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2008.10.23

長屋モノのススメ

10月14日の日記、「アキバでハバラなアキハバラ」で、「秋葉原」の略称が、今までは「アキバ」だったのが、最近は「ハバラ」って呼ぶように変わって来たってことを書いた。それで、あたしは、今までの「アキバ」って略称に対して、「アキハバラ」の1文字目、2文字目、4文字目をピックアップしたものだって書いた。そしたら、たくさんの人から、「そうじゃない」ってメールをいただいた。で、どれもおんなじ内容なので、1通だけ紹介する。

 

 

お名前:Ecru
コメント:いつも読ませていただいてます。パチンコはしない私ですが、なぜか引き込まれて読んでしまいます。さて、きっと読者の皆さんからお知らせがあるでしょうが…、アキバは秋葉(火ぶせの秋葉神社)の祠がおかれていたので“アキバ”です。秋葉原は“アキバハラ”でした。いつのまにか土地の由来が忘れられ呼び方までかわるのは高田馬場が“タカタノババ”だったのと同じです。

 

 

‥‥他にも、「笑っていいとも!」でタモリさんが「秋葉原は昔はアキバワラだった」って言ってました、とか、いろんなメールをいただいたんだけど、どのメールの内容も、「秋葉原」がもともとは「秋葉」だったってことだけは共通してた。このメールのEcruさんは、「アキバは秋葉の祠がおかれていたので“アキバ”です。」と書かれてるけど、あたしが調べてみたら、「秋葉」は「アキハ」って読むことが分かった。

 

Ecruさんのメールにある「火ぶせの秋葉神社」も、火伏せの神は「秋葉大権現(あきはだいごんげん)」だから、そこから派生した「秋葉神社」も、「あきはじんじゃ」って読むのが正しい。でも、全国には500以上の「秋葉神社」があるそうで、そのうちの約半分は「あきばじんじゃ」って読むそうだ。だけど、これは、最初は由来に正しく「あきはじんじゃ」って読んでたものが、長い年月のうちに、「あきば」に変化して来たものらしい。

 

それで、カンジンの秋葉原にあった「秋葉の祠」のことを調べてみたら、これは「あきは」だった。つまり、秋葉原は、もともとが「アキバ」だったワケじゃなくて、「秋葉」ではあったけど、読み方は「アキハ」だった今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?

 

 

‥‥そんなワケで、これが「絶対に正しい」ことかどうかは分からないけど、図書館まで行って調べて来たあたしが、現時点までに分かったことを書くと、秋葉原は、もともとは「アキハ」で、「アキバ」って濁るようになったのは、後ろに「原」がつくようになってからだったってことだ。

 

Ecruさんのメールにあるように、今の秋葉原駅の場所には、もともとは「秋葉の祠」が祀られてた。これは、火伏せの神の「秋葉大権現(あきはだいごんげん)」を祀ったものだから、そのまま「アキハの祠」って読まれてた。で、この辺りは原っぱだったので、その一帯を指す場合には、「アキハの祠がある原っぱ」って意味で、「秋葉の原(アキハのハラ)」とか、「秋葉ヶ原(アキハがハラ)」とかって呼ばれ始めた。

 

でも、これだと、「ハ」のリフレインが言いずらい。それで、自然と、「アキバのハラ」とか「アキバがハラ」とかって濁るようになってったってワケだ。そして、「アキハ」を「アキバ」って濁らせたことによって、「の」や「が」を省いた「アキバハラ」って呼び方も誕生した。もしも「ハ」を濁らせなかったら、「アキハハラ」なんて言いずらいから、助詞を省いた形は誕生しなかったと思う。

 

そして、この「アキバのハラ」とか「アキバがハラ」とか「アキバハラ」って呼び方が一般的になったことによって、これらを略して「アキバ」って呼ぶようになったってワケだ。つまり、もともとは「アキハ」だったものが、後ろに「原」をつける都合として「アキバ」って濁るようになって、それが、現在の「アキバ」って呼び方のルーツだったってことになる。

 

それじゃあ、この「アキバハラ」が、いつから今の「アキハバラ」って読み方になったの?‥‥ってことだけど、これは、明治23年(1890年)に、国鉄の秋葉原駅が出来た時、当時の鉄道官僚が正しい読み方を知らなくて、間違えて「アキハバラ」って読み仮名をつけちゃったんだって。そして、天下の国鉄の駅名が「アキハバラ」になったってことで、今まで「アキバハラ」って言ってた人たちも、ジョジョに奇妙に「アキハバラ」って言うようになって来て、この地域の住所までが「アキハバラ」って読むようになったんだって。恐るべし、官僚の力!

