ハイカラきっこが通る
ものすごく遅ればせながら、ようやく、「サクラ大戦」のアニメをぜんぶ観た。「エヴァンゲリオン」の時は、テレビ版と劇場版だけだったから、そんなに大変じゃなかったし、そんなに難しくなかったんだけど、「サクラ大戦」の場合は、OVA版が2シリーズの他に、テレビ版、劇場版、別のメンバーが出て来るパリとニューヨークのOVA版もある。それで、パリとニューヨークのは最悪につまんないから、最後のほうは「楽しみ」じゃなくて「義務」みたいな感じで観てた。その上、OVA版とテレビ版とでキャラの設定や性格が違ってたり、光武のデザインが違ってたり、ストーリー上のツジツマが合わなかったりで、これは、「機動新撰組 萌えよ剣」よりも酷かった。
まあ、もともとはゲームで、そこから作られたアニメなんだから、ツジツマが合わないのはジンジャエールなんだけど、ぜんぶを観た上であたしが感じたのは、「サクラ大戦」て、思いっきり「はいからさんが通る」の時代設定をトレースしてるってことだった。もちろん、ストーリーとかはぜんぜん違うので、パクリとは言えないけど、真宮寺さくらのお振袖と袴は花村紅緒の衣装の色違いなだけだし、花村紅緒が自転車に乗るとこも、竹刀を振り回すとこも、すべて真宮寺さくらに受け継がれてる。そして、何よりのポイントが、「少尉」だ。
「サクラ大戦」の大神一郎は「海軍」の少尉で、「はいからさんが通る」の伊集院忍は「陸軍」の少尉なので、そうした細かい部分は違うけど、「少尉に想いを寄せる」っていう基盤がソックリなのだ。そして、そう考えて「はいからさんが通る」を観直すと、伊集院少尉がシベリアに出兵して記憶喪失になるシーンでは、マリア・タチバナのシベリアの回想シーンが重なるし、他にも、数えきれないほどイメージが重複するシーンがあることに気づく。たとえば、「はいからさんが通る」のアニメのタイトルをいくつか抜粋してみると、「浅草どたばたオペラ」「命みじかく悩み果てなく」「散る花咲く花恋の花」「嗚呼!大正ろまんす」‥‥って感じで、このまま「サクラ大戦」の各話のタイトルにしても、誰も気づかないと思う今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?
‥‥そんなワケで、「サクラ大戦」を制作するにあたって、「はいからさんが通る」を参考にしたかどうかは分からないけど、あまりにも似てる部分が多すぎる。まあ、「はいからさんが通る」は「大正時代」だし、「サクラ大戦」も「大正時代」をモチーフにした「太正時代」だから、登場人物の服装や街の風景が似てるのは当然だと思うけど、それにしても、「ちょっと、これはマズイんじゃないの?」とか、「サスガにこれは偶然の一致とは言えないよね?」とかって感じる部分が多すぎる。
ただ、救われてるのが、「サクラ大戦」の場合は、電気の代わりに「蒸気」を使ってる架空の世界のお話だから、街を走る自動車も「蒸気自動車」だし、ラジオも「蒸気ラジオ」だし、すべてが蒸気で動いてるから、そうした部分が「はいからさんが通る」とは大幅に違ってる。だから、仮に、「はいからさんが通る」を参考にしたとしても、それは、服装や建物や家具などのディティールと、「少尉に想いを寄せる」って部分くらいなので、ギリギリセーフって感じがする。あとは、伊集院少尉、蘭丸、冬星と、紅緒の周りに次々と現れる美男子の嵐って設定を男女反対にすれば、花組の女の子たちに囲まれてる大神少尉って設定になるけど、男女の比率を偏らせるってのはストーリー作りの王道だから、これは参考にしたワケじゃないと思う。
で、いろいろとツジツマが合わなくても許される「サクラ大戦」とは違って、時代設定に基づいてキチンと描かれてないと都合が悪い「はいからさんが通る」のほうは、驚くほどキチンと描かれてる。サスガ、歴史に造詣が深く、取材や資料集めからネームや作画に至るまで、すべてが丁寧な大和和紀大先生の代表作だけのことはある。30年も前のマンガなのに、未だにまったく色あせてないどころか、最近のテキトーなマンガなんかとは、比べ物にならないほど水準が高い。
