猫の学校
あたしの想像や妄想って、どんどん連鎖してっちゃうってことは何度か書いたことがあるけど、日常的にあまりにも多いから、自分でも呆れて来ることがある。たとえば、昨日の朝、お魚たちにエサをあげるために水槽の前に行ったら、いつものように黒メダカたちが「ご飯の時間だ!」って思って、水面に集まって来た。それで、パラパラとエサをあげてると、あたしは、ナニゲに「メ~ダ~カ~の学校は~川~の~中~♪」って口ずさみ始めちゃう。まあ、ここまでは良くあることだと思うんだけど、あたしの場合は、ここから妄想がスタートしちゃう。
昨日は、「メダカの学校の先生になるのも楽しそうだけど、どうせなら猫の学校の先生のほうがいいな」って思っちゃったんだけど、その瞬間、あたしの頭の上のほうに、ポワ~ンって例の雲みたいなヤツが浮かんで、その中に映像が映し出されちゃう。普通の小学校の教室を4分の1くらいにした教室に、小さな机とイスが並んでて、そこに猫たちがキチンと座ってる。マックスやジジたちもいるし、見たことのない子たちもいて、ぜんぶで30匹くらいいる。白、黒、白黒ブチ、茶トラ、サバ、サバブチ‥‥って、いろんなガラの猫が勢ぞろいで、大きな子も小さな子もいて、ワクワクして来る。
それで、あたしは先生になってて、黒板に「1+1=」って書いて、「答えが分かる人は手を挙げて」って言う。何で「1+1=」なのかって言うと、「2」のことを「ニャー」って答えると思うからで、これが「犬の学校」だったら、「ワン」て答えてもらうために、「2-1=」って出題しただろう。で、そんなことまで考えて出題しつつも、「猫たちに向かって『分かる人』って言うのは変だよな」って心の中で思う。つまり、あたしは、「猫の学校」っていう妄想をしながら、その妄想の中で、まるで現実みたいに自問自答とかもしてるってことだ。こんなことが普通にできちゃうのも、あたしがいつも妄想ばっかしてて、妄想中も現実とおんなじに脳みそが動いてることの証明なんだと思う今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?
‥‥そんなワケで、寝てる時に見る「夢」と、起きてる時に見る「妄想」との一番大きな違いは、自分でコントロールできるかどうかってことだ。通常、夢はコントロールできないから、映画を観てるみたいに、自分は受動的に楽しんだり恐怖を感じたりする。でも、妄想は自分でコントロールできるから、常に能動的に楽しむことができる。「もしも宝クジで3億円当たったら」って考えて、アレを買ってコレを買ってって妄想したことのある人は多いと思うけど、これって、ものすごく能動的だ。たとえば、1枚でも実際に宝クジを買ってたのなら、「もしも当たったら」って考えることは「想像」になるけど、1枚も買ってないのに考えるってことは、完全に「妄想」だ。「もしも自分が絶世の美女に変身したら」って思うのと同列の、絶対にアリエナイザーな妄想だ。それなのに、「半分の1億5000万円で高級マンションを買って、5000万円でフェラーリを買って‥‥」って、ケッコー真剣に考えちゃう。
もうひとつのよくあるパターン、「もしも無人島に何かひとつだけ持って行くとしたら」ってのも、みんな、ケッコー真剣に考えちゃう。ようするに、これらは、「妄想」でもあるけど、それなりにリアリティのある「想像」でもあるし、さらに言えば、その人がどんなタイプの人なのかを調べる「心理テスト」的な要素もあるからだ。だから、現実には絶対にアリエナイザーな「もしも自分が絶世の美女に変身したら」ってのにしたって、「心理テスト」として出題されたら、自分がどうするか、ケッコー真剣に考えると思う。もちろん、これは、「妄想を楽しむ」ってことが目的じゃなくて、「心理テスト」の結果を知りたいからだ。
でも、出発点は「心理テスト」の結果を知りたいからだったとしても、「もしも自分が絶世の美女に変身したら」ってことを真剣にイメージする過程において、少なからず妄想を楽しむことになる。姿見に映った美女を見て、「これがホントにあたしなの?」って思って、感動して、いろんなドレスを着てみたり、街へ出てみたり、電車に乗ってみたり‥‥って、妄想は膨らんでく。あたしの場合なら、手始めにタカラヅカのトップスターになって、出待ちのファンたちに笑顔で手を振ってみたり、引退後にはハリウッドの映画に主演して、レッドカーペットを歩いてみたり‥‥って、ああ、妄想が止まらなくなっちゃう(笑)
