのままスコッと当たっちゃうなんて、こんなこともあるんだな~って思った。で、セグを見たら「ラウンド中の昇格」だったから、パッキーを抜いて、久しぶりの「残酷な天使のテーゼ」を楽しんでたら、10Rのラミエルじゃなくて、7Rで「予告」から「三つの力」が出て、シャムシェルの三機攻撃リーチになったから、タップリとアニメが観られて嬉しかった♪
それで、確変になったら、レイの横顔の「はじめまして、ばあさん」が出た! これは初体験だ! オマケに、「1」と「9」のダブルリーチだったから、どっちで当たっても確変てワケで、シンジの初号機リーチで、アッサリと「1」で当たった! そして、次の確変中に、初号機の役モノが「ウォ~!」って吠えて、「5」「1」「3」で「暴走モード」突入! 意味はないけど気持ちいいし、ここまでの感じで、なんか伸びそうな予感がして来た。

それで、「暴走モード」のお約束の「4」で当たったら、再抽選で赤く光って、背景が赤くなって、「1」「3」「5」「7」の確変数字だけが回る黄金の再抽選になっちゃった! これも初体験だ! そして、大当たりが終わっても「暴走モード」が継続してて、またまた初号機の役モノが吠えて、またまた「5」「1」「3」で止まったら、「継続」じゃなくて、レイの「覚醒モード」に突入! これも初体験! あわててバッグからケータイを出して、写真を撮ったんだけど、「綾波レイ」っていう文字が出てる時にシャッターを押したら、零号機の顔のアップみたいなとこが写って、何が何だか分かんない写真になっちゃった。
レイの覚醒モードは初めてだから、よく見てたら、「2」の白いレイがセクシーな感じでいいな~って思いつつも「2」で当たったらイヤだな~って思ってたら、その「2」で当たっちゃったよ、トホホ。その上、再抽選もなくて、セグはジ・エンド。負けると分かってる10Rのラミエルは、もちろんアスカが負けちゃって、「覚聖モードなのに1回かよ!」って思ってたら、ここからがすごかった。
時短の1回転目で、ナナナナナント! 弐号機の格納庫の背景! これも「奇跡の価値は」では何度か見たけど、「使徒、再び」では初体験だ! あまりにもワンダホーな復活に、「水戸黄門」どころじゃなくなって来た。そして、単独発進からアスカの膨らむプラグスーツのロングアニメで弐号機リーチになり、サクッと確変! ここからも続いて、ぜんぶで10連チャン、14900発で4万4500円、1500円の投資なので4万3000円の勝ちになった。だから、ずっと気になってたミャンマーと中国に1万円ずつ義捐金を送って、2万円は母さんのための口座に預金して、3000円は自分のお小遣いにした。
‥‥そんなワケで、今日は、初体験の予告やプレミアが4つも見られた上に、1時間半で4万円以上の勝ちだったから、すごく効率が良かった。それに、あたし個人としても、1時間半で3000円てことは、時給2000円てワケで、バイトとしては悪くない。それに、ケガで本職をお休みしてた時は、パチンコの収入はすべて生活費にしてたけど、今は本職の収入があるから、パチンコの収入は貯金できる。だから、打ち甲斐がある。あたし的には、「機動新撰組 萌えよ剣」か「サクラ大戦」を打ちたいんだけど、地元のパチンコ屋さんにはないから、とりあえずは、幻の四号機リーチを見られるまでは「エヴァンゲリオン~使徒、再び~」で遊びつつ、「寿司屋の源さん」でコンスタントに稼がせてもらおうと思ってる今日この頃なのだ。
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昨日の続きみたくなっちゃうけど、今日も「もったいない」について書いてみようと思う。それは、去年、大好きな赤瀬川原平さんの「もったいない話です」(筑摩書房)を読んだことを思い出したからだ。原平さんの本だから、もちろんマジメなエコの話とかじゃなくて、独特の視点で人間の「もったいない」という感覚について書いてる上質のエッセイなんだけど、他の著作と同様に、ものすごく楽しめた。そして、いろんな気づきもあった。
この本の冒頭の章で、原平さんは、「猿」に対して怒ってる。山から降りて来て畑を荒らす猿たちが、人間がせっかく育てたダイコンを抜いて、ヒトクチかフタクチほどかじっただけで、ポイと捨てる。そして、また新しいダイコンを抜き、ヒトクチかフタクチほどかじっただけで、ポイと捨てて、畑は、かじられたダイコンが散乱した状態になる。原平さんは、これに対して怒ってるのだ。1本のダイコンを抜いて、それを最後まで食べるのなら、それでお腹がいっぱいになるだろうし、畑も荒れないからだ。
それなのに、カタッパシからダイコンを抜き、ヒトクチかフタクチほどかじっただけでポイと捨ててく行為は、まるで、ホニャララ団かウヨクの嫌がらせのようだ。だけど、猿が「嫌がらせ」のためにそんなことをしてるとも思えないので、これは、純粋に「食べ物を食べてる」だけなんだと思う。そして、原平さんは、猿のこの行為に対して、「猿にはもったいないという感覚がないからだ」としてる。そして、猿に「もったいない」という感覚が芽生えて、人間に進化した‥‥って書いてる。
もちろん、これは、原平さんならではのジョークで、猿と人間とを比較する上での「喩え話」みたいなもんだ。つまり、1本のダイコンを手に入れたら最後まで食べるのが人間で、ヒトクチかフタクチほどかじっただけでポイと捨てちゃうのが猿で、その違いは「もったいない」という感覚を持ってるか持ってないかってことだって書いてる今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?
