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2008.12.03

ロックンロール・フロンティア

あたしと同世代の人なら、チェッカーズとかは知ってると思うけど、チェッカーズが「ギザギザハートの子守唄」でデビューする7~8年くらい前、まだ、あたしが幼稚園に通ってたころに、チェッカーズと同じく、ベイシティローラーズ系の5人組アイドルロックバンドがデビューした。1977年のデビュー曲、「Hey! I Love You!」は、作詞が森雪之丞、作曲が馬飼野康二っていうクレジットからも分かるように、どんなに「ロックふう」に作ってあったとしても、それは、オオカミの皮をかぶったヒツジならぬ、ロックの皮をかぶった歌謡曲ってワケだった。

そのバンドの名前は、「レイジー」、ご存知、ディープ・パープルの名盤中の名盤、「マシン・ヘッド」に収録されてる隠れた名曲のタイトルだ。つーか、幼稚園児でも知ってる「ハイウェイ・スター」や「スモーク・オン・ザ・ウォーター」が入ってるアルバムなのに、その隙間の「レイジー」にしちゃうとこが渋いんだけど、気の毒なことに、このバンドを売り出そうとした「後ろの大人たち」は、音楽よりもお金が好きな商業音楽家たちだったために、メンバーの方向性や意向を無視して、こともあろうに、アイドル路線でのデビューをゴリ押ししたのだった。

そして、アマチュア時代の彼らに目をつけたムッシュかまやつが、メンバーひとりひとりに、ミッシェルだのポッキーだのファニーだのスージーだのデイビーだのって、見た目のインスピレーションで、テキトーなニックネームをつけてった。で、当時は歌謡曲の全盛期だったから、歌謡曲専門の作詞家や作曲家に依頼して、今じゃ、おいおいおいおい!って感じの、とてもじゃないけどロックバンドは恥ずかしくて演奏できないような楽曲を与えて、これまた恥ずかしくて着れないような衣装を着せて、アイドルバンドとしてデビューさせたってワケだ。でも、商業音楽家たちのオモワクはドンピシャで、レイジーは、3曲目の「赤頭巾ちゃん御用心」がヒットして、一躍、アイドルの仲間入りをした今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、あたしは、自分で書いといてこんなこと言うのも無責任なんだけど、このマクラに書いたことは、リアルタイムにはぜんぜん知らない。すべて、あとから、先輩や年上の人から聞いた話だ。で、あたしが知ってるレイジーは、レイジーとしての最後のアルバム、「宇宙船地球号」だけだ。それも、あたしがこのアルバムを聴いたのは、発売されてから10年近く過ぎた、高校生になってからなのだ。高校生になって、初めてバンドを組んだ時に、3年生の先輩が、「日本のロックを聴くと勉強になるよ」って言って貸してくれたカセットテープの中の1本が、この「宇宙船地球号」だった。

レイジーが活動してたのは、わずか3~4年くらいだったみたいで、あたしが幼稚園のころから、小学1年生くらいまでだ。だから、たぶん、テレビの歌番組か何かで何度かは観てたかもしれないけど、正直言って、まったく記憶がない。あたしが歌番組に夢中になり始めたのは、小学2年生の時に、松田聖子ちゃんが登場してからだ。クラスの女の子の間で、聖子ちゃんは「現実の世界のお姫様」みたいな位置づけになって、あたしも夢中になった。そして、その2年後くらいに中森明菜ちゃんが「スローモーション」でデビューした時に、あたしは、あまりの美しさに「世の中にこんなに美しい人がいたんだ」って思って、それからはずっと明菜ちゃんだけに夢中になった。だから、まだあたしが歌番組とかに興味を持ち始める前に活躍してたのが、レイジーだったってワケだ。

で、あたしは、高校生になってから、先輩が貸してくれた、レイジーの「宇宙船地球号」ってアルバムのテープを聴いたんだけど、すんごくカッコ良くて、特に、1曲だけ入ってたインストの曲のギターがカッコ良くて、まだ6種類くらいしかコードが弾けなかったあたしとしては、神様のように神々しく感じられた。ドラムも、海外のハードロックバンドみたいなタム回しや、奥行のある叩き分けがカッコ良くて、なんて言うか、狭いスタジオの中で演奏してるんじゃなくて、宇宙空間で演奏してるみたいに感じられた。

先輩が貸してくれたカセットテープには、バンド名と曲名しか書いてなくて、メンバーの名前とかは分からなかった。それで、興味を持ったあたしが、ハードロックやメタルを専門にしてた先輩に聞きに行ったら、軽音楽部の部室で、「アースシェイカー」とか「ラウドネス」とか「アイボリーゲイト」とか「44マグナム」とか「アンセム」とかのテープを順番に掛けながら、「レイジーのギタリストの誰々とドラマーの誰々が結成したバンドがラウドネスで、そこにボーカルで入ったのがアースシェイカーの誰々で~」って説明してくれた。もちろん、複雑で覚えられなかったけど(笑)

で、それから20年近くが過ぎて、あたしは、マサカ、アースシェイカーのギタリストのSharaさんからメールをいただくとは思ってなかった。それもこれも、以前から懇意にしてくださってた「オアシス」の渡辺末美さんが、Sharaさんを始めとしたアースシェイカーのメンバーとつながってたからで、あたしは、渡辺さんから転送されて来たSharaさんのメールの「きっこの日記をいつも読んでます」って言葉に、ビックル一気飲みだった。

