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2008.11.21

三寒四温

こないだ、多摩川の秘密の森に行った15日は、それなりに暖かくて気持ちのいいお天気だったのに、それから2~3日したら、急に寒くなった。オトトイも寒かったけど、昨日も寒かったし、今日もホントに寒かった。今日なんて、北風もピューピュー吹いてたから、ヨケイに体感温度が低く感じた。水槽のお魚たちも、動きが鈍くなって食欲も減っちゃったから、今日、水槽の暖房を入れた。でも、急に暖かくしすぎるのも良くないと思ったので、まず15度にして、それからちょっとずつ水温を上げてって、最終的に20度にした。いつもは23度にするんだけど、あんまり甘やかすと、クチボソたちが、アベシンゾーみたいな虚弱体質のオチョボグチになっちゃうから、今年は20度で行くことに決めた。

で、あたしはと言えば、1個だけ大事にとっといたツムラの「登別カルルス」をお風呂に入れて、春以来の温泉気分を味わった。あたしは、温泉の素は大好きなんだけど、夏はもったいないから、寒くなってからしか使わないようにしてる。今回の1個だけとっといた「登別カルルス」は、ホントはアサッテの自分のお誕生日に使おうと思ってたんだけど、今日があまりにも寒くなっちゃったし、お魚たちだけゼイタクさせるのは釈由美子だったから、思いきって使うことにした。それに、あたしの場合は、温泉の素をお風呂に入れたら、最低でも3回は沸かし直して入るから、今日、明日、アサッテと、お誕生日の日にも入れるのだ。

ちなみに、「登別カルルス」を始めとした濁り湯タイプの温泉の素を入れたお風呂の場合は、3回以上沸かし直すと、だんだん白いブツブツが発生して来て、5回目を超えると、完全にお湯と温泉成分とが分離しちゃう。透きとおったお湯の中に、タマゴのカラザみたいなのがいっぱい浮遊してるみたいになって、ものすごく気持ち悪いし、お掃除も大変になる。ただし、これは、沸かし直す回数だけじゃなくて、時間の経過も関係してるみたいで、1日に3回沸かし直しても、白いブツブツは発生しない。あくまでも、毎晩1回ずつ、3日間に渡って沸かし直した場合に、3回以上になると、お湯と温泉成分とが分離し始めて、だんだん白いブツブツが発生して来る今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、「登別カルルス」のお風呂を3回以上沸かし直すと、どうしてお湯と温泉成分とが分離し始めるのかは、自然と健康を科学するツムラさんに聞いてみないと分かんないけど、あたし的には、この状態を「三入四捨(さんにゅうししゃ)」って造語で呼んでる。これは「四捨五入」をモトにして作った言葉だけど、読んで字のごとく、「3回目まではお風呂に入るけど4回目にはお湯を捨てる」って意味だ。普通のお風呂の場合は、残り湯をお洗濯に使うからいいんだけど、濁り湯タイプの温泉の素を使った場合には、お洗濯には使えないから、1回でも多く入らないともったいない。

で、あたしは、アサッテのお誕生日まで3日間、大好きな「登別カルルス」のお風呂を楽しんだら、お湯を捨てても、そのあとの数日間は少し暖かくなるだろうから、節約のためにシャワーにする。こうして寒い日と暖かい日とが数日ごとに繰り返されながら、だんだん本格的な冬になってく。これが「三寒四温」だ‥‥ってなワケで、さっきの「三入四捨」は、この「三寒四温」への導入の意味もあったってワケだ。もちろん、「さんかんしおん」なんて振り仮名を振らなくても、誰でも読めるとは思うけど、フロッピー麻生みたいに「順風満帆」のことを「じゅんぽうまんぽ」なんて読んじゃう総理大臣もいるから、ナニゲに振り仮名を織り込むようにしとかないと、あたしは書きながらリトル不安になって来る。

ま、フロッピー麻生はマンガしか読まないから関係ないと思うけど、この「三寒四温」てのは、3日寒い日が続いたら、そのあとは4日暖かい日が続くって意味だ。だけど、これは、冬に入ると大陸で発生するシベリア高気圧の影響によるものなので、ニポンよりも、中国の北部とか朝鮮とかのほうがハッキリと現れる。ニポンの場合は、今の時期の「三寒四温」よりも、3月の上旬に、寒い日と暖かい日が4日おきに繰り返されることのほうが、その差が明確で実感できる。

‥‥そんなワケで、本場の中国には負けちゃうけど、それでも、それなりに寒い日と暖かい日とが数日おきに繰り返されるのが、今の時期のニポンてワケだ。そして、こないだ、多摩川の秘密の森に行った日は「暖かい日」だったけど、昨日とか今日とかは「寒い日」だったってワケだ。だから、こないだは、「白亜紀の小石を拾ふ四温かな/きっこ」って俳句を詠んだけど、昨日や今日なら、季語が「四温」じゃなくて「三寒」にしなきゃなんない。