 

あたしが書いた「アキハバラ」の1文字目、2文字目、4文字目をピックアップしたっていうのは、まったくの間違いだったワケで、メールで教えてくださった皆さん、どうもありがとうございました♪‥‥ってお礼を言ったり、こうして訂正の日記を書かなきゃなんないんだけど、国民の税金を私物化して、やりたい放題の官僚の場合には、自分が間違っても、訂正するどころか、自分の間違いを押し通して、周りの地名の読み方まで変えちゃうんだから、完全にムテキングだと思う。

 

そして、この「黒いものを白と言わせる」ほどの鉄道官僚の横暴なフルマイは、この「秋葉原」だけじゃなかった。Ecruさんのメールにある「高田馬場」も、もともとは「タカタのババ」だったのに、国鉄の高田馬場駅が出来た時に、正しい読み方を知らなかった鉄道官僚が、テキトーに「タカダのババ」にしちゃったそうだ。他にも、東京の北区にある「尾久駅」は、地名は昔から「オグ」って読むのに、駅が出来た時に鉄道官僚が「オグ」って濁るのは訛りだと思って、勝手に「オク」にしちゃった。埼玉県の熊谷市も、もともとは「クマガイ」って読み方だったのに、秩父鉄道の「熊谷駅」が出来た時に、鉄道官僚が間違えて「クマガヤ」って名づけちゃったから、今じゃ地名まで「クマガヤ」になっちゃった。

 

‥‥そんなワケで、アホな官僚のオカゲで、歴史ある地名がいくつも勝手に変えられちゃったワケだけど、コイズミ政権下で、地方の市町村合併を強行し続けて、数え切れないほどの歴史ある地名を地図上から消し去ったフロッピー麻生は、全国で一番村民の数が少ない「青ヶ島村」のことを「国のお荷物」だって言い切ったんだよね。サスガ、雲の上から「下々の国民」を見下ろす裸の王様は、目線の高さがハンパじゃない。それなのに、選挙が近づいたトタンに、突然、「地方のため」とか「国民のため」とかって連呼し始めちゃうんだから、あまりにも見え見えで、呆れカエルのガマガエルって感じだ。

 

そして、漢字も読めないバカな官僚が間違って名づけた「秋葉原」で、漢字も読めないバカな総理大臣がズレまくった演説をして、自分が秋葉原のヲタクたちに人気があると思い込んでるんだから、見てるほうが恥ずかしくなって来る。あんなの、ただ単に面白がってハヤシ立ててるだけで、「児童ポルノ法」でアニメやゲームまで取り締まろうとしてるフロッピー麻生なんかを本気で応援してるワケないじゃん‥‥って、あと1ヶ月で答えが出るんだから、こんなこたーどうでもいい。問題なのは、歴史ある「高田馬場」を「タカダのババ」にしちゃったアホ官僚だ。「高田」を「タカダ」なんて読んだら、ジャパネット・タカタの社長に、超音波みたいな高音の早口で怒られちゃうよ(笑)

 

「高田馬場」と言えば、もともとは江戸時代に徳川将軍家の馬場が造られたから「馬場」なワケだけど、あたし的には、地名の由来よりも、「忠臣蔵」の「高田馬場の仇討ち」が頭に浮かぶ。何でかって言うと、これまた話すと長いんだけど、長いのが「きっこの日記」の持ち味だから、今回は、この話を書いてみようと思う。

 

Burarishinbee_dojoyaburi あたしの母さんは時代劇が大好きで、おばあちゃんも時代劇が大好きだったから、あたしが時代劇を好きになったのも、ちっちゃいころから母さんやおばあちゃんと一緒にテレビを観てたからだ。で、あたしの母さんは、高橋英樹が大好きだったから、高橋英樹が主役の時代劇は、たぶん、ぜんぶ観てると思う。それで、あたしが幼稚園か小学校の低学年のころに、おばあちゃんと一緒に夕方の再放送で観てたのが、「ぶらり信兵衛」だった。お仕事で帰って来るのが遅かった母さんに、「今日の信兵衛さんはこんなお話だったよ」って伝えるのが、あたしの役目だった。

