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2008.06.18

週刊きっこの目 「消えた黒猫」

昨日の日記に書いたように、「HNN」が無期限の休止を余儀なくされてるのは、米軍が深く関わってる「ある問題」を取材していた1人の記者が、突然、行方不明になったからだ。もちろん、これは、「HNN」の運営サイドからそう伝えられただけで、あたしに真実は分からない。だけど、運営サイドから届いた1通のメール以外に、何の手がかりもない状況だから、とりあえずは、そのメールに書かれていることだけを頼りに、そこから推測して行くしかない。

どっちにしても、1人の人間が、神隠しにあったかのようにパッと消えちゃうなんて、現実的に考えれば、あたしたち一般人には想像もできないような巨大な力、恐ろしい組織が関与してる可能性が高いと思われる。だから、頭脳明晰で優秀な上に恐いもの知らずの、本物のハードボイルドな名探偵でも登場しない限り、その謎を解くことは不可能だ。頭脳は子供でもベッドでは大人‥‥なんて言ってるような迷探偵キッコナンには、手も足もシッポも出ないほどの大事件てことになる。

だから、消えた人間の謎を解くのは、本物の名探偵に任せておいて、人畜無害のヘンテコな事件しか解決したことのない迷探偵キッコナンとしては、消えた猫の謎を解くくらいが妥当だと思う‥‥ってことで、ヒサビサの「週刊きっこの目」で、あたしが目をつけたニュースは、コレだ。


「ゴッホの絵にネコ存在の可能性」(2008年6月16日)

ゴッホ「ドービニーの庭」の公開科学調査が15日、所蔵するひろしま美術館(広島市中区)であった。ネコの存在が論争される謎の多い絵。ネコが塗りつぶされたと考えられる部分から鉄元素を析出。鉄を成分元素とする青色絵の具プルシアンブルーでネコが描かれている可能性が高まった。吉備国際大(高梁市)の下山進教授らが微量のエックス線照射で元素を解析し、絵の具の特定を試みた。ネコの後ろ足や頭、胴体にあたると想定される5カ所で鉄元素が出たが、周辺部からは出なかった。下山教授は「探してるネコにちょっと触れたかなという感じ」と話す。調査を続け、7月下旬には隠れたネコの姿を浮かび上がらせたいという。(中国新聞)


まず、美術なんか興味ないって人のために簡単に説明しとくと、このゴッホの「ドービニーの庭」っていう絵は、世界に2枚ある。詳しく言うと3枚なんだけど、同じ構図のものは2枚だ。もちろん、両方ともゴッホ自身が描いた本物で、1枚はスイスの「バーゼル市立美術館」が所蔵していて、もう1枚が、今回の「ひろしま美術館」が所蔵しているものだ。そして、この2枚の「ドービニーの庭」は、スイスにあるほうが、実際に庭を見ながら先に描かれたもので、それをゴッホ自身がアトリエで模写したとされているのが、今回の「ひろしま美術館」にあるものだ。微妙な色合いやタッチの違いなどはあるけど、全体的な構図や細部のディティールなどは同一で、2枚を見比べれば、誰でもが「同じ絵」だと思うだろう。

G1
だけど、この2枚の絵には、たった1ヶ所だけ、決定的な違いがある。それが、左から右へと庭を横切って行く1匹の「黒猫」だ。「バーゼル市立美術館」の絵には黒猫が描かれているのに、「ひろしま美術館」の絵には黒猫がいない。そして、これには、「最初から黒猫は描かれてなかった」という説と、「一度描かれた黒猫をあとから塗り潰した」という説があったんだけど、以前、エックス線で調べた時には、黒猫を見つけることができなかった。それで、前者の説のほうが有力になりかけてたところ、今回の調査によって、後者の説の可能性が極めて高くなったのだ。だから、今回の「週刊きっこの目」では、「一度描かれた黒猫をあとから塗り潰した」という説を土台にして、「なぜ黒猫を塗り潰したのか?」という部分にポイントを置いた謎解きをしてみようと思う。

それにしても、ゴッホの絵って、今でこそ何億円、何十億円なんていう信じられない値段で取り引きされてるけど、これらはすべて、ゴッホが亡くなったあとの話であって、ゴッホが生きてる間に売れた絵は、生涯でたった1枚だけなのだ。ゴッホは、37才でピストル自殺するまでの約10年間、画家としての生活を続けたんだけど、その間に描いた油絵900点、素描1100点のうち、お客さんが買ってくれたのは、自殺する1年前に描いた「赤い葡萄畑」だけだった。

