おばあちゃんの焼きおにぎり
ナニゲに昨日の日記の続きっぽいスタートになっちゃうけど、あたしは、基本的に、おにぎりを2個と、お茶を持参してお仕事に行ってる。おにぎりは、夏場はご飯が痛むのをリトル回避するために梅干しのおにぎりを2個にしてたんだけど、涼しくなって来てからは、梅干しとオカカとか、梅干しと昆布の佃煮とかって感じで、2個の中身を変えるようにした。これって、ちょっとたワクワク感が味わえる。
母さんが作ってくれたお弁当って、お昼になってフタを開けるまで、どんなお弁当なのか分からない。だから、フタを開けるたびにワクワクしたけど、自分で作ったお弁当って、最初からどんなお弁当なのか分かってるから、このワクワク感がない。そして、自分でおにぎりを作った場合でも、最初から2個とも梅干しだってことが分かってると、ワクワク感はゼロだ。だけど、2個のおにぎりの中身を変えると、「今日は梅干しとオカカだ」ってことは分かってても、最初の1個を食べ始めるまで、それがどっちなのか分からないから、ちょっとだけワクワクできるのだ。
だから、あたしは、あえて中身が分からないように、できる限りソックリな外観にする。片方がちょっとだけ大きかったりすると、「たしか、大きいほうが梅干しだったよな」ってことになっちゃうから、まるでハカリで量ったかのようにおんなじ大きさにして、形もソックリにするし、手についた梅干しの一部がおにぎりの外側についちゃうなんて絶対にNGだ。だから、おにぎりのテッペンに具の一部を乗せて、外から見ても何のおにぎりだか分かるようにするなんて、あたしに言わせりゃ愚の骨頂だ。
そんなこたーおにぎり屋さんだけがやってりゃいいことで、自分で作る場合には、外から見ても絶対に中身が分からないようにするのが、おにぎりの鉄則だ。おにぎりを食べる時のせっかくのワクワク感を自ら無にしちゃうなんて、おにぎりの、おにぎりによる、おにぎりのための生活を根底から覆すことになっちゃって、南伸坊さんも激怒すると思う今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?
‥‥そんなワケで、おにぎりが大好きなあたしだけど、この世でサイコーに美味しいと思うおにぎりは、「生タラコ」だ。甘塩の生タラコをほどよく入れて、お醤油を2~3滴たらして、上手に包みこんで、あぶって香りを良くした焼き海苔で巻く。これがサイコーだと思ってる。でも、これは、もともとあたしが、白いご飯の上に生タラコを乗せて、お醤油をたらして、焼き海苔で巻いて食べるのが大好きだからであって、別に「おにぎりだから」ってことじゃない。生タラコの場合は、ご飯は温かいほうが美味しいから、冷めてから食べるおにぎりの場合は、生タラコよりもしょっぱい焼きタラコや、ピリ辛の明太子のほうが美味しく食べられる。
でも、現実問題としては、節約のためにお昼をおにぎりにしてるんだから、タラコやシャケなんかのゼイタク品を使うことはできない。それ以前に、あたしの場合は、海苔を巻くことも少ない。基本、外側はお塩だけか、ゴマ塩だ。そして、中身は、梅干しとオカカがほとんどだ。そして、大好きなフジッコの昆布の佃煮のシソが入ってるヤツが、いつもは230円なんだけど、2週間に1回くらい178円になる時があるから、その時に買って、大切に使ってる。この3つが、あたしのおにぎり生活の9割以上を占めてる。
あとは、中身は何も入れないで、ご飯全体にオカカのふりかけやイワシのふりかけを混ぜて、それを握ったりもしてる。梅干しのおにぎりとオカカのおにぎりだと、具は違っても両方とも白いご飯だから、2つのおにぎりに大きな違いがない。だけど、片方がふりかけご飯のおにぎりだと、全体に味がするし、混ぜご飯みたいな感じになるから、2つに変化があって楽しめるようになる。だけど、これをやっちゃうと、マクラのとこで書いた「食べてみるまで中身が分からないワクワク感」がなくなっちゃうのだ。
ワクワク感を取るか、味のバラエティーさを取るか、それが問題だ‥‥なんて、ハムレットみたいに悩んじゃったあたしだけど、どんなに悩もうとも、梅干しとオカカがメインで、タマに昆布の佃煮とふりかけが混じるだけのおにぎり生活をずっと続けてくれば、どんなにおにぎり好きなあたしでも、ハッキリ言って、飽きて来る。それで、あたしは、原点に戻ってみることにした。おにぎりの原点、それは、「塩むすび」だ。
