ゆきゆきて神軍
今日、18日の午前2時40分ころに、34才の男が、皇居に向けて自作のロケット弾を撃ち込むっていうポップでファンキーな事件が起こった。深夜、皇居の近くで数回の爆発音がしたので、付近をパトロール中の警察官が駆けつけたところ、国道沿いのお濠に面した歩道にトラックを乗り上げて停めてた男がいたので、職務質問したら、自作のロケット弾を撃ち込んだって自供したそうだ。現在は事情聴取をしてて、容疑が固まり次第、逮捕するんだって。
この男は、市販の消化器の内部に火薬を詰めた自作のロケット弾を5発、トラックの荷台の発射台から皇居へ向けて撃ち込んだって自供したため、警察官が付近を調べたら、お濠を超えた約100メートル先の皇居側の土手や堀の中に、消火器ロケット弾3本が見つかったそうだ。他にも「時限爆弾をお濠に沈めた」と供述したため、警察官が調べたところ、お濠の水中から、20リットルのペール缶2本が見つかった。中には火薬が詰められてて、今朝の8時ちょうどに爆発するように時限発火装置がセットされてたため、警視庁の爆発物処理班が処理したそうだ。
それにしても、お濠ってのは、もともとは敵からの攻撃を避けるために造られてるのに、こんな夏休みの工作の延長で作ったみたいなロケット弾でも簡単に届いちゃうんなら、もう、お濠の意味がないよね。だいたいからして、こんなに危険な東京の真ん中に天皇を住まわせとくことが問題だと思う。だって、そろそろ死にかけてるってウワサの北朝鮮のバカ将軍様が、どうせ自分は死んじゃうからって、ヤケクソになって手当たり次第にテポドンを発射するとしたら、少なくとも、この東京を狙うだろう。
他の国にしたって、戦争を始めたら相手の国の中枢を狙うワケで、そんなとこの真ん中に天皇を住まわせとくなんて、こんなに危険なことはない。天皇は、このニポンの象徴なんだから、やっぱ、歴史的にもニポンの繁栄の中心だった奈良県に引っ越ししてもらって、だだっぴろい皇居は、都民のための公団住宅にしたり、都民のための低料金駐車場にしたり、都民のための公園にしたりと、たくさんの税金をむしり取られてる都民のために使って欲しいと思う今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?
‥‥そんなワケで、今回、皇居にロケット弾を撃ち込んだ男は、神奈川県相模原市在住の灯油販売業で、元自衛官だという。灯油販売業なら、消化器やペール缶は売るほどあるだろうし、元自衛官なら、火薬やロケット弾や時限発火装置なんかの知識もあるだろうし、自分の環境と知識とを生かした犯行だと言える。ただ、ひとつだけ意外なのは、犯行の動機をこう語ってることだ。
「自分は世間を騒がせようと思った愉快犯だ。今回の犯行で世の中がどういう反応を示すか見てみたかった」
あたしは、今朝、このニュースを知った時に、真っ先に頭に浮かんだのが、「ゆきゆきて、神軍」の奥崎謙三だった。だから、この犯行動機を聞いて、開いた口からエクトプラズムが出て来て、幽体離脱しちゃいそうなくらいダッフンした。だって、何の背景もない一般人が、何の思想もない秋葉原だの渋谷だので騒ぎを起こすのなら、それこそ「愉快犯」と言えるだろう。だけど、元自衛官だとか元軍人だとかが、仮にも天皇や皇居をターゲットにするんなら、そこには絶対にゆるぎない思想や決意があると思ってたからだ。
奥崎謙三は、あまりにも有名だから、今さら説明の必要もないだろうけど、知らない人のために簡単に説明しとくて、昭和天皇ヒロヒトに向けてパチンコを撃ったアバンギャルドなおじさんだ。パチンコって言っても、あたしの好きな「大海物語」とか「大夏祭り」とかじゃなくて、Yの字になってる骨組にゴムが掛けてあって、ゴムの真ん中に小石とかを挟んで飛ばすオモチャのことだ。