たとえば、タイトルにもなってる「ハイカラ」って言葉だけど、この言葉が流行してたのは、明治30年代から大正中期までで、大正末期には廃れてた。だから、このマンガが、おんなじ大正時代でも、中期から末期を舞台にしてたら、「すでに廃れてる流行語を使ってる」ってことになってた。でも、こうした設定をキチンとやる大和和紀大先生は、そんなミスはおかさない。紅緒は明治34年の生まれで、最初に登場した時は17才って設定だから、大正6年からのストーリーってことになる。つまり、「ハイカラ」って言葉が、もっとも流行してたころのお話なのだ。
ちなみに、この「ハイカラ」ってのは、「ハイ・カラー(高い襟)」が語源の造語だ。軍人の軍服以外は、まだまだ和服が主流で、洋服を着ることが珍しかった時代に、さらに高い襟の洋服を着るってことは、「西洋の文化をいち早く取り入れてる人」「すごく進んでる人」ってことだった。そして、それが転じて、たとえば紅緒のように和服を着てても、当時は女性が乗ることが珍しかった自転車に乗ったり、それまでのニポン女性としてのタブーを平気で破っちゃうような女の子は、立派な「はいからさん」だったってワケだ。
‥‥そんなワケで、この「ハイカラ」って言葉が、いつころまで流行してのかっていうと、さっきも書いたけど、大正時代の中期までだ。そして、大正末期には、まだ言葉自体は使われてたけど、それは流行語として使われてたんじゃなくて、流行に鈍感な一部の人たちが、もう廃れてることに気づかずに、周りを寒くさせながら使ってたって感じだったようだ。女子高生が誰も「チョベリバ」なんて言わなくなったころに、サラリーマンが得意顔で「チョベリバ」を連発して周りを寒くさせてたような感じなんだろう。このことは、明治23年生まれの小説家、岸田國士(くにお)が、大正15年に発表した「ハイカラといふこと」というエッセイの冒頭で、次のように書いてる。
近頃の若い人達は、もうこんな言葉は使はないかもしれないが、それでも、言葉そのものは、まだなくなつてはゐない。「あの男はハイカラだ」といへば、その男がどういふ風な男であるかは問題ではなく、寧ろ、さういふことをいふ人間が、どんな人間であるかを知りたいほどの時代になつてゐるのかもしれない。
この一節を読めば分かるように、大正15年の時点では、流行に敏感な若者は、もう「ハイカラ」なんて言葉を使わなくなってた。そして、まだ「ハイカラ」という言葉を使う人はいたけど、それは、流行に鈍感な一部の人くらいで、使った人のほうの見識を疑う‥‥とまでは言ってないけど、そんなニュアンスのことを言ってる。ちなみに、この岸田國士は、岸田今日子のお父さまで、岸田森のおじさんにあたる人だ。こんな解説をしちゃうと、岸田今日子と岸田森が親戚同士で共演してた「傷だらけの天使」を思い出しちゃうけど、今は2人とも故人だと思うと、時の流れを感じたりもする。
で、話はクルリンパと戻って「ハイカラ」だけど、「チョベリバ」から「チョベリグ」が生まれたように、流行語ってものは、大流行すると類似語が生まれる場合が多い。そして、この「ハイカラ」からも、「バンカラ」って言葉が生まれたのだ。漢字で書くと「蛮カラ」ってワケで、「野蛮」の「蛮」だ。つまり、オシャレな「ハイカラ」に対して、流行などまったく気にもしない野蛮で粗野な人のことを「蛮カラ」って呼んで、反対語にしたってワケだ。「蛮カラ」の「カラ」は、別に「カラー(襟)」とは無関係で、単なる語呂合わせをしただけのものだったから、あとからアテ字で「蛮殻」とも書かれるようになった。それで、この言葉がどんなふうに使われてたのかって言うと、大正元年に新聞に連載された夏目漱石の小説、「彼岸過迄(ひがんすぎまで)」の中に、こんなシーンが出て来る。
「えらい物を着込んで暑かありませんか」と叔父が聞いた。「暑くったって脱ぐ訳に行かないのよ。上はハイカラでも下は蛮殻なんだから」と千代子が笑った。高木は雨外套(レインコート)の下に、直に半袖の薄い襯衣(シャツ)を着て、変な半洋袴(ハンズボン)から余った脛(すね)を丸出しにして、黒足袋(くろたび)に俎下駄(まないたげた)を引っかけていた。