 

この時代劇は、他の時代劇と違って、子供のあたしにもツボの部分が多かった。一番ツボだったのが、主題歌だ。普通の時代劇って、それなりに時代劇っぽい主題歌や主題曲が多かったけど、この「ぶらり信兵衛」は、まるで「時間ですよ」の主題歌に使ってもいいみたいな感じのアップテンポの明るい歌で、「しんべさんの長屋は16間(けん)~~鶴と2人でぶ~らぶら~~向こう3軒両隣~~こふねちゃんだよ左づま~~♪」とかって感じで、ちっちゃかったあたしも、いつも口ずさんでた。ちなみに、「左づま」ってのは「芸者」のことだ。

 

せっかくだから、この続きも歌ってみるけど、「重助じいさん夜泣きそば~~おぶんは18孫娘~~十手片手に以三は子守~~駕籠(かご)は金太と銀太でね~~♪」って感じで、このあとは、「平七おあきに首ったけ~~乙吉おまさは子だくさん~~酒は源次と竜二でね~~おきみちゃん、あらいらっしゃい~~♪」ってなワケで、最後に名前が出て来る「おきみちゃん」は、居酒屋さんの看板娘で、紅景子さんが演じてるんだけど、とっても可愛くて、あたしとおんなじ名前だったから、あたしも大人になったら居酒屋の看板娘になりたいと思ってた(笑)

 

子だくさんの夫婦の乙吉は、小島三児さんが演じててイイ味を出してたし、今やニポンイチのタイコモチとして、毎週日曜日の早朝に、いろんなお家の玄関だの窓だの壁だのイスだの食器だのをホメまくり、全国の早起きした人たちの歯を浮かせまくってる渡辺篤史さんが、「金太、銀太」っていう駕籠屋さんのコンビの銀太の役だった。「俺たちは天使だ!」でアジサンドを食べてた「ナビ」と言い、この「ぶらり信兵衛」で駕籠を担いでた「銀太」と言い、こうしたバイプレイヤーとして、主役が輝くように持ち上げ続けて来た名演の数々が、後のタイコモチとしての芸を磨くことにつながってたとは、やはり、渡辺篤史さんは、タダ者じゃない(笑)

 

‥‥って、話はダッフンしちゃったけど、当時のあたしの子供心にツボだったのは、この歌だけじゃなくて、他にも、信兵衛さんが道場破りをする時のSE(効果音)だ。いつもは、竹ミツを刺してダメな浪人を装ってる信兵衛さんだけど、実は剣術の達人で、長屋の誰かがお金に困ると、「取手呉兵衛(とってくれべえ)」って名前を名乗って、そこらの道場に道場破りに行く。道場の門のとこにいるお弟子さんとかに、キリッとした顔で、いつもの口上を述べちゃう。

 

 

「拙者、これまで各地を遍歴し、念流一刀流梶派新蔭無念流鹿島神流、あらゆる師範と試合をいたし、いまだかつて敗北したことのない修行者でござる!○○殿の御高名を聞き及び、ぜひともお手合わせを願いたく参上つかまつった取手呉兵衛と申す!よろしく お取次ぎのほど!」

 

 

これを聞いたお弟子さんは、大変な道場破りがやって来たと、大慌てで道場主のとこへ走ってく。そして、道場に上がり込んだ信兵衛さんは、強い弟子たちをバッタバッタとなぎ倒すんだけど、ここで、木刀で戦ってるのに、相手に打ち込んだ時に、ピストルを撃った時みたいな「ズギューン!」とか「バキューン!」っていうSEが入るのだ。これが、ヤタラとカッコイイし、面白いし、マンガみたいで、あたしの子供心にツボだった。

 