山口百恵、桜田淳子、森昌子、岩崎宏美、ピンクレディー、小泉今日子、中森明菜と、文字通り数々のスターを輩出した伝説の番組、日本テレビの「スター誕生」で、あたしが生まれた翌年の昭和48年3月、15才の少年がバツグンの歌唱力で「新潟ブルース」を歌い、第6回グランドチャンピオンとなった。まるで高校球児のような坊主頭がトレードマークのその少年は、芸名に合わせた藤色の学生服を衣装にして、キャニオンレコードより「忍ぶ雨」でデビューした。
とても15才とは思えない歌唱力の少年は、当時「怪物」と呼ばれた無敵の競走馬の名前から、「演歌の怪物ハイセイコー」というキャッチフレーズで呼ばれた。それが、藤正樹だ‥‥って言っても、あたしは赤ちゃんだったから知らなくて、これは調べて書いてんだけど、この藤正樹の2曲目のシングルが、「あの娘がつくった塩むすび」っていうものすごい歌なのだ! 歌詞を要訳すると、就職して都会へ上京する男の子に、好意を寄せてた田舎の女の子が「塩むすび」を作って渡して、電車の中でそれを食べて胸がジーンとした‥‥って感じなんだけど、まるでアニメの「いなかっぺ大将」の世界みたいで、ニャンコ先生も思わずキャット空中三回転をしちゃいそうな歌なのだ。
やっぱ、「昭和」ってすごい。中身が入ってなくて、海苔も巻いてない、塩味だけのおにぎり。それで、登場人物のバックボーンや背景まですべてを表現した上に、涙のしょっぱさまでイメージさせちゃうんだから、あまりにも「三丁目の夕日」的だ。あたしの母さんも、おばあちゃんも、こうした古き良き時代を体験してんだから、ある意味、ウラヤマシーと思う。
ネットカフェに寝泊まりしてる人がたくさんいる反面、62億円の豪邸に住んで毎晩のようにホテルの高級なバーに飲みに行くような人もいる今みたいな格差社会になっちゃうと、ファッションで質素な食事をするようなカン違いな人たちも湧いて来る。あたしは、そうじゃなくて、貧乏だから質素な食事をするってのが王道だと思ってる。だからこそ、田舎の女の子が握った塩むすびを食べて、胸がジーンとして涙がこぼれるのだ。あたしだって、何も好きで質素な食生活をしてるワケじゃない。自分のお金を自由に使える状況なら、月に一度くらいはウナギやお刺身でも食べたいし、毎日の晩ご飯だって、焼き魚と煮物と酢の物くらいはつけたいと思う。
‥‥そんなワケで、時代背景が違うんだから、四の五の言ってもジンジャエールなんだけど、毎日のおにぎりに飽きて来たあたしは、原点に戻って、何日か前に塩むすびを作ってみた。だけど、塩むすびを2個とお茶って、ものすごくワビシーのだ。つーか、あたしは、念のために東京タクアンを2切れ添えてったから、それをオカズにして塩むすびを食べることができたけど、塩むすびだけだったら、あまりにも物足りなかった。だけど、これは、あたしの塩加減に問題があったのだ。あたしは、いつもとおんなじ塩加減にしちゃったんだけど、中身を何も入れない塩むすびの場合は、気持ち濃い目の塩加減にしないと、中のほうが、単なる白いご飯だけを食べてるみたいになっちゃうのだ。
それで、結局、「塩むすびはダメだな」って思ったんだけど、ここで、あたしは、ワンダホーなことを思い出した。それは、あたしが小学生のころ、おばあちゃんが作ってくれた「焼きおにぎり」だった。おばあちゃんは、あたしが3年生か4年生くらいまではお台所に立ってたんだけど、それから病気が悪くなって、1日のほとんどを寝て過ごすようになった。おばあちゃんは、あたしに食べ物を作るのが楽しみだったから、お台所に立てなくなって、すごく悲しかったと思う。
だけど、おばあちゃんのお部屋には、火鉢の形をした石油ストーブがあった。冬になると、いつもヤカンが乗ってたんだけど、時には網を乗せて、お餅を焼いたり、大福を焼いたりしてた。それで、おばあちゃんが作ってくれたのが、焼きおにぎりだった。あたしは、おばあちゃんが作ってくれる焼きおにぎりが、大好きだった。それで、おばあちゃんの具合が良くて、お布団から体を起こせるような日には、いつも焼きおにぎりを作ってもらってた。
あたしが、ジャーの中からボウルにご飯を移して、あと、手を洗うお水とお醤油を運んで、おばあちゃんに作ってもらってた。おばあちゃんは、小さな三角のおにぎりをいくつも握って、網の上に並べて、丁寧に焼いてくれた。両面がキツネ色に焼けたら、最後にぜんぶのおにぎりを立てて並べて、側面もちゃんと焼くのがポイントだ。三角だから、側面は三面あるワケで、ちゃんと一面ずつ焼いてく。そして、全体がこんがりと焼けたら、お小皿のお醤油にジュッ!とつけて、網のハシッコに並べてく。網の真ん中だと焦げちゃうからだ。だから、最終的には、網の中央が空いてて、網のまわりを小さなおにぎりがグルリと囲むみたいな感じになる。そして、お醤油が乾いたら完成だ。
