みんなにありがとう♪
昨日から「きっこの日記」と「きっこのブログ」でしつこく告知してたけど、今夜の「誰も知らない泣ける歌」で、Metisちゃんが「母賛歌」を歌った。あたしは、番組が始まる前から、Metisちゃんのブログの、放送に向けたメッセージを読んで、すでに涙腺が緩んでたんだけど、番組が始まったら、再現VTRの時点で、もうダメだった。
だけど、誰よりも強いメティママが、「世界一強い子」だって太鼓判を押したMetisちゃんは、泣かずにシッカリと歌いきった。それどころか、この番組が始まって以来、初めてゲストが全員泣いたってのに、Metisちゃんは、笑顔で、「1日に1つ楽しいことを見つけてお母さんと明るく生きてる」って言った。あたしは、Metisちゃんのことを心の底からリスペクトした。
力強く歌うMetisちゃんを観て、あたしは、今、この瞬間、メティママも病室で観てるんだって思って、テレビの画面に両手を伸ばして、メティママにパワーを送った。全国のたくさんの仲間が、メティママにパワーを送ってるんだって思って、あたしも一生懸命に送った。心の中で「メティママ、がんばれ!」って繰り返しながら、ガス欠になるまで愛のパワーを送り続けた。
番組を観てくれた皆さん、ホントにありがとう!
一緒に泣いてくれた皆さん、ホントにありがとう!
そして、メティママにパワーを送ってくれた皆さん、ホントにホントにありがとう!
‥‥そんなワケで、あたしは、Metisちゃんの歌が終わってから、Metisちゃんのブログに続々と書き込まれるコメントを読んで、また泣いた。そして、そのまま番組を観てたら、クーペ&Shifoの「25年目の手紙」が始まったので、ビックル一気飲みをした。あたしは、クーペさんも出ることを知らなかったからだ。
ホントに不思議なもので、今年の春に、あたしがクーペさんのことを取り上げた日記、「私を生んでくれてありがとう」も、クーペさんのこととMetisちゃんのことを一緒に取り上げてた。それは、クーペさんの娘さんからの手紙の最後に書いてあった言葉も、Metisちゃんの「母賛歌」の最後に歌われてる言葉も、両方ともおんなじ「私を生んでくれてありがとう」だったからだ。
あたしには、両親がいる。だけど、あたしが小さかったころに、父さんは外に女の人を作り、そのまま帰って来なくなった。そして、母さんと父さんは離婚したんだけど、母さんはお人好しだったから、父さんの言うがままに離婚の書類にハンコを押して、慰謝料や養育費なんてもらわなかった。そして、母さんは、朝も夜も日曜日も働くようになって、おばあちゃんも縫い物の内職をして、それでもギリギリの生活が始まった。それまでの晩ご飯は、目玉焼きの乗ったハンバーグとか手巻き寿司とかが週に2回くらいあったのに、イワシを煮たのが3日も続いたり、夜、朝、夜、朝って4回続けて納豆になったりしたんだから、子供でも生活が苦しくなったことくらい分かる。
だけど、母さんとおばあちゃんは、あたしが学校でいじめられないように、あたしがイジケたりしないように、いつでもキレイなお洋服を着せてくれた。上履きや体育館履きも、ボロボロになる前に新しいのを買ってくれたし、遠足の時の水筒も、あたしの欲しがったアニメのキャラのやつを買ってくれた。今考えると、「父親がいない」ってことで、あたしがひねくれたりしないように、ものすごくムリをしてたんだと思う。だって、クラスで1輪車が流行った時に、あたしもピカピカの1輪車を買ってもらえたけど、そのすぐあとに、大家さんのおじさんに頭を下げて、家賃を待ってもらってる母さんの姿を見たからだ。