‥‥そんなワケで、原平さんは、この「もったいない」という感覚を持ってない猿は、あたしたち人間の中にも潜んでて、時々顔を出すと言う。原平さんは、「いや猿に向上心を説いても仕方ないが、じつは畑だけでなく、人間界にも猿は出る。日本の成人式ともなると、猿がたくさん会場にあらわれる。成人式でなくても、テレビにはいつも猿が出て笑っている。里山から下りてくるだけではなく、人間そのものの中に潜り込んだ猿が、はい出してきている。買い物の輪ゴムをポイと捨てる手には、よく見ると猿の毛が生えて猿の爪が伸びているのだ。」って書いてる。
原平さんは1937年生まれだから、戦時中から敗戦後にかけて、決して「豊か」とは言えない少年時代を過ごして来たワケで、わざわざ「もったいない」とか「節約」とか「経済的」とかって言葉を口にしなくても、当たり前のこととして、いろんなモノを大切にして来た。食べ物はもちろんのこと、鉛筆1本、消しゴム1個にしたって、最後の最後まで使って来た世代の人だ。そう言えば、原平さんの名著、「純文学の素」の表紙は、赤と青の2色鉛筆が、両側から最後のギリギリまで削られてて、2cmくらいのチビた状態になってる写真が使われてたけど、アレも、この世代の人の郷愁を誘う感覚なんだと思う。
だいたいからして、今の人たちは「鉛筆」ってもの自体をあんまり使わなくなったし、ましてや、青と赤の鉛筆なんて、メッタにお目にかからなくなった。昭和までは、競馬場とか競艇場に行くオジサンたちが、耳に青と赤の鉛筆を挟んでたイメージがあるけど、今じゃ場外馬券売り場もオシャレになっちゃったし、若い女性やカップルなんかもウロウロしてて、鉛筆を耳に挟んだオジサンのイメージは消えかかってる。もちろん、これは、競馬をしないあたしが持ってるイメージであって、実際には、鉛筆を耳に挟んだオジサンはたくさんいるのかもしれないけど。
パチンコ屋さんに行くと、なぜか耳の穴にパチンコ玉とか百円玉を入れてるオジサンとかがいて、あたしはいつも不思議だったんだけど、ここ数年は、ほとんど見かけなくなった。これとおんなじで、あたしの勝手なイメージとして、耳に鉛筆を挟んだオジサンも、競馬場から姿を消しかかってるように感じてる。
で、この「鉛筆」だけど、今は「シャープペンシル」を使ってる人のほうが多いと思う。絵を描く人とかは鉛筆を使うだろうけど、学生の多くはシャーペンを使ってると思う。あたしの母さんの世代は、削った鉛筆を何本も筆箱に入れて、学校に持ってったそうだけど、これは、芯が減ったり折れたりした時に、削ってる時間がもったいないから、予備として何本かは必要だったからだ。そして、3本とか5本とかの鉛筆を持ってて、1つの授業で全部の芯がなくなったら、休み時間に削って、次の授業に備える‥‥ってことだ。
だけど、あたしの学生時代は、シャーペンが普通だったから、たった1本で足りた。芯がなくなれば、ポチッとノックするだけで、新しい芯が出て来る。そして、0.5mmとか0.3mmとか芯の太さが決まってるから、いくら書いても決まった太さのままだ。1本の芯がなくなっても、中に予備の芯が何本も入ってるし、書き間違えたら、ノックするとこのキャップを取れば、中から消しゴムが出て来るから、消しゴムを持ってく必要ない。つまり、シャーペン1本で、何十本ぶんの鉛筆と消しゴムの役目をしてくれるってことだ。
だから、あたしの学生時代の筆箱の中は、シャーペンが2本の他は、ピンクや黄色の可愛い色のラインマーカーとかサインペンや、ラメラメのグリッターペンとか、なくてもいいもの、遊ぶためのものばかりだった。普通に勉強するだけなら、シャーペンだけでも足りたのだ。
‥‥そんなワケで、時代の流れとともに、鉛筆も進化して来たワケだけど、エコって意味で考えれば、鉛筆よりもシャーペンのほうか優れてると思う。何よりも、「木」を使ってないからだ。鉛筆における「木」ってのは、ただ「握りやすくする」ってだけのためで、別に他のものでも代用できる。そして、ただ削って行ってゴミになるだけだ。鉛筆削りの中に溜まった木のカスを集めて再利用してる人なんていないだろうから、途中まで使った鉛筆を捨てちゃう人も、最後まで使い切る人も、どっちも地球にはやさしくない。それよりも、シャーペンを使ったほうがいいってことになる。
だけど、エコとかを考えずに言えば、鉛筆には鉛筆ならでは味わいがあって、その最たるものが、書いてる時の手触りとか書き味とかの「あたたかさ」だ。シャーペンの場合は、常に一定の太さで、どこかデジタルな冷たさを感じるんだけど、鉛筆の場合は、削りたての固い感じから、少しずつ書きやすくなってって、最後には削らないとダメな状態になるから、この一連の流れの中に、なんか、人生みたいなものを感じる。だから、あたしは、どんなに時代が変わろうとも、鉛筆はなくならないと思う。
あたしは、今、この国の政府が声高に叫んでるエコって、「鉛筆をやめてシャーペンにしよう!」って言ってるようなものだと思う。古い家電よりも最新型の家電のほうが消費電力が少ないからって、まだ使える家電を捨ててまで、新製品に買い替えさせるような風潮。そして、あと3年で地デジになったら、ニポン中のほとんどのテレビは使えなくなり、ものすごい量のゴミになる。まだ使えるものを捨てさせる風潮って、ホントにエコなの? みんな、自分の支払う電気代のことしか考えてないけど、捨てられた膨大な「まだ使える家電」を処理するために、どれほどの電力が必要なのか考えてるんだうか?
世の中には、ムダだと思えるものがいっぱいあるけど、これも人それぞれの感覚だから、あたしはムダだと思っても、その人にとってはムダじゃないものもある。だから、イチガイには言えないけど、たとえば、全国にある自動販売機は、そのほとんどが、24時間コウコウと電気をつけてる。利用者の多い都会の駅前の自販機から分かるけど、何時間も誰も通らないような田舎の道に、ポツンと光ってる自販機もある。
で、これらの自販機の電気代は、それぞれの持ち主が支払ってる。だから、誰も文句を言うことはできないんだけど、あたしは、すごくムダだと感じてる。今、全国には、約250万台の自販機があるんだけど、すべての自販機の電源を切ったら、原発1基ぶんの電力を削減できるのだ。つまり、逆に言えば、全国にある55基もの危険な原発のうち、1ヶ所の原発は、自販機のために稼働してるってことなのだ。
そして、東京や大阪や名古屋や博多などの全国の繁華街で、夜通しギラギラに点灯してるネオンサインや看板などの電飾をすべて消せば、原発2基ぶんの電力を削減できるって言われてる。何しろ、宇宙から夜の地球を見ると、このニポンだけが異様なほど真っ白に光ってるそうだしね。それほど、不必要に電気を使ってるってワケで、そのために、不必要な原発が造られて、地域の人たちを危険に晒しながら稼働してるってワケだ。
