アンドロギュノスの背中
まだ愛が生まれる前のこと
人間には3つの性があった
男と男が背中あわせ
その名は太陽の子
地球の子は女と女
そして、月の子はフォーク・スプーン
太陽と地球、娘と息子の中間
神は力をつけた人を恐れ
地上に稲妻を放たれた
ナイフの刃のように体を引き裂いた
人はさみしい2本足の生き物に
愛の起源
‥‥これは、あたしの大好きな映画、「ヘドウィグ・アンド・ザ・アングリーインチ」の挿入歌、「愛の起源」の和訳だけど、しばらく前に、GyaOで配信してた時にお知らせしたから、その時に観た人も多いと思う。で、観てない人のために、フランク・ザッパに説明すると、共産主義体制下の東ドイツに生まれた男の子が、少年と青年のハザマくらいの時に、アメリカ兵のオッサンから同性愛を仕込まれて、自由の国、アメリカへ渡るために、性転換手術をすることになる。だけど、手術に失敗して、オチンチンが1インチほど残っちゃった上に、そのアメリカ兵のオッサンにも捨てられて、性転換ロックシンガーとして生きて行く‥‥って感じのストーリーだ。
それで、ヘドウィグは、この歌の通りに、もともと人間は「2人が背中合わせになって1人だった」って信じてる。そして、ある時、神様によって2人はバラバラにされちゃって、その自分の「カタワレ」を探すことが「愛の起源」だって信じてる。つまり、もともとは一緒だった2人が、モトの姿に戻ることこそが、愛の完結だと信じてる今日この頃、皆さん、愛しあってますか?
‥‥そんなワケで、この歌は、あたしの大好きなギリシャ神話から作られた歌だ。ギリシャ神話に出て来る最初の人間は、2人の人間が背中あわせにくっついてて、頭が2つ、手が4本、足が4本ある。ギリシャ神話の世界では、これがもともとの人間の姿なのだ。そして、この人間には、男と男がくっついたものと、女と女がくっついたものと、男と女がくっついたものの3種類がいた。
だけど、この人間たちは、神様を恐れないゴーマンなフルマイを続けてたので、ある日、怒った最高神ゼウスは、人間たちのいる地上に激しいイナヅマを降らせて、すべての人間の体を2つに裂いちゃった。昔から「きっこの日記」を読んでる人なら、このゼウスって神様が、どれほどデタラメな神様なのか、よく知ってると思う。人の女房だろうと自分の娘だろうと、挙句の果てには少年までも、ダレでもカレでもカタッパシからヤリまくるド変態のエロオヤジで、こんなヤツが最高神なんだから、ギリシャ神話はワンダホーなのだ。
そして、ヤリたい相手とはどんなことをしてもヤリまくり、欲しいものは何でも手に入れ、気に入らないものは徹底的に叩き潰すようなワガママなゼウスによって、すべての人間たちは、バラバラにされちゃって、自分のカタワレを探してさまようようになった。これが、「愛の起源」てワケで、それまでの人間は、自分1人の中で、陰と陽、正と負、プラスとマイナス、すべてが完結してたから、「誰かを求める」っていう意識、つまり、「愛する相手を求める」って意識などなかったのだ。
だから、あたしたち人間が、今、誰かと付き合っても別れたり、誰かと結婚しても離婚したりするのは、自分のカタワレじゃない別の人との出会いだってワケで、俗に言う「赤い糸でつながってる相手」を見つけるまでは、人間は本来の姿には戻れないってワケだ。
で、最初に書いた「3種類の人間」を見れば分かるように、男と男がくっついた「太陽の子」は、自分も男でカタワレも男だから、差別用語で言うと「ホモ」ってことだし、女と女がくっついた「地球の子」は、自分も女でカタワレも女だから、差別用語で言うと「レズ」ってことになる。そして、太陽と地球の間にあり、娘と息子の間にあるのが、男と女がくっついた「月の子」ってワケで、これが、人間界におけるマジョリティー、男と女のカップルの起源てことになる。