毎年、お正月になると、1月2日に、皇居で天皇の一般参賀ってのが行なわれる。天皇とか皇后とかが宮殿のバルコニーに登場して、集まった国民どもを高いとこから見下ろして手を振るアレだ。アレって、毎年の恒例行事なんだけど、実は、昭和38年から43年までの6年間は、中断されてた。何でかって言うと、あの天皇が登場する宮殿の全面改築工事が行なわれてたからだ。そして、6年の歳月と当時のお金で130億円、現在の貨幣価値にすると約1兆円もの血税がつぎ込まれて、ゼイタクの限りを尽くした長和殿が完成した。
で、昭和44年1月2日の一般参賀は、完成した長和殿を国民どもにお披露目するって意味もあったんだけど、7年ぶりの一般参賀ってこともあって、天皇を崇拝するジャンルの国民どもが1万5000人も集まった。そして、その中に、奥崎謙三がいた。奥崎は、バルコニー現われた昭和天皇ヒロヒトに向けて、用意してったパチンコのゴムをいっぱいに引き、パチンコ玉を発射した。1発、2発、3発と続けざまに発射して、最後に、「ヤマザキ、天皇を撃て!」って戦友の名前を叫びながら、4発目を発射した。だけど、残念ながら、どの玉も天皇には当たらず、バルコニーの下の部分に当たっただけだった。奥崎は、すぐに警察官に取り押さえられた。
‥‥そんなワケで、奥崎謙三は、大正9年(1920年)、兵庫県明石市に生まれた。家が貧乏だったため、小学校を卒業したあと、木綿問屋に丁稚奉公したりと、いくつかの店の住み込みをしながら各地を転々としてた。そして、自動車のバッテリー屋さんに就職して、ようやく生活が安定して来た20才の時に、国が始めた戦争に駆り出された。それも、すでに敗戦が決まってた激戦地のニューギニアへ送られたのだ。ニューギニア戦線の地獄絵図は、数多くの証言から知らない人はいないと思うけど、ニポン政府は食糧の供給をストップして、「死ぬまで自力で戦え!」って命令して、最後に残った千数百名の兵士たちを見捨てたのだ。
「天皇陛下バンザーイ!」って叫びながら敵陣に突っ込んで行き、蜂の巣にされて殺された者は数え知れず、何とか敵の銃弾から逃がれた者も、飢えとマラリアとで次々と死んで行き、残った者は死んだ者の体を切り刻み、人肉を食べるしかなかった。もちろん、最後まで仲間を食べることを拒み、自ら飢え死にを選択した者もたくさんいた。結局、ニューギニアでの戦争には、合計で20万人以上がニポンから送られ、そのうち生きてニポンに帰って来られたのは、1割以下のわずか2万人だった。広島の原爆以上のニポン人が、政府と天皇によって犬死にさせられたってワケだ。
そして、自分たちに前線行きを命じた国から見捨てられ、食糧も銃弾も供給をストップされ、地獄のような修羅場から生還した奥崎は、工場勤務を経て、1951年に、神戸でバッテリー屋さんを開業した。でも、その5年後、お金のトラブルで不動産業者の延原一男を殺害してしまい、傷害致死罪で懲役10年の刑を受ける。そして、10年間の満期を勤め上げて出所した3年後の1969年に、昭和天皇ヒロヒトに向けてパチンコ玉を4発撃って、懲役1年6月を服役することになった‥‥って、このまま書き続けてると、とてもじゃないけど「簡単に説明しとく」なんてレベルじゃなくなっちゃうから、ここからはザックリとハショるけど、地獄のような前線で数えきれないほどの自国民を殺した戦争責任者は天皇であるって確信してた奥崎は、このあとも人生を賭けて天皇の戦争責任を追及して行った。