その金額は、わずか400フラン。1890年当時の貨幣価値は、1フランが現在の500円くらいなので、今の価値にすると、約20万円だ。今なら何十億円という金額がつけられるであろうゴッホの最晩年の作品としては、あまりにも安すぎる金額だけど、それまで10年間、2000点もの絵を描き続けて来たのに、評価されずに1枚も売れなかったのだから、初めて自分の絵が売れて手にした400フランは、ホントに嬉しかったことだろう。

でも、せっかくの話に水を差すようだけど、この絵を買ったのは、かつてゴッホが肖像画を描いたモデルの女性だった。だから、ゴッホと何の接点もない人が、作品を気に入って買ったってことじゃなくて、多少は「お付き合い」的な要素があったんだと思う。弟の援助を受けながら、苦しい生活をしていたゴッホに対して、ある意味、カンパみたいな気持ちがあったんだと思う。ま、その辺のことは置いといて、カンジンの「ドービニーの庭」だけど、これは、ゴッホがリスペクトしていた画家、ドービニーの別宅の庭を描いた作品で、一般的には、ゴッホの最後の作品、つまり「絶筆」だって言われている。

スイスの「バーゼル市立美術館」に所蔵されているほうの「ドービニーの庭」が描かれたのは、1890年の7月に入ってからって言われていて、完成したこの絵を模写して「ひろしま美術館」に所蔵されてるほうの「ドービニーの庭」が描かれたのは、7月20日を過ぎてからって言われている。そして、ゴッホがピストル自殺をしたのが、7月29日なのだから、「ひろしま美術館」にある、黒猫のいないほうの「ドービニーの庭」こそが、ホントの意味での「絶筆」ってことになる。

で、「なぜ黒猫を塗り潰したのか?」って謎については、迷探偵キッコナンが登場する前に、愛知県立大学美術学部の小林英樹教授が、その著書「ゴッホの遺言」(情報センター出版局)の中で、謎解きをしている。この説はNHKでも放送されたので、ご存知の人も多いと思うけど、「黒猫はゴッホ自身だ」という説だ。フランク・ザッパに説明すると、絵の具代から生活費まで、すべて弟に面倒を見てもらっていたゴッホは、弟夫婦に対して、いつも引け目を感じていた。それで、「ドービニーの屋敷から出て行く黒猫」を「弟夫婦の世話のもとを離れて行く自分」に置き換えて描き、猫のいない2枚目を描くことによって、自分が自殺してこの世を去ることを伝えた‥‥という推理だ。

まあ、小林教授の説は、2枚目の「ドービニーの庭」を「贋作」と捉えてるから、細かい部分はもっと複雑なんだけど、「黒猫」だけに関して言えば、「意図的に描かなかった」という推測を前提に自論を展開してる。そして、小林教授は、この著作で、2000年に、第53回日本推理作家協会賞の「評論その他の部門」を受賞しているから、それなりに評価された説なんだと思う。だけど、この説は、カンジンの部分が事実に反してるのだ。小林教授の説は、あくまでも「2枚目の絵には黒猫を描かなかった」ということを前提にしたものなんだけど、実際には、2枚目の絵にも黒猫は存在していたのだ。

アトリエで2枚目の「ドービニーの庭」を描き上げたゴッホは、その1週間後の1890年7月29日、突発的にピストル自殺をしてしまう。だけど、アトリエに残されていた2枚の「ドービニーの庭」には、2羽ニワトリがいた‥‥じゃなくて、両方に同じ黒猫がいた。現在、「ひろしま美術館」に所蔵されているほうの「ドービニーの庭」は、ゴッホの没後10年目の1900年にオークションにかけられているんだけど、その時の出品物を紹介するためのカタログに、この絵のモノクロ写真も掲載されていて、そこにはちゃんと猫が描かれている絵が写っている。

