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2008.12.13

メティママ、ありがとう!

今日の午後、お知らせしたけど、Metisちゃんのママ、メティママが亡くなった。


あたしがMetisちゃんのことを「きっこの日記」で最初に取り上げたのは、今年の2月だった。Metisちゃんのことは、もっと前から知ってたけど、あたしにとっては、PUSHIMを始めとして、たくさんいるニポンの女性レゲエシンガーの中の1人として、普通に知ってる程度だった。

でも、今年の2月に、Metisちゃんが、ガンと闘うメティママに捧げる「母賛歌」をリリースして、それを聴いたあたしは、涙が止まらなくなった。あまりにも自分の状況と似てたことで、もうたまらなくなって、涙が止まらなかった。今まで、いろんな歌を聴いて泣いたことはあったけど、これほど本気で号泣したのは初めてだった。それで、あたしは、「きっこの日記」で、この「母賛歌」を紹介させていただいた。

そしたら、ナナナナナント! Metisちゃん本人がその日記を読んでくれて、メールをくれたのだ。その上、イラストが得意なMetisちゃんは、あたしのために大きなイラストを描いてプレゼントしてくれたり、CDを送ってくれたりした。それで、あたしも、書籍版の「きっこの日記」の全3巻を送らせていただいたりした。そして、それからは、あたしがMetisちゃんのことを日記に書くたびに、メティママも読んでくれるようになった。

メティママの病状は、決して良好とは言えない時もあったけど、メジャーデビューしたMetisちゃんの知名度が上がるに従って、不思議なことに、メティママの体もどんどん良くなって行った。そして、メティママにもっと元気になってもらうために、メティママに感謝の気持ちを伝えるために、Metisちゃんは「母賛歌」を作った。そして、メティママは、今年の初旬にはガン細胞も消えて、自宅で生活できるほどまでに良くなってた。

だけど、今年の6月、メティママは心筋梗塞で入院することになり、その時の検査で、ガンが再発して転移してたことが分かった。そして、また、つらい治療が始まった。

でも、メティママは、いつも明るい笑顔で、みんなに元気なピースサインを送ってくれた。10月の頭に一時退院した時も、Metisちゃんの押す車イスに乗って、美容院に行ったりお買い物をして楽しんで、花屋さんの前で笑顔で両手ピースをしてた。10月の中旬に体調が悪くなって再入院した時も、ベッドの上でピースをしてるメティママの写真がブログで紹介された。誰よりもつらいメティママなのに、あたしたちにいっぱい元気を送ってくれてた。

あたしは、11月9日の日記、「CAN YOU CELEBRATE?」で、Metisちゃんやあたしとおんなじに、母ひとり娘ひとりの母子家庭で育った新婦さんが、お母さまへの感謝のお手紙を朗読する場面で、BGMに「母賛歌」を流して、会場中の人が感動して泣いたっていう出来事を書いた。そしたら、MetisちゃんのマネージャーのWATAさんが、そのことを入院中のメティママに伝えてくださって、メティママがとっても喜んでくれたって言われた。そして、その時に、11月25日の日本テレビの「誰も知らない泣ける歌」で、Metisちゃんが「母賛歌」を歌うってことも教えていただいた。

だけど、正直、あたしは、嬉しくなかった。それは、この時、「ファンには心配をかけたくないので秘密にしておいて」っていう前提で、メティママのとても厳しい病状を知らされたからだ。そして、直接みんなの心に歌いかけることを大切にしてて、ふだんはあんまりテレビに出ず、ライブを中心に活動して来たMetisちゃんが、この番組への出演を決めたのも、メティママの病状が急に悪化したためだった。Metisちゃんは、何とか病室のメティママに元気を送ろうと、いつもは苦手なテレビ出演を決めたのだった。

あたしにできることは、この「きっこの日記」を書くことと、お祈りすることだけだった。だから、「きっこの日記」に番組の告知を書いて、皆さんに「メティママにパワーを送って欲しい」って呼びかけた。そして、毎週日曜日の夜に、教会に行って母さんのためのお祈りをしてるんだけど、その時に、メティママのことも一緒にお祈りするようになった。番組は、すごくたくさんの人が観てくれて、放送終了後には、アッと言う間に「母賛歌」が1万ダウンロードされた。スポーツ紙や週刊誌にも取り上げられて、たくさんの人たちがメティママにパワーを送ってくれた。