あたしは、自分でも自販機を利用することもあるし、「すべての自販機を廃止にしろ!」とは思ってない。だけど、誰も通らないような場所で、一晩中コウコウと光ってる自販機を見ると、「もったいない」と思う。これが、もしも自分の家なら、電気をつけっぱなしでお仕事に行っちゃったようなもので、ものすごく「もったいない」と思う。だから、あたしは、普段は最低限の電力だけで稼働してて、人が前に立った時だけ、センサーが反応して、明かりがパッとつくような自販機を開発すべきだと思う。自動車に「アイドリングストップ」を呼びかけるのなら、自販機も「アイドリングストップ」すべきだと思う。
だけど、あたしはムダだと思っても、ムダなものを造ることで私腹を肥やしてる人たちにしてみれば、そのムダなものこそが必要なもののワケで、たとえば、自民党の道路族議員たちが、必死になって死守した道路予算だって、そのうちの7割は採算の取れない「赤字道路」を造るために使われる。つまり、最初から赤字になることが分かってる「ムダな道路」でも、それを造る土建屋からキックバックをもらうために、これほど大きな民意を無視してまでゴリ押しして、「数の暴力」で再可決したってワケだ。
‥‥そんなワケで、原平さんの「もったいない話です」では、冒頭の章で、「もったいない」の感覚がなく、せっかく人が育てたダイコンを抜いて、ヒトクチかフタクチほどかじっただけで、ポイと捨ててる猿に対しての怒りからスタートしたって書いた。そして、原平さんの持ち味の「多角的視点」で、いろんな問題やテーマを面白く分析してくんだけど、最後のほうに、「猿からの反論」ていう章がある。そう、冒頭で批判した猿から、反論が来たっていう設定で書かれた章なんだけど、これが傑作だ。
猿からの反論は、「うるさい」、このヒトコトだけ。ようするに、人間が畑なんか作るのも、そこでダイコンなんか作るのも、みんな人間が勝手にやってることなんだから、それを抜いてかじるのはオレたち猿の勝手だ。オレたちは腹が減る。そして、そこにダイコンがあるから抜いてかじってるだけで、ヒトクチしかかじらないでポイと捨てようとも、どんな食べ方をしようともオレたちの勝手で、とやかく言われるスジアイはない‥‥ってことだ。そして、この猿からの反論に対して、常に客観的な視点を失わない原平さんは、「それも一理ある」って書いてる。
猿は、「気がつけばこの世にいて、腹が減るから勝手に食べて、勝手に生きて勝手に死ぬ。」という生き物で、一方、人間は、自分の誕生や世の中のことをある程度は理解してて、それに意味づけをしようとする。だから、「やっていいこと」と「いけないこと」を自分たちだけで決めてルールを作る。猿にしてみたら、人間が作ったルールなんてバカみたいだと思う、と書いてる。そして、猿の立場になった原平さんは、猿の気持ちを代弁してる。
「生き物は腹が減るから食って、生きて死ぬだけなのに、大根を端まで全部食えだなんて、そんなことどうでもいいじゃないかと。もったいないなんて、得意になっていってるけど、それが結局オゾンホールを開けましたねと。」
そう、地球温暖化の原因も、これからどんどん増え続ける皮膚ガンの原因も、すべてはあたしたち人間が生み出したもので、もしも地球上に人間がいなかったら、こんなことにはなってなかったんだよね。つまり、「もったいない」って感覚を持ってる人間よりも、ヒトクチかじっただけでダイコンを捨てちゃう猿のほうが、地球にはやさしいってことになる。何よりも、猿は、電気を使わないしね。
‥‥そんなワケで、「もったいない」の気持ちを持ってるあたしたちでも、地球の環境から見れば猿にも劣るってのに、そのあたしたちでさえ「ムダだ」って感じるほどの不必要な道路を造り続けて、かけがえのない自然を破壊し続けて、さらに赤字を増やし続ける道路族議員たちって、地球上で最低の生き物だと思う。ま、「吉兆」で人の食べ残しを出されても、気づかずにパクパクと食べちゃうほどの鈍感な人たちだからこそ、目の前に迫ってる地球規模の危機よりも、自分のフトコロを肥やしてくれる土建屋との癒着のほうが大事なんだと思うけど‥‥なんて気がする今日この頃なのだ。
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牛肉やアナゴの産地偽装、デザート類の賞味期限の改ざんと、とても老舗とは思えないデタラメが炸裂し続けてた「吉兆」だけど、何よりも大爆笑だったのは、あの女将の「ささやき謝罪会見」だろう。そして、社長だけに責任をなすりつけて辞任させ、こともあろうに自分が社長になるという呆れ果てた人事‥‥って、ま、そんなことはどうでもいいんだけど、あたしが気になってるのは、「あの女将って何でいつも下を向いてんの?」ってことと、「和泉元彌の出しゃばりママと区別がつかない」ってことだ。
で、今度は、他のお客の食べ残した「残飯」を次のお客に使いまわしてたってことが発覚して、最初は「大阪本店だけ」って言ってたのに、その次には「博多店も」って言い出して、最後には「全店でやってました」って白状した。あの女将は、「『食べ残し』というとイメージが悪いので、他のお客さんが『手をつけていないお料理』と言って欲しい」って報道陣に注文をつけてたけど、お客が箸をつけて崩れたワサビとかも、戻って来たお皿から回収して、みんなひとまとめにして「ワサビ醤油」にして利用してたってんだから、前のお客の唾液のついたものを次のお客に出してたワケだ。
お刺身のツマなんか、パートさんたちが、下げて来たお皿から食べ残しのツマを集めて、ザルに入れて洗うのが「仕事のひとつ」になってたそうだ。「私は知りませんでした」ってトボケまくる女性店長以外、料理長からパートさんまで、すべての従業員が「使い回し」に加担してたってワケで、これを10年以上も前から全店でやってたんだから、サスガ、ニポンの外食産業はレベルが高い。
でも、「吉兆」なんて、普通の人たちは行けないお店だから、あたしたちは関係ないよね。ちなみに、東京の「吉兆」をヒンパンに利用してるのは、コイズミとアベシンゾーと石原ジョンイル大将軍様だってんだから、ザマーミロ!って感じがする。こんな税金ドロボーどもが通ってるんなら、使い回しだけじゃなくて、「ペッパーランチ」みたく、料理にツバとか鼻クソとかも入れてやればよかったのに‥‥なんて思う今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?
