比べたがる人たち
1週間ほど前に、こんなニュースがあった。
「祖父からもらった“おもちゃ”、実は古代のお宝=1億円相当」 (AFP=時事)
英国のくず鉄業者ジョン・ウェバーさん(70)が子供のころにおじいさんからもらい、時には空気銃の練習の的にしたこともあるという古びたカップが、100万ドル(約1億円)近くもするとみられる古代ペルシャのお宝だったことが分かった。このカップは高さ約14センチで、額にヘビの模様を持つ2つの女性の顔が両面に打ち出されている。ウェバーさんは子供のころの1945年に祖父からおもちゃとしてもらった。金色をしているが、ウェバーさんは真鍮(しんちゅう)製だと思っていたという。ウェバーさんが昨年、転居を機に専門家に見てもらったところ、カップは一枚の黄金の板から作られたもので、製造方法や金の成分などからみて、紀元前数百年の古代ペルシャ、アケメネス朝時代の珍しい品だと判明した。アケメネス朝は紀元前330年にマケドニアのアレキサンダー大王によって滅ぼされた。6月5日にオークションにかけられるが、50万ポンド(98万800ドル=約1億円)の値が付くものとみられている。(2008年5月30日)
http://news.www.infoseek.co.jp/topics/world/n_auction_w__20080606_3/story/20080530afpAFP017922/
この記事を読んで、何よりもあたしが疑問に思ったのは、ウェバーさんが「くず鉄業者」だってことだ。くず鉄業者ってことは、集めて来た金属を鉄だ銅だ真鍮だと分別して、それをお金に換える商売ってワケで、言うなれば「金属の分別のプロ」ってワケだ。それなのに、黄金のカップを長年ずっと「真鍮」だと思ってたなんて、あまりにもアバウトだ。だから、このウェバーさん、もしかしたら、今までのお仕事で、純金製の置物を「真鍮」として売っちゃったり、銀製の食器を「鉄」として売っちゃったりって、何度も大損をして来たような気がする今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?
‥‥そんなワケで、記事に添えられてる写真を見ると、ナニゲに「それらしいシロモノ」なんだけど、大きさ的に言って、たとえ純金であったとしても、歴史的な価値がなければ、とても「1億円」なんて金額にはならないだろう。つまり、このヘンテコなカップは、貴金属としての価値は10万円くらいで、残りの9990万円ぶんは、「紀元前数百年の古代ペルシャ代」ってことになる、たぶん。ま、タダでもらった物が1億円になるんだから、理由なんか何でもいいワケで、イギリスにお年寄りをイジメるための「後期高齢者医療制度」が出来たとしても、これで老後は安心だ‥‥って思ったのもトコノマ、今日、こんなニュースがあった。
「祖父からもらった古代のお宝は結局1000万円=英国」 (AFP=時事)
50万ポンド(約1億円)の値が付くともいわれていた古代ペルシャのものとみられるカップが5日、英国でオークションに掛けられたが、結局、落札値は5万ポンド(約1000万円)に終わった。このカップはジョン・ウェバーさん(70)が祖父からもらったもので、ウェバーさんは真鍮製で大したものではないと思っていた。しかし、転居を機に専門家に見せたところ、紀元前の古代ペルシャの黄金製のカップで、非常に珍しく価値のあるものだといわれた。ウェバーさんは競売で最高で50万ポンドの値が付くことを期待していると話していたが、競売商は同日のオークションでのこのカップのガイドプライスは5万-10万ポンドだったと明かした。(2008年6月6日)
http://news.www.infoseek.co.jp/topics/world/n_auction_w__20080606_3/story/20080606afpAFP018017/
それでも、タダでもらったヘンテコなカップが1000万円になったんだから、これこそが「ティナ・ターナーからボタモチ」って感じで、これほど嬉しいことはないだろう。だけど、どうしても「すごく損した」って感じちゃうのは、最初に「1億円」て言われてたからだ。これが、逆に、最初に「100万円の価値はある」って言われてたとする。それで、実際にオークションに掛けてみたら、1000万円になったとする。そしたら、「すごく得した」って感じるハズだ。
