真っ赤な曼珠沙華
今日は「秋分の日」だった。つまり、今日は、お彼岸のお中日だったワケだけど、皆さん、ご存知のように、お彼岸は年に2回ある。「春分の日」をお中日にして、その前後3日の1週間が「春のお彼岸」で、今日の「秋分の日」をお中日にして、その前後3日の1週間が「秋のお彼岸」だ。そして、これは前にも書いたと思うけど、おんなじ食べ物なのに、春のお彼岸の時季には牡丹(ぼたん)が咲くから「ぼたもち」、秋のお彼岸の時季には萩(はぎ)が咲くから「おはぎ」って名前に変わる。
で、最初は、便宜上「春のお彼岸」て書いたけど、正確には、春は単なる「お彼岸」て言って、それと区別するために、今の時季のお彼岸を「秋のお彼岸」とか「後(のち)のお彼岸」て言うことになってる。だからって、北海道で獲れる貴重な「シシャモ」に対して、全国のスーパーや居酒屋さんに出回ってるシシャモの代用品の「カペリン」のことを「カラフトシシャモ」って呼ぶのとはワケが違う。シシャモの場合は、本物と偽物ってことだけど、お彼岸の場合は、春も秋も本物だからだ。
それなのに、「お彼岸」が春のお彼岸を指すことから、「彼岸会(ひがんえ)」「彼岸参(ひがんまいり)」「彼岸の入り」「彼岸明け」「彼岸寺」「彼岸前」「彼岸後」「彼岸団子」など、他にもいろいろあるけど、「彼岸」て言葉がつく季語は、ぜんぶ春のお彼岸のことになっちゃってる。その上、「お中日」って季語も、これだけだと春のお彼岸のお中日を指すことになる。他にも、お彼岸のころの海の潮を指す「彼岸潮」も、お彼岸のころに吹く西風を指す「彼岸西風(ひがんにし)」も、お彼岸のころに獲れる河豚(ふぐ)を指す「彼岸河豚」も、ぜんぶ春のお彼岸の季語になっちゃってる今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?
‥‥そんなワケで、春のお彼岸と区別するために、今の時季のお彼岸の場合には、必ず「秋」とか「後」をつけなきゃなんない。たとえば、今日のことを「お中日」って季語を使って俳句に詠む場合には、必ず「秋のお中日」って言わないとダメなのだ。1年に2回もあるお彼岸なんだから、こうしなきゃ区別できないって理屈は分かるけど、俳句はぜんぶで17音しかないんだから、「あきのおちゅうにち」なんて8音もある季語を使ってたら、季語だけで半分も埋まっちゃって、使える音数が少なくなっちゃう。他の季語にしても、いちいち「秋の」をつけなきゃなんないから、すべてにおいて3音も少なくなっちゃう。これは、世界最短詩形の俳句としては、なかなかヤッカイな問題だ。
ここで注目して欲しいのが、さっきの「ぼたもち」と「おはぎ」だ。お彼岸に食べるまったくおんなじ食べ物なのに、春には「ぼたもち」で、秋には「おはぎ」って呼び名が変わる。つまり、この「ぼたもち」と「おはぎ」みたく、春を「お彼岸」と呼ぶのなら、秋は別の名前にしちゃえばいいってことだ。ちなみに、このお彼岸の「彼岸」てのは、煩悩にまみれた俗世間の人間いる世界を「此岸(しがん)」て呼ぶのに対して、悟りをひらいた仏さまとかがいる世界を「彼岸」て呼んでる。だから、意味的にムリがなければ、春を「お彼岸」て呼ぶのに対して、秋を「お此岸」て呼んじゃえば、語呂もそろって「いい感じ」なんだけど、これじゃあ本末転倒になっちゃう。
だからって、「お波岸(はがん)」とか「お保岸(ほがん)」とか、テキトーに新しい呼び名を作ったとしても、もともとの正式な「お彼岸」て呼び名を春のほうに充ててる以上、どうしても秋のほうはマイナーなイメージになっちゃう。つまり、この「ぼたもちとおはぎ作戦」を決行するためには、もともとの「お彼岸」て呼び名を完全に廃止した上で、春のお彼岸のことを「お春岸(しゅんがん)」、秋のお彼岸のことを「お秋岸(しゅうがん)」とかって呼ぶようにしないと公平にはならない。これが、あたしの悲願(笑)なんだけど、現実的には100パー不可能だ。