つまり、ゴッホは、ドービニーの庭を見ながら描いた1枚目と、その絵を見て模写した2枚目の両方に、ちゃんと黒猫も描いていたのだ。そして、2枚目の絵の猫は、少なくとも、ゴッホの没後10年目の1900年までは、ちゃんと絵の中に存在していたのだ。だから、あとから何者かが2枚目の絵の黒猫を塗り潰したことは事実だけど、それはゴッホではなく、第三者の筆によるものだということになる。

これで、小林教授の説を始め、「ゴッホが何らかの意図を持って黒猫を描かなかった」「最初は黒猫を描いたが、ゴッホが何らかの意図を持って塗り潰した」という説は、すべて崩れた。この点を指摘しているのは、大阪大学文学部の圀府寺司(こうでら つかさ)教授で、圀府寺教授は、ゴッホの没後に、エミール・シェフネッケルが黒猫を塗り潰した可能性がある、と述べている。

シェフネッケルは、ゴッホが自分の耳を切り落とすキッカケを作ったゴーギャンとも親交のあった画家で、1987年に「損保ジャパン東郷青児美術館」(当時の安田火災)が58億円で落札したゴッホの「ひまわり」も、このシェフネッケルが描いた贋作だという説もある。まあ、本物であれば、ゴッホは1フランも手にしていないのだし、贋作であれば、わずかな小遣い銭欲しさにどこかの画家が描いたのだろうし、どちらにしても、描いた本人とは無縁の場所で、無縁の人たちが、勝手に値を吊り上げているのだから、もはや芸術とはほど遠い世界のことのように感じる。

そして、1枚目の絵を見ながら模写したとされる2枚目の「ドービニーの庭」は、ゴッホの没後に、弟が、ドービニーの未亡人へとプレゼントした。そして、未亡人は、ゴッホの弟へのお礼の手紙に、「ゴッホがアトリエでこの絵を模写している様子を見ていた」ということを書き添えている。つまり、この手紙の内容こそが、この絵が「贋作ではない」ということの証明にもなっているのだ。

圀府寺教授によると、ドービニーの未亡人が亡くなったあと、この絵はオークションにかけられて、1929年に、ドイツの「ベルリン国立美術館」が所蔵することになったそうだ。でも、このころから始まったナチスによる「退廃芸術追放」という一種の「魔女狩り」のような思想統制運動の餌食になってしまい、他の多くの貴重な近代芸術作品とともに、没収されてしまった。ヒトラーは、軍国的な芸術作品以外は、すべてを「退廃したもの」「堕落したもの」として、没収して焼き払っていたのだ。

もちろん、これは、ナチスの十八番の「表向きの理由」だ。実際には、自分たちの行なう「暴力による略奪」に、それらしい大義名分をぶらさげただけで、目的は、裕福なユダヤ人たちを殺したり強制収容所送りにして、金品や価値のある美術品を略奪することだった。だから、本当に価値のある美術品は、たとえ「退廃芸術」のジャンルだと判断されても、ナチスの資金源として大切に保管され、決して焼かれることはなかった。

イギリスの「BBC」の2008年2月20日付の記事、「Looted art seeks owners in Jerusalem.(略奪された美術品はエルサレムで持ち主を探している)」には、1933年から1945年の間に、ナチスがユダヤ人から略奪した膨大な美術品の数々を元の持ち主に返還するために、イスラエルの「エルサレム博物館」に資料の展示を始めたことが伝えられている。そして、この記事の中には、当時の凄惨な様子をうかがい知ることができる、いくつもの記述がある。


「ナチスがユダヤ人から略奪した絵画は数十万点にものぼり、彫刻などの美術品も入れると、その数はさらに急激に増える」

「残されている資料からは、ヒトラーの誕生日に合わせて大規模な略奪が行われたことが分かる」

「若干の絵画はナチスの著名なコレクターの手に渡り、残りは保管されたり、ナチスの財源を作るために売却されたりした」

「現在、持ち主が分からずに返還できない絵画が約2000点あり、この中には、モネ、ドラクロワ、スーラなど、1点が何百万ドルもする高価な作品も含まれている」


これらの記述から当時の様子を想像すると、ナチスによって略奪された何十万点もの絵画の中の1点であるゴッホの「ドービニーの庭」が、極東の島国へと辿り着くことは、なかなか難しいと思われる。それで、この絵が、どんなふうに「ひろしま美術館」まで辿り着いたのかというと、まず始めに、この絵が、「退廃芸術」だとしてナチスに没収されたところからスタートする。そして、他の没収した絵画や略奪して来た絵画とともに、ナチスの秘密倉庫に保管されることになった。これが、1933年から1934年のことだ。

