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2008.08.12

混ぜるな危険!

夏になると食べたくなるものと言えば、辛いものか冷たいものってワケで、その代表みたいなのが、カレーと冷やし中華だ。あたしは、お肉を食べなくなったので、どっちも自分でお肉抜きのを作るしかないんだけど、ヘナチョコベジタリアンになる前は、普通にアチコチで食べてた。特に、フジテレビの社食「ラ・ポルト」のジャワカレーは大好物で、真ん中に乗ってる温泉タマゴを崩しながら、スプーンの中に「小さいカレー」を作って食べるのが大好きだった。スプーンの中に、ご飯が5、カレーが4、タマゴの黄身が1くらいの割合の「小さいカレー」を作って、パクッとひと口で食べると、何とも言えない至福のヒトトキが‥‥って、こんなこと書いてると、まだプリペイドカードの残高があるし、1日だけベジタリアンをやめて、「ラ・ポルト」のジャワカレーを食べに行きたくなっちゃう(笑)

とにかく、あたしは、カレーにしても、冷やし中華にしても、どんなお料理にしても、ひと口ずつを「小さなお料理」にしてキレイに食べるのが好きで、反対に、ぜんぶをグチャグチャにして食べてる人を見ると最悪の気分になる。カレーとご飯とをグチャグチャに混ぜて、カレー雑炊みたいにしてから食べる人とか、せっかくキレイに具が並べてある冷やし中華をお箸でグチャグチャに混ぜて、酔っ払いのゲロみたいにしてから食べる人とかを見ると、あたしはトタンに食欲がなくなる。どんな食べ方をするのも自由だけど、それは誰も見てない自宅で1人でやることであって、他の人たちも食事をしてる場所で、こうした食べ方をする人って、あたしには理解できない。

前に、「いきなり黄金伝説」の1万円で何日か生活するシリーズで、波田陽区といとうまい子のコンビがチャレンジしてたけど、とにかく波田陽区の食べ方が最悪に汚くて、人生経験の豊富ないとうまい子も、終盤にはゲンナリしてた。波田陽区は、いとうまい子がせっかくキレイに盛り付けたお料理をグチャグチャに混ぜてから食べ始めるし、さらには、口を閉じずに噛むから、食べてる間、ずっと「クッチャクッチャ」「ペッチャペッチャ」って音がしてて、ホントに気持ち悪かった。こんな汚い食べ方をする人と、向かい合って食事をするなんて、あたしには絶対にムリだと思った今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、カレーをグチャグチャに混ぜてから食べる人って、ただ単に「気持ち悪い」ってだけじゃなくて、あたしには頭も悪そうに見える。だって、普通は、ご飯とカレーとの分量を見て、最後のほうでカレーが足りなくならないように、無意識のうちに配分しながら食べてくのが当たり前だと思ってるからだ。つまり、こうした人間としての当たり前の能力が欠落してるから、最初にぜんぶをグチャグチャに混ぜないと、ご飯がいっぱい残っちゃうんだろう‥‥って思えちゃうのだ。

もちろん、これは、あたしから見たイメージだから、ホントのとこは、純粋に「グチャグチャに混ぜて食べたほうが美味しいから好き」って人もいるだろう。また、お父さんもお母さんもグチャグチャに混ぜて食べる人で、子供のこから家族そろってグチャグチャに混ぜて食べて来たから、この食べ方が人に不快感を与えるってことを知らずに大人になっちゃったって人もいるだろう。だから、その理由はいろいろだと思うけど、普通の食べ方をするあたしから見ると、激しく気持ち悪いし、オマケに頭も悪そうに見えるってことだ。

オムライスを食べる時だって、普通は、左右のどっちかの端から、スプーンでひと口ぶんを取り、スプーンの上に「小さいオムライス」を作って食べると思う。せっかくタマゴで包んであるオムライスをスプーンでグチャグチャにして、細かいタマゴの混じったチキンライスにしてから食べる人なんかいないだろう。うな重を食べる時だって、普通は、ご飯の上の蒲焼きをお箸でひと口サイズに切って、その下のご飯と一緒にお箸で持ち上げて、「小さいうな重」にして食べると思う。目の前に置かれたうな重のフタを開けて、おもむろにお箸を突き刺して、ぜんぶをグチャグチャにかき回して、残飯みたいにしてから食べる人なんかいないだろう。

