摂津幸彦という無意味
階段を濡らして昼が来てゐたり
これは、あたしの愛してやまない俳人、摂津幸彦の数々の名句の中で、あたしが一番好きな句だ。見れば分かるように、この句には季語がない。ようするに、五七五の「定型」だけど、「無季」ってワケで、「有季定型」を実践してるあたしの俳句とは、ジャンルの違う俳句ってことになる。
季語がないんだから、この句がどの季節の景なのかは、読み手ひとりひとりが自分の感性で自由に感じ取ればよいことで、あたしは、夏の景だと感じてる。夏の土用のころの、千葉県の房総半島の海辺の民宿だ。それも、大海に面した外房じゃなくて、内房の海沿いのクネクネ道の途中にある、宿がわずか2~3軒しかないようなマイナーで小さな海水浴場にある、古い民宿の景だ。
そして、この句の中に登場するあたしは、いつでも少女だ。小学校2年生か3年生で、水着を着てて、手には浮き輪を持ってる。水着は、水色に黄色とオレンジのお花の模様で、浮き輪は、下半分が赤くて上半分が透明で、透明の部分にウサギの絵が描いてある。両方とも、当時のあたしが使ってたものだ。
髪は濡れてるし、水着や浮き輪からポタポタと水が滴ってるから、あたしは海から上がったばかりなんだろう。そして、昼でも薄暗い木の階段を上って行くと、2階の廊下は広くて明るくて、開け放したお部屋の窓には真っ青な海と空が広がってて、父さんは海を見ながらアサヒビールを飲んでる。これが、この句から感じるあたしのイメージだ。そして、毎年、夏の土用の時季になると、何となくこの句が口をついて出て来る今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?
‥‥そんなワケで、摂津幸彦のことは、いつかキチンと書こうと思ってたんだけど、その機会がないまま今日まで来ちゃった‥‥っていうか、「いつか書こう」と思って寝かせてあるテーマの中のひとつだった。それで、何で今日、書いてるのかっていうと、メル友の石川喬司先生から、7月の終わりに届いたメールの中に、新聞で摂津幸彦の句を知ったと言って、次の2句が書いてあったからだ。
露地裏を夜汽車と思ふ金魚かな 摂津幸彦
糸電話古人の秋につながりぬ 〃
最初に挙げた「階段を」の句は、夏の土用のころのイメージなんだけど、この「露地裏」の句は、ちょうど今ころのイメージなのだ。暦の上では立秋を過ぎたけど、世の中はお盆で、子供たちは夏休み中で、まだまだ残暑が厳しい今の時季になると、あたしはこの句が頭に浮かぶ。厳密に言うと、この句には「金魚」っていう夏の季語が使われてるから、あたしの実戦してる「有季定型」だと、夏の句、つまり、立夏から立秋の前日までの間の景ってことで、どんなに暑くても、立秋を過ぎたら成立しない。だから、この句を「8月10日の景」なんて思っちゃいけないのだ。
だけど、詠んだのが季語にとらわれない摂津幸彦なんだから、鑑賞するほうのあたしだって、現代俳句のバカバカしい矛盾なんかに振り回されることはない。ようするに、「旧暦に合わせて選別された季語を新暦の現代にムリヤリに合わせる」なんていう現代俳句の矛盾なんか、無視していいってことだ。だから、暦の上で立秋を過ぎてても、あたしが「今の季節の句だ」って感じたら、その通りでいい。
もちろん、こうした「季感」だけじゃなくて、句の意味だって、読み手それぞれが自由に解釈したりイメージしたりできる。特に、摂津幸彦の句は、抽象的な表現のものが多いから、写生句よりも遥かに解釈の幅が広がる。たとえば、この「露地裏」の句にしても、ムリヤリに散文として読めば、「窓辺に置かれた金魚鉢の中の金魚が、水槽のガラス越しに外の歪んだ景色を見ていて、露地がまるで流れて行く夜汽車のように感じた」ってふうに解釈することも可能だ。
でも、これは、何でも頭だけで考えたがる理屈っぽいタイプの人の解釈であって、俳句の鑑賞とはほど遠い。絵画を見ても、音楽を聴いても、「心で感じ取る」ってことができない悲しい人の解釈だ。さっきも書いたように、俳句の解釈やイメージは人それぞれだ。だから、こんなふうに解釈する人がいても自由なんだけど、その人のことをあたしが「こんなふうにしか解釈できない人って気の毒だ」って思うことも自由なのだ。