ぜんぶ説明すると長くなっちゃうので、このシーンだけを説明するけど、これは海辺の岬のとこでの会話だ。アメリカ帰りの高木が、アメリカだと女性の前でだらしないカッコができなくて大変だったけど、ニポンに帰って来たらどんなカッコでも文句を言われなくてラクチンだってことで、こんなカッコで海までやって来たってワケだ。で、この文脈から分かるのは、オシャレのことを「ハイカラ」、オシャレに無頓着なことを「蛮殻」って言って、完全に反対語として使ってるってことだ。つまり、この「バンカラ」って言葉が生まれた当初は、決して「男らしい」とか「カッコイイ」とかって意味じゃなくて、「ダサイ」とか「下品」とかって意味で使われてたのだ。だけど、前出の岸田國士の「ハイカラといふこと」の中には、次のような記述がある。
便宜上、「蛮カラ」といふ言葉をもつて来よう。この言葉は、たしかに、「ハイカラ」の正反対を指すものである。よい意味にも、悪い意味にも、――いや、この言葉は、それほど悪い意味に使はれてゐない。寧ろ、「ハイカラ」を軽蔑する場合に、「蛮カラ」がいかに昂然とその「美風」を誇つてゐることであらう。素朴、恬淡、磊落(らいらく)、質実、剛健、超俗‥‥等々の美点にさへ似たものであるとされてゐる。それはそれでいい。「蛮カラ」とは、何れにしても、細節に拘泥せず、我武者羅であり、悪くいへば「野暮」であり「殺風景」であるが、時として、それを知りながら、わざとさうであることを努める。弊衣破帽、辺幅を飾らざる東洋豪傑趣味である。
‥‥そんなワケで、これは、まさしく、現在の「バンカラ」の意味そのものだと思う。つまり、大正元年の夏目漱石の「彼岸過迄」では、単に「オシャレに無頓着」って意味で使われてた「バンカラ」が、それから15年後の大正末期までの間に、ジョジョに奇妙に解釈が変化してったって考えるのが妥当だろう。そして、「バンカラ」の意味が、単なる「ダサイ」から、岸田國士の言うような「質実剛健」で「東洋豪傑趣味」へと変化するに従って、それまでは最先端のオシャレさんを指してた「ハイカラ」のほうは、「キザ」とか「軽薄」とかっていうマイナスの意味でも使われるようになってったってワケだ。
その結果、最初に生まれた「ハイカラ」のほうが先に廃れてしまい、オマケで生まれた「バンカラ」のほうが、後まで生き残ることになった。昭和初期には使われなくなった「ハイカラ」とは逆に、「バンカラ」は、小説やマンガ、アニメなどの世界で生き続けて来た。たとえば、「ハリスの旋風(かぜ)」の石田国松とか、「夕やけ番長」の赤城忠治とか、「男一匹ガキ大将」の戸川万吉とか、「嗚呼!花の応援団」の青田赤道とか‥‥って、青田赤道はリトル路線が違うけど、とにかく、こうしたジャンルの人たちだ。
そして、一風変わったとこでは、女装してセーラー服を着てるけど「バンカラ」な、「おいら女蛮(スケバン)」の女蛮子(すけ ばんじ)なんてのもいる。どんなに男っぽくても、性別が女性だと「バンカラ」とは呼ばないけど、「おいら女蛮」の場合は、「バンカラ」な男の子が、ある事情で女学園に通うことになる‥‥って設定のマンガだから、天才、永井豪大先生は、最初から、「バンカラと言えば学ランがトレードマークだから、あえてそれをセーラー服でやってみよう」って発想でスタートしたんだと思う。
とにかく、「バンカラ」の基準は、まずは「男性」であること、基本的には「学ラン」を着てること、ケンカはするけど曲がったことは大嫌いで、広い目で見ると正義の味方の部類に入ること、あとは、恋愛には純情で、恋愛よりも友情を大切にするとか、そんな感じのジャンルを「バンカラ」って呼ぶようになった。まあ、ヒトコトで言えば、「漢」て書いて「おとこ」って読ませるようなノリの世界なんだと思う。
そして、それをキチンと箇条書き的にマトメたのが、かまやつひろしの「我が良き友よ」だろう。まあ、作詞したのは吉田拓郎だけど、「下駄を鳴らして奴が来る、腰に手拭いぶらさげて、学生服に染み込んだ、男の匂いがやって来る」っていう出だしの歌詞から、「下駄」「手拭い」「学生服」っていうファッションアイテムが明確になってるし、「古き時代と人は言う、今も昔とオレは言う、バンカラなどと口走る、古き言葉と悔やみつつ」って歌詞から、かまやつひろしが歌ってた、30年以上も前の昭和50年当時でさえ、すでに「バンカラ」が懐古趣味的な絶滅危惧種だったってこともうかがえる。