ようするに、女を恋愛対象にしてる男とか、男を恋愛対象にしてる女とかってのは、もともとは男と女が背中あわせにくっついて1人だったワケで、お互いに、ゼウスによって切り離された自分自身のカタワレを求めてるってワケだ。だから、世の中で大多数を占める男女のカップルや夫婦ってのは、もともとの姿は「両性具有」だったワケで、この男女のくっついた最初の人間のことを「アンドロギュノス」って呼ぶ。これは、ギリシャ語で「男性」を意味する「アンドロ」と、「女性」を意味する「ギュノス」とを合わせた言葉だ。
ちなみに、「アンドロイド」ってのは、「男性のようなもの」って意味だ。だから、細かいことを言うと、「女性の形をしたアンドロイド」ってのはアリエナイザーで、女性の姿をしてる人造人間のことは、「ガイノロイド(ギュノスロイド)」って呼はなきゃならない。そして、松本零士大先生が作り出したエッチな女性型人造人間は、「セクサロイド」だ。
‥‥そんなワケで、この「アンドロギュノス」ってのは、男と女がくっついた人間、男女の両方の性を持った人間てワケだけど、これとおんなじように、男女の両方の性を持った神様もいる。それが、「ヘルマフロディトス」だ。今まで何度も書いて来たように、ギリシャ神話ってのは壮大な近親相姦のドラマだから、思わぬとこで思わぬ男と思わぬ女が思わぬセックスをして思わぬ子供を作ったりしてるんだけど、この「ヘルマフロディトス」も、そうしたドロドロの中から誕生した。
分かりやすく順序立てて書いてくけど、いろんな女神にたくさんの子供を産ませたゼウスは、自分でも把握しきれないほどの子供がいるんだけど、その中に「ヘルメス」っていう男の神様もいた。覚えてる人は少ないと思うけど、2007年8月7日の日記、「ペルセウスの大冒険」の中で、メデューサを倒しに行くペルセウスに、斬れ味バツグンのマゴロクソードを渡したのが、オリュンポス12神のうちの1人、ヘルメスだ。
そして、美女ぞろいのギリシャ神話の女神たちの中で、ひときわ美しい愛の女神が「アフロディーテ」だ。アフロディーテは、2007年12月13日の日記、「ふたご座の秘密」の中で、エロオヤジのゼウスが、ヨソの国の王女様を奪いに行くのを手助けしたトンデモ女神だ。
で、このヘルメスとアフロディーテの間に生まれた子供が「ヘルマフロディトス」ってワケなんだけど、これは、「ヘルメス+アフロディーテ=ヘルマフロディトス」ってワケで、2人の名前を合体させて命名されてる。だから、「男性」を意味する「アンドロ」と、「女性」を意味する「ギュノス」とを合わせて「アンドロギュノス」って命名したのとおんなじで、男の神様の「ヘルメス」と、女の神様の「アフロディーテ」とを合わせて、「ヘルメスアフロディーテ」→「ヘルメスフロディーテ」→「ヘルマフロディーテ」→「ヘルマフロディトス」って感じになってるのだ。
‥‥そんなワケで、美男美女のカップルから生まれた絶世の美少年、ヘルマフロディトスは、15才になった時に、東方へと冒険の旅に出発した。そして、故郷から遠く離れたリキュアの地で、ある泉のそばを通りかかると、とても美しいハープの音が聴こえて来た。ヘルマフロディトスが、その音楽に導かれるように進んで行くと、その泉のほとりで、1人のニンフ(妖精)が、ハープを弾いていた。
このニンフは、水の精、サルマキスで、他の水の精たちとは違い、とっても色気づいた娘だった。だから、突然やって来たヘルマフロディトスを見て、その美少年ぶりにひと目惚れしちゃって、ソッコーでアタックを開始した。でも、お得意のニャンニャン攻撃でヘルマフロディトスに言い寄るも、まだ女性に興味のなかったヘルマフロディトスから、強く拒否されちゃう。ヘルマフロディトスにしてみれば、急に見ず知らずの変な女がベタベタして来たんだから、当然だろう。
それで、アタックに失敗したサルマキスは、いったんコマーシャル‥‥じゃなくて、いったんその場を離れて、作戦を練り直した。一方、変な女がいなくなってホッとしたヘルマフロディトスは、服を脱いで目の前の美しい泉に入り、旅の汚れを清めていた。だけど、この泉は、水の精であるサルマキスが支配する泉だったのだ。物陰から様子を見てたサルマキスは、惣流アスカラングレーばりに「チャ~ンス!」って思い、自分も裸になって背後から忍び寄り、ヘルマフロディトスに抱きついた!