‥‥そんなワケで、残った食材の使い回しなんて、どこでもやってることだ。去年の12月7日の日記、「文句があるなら自炊しろ!」に書いたけど、あたしが高校生の時にバイトした定食屋さんでは、下げて来たお皿に残ってるパセリやレモンを次の定食に使い回してた。そのあとにバイトしたファミレスでは、お皿を下げるとこのワキにお水の入った大きなボールがあって、下げて来たお皿に残ってるレタスはそこに入れることになってた。もちろん、これは、使い回すためだ。それに、前日のサラダバーの残りのお野菜は、変色した部分だけをカットして、ランチのプレートに使い回してた。
もちろん、こんなのはぜんぜんマシなほうで、あたしのお友達がバイトしてた和食のファミレスなんか、「お刺身の見た目の鮮度を良くするためのスプレー」ってのが常備してあって、下げて来たお刺身の食べ残しには、この薬品をひと噴きしてから次のお客に出してたそうだ。こんなのどこでもやってることで、目の前で調理してるとこが見えるカウンターのお店以外は、あたしはまったく信用してない。だから、こうしたことに文句があるなら、あたしみたく自炊すりゃいいだけのことなのだ。
で、今回の「吉兆」の女将は、さかんに「もったいない」って言葉を連発してた。もちろん、お客が手をつけずに戻って来た天ぷらとか鮎の塩焼きとかは「もったいない」とは思うけど、「もったいない」と思ったんなら、まかないで食べればいいじゃん。いくら「もったいない」からって、それを次のお客に出すってことは、「元手をかけずに正規の料金をいただく」ってことで、詐欺とおんなじじゃん。いくら「箸をつけてない」って言ったって、ぜんぜん知らないオッサンの前に、小1時間くらい置かれてたお料理なんだから、ツバとかが飛んでるかもしれないし、もしかしたら、一度お箸で持ち上げてみたかもしれないし、とても清潔とは言えないだろう。
‥‥そんなワケで、あたしは分かったんだけど、この女将の言ってる「もったいない」は、あたしたちの「もったいない」とは違うんだよね。あたしたちが、食べ物を残した時に感じる「もったいない」は、「まだ食べられる物を捨てたらもったいない」っていう純粋な気持ちだけど、この女将の言ってる「もったいない」は、「まだお金になるものを捨てたらもったいない」ってことなんだよね。食べ物に対する「もったいない」じゃなくて、自分のお金儲けに対する「もったいない」なんだよね。
だから、何度「もったいない」って言葉を繰り返しても、ぜんぜん美しくない。それどころか、醜くさえ感じる。これは、環境大臣時代の小池百合子が「もったいない」って言葉を連発してた時にも感じたことで、本来は美しい言葉であるハズの「もったいない」が、欲望に支配されて心が腐りきった人間が使うと、そこに私利私欲がチラチラと見え隠れするから、ちっとも美しく感じられないってことだ。
パンダ2頭のレンタル料の1億円を「もったいない」と言う人たちは、慎銀行東京にためにドブに捨てられた1500億円を「もったいない」とは思わないのだろうか? 1日1万円のパンダのエサ代を「もったいない」と言う人たちは、石原ジョンイル大将軍様が、「リストランテASO」で、佐々淳行を官官接待した時の食事代、30万円を「もったいない」とは思わないのだろうか? 「赤坂浅田」で、慎銀行東京の取締役の仁司泰正を接待した時の食事代、37万円や、日本航空社長の新町敏行を接待した時の食事代、19万円を「もったいない」とは思わないのだろうか? 赤坂のすっぽん料理屋の「さくま」で、ナンミョーの冬柴鉄三を接待した時の食事代、20万円を「もったいない」とは思わないのだろうか? 「瓢亭」で、東京地下鉄の社長の梅崎壽を接待した時の食事代、39万円を「もったいない」とは思わないのだろうか?
石原ジョンイル大将軍様の接待好きは周知の事実だけど、特にお気に入りの佐々淳行は、高級料亭から高級フレンチ、高級イタリアンと、数え出したらキリがないほど接待されてて、その都度、1回の食事代が20万円から30万円もかかってる。これは、1本何万円もするワインをガブガブと飲んでるからだ。佐々淳行なんて、選挙になれば選対本部長まで任命するほどのツーカーの仲なんだから、話があるなら都知事室でやればいいワケで、何で、毎回毎回、何十万円もかかる高級料理や高級ワインを税金でゴチソウしてやんなきゃなんないのか、納税者の1人として、まったく理解も納得もできない。
「都民の金はオレの金」でオナジミの石原ジョンイル大将軍様と言えば、2001年に、1600万円もの税金を使って、豪華クルーザーでガラパゴス諸島をクルージングしたことが有名だけど、この他にも、税金を使った海外豪遊はたくさんある。ガラパゴス諸島から帰って来た3ヶ月後には、往復で1人当たり100万円以上もするファーストクラスに乗ってアメリカへ行って、1泊26万円のホテルを始めとして、1週間も税金で豪遊し続けた。同伴した女房もおんなじ金額の部屋に泊め、側近の秘書までを1泊10万円もの部屋に泊め、もちろんすべて税金だ。ちなみに、東京都の条例で決まってる「公務での宿泊費」の上限は「4万円」だから、ホントなら、4万円を超えた場合には差額を自腹で払うのがスジなんだけど、独裁者には常識も規則も通用しないらしい。
そして、やりたい放題の大将軍様は、どんどんエスカレートしてって、2004年のアメリカ、グランドキャニオンの豪遊では、これまた女房を同伴して、総額で2100万円もの税金を使いまくった。ちなみに、10日間の日程のうち、この旅行の名目である「視察」をしたのはたった2日間だけで、残りはすべて遊んでただけだ。さらに呆れ果てるのは、2006年のマン島の豪遊だ。「オリンピック招致のための視察」って名目で出かけたのに、7日間の日程のうち、「視察」したのはたったの1時間20分だけで、残りはすべてレジャー三昧。そして、使った税金が、ナナナナナント!3570万円!
あたしたち東京都民が巻き上げられてる税金は、こんなふうに、石原ジョンイル大将軍様の身内の食事会や豪遊などで湯水のごとく使われてる上に、これまた身内で固めた「東京ワンダーサイト」にどんどん垂れ流されてる。だから、東京都民のあたしとしては、これほど最悪の状況なのに、わずか1億円のパンダのレンタル料を「もったいない」なんて言う人の気が知れない。「もったいない」って言葉は、この恥知らずの独裁者に対してこそ言うべき言葉なのだ。
だから、あたしは、「吉兆」に足しげく通ってた石原ジョンイル大将軍様を始めとして、コイズミやアベシンゾーも「残飯」を食わされてたのかと思ったら、トタンに愉快になって来た。そして、あたしのとこには、「吉兆」だけじゃなくて、他にも政治家や財界のアホどもが利用してる有名な老舗で、似たようなことをしてるっていう内部告発の情報も入って来てる。そこも、石原ジョンイル大将軍様がよく利用してるそうだから、ヨケイにザマーミロ!って思ってる。そのお店は、「吉兆」みたいにドジを踏んでバレることのないように、ぜひ、これからも末長く「残飯」を提供してやって欲しい。特に、厚顔無恥の大将軍様には、とっておきの「残飯」を出してやって欲しい。どうせ、あたしたち都民のオゴリなんだから。
‥‥そんなワケで、「吉兆」の女将の「もったいない」は、「まだまだ金儲けに使えるんだから捨てたらもったいない」であって、これは、石原ジョンイル大将軍様が、「都民の金はオレの金なんだから身内で使わなきゃもったいない」って思ってるのとおんなじことだ。つまり、納税者から巻き上げた税金を私物化し、「少しでも使わなきゃもったいない」と豪遊を繰り返して来た政治家どもが、その使い道のひとつとして利用してた高級料亭が、「まだまだ金儲けに使えるんだから捨てたらもったいない」と、他のお客の食べ残した「残飯」を使い回し、それがその政治家どもの口に入ってたってワケだ。だから、あたし的には、なんてワンダホーなリサイクルなんだろう‥‥って思う今日この頃なのだ(笑)
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どこかへ旅行に行くことになった時って、旅行自体が楽しいのは当然として、思い立ってから出発までの過程も、ワクワクしてすごく楽しい。そして、帰って来てからも、撮って来た写真を見たり、お土産を見たりして、その余韻を楽しむことができる。だから、たった一泊の旅行でも、考えようによっちゃ、1ヶ月くらいは楽しい気分でいられる。特に、あたしの場合は、皆さんご存知の通り、生粋の「妄想ジェンヌ」だから、いろんな情報を集めたり、地図帳を見たりして、「どこに行こうか」「何をしようか」って考えてる時が、何よりも楽しい。
で、今日は全国的に「母の日」だったけど、あたしは、母さんと日帰りで温泉に行こうと思って、ずいぶん前から計画を立ててた。インターネットでいろんな温泉サイトを見たりして、いくつかの温泉をピックアップして、料金や泉質や名物を調べたり、ルートを考えたりと、ヒマさえあればアレコレと楽しんでた。それで、こういうのって、最初は妄想的なとこから始まって、行く日が近づいて来るに従って、ジョジョに奇妙に現実的になって来る。
最初は「伊豆に行って、美味しいお魚を食べて、海の見える露天風呂に浸かって‥‥」なんて考え始めるんだけど、2週間前くらいになると、「伊豆はムリだから鶴巻温泉あたりにするか」なんて思い始めて、1週間前くらいになったら、「車で30分で行ける深大寺温泉にしよう」ってことになっちゃった。最初は、片道150kmくらいまでの範囲を考えてたんだけど、ガソリン代が発狂したみたいに高くなっちゃったし、高速料金もバカになんないし、結局、一度は行ってみたいと思ってた近所の深大寺温泉でいいや‥‥って気持ちになった。
それで、その温泉のホームページを見てみたら、内湯も外湯もすごく良さそうだったから、1人1650円はふだんなら考えられない高さだけど、「母の日」だからOKってことにした。そして、「深大寺ならおそばが名物だから、お昼はおそばを食べよう」って思って、何とかフランク・ザッパな計画だけは立てられた今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?