そして、「天皇ポルノビラ事件」の懲役1年2月、田中角栄に対する「殺人予備罪」の書類送検、軍隊時代の上官の息子をピストルで撃った「殺人未遂罪」の懲役12年など、確固たる強い意志がなければ、とうていできないようなことを死ぬまでやり続けた。そして、何度落選しても、選挙に出馬し続けた。当選するためじゃなく、自分の主張の1人でも多くの国民に伝えるために、政権放送に出たいがために、借金をしても出馬し続けた。当時の奥崎の政権放送は、今でもYOU TUBEとかで観ることができるけど、いいか悪いか、正しいか間違ってるかは別として、「信念」ってこんなものなんだってことだけは伝わって来る。ラジオでの演説でも、「わたくし奥崎謙三は、命あってここまで来たからには、何が何でも天皇ヒロヒトを倒すつもりです。しかし相手はあまりに強大で、自分はあまりに無力です。どうかわたしくしに力を与えてほしい。」って言ってたそうだ。
‥‥そんなワケで、1998年に最後の府中刑務所を満期で出所して、その7年後の2005年に86才で亡くなった奥崎謙三だけど、あたしが思うに、この人って、自分1人じゃ何にもできないことをよく知ってたんだと思う。だから、パチンコ事件にしても、ポルノビラ事件にしても、数々の街宣活動にしても、数冊の著書にしても、映画「ゆきゆきて、神軍」のオファーを受けたことも、すべては、当選する気がない政権放送とおんなじで、目的は「1人でも多くの国民に(自分の信じてる)真実を伝えたい」っていう広報活動だったんだと思う。だって、ホントに天皇を殺そうと思ったら、パチンコなんかじゃなくて、ライフルで狙うハズだからだ。自ら大声で「ヤマザキ、天皇を撃て!」って叫んで警察官に捕まったのも、周りの人たちに自分の存在を知らせるためだったと思う。
で、この奥崎の1976年の著書、「宇宙人の聖書/天皇ヒロヒトにパチンコを撃った犯人の思想・行動・予言」(サン書店 )の中には、「楢山節考」でオナジミの深沢七郎の問題作、「風流夢譚」を全文、無断転載してる。これは、1960年に深沢七郎が「中央公論」に発表した短編で、夢の中の話を書いたものだ。だけど、ニポンに「左慾(さよく)」の革命が起きて、天皇一家が殺されるっていう内容だったので、一部の右に偏った人たちから、深沢七郎は命を狙われることになった。どんな内容なのかって言うと、こんな感じだ。
「マサカリはさーっと振り下ろされて、皇太子殿下の首はスッテンコロコロと音がして、ずーっと向こうまで転がっていった。(中略)マサカリはまた振り上げられて、こんどは美智子妃殿下の首がスッテンコロコロカラカラと金属性の音がして転がっていった。」
「昭憲皇太后は金切り声で、「なにをこく、この糞ッ小僧、八月十五日を忘れたか、無条件降伏して、いのちを助けてやってのはみんなわしのヒロヒトのおかげだぞ」とわめくのだ。」
いくら夢の中の話とは言え、いつの時代の天皇か分からないように書くならともかく、この短編には「美智子妃殿下」とか「ヒロヒト」とかの名前を使ってたから、右に偏った人たちは激怒しちゃった。そして、命の危険を感じた深沢七郎は、雲隠れしちゃう。そしたら、大日本愛国党の赤尾敏が、手下を何人も連れて中央公論社に怒鳴り込みに行った。で、右翼は恐いから、中央公論はソッコーで謝罪文を掲載して、当時の編集長を異動して、社長の嶋中鵬ニが編集長を兼任した。
でも、こんなことくらいじゃ右翼の怒りはおさまらなくて、何度も抗議を繰り返した挙句、大日本愛国党の党員で当時17才の少年だった小森一孝が、中嶋社長の自宅に怒鳴り込み、社長は不在だと言われると、勝手に家に上がり込み、刃物を振り回して、奥さんの雅子さんに大ケガを負わせ、家政婦の丸山かねさんを刺し殺した。そして、小森一孝は殺人罪で逮捕され、赤尾敏は指示を出したと見られて殺人教唆で逮捕されるも、証拠不十分で不起訴になった。これが、有名な「嶋中事件」だ。