その後、1937年に行なわれた大がかりな「退廃芸術狩り」のため、数多くの絵画が秘密倉庫から運び出された際に、ヒトラーに次ぐナチスの権力者だったヘルマン・ゲーリングが、自分の小遣い銭を作るために、その絵画の山の中から、何点かの価値ある作品を持ち出して、オランダのアムステルダムの画商に売ったのだ。その中には、この「ドービニーの庭」の他に、同じくゴッホの「医師ガシェの肖像」なども含まれていた。

それから、これらのゴッホの作品は、ユダヤ人の銀行家で絵画コレクターのジークフリート・クラマルスキーが買い取った。だけど、オランダにナチスが侵攻して来たため、クラマルスキーは、一族を引き連れて、これらの絵画とともに、アメリカへと逃げたのだ。そして、クラマルスキーのコレクションの一部は、ニューヨークの「メトロポリタン美術館」に寄託されて展示されたりしつつも、少しずつオークションにかけられて、売却されて行った。そして、「ドービニーの庭」は、1974年に広島銀行が買い取り、現在の「ひろしま美術館」に展示されるようになった‥‥という流れだ。

ちなみに、1990年にオークションにかけられた「医師ガシェの肖像」のほうは、大昭和製紙名誉会長(当時)の齊藤了英が、8250万ドル(当時のレートで125億円)で競り落として話題になった。この絵は、ゴッホが描いた時には売れず、ゴッホの没後は弟が管理していたんだけど、その弟も亡くなったあとに、弟の奥さんがデンマーク人のコレクターに300フラン(約15万円)で売ったものだ。それが、7人の手を経た90年後には125億円になってしまうのだから、描いたゴッホはやっていられないだろう。

で、話を「ドービニーの庭」に戻すけど、この絵も、数奇な運命の果てに‥‥というよりは、苦難の旅路の果てに、現在の「ひろしま美術館」へと辿り着いたということになる。そして、その過程において、どこかで黒猫が塗り潰されたということになる。ここで、ようやく迷探偵キッコナンの出番になるんだけど、こんな波瀾万丈な旅路を知らされれば、考えつくことは誰でも同じだろう。そう、「贋作を装うために黒猫を塗り潰した」ということだ。

この絵が、人の手から手へと渡って行った流れを追うと、ナチスの手に渡るまでは、黒猫を塗り潰す理由が見つからない。ここまでは、少しでも価値を高めたいと思っている人たちの手を渡って来たのだから、この絵が「ゴッホの描いた本物」でなければならず、わざわざ筆を入れてオリジナルを改ざんする必要性がない。つまり、キッコナンの推理は、アムステルダムの画商から、銀行家のクラマルスキーが買い取ったあとに、ナチスの目を逃れてアメリカへと逃亡するため、もしもナチスに見つかった時のことを考えて、事前に黒猫を塗り潰しておき、贋作を装い、没収をまぬがれようとした‥‥というものだ。

でも、こうした歴史的事実を積み重ねて行く検証方法では、常に「一方向からの視点」しか働いていないために、万人が「なるほど」と思うような推論を導き出すことはできても、そこには何ら「新しさ」はない。これでは、迷探偵キッコナンに登場してもらった意味がない。キッコナンの推理の持ち味は、常人とはまったく別の角度から対象を観察し、目に見えないほどの細い糸口を見つけ、そこから大胆な推理を展開して行く手法にある。一見、理論的には破綻しているように見えても、未だかつて誰も想像しえなかったような結論に到達してこそ、「頭脳は子供でもベッドでは大人」というキャッチフレーズを欲しいままにしているキッコナンの晴れ舞台なのだ。

そして、今回の謎の原点に戻り、もう一度、最初からチェキしてみたキッコナンの脳裏には、2つの「気になる点」が引っかかった。それは、「黒猫」と「塗り潰した」という点だ。なぜ、トラ猫や三毛猫ではなく「黒猫」なのか。そして、なぜ「消した」や「削り取った」ではなく「塗り潰した」のか。この2点に目を向けた時、キッコナンの頭の中の60ワットの裸電球はパッと灯りをともし、1冊の本の表紙が浮かび上がった。