‥‥そんなワケで、あたしは、この計画で決まりのつもりでいたんだけど、2日前の金曜日になって、ちょっと心配だったから、念のために、温泉のクチコミサイトを見てみた。そしたら、唖然としちゃう感想が並んでた。もちろん、良い感想もあったんだけど、それはすべて「平日の空いてる時」に行った人たちの感想で、「休日」に行った人たちの多くは、ボロクソに書いてた。複数の感想で多かったのが、「混雑してて洗い場まで長蛇の列」「風呂に入っている時間より並んでいる時間の方が長かった」「脱衣所、休憩所、風呂、すべてが狭くてくつろげない」「従業員の態度が悪い」「お湯がアンモニア臭で不快」「子供連れが多くてやかましい」などなど。
これじゃあ、母さんを連れてけないや‥‥ってことで、「母の日」の2日前になって、あたしは、大あわてで「温泉探し」を始めたんだけど、一度「近場で済まそう」って決めちゃったあとだったから、なかなか遠出するテンションには気持ちが向かない。それで、気持ちが向かないのに探してるワケだから、いろんなサイトを見たりしても、ワクワクしないし楽しめない。で、「もういいや」って気持ちになって、結局、地元の銭湯、「ポカポカランド」に行くことにした。
あたしは、今年の1月までは、足のリハビリのために、月に3~4回くらいは行ってたんだけど、2月からは行ってなかったし、母さんは、もう1年くらい行ってないハズだ。だから、夕方の早い時間から、一緒に行くことにした。銭湯って言っても、ちゃんと地下から湧いてる「東京黒湯」だから、泉質としては、深大寺温泉とおんなじだ。それが、4分の1の料金、430円で入れるんだから、こっちのほうがぜんぜんいい。
‥‥そんなワケで、今日は午前中に車で母さんを迎えに行って、一度戻って来て車を置いてから、のんびりと歩いて高島屋に行った。それで、南館に入ったら、入口のホールで「母の日フェア」みたいなのをやってて、ゴージャスなカーネーションがドバッと並んでて、「母の日」の気分が盛り上がりまくった。そして、アレコレと見てると時間がもったいないから、正面のエスカレーターでサクッと5階の紀伊国屋さんに行って、「女性のエッセイ」の棚のとこに母さんを連れてって、ちゃんと「きっこの日記R」が置かれてるのを見せて自慢した(笑)
ホントは、発売してすぐの「平積み」の時に自慢したかったんだけど、今は棚に1冊あるだけで、それが売れると、下の引き出しみたいなとこから1冊出して補充する‥‥って形だからジンジャエールだ。でも、ちゃんと本屋さんに並んでるのを見て、母さんは喜んでくれた。実は、あたしの本が本屋さんに並んでるとこを見せたのは、3冊目にして初めてだったのだ。で、アホな自慢も終わったので、ひとつ上の6階に行って、ちょっと早いお昼を食べることにした‥‥っていうか、それが目的で高島屋に来たんだけどね。
温泉を銭湯にしちゃったから、せめて食事くらいは豪華にしようと思って、「あたしは、お寿司でも天ぷらでもうなぎでも何でもいいんだけど、母さんは何が食べたい?」って聞いたら、間髪入れずに「うなぎ!」って言ってくれて、あたしは「おおっ!」って思った。実は、あたしはうなぎが食べたかったから、内心、「うなぎって言ってくれよ!」って思いながら聞いてたのだ。「母の日」なんだから、母さんの食べたいものにするのは当然なんだけど、高島屋の6階で食事するなんて、年に一度あるかないかのゼイタクなので、マグロとサーモンが危険なお寿司よりも、イマイチ揚げ方に納得が行かない天ぷらよりも、やっぱ「和田平」のうなぎが食べたかった。サスガ、あたしの母さんだ♪
‥‥そんなワケで、母さんとあたしは、うなぎ屋さんの「和田平」に入った。お昼になると、どのお店も並ぶほど混んじゃうから、お昼前に入るのがポイントなのだ。で、一番上等な「うな重」を2つと、タマゴ焼きの中に蒲焼きが入ってる「う巻き」を注文したんだけど、運ばれて来てから、「あたし、タマゴ食べちゃダメじゃん!」ってことに気づいたのだ。牛肉、豚肉、鶏肉の入ったものは絶対に注文しないんだけど、タマゴはウッカリしてたよ。うなぎ屋さんだってことで安心してて、メニューにあるものはぜんぶOKって思い込んじゃってた。これだから、あたしって、ヘナチョコベジタリアンなんだよな‥‥って、ちゃんと自己申告するとこが偉い! タマゴを食べたことはマイナスだけど、正直に自己申告したことはプラスだから、プラマイ0だ!(笑)
とにかく、チョー久しぶりに食べた本格的なうなぎは、この世の食べ物とは思えないほど美味しくて、母さんもあたしも大満足だった。それにしても、こんなに感激してるんだから、あたしに食べられたうなぎも幸せだろう。少なくとも、隣りの席の鼻毛の出てるオジサンに食べられたうなぎよりは、あたしに食べられたうなぎのほうが、絶対に「ラッキ~♪」って思ってるハズだ。「ラッキ~♪」とは思ってなくても、少なくとも「不幸中の幸い」って思ってるハズだ。
で、美味しいうなぎを食べて幸せになった母さんとあたしは、催し物会場で恒例の「くらしを彩る/一郷一品すぐれもの市」をやってるってポスターが貼ってあったから、見に行ってみた。秋田は大館の「曲げわっぱ」とか、岩手は盛岡の「南部鉄器」とか、新潟は加茂の「桐箪笥(きりだんす)」とか、滋賀は大津の「とんぼ玉」とか、大分は別府の「つげ細工」とか、鹿児島は奄美の「大島紬」とか、東京の下町の「江戸切子」とか、どれもこれもステキで、どれもこれも高くて、いい目の保養になった。
それにしても、1万5000円の江戸切子のビアタンブラーとかなら、キヨミズの舞台からバンジージャンプしたつもりで、6回払いにすれば買えないこともないけど、13万円の金魚鉢なんて、何かのギャグかと思っちゃった。最初、1万3000円かと思って、それでも「高いね~」なんて言ってたのに、よくよく見たら、13万円だった。そしたら、母さんたら、「この金魚鉢で飼われる金魚って、あたしよりも高い家賃の部屋に住めるんだね」なんて言うもんだから、2人で顔を見合わせて爆笑しちゃったよ(笑)
でも、広島は安芸郡熊野町の「熊野筆」のメイクブラシも出品されてて、ポーチに入った基本の5本セットが2万円以下だったのは、「おおっ!」って思っちゃった。あたしも、熊野筆は2本愛用してるけど、2本ともチーク用とフェイス用の大きなものだから、1本1万円以上した。もちろん、お仕事用のもので、自分用のなんか持ってない。ま、あたしはツラの皮が厚いから、こんな高級なメイクブラシは必要ないけど。