‥‥そんなワケで、アイドルバンドとしてデビューせざるを得なかったレイジーは、やっぱり自分たちのやりたいハードロックへ向かうために、解散後、ギタリストの高崎晃さんとドラマーの樋口宗孝さんが中心になって「ラウドネス」を結成した。だけど、レイジーのボーカルだった影山ヒロノブさんは、自分の道へと進み、後に「ドラゴンボールZ」の「ちゃ~ら~へっちゃら~♪」とかを歌うようになって、ピンクレディーのミーちゃんとかもやってる「アニメタル」ってジャンルを確立した。

正直、このジャンルは、あたしにはチンプンカンプンなので触れないけど、あたしにも分かる「ラウドネス」のほうは、Sharaさんの高校時代の同級生で、最初にアースシェイカーを結成した時の仲間の二井原実さんが、初代のボーカルとして参加した。それからずっとして、Sharaさんは、樋口宗孝さんや二井原実さんと「スライ」を結成したりもしてるので、この辺りのメンバーは、バンドは違えどみんな仲間って感じなんだと思う。

当時は、「東のアイボリーゲイト、西のアースシェイカー」って言われてて、この2つのバンドが、ニポンのハードロックの双壁をなしてたそうだ。だから、大阪出身のアースシェイカーやラウドネスが仲良しなのは分かるけど、東京のアイボリーゲイトとは仲が悪かったのかな?‥‥なんて思ったら、しばらく前にSharaさんからいただいたメールに、まだデビューしたてのころ、東京にライブに来て、泊まるとこがなくて、アイボリーゲイトのギタリストのロミーさんのとこに泊めてもらった話とか、ロミーさんは今は三茶でロックバーをやってるって話とかが書いてあって、あたしは、「みんな仲良しだったんだ~♪」って思った。

で、もう皆さんお気づきだと思うけど、あたしが何でこんな話題を書いてるのかって言うと、オトトイの11月30日に、ラウドネスのドラマーの樋口宗孝さんが亡くなったからだ。樋口さんは、今年の春に肝細胞癌と診断されて、それから治療に専念して来た。10月には、オフィシャルサイトに途中経過が報告されたんだけど、その内容は、つらい大手術や厳しい現状などが淡々と書かれてて、必ずしも良い報告じゃなかった。でも、ファンや仲間に対する樋口さんの気持ちが伝わってくる、とっても力強いメッセージだった。だけど、このメッセージを最後に、樋口さんは、帰らぬ人となった。49才、あまりにも早すぎる。

最初に樋口さんの訃報を伝えたのは、高崎晃さんだった。高崎さんのオフィシャルブログに、11月30日の深夜、「今朝LOUDNESSのドラマーの樋口宗孝が肝ガンの為、永眠しました。たくさんの応援とお見舞い、ありがとうございました。」っていう短いコメントが書かれたのだ。30年近く、一緒に音楽をやって来た親友の死に、多くを語ることなどできず、これが精一杯のコメントだってことが、痛いほど伝わって来た。

二井原実さんも、翌1日、自身のオフィシャルブログに、たった5行の短いコメントを出した。Sharaさんも、自身のオフィシャルブログに、たった4行の短いコメントを出した。あたしは、これらの短いコメントが、樋口さんを愛する仲間たちの、言葉にならない言葉なんだと思って、胸をしめつけられるような気持ちがした。

‥‥そんなワケで、昨日は、奇しくも、アースシェイカーのマーシー(西田昌史)さん、SHOW-YAの寺田恵子さん、ラウドネスの二井原実さんの3大ロックボーカリストで結成してるユニット、「西寺実(にしでらみのる)」のプレス向けお披露目ライブが、渋谷で行なわれた日だった。ライブ終了後、二井原さんは、「ほんまにつらい。28年間一緒だった仲間。ひぐっつあんは僕の歌の一番の理解者やった。他のメンバーと大阪にお見舞いに行こか、と話をしていた矢先だけに悔やまれる‥‥」って言葉少なに語ったそうだ。元レイジーのメンバーだと、ラウドネスの初期に少しだけ参加して、音楽性の違いから道を分かつことになったベースの田中宏幸さんも、2年前の2006年に急性心不全で亡くなってるんだけど、同期の仲間たちから愛されてただけじゃなく、後に続く多くのドラマーからリスペクトされてたニポンを代表するロックドラマー、樋口宗孝さんの死は、ニポンの音楽界にとって、本当に貴重な宝を失ったことになる。

だけど、ひとつだけ言えることは、樋口さんは、アイドルのマネゴトをしないと演奏させてもらえなかったような時代にデビューしたのに、それでも夢を捨てずに自分の道を歩き続け、自分の力でロックに市民権を与えたフロンティアだったってことだ。数えきれないほどの後進のバンドたちに、今、ハードロックやヘヴィメタルってジャンルの音楽でメジャーデビューへの道がひらかれてるのは、樋口さんと仲間たちが道を切り拓いて来てくれたからなのだ。だから、あたしは、樋口さんの作って来た音楽だけじゃなく、歩いて来た道そのものが、本当の意味でのロックだったんじゃないかって感じてる今日この頃なのだ。


最後に、樋口宗孝さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。


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