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2009.01.30

春近し

皆さん、とてもたくさんのあたたかいメール、本当にありがとうございました。
心から感謝しています。

母さんは、がんばって長時間の手術に耐えてくれて、最善の結果を迎えることができました。ゆうべ、簡単な報告だけでも書こうと思ったのですが、あたしはホッとして、ちょっと横になったら、そのまま爆睡してしまいました。まだゆっくり日記を書く時間がないので、報告代わりに、今日は手術を待つ間に詠んでいた俳句を紹介します。


 「春近し 15句」  きっこ

 母さんの手術の日です寒昴

 やはらかき朝日を編みて冬木の芽

 冬晴やストレッチャーのするすると

 母さんのピースサインや実南天

 一月の果まで白き廊下かな

 手術待つ膝のバッグの冷たかり

 階段を咳がのぼつて来たりけり

 中庭に冬日あつめてマリア像

 日向ぼこ車椅子はた松葉杖

 ロザリオを爪繰ることも親子月

 文庫本歳時記聖書日脚伸ぶ

 大切なもの目に見えぬ龍の玉

 福音のふくふくふくら雀かな

 がんばつた母さん強し春近し

 点滴の雫きらめく春隣


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2009.01.29

報告です♪

母さんの手術は、無事に終わりました!

はっきり「成功した」と言えるのは、しばらく様子を見てからになってしまうそうですが、お医者さまは「すべてうまく行きました」と言ってくださいました!

あたたかいメールをくださった皆さん、お祈りしてくださった皆さん、心配してくださった皆さん、本当にありがとうございました♪

きっこ

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2009.01.28

カブのぬか漬け

お漬け物の切り方って、それぞれの家庭によって多少は違うけど、基本的にはほとんど変わらないと思う。たとえば、タクアンの場合なら、たいていの家庭は半月型に切ってると思う。すごくタマに、輪切りにしてる豪快な家庭もあるけど、あたしの知る限り、10軒のうち9軒は半月型だと思う。輪切りにするのは、つぼ漬けとかの細いタクアンの場合だけで、普通の直径のタクアンは、まず、タテ半分に切って、それから7~8mmくらいの厚さに切って半月型にする。

だけど、そんなタクアンでも、例外の切り方をする時がある。それは、お寿司の「タクアン巻き」を作る時だ。焼き海苔の上に酢飯を乗せて、細く切ったタクアンを並べて、白ゴマをパラパラと振って、「巻きす」でクルリと巻く。ちなみに、あたしの場合は、1cm角くらいに切ったタクアンを1本だけ入れるよりも、もっと細く、5mm角くらいに切ったタクアンを何本も入れるほうが好きだ。それから、タクアン巻きの場合は、カンピョウ巻きの時におんなじに、ワサビは入れない。

で、こうした特例を除けば、お漬け物の切り方って、そのお漬け物やお野菜の種類によって、だいだい決まってる。ぬか漬けなら、キュウリはナナメに切るし、ナスはタテ半分にしてからナナメに切るし、ダイコンはイチョウ型に切るし、カブはタテ半分にしてから半月型に切る。居酒屋さんとかで、お漬け物の盛り合わせを注文しても、それぞれのお漬け物がそれぞれの切り方で盛り合わせになってる。だから、見た目にも鮮やかだし、食べやすいし、それぞれの味や歯応えが楽しめる。どのお漬け物も、おんなじ大きさでおんなじ形に切り揃えられてたら、美味しさは半減しちゃうと思う。

やっぱり、お漬け物の美味しさって、味だけじゃなくて、歯応えによる部分が大きい。だから、それぞれのお漬け物に合った切り方をしないと、この歯応えが台無しになっちゃうのだ。たとえば、東京で一番美味しいって言われてる「東京タクアン」が手に入ったとしても、それを2cmくらいの厚さに切ったら、本来の美味しさを楽しむことはできないと思う。やっぱり、タクアンの厚さは、7~8mmがベストで、百歩ゆずっても1cmまでだと思う今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、あたしは、お味噌汁とお漬け物さえあれば美味しくご飯が食べられるんだけど、それだって、それぞれのお漬け物に合ったベストの切り方をしてればの話だ。2cmもの厚さにブツ切りにされちゃった下品なタクアンだの、冷やし中華の上に乗ってるみたいに細切りにされちゃったキュウリの浅漬けだのを出されても、美味しくご飯をいただくことはできない。やっぱり、お漬け物は、母さん、おばあちゃん、ひいおばあちゃん、ひいひいおばあちゃん‥‥って、遥か昔からの流れで伝承されて来た基本的な切り方をしてないと美味しくない。ちなみに、「ひいひいおばあちゃん」てのは、別に「カラムーチョ」の袋に描いてあるおばあちゃんのことじゃない(笑)

