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2008.11.11

色褪せたデジタル生活

1週間くらい前に新年を迎えたと思ったら、3~4日前に夏が来て、昨日、秋になったと思ったら、今日はもう立冬を過ぎて冬になっちゃった‥‥って、こんな感じのことを「光陰矢のごとし」って言うワケだけど、サスガに「1週間くらい前に新年」は大ゲサとしても、ついこないだ6月の折り返し地点を飛び魚ターンしたと思ったのに、もうゴールが目の前の11月だなんて、月日の経つのはホントに速水鮎子だ。で、毎年のことだけど、あたしの場合は、11月になり立冬を過ぎると、三十路すぎの独身女性にとって、あんまり嬉しくないお誕生日が迫って来る。

この「きっこの日記」の前身の「れいなの日記」を書き始めたころは、あたしは20代だったのに、そんなあたしも、ずっと日記を書き続けてるうちに、自然と三十路を迎え、1つずつ年を重ねて来て、とうとう35才になっちゃった。そして、「アラフォー」も目前だって思いつつも、心のどこかで「まだまだあたしは若いから」なんてふうにも思って、潜在意識的な不安をゴマカシて来たのもトコノマ、あれよあれよと言う間に月日は流れ、ハッと気づいた時には、あと10日ちょいで36才になっちゃう自分がいる。

でも、神経質な人に対して「よく気のつく人ですね」って言うみたいに、肥満児のことを「体格のいいお子さんですね」って言うみたいに、モノゴトはすべて考えようだから、あたしの場合は、書いてるあたしの年齢じゃなくて、この「きっこの日記」の年齢のほうに目を向けてみることにした。そうすると、この日記がスタートしたのは、2000年の10月19日だから、先月の10月で8周年を迎えたってことになる。つまり、今月のあたしのお誕生日は、「きっこの日記」の9年目に突入したお誕生日ってワケで、いよいよ来年は記念すべき10年目に突入ってワケで、そう考えると、すごくおめでたい気分になって来る今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、いつもお誕生日やクリスマスのカードやプレゼントを贈ってくださる人にお知らせですが、今までにも何度か告知して来たように、送り先は、「白夜書房」じゃなくて「辰巳出版」宛てでお願いしますね。どちらでも届くんだけど、現在のあたしの直接の窓口は「辰巳出版」なので、「白夜書房」に届いたものは、一度「辰巳出版」に転送されてから、あたしの手元に届くようになってるので、手間も時間も掛かってしまうのです。「きっこの日記 R」の最後のページに書いてあるけど、「辰巳出版」の住所で、「きっこの日記 R」のきっこ宛、と書いていただければ、最短時間であたしの手元に届きます。

それから、これは、不特定多数に向かって「何かくれ!」って言ってるワケじゃなくて、今だに「白夜書房」にお手紙やプレゼントが届いてるので、そのためのお知らせです。こうしてわざわざ説明しとかないと、大ウソばかり書き込んで他人に嫌がらせをするための無法地帯になっちゃってるウィキペディアに、また「きっこは日記上で物乞いする乞食女だ」って書かれちゃうから、これは迷惑なウィキペディアに対する対策です‥‥ってなワケで、ようやく本文に突入しちゃうけど、あたしは、小学2年生とか3年生の時には、5年生や6年生がものすごく年上に見えたし、制服を着てる中学生は大人に見えた。

そして、自分が中学1年生になったら、今度は中学2年生や3年生がすごく年上に思えたし、自分が高校1年生になったら、またまた先輩たちがすごく大人に思えた。だけど、自分が大人になってみたら、小学2年生も小学5年生も単なる子供だし、中学生も高校生もションベン臭いガキにしか見えなくなった。これは、誰もが感じる感覚だと思うけど、学生の時の「1年」って、すごく大きいと思う。

あたしが高校の時、クラスにダブリの男の先輩がいたんだけど、年齢はたった1年しか違わないのに、クラスの誰もが一目置いてて、みんな敬語で話してた。その先輩は、やさしい人で、あたしたちに何かを命令したりすることはなかったんだけど、タマに、その先輩の元の同級生、つまり、1年上の先輩たちが何人かやって来てダベってるのを見てると、ものすごく年上に思えた。

