自殺という逃亡
三浦和義容疑者が、ロス市警本部の留置所で首吊り自殺をしたことを受けて、ロス銃撃事件で殺された一美さんのお母さまが、コメントを出した。以下、その全文だ。
元ポルノ女優を使って殺人未遂をおかし、そのわずか3カ月後、また複数の知人に一美殺害を依頼して、三浦は巨額の保険金を詐取しました。
しかし、被害者の人権よりも犯罪者の人権を重んじる日本では、三浦が裁判に勝ち、正義は実現しませんでした。
少年時代にあらゆる犯罪をおかし、日本の警察が優秀であることを肌身で知った三浦は、犯罪場所をロスに移したが、そこには共謀罪という罪があることを見落としていた。墓穴を掘ったのです。
死んだことで罪がすべて許されるのなら、この世に倫理道徳はなくなります。
以前、ハンストをしたように、狂言として自殺をはかり、誤って死んでしまったのか、死のうとして死んだのか、それはわからないが、三浦が死んでも、殺された一美、千鶴子さんの無念は変わることはありません。悲しみ苦しんだ遺族の思いは消えることはありません。
三浦が死んで一件落着のような風潮がもう出はじめています。こんな理不尽なことが許されてよいのでしょうか。
日本の法律を超えて三浦を逮捕し、三浦の犯罪を明らかにしようとしたロス捜査当局の方々には、心より御礼を申し上げます。
そして家族からの最後のお願いは、三浦を有罪にする確信の元になった捜査証拠資料を公開して、三浦の犯罪がどのような犯罪であったのか、明らかにしていただきたい。そうでないと、一美、千鶴子さんの霊は永久に安らぐことがありません。
10月12日
一美の母、佐々木康子
‥‥この「きっこの日記」では、ライブドア問題の時に、沖縄のカプセルホテルで惨殺された野口さんのお姉さまや奥さまからのメッセージや、闇サイトで知り合った3人組の鬼畜に惨殺された磯谷利恵さんのお母さまのメッセージなど、これまでもこうした犯罪被害者のご遺族の声を紹介して来たけど、今回の一美さんのお母さまのメッセージも、同様に胸を締めつけられる。
‥‥そんなワケで、今日は「いかがお過ごしですか?」はナシにして行くけど、一美さんのお母さまは、「狂言として自殺をはかり、誤って死んでしまったのか、死のうとして死んだのか、それはわからないが」って書いてる。だけど、一見、2つの可能性を平等に並べてるように見えて、実際には、「狂言として自殺をはかり、誤って死んでしまったのか」ってほうを先に書いてる。通常なら、「死のうと思って自殺したのか、それとも誤って死んでしまったのか」ってふうに、否定するほうを後に置くのがパターンなんだから、この書き方を見ても、お母さまが三浦の自殺について疑問を持ってることが分かる。さらには、「以前、ハンストをしたように」って前提まで置いて、三浦がこうしたコソクな演出を得意とする卑劣な人間だってことを印象づけている。
実際、多くの人たちが三浦を疑問視したのが、ロス銃撃事件の時に、病院のベッドで、裏返った声でペラペラと饒舌にしゃべり続ける三文芝居めいた姿を見てからだ。まるで、自分の演技に酔いしれているかのようにいつまでもしゃべり続ける三浦を見て、ほとんどの人は「コイツは怪しい」って思ったハズだ。あたしは小学生の時だったから、あんまり細かいことまでは覚えてないけど、連日、テレビに映る「涙も出てないのに涙声でしゃべり三浦」を見て、「大人のクセに嘘泣きをするなんて変な人」って思ったし、子供特有の直感で、「この人って絶対に悪い人だ」って思ったことを覚えてる。
そして、これは、後にオウム真理教の地下鉄サリン事件が起こった時に、毎日のようにテレビに出て、トンチンカンなことをヒステリックにしゃべり続ける上祐を見た時に、まったくおんなじ感覚を覚えた。あたしの中では、三浦和義と上祐史浩は、まったく同一のジャンルの人間なのだ。ペテン師って、自分のウソをゴマカスために、ヤタラとペラペラと饒舌になるけど、三浦とか上祐とかがペラペラとしゃべり続けてる姿を見てると、どうしてもペテン師のそれとおんなじ匂いを感じちゃう。これは、「三浦や上祐がペテン師だ」って言ってるワケじゃなくて、「しゃべればしゃべるほどボロが出るタイプの人間だってところがペテン師とおんなじだ」って言ってるワケだ。