‥‥そんなワケで、ここで少し摂津幸彦のことを説明するけど、普通、俳人の場合って、下の名前で呼ぶのが普通だ。これは、下の名前だけを俳号にすることが多いことからなんだけど、松尾芭蕉なら「芭蕉」、正岡子規なら「子規」って呼ぶし、句の下に書く名前も、下の名前だけを書くことが多い。決して、「松尾」とか「正岡」とは呼ばない。これは、現代の俳人でもおんなじだ。だけど、どういうワケか、摂津幸彦だけは、多くの人が「摂津」と呼ぶ。呼び捨てにしてるのは、摂津論を語ったりする上での便宜上のことだけど、それだけじゃなくて、うまく説明できないんだけど、「摂津」と呼び捨てにすることこそが、摂津幸彦に対するリスペクトのような意識があるのだ。
そして、さらに言えば、ホントなら「攝津」って書く。手ヘンに耳が3つの「攝」だ。だけど、この「きっこの日記」は、ケータイで読んでる人も多いし、ケータイの機種によっては、この漢字が表示されないものもあるから、仕方なく「摂津」って書いてる。
今、気づいたんだけど、さっきの「摂津論」て言い方にしても、他の俳人の場合なら、「芭蕉論」とか「子規論」とは言うけど、決して「松尾論」とか「正岡論」とは言わない。こんなふうに、その作風とか、人物像とかから、摂津幸彦は、あえて「摂津」と呼び捨てにされて、愛され、リスペクトされている。もちろん、あたしも、摂津を愛する1人だ。で、ここまでは「摂津幸彦」って書いて来たけど、今、理由を説明したから、ここからは「摂津」って書いて行くけど、摂津は、昭和22年(1947年)、兵庫県に生まれて、平成8年(1996年)に、49才という若さで亡くなった。
摂津のことを説明すると言いながら、「何で摂津と呼ぶか」ってことしか説明してないけど、略歴だの何だのは誰でも調べれば知ることができるから、あたしは、あたしにしか書けないことを書こうと思った。だけど、これだけじゃあまりにも不親切だから、もうちょっと書くと、摂津は関西大学時代に、同期生だった伊丹啓子から誘われて俳句を始めた。伊丹啓子は、「青玄」の伊丹三樹彦の娘だ‥‥って言っても、俳句を知らない人にはチンプンカンプンだろうけど、俳句をやってる人なら誰でも知ってる著名俳人だ。あたしとは方向性が正反対だけど。
で、当時の関西大学には、短歌会はあったけど俳句会がなかったので、俳句会を作りたがってた伊丹啓子に協力して、摂津は、数人の仲間と俳句研究会を作った。そして、同人誌を中心にした活動を始めて、どんどん俳句にのめり込んで行く。坪内稔典らとも同人誌を発行して、いくつかの統合や分岐を繰り返して、大井恒行らと、「俳句形式を通じ、日本語と正しく向き合い、同人それぞれの個性を尊重しつつ、自由で斬新な俳句空間の創造の場を目指す」って理念で、「俳句空間 豈(あに)」の発行へと進んだ。普通の俳句結社の結社誌しか読んだことのなかったあたしにとって、初めて手にした「豈」は、あまりにも衝撃的だった。ちなみに、これまでに出て来た人物名は、俳句をやってる人なら誰でも知ってるチョー有名人たちなので、それをひとりひとり説明してると長くなりすぎちゃうから、知りたい人は自分で調べて欲しい。
とにかく、摂津の活動のベースは、この「豈」っていう同人誌で、亡くなるまで作品を発表し続けた。摂津の句集は、昭和48年の第1句集「姉にアネモネ」を発行してから、昭和51年の「鳥子(とりこ)」、昭和52年の「與野情話(よのじょうわ)」、昭和61年の「鳥屋(とや)」と「鸚母集(おうむしゅう)」、平成4年の「陸々集(ろくろくしゅう)」、平成8年の「鹿々集(ろくろくしゅう)」の7冊だ。他にも、「姉にアネモネ」から「陸々集」までの中から自選400句をまとめた「摂津幸彦句集」ってのもあるけど、たぶん、今はほとんどが入手困難だと思う。現在、入手できるのは、1万円以上もする「全句集」とか、ワリと安価なものだと、他者による選り抜きの句集とかもある。