‥‥そんなワケで、他にもいろんなお店を見たりして、ちょっと疲れたからカフェでコーヒーとケーキのセットをいただいたりしつつ、ナンダカンダとウロウロしてたら、知らないうちに3時近くになっちゃった。それで、銭湯は3時半からだから、母さんにはベンチで待っててもらって、あたしは、ヒサビサのハイヒールダッシュで、お家にお風呂セットを取りに行った。で、約10分で戻って来て、またまたウロウロして時間を潰してから、のんびり歩いて「ポカポカランド」へ向かった。
歩きながら、あたしは、「ホントは近場の温泉にでも行きたかったんだけど、せっかくの母の日に銭湯なんて、ごめんね‥‥」って言った。そしたら、母さんは、「あたしはポカポカ大好きだから、こんな早い時間から入れるなんて、とっても嬉しいよ♪」って言ってくれた。ポカポカランドは、ホントに素晴らしい銭湯だから、母さんもあたしも大好きなんだけど、年に一度の「母の日」に銭湯にしか連れて行ってあげられないなんて、あたしは、ちょっと後ろめたい気持ちがしてた。
だけど、ポカポカランドに到着してみて、あたしのこの気持ちは一変した。ナナナナナント! ナナナナナント! ナナナナナント!って3回も繰り返しちゃうけど、地元の唯一の銭湯、通称「ポカポカランド」、正式名称「新寿湯(しんことぶきゆ)」が、今月いっぱいで廃業しちゃうのだ!
20年以上前にニコタマに引っ越して来た時には、駅の反対側にも「玉川湯」って銭湯があって、あたしは、両方の銭湯をその日の気分で使い分けてた。だけど、「玉川湯」は、数年前に廃業しちゃって、駅の周りの再開発で、他にもいろんな老舗が取り壊されてった。ヨソから来る人たちのために、地元の人たちの思いを無視して、シャレたショップを並べるそうだ。煙たいけど美味しかった焼き鳥屋さんとか、老夫婦ががんばってた小さなうなぎ屋さんとか、商店街の人たちの憩いの場だった床屋さんとか、子供たちに人気のあったケーキ屋さんとか、次々と潰されてった。そして、そのシンボル的な存在だった「玉川湯」も、廃業に追い込まれたのだ。だけど、ポカポカランドだけは、何十年もみんなに愛されてる銭湯だったから、絶対に廃業なんてないと思ってたのに‥‥。
あたしは、行こうと思ってた深大寺温泉をやめて、地元のポカポカランドにしたことが、なんか、ジャーガイダンス(神様のお導き)のように思えた。だって、今月いっぱいで廃業しちゃうなんて知らなかったから、今日を逃したら、もう、二度と母さんと一緒に来ることなんてできなかったからだ。
母さんと一緒に、いつもの「東京黒湯」に浸かりながら、いつもの「赤富士」のタイル絵を眺めながら、いろんなことを話した。これが入り納めかと思うと、いろんな思い出が蘇って来て、なんだかシンミリとしちゃった。あたしだけなら、もう1回くらい来ることはできるけど、母さんと一緒に来られるのは、たぶん今日が最後になっちゃうから、いろんな意味で感慨深かった。
‥‥そんなワケで、あたしは、さっきまでは「母の日に銭湯なんて」って思ってたのに、なんだかすごく良かったって思えた。母さんも、「初めてここに来たのって、きみこが高校1年生の時だったよね」なんて言って、お互いに、忘れかけてたいろんなことを思い出せた。だから、今日は地元の銭湯にして、ホントに良かったと思う。
そして、お風呂上がりには、解凍サンマ、キャベツ、ダイコン、ニンジン、長ネギ、シイタケ、ショウガ、お豆腐、糸コンニャクと、ものすごくゼイタクなお買い物をして、夜は、サンマ鍋を作ることにした。お家に帰って、お鍋の用意をする前に、母さんに、用意しといた「母の日」のプレゼントを渡した。今年のプレゼントは、去年の夏から取りかかってたんだけど、小型のスケッチブックの右のページに透明水彩絵の具で絵を描いて、左のページに俳句を書いたものだ。夏から始まって、今年の春まで、少しずつ少しずつ描いて来て、やっと1冊が完成した。
去年、足をケガして、お仕事ができなくなって、すごく落ち込んでた時、自分の生活も苦しかったから、「これじゃあ来年の母さんのお誕生日には、何にもプレゼントできないかもしれない」って思った。それで、今年の母さんのお誕生日には、万が一の時には手作りのものをプレゼントしてお茶を濁そうと思って、コツコツと描いてたのだ。だけど、4月の母さんのお誕生日には間に合わなくて、5月の母の日になっちゃった。最後のページには、あたしの思いをぜんぶ書いた。そして、カーネーションと一緒に母さんに渡してから、あたしは、キッチンにお鍋の用意をしに行った。
このタイミングで渡したのは、あたしのヘタクソな絵を母さんが見てるとこを横で見てるのが、恥ずかしかったからだ。それで、キッチンでお鍋の用意をして戻って来たら、母さん、泣いてた。泣いてる母さんを見たら、なんか、あたしも涙が出て来て、2人でずっと泣いちゃった。なんだか、バカみたい(笑)
‥‥そんなワケで、世の中には、ものすごく豪華なプレゼントをした人もいると思うし、田舎のお母さんに電話して「ありがとう」って言うことしかできなかった人もいると思うし、何もしなかった人もいると思うし、人それぞれだと思う。そして、「ありがとう」を言いたくても、もうお母さんがいない人も多いと思う。だけど、今、あたしたちがここにいるのは、お母さんが産んでくれたからなんだよね。10ヶ月もの間、お腹の中で育ててくれて、苦しい思いをして産んでくれたからなんだよね。だから、世界中の人たちが、たった1人しかいない自分のお母さんに対して、心の中で「ありがとう」って言って欲しいし、その思いを「母の日」だけじゃなくて、自分が死ぬまで、ずっと持ち続けて欲しいと思う今日この頃なのだ。
母さん、あたしを産んでくれて、ホントにありがとう♪
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今年も盛り上がっている「キタ顔」ですが、モザイクアートであたしの写真を探してくれた人からも、「右目の上あたり」とか、「鼻の左下あたりで●●というセリフを言ってる人」とか、たくさんメールが届いています。
現在までに480通以上のメールが届いているのですが、その中で正解者は、