焼きおにぎりって、美味しく焼こうと思ったら、なかなか時間が掛かる。基本的には、お餅を焼くのとおんなじで、付きっきりで、コマメにひっくり返してないと焦がしちゃう。そして、網の場所によって、火の強い場所と弱い場所があるから、おにぎりの位置を常に入れ替えるようにもしなきゃなんない。だから、時間も手間も掛かるんだけど、あたしにとっては、この時間が楽しかった。おばあちゃんに、学校であったいろんなことを話せたからだ。
あたしは、おばあちゃんが大好きだったのに、具合が悪くて横になってるおばあちゃんには、話しかけることができなかった。無理して体を起こそうとするおばあちゃんが、かわいそうだったからだ。だから、あたしは、学校から帰って来ると、真っ先におばあちゃんのお部屋を覗きに行って、おばあちゃんが横になってた時には、「ただいま~」って言って、そのまま戻って来た。そして、おばあちゃんが体を起こして、火鉢ストーブのとこでお茶を飲んでたりした時だけ、いろんなことを話したり、焼きおにぎりを作ってもらったりしてた。
おばあちゃんの焼きおにぎりは、とっても美味しかった。ご飯を握って、それを焼いて、お醤油をつけただけ。これだけのことなのに、おばあちゃんの魔法の手にかかると、どんな食べ物よりも美味しかった。母さんが帰って来て、晩ご飯を作ってくれるまでの、オヤツ的な感覚の焼きおにぎりだったから、1個の大きさがゴルフボールくらいで、3つ4つは普通に食べることができた。そして、残った焼きおにぎりは、お皿に乗せてラップをしてお台所のテーブルの上に置いてたんだけど、次の日の朝に食べると、堅くて香ばしかったとこがしんなりとしてて、濡れせんべいみたいな感じで、これはこれで美味しかった。
‥‥そんなワケで、あたしの大好きだったおばあちゃんは、あたしが中学に上がる年に亡くなった。そして、あたしは、もうおばあちゃんの焼きおにぎりを食べることができなくなった。中学生になってから、母さんに作ってもらったことがあるんだけど、おばあちゃんのとはぜんぜん違った。それから20年以上が過ぎて、お昼におにぎり生活を続けることを余儀なくされたあたしは、変わりばえのしない毎日のおにぎりに飽きて来たワケだけど、あのころのおばあちゃんの焼きおにぎり、これこそが、あたしのおにぎりの原点だってことに気づいたのだ。そして、あたしは、作ってみることにした。
小さめのおにぎりをいくつも作り、よく熱した網の上に並べて、付きっきりで、コマメに裏返した。そして、両面がキツネ色になったら、立てて並べて、側面も丁寧に焼いた。すべての面が完全に焼けたら、お小皿に用意しといたお醤油に両面をジュッ!とつけて、網のハシッコのほうに並べて、お醤油を乾かした。すごく美味しそうにできたので、お茶をいれて、東京タクアンを用意して、食べてみることにした。そしたら、本家本元のおばあちゃんには敵わなかったけど、おばあちゃんの焼きおにぎりに近い味がした。
藤正樹の「あの娘がつくった塩むすび」も、ただ、ご飯を握って塩味にしただけなんだから、誰が作ったっておんなじような味になるハズだ。だけど、そうじゃなくて、あの娘が上京する男の子のために作ったからこそ、涙がこぼれるほど美味しかったのだ。あたしのおばあちゃんの焼きおにぎりも、材料はご飯とお醤油だけなのに、おばあちゃんがあたしのために作ってくれたからこそ、20年以上が過ぎても忘れられないほど美味しかったのだ。
‥‥そんなワケで、あたしは、今日、ゆうべの残りの焼きおにぎりをラップで包んで、お昼用に持ってった。そして、車の中で食べたんだけど、この焼きおにぎりのオカゲで、しばらく思い出してなかったおばあちゃんのことをいろいろと思い出すことができた。そう言えば、あのおばあちゃんの火鉢ストーブに、ペコペコポンプで石油を入れるのが、あたしの役目だったんだ。一度だけ、石油をあふれさせちゃって、大変だった。それからは、あふれさせないように、すごく気をつけて入れるようになったんだけど、入れ終わると必ず、おばあちゃんが「ありがとうね♪」って言って頭を撫でてくれたから、とっても嬉しかった‥‥なんてことを思い出しながら、冷めた焼きおにぎりを食べたら、濡れせんべいみたいで、すごく懐かしい味がした今日この頃なのだ。
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