だけど、ここで問題なのは、果たして、こんな季語の使い方をしてもいいのか?‥‥ってことなのだ。だって、この「三寒四温」て言葉は、「自業自得」とおんなじ四字熟語だからだ。四字熟語ってものは、四文字揃ってて1つの言葉なんだから、それを「三寒」と「四温」とに分解して、バラバラに使ってもいいのか?‥‥ってことなのだ。

俳句は、正しいニポン語を使うことが最低限のルールでありマナーでもある。だから、基本的には省略語もタブーだ。たとえば、「テレビ」や「デパート」のように、すでにニポン語として人口に膾炙(かいしゃ)してる言葉なら、何も「テレビジョン」だの「デパートメントストア」だのって言わなくてもOKだけど、「携帯電話」のことを「ケータイ」だの、「コンビニエンスストア」のことを「コンビニ」だのって省略するのは、俳句ではNGだ。だから、こうした俳句的な姿勢からすれば、「三寒四温」ていう四字熟語を「三寒」と「四温」とに分解して使うってのは、あんまりよろしくない感じがする。

でも、最初に答えを言っちゃうと、これはOKなのだ。何でかって言うと、俳句ってのは、「今」を詠むものだからだ。あたしは、いつも、短歌をビデオカメラ、俳句をカメラに喩えてるんけど、ある程度の時間の流れを描写することもできるのが短歌なのに対して、俳句は、カメラのシャッターを押すように、その瞬間だけを切り取るものだからだ。

さっきも書いたように、「三寒四温」てのは、冬のシベリア高気圧の影響によって、寒い日が3日、暖かい日が4日、これを1セットとして繰り返される7日間の状況を指す言葉だ。つまり、この言葉は、寒い数日間から暖かい数日間への流れを表現してるものであって、ビデオカメラなら撮影できるけど、カメラじゃ写せないのだ。あたしが多摩川の秘密の森に行った日は、この「三寒四温」の中の暖かい日だったから、あたしは「白亜紀の小石を拾ふ四温かな」って詠んだワケで、逆に、この句だけを読んだ人にも、「ああ、寒い日に挟まれた暖かい日のことなんだな」って分かるワケだ。だから、「三寒四温」を季語として使ってる俳句は、そのほとんどが「三寒」か「四温」かのどちらかを使ってる。


 三寒の鯉がみじろぐ泥けむり  能村登四郎

 三寒の喉のガーゼを替へにけり  櫻井博道

 三寒の鴨居が部屋をひとめぐり  正木ゆう子

 日本海けふ力抜く四温かな  辻桃子

 電柱の四温の影を伸ばしけり  片山由美子

 鯉の斑(ふ)の溶けんばかりの四温かな  大石悦子


三寒には三寒の、四温には四温のそれぞれの景があり、本格的な寒さが訪れる前のほんのわずかな日常の変化を切り取ってる。おんなじ「鯉」を写生しても、能村登四郎が見た三寒の鯉と、大石悦子が見た四温の鯉では、まったく景が違う。

そして、四温の3句を見れば分かるように、この「四温」て季語は、「小春」と似たようなイメージで使われてる。「小春」とか「小春日」ってのは、冬に春のような暖かい日が何日か続くことを指す言葉だけど、そこまで厳密にはとらえないで、寒い日が続いた中で、その日だけポカポカと暖かかったら、それを「小春日」って詠んだりもする。だから、フランク・ザッパに言っちゃえば、「冬なのに春みたいに暖かい日」ってことで、「四温」も「小春日」もおんなじように使えるってワケだ。

つまり、瞬間を切り取る俳句においては、物理的に、「三寒」と「四温」を同時に詠むことはできないってワケだ。たとえば、「三寒」と「四温」の両方の言葉を使ってる句もいろいろとあるけど、そのほとんどは、「三寒」か「四温」かのどちらかに立って詠んでる。


 三寒の四温を待てる机かな  石川桂郎

 三寒の寒のつづきて四温なし  桂信子

 三寒を送りし石の四温かな  いのうえかつこ

 三寒の四温の空にゐる雀  今井杏太郎

 三寒を安房に四温を下総に  大屋達治


3句目までは、作者の立ち位置が明確だから説明は省くけど、分かりにくい4句目と5句目を簡単に説明すると、4句目は、三寒の空の中でも、スズメたちが飛んでる場所だけが四温のような暖かさを感じるってことだ。つまり、この句は「三寒の句」ってことになる。そして、5句目は、千葉を旅行してて、三寒を安房(あわ)で過ごして、四温を下総(しもうさ)で過ごしたってことは分かると思うけど、「今」を詠むのが俳句だから、これは、自宅に帰って来てから詠んだんじゃなくて、下総での最後の日に詠んだってことになる。つまり、この句は「四温の句」ってことになる。