ビックル一気飲みのヘルマフロディトスは、何とか振りほどこうとしたんだけど、ここはサルマキスの能力が最大限に発揮されるサルマキスの泉、ヘビのように絡みつくサルマキスの腕をほどくことはできない! そして、クチビルまで奪われてしまったヘルマフロディトス! もはや、逃げることはできないのか!?‥‥と、その時、サルマキスが、天に向かって叫んだ。
「天の神々よ、どうかこのままずっと、私たち2人が永遠に離れられないようにしてください!」
すると、ヘルマフロディトスに抱きついてたサルマキスの姿が、だんだんと薄くなって行き、白い煙のように消えてしまった。そして、泉の中にポツンと残されたヘルマフロディトスが、ホッと胸を撫で下ろそうとすると、「えっ?」ってことになった。ナナナナナント! ヘルマフロディトスの胸がどんどん膨らんで来て、アッと言う間に、豊かな女性のオッパイになっちゃった! 「なんじゃこりゃ~!」って叫んだその声も、女性のようなカン高い声だ!
体全体のラインもなめらかになり、ウエストはくびれ、ヒップは丸みを帯び、ヘルマフロディトスは、完全に女性の体に変わってしまった。すかさず自分の下半身に目をやると、ご自慢のオチンチンは今まで通りにぶら下がってたので、その点だけはホッとしつつも、女性の体にオチンチン‥‥という、中途半端なニューハーフみたいな体になっちゃったヘルマフロディトスは、何が何だかしばらくは理解できなかった。女性になりたくて性転換手術を希望してる男性ならいいんだけど、そんな気がまったくなかったヘルマフロディトスにしてみれば、これは、とんだ災難だった。たまたま通りかかった泉で、知らない女から言い寄られ、挙句の果てには、その女と合体して、両性具有にされちゃった。両性具有っていうくらいだから、オッパイだけじゃなくて、オチンチンの下のオイナリサンの後ろあたりには、女性器もついてんだろう。
そして、ヘルマフロディトスが、自分に抱きついていたサルマキスと一体化しちゃったってことを理解したころには、日はトップリと暮れていた。思い切り凹んだヘルマフロディトスは、冒険の旅を打ち切りにして、トボトボとお家に帰って行った。そして、変わり果てた自分の姿をお父さんとお母さん、ヘルメスとアフロディーテに見せて、こう言った。
「父さん、母さん! ボクはこんなの納得できないよ! このままじゃ悔しいから、あの泉に入った者は、みんなボクとおんなじ体になっちゃうようにしてよ!」
で、息子をかわいそうに思ったヘルメスとアフロディーテは、サルマキスの泉に魔法をかけて、息子の願いを叶えちゃったのだ。それ以来、サルマキスの泉には、古今東西の性転換したい男性が押し寄せて、ゲイのハッテン場としても有名になった。そして、みんなで海辺へ行きましたとさ。めでたし、めでたし‥‥ってワケで、望みもしないのに中途半端な体にさせられちゃったヘルマフロディトスは気の毒だけど、この「中途半端」って感覚は、男と女に分かれてるあたしたち現代人の感覚であって、男と女が1つだった最初の人間、「アンドロギュノス」の感覚で言えば、これこそが本来の人間の姿なのだ。切り裂かれた自分のカタワレと、ようやく1つになれた本来の姿なのだ。
‥‥そんなワケで、見方を変えれば、もともとが絶世の美少年だったヘルマフロディトスだから、自分に欠けてた女性の部分が補完されたことで、ホントに美しい完璧な姿になった‥‥とも言える。実際、それまでは女性からしか見染められなかったヘルマフロディトスだけど、両性具有になってからは、男性からも女性からも注目されるようになり、「完全なる美」って見られるようになったのだ。
これは、古代ギリシャの観念なんだけど、「普通の男性や女性はすべて欠陥人間であって、両性具有者だけが完璧な人間である」って言われてた。こうした観念が先にあって、それがギリシャ神話に生かされたのか、それとも、先にギリシャ神話が書かれて、そこからこうした観念が生まれたのかは分からないけど、とにかく、この時代には、両性具有者を「完璧な人間」として理想視する風潮があった。そして、それは、女性が男性の体を手に入れたいと思うよりも、男性が女性の体を手に入れたいと思う傾向のほうが強かった。あたしは、これは、「男よりも女のほうがセックスの時にエクスタシーを感じる」ってことが原因じゃないかって思ってる。
