猫に小判
今日、猫たちのご飯を買いに行ったら、ナナナナナント! ほとんどのキャットフードやドッグフードが値上げしてたのだ! それも、カリカリも缶詰もほとんどの商品が、平均して10%もの大幅値上げだった! あたしは、あまりにもショックで悲しくて、お店の人には聞かなかったけど、9月の中旬に買いに行った時はいつも通りの値段だったから、たぶん、10月1日から値上げしたんだと思う。こんなことが分かってたら、9月のうちにもう少し買っておいたのに‥‥って言うか、身の周りのありとあらゆるものが値上げに次ぐ値上げだから、あたしは、1日100円のオヤツ代もやめにした。オヤツ代は1ヶ月1000円までにして、100円のおせんべを3日に分けて食べたりしてた。
だけど、あたしはいくらでもガマンできるけど、猫たちにはかわいそうな思いはさせられない。狂牛病に感染する恐れのあるビーフ系とか、メチル水銀の危険性が高いマグロ系とか、食いつきを良くするためにマグネシウムが多量に添加してあるのとかなら、大きな袋で安いのがあるんだけど、大切な猫たちにそんなもん食べさせられない。あたしがいつも買ってるカリカリは、カツオ系の中でも比較的安心できる国産メーカーのもので、値段も中間くらいのものなので、1袋あたり50円から60円の値上げで、いつも10袋買うから、これだけで500円から600円も多く払わなくちゃなんない。その上、缶詰も値上げしてるから、今までとおんなじ商品をおんなじ数だけ買うと、1000円前後も多く払わなくちゃなんない。
10%の値上げってことは、自民党が選挙で勝ったら来年にも強行採決される消費税の大幅引き上げが、すでに施行されてるようなもんで、これでさらに消費税なんか引き上げられたら、あたしは猫のご飯を買うたびに、2000円も3000円も多く払わなきゃいけなくなる。そして、これは、猫のご飯だけじゃなくて、身の周りのすべてのものに掛かるんだから、マジで生活できなくなる。
「あしなが育英会」が、全国1400の遺児母子家庭を対象に実施してるアンケート調査の「9月のアンケート結果」を見ると、半年前の調査時よりも「生活が苦しくなった」って答えてる家庭が「88.7%」もあって、そのうちの10%は「絶望的」って答えてる。そして、その最大の原因は、生活に密着した食品や日用品の相次ぐ値上げだって答えてる今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?
‥‥そんなワケで、自分の講演会に集まった支援者たちに向かって「下々の皆さん」と言い放ち、「とてつもない金持ちに生まれた人間の苦しみなんて普通の人には分からんだろうな」って平然とノタマッちゃうフロッピー麻生には、当然、朝から晩まで働いて12万円で生活してる母子家庭の気持ちなんか分かるハズもない。だからこそ、「きっこのブログ」で行なった「アンケート」では、83%もの人が「すぐに解散総選挙をすべき」って答えてて、「解散総選挙は先送りすべき」って答えてる人はたった16%しかいないのに、「解散より景気対策の方が圧倒的に世論の支持が高い」だなんてトンチンカンなことを言い出しちゃうんだよね。
フロッピー麻生って、「とてつもない」とか「圧倒的」とかって言葉が好きみたいだけど、こういう言葉を使いたがる人間て、深層心理学の観点から言うと、常に相手を「自分よりも下」に見てる人間なんだってね。そう言えば、アベシンゾーにしてもフクダちゃんにしても国民の声なんてまったく聞いてなかったけど、フロッピー麻生の場合は、国民の声なんてまったく聞いてない上に、さらに国民をバカにして見下してるとこが、多くの人たちから嫌われてる理由の第1位なんだよね。ま、年内には消えてくアホのことなんてどうでもいいけど、あたし的には、猫たちのご飯の値上がりが何よりも痛い。
結局、今回は、いつものように1万円しか用意してなかったから、いつも通りの量を買うとお金が足りなくなっちゃうので、カリカリを1袋と、缶詰を3パック減らすしかなかった。もんじゃの他にコマちゃんまで増えちゃったし、過ごしやすい季節になってみんな食欲がアップしてるから、少しでも多く買いたいくらいだったのに、大幅な値上げで、いつもの量も買えないなんて、ホントに悲しくなる。でも、これでブツブツと自民党の悪政に対してグチを言ったら、読んでる人も暗い気持ちになっちゃうだろうから、ここからは趣向を変えて、あたしの考えた「あること」を書こうと思う。それは、「猫に小判」についてだ。
‥‥そんなワケで、この「猫に小判」ってのは、今さら説明の必要もないほどメジャーなコトワザで、「豚に真珠」と同じく、「その価値が分からない」とか「与えてもムダ」とかって意味だ。だけど、あたしは、昔から、「猫に小判」にしても「豚に真珠」にしても、何でこの組み合わせなんだろう?‥‥って不思議に思ってる。だって、別に「小判」じゃなくても、「猫に宝石」でもいいし、「猫にノーベル賞」でもいいし、2つのコトワザを入れ替えて、「猫に真珠」と「豚に小判」にしたって意味はおんなじだ。さらには、「猫」や「豚」である必要もない。「犬に小判」だっていいし、「牛に真珠」だっていいのだ。