‥‥そんなワケで、「三寒四温」を「三寒」と「四温」とに分解して使うことに対して、「瞬間を切り取る俳句では分解しないと使えない」っていうことは分かったと思う。だけど、それは、あくまでも俳句の都合に合わせた理屈であって、ニポン語としては、やっぱり四字熟語を分解するのは良くないんじゃないの?‥‥って人も多いと思う。

でも、それなら、俳句には、「九夏(きゅうか)」と「三伏(さんぷく)」って夏の季語がある。「九夏」は夏の3ヶ月間を指す大きな季語で、「三伏」は夏の一番暑い時期を指すスポットな季語だ。だけど、この2つの季語は、もともとは「九夏三伏(きゅうかさんぷく)」っていう四字熟語だったのだ。ようするに、「夏の3ヶ月間の中で一番暑い時期」って意味の四字熟語だったものを2つに分けて、それぞれの意味にしたってワケだ。そして、この「九夏」や「三伏」は、俳句だけじゃなくて、小説や一般の文章でも使われるようになった。

季節に関する言葉の多くは、中国から入って来たものだし、中国から入って来た時点では漢詩なんだから、そのほとんどが四字熟語みたいなもんだ。そして、それらの言葉が、ニポンの文化に合わせて分解されたり意味を変えたりして来た。だから、あたしたちが普通に使ってる言葉の中にも、もともとは中国の四字熟語の上半分だったものや下半分だったものがいくつもある。

たとえば、俳句には「天高し」と「馬肥ゆる」っていう秋の季語がある。これは、昔から歳時記にも掲載されてる立派な季語だし、俳句以外でも一般的にも使われてる言葉だろう。だけど、これらだって、もともとは中国の四字熟語だったのだ。中国には「秋至馬肥(しゅうしばひ)」って言葉があって、これが「秋高馬肥(しゅうこうばひ)」に変化してニポンに入って来て、それからニポン人の感覚に合わせて「天高馬肥(てんこうばひ)」って言葉に変わった。「天高馬肥」、つまり、「天高く馬肥ゆる」ってことだ。そして、この「天高馬肥」って四字熟語を「天高」と「馬肥」とに分解して、「天高し」と「馬肥ゆる」っていう2つの季語が生まれたってワケだ。

さらに言えば、この2つの季語は、もともとの意味とはぜんぜん違う。2007年9月1日の日記、「天高く馬肥ゆる秋」に詳しく書いてるけど、この季語のモトになった「秋至馬肥」って言葉は、「秋になると農作物を奪うために恐ろしい騎馬民族が襲撃に来るから、みんな気をつけろ!」って意味だったのだ。それが、中国からニポンへと伝わって来て、意味が変化して、ほのぼのとした秋の景を表わす牧歌的なイメージの言葉になっちゃった。

四字熟語を分解した上に、語源とはぜんぜん違う意味になっちゃった「天高し」や「馬肥ゆる」が、正しい季語としても、正しいニポン語としても認知されてるんだから、語源の意味にキチンと沿って使われてる「三寒」と「四温」は、まったく問題ないと思う。俳句における「三寒」と「四温」は、さっきの例句を見れば分かるように、四字熟語を完全に2つに分離してるワケじゃない。「三寒」てのは「三寒四温の中の三寒」て意味だし、「四温」てのは「三寒四温の中の四温」て意味なのだ。最初に挙げた「三伏」だって、「九夏三伏」って四字熟語をバッサリと2つに切ったワケじゃなくて、「九夏の中の三伏」って本意を持って使われてる。

「三寒四温」をラーメンてことにして、「三寒」を麺、「四温」をスープってことにすると、麺とスープとを別々の器に分けちゃえば「分離した」ってことになるけど、俳句で「三寒」て言う場合には、1杯のラーメンの中の麺の部分を指さしてることになる。だから、言葉としては「三寒」としか言ってなくて、四字熟語を半分にしちゃったみたいな形だけど、その本意としては、あくまでも「三寒四温」を大前提としてるのだ。「三寒四温」ていう1杯のラーメンの中の「三寒」ていう麺の部分を詠んでるのであって、その周りには、ちゃんと「四温」て言うスープがあるワケだ。

‥‥そんなワケで、今日は最後に、「三寒四温」の流れを表現するために、「三寒」の句を3句と「四温」の句を4句、並べてみようと思う。こうすると、俳句がビデオカメラじゃなくて、瞬間を切り取るカメラなんだってことが良く分かると思う今日この頃なのだ。


 黒板に三寒の日の及びけり  島谷征良

 三寒の嬰(やや)をまるめて皿秤(さらばかり)  長谷川双魚

 三寒の沖にとどまる大夕日  小原希世

 蛤(はまぐり)の舌出してゐる四温かな  江口千樹

 青鳩は木のふところに四温かな  邊見京子

 四温とて暮れてしまいぬ海のきわ  鈴木六林男

 だらしなく酔ひて四温の帽子かな  草間時彦


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