だから、今回の三浦の首吊り自殺にしても、一美さんのお母さまが書いてるように、「狂言として自殺をはかり、誤って死んでしまったのか」って思った人も、きっとたくさんいると思う。もちろん、こればっかりは調べることができないから、永遠の謎になっちゃうだろう。だけど、これは、イソップ童話の「オオカミ少年」のお話とおんなじことだ。いつもいつもウソばかりついてた人間が、最後の最後にホントのことを言ったって誰からも信用してもらえないのとおんなじで、いつもいつも疑惑の中心にいた上に、いい年こいて本屋さんやコンビニで万引きを繰り返してみたり、そのコンビニを逆に訴えてみたりと、マトモな人間には理解不能な行動を続けて来た三浦なんだから、死んだことすらも疑惑の目で見られちゃうのは自業自得だろう。
‥‥そんなワケで、あたしは、三浦和義が保険金殺人を犯したのか、それともホントに無実だったのかは分からない。ただ、これほど多くの人たちから「三浦は怪しい」って思われたのは、すべて本人の「目立ちたがり」の性格によるものだ。そして、三浦は、上祐と同じく、「自分を過大評価してる人間」だったと思う。つまり、自分のことを周りの人たちよりも「頭がいい」って思い込んでたんだと思う。じゃなかったら、あんな小学生にも見破られちゃうような「ウソ泣き」なんかしないだろう。実際に保険金殺人を犯してて、世間に対して「悲劇の夫」を演じてたにしろ、ホントに無実で、自分のことを「より可哀そうな人」と思ってもらうためだったにしろ、テレビに出て、涙も出てないのに涙声でしゃべる人間なんて、あたしは、三浦和義と松田聖子しか知らない。
埼玉県本庄市で、3人もの人を保険金目的で殺して、今年の夏に死刑が確定した八木茂も、三浦や上祐と似たタイプの人間だった。連日、自分のスナックだか居酒屋だかに報道陣を集めて、料金まで徴収して、まるで芸能人気どりの記者会見を繰り返してた。三浦や上祐と同じく、ペラペラと饒舌に自論を語り続けて、それはまるで、自分自身に陶酔してるかのようだった。時にはキックボードに乗って登場したり、時には記者を怒鳴りつけたりと、細かい演出にまで気を配り、その完全なるカン違いぶりは、見てるほうが恥ずかしくなるほどの幼稚さだった。そう、この「見てるほうが恥ずかしくなる」ってのが、三浦にしろ、上祐にしろ、この手の人たちに共通する感覚なのだ。
この「見てるほうが恥ずかしくなる」ってのは、その人自身は「カッコイイ」と思ってやってることが、周りから見たら果てしなく「カッコ悪い」ことなのに、その本人はまったく気づかないどころか、自分に酔いしれちゃって得意満面になって続けてるって場合とかだ。そして、これと似たケースに、ナルシストを見た時に感じる「寒気(さむけ)」がある。歌舞伎町のホストみたいな「カン違いナルシスト」を見ると、全身に鳥肌が立つほどの寒気を感じるけど、「見てるほうが恥ずかしくなる」ってレベルまでは行かない。これは、ナルシストの場合には、本人も心のどこかで、自分がカン違いしてることを認識してるからだ。つまり、分かった上でやってることだから、自然と演技もオーバーになるし、ひとつのエンターテインメントだって割り切って見ることもできる。
だけど、三浦や上祐や八木の場合は、あれほど稚拙な演技やレトリックで、周りのすべての人たちを信じさせられるって思い込んでるとこが、あまりにも恥ずかしいのだ。その上、ペラペラと饒舌にしゃべりながら、自分のしゃべりにジョジョに奇妙に陶酔してく様子までもが手に取るように分かっちゃうから、もう、言葉にできないほど恥ずかしくなって来る。これは、ナンミョーの集まりとか、マルチ商法の説明会とか、自己啓発セミナーとかで感じる恥ずかしさとおんなじ種類なんだけど、ナンミョーやマルチ商法や自己啓発セミナーのほうが、専門のマニュアルに沿って人を騙してるぶん、心理学的な部分とかが、まだ理にかなってる。三浦や上祐や八木の場合は、あくまでも自己流だから、中学生以上の知能を持ってる人間には、ほとんど通用しない。
‥‥そんなワケで、ずいぶんダッフンしちゃったけど、一美さんのお母さまの言うように、今回の三浦の自殺によって、三浦にまつわる数々の事件が終わったワケじゃない。三浦が自殺したとこで、この事件で犠牲になった一美さんや千鶴子さんは帰って来ないんだから、「事件は終わった」んじゃなくて、「事件はゴマかされた」って考えるほうが普通だろう。三浦が無罪を主張するのなら、最後まで法廷で主張すべきで、自殺など単なる「逃亡」でしかない。一美さんのお母さまも「死んだことで罪がすべて許されるのなら、この世に倫理道徳はなくなります」って言ってるけど、あたしもホントにその通りだと思う。だから、三浦を疑ってる被害者のご遺族のためだけでなく、三浦の無実を信じる支援者のためにも、捜査当局は捜査証拠資料をすべて公開して、この事件の本質を明らかにすべきだと思う今日この頃なのだ。
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