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2008.06.25

言葉が自由な人たち

ヤタラと「テレビブロス」からの話題が多くて申し訳ないんだけど、あたしが愛読してる雑誌はコレだけなので大目に見てもらうとして、今出てる号の清水ミチコさんの「私のテレビ日記」に、フジコ・へミングさんについて取り上げてあった。ミチコさんが取り上げてるんだから、もちろん、ミチコさん的にツボな人だったワケで、それは、「ものすごく言葉が自由」ってことだった。これは、ヨソ行きの言い方なので、普通に言えば「暴言」ていうか、そこまでは行かなくても、普通の感覚の人なら躊躇しちゃうような言葉を平気で口にしちゃう人、思ったことをそのまま口にしちゃう人ってことだ。

ま、詳しくは「テレビブロス」を読んでもらうとして、一例をあげると、テレビの収録で、ピアノのすぐ横にMCの渡辺満里奈たちが立ってて、それが気になって演奏ができないから、「じゃまだからどいて」って言ったそうだ。そして、「すみません!」って謝る渡辺満里奈に、「すみませんじゃなくて、じゃまだからどいて」ってたたみ込んだってだから、なかなかの豪傑だ。

もちろん、これは、相手に対して文句を言おうとか、相手を叱ろうとか、相手を不快にさせようとか、そんなチッポケな気持ちなんかミジンもないことは明らかだ。フジコ・へミングさんは、ただ単に自分の納得の行くピアノの演奏をしようとしただけで、気が散るような場所にMC陣が並んでたから、「どいてくれ」と言っただけなのだ。つまり、フジコ・へミングさんが求めてたのは、「謝罪」じゃなくて、「そこをどいて欲しい」ってことだったワケだ。だからこそ、トッサに謝った渡辺満里奈に対して、「すみませんじゃなくて、じゃまだからどいて」って言ったのだ。

この流れを見た清水ミチコさんが、「おおっ!」って思ったのとか、その話を聞いたあたしが、「カッコイイ!」って思ったのとかは、あたしたちが、常に「相手に不快感を感じさせないように」って気を使いまくりながら生活してる「ニポン人」だからだ。これが、何でもズケズケと言える欧米人の感覚なら、極めて普通のことで、「じゃまだからどいて」って言われたMCのほうも、謝罪するよりも先に、スッと移動したと思う今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、これは、文化の違いなんだから、どっちがいいとか悪いとかって問題とは違う。絶対に喜ぶと思って買って行ったお菓子を「つまらないものですが」って言って手渡したりすることは、文化の違う欧米人から見れば理解できないことだろうけど、自分を一歩引いて「へりくだる」ってのは、ニポン文化のもっとも美しい部分のキーワードみたいなものだ。この感覚が理解できない民族は、「侘び」や「寂び」などの世界観も理解できないから、どんなにニポン語を勉強しても、決して、俳句や茶道を理解することは不可能だろう。

だから、フジコ・へミングさんの「思ったことをストレートに言う」ってスタイルに対して、あたしが「カッコイイ!」って感じたのは、ホントに心の底から憧れて「カッコイイ!」って感じたワケじゃない。何ていうか、異文化に対するカルチャーショック的な驚きとか、憧れとか、呆れるとか、そういった感覚のゴッタ煮みたいなものなのだ。

たとえば、お家の前の道に、落葉がたくさん散らばってたから、あたしが丁寧に掃き掃除をしたとする。竹ぼうきと熊手でセッセと掃き掃除をして、道の両側にいくつかの落葉の山ができたところで、それを大きなビニール袋に入れる前に、ちょっとひと息ついて、縁側に腰かけて湯呑でお茶を飲んでたとする。そしたら、そこに、7000ccくらいある巨大な排気量のアメ車のホットロッドが爆走して来て、あたしが苦労してお掃除した落葉をぜんぶ吹き飛ばして走り去って行った。

あたしは、お掃除をイチからやり直しだから、普通なら「ムカッ!」っと来るとこなんだけど、普段は見たこともない巨大なアメ車や、それを運転してたフジコ・へミングさんに対して、「カッコイイ!」って感じちゃうのだ。あたしとおんなじ感覚を持った人なら、落葉の山が飛ばないように減速してソッと通過するとこなのに、そんなことまったく考えずに、自分の目的のみで行動する。そこに、ある意味、スガスガしさみたいな感覚すら覚えちゃう。