あたしは、もちろん、すべて持ってるし、どれも大切にしてるけど、中でも大切にしてるのが、摂津の没後3年目の1999年に、わずか700冊だけ限定で発行された「俳句幻景」っていう摂津の全文集だ。同人誌や他結社誌から月刊誌や句集に至るまで、雑文や対談から句評や帯文に至るまで、摂津が残したありとあらゆるすべての文章が、この1冊にまとめられてる。500ページもある分厚くて立派な本で、値段のことを言うのは野暮だけど、定価は7600円だ。だけど、この本を手に入れなきゃ、あたしは何のために働いてるのか分からないくらい後悔しちゃうから、ソッコーで予約して、確実にGET MY LOVE!した。
表紙の幻想的な空の写真と、数ページに渡るモノクロのグラビアは、天才アラーキーによるものだ。時代感覚がマヒするようなアラーキーの写真に、摂津の句が1句そえられていて、ひとつの世界が完成されている。ちなみに、「露地裏を夜汽車と思ふ金魚かな」の句には、場末の露地の飲み屋街に、隠れるように立ってる後ろ向きの女性の写真、「階段を濡らして昼が来てゐたり」の句には、濡れた路面に猫のマトリョーシカみたいなのが並んでる不思議な写真だ。他にも、木に縛りつけられてる和服の女性の写真とか、米兵相手の娼婦をイメージしたような写真とか、アラーキーワールドが炸裂してるんだけど、何が素晴らしいって、写真だけでも俳句だけでも表現できなかった世界観が、2つの芸術の相乗効果によって具体的に構築されてるって点だ。
まあ、グラビアはオマケみたいなもんだから、カンジンなのは中身だけど、これがもう、言葉を失うほどの素晴らしさだ。生前のすべての文章をまとめたんだから、素晴らしいのは当然だけど、入手困難な本のことを抽象的に絶賛したって意味はない。だからって、一部を抜粋するのも無意味に近いと思うから、ここらで気分を変えるためにも、あたしの好きな摂津の句を何句か紹介しようと思う。
絵画で言うと抽象画にあたるような表現の句も多いので、「露地裏」の句のとこで書いたように、頭で理解しよう、理屈で理解しようと思って読んでも、ヨケイに分からなくなったり、ムリヤリにヘンテコな世界が出来上がっちゃうだけだ。だから、鑑賞の仕方としては、まずは何も考えずにゆっくりと読んでみて、頭の中に浮かぶイメージや、心の中に共鳴する音があったら、それを糸口にして、自分のイメージを膨らませて行けばいい。
たとえば、お水を飲む時って、普通は喉が乾いたから飲むワケで、お水にコーヒーやジュースのような味なんか求めてない。求めてるのは「喉の渇きを癒す」ってことで、お水を飲んで喉の渇きがおさまれば、それでOKだ。でも、そうじゃなくて、コップに1杯のお水を用意して、目をつぶって、そのお水から何かを感じようと思いながら飲む。そうすると、口の中のお水に五感が集中して、喉を通って行く時にも、ものすごくお水の存在を感じることができる。そして、その時の感性や状況は人それぞれだから、人によっては子供のころのことを思い出したり、人によっては好きな人のことを思い出したり、いろんなイメージをお水から感じ取ることができるのだ。
変な喩えになっちゃったけど、これが抽象的な表現をしてる対象を鑑賞する時の基本的な方法だ。だから、「文字という記号によって書かれてる文章の意味を読み取ろう」なんて姿勢で臨んだら、感じられるものも感じられなくなっちゃう。何度も言うけど、研ぎ澄ますのは「脳みそ」じゃなくて「感性」だ。「脳みそで読む」んじゃなくて、「心で感じる」ってことだ。ずいぶん前置きが長くなっちゃったけど、摂津の代表句を散りばめつつ、あたしの好きな句を織り込んで紹介する。
「摂津幸彦 33句」 (きっこ選)
姉にアネモネ一行一句の毛は成りぬ
胡瓜食む水の他人となりながら
千年やそよぐ美貌の夏帽子
南浦和のダリアを仮りのあはれとす
ひとみ元消化器なりし冬青空
幾千代も散るは美し明日は三越
南国に死して御恩のみなみかぜ
物干しに美しき知事垂れてをり
露地裏を夜汽車と思ふ金魚かな
菊月夜君はライトを守りけり
みちのくのこの混沌と鼬罠(いたちわな)
首枯れてことりこ鳥子嫁ぐかな
少年の窓やはらかき枇杷の花
夜の梅机の下は夜の海
黒板が途切れてをみな屈まりぬ
聖家族背中深くに春の雲
山岳に芭蕉(バナナ)の黒きけむりかな
噛むことはよく殺すこと耳うどん
月山に真白き飯を焚き上げぬ
ぶらぶらを春の河まで棄てにゆく
階段を濡らして昼が来てゐたり
大葉子(おんばこ)を女神の滝は隠し打つ