reoさん、亜紀子さん、クロネコ富山さん、アルデンテさん、俊之さん、奈緒さん、yotchさん、ちばりょーさん、雪菜さん、ともこさん、康隆さん、雪見大福さん、小太郎さん、白ネコさん、もっちさん、てるこさん、のぶさん、kawazoさん、恵子さん、たーすけさん、すずめのえんどうさん、jaffeeさん、
以上の22名です。
別に正解しても何の賞品もありませんが、もうしばらく開催していますので、お時間のある人は探してみてくださいね♪
【ヒント1】 ウィッグで変装してるので、ヘアスタイルが違います。
【ヒント2】 顔の「右半分」です。
【ヒント3】 顔の「下半分」です。
※この絵の黄色の部分の中です。
★ こちらです♪
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「キタ顔」
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世の中には、知らないことがいっぱいある。だから、自分が「知らない」ってことは仕方ない。だけど、「知ろうとしない」ことは罪だと思う。あたしは、高卒のヘアメークだから、大学へ進学した人たちより教育を受けてないけど、知識欲は旺盛なほうだと思ってる。だから、できるだけ本を読んだり、いろんな人の話を聞いたりして、いつも自分なりに「知ろう」としてる。そして、今まで知らなかったことを知り、自分の思ってたことが間違ってたと気づいたら、その時点で改めればいいと思ってる。
たとえば、ペットボトル。あたしは、社会人になるくらいまでは、普通にペットボトルの飲み物を買って、飲み終わったら「燃えないゴミ」として捨ててた。だって、街のゴミ箱の「燃えないゴミ」のほうに、「空き缶・ペットボトル等」って書いてあったからだ。そして、目の前にゴミ箱があるのに、そこらに空き缶やペットボトルを投げ捨てる人がいると、「サイテー!」って思ってたし、そんな人を見るたびに、ちゃんとゴミ箱に捨ててる自分のことを「普通」じゃなくて「偉い」って思ってた。
だけど、自分が社会人になって、社会のこととか世界のこととか、いろんなことを深く知り始めて、「エコ」とか「リサイクル」とかにも興味を持つようになってからは、ペットボトルの飲み物を買ったら、必ずリサイクルに出すようになった。出先で飲んでも、必ず自宅に持って帰って来て、中をお水ですすいで、ラベルをはがして、フタと本体とに分けて、ある程度まとまったら、スーパーのリサイクルボックスに持ってくようになった。
で、数年前まで、これが「正しいこと」だと思って、ずっと続けてた。だけど、今は違う。それは、「1本のペットボトルをリサイクルするためには、ペットボトル3本ぶんの燃料が必要」ってことを知ったからだ。つまり、ペットボトルをリサイクルに出せば出すほど、オゾンホールが大きくなっちゃうってことだ。だから、今のあたしがやってることは、まず、「できる限りペットボトルの飲み物は買わない」ってことで、それでもタマには買うことがあるから、その時には、普通に「燃えないゴミ」として捨てるようにしてる今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?
‥‥そんなワケで、ペットボトルに対する扱いひとつを取っても、あたしは、こんなふうに変遷して来た。つまり、常に「知ろう」としてて、知った時点で対応を変えてるってことだ。だから、これから、もっと別のことを知れば、また変わると思うけど、今んとこは、「できる限りペットボトルの飲み物は買わない」ってことこそがエコだと思ってる。
だけど、あたしも、あんまり偉そうなことは言えないワケで、たとえば、コーヒーに入れるスジャータとかのちっちゃいミルク。アレなんか、あたしは、ずっとミルクなんだと思ってたから、どこかで出ればコーヒーに入れてたし、自分でも買ったりしてた。だけど、去年の11月に、サンプラザ中野くんが、「スジャータみたいなコーヒー用のミルクって、実はミルクじゃなくて、植物性の油と添加物だけでできてる」って教えてくれたので、「えっ!?」って思って、冷蔵庫に入ってたのを見てみたら、袋の裏にホントにそう書いてあった。
だから、それ以来、あたしは、絶対に使わないようにしてるんだけど、袋の裏にちゃんと書いてあったのに、それを確認もせずに使い続けて来たんだから、とても「常に『知ろう』としてる」だなんて偉そうなことは言えないのだ。ただ、イイワケっぽいことを言わせてもらうと、あたしの場合は、自分のことは2番目か3番目で、自分のことよりも大事なことがある。何よりも大切なのは、もちろん母さんだけど、地球のことも、猫たちのことも大切だ。だから、自分のことをあとまわしにして、地球のためにはどうしたらいいかとか、猫たちに安全なものを食べさせなきゃとかって考えちゃう。
‥‥そんなワケで、ものすごくアバウトな感じがすると思うけど、あたしは、あんまりガツガツするのは好きじゃないし、ガツガツしてる人を見るのも嫌いだ。極端なベジタリアンとか、極端な動物愛護運動家とか、極端な愛国者とか、みんなマトモな人とは思えない。だいたいからして、「そんなにガツガツしてて疲れないの?」って思っちゃう。だから、あたしは、出されたお肉は、アメリカ産じゃない限りは感謝していただくけど、自分からは進んでは食べないヘナチョコベジタリアンだし、動物は好きだから毛皮は絶対に着ないけど、革のパンプスや革のお財布は使ってる。このくらいのユルユルな感じじゃないと、とても一生は続けて行けないし、それ以前に、生きてること自体を楽しめなくなっちゃうからだ。
せっかく、宝クジで1等を当てるよりも難しい何億分の1かの確率で生まれて来て、こうしてたった一度きりの人生を過ごしてるってのに、偏った思想に染まったり、変な理想論にとらわれたり、くだらないカルト宗教に洗能されたりして、ピリピリと神経質に生きてくなんて、あたしにはムリだ。だって、あたし1人が生きてたって死んだって、世の中は何にも変わらないんだから、それなら、自分が納得できるレベルで、何にもとらわれないで、のびのびと生きるのがいい。ナントカ愛国会に入ったから中国や韓国のやることはカタッパシから否定しなきゃいけない!‥‥とか、ナントカ教に入信したからアレとコレは食べちゃいけない!‥‥とか、ホントにアホだと思う。挙句の果てには、牛や豚やニワトリは食べ物だけどクジラとイルカは友達だ!‥‥とかって、ぜんぜん意味が分かんない。