最高神にしてエロ大魔王のゼウスには、何人もの奥さんや恋人がいたんだけど、その中の1人、ヘラは、ゼウスの実の姉だった。近親相姦やりたい放題のギリシャ神話の世界では、自分のお姉さんや妹と結婚しちゃうなんて日常チャーハンなのだ。で、ある日のこと、ゼウスとヘラが、「セックスの時に男と女のどちらがエクスタシーを感じるのか?」って話をしてた。そして、男であるゼウスは「女に決まってる!」って言って、女であるヘラは「男のほうでしょ?」って言って、言い争いになっちゃった。
そこで、ゼウスたちは、テイレシアスを呼んで意見を聞くことにした。このテイレシアスってのは、もともとは男性だったんだけど、山道で絡み合ってる2匹のヘビを見つけて、木の枝で叩いてお楽しみのジャマをしたら、バチが当たったのか、女性に変わっちゃったのだ。そして、女性として7年間を過ごした時に、またまた山道で絡み合ってる2匹のヘビを見つけたから、おんなじように木の枝で叩いてみたら、男性に変わったのだ。こんな経歴を持つ男だから、男性と女性の両方の立場でのことが分かる。それで、ゼウスたちは、このテイレシアスに聞いてみようってことになったのだ。そして、呼ばれたテイレシアスは、こう答えた。
「男性としても女性としてもセックスしたことのある私の意見としては、セックスの時のすべてのエクスタシーを10とすると、男性が感じるのが1で、女性が感じるのが9ですね」
これを聞いて、自分の意見が正解だったと分かったゼウスは喜んだんだけど、言い争いに負けちゃったヘラは激怒して、その場でテイレシアスの目をつぶしちゃう。すごいよね。自分で呼びつけておいて、気に入らない答えをしたからって目をつぶしちゃうなんて。だけど、これじゃあまりにもかわいそうだと思ったゼウスは、両目をおさえてうずくまるテイレシアスに、通常の7倍の寿命と、予知能力を授けたのだ。こうして、テイレシアスは、「盲目の預言者」としての道を歩き始めたのだ。
ヘラを激怒させたテイレシアスの言葉によれば、セックスの時に感じるエクスタシーの度合いは、男女で1対9の違いがあるってワケだ。だから、女性の体を手に入れたいと思う男性が多かったんだと思うけど、この「セックスの時のすべてのエクスタシーを10とすると」っていう前提こそが、かつては「男と女がくっついて1人の人間だった」っていう観念から出発してるように思える。
古代ギリシャでは、男性が作り物のオッパイをつけて、女装して踊る儀式みたいなのもあったそうだし、このあたりの流れを見ると、男性の多くが、女性の考え方や感性などの精神的なことよりも、セックスの時に多くのエクスタシーを感じる「女性の肉体」に憧れてたってことが推測される。
‥‥そんなワケで、ギリシャ神話には、両性具有の人間のアンドロギュノスや、両性具有の神様のヘルマフロディトス、男から女に変わり、また男に戻ったテイレシアスなどの他にも、いろんな「性の融合体」が登場する。たとえば、ヘルマフロディトスのような後天性の両性具有者じゃなくて、先天性の両性具有の神様もいる。それが、「アグディスティス」だ。
来る日も来る日もセックスに明け暮れるエロ大魔王のゼウスは、こんなにいっぱいセックスをしてるのに、それでも「夢精」もしちゃう。夢精ってのは、寝てる間に自然に射精しちゃうことで、あたしには分かんないけど、地元の男友達に聞いてみたら、「すごくエッチな夢を見て、夢の中でものすごく気持ちが良くなって、朝起きるとパンツの中がベトベトになってる」ってことだった。う~ん、なんかキモイ(笑)
で、この夢精は、何日も何週間も射精をしないでいると、どんどん製造される精子がオイナリサンの中にパンパンになっちゃって、それで起こる自然現象みたいなんだけど、ゼウスが夢精したら、大量の精子が大空に飛び散っちゃって、あたりの山々に滴り落ちて、そこから生まれたのがアグディスティスってワケだ。ちゃんとしたセックスじゃなくて、夢精した精子から生まれるなんて、これだけでも情けないのに、生まれてみたら両性具有、これじゃあグレちゃうよね。
そして、ヤケクソになったアグディスティスは、毎日毎日、大暴れして、周りの神様たちに迷惑をかけ続けた。それで、「これじゃあヤバイ!」ってことになり、神様たちは作戦を練って、アグディスティスのオチンチンを切り落としちゃう。これで、女神として生きるしかなくなったアグディスティスは、大人しくなったってワケだ。