甲は乙の丙にあらざり遠喇叭(とおらっぱ)
穴子いま穴より出づる濡れ宇宙
神はよく奈良の市場を走りけり
湯畑の小屋をとんぼが押してゐる
土砂降りの映画にあまた岐阜提灯
生き急ぐ馬のどの夢も馬
野を帰る父のひとりは化粧して
国家よりワタクシ大事さくらんぼ
麺棒と認め尺取虫帰る
一月の弦楽一弦亡命せり
荒星や毛布にくるむサキソフォン
‥‥そんなワケで、念のために書いとくけど、「月山に真白き飯を焚き上げぬ」の「焚き」は、「炊き」の変換ミスじゃなくて、あえてこの表記を使ってる。つまり、この表記から、「お焚き上げ」をイメージさせようとしてるってことだ。前出の「露地裏」の句も、「ろじ」には「路地」と「露地」の2種類の表記があるけど、どうして摂津は「露地」のほうを選択したのかってことだ。俳人は、言葉の表記ひとつを取っても、全身全霊を傾けて選択してるから、どんな漢字の表記を使ってるとか、通常は漢字で書くところをあえて平仮名で表記してるとか、すべて何らかの意図を持ってやってる。そして、それを読み取るのは、理屈じゃなくて感性なのだ。
俳句の鑑賞は、自分の感性がすべてだから、どんなふうに感じても自由なんだけど、今回みたく抽象的な作品の場合は、写生句と違って慣れない人には鑑賞しずらい。そんな時は、これはリトル反則ワザなんだけど、音楽や絵画、マンガや小説など、他のジャンルの作者や作品に、類似するイメージのものを探すといい。たとえば、「物干しに美しき知事垂れてをり」って句は、絵画で言うと「ダリ」の作品とイメージが重なる。「野を帰る父のひとりは化粧して」って句は、マンガで言うと「つげ義春」の作品とイメージが重なる。
もちろん、これは、あたしの場合だから、そう感じない人もいると思うけど、こんなふうに、他のジャンルで似た雰囲気のものがないか、見まわしてみる。文字だけ読むと意味が通じない抽象的な句、前衛的な句でも、読んだ時に感じた「漠然としたイメージ」を絵画とかマンガとか小説とか音楽とか、何でもいいから別のジャンルの中から、似たイメージのものを探してみる。そうすると、「漠然としたイメージ」が具体性を帯びて来るのだ。
「物干しに美しき知事垂れてをり」なら、この句を読んだだけだと、漠然とした景しか見えて来なかったけど、「ダリ」の世界観に似てるかも?って思ったトタンに、アベシンゾーみたいな顔でチョビヒゲの知事が、物干し竿にダラーンと干されてる絵が見えて来る。知事の隣りには、大きな時計もダラーンと垂れてて、その向こうには、足の長いゾウが歩いてたりする。こんなふうに、漠然としてたイメージだったものが、ダリの絵として具体的に見えて来るのだ。
「野を帰る父のひとりは化粧して」なら、「つげ義春」の世界観に似てるかも?って思ったトタンに、一面のススキの原を数人の父が去って行く絵が見えて来る。もちろん、つげ義春の絵のタッチだ。父たちはみんな背を向けてるのに、ナゼかその中の1人が、顔にオシロイを塗り、真っ赤な口紅をしてることが、後ろ姿から感じ取れるのだ。そして、みんなおんなじ後ろ姿なのに、どうして見えない顔の様子が分かるんだろう?って思った時に、自然と、その1人の「化粧してる父」は、父の中にある「母性」なんだってことに気づく。
そうすると、最初に感じてた「どうして父が複数なんだろう?」って疑問も氷解する。そう、「複数の父」ってのは、1人の父の中にある複数の人格だったのだ‥‥ってふうに、難解な作品を鑑賞してくことができるのだ。ホントは、こんな反則じみたコワザなんか使わずに、自分の感性だけで鑑賞すべきなんだけど、17音のみの俳句で、さらに抽象的だったり前衛的だったりすると、初心者にはお手上げになっちゃう。そして、何とか読み取ろうと、難しい文章を読む時のような姿勢で取り組んじゃうもんだから、ヨケイに左脳ばかりがフル回転を始めちゃって、何よりも大切な五感が活動停止状態になっちゃう。これじゃあ、感じられるものも感じられなくなっちゃう。
‥‥そんなワケで、摂津のことを書こうと思ってスタートしたのに、何だか、俳句の鑑賞の仕方になっちゃった。でも、何十年も俳句をやってる人でも、「摂津は難解だ」って言って近寄ろうともしない人たちもいっぱいいるし、知ったかぶりしてマトハズレなことを言ってる人も多い。そんな摂津のことを普通の俳句にも興味のない人たちに向けて書くなんて、考えてみれば、あたしって、無謀なチャレンジャーだったってワケだ。