そう、エドガー・アラン・ポーの名作、「黒猫」だ。主人公の男と奥さんは、2人とも動物が大好きで、小鳥、金魚、犬などと一緒に、プルートーと名づけた黒猫を飼っていた。2人はプルートーを可愛がっていて、プルートーも2人になついていた。しかし、数年後、男はアル中になってしまい、泥酔した時に、甘えて来たプルートーのことを疎ましく思い、手元にあったナイフで、プルートーの片目をえぐり取ってしまう。そして、首に輪をかけて、庭の木に吊るして殺してしまったのだ。

それから何ヶ月かが経ち、また猫を飼いたくなった男は、行きつけの酒場から、プルートーに似た黒猫をもらって来た。その猫は、片目がなく、体つきや顔つきなども、プルートーとそっくりだった。ただ、ひとつだけ違っていたのは、全身がまっ黒だったプルートーに対して、この猫は、胸のところにだけ白い毛が生えていたのだ。この猫も男になついたんだけど、男のアル中も酷くなって来て、甘える猫をうっとうしく思うようになって来る。そして、猫の胸の白い斑点は、だんだんと大きくなり、絞首刑台の形に似て来たことから、ノイローゼになった男は、またも発作的に黒猫を殺そうとした。そして、止めに入った奥さんのことを誤って殺してしまったのだ。男は、地下室の壁に奥さんの死体を塗り込めて、証拠を隠滅した。黒猫は、どこかにいなくなっていた。

しばらくして、警察官が調べにやって来た。男は、どこにも証拠などないと余裕を見せていたが、警察官が地下室の壁の前に来た時、壁の中から唸り声が聞こえて来て、すべてがバレてしまう。警察官によって壊された壁の中から、奥さんの死体が発見され、その頭の上には、真っ赤な口を開けて唸り声を上げている黒猫が乗っていたのだ。

これが、ポーの「黒猫」のあらすじだけど、ポイントとしては、奥さんの死体を壁に塗り込める時に、壁の中に黒猫も塗り込めてしまっていた‥‥ということだ。そして、このポーの「黒猫」と、ゴッホの「ドービニーの庭」には、不思議な歴史的符合が見られる。ポーが「黒猫」を発表したのは、ゴッホが生まれるちょうど10年前の1843年なんだけど、その90年後の1934年には、初の映画化がされている。そう、これは、ゴッホの「ドービニーの庭」を「退廃芸術」だとして、ナチスが没収した年なのだ。ポーの「黒猫」が銀幕によって世に公開された年に、ゴッホの「ドービニーの庭」の黒猫は、ナチスの秘密倉庫に幽閉されたのだ。

ちなみに、ポ―の「黒猫」の名前、プルートーというのは、ローマ神話に登場する「冥府の神」の名前で、ギリシャ神話では「ハーデス」にあたる。冥王星のことを「プルトー」と言うのも同じだ。そして、この「プルートー(プルトー)」は、核兵器の原料であり人類史上最強の猛毒、「プルトニウム」の語源でもある。そう考えると、被爆地である広島の美術館に、ゴッホの「ドービニーの庭」が辿り着く過程において、どこかで黒猫が塗り潰されたというのは、もしかしたら、「二度と核兵器による悲劇を繰り返してはならない」「人類はプルトニウムを持つべきでない」という冥府の神からのメッセージのようにも思えて来る。

もちろん、これは、「ドービニーの庭」を横切っていたはずの黒猫が、ポ―の「黒猫」のプルートーと同一だという仮説の上での話だけど、ゴッホが生まれる10年も前に発表されたポ―の「黒猫」は、ゴッホに読まれていた可能性も十分にある。そして、自身の最後の作品に、「冥府の神」であるプルートーを描き入れることも、極めて自然な行為だと思う。だから、迷探偵キッコナンの導き出した推理は、「これから冥府へと向かうゴッホが、最後の作品に水先案内猫としてプルートーを描き入れた」ということと、ゴッホの没後、被爆地である広島へと巡って来る過程において、「役目を終えたプルートーがキャンバスから去って行った」というものだ‥‥ってことで、今、100年の眠りから揺り起こされようとしているプルートーに代わって、1句詠んで終わりにしようと思う。


 黒猫のまなことろとろ梅雨晴間  きっこ


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