あたしの場合は、3年生の先輩が中心のバンドでキーボードを弾いてたこともあって、ワリとタテの人脈を築いてたから、特に他の先輩から目をつけられていじめられるってこともなかったけど、やっぱり、悪いグループには近づかないようにしてた。地元でも恐れられてる悪いヤツラばっかの工業高校とか、マジメな学生しかいない進学校とか、どっちかなら分かりやすいんだけど、あたしの高校は、チャラいヤツからマジメな学生までがゴッチャになった平均的な都立高校だったから、どんなグループに入るか、どんな先輩と付き合うかによって、校内での立場や状況が大きく変わった。

今の子たちからは想像もできないと思うけど、あたしの時代はケータイがなかったから、人と人とのダイレクトな付き合いが第一だった。今は、おんなじ教室の中にいる相手とわざわざメールでやりとりしたりするけど、あたしの時代は、相手のとこまで行って、直接声をかけて、相手の目を見て話す時代だった。だから、自分の言いたいことは、直接言うか、電話で伝えるしかなかった。そのため、人と人とのつながりがデジタル化しちゃった今とは違って、すごく生々しかった。自分の言葉が相手を傷つけないように、常に相手の立場に立って、常に先回りして考えることが普通だった。

だけど、すべてが軽薄短小になった今は、相手の立場に立つどころか、インターネットの匿名性を悪用して、ワザと他人を傷つける言葉を放って、人を傷つけて喜ぶような人たちまで出てきちゃった。こないだの日本シリーズの第7戦が終わったあと、いつも覗いてるある人のブログを見に行ったんだけど、ジャイアンツファンのその人のブログのコメント欄は、「通りすがりの西武ファン」て名前の人からの「ザマーミロ!wwwww」っていう書き込みで埋まってた。

ケータイのなかったあたしの高校時代に、これとおんなじことをやろうとしたら、わざわざジャイアンツファンの人の目の前まで行って、その人に向かって何度も「ザマーミロ!」って言って大笑いするしかなかった。そんなことしたら、当然、ぶん殴られるだろう。だから、そんなこと言う人はいなかった。でも今は、絶対にぶん殴られない安全な場所に身を隠しながら、相手を不愉快にさせることを書き込んで、イヤな思いをしてる相手のことを想像して、1人でニヤニヤすることができるようになった。そして、誰が言い出したのか知らないけど、そうした行為をする人たちの共通の名前が、この「通りすがり」っていう名前になった。

ニポンだけでも何百万ものブログがあるんだから、特定の個人ブログをたまたま通りすがるなんてことはアリエナイザーなワケで、相手は最初から嫌がらせをする目的でアクセスして来る。つまり、「通りすがり」を名乗ること自体が、すでに確信犯であることの証拠ってワケだ。自分の名前を名乗る勇気もなく、自分のハンドルを名乗る勇気もなく、「その他大勢の中の誰か」にカムフラージュしてくれる「通りすがり」を名乗って、幼稚な嫌がらせを書き込む。それはまるで、犯人を特定できない人ゴミの中から石を投げるような行為だ。そして、「通りすがり」のクセに、何度も何度もやって来る。5分おきにやって来る。これじゃあ「通りすがり」じゃなくて、完全に「常連さん」だ(笑)

‥‥そんなワケで、35才のあたしの場合は、ケータイがなくて、自宅の電話と公衆電話しかない学生時代を送って来て、ケータイの普及、パソコンの普及とともに大人になった。本格的にケータイを使い始めたのは20才を過ぎてからだし、パソコンに至っては20代後半からだ。初めて手にした初期のケータイは、モノクロの小さな画面を見ながら、必死に単音の着メロを打ち込んだ。そして、画面が大きくなり、カラーになり、着メロも複雑で音も良くなりつつも、「パケ死」なんかも経験した。今は、1ヶ月1000円から2000円でケータイが持てるけど、初期のころは、基本料金だけで8000円くらいして、普通に使ってるだけで月に5万円は楽勝だった。そして、ようやく、今の「お金のかからない料金形態」へとたどり着いたワケだ。