‥‥そんなワケで、春の「お彼岸」に対して、今の時季は「秋のお彼岸」て呼ばなきゃならないことに不満があったあたしだけど、ダテに20年以上も俳句をやって来たワケじゃない。わざわざ新しい呼び名なんかを考えなくても、従来の季語で、「秋の」をつけなくても、今の時季を表現できる「彼岸」の季語があったことを思い出したのだ。それは、「彼岸花」だ。これなら、今の時季に咲くワケだし、逆に春には咲いてないから、「秋の」なんてつけなくても、「彼岸花」だけでちゃんと秋の季語になる。「彼岸会」も「彼岸寺」も「彼岸潮」も「彼岸河豚」も春の季語なのに、「彼岸花」だけは秋の季語なのだ。
「彼岸花」は、別名「曼珠沙華(まんじゅしゃげ)」とも言うけど、他にもいろんな呼び名がある。だけど、「死人花(しびとばな)」、「地獄花」、「幽霊花」、「捨子花(すてごばな)」って、どれも不気味で不吉な呼び名ばかりだ。他にも、「剃刀花(かみそりばな)」、「狐花(きつねばな)」、「天蓋花(てんがいばな)」って、個性的な呼び名が多い。あとは、他のお花と違って、葉っぱがぜんぶ落ちてからお花だけが咲くため、「ハミズハナミズ」なんて呼び名もある。これは、「葉見ず花見ず」ってことで、葉っぱの時季にはお花が見られず、お花の時季には葉っぱが見られずってことだ。「ハッカケババア」なんて呼び名もあるんだけど、これは、「お花の時季には葉っぱが見られず」ってことから、「歯欠け婆」の「歯欠け」を「葉欠け」にカケてるってワケだ。
で、お花の名前に限らず、鳥の名前でも昆虫の名前でも何でも、俳句の季語として使う場合には、何よりも気をつけなきゃならないことがある。それは、季語と描写とが似たようなイメージを持ち過ぎてると、おんなじことを繰り返してるみたいな感じになっちゃって、しつこくなるってことだ。これを俳句用語で「ツキスギ」って言って、漢字だと「即き過ぎ」って書くんだけど、今どきの言い方にすれば、季語と描写とが「くっつきすぎ」ってことだ。
たとえば、競馬のナイトレースで万馬券を当てて、ガッポリと儲かったとする。それで、札束をポケットにねじ込んで飲み屋さんへ向かったら、歩道の街灯の周りをコガネムシがクルクルと飛んでたとする。で、「万馬券あててくるくる黄金虫」なんて詠んじゃうと、これは完全に「ツキスギ」だ。競馬で大金が儲かったことと、「黄金の虫」って書く上に「コガネムシは~金持ちだ~♪」って歌もある「黄金虫」とは、イメージが近すぎるからだ。
だから、「彼岸花」の場合には、誰でもすぐに「お彼岸」を連想しちゃうから、お墓参りに行ったことなど、お彼岸に行なうことと取り合わせると、「ツキスギ」になっちゃう。ご先祖さまのことや亡くなった人の思い出なんかも、「ツキスギ」になっちゃって、俳句的には激しくNGになっちゃう。つまり、せっかく「秋の」をつけなくても秋のお彼岸に使える季語だと思ったのもトコノマ、「彼岸花」って季語を使うと、お彼岸のことは「ツキスギ」で詠めないってワケだ。だから、まずは、著名俳人たちが、どんなふうに「彼岸花」って季語を使ってるのか、チョコっと見てみよう。
どこそことなしに一気や彼岸花 深見けん二
額縁のやうに棚田の彼岸花 伊藤照子
彼岸花にも芋虫の這ひ移る 岸本尚毅
彼岸花水かがやきて運ばるる 富田直治
彼岸花我泣けば猫ひざに来て 川口咲子
最初の句は、一気に咲き始めた彼岸花そのものを詠んでるし、2句目も彼岸花の咲いてる景を詠んでる。そして、3句目も、焦点は芋虫にあててるけど、彼岸花自体のことも詠んでるから、ここまでは問題ない。だけど、4句目と5句目は、「彼岸花」って季語と、別の描写との取り合わせの句だから、「ツキスギ」に気をつけなくちゃならない。で、4句目は、キラキラとした秋の日差しが感じられる描写だから、「お彼岸」とは「ツキスギ」になってない。でも、最後の句は、作者が泣いてる。これって、故人を偲んでるみたいな感じで、ナニゲに「お彼岸」とは「ツキスギ」っぽい。