‥‥そんなワケで、「ハイカラ」から派生した「バンカラ」って言葉は、結果として、もともとの「ハイカラ」よりも生き長らえたワケだけど、「ハイカラ」のほうはと言えば、昭和後期になって、大正時代を振り返る時のキーワードのひとつとして多様されるようになった。それが、大和和紀大先生の名作、「はいからさんが通る」であったり、小泉今日子の「渚のはいから人魚」であったりしたワケだ。ま、この時代の小泉今日子の場合は、小泉今日子の後ろの人たちが、「ヤマトナデシコ七変化」だの「艶姿ナミダ娘」だのって、深い考えもなしに「ちょっと前の和風のキーワードを使う」っていう安易な手法を乱発してただけだけど。
そして、この「ハイカラ」が「大正ロマン」を象徴する流行語だとすれば、モダンボーイを略した「モボ」、モダンガールを略した「モガ」は、昭和初期の「昭和モダン」を象徴する流行語ってことになる。つまり、時代が大正から昭和へと移り変わる時には、世の中の流行も「ロマン」から「モダン」へと変化してったってワケで、これは、漠然とした「西洋文化への憧れ」から、「最新のものを取り入れる」ってことに価値観が変わったからだと思う。簡単に言えば、独特の味わいがあるのが「大正ロマン」で、新しくて便利だけど深みがないのが「昭和モダン」てとこだろう。だから、あたしとしては、やっぱ、「大正ロマン」の「ハイカラ」のほうが好みってことになる。で、最後に、ちょっと長くなるけど、岸田國士の「ハイカラといふこと」の中のとっても素晴らしい部分を紹介させていただく。
「ハイカラ」に似て、実は全く異つたものに、かの「粋」がある。これは、「ハイカラ」の幾分超国境的なるに対し、純粋に民族的なるところ、局地的なるところ、一つの著しい特長であるが、従つて、一方の進歩的、個性的なるに対し、これは保守的で、しかも常に伝統的である。故に言葉は変であるが、「日本風なハイカラ」と「西洋風な粋」があり得ることを知らなければならぬ。言ひ換へれば、ハイカラな日本趣味、粋な西洋趣味が同時に存在するのである。もう一歩進めていへば、ハイカラな西洋趣味と粋な西洋趣味とは違ふのである。ハイカラなある西洋人が好んで東洋風の趣味を漁るなどといへば、一寸をかしいが、さういふこともいへないことはない。ハイカラな家庭といへば、必ずしも、夫婦が一緒に手をつないで散歩し、子供に、「パパ」「ママ」と呼ばせ、‥‥などする家庭のことをいふのではなからう。ハイカラな文章といへば、必ずしも片仮名の英語が交り、何々するところのそれは‥‥といふやうな翻訳臭があり、などする文体を指してはゐまい。「ハイカラ」とは、気がきいてをり、あかぬけがしてをり、軽快であるばかりではない。それは常にもつとも「理知的な眼」を意味する。そこでは、常に、「溌剌たる才気」がもつとも「約(つゝ)ましい姿」を見せてゐる。「ハイカラ」とは、また、自由な均整であり、聡明な型破りであり、節度あるフアンテジイであり、要するに、一つのもつとも洗煉された反逆的精神である。「ハイカラ」が模倣と流行を敵とする所以はここにある。「粋」が陰性なるに付し、「ハイカラ」はあくまで陽性なることも注意すべきであらう。一口に「さばけて」ゐるといふが、粋な「さばけ方」とハイカラな「さばけ方」とでは、格段の差がある。
‥‥そんなワケで、あまりにも的確で、あまりにも完璧で、あたしは完全にやられちゃったワケだけど、これを読んでようやく分かったことは、「ハイカラ」って、松尾芭蕉の言ってた「不易流行(ふえきりゅうこう)」のことだったってことだ。それなら、もう20年も前から実践してることだから、あたしって、知らないうちに「はいからさん」だったんだ! やったぜ、ラッキー!‥‥とか言ってみつつも、あたしの周りには、少尉や冬星さんみたいなステキな王子様なんか1人も現れないし、蘭丸みたいな美しい男性も現れないし、それどころか、「きっこの日記R」で赤裸々に告白したような正反対の男しか現れない。だから、あたしって、自分では「ハイカラ」だと思ってても、実は「バンカラ」だったのかもしれないと思う今日この頃なのだ(笑)
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