だから、あたしは、ケータイやパソコンがないと不便だと思うけど、なかった時代のことも体験してるし、ケータイやパソコンの「良くない点」もいろいろと実感してるから、ある日突然に地球上からケータイとパソコンがなくなっても、それなりに対応して普通に生きて行く自信がある。まあ、お仕事のためにポケベルくらいは利用すると思うけど、それだけで何とかなると思う。だけど、あたしよりひとまわりくらい下の今20代の子たちは、もの心ついた時からケータイがあって、人によっては小学生のころからケータイを持たされてたり、自宅にパソコンがある生活をして来たワケだ。だから、人とのコミュニケーションもデジタル化してて、ケータイを取り上げたら手足をもがれたみたいになっちゃうだろう。「通りすがり」を名乗って他人に嫌がらせをしてたようなヤツラも、ストレス発散の場所がなくなって困るだろうけど、あたしには関係ない。

この「きっこの日記」も、ケータイやパソコンがなくなれば、続きは日記帳に書くだけのことだ。あたしは、書くことが好きで書いてるだけだから、別にそれで困らない。そして、それでも読みたいって人がいれば、「辰巳出版」にお手紙をくれれば、1週間ごととか2週間ごととかに、コピーしたものをホチキスでとめて郵送する。その場合は、コピー代とか切手代とかの最低限の費用は掛かっちゃうけど、読むのは今まで通りに無料だ。手間は掛かるけど、こんな誰が書いてもおんなじなネット上の文字じゃなくて、一字一字あたしの字で書くワケだから、あたたかみも違う。

‥‥そんなワケで、誰が書いてもおんなじなケータイの文字でメールをやりとりして、ケータイが水没してデータが飛んだら何も残らないデジタルな生活。ケータイやデジカメで撮った写真も、データとして保存してるだけだから、データが消えたら終わり。保存するって言っても、CDRやSDカードやUSBメモリの中に「記号」として保存してるだけだから、そこには何の体温もない。単なる「記号」だから、消えたら終わりだし、何十年経っても色褪せなくて生々しい。

最近、「アメトーーク」の「家電芸人」で、自分の録画したビデオをブルーレイに落としておくと、何十年経っても劣化しないってことを熱弁してた芸人がいたけど、あたしは、アホかと思っちゃった。写真は、時間の経過とともに色褪せてくから味わいがある。昔、録画したビデオだって、画質が悪くなってくから当時のことを思い出す。誰かからもらったお手紙だっておんなじだ。それなのに、すべてを記号化したデジタルな生活を続けてるうちに、モノゴトの本質までデジタルで考えるようになっちゃって、画質の劣化を「悪いこと」だなんて思い込むようになっちゃった気の毒な人たち。完全に家電業界に洗脳されちゃってるよね。

たとえば、上質の革のお財布やバッグなら、最初は何の味わいもないけど、何年も何十年も大切に使ってるうちに、だんだんと深い色あいになって来る。ジーパンだって、長年履いてるうちに、少しずついい色になって来る。ウイスキーやワインだって、月日が経つことによって熟成されて行く。「R35」の音楽だって、ところどころ伸びてる当時のカセットテープで聴くからこそ、味わいがあるってもんだ。

‥‥そんなワケで、あたしは、今でもカセットテープのウォークマンを愛用してる。CDラジカセを使って、CDをカセットテープに録音して、それをウォークマンで聴いてる。それで何の問題もないし、iPodなんて必要もないし興味もない。ブラウン管のテレビに、VHSのビデオデッキをセットして使ってるけど、何の不都合もない。画質も音質も十分だし、まったく不満はない。だから、あと何年かで地デジになったら、このままVHSを観るためのモニターとして使い続けるつもりで、新しいテレビなんか買うお金もないし、必要性も感じない。だって、この世の中って、あたしたち人間が主役なんであって、間違っても家電が主役の世の中じゃないからだ。メーカーの都合で次から次に発売される家電になんかに、何で人間のほうが合わせなきゃいけないのか。こんなことしてるから、何十万円もする家電を何の疑問も持たずに買うような人が増えてきちゃうのだ。今の地球の状況を考えたら、できるだけ家電を買わないことこそが最優先なのに‥‥なんて思う今日この頃なのだ。


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