月の舟
ゆうべ‥‥って言っても、深夜0時を回ってたから日付は今日になってたけど、深夜の1時か1時半ころ、車の中の忘れ物を取りに駐車場へ降りて行った。それで、ふと夜空を見上げたら、ミゴトなまでの「月の舟」が浮かんでた。半月から三日月まで、どんな角度で浮かんでても、みんなマトメて「月の舟」って呼ぶ人もいるけど、あたしの場合はコダワリがあって、ちょうど半分のお月さまが、ちょうど下半分だけ見える角度で夜空に水平にプカプカと浮かんでないと、「月の舟」とは呼ばないことにしてる。それで、ゆうべは、ちょうど半分の半月が、ほぼ水平に浮かんでて、あたしの理想とする「月の舟」だった。だから、感激しちゃって、しばらくボーッと眺めてたんだけど、寒くて風邪をひきそうになったので、お部屋に戻って来た。
今月のお月さまは、たしか先週の金曜日が満月だったから、それからちょうど1週間目のゆうべが半月だった。半月は、新月から満月へと膨らんでく途中の「上弦の月」と、満月が痩せてく途中の「下弦の月」があるんだけど、これは、半月のカーブしてる部分を「弓」、直線の部分を「弦」に見立てたものだ。aikoの名曲、「カブトムシ」に出て来る「弓張月」ってのは、この「上弦の月」と「下弦の月」の総称だ。そして、弓を張った側、つまり、直線の部分がナナメ上を向いてるのが「上弦の月」で、ナナメ下を向いてるのが「下弦の月」ってワケだ。
「上弦の月」と「下弦の月」は、向きが反対で、一番高く上った時に、右半分が見えるのが「上弦の月」、左半分が見えるのが「下弦の月」だ。だから、お月さまが出てから沈むまでの形も反対だ。「上弦の月」は、お椀を伏せたような形で現われて、だんだんに回転しながら上って行って、一番高く上った時には、弦の部分がナナメ上を向いた形になって、そのまま回転しながら沈んで行って、最後には舟の形になる。で、「下弦の月」のほうは、これと逆で、舟の形で現われて、お椀を伏せた形で沈んでく。今は、だいたい深夜0時くらいが「月の出」の時間なので、深夜1時とか2時とかは、まだ月が出たばかりだ。だから、「下弦の月」だったゆうべは、あたしが駐車場に降りてった時間が、ちょうど舟の形に見える時間だった今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?
‥‥そんなワケで、この「月の舟」って言葉には、正確な定義がない。だから、人によっては、半月が夜空にタテに浮かんでても「月の舟」って呼ぶ人もいるし、三日月を「月の舟」って呼ぶ人もいる。だけど、あたしの感覚だと、舟がタテになってたら、沈没しそうなものすごい時化(しけ)ってことになっちゃうし、お椀を伏せた形なら、完全に転覆してることになっちゃうから、とてもじゃないけど優雅に眺めてなんかいられない。そして、あたしが半月にコダワリを持ってるのは、あまりにもアレもコレも「月の舟」ってことにしちゃうと、見た時の感激が薄れちゃうからだ。
「月の舟」の定義を厳しくして、完璧な半月でなきゃダメなことにして、それも、キチンと水平に浮いてなきゃダメなことにすれば、「上弦の月」なら沈むころ、「下弦の月」なら上り始めたころしか、見られるチャンスはなくなる。そうすると、「月の舟」を見られる回数は、1ヶ月に2回だけってことになる。それも、「お天気が良ければ見られる」っていう条件もつくワケだから、たまたま半月の日に雨が降ったり曇ったりしたら、見ることはできなくなる。
だから、この定義にすれば、美しい「月の舟」を見られるのはラッキーってことになる。そうすれば、見られた時には嬉しくなる。何だかイイコトがありそうな気分になって来る。そして、それがゆうべだったってワケだ。