これは、聞いてみたワケじゃないから、あたしの想像だけど、カレーをグチャグチャに混ぜて食べる人でも、オムライスやうな重はグチャグチャにしないと思う。で、もしも実際にそうだったとしたら、うな重の蒲焼きはご飯の上に隙間なく乗ってるし、オムライスのタマゴもチキンライスを隙間なく包んでるってことがポイントなんだと思う。そう、グチャグチャに混ぜなくても、端から普通に食べてけば、オムライスやうな重の場合は、ご飯だけが残るようなことがないのだ。

だから、あたしは、カレーに限らず、オムライスでもうな重でも何でもグチャグチャに混ぜてから食べるって人がいれば、決して一緒に食事をしたいとは思わないけど、それはその人のスタイルなんだと思うし、少なくとも頭が悪いとは思わない。だけど、オムライスやうな重は普通に食べるのに、カレーだけはグチャグチャに混ぜてから食べるって人に関しては、やっぱ、ご飯の量とカレーの量とを脳内で配分できない頭の悪い人、アトサキのことを考えたり予見したりする能力が欠落してる人、計画性がなくてサラ金とかでお金を借りそうな人‥‥ってふうに見えちゃう。

‥‥そんなワケで、あたしは、お皿の中をグチャグチャにして食べるのなんて言語道断だけど、スプーンの中もおんなじなのだ。カレーを食べる時なら、スプーンの中も「下がご飯で上がカレー」っていう「小さいカレー」になってなくちゃイヤで、スプーンの中でご飯とカレーとがグチャグチャに混ざってるのはガマンできないのだ。もちろん、ひと皿のカレーを食べ終わるまでには、何度かはグチャグチャな部分をスプーンですくって食べなきゃならないけど、それでも、できる限りは、自分の理想とする「小さいカレー」を作るように心がけてる。

これは、スプーンやレンゲだけじゃなくて、お箸を使う場合もおんなじだ。たとえば、納豆を食べる時でも、ご飯に納豆をドバッとかけて、グチャグチャにして、お茶碗のフチに口をつけて掻き込むように食べるのなんて、あたしは絶対にムリだ。あたしの場合は、ひと口ぶんだけの納豆をご飯の上に乗せて、その下のご飯をうまいことお箸で持ち上げて、「小さい納豆ご飯」にして、それをパクッと食べる。理想的なのは、お茶碗のご飯に、納豆の汁すらも残らないことだ。ようするに、あたしは、ひと口サイズのほうにもコダワリがあるけど、お茶碗のご飯を常に真っ白にしとくってことにもコダワリがあるのだ。

たとえば、お茶碗の真っ白なご飯の上に、薄塩の生タラコをチョコンと乗せて、そこにお醤油を1~2滴垂らして、それを焼き海苔でくるんで食べるとすると、「小さいタラコの海苔巻き」を作ることも重要だけど、お茶碗のご飯のほうに、タラコの1粒も、お醤油のわずかなシミすらも残さないってことも重要なのだ。だから、お醤油を垂らす時に、ツツーなんて出ちゃったりするとすべてが台無しになっちゃうので、あたしの場合は、スポイトを使ってお醤油を垂らしてる‥‥ってのはウソだけど、お小皿にお醤油を出して、ほんのちょっとのタラコにそのお醤油をつけて、それをご飯の上のタラコに乗せる。

こんなこと気にしない人から見たら、アホみたいなコダワリだと思うけど、あたしは、お茶碗のご飯が、食べ終わるまでずっとキレイじゃないとイヤなのだ。お茶碗のご飯の上に、いろんなオカズの汁が垂れたり、オカズの破片が残ってたりするのは、「その部分を食べりゃ見えなくなるじゃん!」て言われそうだけど、どうしても、あたしの美的感覚が許さないのだ。つまり、モノゴトの重要性としては、スプーンの中の「小さいカレー」や、お箸で持った「小さい海苔巻き」とおんなじくらい、お皿のほうのカレーや、お茶碗のほうのご飯も、美しくなきゃガマンできないってワケだ。

‥‥そんなワケで、こんなあたしが「最高の料理形体」だと思ってるのが、何を隠そう‥‥って、別に隠す必要はないんだけど、お寿司の「軍艦巻き」だ。子供のころ、1年に1回か2回くらい、お寿司の出前をとってもらうことがあったんだけど、自分のぶんの寿司桶の中に、いろんなお寿司が並んでて、その中に2個、軍艦巻きがあった。イクラとトビッコだ。ちなみに、高校生くらいの時に知ったんだけど、そのお寿司屋さんの軍艦巻きは、「松」だとイクラとウニで、「竹」だとイクラとトビッコだった。だから、きっこ家では、「竹」を食べてたってことになる。