だけど、摂津がどんな人で、どんな活動をしたのかなんてことをダラダラと書いたって、それは、あたしじゃなくても書けることだから、あんまり意味がない。摂津が、常に「自分の俳句は自己模倣の繰り返しだ」ってことに悩み続けてたとか、お酒ばっか飲んでて体を壊しちゃったこととかも、ほとんど意味がない。何故なら、俳句は「17音」がすべてだからだ。だから、摂津がどんな人だったのかってことを書くよりも、その作品を鑑賞したほうが、遥かに意義がある。
摂津の句の多くは、意味を理解しようとしても、読み取ることはできない。それは、作者である摂津自身が、言葉に意味を持たせること、俳句に意味を持たせることを疑問視しながら作句してたからだ。これは、句集「鳥子」の後書きにも書いてあるんだけど、作者自身が、意味を持たせないように、イメージが先行するように詠んだ作品に対して、意味を求めることは「無意味」でしかない。
たとえば、「麺棒と認め尺取虫帰る」のように、ちゃんと句意の分かる立派な写生句もある。だから、すべての句に意味がないワケじゃないけど、抽象的、前衛的に見える句のほとんどは、意味を持たない。つまり、作者からの「こういうふうに理解しなくちゃいけない」っていう押しつけがないので、読み手は自由に楽しむことができるのだ。だからって、作者が言葉を無責任に放り出してるワケじゃなくて、ちゃんとイメージ喚起のためのキーワードを忍ばせてくれてるから、こっちは自由に楽しんでるつもりでも、実は摂津の手のひらの上で遊ばされてることになる。嗚呼、偉大なり、摂津幸彦!
抽象的な句に対して抽象的な解説ばかりしててもヨケイに分からなくなりそうだから、ちょっと具体的なヒントを書くと、たとえば、「ぶらぶらを春の河まで棄てにゆく」って句。あたしの大好きな句のひとつだけど、俳句の鑑賞の仕方を知らない人だと、この句を読んで最初に思うことは、「ぶらぶらって何だろう?」ってことだろう。だけど、これは、対象に意味を求める「文章の読み方」であって、「俳句の鑑賞の仕方」じゃない。この句の場合は、最初に注目すべき点は、「川」じゃなくて「河」だってことと、「捨て」じゃなくて「棄て」だってこと。その次が、「夏」でも「秋」でも「冬」でもなくて「春」だってこと。これらの必然が理解できれば、「ぶらぶら」が何であるかは自然にイメージすることができて、摂津の描いた絵が見えて来るのだ。
たとえば、「一月の弦楽一弦亡命せり」って句。これは、飯田龍太の「一月の川一月の谷の中」に対するオマージュだってことに気づけば、自然とイメージが立脚して来るだろう。「夜の梅机の下は夜の海」なら、「梅」と「海」って文字がキーワードになってるし、「首枯れてことりこ鳥子嫁ぐかな」なら、「ことりこ鳥子」ってリフレインがキーワードになってるし、「聖家族背中深くに春の雲」なら、「聖家族」であることと、「を」でも「は」でも「の」でもなく「に」であることがキーワードになってる。これらのキーワードから、「その句の意味を知ろう」とするんじゃなくて、「どんなイメージが広がって来るか」ってことなのだ。
‥‥そんなワケで、「ぶらぶらを春の河まで棄てにゆく」を読んで「ぶらぶらって何だろう?」って考えちゃう人は、「噛むことはよく殺すこと耳うどん」を読んで「耳うどんって何だろう?」って考えちゃう人だ。常に理屈優先で左脳ばかりが動いてるから、いつでも「感じる」ってことが後回しなのだ。何でも、まずは意味を理解してからじゃないと、感じることができない右脳の退化した人だ。意味を持たないものに対しては、いつまで経っても感じることができない五感の鈍くなった人だ。そして、そういう人は、「階段を濡らして昼が来てゐたり」を読んでも、この1枚の絵のイメージを感じるよりも先に、「何が階段を濡らしたんだろう?」って考えちゃうから、あたしのように、子供時代への時間旅行を楽しむことができないと思う今日この頃なのだ。
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