似たような意味のコトワザに、「馬の耳に念仏」ってのがある。これも、別に「馬」じゃなくてもいいし、「念仏」じゃなくてもいい。たとえば、「牛の耳に説教」でもいいワケだ。だけど、これは、李白の詩の一節の「世人聞此皆掉頭/有如東風射馬耳」ってのがモトになってるから、原典に忠実に従いつつ、ニポン人にも分かるようにリトルいじったってことで、何も問題はない。詳しくは、2007年9月1日の日記、「天高く馬肥ゆる秋」に書いてあるので、興味のある人は読んでみて欲しい。
で、他にも似たようなコトワザって言うと、「糠(ぬか)に釘」ってのがある。これも、「糠」の代わりに「砂」でもいいし、「釘」の代わりに「杭」でもいい。だけど、「猫に小判」や「豚に真珠」のように、何に変えてもいいってワケじゃくて、やわらかくて崩れやすいマテリアルに対して、打ち込むモノってことが限定される。だから、この「糠に釘」ってコトワザの場合は、この組み合わせに、それなりの必然があるってことになる。そして、これは意味が違うコトワザだけど、「猫に鰹節」なら、「大好きで目がない」って意味だから、「猫」と「鰹節」の組み合わせに必然がある。「猫」を別の動物に変えても、その動物の好物と組み合わせれば、おんなじ意味になるし、そこには必然が生じる。たとえば、「パンダに笹」とかだ。
それなのに、この「猫に小判」や「豚に真珠」の場合は、動物とモノとの組み合わせに、まったく必然がない。「猫に小判」と似たような意味で必然性を出すのなら、たとえば、「麻生太郎に1万円札」とかってコトワザにしなきゃならない。自らを「とてつもない金持ちに生まれた人間」て自負してる上に、去年1年で小沢一郎の3倍以上の4億8千万円もの政治資金を集めちゃっても涼しい顔をしてるんだから、フロッピー麻生にとっては「1万円札」なんて紙クズみたいなもんだろう。つまり、「とてつもない大金持ちの麻生太郎に1万円をあげても何の意味もない」ってことになる。
「豚に真珠」の場合なら、たとえば、「孔雀に真珠」とか「孔雀に宝石」とかにすれば、そこに必然が生じる。「もともと美しい孔雀に、真珠や宝石を与えても意味がない」ってことだ。もちろん、これらの例は、もともとの意味とはリトル変わっちゃうけど、必然性を求めるためには、こうするより他にない‥‥って、なんで、あたしが、こんなに必然性を求めてるのかはあとから言うとして、とにかく、「猫に小判」ていうコトワザには、「猫」である必然性も「小判」である必然性も皆無なのだ。
そして、百歩ゆずって、「猫」は人間に身近な動物ってことで「良し」としても、やっぱり「小判」のほうに必然がない。だいたいからして、「大判小判がザックザク」って言うように、昔のお金には、「小判」よりも価値のある「大判」がある。それなのに、何で「猫に大判」にしないで、あえて「猫に小判」にしたんだろう? 今で言えば、「猫に1万円札」にしないで、わざわざ「猫に千円札」にしたって感じだ。それで、どんな疑問でも「猫」に関することは調べてみないと気が済まないあたしとしては、さっそく調べてみた。そしたら、「猫に大判」じゃダメで、どうしても「猫に小判」じゃなきゃいけない理由が分かったのだ。つまり、「大判じゃなくて小判になった」って部分に関してだけは、そこに必然があったのだ。
大判も小判も、作られたのは江戸時代なんだけど、小判が流通用の高額貨幣として使われてたのに対して、大判のほうは、恩賞用とか献上用とかの特別な時に使われたもので、貨幣としては使われてなかった。江戸時代には、「慶長」とか「元禄」とか、それぞれ年間によって5種類の大判と10種類の小判が作られてて、あとは、天保年間に「天保五両判」ていう大判と小判の中間のお金も作られたんだけど、これは今の2000円札とおんなじで、ほとんど使われなかった。
だから、現実的な話だと、世の中で流通してたお金の中で、誰にでも分かるメジャーで高額なものが「小判」だったってワケだ。つまり、もしも「猫に大判」だったとしたら、チョンマゲをした猫のお殿様に、大判を献上するみたいな図になっちゃって、根本的なイメージがガラッと変わっちゃってたワケだ。それじゃあ意味がない。ちなみに、小判は1枚1両で、当時の1両は、現在の10万円くらいに当たるって言われてる。だから、「猫に小判」は、今の言い方にすると、「猫に10万円」てことになる。
‥‥そんなワケで、1万円も払っても、猫たちの約2週間ぶんのご飯代にしかならなくて困ってるあたしとしては、猫に10万円もくれる人がいたら、メチャクチャ大喜びだ。約半年分のご飯代が保証されるんだから、こんなにアリガタイザーなことはない。ようするに、あたしにとっての「猫に小判」ていうコトワザは、本来の意味とは正反対で、「ものすごく価値のあること」って意味になる。そして、そこには、可愛い猫たちに十分なご飯をあげるっていう必然があるのだ。で、最後に、あたしの考えた「あること」を書くけど、それは「猫に小判」ていう名前の新型のカリカリを作ったらどうだろう?‥‥ってことだ。普通のカリカリは小さな粒になってるけど、もうちょっとやわらかくして、「オーザック」くらいの感じにして、小判の形にするのだ。そして、招き猫の絵が浮き彫りになってて、端からカリカリと食べることができる。そうすれば、しゃがんだあたしの周りに集まって来た猫たちに、順番に1枚ずつあげることができるし、この光景こそが、ホントの「猫に小判」だと思う今日この頃なのだ(笑)
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