だけど、メティママは若かったから、ガンの進行が速くて、治療で食い止めることができなかった。Metisちゃんは、みんなに心配をかけないように、いつでも明るく元気にブログを更新してたけど、メティママは意識が戻らない日が続いてた。そして、少しでもメティママに元気を送ろうと思ったMetisちゃんは、病院側にお願いをして、特別に、病院でメティママのためだけのコンサートをさせてもらう許可をいただいた。

12月3日、病院で、メティママだけのためのMetisちゃんのコンサートがひらかれた。そしたら、それまで意識がなかったメティママが、この日だけ意識を戻し、看護婦さんたちと一緒に、Metisちゃんの歌を聴くことができた。それどころか、全国から届いてた応援のお手紙やプレゼントを見て、皆さんに感謝をして、皆さんへのメッセージまで書くことができた。これは、本当に奇跡だと思った。Metisちゃんの愛が、みんなの愛が、メティママに届いたんだと思った。

でも、翌日からまたメティママの意識はなくなり、とても厳しい状況が続くことになった。あたしは、すごく心配だったけど、教会でお祈りすることしかできずにいた。そして、12月10日のMetisちゃんのブログに、ファンの人が届けてくれた北海道のジンギスカンのことが書かれてたんだけど、その中に、「メティママも喜んでおります!食べたそうな感じでした」って書かれてたのを見て、あたしは、ものすごくつらい気持ちになった。意識の戻らないメティママに、ジンギスカンのお肉を見せて、声をかけてるMetisちゃんの姿が浮かんだからだ。

あたしは、何故だか居ても立ってもいられない気持ちになって、7日の日曜日の夜に教会に行ったばかりだったけど、翌日の11日、お仕事が終わってから、また教会へ行った。そして、この日は、母さんのことは後回しにして、メティママのことだけをお祈りした。そしたら、ずっと何かに追われるような焦燥感みたいな気持ちが胸の中に渦巻いてたのに、スーッと落ちつくことができた。

そして、今日の午後、マネージャーのWATAさんから、訃報のメールが届いた。あたしは、お仕事中だったのと、ある程度、状況を知ってたので、気合いで気持ちを切り替えて、最後までお仕事を済ませて、駐車場の車まで戻り、車の中で初めて泣いた。だけど、ひとしきり泣いたら、不思議なことに、悲しみよりも、感謝の気持ちのほうが大きいってことに気づいた。こんなにもたくさん大切なことを教えてくれたメティママには、「ありがとう!」の言葉しか出て来なかった。

それから、車内でノートパソコンをつないで、Metisちゃんのブログを見たら、事務所からの公式リリースと、メティママからの最後のメッセージと、Metisちゃんからのメッセージがアップされてた。それを読んで、あらためて涙が出たけど、やっぱり、それは、悲しみの涙じゃなくて、あたたかい感謝の涙だった。

Metisちゃんも、「涙よりもずっとずっとメティママが誇らしくてしかたがありません」って書いてるけど、ホントにそうだよね。「涙」よりも「誇り」を残してくれた誰よりも強いメティママが、「世界一強い子」だって太鼓判を押したのがMetisちゃんなんだから、そんなMetisちゃんやメティママを大好きなあたしたちが、いつまでも悲しんでるワケには行かないよね。だから、あたしも今は泣きながらキーボードを打ってるけど、泣きたいだけ泣いたら、その次は、メティママみたいに笑顔で両手でピースをしなくちゃね。


最後まで立派に闘い抜いたメティママ、あなたはとても強い人でした。
こんなにも多くの人たちに大切なものを与えてくれて、ホントにありがとう。
心から感謝してます。
そして、Metisちゃんを生んでくれて、ホントにありがとう。

みんなの愛したメティママは、これからも、Metisちゃんの歌の中に生き続けて行くでしょう。


きっこ


「メティママからのメッセージ」
http://ameblo.jp/metis-jp/day-20081212.html


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