もともと、「月の舟」を見ようと思って狙ってたのならともかく、別に気にしてなかったんだから、たまたま車の中に忘れ物をして、たまたま深夜に取りに行ったら、ミゴトな「月の舟」に出会うことができた‥‥ってことなのだ。そして、1ヶ月に2回のチャンスなんだから、もしも、オトトイの雨が昨日まで降り続いてたら、車に忘れ物を取りに行っても、「月の舟」は見られなかったことになる。そう考えると、あたしは、ものすごくラッキーだったことになるから、それこそ「ツキ」があったんだと思う。
‥‥そんなワケで、あまりにもミゴトな「月の舟」と出会えたあたしは、感激を引きずりつつも、冷えた体を温めるために、「登別カルルス」のお風呂を追い焚きして、真夜中に二度目のお風呂に入った。そして、湯舟の白いお湯に肩まで浸かって、頭の中をカラッポにして、至福の時を過ごしてた。寒い12月の深夜の2時に、「登別カルルス」のお風呂で温まれるなんて、こんなに幸せなことはない。
それで、あたしは、真夜中の湯舟に浸かりながら、「琥珀の弓張月~~息切れすら覚える鼓動~~♪」なんて歌ってたら、ふと気づいた。それは、この「湯舟」って、普通の舟とは逆だってことだ。普通の舟は、水に浮かべて乗るもので、舟の周りはぜんぶ水だけど、舟の中に水はない。それなのに、いろんな舟がある中で、この「湯舟」だけは、周りには水がないのに、中に水が入ってる。ま、正確には「お湯」なんだけど、夏の水風呂なら、完全に普通の舟とは逆になる。
普通の舟の場合は、もしも底に穴が開いちゃって、水が少しずつ入って来たら、そのままじゃ沈没しちゃうから、アセッて水を汲み出さないといけない。つまり、普通の舟の場合は、中に水が入るってことは、何よりもヤバイことなのだ。だけど、「湯舟」の場合は、まったく正反対で、中に水を入れて使うように作られてる。つまり、舟は舟でも、それは形状が似てるってだけのことで、用途としては真逆だってことになる。
でも、あたしは、考えてみた。この「湯舟」だって、湖とかに浮かべたら、舟として使うことができるんじゃないか‥‥って。だって、佐渡島のタライの舟なんて、もともとは洗濯物を洗うためのタライだったワケで、それに比べたら、湯舟のほうが遥かに浮力も安定性もいいハズだ。さらには、湯舟なら、ある程度はお湯を入れた状態でも、ナニゲに水に浮きそうな気がする。もちろん、肩まで浸かれるほどお湯を入れたら沈没しちゃうだろうけど、半分くらいなら、何とか浮きそうな気がする。
そして、もしもそうなら、温かいお湯に浸かりながら、湖に浮かんだり、川を下ったりすることが可能になる。そうしたら、ものすごくゼイタクで楽しいバケーションが満喫できそうだ。だけど、「登別カルルスのお風呂に浸かりながらの川下り」なんていう、せっかくのゴージャスな企画なのに、カンジンのお湯が半分しか入ってなくて、半身浴しかできないなんて、「仏作って魂入れず」だ。ちょっと違うけど(笑)
だからって、半分ほどのお湯に肩まで浸かるために、体をズラして湯舟の底に寝るみたいな体勢をしたら、見えるのは空ばかりで、周りの美しい景色を眺めることができない。そこで、あたしが目をつけたのが、「海」なのだ。湖や川の場合は、湯舟の中のお湯も、湯舟の周りの水も、比重はおんなじだ。細かく言えば、水よりもお湯のほうが少しだけ比重は軽くなるけど、湯舟の浮力に差が出るほどの違いはないと思う。
だけど、真水と海水の場合は、大きく違う。フランク・ザッパに言うと、おんなじ体積の水で、真水の重さが100gだとしたら、海水は102gもある。お風呂のお湯の量を200リットルだとして、1リットルを1kgだとすると、お湯の重さは200kgってことになる。で、おんなじ量の海水だと、204kgだ。だから、4kgぶんも浮力が増すってことになる‥‥んだと思う‥‥たぶん。