つまり、一歩間違えれば、これは「KY」ってことになっちゃう。だけど、「KY」と決定的に違う点は、目的意識が明確で、わずかなブレもないって点なのだ。フジコ・へミングさんには、「最高の演奏を披露する」っていう目的があって、そこへ向かってまっすぐに進んでるだけだから、その妨げをするものに対しては、歯に衣着せない言葉でも気にしないで発射しちゃうのだ。目的地へ到着するためには、道の脇の落葉の山など気にもせず、減速などしないのだ。

だから、あまりにもイージーライダーなフジコ・へミングさんに対して、「言葉が自由」って表現をした清水ミチコさんは、とってもワンダホーだと思う。いい悪いは別にして、まさに、人の家の中を土足で通過して行くアメリカンな自由さを感じるからだ。そして、フジコ・へミングさんのことを「言葉が自由」って表現をした清水ミチコさん自身は、自分が「言葉が不自由」って感じてるんだろう。

日常生活でも、常に相手に気を使い、言葉を選びながらしゃべってんのに、テレビカメラが回ってる時には、さらに気を使いまくる上に、ウケることまで考えなくちゃなんないんだから、そりゃあ大変だろう。だからこそ、MCに向かって平然と「じゃまだからどいて」って言ったフジコ・へミングさんに、アメリカの広大な大地を見たんだと思う。

‥‥そんなワケで、テレビやラジオに出てるタレントは、放送禁止用語とかだけじゃなくて、その発言の内容にも気をつけなくちゃなんない。ぜんぜん悪気がなくても、ウッカリしたことを言うと、倖田來未みたく血祭りにあげられちゃうからだ。そして、今までは、テレビやラジオでの発言だけ気をつけてれば良かったタレントたちも、今じゃ猫でもシャクシでもブログをやる時代になっちゃったから、ブログ上での発言も気をつけなきゃならなくなった。

だから、タレントたちにとって、かつてのブログは、テレビやラジオとは違う「素の自分」を出せる場だったし、ファンもそれを見たくてアクセスしてたけど、今じゃマネージャーや事務所のスタッフが事前にチェキして、OKの出たエントリーしかアップしてないアイドルもたくさんいる。さらには、ゴーストライターにブログを書いてもらってるアイドルもたくさんいる。ちなみに、あたしの知り合いで、ワリと有名なブロガーは、バイトで、アイドル3人のブログの代筆をしてる。

そして、そんなタレントたちのブログを管理してるほうも大変だ。タレントの取り込みに必死な「アメーバブログ」なんて、常に30人もの専門の監視スタッフが24時間体制で、すべてのタレントブログのコメント欄を監視してて、少しでも問題のありそうなコメントが書き込まれると、ソッコーで削除してる。これじゃあ、書き手と読み手の騙し合いみたいなもんで、どこにも「好きなタレントとの接点」なんてない。

ま、ほとんどのアイドルやタレントの場合は、その日に食べた物の写真とペットの写真を交互にアップして、1行書いちゃ5行空けて、1行書いちゃ5行空けて、1行書いちゃ5行空けて‥‥っていう、ヤタラと空白だらけの「さしさわりのないエントリー」でお茶を濁してるだけだから、メッタに問題が起こることはない。だけど、こんな退屈なブログでも、書いてるのがアイドルやタレントってだけで、一般人のブログの何十倍、何百倍ものアクセス数があるんだから、ある意味、反則だと思う。ま、ゴーストライターが書いてるアイドルのブログに、セッセとコメントを寄せてるアホなファンもたくさんいるんだし、エントリーもコメント欄も激しく監視されてんだから、今やタレントのブログなんて、テレビとおんなじ「虚の世界」なんだけどね。

‥‥そんなワケで、退屈で退屈でジンジャエールなタレントの「アメーバブログ」の中に、こないだ、「おおっ!」って思うブログを発見しちゃった。それは、6月8日に開設されたデヴィ夫人のブログ、「デヴィの独り言/独断と偏見」だ。現時点では、まだ、開設日の8日に4本、12日に3本、24日に2本のエントリーがアップされてるだけだから、「週に1回程度、マトメて書く」って感じみたいなんだけど、とにかく内容がものすごい。