小学6年生の時におばあちゃんが亡くなり、この世に母さんと2人きりになったあたしだけど、父さんは生きてる。ヨソに家庭を作り、子供もできて、もうあたしや母さんとは無関係に生きてる父さんだけど、母さんとは無関係になっても、あたしにとっては今でも父さんだ。だから、クーペさんの娘さんが、自分のお父さまに会いたくて、クーペさんのことを探し出して、お手紙を送った気持ち、痛いほど分かる。そして、クーペさんの娘さんも、あたしとおんなじヘアメークをやってる。だから、あたしは、クーペさんの「25年目の手紙」を聴いて、あたしの父さんが歌ってくれてるように感じた。
‥‥そんなワケで、あたしは、Metisちゃんの気持ちも、クーペさんの娘さんの気持ちも、自分のことのように感じられたから、今年の春に日記に取り上げさせてもらったんだけど、今日の「誰も知らない泣ける歌」を観て、改めて、とっても身近に感じられた。「身近」って言うか、親と子の絆って、宇宙で一番強い「愛」だって再確認した。
あたしの母さんは、治る可能性の低い病気にかかってる。だけど、社会的弱者を切り捨てたコイズミ改革によって、母さんの医療費は2倍以上になった。それまで免除されてた医療費が、半分以上も実費になったからだ。その上、医療ヘルパーの補助から投薬に至るまで、すべてがボッタクリになった。あたしは、元日から大晦日まで、1年365日、1日も休まず、1日に3本4本のお仕事をカケモチして働いたけど、それでも母さんの医療費が払えなくなり、深夜から明け方まで水商売でバイトした。1日の睡眠時間は、いい時で3時間、平均すると2時間以下だった。たった1人の家族であり、世界一大切な母さんのためだから、あたしは、ちっとも大変じゃなかった。ただ、社会的弱者を切り捨てる自民党とナンミョー党のやり方には、心の底から憎しみを覚えた。
どんなにがんばっても、母さんの病気は一進一退で、何年間も入退院を繰り返した。そして、あたしの体力も限界を迎えたころ、お医者さまから、ひとつの提案があった。それが、大きな手術だった。手術をすれば、半分くらいの確率で元気になることができる。だけど、この手術には保険が適用されないから、ものすごいお金が必要だってことと、手術には体力も必要なので、何年も先になると、手術を受けることができなくなるってことだった。そして、先になればなるだけ、成功率が低くなるってことだった。
毎月の医療費だけでも苦しいあたしにとって、この金額はどう考えてもムリな金額だった。だけど、他に母さんを助ける方法がなかったから、あたしは、いろいろと考えて、この「きっこの日記」を書籍化する方法を選んだ。そして、2年前に初めて書籍版の「きっこの日記」を出版することができて、その後の「きっこの日記2」、「きっこの日記R」と、ぜんぶで3冊の本を出版することができて、たくさんの人たちに支持してもらえたオカゲで、何とか必要なお金の8割近くを作ることができた。だから、あたしは、これもひとつの元気玉だと思ってるし、本を買ってくださった人たちには、心から感謝してる。
‥‥そんなワケで、あたしは、たくさんの人たちからの愛を受け取り、残りの足りなかったぶんも、必死に働いて、がんばってパチンコを打ちまくり、ギリギリまで節約した生活を続けて来て、個人的にカンパしてくださった人もいて、2年間かけて、ようやく全額を作ることが出来た。そして、お医者さまと相談して、年明けの1月には、手術を受けられることになった。まだ、ハッキリしたことは決まってないけど、年明けに検査をして、その結果によって、最善のタイミングで手術を受けられることになった。
だから、あたしは、みんなに「ありがとう」を言いたい。
Metisちゃんにも、メティママにも、メティおばあちゃんにも、そして、クーペさんにも、Shifoさんにも、クーペさんの娘さんにも、みんなに「ありがとう」を言いたい。
そして、世界一大切な母さんに、心から「ありがとう」を言いたい。
母さん、あたしを産んでくれて、ホントにありがとう♪
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