‥‥そんなワケで、あんまり自信はないけど、淡水よりも海水のほうが比重が重くて、結果、浮力が増すってことは間違いないんだから、あたしの考案した「湯舟丸」で、登別カルルスに浸かりながらの舟遊びを楽しむのなら、川よりも海のほうがタップリとお湯を入れられるワケで、肩まで浸かれる可能性が高くなるってワケだ。だけど、川なら漕がなくても川下りできるけど、海の場合は漕がないと進まない。それどころか、ノンキにお湯に浸かってるうちに、親潮とか黒潮とかに流されちゃって、とんでもないとこを漂流してそうな気もする。
だからって、せっかくのんびりとお湯に浸かってるのに、セッセとオールを漕ぐのなんてイヤだから、ここはひとつ、ちゃんとした動力を付けたいと思う。でも、船外機を使うならガソリンタンクも必要だし、エレキモーターを使うならバッテリーが必要だ。普通のボートなら、ガソリンタンクやバッテリーはボートの中に積めばいいけど、お湯の入ってる「湯舟丸」には積むことができない。
そこで、あたしが思いついたのは、マブチの水中モーターだ。赤と白の本体に、吸盤がついてるアレだ。アレを「湯舟丸」の底に10個とか20個とか付ければ、ゆっくりでも進みそうな気がする‥‥って、乗ってたら方向も変えられないし、止めることもできないじゃん!‥‥なんて、一応、お約束のノリツッコミも織り込みつつ先へと進むけど、ものすごく基本的なことを言うと、「お風呂に浸かりながら舟遊びをしたい」ってだけなら、何も湯舟そのものを海に浮かべなくたっていいんだよね。たとえば、大きなイカダを作って、その真ん中に湯舟を設置してもいいワケだし、ちゃんとしたモーターボートの中に湯舟を設置してもいいワケだ。
だけど、それじゃあ本末転倒だ。だって、この企画がスタートしたのは、「湯舟」っていう舟を本来の舟として使うことはできないかってことなんだし、さらには、どうせなら「湯舟」としての機能も活用しながら、舟としても利用してみようってことなんだから‥‥なんて考えてるうちに、お風呂の中でウトウトして来て、周りのタイルが壁がキレイな景色に見えて来て、何だか湯舟がプカプカと揺れてるみたいに感じられて来た。だから、すごく気持ち良かったんだけど、このままだと湯舟の中で寝ちゃって水没しそうだから、ゆうべはここまでにして、ちゃんとベッドで寝ることにした。
‥‥そんなワケで、真夜中のお風呂で、思わぬアイデアが浮かんじゃって、ついつい長湯をしちゃったあたしだけど、登別カルルスのオカゲで、湯冷めしないで、お布団に入ってからも体がポカポカしてた。それで、完全に寝ちゃう前に、さっき湯船でウトウトした時の「現実と夢のハザマを漂う感覚」を楽しんでたら、「万葉集」のこんな歌を思い出した。
天の海に雲の波立ち月の舟星の林に漕ぎ隠る見ゆ 柿本人麻呂
果てしなく広がる宇宙という海に、雲という白波が立ち、その大海原を月の舟がゆっくりと漕ぎ進んで行く。そして、満天の星の林の中へと消えて行った‥‥って、あまりにもステキで、もともと大好きな歌だけど、ついさっき、本物の「月の舟」を見たばかりな上に、「月の舟」の代わりに「湯舟」に乗ってプチ舟旅をして来たばかりだから、いつも以上に歌の世界を感じることができた。そして、あたしの頭の中のスクリーンに浮かんだ「月の舟」には、タップリと登別カルルスのお湯が入ってて、それに浸かりながら夜空を旅することができた今日この頃なのだ。
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