地球はミネラル
オトトイ、「六甲のおいしい水」が不当表示をしてて、公正取引委員会がハウス食品に排除命令を出したっていうニュースがあった。でも、これだけ次から次に、不正表示だの賞味期限の改ざんだの産地偽装だのが連発してると、今さら驚くこともなくなっちゃって、「へえ、今度は六甲のおいしい水か」で終わっちゃう。たけど、ココに問題があるのだ。こうした新聞記事を目にした場合、多くの人は、その記事の内容だけを「すべての情報」としてとらえてしまい、それ以上のことを知ろうとはしない。だから、新聞が偏向的な書き方をしてれば、それを鵜呑みにして「偏った印象」を持たされちゃう。
これは、「新聞に書いてあることは正しい」という前時代の妄想を未だに信じてる人たちがいることと、ヒンパンに発覚する食品偽装事件によって「日常的に偽装が行なわれてる」っていう先入観を持ってる人たちがいるために起こる現象だ。で、新聞をあんまり信じてないあたしとしては、とりあえず「ハウス食品」の言いぶんも聞いてみてから判断しようと思って、ハウス食品のホームページを見てみた。そしたら、6月17日付で、「公正取引委員会からの排除命令について」っていうリリースがあって、一連の流れの説明の中に、ハウス食品側の言いぶんとして、次のように書かれてた。
「平成19年10月に公正取引委員会より本件について、当社に調査・協力の要請がありました。当社は六甲山地の花崗岩層に接触した雨水が地下水流となり、六甲工場周辺地下にまで流れ込んでいるという専門家の見解もふまえ、その科学的根拠等を資料で示し、指摘を受けた表記が一般消費者に対して著しく優良であると誤認させるものではないとする考えを数回にわたり説明し、理解を求めてまいりました。しかしながら、公正取引委員会において、合理的根拠を示すものではないと判断され、今回の排除命令に至ったものです。」
ようするに、ハウス食品としては、地下水を汲み上げる場所を移動する際に、ちゃんと専門家の見解を聞いて、新しい場所でも今までと同様の水が採取できるってことを確認したから、おんなじ宣伝文句を書いたペットボトルで販売してたってワケだ。そして、公正取引委員会に対しても、数回に渡って資料を添えて自分たちの主張を伝えて来たんだけど、それが認められずに、今回の結果に至った‥‥ってことで、こうしてちゃんと両者の言いぶんを聞いてみれば、新聞記事だけを読んだ時に感じた「ハウス食品も悪いことをしてたのか」っていう印象はなくなると思う今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?
‥‥そんなワケで、今回の問題は、2005年1月に、地下水を汲み上げる場所を「神戸市灘区」から「神戸市西区」へと移転したことが原因だそうだ。ハウス食品側は、「おんなじ水脈なのでミネラル分も変わらない」っていう見解だったんだけど、公正取引委員会側は、「途中に粘土質の地層があるため、六甲山系の花崗岩のミネラル分の含まれた地下水は流れて来ない」っていう見解で、そのため、ボトルに書かれてた「花崗岩に磨かれたおいしい水」というコピーに対してクレームがついたってワケだ。だから、水道水をミネラルウォーターとして販売してたとかの「インチキ」とは違って、あくまでも「見解の相違」ってことだ。もちろん、ミスはミスだと思うけど、あたしは、「不二家」や「白い恋人」や「赤福」や「吉兆」のような「悪質さ」は感じない。
で、本題からはズレちゃうけど、ものすごく根本的なこととして、あたしは、この「ミネラル」って言葉に対して、世の中の人たちとはリトル違ったイメージを持って使ってる。たぶん、多くの人たちは、「ミネラル」って言葉を「栄養分」とか、「体にいい何か」とか、そんなイメージでとらえてると思う。もちろん、それでも間違いじゃないんだけど、あたしの場合は、「鉱物」って意味でとらえてるから、「ミネラル」って言葉を目や耳にするたびに、美しいいろんな鉱物標本が頭の中に浮かんじゃう。あたしのツボにストライクな「灰鉄ざくろ石」とか、宝石よりも美しい「ペンタゴン石」とか、いろんな鉱物標本が浮かんで、最後には、大好きな「電気石」に囲まれて、小躍りしてる小さいきっこたちが登場しちゃう。
NHKの「高校講座・地学」では、2学期の前半で、伊藤孝先生の何回かの授業のあと、久田健一郎先生が鉱物についての授業をしてくださるけど、平野麻樹子ちゃんを連れて鉱物採集に行った回を観て、あたしはすごく羨ましかった。ちなみに、今は1学期の前半の「宇宙」のとこだから、「きっこの日記R」を読んでくださった人は、書き下ろしの「オリオン座を見上げて」とリンクしながら、「高校講座・地学」の放送を楽しんで欲しい。
‥‥そんなワケで、「ミネラル」ってのは「鉱物」って意味だから、「ミネラロジー(mineralogy)」ってのは「鉱物学」って意味で、天文学とおんなじくらい楽しい学問だ。だけど、あたしの場合は、単に鉱物の美しさや不思議さに興味をひかれてるだけで、あんまり難しいことは分かんない。図書館で鉱物図鑑を眺めて、「おおっ!」とか、「どひゃっ!」とか、「うへ~!」とか言ってる程度で、すごい標本の写真を見つけると、すぐに値段を知りたくなっちゃうほどの貧乏症だ。そして、1800円とか2300円とか書かれてると「買えそうだ!」って思って喜んだり、17500円とか25000円とか書かれてると「買えないや‥‥」って思ってガッカリしたりって、こんなくだらないことをして楽しんでる。