でも、バカボンのパパじゃないけど、これでいいのだ。この句の季語が「彼岸花」じゃなかったとする。そしたら、この作者が何で泣いてるのか、読み手にはまったく分かんなくなっちゃう。たとえば、「チューリップ我泣けば猫ひざに来て」とかだと、作者が何で泣いてるのか、何のヒントもないから、まったく分かんないのだ。あまりにもトートツすぎて、この句の景がイメージできない。だけど、「彼岸花」なら、季語と描写とがソコハカとなく響き合ってて、何となく景が見えて来る。もちろん、故人を偲んで泣いてたワケじゃなくても、それは関係ない。大切なのは、舌足らずな描写に対して、季語がイメージを立脚させるためのフォローをしてるってことなのだ。
だけど、この「彼岸花」って季語は、「彼岸」て言葉が入ってるから、「ツキスギ」に気をつけなくちゃならなくて、俳句には使いにくい。その点、おんなじお花でも、「曼珠沙華」のほうならワリと使いやすい。この辺が俳句の面白いとこで、1つのものに複数の呼び名がある場合には、ある呼び名だと「ツキスギ」になっちゃうのに、別の呼び名を使えば「ツキスギ」を回避することができちゃう場合もあるのだ。たとえば、こんな句がある。
葬人歯あらはに哭くや曼珠沙華 飯田蛇笏(だこつ)
この句の季語が、もしも「彼岸花」や「死人花」だったとしたら、「葬人(ほふりびと)」って言葉と「ツキスギ」になっちゃう。だけど、おんなじお花のことでも、「曼珠沙華」にしたから、季語と描写との距離が少し離れて、「ツキスギ」を回避しただけじゃなくて、独特の世界観を生み出してる。そして、蛇笏の息子の龍太は、死と生とを逆転させて、「死人花」「地獄花」「幽霊花」とも呼ばれる「曼珠沙華」に、生命の輝きを見出してる。
露の村いきてかがやく曼珠沙華 飯田龍太
この龍太の句にしても、もしも「彼岸花」や「死人花」だったとしたら、「いきてかがやく」って描写と、季語の持ってる「死」のイメージとが、意味としては正反対でも、結局は1つのモノゴトの表と裏ってことで「ツキスギ」になっちゃうのだ。つまり、「彼岸花」をはじめとした他の呼び方には、「生」や「死」を連想させるイメージが貼りついてるけど、「曼珠沙華」って呼び方だけは、ちょっと距離があるってことになる。だから、純粋な写生句を詠む場合には、この「曼珠沙華」って呼び方こそが、一番適してるのだ。純粋な写生句を詠んでも、そこに「彼岸花」って季語を置いちゃうと、読み手にヨケイなイメージまで与えちゃうってことだ。
‥‥そんなワケで、ここからは「曼珠沙華」を詠んだ写生句を紹介して行く。
つきぬけて天上の紺曼珠沙華 山口誓子
曼珠沙華天のかぎりを青充たす 能村登四郎
曼珠沙華青空われに殺到す 奥坂まや
この3句は、どれも、近くの「曼珠沙華」と、遠く澄み渡った「秋の空」とを取り合わせて、遠近法によってその広さを表現した句だ。誓子と登四郎は2人とも明治の生まれで、登四郎のほうが10才くらい後輩だけど、ほぼ同時期に活躍した。そして、奥坂まやは、現代の俳人だ。誓子が真上に突き抜けさせた秋の空に、登四郎が真っ青な絵の具を充たし、その青があとを行く奥坂まやへと降り注いで来る。そして、この世代を超えた同軸上の景がゆるぎないのは、曼珠沙華の赤が、空の青を引き立たせてるからだ。
四方より馳せくる畦の曼珠沙華 中村汀女
ふるさとのどの畦行かむ曼珠沙華 細見綾子
曼珠沙華祭の杜に畦つなぎ 茨木和生
この3句は、どれも、「畦(あぜ)」に咲く曼珠沙華を詠んでる。曼珠沙華は、根や茎に毒があるので、畦に植えると、モグラや野ネズミが畦に穴を掘らなくなるそうだ。他にも、曼珠沙華の根が張って、崩れやすい畦を補強してくれる役目もあるそうだ。で、汀女と綾子は2人とも明治生まれの女流俳人で、これまた10年くらい綾子のほうが後輩だけど、ほぼ同時期に活躍した。そして、茨木和生は、現代の俳人だ。畦が交わる十字路に立った汀女が四方の曼珠沙華を詠めば、綾子が故郷への郷愁を詠い、こうした過去からの景を茨木和生が今も残る秋祭りへとつなげて行く。