‥‥そんなワケで、とっ散らかった話をサクッとマトメると、寝てる時に見る「夢」は受動的だけど、起きてる時に見る「妄想」は能動的だってワケだ。でもこれは、「一般的には」ってことで、あたしは「夢コントロール」が使えるから、ある程度なら、自分の夢のストーリーや登場人物を変えることができる。このまま進むと、例のイヤなパターンになっちゃうなって思えば、そっちへ進まないように、途中で夢のストーリーを修正することができる。つまり、あたしの場合は、寝てる時に見る「夢」も、ある程度は能動的だってことで、それとは逆に、多くの人たちが能動的な「妄想」が、あたしの場合は、すごく受動的なのだ。
で、長い前置きが、ようやくクルリンパとモトに戻るんだけど、「猫の学校」の先生になったあたしは、黒板に「1+1=」って書いて、「猫たちに向かって『分かる人』って言うのは変だよな」って思いつつも、他の言い方を思いつかなかったから、「答えが分かる人は手を挙げて」って言った。そしたら、生徒たちは、あたしの不安をヨソに、全員が元気よく手を挙げた。あたしは、どの子に答えてもらおうかと、クラス全員を見まわした。そして、「あっ!」と思った。
中には左手を挙げてる子もいたんだけど、ほとんどの子は右手を挙げてて、それが全員、こっちに「肉球」が見えてたのだ。手を挙げたら肉球が見えるなんて、当たり前っちゃ当たり前なことなんだけど、猫の肉球が大好きなあたしにとって、こんなにたくさんの肉球をいっせいに見せられたのは、初体験もいいとこだった。白い子や白黒ブチの子の肉球は淡いピンクだし、黒い子の肉球は黒いし、肉球がブチになってる子もいるし、もう、可愛くて可愛くてたまんない。全員の肉球をプニプニして回りたくなっちゃった。
とにかく、あたしは、「猫の学校」は想像したけど、みんなが手を挙げたら、あたしのほうに肉球が向くなんて、ぜんぜん考えてなかった。寝てる時に見る「夢」じゃなくて、起きてる時に見てる「妄想」なのに、こんなふうに、あたしの意図してないことが起こるのだ。「3億円をどう使おうか」とか「無人島に何を持って行こうか」とかとおんなじに、自分の脳みそで考えてストーリーを進めてるのに、この「妄想」の原作、監督、総指揮をとってるハズのあたしが、自分の作り出した映像にハッとさせられちゃうのだ。まるで、「夢」や「映画」を観てるみたいに。
だから、あたしって妄想界の宮崎駿?‥‥とかって自画自賛しつつも、あたしの妄想ストーリーは容赦なく続いてく。あたしは、一番前の席で元気よく手を挙げてた白黒ブチの子を指名する。その子は立ち上がって、「2でーす!」って答える。あたしは、「みんな言葉がしゃべれるんだ」ってことが分かって、ホッとしながら、この第1問は無事に終わったんだけど、問題なのは第2問だった。
あっ! この「問題なのは第2問」って面白いかも! 第1問も第2問も第3問もぜんぶ「問題」なのに、その中でも第2問が「問題」だなんて‥‥。でも、「妄想がどんどん連鎖してっちゃう」ってことを書いてる日記なのに、その日記自体がこんなふうにダッフンしてっちゃったら、何が何だか分かんなくなっちゃう。だから、この「問題なのは第2問」は、掘り下げたい気持ちをガマンして、ここはスルーするしかない。あっ! この「スルーする」って面白いかも!(笑)
‥‥そんなワケで、「猫の学校」の話に戻るけど、所詮は「妄想」だから、「1+1=」の次の問題は、突然、ハイレベルになっちゃう。あたしは、「植木算」と「旅人算」と「ツルカメ算」の中からどれかを出そうと思いながら、「生徒は猫なんだから、旅人算のことは旅猫算て言ったほうがいいかな?それとも、いっそのことマタタビ算にしたほうがいいかな?」なんて同時進行で考えてた。それで、「どうせなら、オリジナルでカツオブシ算なんてのを作ってみようかな?」って思って、ふと手を見ると、ナナナナナント! あたしの手にも肉球が!