で、たぶん、こんな流れで伝えられて来たであろう「きっこ家」のお漬け物の切り方の中で、リトル変わってるものがある。それは、ぬか漬けのカブの切り方だ。普通に食べる時は、さっき書いたみたいに、タテ半分にしてから半月型に切るんだけど、漬かりすぎちゃった時には、これをさらに細く切る。正確に言うと、この場合は、半月型に切る時よりも、厚みも薄くする。だいたい5mmから7mmくらいだ。ようするに、5mmから7mm角の千切りみたいにする。そして、葉っぱの部分はミジン切りにする。そして、これを混ぜ合わせて、オカカをタップリかけて、お醤油を垂らして、全体をよく混ぜる。

これを炊き立てのご飯の上に乗せて食べると、もう、何とも言えないほど美味しいのだ。あたしは、小学校の1年生の時に、これを始めて食べたんだけど、あまりにも美味しくて、これぼっかり食べてた記憶がある。母さんとしては、漬かりすぎちゃったぬか漬けを美味しく食べるための工夫ってワケで、おばあちゃんから教わった方式だった。キュウリの場合なら、浅漬けや中漬けなら1cm幅のナナメに切るけど、古漬けになっちゃったら、5mm幅の輪切りにする。他のお野菜の場合も、古漬けになっちゃったら、味も濃いし酸っぱくなるから、いつもより薄く、細かく切る。で、カブの場合には、千切りにして、ミジン切りにした葉っぱの部分と混ぜて、酸っぱさを緩和させるためにオカカをかけてたのだ。

それで、あまりにも美味しくて大感動しちゃったあたしは、母さんにこればっかりオネダリしてたんだけど、古漬けのカブなんてすぐになくなっちゃう。それで、ぬか漬けの樽には、もう浅漬けのカブしかなくて、仕方なく母さんは、いつもは半月型に切る浅漬けのカブで、これを作ってくれた。そしたら、これが、さらに美味しかったのだ。まだ子供だったあたしは、ホントは古漬けが苦手だった。やっぱり子供だから、酸っぱくない浅漬けのほうが好きだった。それでも、このカブの千切りだけは、オカカの効果で酸っぱさが緩和されてて、当時のあたしはすごく美味しく感じたのだ。だから、この方式を最初から美味しい浅漬けのカブで作れば、そりゃあ美味しいに決まってる。そして、この時から、カブのぬか漬けだけは、浅漬けだろうと中漬けだろうと古漬けだろうと、すべてこの方式で食べるのが「きっこ家」の暗黙のルールになったのだ。

だけど、それから長い年月が経ち、今はもう、ぬか床のない生活を送ってるから、このカブのぬか漬けも、ずいぶん食べてない。タマに、スーパーで市販のぬか漬けを買うこともあるけど、我が家の味は二度と味わうことはできない‥‥なんて思ってたんだけど、オトトイ、スーパーで見かけたカブのぬか漬けが、ものすごく美味しそうだった。カブが2個で250円もしたから、普段なら絶対に買わないんだけど、何だかこの時は、あの懐かしい味が蘇って来るような気がして、思いきって買ってみることにした。

それで、あたしは、このカブを1個、千切りにして、葉っぱの部分をミジン切りにして、よく混ぜてから、大人になってからのプラスアルファとしての一味唐辛子をパラパラとかけて、それからオカカをタップリとかけた。そして、お醤油を垂らして混ぜ合わせて、炊き立てのご飯の上に乗せて頬張った。そしたら、我が家のぬか漬けとほとんどおんなじ味で、とっても懐かしくて、涙が出るほど美味しかった。