他にも、「松」のトロは大トロで、「竹」のトロは中トロだったり、「松」のエビは生の甘エビで、「竹」のエビは煮たエビだったりと、いろいろと違いがあったみたいだけど、子供のころのあたしにとって、「お寿司を出前してもらう」ってのはホントに嬉しいことで、「竹」どころか「梅」であっても、ものすごく嬉しかった。

お寿司って、握り寿司なら、シャリの上にネタが乗ってる。こんなこと今さら言うことじゃないけど、ここがカンジンなのだ。そう、お寿司ってのは、1個1個が、スプーンの中の「小さいカレー」や、お箸で持った「小さい海苔巻き」とおんなじで、最初っから、ひと口サイズの小さい完成されたお料理なのだ。ちなみに、お寿司を「1貫」じゃなくて「1個」って書いたのは、1貫を「お寿司1個」としてる人と「お寿司2個」としてる人がいて、未だに両方の解釈があってまぎらわしいので、あえて「1個」って書いた。

で、お寿司の中でも、握りよりも軍艦巻きのほうが、周りを海苔で巻いてあるから、ウツワっぽい感じがして、この「小さいお料理」って感覚がアップする。だから、あたしが好きなお寿司のネタは、イカ、タコ、コハダ、イワシ‥‥って握りが多いんだけど、形体だけで言うと、なんたって軍艦巻きこそが、お料理としてのパーフェクトの形体ってことになる。だって、たったひと口で食べられる大きさなのに、下がご飯で、その上にオカズが乗ってて、それがこぼれないように海苔で巻いてあって、パクッと食べれば最高のバランスになってるなんて、こんなにもワンダホーなお料理は他にない。

特に、ウニとかイクラとかトビッコとかは、それだけじゃなくて、薄く切ったキュウリが乗ってる場合がある。当然、ウニやイクラの量を少なくするための工夫だろうけど、あたし的には、ウニやイクラの量が少なくなっても、キュウリが乗ってたほうが好きだ。食感も、味のバランスも、ダンゼン良くなると思う。タマに、回転寿司の紹介とかで、あふれるほどイクラを乗せて、軍艦巻きの周りもイクラが山になってるのを見るけど、あんなのぜんぜん美味しそうに見えない。シャリの量とのバランスを考えたら、絶対に多すぎるし、第一、ビジュアル的に汚い。

あたしが軍艦巻きを評価してるのは、小さいのに完成された美しいお料理だからであって、周りにネタをあふれさせたら、せっかくの軍艦巻きの意味がない。あたしは、軍艦巻きの海苔にご飯粒がひと粒ついてたってガッカリしちゃうくらいビジュアルにコダワリがあるから、周りにネタがあふれてる軍艦巻きなんて、グチャグチャにかき混ぜたカレーとおんなじで、とてもじゃないけど人間の食べ物とは思えない。あと、バカでかいネタを乗せた握り寿司とかもおんなじで、見た目だけで食欲がなくなる。

だいたいからして、ネタの大きさを売り物にするなんて、お寿司っていうニポンの食文化をまったく理解してないアホが考えつくようなことだ。アナゴを1匹使った握りなんて出されたら、あたしが海原雄山だったら、テーブルをひっくり返してるとこだ。最近は「デカ盛り」とかいう気持ち悪いものがブームみたいだけど、ほとんどの場合は、見た目が汚くてとても食べる気なんか起こらない。盛り過ぎて、下のトレーにまでボタボタと垂れてるカレーとか、丼に山盛りにしたご飯を両手でギューギューと固めた上にカツを乗せて、周りにダラダラと汁が垂れてるカツ丼とか、あんなもん、人間の食べ物じゃなくて、動物のエサにしか見えない。

‥‥そんなワケで、お料理ってのは、もちろん味の美味しさが一番大切だけど、見た目の美味しさだって大切だ。それなのに、せっかくキレイに作ってもらったお料理をわざわざグチャグチャにかき混ぜて、汚くしてから食べる人もいれば、こうした「デカ盛り」みたいに、最初から汚くてとてもお料理とは呼べないようなものを作ってる人たちもいる。ま、人の感性は十人十色だから、こうした人たちがいることは仕方ないけど、せめて、人の見てないとこでやって欲しいし、テレビも「デカ盛り」とか「大食い」とかを放送するのはやめて欲しい。見てるだけで食欲がなくなるから‥‥なんて思う今日この頃なのだ。


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