‥‥そんなワケで、深沢七郎自身は、この「風流夢譚」を封印したみたいで、自分の全集にも納めなかった。でも、奥崎謙三が自分の著書に無断転載してるから、今でも読むことができる。そして、深沢七郎は、ホトボリが冷めるまで、長いことニポン各地を転々としてたんだけど、その時のことを「風雲旅日記」にマトメてる。普通の旅行記なら、たとえ長逗留になったとしても、自分自身はあくまでも「旅行者」であり「よそ者」なんだけど、深沢七郎の場合は、「旅行」じゃなくて「右翼の刺客からの逃亡」だから、各地を転々と旅行して回ったんじゃなくて、各地を転々と引っ越して回ったって感じなんだろう。そして、あたしの大好きな、つげ義春の「貧困旅日記」の冒頭の1編、「蒸発旅日記」は、こんな一節から始まってる。
深沢七郎の「風雲旅日記」を読むと――旅行は見物をしに行って帰ってくるのだが、私の場合は、ちょっとちがって、行ったところへ住みついてしまうのだ――というすびい旅のしかたをしているが、私も以前これと似たような旅のしかたをしたことがあった。
こんな書き出しで始まった不思議な旅行記は、現実のことを淡々と綴ってるだけなのに、あまりにも唐突で非現実的で、まるで空想の話のように思えて来る。何しろ、それなりに売れっ子だったマンガ家なのに、全財産を持って、アパートを捨てて、もう戻って来ないつもりで旅に出ちゃうのだ。それも、まだ顔を見たこともないファンレターをくれた九州の女性に会いに行って、そのまま結婚してその女性と暮らすつもりなのだ。さらには、その女性には、まだ何も話してない。
どこからどう見ても創作みたいな話なのに、これが現実の話なのだ。そして、この不思議な旅の様子が淡々と書き綴られてて、その後の通常の温泉旅行の話なんかと一緒に、1冊の旅行記としてマトメられてるんだから、やっぱ、つげ義春は偉大すぎる。ちなみに、この「蒸発旅日記」は、銀座吟八の主演で映画化もされてるんだけど、映画のほうは、原作とは大きく違う。メインストーリーはそれなりに原作に忠実なんだけど、つげ義春の独特の世界観を出すために、他のいろんなマンガ作品の雰囲気も散りばめてあるし、それが前時代の中途半端な芸術的演出によって網羅されてるから、芸術の好きな人は食傷気味になるだろうし、普通の人には退屈だと思う。ま、「ねじ式」しかり、「無能の人」しかり、つげ義春の世界を映像なんかで表現できるワケもないし、すでに完成されてるつげ義春の世界を映像を始めとした他のジャンルで焼き直す意味も皆無だから、どうでもいいことなんだけど。
‥‥そんなワケで、ずいぶんと話がダッフンしちゃったけど、あたしが小学校の時に、ずっと女手ひとつで母さんのことを育てて来たおばあちゃんが、寝たきりになった。そして、あたしが中学に上がった時に、おばあちゃんは亡くなったんだけど、亡くなる間際におばあちゃんが泣きながら言った「○○さん(おばあちゃんのダンナさんの名前)は、天皇に殺されたんだよ‥‥」って言葉が、今もあたしの耳に焼きついてる。だから、見る人が見れば頭のおかしい人のように感じる奥崎謙三かも知れないけど、あたしには、あたしが生まれるずっと前に、国が始めた戦争で殺されたおじいちゃんのぶんも、何万、何十万ていう国の犠牲者たちのぶんも、たった1人で代弁してくれた人のように思える。自分の立場や利益だけで、数えきれないほどの戦争犠牲者を利用してる自民党のクズ野郎どもとは違って、ホントに戦争犠牲者のことを考えてたのは、自身も地獄を見て来た奥崎謙三だけなんじゃないかって思える今日この頃なのだ。
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