あたしは、猫も犬も大好きだから、ずっと前に、中国人が猫を殺して食用として売ってる映像や、韓国人が犬を殺して解体してる写真を観た時には、ものすごくショックを受けたし、なんて野蛮な民族なんだろうって思った。だけど、今は別に、中国の「猫鍋」や韓国の「犬鍋」のことは批判してない。もちろん、できればやめて欲しいって思ってるけど、批判はしてない。何でかって言うと、このニポンだって、昭和初期までは猫を食べてたってことや、昭和中期までは犬を食べてたってことや、沖縄の一部の地域では、今でも猫や犬を食べてるってことを知ったからだ。
‥‥そんなワケで、今日は、ニポンの猫食文化について書いてみようと思う。正直に言うと、あたしは、「猫を食べる」とか「犬を食べる」ってことよりも、その前提の部分、つまり、「食べるために猫や犬を殺す」ってことが耐えられないのであって、これは、牛でも豚でもニワトリでもおんなじだ。あたしが、子供のころから、平気で牛や豚やニワトリを食べて来れたのは、すでにスライスされたお肉になって、パックに入って売られてたからだし、ファミレスに行けば、すでにハンバーグやミートボールになって、お皿に乗って出て来たからだ。もしも、元気に生きてる牛や豚やニワトリを自分の手で殺して、解体して、それで調理しなきゃなんなかったとしたら、とてもじゃないけど食べることなんかできなかっただろう。
だから、あたしたちが、「猫や犬を食べることは残酷だ」って感じるのは、「殺す」っていう前提の部分から想像しちゃってるからなのだ。逆に、牛や豚やニワトリを平気で食べられる人たちは、この「殺す」っていう前提の部分を想像してないからなのだ。そして、あたしの場合は、屠殺場で残酷に殺され続けてる牛や豚やニワトリの映像を観たことによって、「殺す」っていう前提の部分から想像するようになっちゃって、とてもじゃないけど食べられなくなった。その上、さらにその前の、劣悪な状況と最悪の飼料で飼育されてるとこまで知っちゃったから、動物たちがかわいそうってだけじゃなくて、自分の健康のためにも、こんなものは口にできないって確信したワケだ。
で、ニポンの猫食文化だけど、いくら「文化」って言っても、お肉屋さんで猫の肉なんて売ってないから、そこらの野良猫を捕まえて、殺して食べてたことになる。つまり、お肉屋さんで牛肉や豚肉を買えないような貧乏な人たちが食べてたってことになる。昭和初期までは、猫の肉を入れた鍋料理のことを「おしゃます鍋」って呼んでたんだけど、これは、江戸時代から明治時代の初期にかけて流行した「猫じゃ猫じゃ」っていう歌の歌詞から来てる。
「猫じゃ猫じゃとおしゃますが~猫が杖ついて絞りの浴衣で来るものか~オッチョコチョイノチョイ~オッチョコチョイノチョイ~♪」
この「おしゃますが」ってのは、「おっしゃいますが」ってことで、サスガに、当時もペットとして飼われてる猫を食べることには、人によっては批判する人もいただろうから、そのまんま「猫鍋」とは言わずに、この歌の歌詞から「おしゃます鍋」って命名して、隠語みたいな感じで使ってたんだと思う。
‥‥そんなワケで、江戸時代には、犬の肉が「何よりも美味しい」って言われてて、江戸から犬の姿がなくなるほど食べ尽くされちゃったってことは前にも書いたけど、猫の場合は、どっちかって言うと、貧乏でタンパク源を手に入れられないような人たちが、仕方なく食べてたって言われてる。また、猫の肉は、薬膳効果も謳われてて、「肺病に効く」として炭鉱夫たちが食べたり、「精力増強に良い」として遊郭の女郎たちが食べたりしてた。
だから、これらのことから、「猫の肉は美味しくない」って感じがするんだけど、「猫は美味しい」って言ってる人もいる‥‥って言っても、小説の中での話なんだけど、夏目漱石の「吾輩は猫である」だ。「吾輩は猫である」は、あまりにも有名だから、読んだことのない人のほうが少ないと思うけど、オナジミの冒頭の部分に、こう書いてある。
「吾輩は猫である。名前はまだ無い。どこで生れたかとんと見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。吾輩はここで始めて人間というものを見た。しかもあとで聞くとそれは書生という人間中で一番獰悪な種族であったそうだ。この書生というのは時々我々を捕えて煮て食うという話である。」
この部分だけを読めば、大ゲサに言ってるような感じで、半分はウソっぽく聞こえる。「書生はみんな貧乏でお金がないから、場合によっては猫でも捕まえて食べちゃうんじゃないか?」っていう感じで、ようするに、「どれほど書生が貧乏なのか」ってことを言うためのオーバーな表現て感じがする。だけど、ずっと読み進んで行くと、これがオーバーな表現なんかじゃなくて、ホントのことなんだって分かるのだ。
いろいろと変わった人物が登場する「吾輩は猫である」だけど、「吾輩」が拾われた家に、多々良三平って人から「ヤマイモ」が1箱届く。で、お砂糖をタンスの引き出しに仕舞っちゃうようなトンチンカンな奥さんだったから、寝室の枕もとにヤマイモの箱を置いちゃった。そしたら、夜中にドロボウが忍び込んで、その箱を見つけて、「寝室の枕もとに置いてあるから、きっと大切なものなんだろう」って思い込んじゃって、お金の他に、その重たい箱も盗んで行った。それで、「吾輩」は猫だから、暗闇でも目がよく見えるワケで、この様子の一部始終を目撃してたんだけど、ヘタにニャーニャー騒いでケガでもしたらバカバカしいから、ずっと静かにしてたのだ。
そして、次の日になって、ドロボウが入ったことが分かり、警察に届けたりしてたら、盗まれたヤマイモの送り主である多々良三平が訪ねて来た。それで、お金とヤマイモが盗まれたってことを伝えたら、ここから、こんな会話が始まる。
「早速困りますか。また借金をしなければならんですか。この猫が犬ならよかったに――惜しい事をしたなあ。奥さん犬の大(ふと)か奴を是非一丁飼いなさい。――猫は駄目ですばい、飯を食うばかりで――ちっとは鼠でも捕りますか」
「一匹もとった事はありません。本当に横着な図々図々(ずうずう)しい猫ですよ」
「いやそりゃ、どうもこうもならん。早々棄てなさい。私が貰って行って煮て食おうか知らん」
「あら、多々良さんは猫を食べるの」
「食いました。猫は旨(うも)うござります」
「随分豪傑ね」
‥‥そんなワケで、この会話の流れから推測すると、当時(明治38年)は、