そして、最後に登場した道場主と、ワザとツバ競り合いをして、顔を近づけて、耳元で値段の交渉をする。ようするに、「5両くれたら負けてあげるよ」ってワケで、道場主としては、ここで負けたら面目丸潰れだから、その取引に応じる。そして、「取手呉兵衛」は大ゲサに負けて、「参りました!拙者は数々の師範と勝負をして来てこれまでは一度も負けたことはなかったが、あなたは本物の達人だ!」って言って、道場主を持ち上げる。これで、道場主はメンツを保てるし、信兵衛さんはお金を手にすることができて、困ってた長屋の仲間を救うことができるってスンポ―だ。

 

‥‥そんなワケで、「忠臣蔵」のことも「高田馬場の仇討ち」のことも知らなかった当時のあたしだけど、おばあちゃんと一緒に夢中で観てた再放送の「ぶらり信兵衛」の最終回で、それから長い付き合いになる名前を知ることになる。それが、「堀部安兵衛」だ。「ぶらり信兵衛」は、毎回が落語の人情噺みたいな感じだったのに、最終回だけは、それまでの軽いノリとは違って、ちょっと物々しい感じで進んで行った。小学校の高学年か、中学生になってからか、もう一度再放送を観たから、ワリとハッキリと覚えてるんだけど、最終回では、「忠臣蔵」の討ち入りの話がコラボしてたのだ。

 

何かのキッカケで、長屋の人が、信兵衛さんのことを赤穂浪士のうちの1人、剣の達人の堀部安兵衛なんじゃないかって疑い始めちゃう。それで、本人の耳には入らない形で、長屋の人たちの間に、そのウワサが広まってく。長屋の人たちは、そんなウワサを耳にすれば、美味しそうにお酒を飲んでる信兵衛さんを覗き見しても、「そう言えば堀部安兵衛もお酒が好きだって話だよな」ってことになっちゃう。

 

信兵衛さんは、みんなに愛されてるし、みんなに頼りにされてる長屋のアイドルだから、討ち入りなんかで命を落としたら大変だ。それで、みんなは、信兵衛さんのことを心配するんだけど、最後の最後に、本物の堀部安兵衛が登場して、みんなの誤解が解ける。で、この堀部安兵衛が、高橋英樹の1人2役で、赤穂浪士のカッコをした堀部安兵衛と、いつもの浪人姿の信兵衛さんとが、ソックリおんなじな顔だったってワケだ。あたしは、これを見て、ミョ~な感動があったんだけど、この時点では、堀部安兵衛は信兵衛さんとおんなじに「架空の人物」だと思ってた。だから、あとから、堀部安兵衛が実在の人物で、赤穂浪士の討ち入りも実際にあったことだって知った時には、あたしは、ホントに感激した。

 

「ぶらり信兵衛」の最終回では、一応は最後に本物の堀部安兵衛が登場して、「信兵衛さんは堀部安兵衛じゃなかった」っていうオチになってるんだけど、そこまでのストーリーの持って行き方とか、堀部安兵衛と信兵衛さんが顔を合わせるシーンの曖昧さとかが、何となく「やっぱり2人は同一人物なのかも?」って感じさせる雰囲気を持ってた。だから、あたしは、堀部安兵衛が実在の人物だって知った時に、「もしかしたら、あの16店(だな)の長屋も実在して、堀部安兵衛が信兵衛っていう偽名でホントに暮らしてたのかも?」って思ったのだ。

 

‥‥そんなワケで、中学生になってからのあたしは、堀部安兵衛のことを知りたくて、「忠臣蔵」や「高田馬場の仇討ち」を読んだんだけど、それよりも、「ぶらり信兵衛」の下敷きになったっていう山本周五郎の「人情裏長屋」に感動した。そして、池波正太郎の一連の長屋モノも順番に読んだし、何よりも大感動したのが、半村良の「かかし長屋」だった。それにしても、女子中学生が、休み時間に読んでた可愛いカバーをかけた文庫本が、「長屋モノの人情話」だったなんて、今どきの「ケータイ小説」を読んでる子たちとは、あまりにもギャップが大きかった。でも、ケータイ小説もケータイ電話もなかった当時でも、「源氏物語」を読んだことがないのに、「光GENJI」にキャーキャー言ってるクラスメイトがいっぱいいたから、あたしって、やっぱり、昔っから浮いた存在だったと思う今日この頃なのだ(笑)

 

 

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