あたしは、自分は人間のままで、生徒だけが猫の学校に来てるんだと思ってたのに、あたしも猫になってたのだ。だから、第1問で指名した白黒ブチの子が「2でーす!」って答えたのも、猫たちが人間の言葉をしゃべれるんじゃなくて、あたしのほうが猫の言葉を分かるようになってたってことになる。それで、あたしは、自分が猫になっちゃった驚きと、喜びと、鏡で顔を見てみたいと思う欲求と、シッポはどうなってるのか見てみたい興味とかで、頭がいっぱいになった。
だけど、目の前では、生徒たちが第2問を待ってる。「妄想」のクセして、こんな部分だけは現実味があるんだから、あたしも大変だ。それで、あたしは、自分のことは後回しにして、まずは授業を続けることにした。あたしは、黒板に、立派なカツオブシの絵を1本と、その横に、小さなカツオブシのカケラの絵を1つ描いて、こう質問した。
「この立派なカツオブシは、こっちのカツオブシのカケラよりも300円高いのですが、両方を買ったら330円でした。さて、それぞれの値段はいくらでしょうか?」
サスガに今度は、すぐに手を挙げる生徒はいなかった。みんな、空中を見たり、目をつぶったり、ノートに何か書いたりしながら、一生懸命に考えてる。中には、自分のヒゲをなでながら考えてる子もいて、あたしは、それを見て、「あたしにもヒゲが生えてんのかな?早く鏡で見たいな~」って思ってたら、後ろのほうの席の茶トラの子が、自信なさそうに手を挙げた。それで、あたしが指すと、イスから立ってこう答えた。
「立派なカツオブシが300円で、カケラのほうが30円だと思います」
あたしは、「残念! それは不正解ね。もうちょっと、よく考えてみてね」って言ってから、「う~ん、やっぱり、まだこの子たちには、カツオブシ算は難しすぎたかな?」って思ってたら、窓際の席の、頭の良さそうな女の子が手を挙げた。何で女の子って分かるのかって言うと、男の子は水色のリボン、女の子はピンクのリボンを首に巻いてるからだ。で、その女の子は、こう答えた。
「大きなカツオブシが315円で、カケラが15円だと思います。これなら、大きなほうはカケラよりも300円高くなるし、両方で330円になります」
あたしは、拍手をしながら「正解です!」って言った。みんなも拍手をして、口々に「さすが級長だ!」って言ってる。ここで、あたしは、この女の子がクラス委員長なんだってことを知った。そして、この「級長」って言い方から、この「猫の学校」が、現代じゃなくて、都会じゃなくて、宮沢賢治の世界のノリだってことがジワジワと感じられて来た。これは、あたし自身の潜在意識が作り出してる世界なんだけど、もうこの辺まで来ると、完全にあたしは「受け身」になってて、ストーリーに翻弄され始めてる。
‥‥そんなワケで、この「妄想」は、まだまだ続いてく。体育の時間もあったし、理科の実験もあったし、給食もあった。体育の時間には、離れたとこにいる2匹の猫が、シッポにロープをつないで、それを回して縄跳びをした。1匹ずつ順番に縄に入って行くんだけど、クラス全員が入ることができた。理科の実験は、紙コップと糸で糸電話を作って、みんなでお話しした。給食は、アジフライと食パンと牛乳で、みんなアジフライサンドにして食べてたので、あたしもそうした。他にも、休み時間に遊んでて、転んでスリ傷を作っちゃった子を保健室に連れてったりもした。
で、念のために言っとくけど、あたしは、朝、水槽のお魚たちにエサをあげた時から、この果てしなく長い妄想をエンエンと観続けてるワケじゃない。朝ご飯を食べたり、お化粧したり、猫たちにもご飯をあげに行ったり、ゴミ出しをしたりして、それから車を運転してお仕事に行ってって、いろんなことをしてる。じゃあ、どんなふうに妄想してるのかって言うと、いろんなことの合間にチョコチョコと観てるってワケだ。ニンテンドーDSとかで、RPGをやってるのとおんなじで、ちょっとした待ち時間とかにチョコっとやって、時間が来たらそこでセーブしとく。そして、また空き時間ができたら、その続きをする‥‥って感じだ。
だから、今回の場合なら、朝、黒メダカたちにエサをあげながら、「猫の学校」のことを妄想し始めて、「1+1=」の問題を出したあたりで、とりあえずセーブした。そして、朝の用事や仕度をしてから、車に乗って出発したとこで、妄想の続きが始まる。つまり、「猫の学校」の生徒たちに、第1問を出してから第2問を出すまでには、1時間以上のブレークがある。だからこそ、車を運転しながら、妄想の続きを始めたあたしは、「植木算」と「旅人算」と「ツルカメ算」のどれにしようかなんて考え始めちゃうし、挙句の果てには「カツオブシ算」なんてのを捏造しちゃうのだ。
そして、お仕事が一段落して、お昼ご飯を食べ始めると、また妄想の続きがスタートする。あたしの頭の上にポワ~ンって浮かんでる雲みたいなヤツの中で、その日の給食当番の子たちが、白いエプロンとマスクをして、順番に給食を配膳してる。今日のメニューは、アジフライと食パンと牛乳だ。そして、「美味しそうだな~」って思ったトタンに、あたしも妄想の中に移動して、みんなと一緒にアジフライサンドを食べ始める。実際のあたしは、1人で梅干しのおにぎりを食べてるんだけど、妄想の中のあたしは、猫の先生になって、たくさんの子たちと一緒に、アジフライサンドを食べてる。だから、すごく楽しい食事をしてるのだ。
‥‥そんなワケで、あたしの妄想は、とどまることを知らない。そして、本人が主導権を握ってる一般的な妄想とは違って、極めて受動的なあたしの妄想は、いったいどこへ行くんだか、どんな結末が待ってるのか、あたしには知るよしもない。だからこそ、激しく面白い。そこらのバカバカしい映画なんか観るよりも、遥かに楽しむことができる。そして、何よりのメリットは、イヤなことや辛いことから現実逃避できるってことだ。だから、今度は、あたしの生徒たちを連れて、バスに乗って遠足に行こうと思ってる。その時のバスは、もちろん、シートがフカフカの「ねこバス」に決まってる。だって、妄想の世界は「何でもアリ」なんだから‥‥なんて思う今日この頃なのだ。
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