手にするのは、おんなじ1000万円なのに、「最初にどう言われてたか」によって、損したように感じたり、得したように感じるなんて、おかしな話だ。まあ、この場合は、1000万円なんていう大金だから、どっちにしても嬉しい気持ちが大きいと思うけど、これが1万円だったら、もっとニョジツに感じると思う。何かのクジを引いたら、「10万円が当たりました!」って言われて、「おおっ!」って思ったあとに、「あ、すみません‥‥1万円でした‥‥」って言われて1万円をもらうのと、「1000円が当たりました!」って言われてから、「あ!ごめんなさい!1万円でした!」って言われて1万円もらうのとじゃ、嬉しさもアリガタミもぜんぜん違うだろう。
でも、手にした1万円は、どっちのパターンでもおんなじ1万円で、おんなじ価値しかないし、おんなじ物しか買えない。それなのに、気持ち的にはぜんぜん違うのだ。これは、「きっこの日記R」を読んでくれた人なら、最初の「きっこの比較幻想論」に詳しく書いてあるから、すぐに結論まで分かってくれたと思うけど、お金だけじゃなくて、世の中のすべてのモノやコトに対して、「何かと比較する」ってことでしか価値を測ることのできない人間の「幻想」なのだ。
本に書いたことの繰り返しになっちゃうけど、たとえば、背が低くてコンプレックスを持ってる男の子がいたとする。でも、それは、自分のクラスの他の男の子たちと比較してコンプレックスを感じてるだけで、みんなの背が自分よりも低くなれば、何も感じなくなる。そして、みんなの背が自分よりも極端に低くなれば、今度は、「自分が大きすぎる」っていう逆のコンプレックスを持つことになる。
だけど、自分の身長は、何ひとつ変わってないのだ。それなのに、周りの人たちが大きければ「自分は小さい」と悩み、周りの人たちが小さければ「自分は大きい」と悩む。だから、世界中の人間が絶滅して、地球上の人間が自分1人になれば、どんなに背が低くても、どんなに太ってても、どんなにブサイクでも、どんなに頭が悪くても、比較する相手がいないんだから、コンプレックスなど何も感じなくなるってことだ。
‥‥そんなワケで、人間は、常に何かと何かを比較してる。男性なら、前から2人の女性が歩いてくれば、必ず、その2人を比較して、どっちが可愛いかを無意識のうちに判断するだろう。そして、自分自身に対しても、常に周りの人たちと比較してる。
しばらく前の「テレビブロス」の「若者たちの神々」で、龍ヶ崎あきらさんが、最近、「羞恥心」の3人に代表されるような「イケメンなのに頭がバカ」っていうキャラがウケてる理由として、とても的確なことを書いてた。それは、一般の男の子は少なからず自分の外見にコンプレックスを持ってる→今まではテレビに出て来る男性アイドルを見るたびにヨケイにコンプレックスを感じてた→でも最近は「羞恥心」の3人のようなバカを見てると「オレのほうがマシかも?」って思えるようになって来た‥‥ってことなのだ。
つまり、いくら顔が良くても、小学生でも知ってるような言葉を知らなかったりするバカを見てると、自分に自信を持てるようになって来るし、何よりも優越感にひたれるようになって来たってことだ。長年、コンプレックスを持って生きて来た人にしてみたら、「優越感にひたれるのなんて何年ぶりだろう?」ってとこだろう。これこそが、あたしが「きっこの日記R」に書いた「比較幻想論」そのものなのだ。自分は何ひとつ変わってないのに、こんなくだらないことで、コンプレックスが自信に変わったり、小さな満足を得たりできる人間て、ホントに幼稚な生き物だと思う。
‥‥そんなワケで、男性タレントが「頭の悪さ」を売り物にするようになったら世も末だと思うけど、これも、長い年月をかけて政府が作り上げて来た「理想の社会」なのかもしれない。だって、国民がみんなリコウになっちゃったら、自民党に投票するバカも、ナンミョーに洗脳されるバカも、霊感商法やオレオレ詐欺に騙されるバカも、みんないなくなっちゃって、ズルいことをした者が得をする世の中から、努力した人が報われる世の中に変わっちゃうからだ。そんなことにでもなったら、今、ズルいことをして私腹を肥やしてる政治家や、官僚や、天下りや、癒着企業や、カルト教団や、ホニャララ団は、みんな干上がっちゃうと思う今日この頃なのだ。
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