曼珠沙華消えたる茎のならびけり 後藤夜半
曼珠沙華不思議は茎のみどりかな 長谷川双魚
ただ立てる緑の茎や曼珠沙華 岩田由美
葉っぱがなくて、まっすぐな茎のてっぺんに真っ赤な花が咲く曼珠沙華は、その花が散ってしまうと、緑の茎だけが残る。俳人なら、誰もが目を向ける部分だ。夜半と双魚の2人も、今までと同じく明治生まれの俳人で、ほぼ同時期に活躍した。そして、岩田由美は、現代の俳人だ。いっせいに花が散って、まっすぐな茎だけが並んでる不思議な景に対して、「不思議」という主観を削ぎ落して客観写生したのが夜半なら、植物の茎が緑だという極めて当り前のことを「不思議」と捉えた双魚であり、この2人の対極的とも言える目に晒されて来た「花の散った曼珠沙華」が、何事もなかったかのように眼前に存在している様子を切り取ったのが岩田由美だ。
‥‥そんなワケで、ここまで3つのパターンの写生句を紹介したけど、どのケースも、句意だけを見れば、それぞれの3句がとても似てるように見えると思う。だけど、17音の向こう側の世界まで視野を広げると、それぞれのケースが三者三様に、まるで違った視点を持ってることが分かると思う。これが写生句の面白さであり、深さなのだ。
だから、最初に挙げた5句のように、「彼岸花」っていう特定のイメージを持った呼び名で詠むのも一興なんだけど、あたしが実戦してる客観写生の世界だと、どうしても「曼珠沙華」って呼び名のほうが、より主観を介在させない句を詠むことができるってワケだ。何でかって言うと、「彼岸花」や「死人花」をはじめとした数々の呼び名は、どれも人間の先入観によって名づけられたもので、この植物自体は、別に不吉でも何でもないからだ。たとえば、可愛らしい「チューリップ」に、その形から「人食い花」なんて和名をつけたりしたら、それだけでイメージが大きく変わっちゃうと思う。「死人花」や「地獄花」、「幽霊花」や「捨子花」なんてのは、これとおんなじことなのだ。
斉藤茂吉は、この花の美しさに早くから気づいてた歌人の1人で、「曼珠沙華」っていう短編エッセイの中で、こんなことを書いてる。
「一体この花は、青い葉が無くて、茎のうえにずぼりと紅い特有の花を付けているので、渋味とか寂びとか幽玄とかいう、一部の日本人の好尚からいうと合わないところがある。そういう趣味からいうと、蔟生している青い葉の中から、見えるか見えないくらいにあの紅い花を咲かせたいのであろうが、あの花はそんなことはせずに、冬から春にかけて青々としてあった葉を無くしてしまい、直接法に無遠慮にあの紅い花を咲かせている。そういう点が私にはいかにも愛らしい。勿体ぶりの完成でなくて、不得要領のうちに強い色を映出しているのは、寧ろ異国的であると謂うことも出来る。」
「この花は、死人花、地獄花とも云って軽蔑されていたが、それは日本人の完成的趣味に合わないためであっただろう。正岡子規などでも、曼珠沙華を取扱った初期の俳句は皆そういう概念に囚われていたが、『ずずだまの小道尽きたり曼珠沙華 子規』 晩年にはこの句位に到達して居る。これは子規は偉かったからである。」
‥‥そんなワケで、あたしの住んでるマンションから、チョコっと歩いて多摩川に出て、下流に向かってのんびりと歩いて行くと、いつもは緑一色の土手に、ポツリポツリと真っ赤な曼珠沙華が見えて来る。ちなみに、「緑一色」ってのは、当然「みどりいっしょく」であって、間違っても「リューイーソー」じゃない。でも、麻雀で「緑一色」を狙ってて、あと一歩のとこでドラの赤ウーピンがトイツになっちゃったりしたら、ナニゲに、土手の真ん中に曼珠沙華が咲いてる景色みたいにも見えそうな気がする今日この頃なのだ(笑)
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