初日の最初のエントリーでは、「ロス疑惑」の三浦和義のことを取り上げてるんだけど、「最高裁判所で無罪になったと主張されているようですが、三浦さんの場合は、有罪の決め手となる証人、証拠が不十分だったので、無罪になった」だけであって、「無罪になったからといって、必ずしもその容疑者が、犯人ではなかった、ということにはならないのではないでしょうか。」って、誰もが思ってても決して口に出さないようなことを平然と書いちゃってる。あたしは、これを読んで、「フジコ・へミングさんとおんなじ感覚の人だ」って思った。そう、デヴィ夫人は、「言葉が自由」なのだ。

そして、光市の母子殺害事件の犯人の少年(当時)に対しては、少年でもこのような凶悪犯の場合は「顔を出すべき(顔写真や名前を公開すべき)」とした上で、「やたらと精神鑑定というのは本当はおかしいことだと思います。心神喪失状態で責任能力はないとするのは不条理です。殺人を犯しているその時は誰もが異常な状態であるに決まっています。精神鑑定によって責任能力がないとすることは考えられません。」と、あたしとおんなじに、凶悪犯罪における精神鑑定というものの矛盾と不必要性を述べてる。そして、こう言ってる。


「加害者の人権を重視するよりも、被害者の人格を尊守するべきです。」


あたしは、この言葉に、心の底から賛同した。まだ、3日間で9本の短いエントリーをアップしただけなので、何とも言えない部分もあるけど、そのどれもが舌鋒鋭い。特に、秋葉原の事件を取り上げたエントリーでは、この残忍で自己中心的な極悪犯罪者に対して、「死刑反対の方々は、こんな最悪な男に対しても死刑反対を唱えるのでしょうか?」って疑問を呈してる。これまた、あたしとまったくおんなじ意見だった。

‥‥そんなワケで、デビューしたてのアイドルから芸歴の長いタレントに至るまで、そのほとんどが、食べた物の写真だのペットの写真だの買ったお洋服の写真だのを貼ってるだけで、あまりにも退屈なブログだらけで食傷気味なんだけど、デヴィ夫人のブログなら、あたしはそれでもいいと思った。だって、ラーメンやカレーの写真なんか見せられても何とも思わないけど、デヴィ夫人がオカカエのシェフに作らせてるお料理たとか、何千万円もする宝石や家具なら、見てみたいもん。

だけど、デヴィ夫人は、こともあろうに、社会で起こった事件や問題を順番に取り上げて、それに対して自分の見解を書くという、まるで一般人のブロガーみたいなことを始めちゃったのだ。それも、フジコ・へミングさんのような自由な言葉で。だから、今後も目が離せない‥‥って思ってたら、24日のエントリーでは、ショッキングピンクのダイビングスーツに身を包み、「行ってQ」のロケで、出川とタヒチに行ったことが書かれてたから、一瞬、「あららららら‥‥」って思ったんだけど、ちゃんと読んでみたら、やっぱり「言葉が自由」な人だった。

ホテルの料理にシッカリと文句をつけてるし、「カラフル」のことを「カラーフル」なんて書いてて、やっぱ、雲の上で生活してる感じが漂って来る。そして、何よりもワンダホーなのは、タヒチでのことを書いたエントリーの最後に、こんな一節があったのだ。


「帰国したら、また沢山の事件があり、これについて私の意見をのべるつもりです。皆様、愉しみにしていて下さいね。」


‥‥そんなワケで、20年以上も前の「ロス疑惑」から、最近の凶悪な無差別殺人事件まで、自由な言葉でカタッパシから斬って行くデヴィ夫人は、「ブログに自分の考えを書く」っていう楽しさを知ったように思う。だから、海外ロケでしばらくブログを書けなかったストレスを爆発させるように、とりあえずは、三重県の「谷本整形」や岐阜県の「丸明」あたりから料理してって欲しいと思う。何しろ、一般人が言ったら問題発言になっちゃうようなことでも、フジコ・へミングさんやデヴィ夫人が言えば、誰も文句なんか言えないと思う今日この頃だからなのだ。


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