さらには、切り落とされたオチンチンから木が生えて、そこにアンズの実がなって、その実を食べたニンフが妊娠してニンプになっちゃって、それで生まれたのが「アッティス」なんだけど、ここから先も、発狂してオチンチンを切り落としたり、刺し殺したりする刃傷沙汰が満載で、スゴイ展開になる。だけど、あまりにも長くなっちゃうし、本線からどんどんダッフンしちゃうので、今日のとこはサクッとカットさせてもらう。
‥‥そんなワケで、27才という若さで、乗ってた自動車が電車にはねられて亡くなった悲劇の天才作家、渡辺温(わたなべ おん)に、「アンドロギュノスの裔(ちすじ)」っていう短編がある。痒いとこに猫の手が届く「きっこの日記」だから、上のタイトルをクリックすれば青空文庫で読めるようにしてあるけど、この秀作の冒頭部分で、渡辺温は、次のように書いてる。
「だが、たとえば、アメリカの機械靴の左右を合わせるのに、ほんの寸法だけで左足の堆積(やま)と右足の堆積とから手当り次第に掴み取りして似合の一対とするように、人間が肢を八本もっていたアンドロギュノスの往古(むかし)に復(かえ)り度い本能からばかりならば、幾千万の男と幾千万の女との適偶性(プロバビリイティ)もまた幾千万と云わなければならない。思うに天のアフロバイテ(アフロディーテ)を讃える恋の勝負は造化主の意思の外にあるのであろう。神さまは、ただ十文半の黄皮の短靴の左足は十文半の黄皮の短靴の右足こそ応(ふさ)わしけれ、と思し召すだけに違いない。男と女。男と女。――たった二種類しかない人間が、何故せつない恋に身を焦がしたりしなければならぬのであろうか?」
つまり、渡辺温は、切り裂かれた自分のカタワレを求めるという本能から恋愛の相手を探すのであれば、ものすごい数の相手と付き合ったり恋愛したりしなくちゃならないし、それはものすごく大変なことだって言ってる。そして、もともとはそうだったのかも知れないけど、今の恋愛は、もっと違った欲望や本能によって突き動かされているのではないか?って言ってるのだ。
これは、あたしも、そう思う。人間は、自分に欠けてるものを欲しがったり憧れたりする習性が強いから、たとえば、運動神経の鈍い女性なら、スポーツ万能の男性を好きになっちゃったりすることも多い。これは、もともとが1つの体で、切り裂かれたカタワレが運動神経を多く持ってっちゃったことによる「補充欲」だと仮定することはできるけど、だからといって、出会ったスポーツ万能の男性が、必ずしも自分のカタワレとは限らないのだ‥‥ってよりも、自分のカタワレである確率は極めて低い。ただ、運動神経に関する「補充欲」を満たしてくれる点に惹かれてるだけで、他の欠損してる部分は満たされないだろう。
さらには、相手に欠損してる部分をこちらが満たしてあげられるとも限らないから、この2人は、ピッタリと合うジクソーパズルのピースじゃないってことで、一定期間が過ぎれば、自然と別れることになる。そして、それぞれが、自分の欠損した部分を完璧に満たしてくれるカタワレを求めて、新たな旅に出るってことになる。
そして、本当のカタワレに出会えた時に、初めて、人は人として完成されるのだ。そこには、浮気も暴力も何もない、純粋な「愛」しかない。ホントの「愛」とは、相手が自分であり、自分が相手であり、2人で1人なんだから、そこに浮気や暴力があるってことは、自分で自分を裏切ったり、自分で自分を痛めつけたりすることであり、理論上はアリエナイザーだ。つまり、浮気をしたり暴力をふるったりしてるカップルってのは、自分のホントの相手じゃない、どっかの誰かのカタワレと恋愛のマネゴトをしてるだけで、それによって苦しんでるだけなのだ。
‥‥そんなワケで、ヘドウィグが信じてるように、ギリシャ神話に書かれてるように、古代ギリシャの人たちが考えてたように、人間の起源が「2人がくっついて1人」だったのなら、すべての人間は自分1人で完璧だったってワケだ。「愛」ってものも、他人に求めたり他人に捧げたりするんじゃなくて、自分の内側で処理されてたってことになる。そして、切り裂かれた人間たちは、男が男を求めるパターンや、女が女を求めるパターンなら、自己にそれほどの欠損性を感じないだろうけど、男と女とがお互いを求め合う「アンドロギュノス」の場合には、常に自分の内側に「何か大切なものが足りない」って感覚を持ち続けてるんだと思った。何にしても、あたしのカタワレを探す旅は、まだまだ続くと思う。いつの日か、自分のカタワレと、背中あわせに安心して眠れる日が来るまで‥‥なんて思う今日この頃なのだ。
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