だから、あたしの場合は、マジメに鉱物のことを勉強するって感じじゃなくて、ショーウインドウの中のステキなお洋服や靴を眺めながら、ふぅ~ってタメ息をついてるような感じで、好きな鉱物の写真を観てるってワケだ。だから、どっちかって言うと、宮沢賢治みたいな感じの「鉱物マニア」ってことになる。宮沢賢治も、ものすごく鉱物が好きで、いろんな童話や詩の中にヤタラと鉱物が登場するけど、「気のいい火山弾」みたいに鉱物が主人公のお話もあるし、短編の「ラジュウムの雁」みたいなお話もあるし、ホントにマニアっぷりが伝わって来る。そして、何と言っても有名なのは、「春と修羅」を始めとした詩篇の中に登場する数々の鉱物だ。「春と修羅」の中の「凾館港春夜光景」には、こんな一節がある。
きたわいな
つじうらはっけがきたわいな
オダルハコダテガスタルダイト、
ハコダテネムロインデコライト
マオカヨコハマ船燈みどり、
フナカハロモエ汽笛は八時
うんとそんきのはやわかり、
かいりくいっしょにわかります
「オダルハコダテガスタルダイト」「ハコダテネムロインデコライト」ってのは、「小樽、函館、ガスタルダイト」「函館、根室、インデコライト」ってことで、この「地名、地名、鉱物名」っていう流れをリフレインさせつつ、「小樽、函館」「函館、根室」ってつなげつつ、「ガスタルダイト」「インデコライト」って韻を踏みつつ、意味は分かんなくても、宮沢賢治は、今から80年以上も前に、現代の堕落したラップよりも遥かに水準の高い詩を書いていたのだ。現代でこれだけのレベルのシュールさを鴨志田くんなのは、PUFFYちゃんのデビュー曲の「アジアの純真」くらいだろう。
最初こそ、「北京、ベルリン、ダブリン、リベリア」って、地名を揃えてるけど、すぐにネタ切れしちゃって、「美人、アリラン、ガムラン、ラザニア」だの「火山、マゼラン、シャンハイ、マラリア」だの、単なる語呂合わせと連想ゲームになっちゃってる。それなのに、何とも言えない不思議な世界観を生み出してるのは、井上陽水のアンドレカンドレたるユエンであって、このセンスには、サスガのアンドレ・ザ・ジャイアントも、キラー・カーンのトップロープからのニ―ドロップを食らって、左足首を骨折しちゃうだろう。
‥‥そんなワケで、シュールな話題を取り上げてると、あたしの文章までシュールになってきちゃうけど、「鴨志田くん」から「あさってDance」を連想しちゃった人は置いてけぼりにしちゃうとして、話はサクサクと進む。で、宮沢賢治の「凾館港春夜光景」に登場する「ガスタルダイト」ってのは、「藍閃石(らんせんせき)」のことで、「インデコライト」ってのは、「藍電気石(リチア電気石)」のことだ。そして、ここでのポイントは、「インデコライト」が一般的な名称なのに対して、「ガスタルダイト」はほとんど使われてない名称だってことだ。
「インデコライト」の「インデコ」は、デニムとかを染める「インディゴ・ブルー」の「インディゴ」のことで、それに「ライト(電気)」がくっついて、「藍色の電気石」って意味だから、そのまんまってことになる。だけど、最初のほうの「ガスタルダイト」のほうは、フランスの鉱物学者、バルトロメオ・ガスタルディ博士の名前から命名されたもので、言葉としての意味はない。そして、この呼び名は一般的じゃなくて、「藍閃石」のことは「グロウコフェン」て呼ぶのが一般的なのだ。これは、ギリシャ語で「青緑色」って意味の「グロウコス(glaukos)」と、「現れる」って意味の「ファイネスタイ(phainesthai)」って言葉を合わせたもので、こっちの呼び名なら、「インデコライト」とおんなじで、「名は体を表わす」ってことになる。
だから、もしも宮沢賢治が一般的な鉱物の呼び名を使ってたら、「オダルハコダテグロウコフェン」「ハコダテネムロインデコライト」てなってたワケで、韻を踏まなくなっちゃう。その上、「ダイト」と「ライト」のリフレインによって表現してた美しい函館の夜景が、港に浮かびあがる宝石のような青い灯の数々が、見えなくなっちゃう。つまり、一見、意味不明に感じるような、単なる語呂合わせのような詩の一節であっても、宮沢賢治は、自分の観た美しい夜景を表現するために、たった1つの単語にまで、これほどのコダワリを持って言霊を編んでいたってことなのだ。
‥‥そんなワケで、こんなふうに読み解いて行くと、今さらだけど、宮沢賢治の素晴らしさ、深さを再確認することができる。ゴッホと同じく、37才という若さでこの世を去ってしまった賢治だけど、きっと、銀河鉄道に乗って、函館の夜景よりも美しい満天の星空の中を旅してるんだと思う。そして、遥か彼方の宇宙から、この地球を見下ろして、まるで宝物の鉱物標本を愛でるように、愛に満ちた澄んだ目で見つめているんだと思う。だから、あたしたちは、この地球を美しいまま、次の世代へと手渡して行かなきゃならないと思う今日この頃なのだ。
「宮沢賢治の詩の世界」
http://why.kenji.ne.jp/haruto/sinla4.html
★ 今日も最後まで読んでくれてありがと~♪
★ 1日1回、応援のクリックをよろしくお願いしま~す!
↓ ↓
人気blogランキング
★ 読み応えがタップリの書き下ろしが満載、「きっこの日記 R」もぜひ読んでくださいね♪
↓ ↓
「きっこの日記R」
| 固定リンク