‥‥そんなワケで、あたしは、もう1個のカブを母さんに食べてもらうことにした。ゆうべは、母さんと一緒に晩ご飯を食べる約束をしてて、アマダイの味噌漬けを用意してたのだ。それで、あたしは、アマダイの味噌漬けを焼いて、母さんの好きなナメコのお味噌汁を作って、あとは作っておいたイカとダイコンの煮物を温めて、それで晩ご飯にしようと思ってた。だから、これに、懐かしいカブのぬか漬けの千切りを添えれば、手術前の最後の晩ご飯としては完璧になる。母さんは、今日から病院で、手術の前日は何も食べられないから、手術前の最後の晩ご飯は、ウナギとかお寿司とかを考えてた。でも、母さんに何が食べたいか聞いたら、「焼き魚とお味噌汁」って言うから、あたしは、高島屋に行って、一番高級なアマダイの味噌漬けを買って来てたのだ。

アマダイの味噌漬けは、白味噌の中に柚子が入ってて、ものすごく美味しかったし、母さんもとっても喜んでくれたけど、それよりも喜んでくれたのが、何を隠そう、カブのぬか漬けだった。前日に、あたしが「おおっ!」って思ったように、母さんも「おおっ!」って思ったみたいで、ご飯に乗せてパクパク食べてた。市販のぬか漬けとは言え、やっぱり「きっこ家」に伝承されて来た由緒正しき方式で食べると、ソコハカとない奥行きが醸し出されて、「たかがぬか漬け、されどぬか漬け」ってワケだ。

母さんは、「きみこは、これ、大好きだったよね」って言って、あたしがこればっかり欲しがったことを話してくれた。そして、古漬けがなくなっちゃって、浅漬けのカブも千切りにするようになったってことも話してくれた。そう、さっき書いた小学校の1年生の時の話は、あたしもある程度は覚えてたんだけど、「あたしが古漬けのカブを食べ尽くしちゃって、浅漬けのカブまで千切りにするようになった」ってことは、ゆうべ、母さんから聞いた話なのだ。そして、母さんの話を聞いて、「そう言えば、最初に食べた時も驚くほど美味しかったけど、あとから食べたほうがもっと美味しかったな~」ってことをウッスラと思い出して、それが「浅漬けだったからなのか!」って分かったってワケだ。

‥‥そんなワケで、いつも「きっこの日記」を読みに来てくださる皆さん、母さんの手術の成功をお祈りするメールをくださった皆さん、ホントにありがとうございます。たくさんの人たちが応援してくれてて、あたしは、すごく心強いし、とっても感謝してます。ホントなら、手術の詳しい日程とかも書きたいとこなんだけど、どうやって調べたのか、母さんが通院してた病院の実名が書いてある脅迫メールとかを送って来る人がいるので、詳しいことは書くことができません。そして、明日から数日間、日記を更新することができないかも知れません。でも、必ず、笑顔の報告をします。なんたってあたしは「きっこ家」に脈々と伝わる「カブのぬか漬け神拳」の伝承者なんだから! あたたたたたたたたーーーー!‥‥って感じの今日この頃なのだ(笑)


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2009.01.27

「思い」というパワー

何かの願(がん)を掛ける時って、一方的にお願いをするだけじゃ叶いそうもないからなのか、自分自身に何らかの制約を設けることが多い。サスガに、真夜中に裸足で神社の石段を100回も上ったり下りたりする「お百度参り」とかはキビシーけど、「禁酒」とか「禁煙」とか、自分の嗜好品を断つことは多い。で、あたしの場合は、今月末に母さんの手術があるから、今年のお元日から、あるモノを断って来た。それは、パチンコだ。お酒を断つのが「禁酒」で、タバコを断つのが「禁煙」なんだから、パチンコを断つのは「禁玉」だ‥‥って、開始早々に下ネタってのもナンだから、パチンコを断つことは「禁パチ」って呼ぶことにする。だから、あたしのことは、「禁パチ先生」って呼んで欲しい。

で、なんでパチンコを断つことにしたのかって言うと、あたしの場合、お酒は単なる嗜好品てだけじゃなくて、暖房としても利用してるから、この時期に断つワケには行かないし、タバコは多くても1日に5~6本、吸わない日はぜんぜん吸わないから、断ったとこで「ガマン度」が低すぎる。やっぱり、何かを断って願を掛けるには、ある程度の「ガマン度」がなかったら意味がないワケで、それには、パチンコを断つのが一番だと思ったワケだ。

あたしは、今まで、パチンコは生活のために打って来た。もちろん、楽しみとしても打って来たけど、あたしの置かれてた状況だと、生活のために打つのが9割で、楽しみとしては1割って感じだった。足をケガして働けなくなった時には、パチンコの収入だけで生活しなきゃならなくなって、松葉杖で必死にパチンコ屋さんに通ってたし、痛みで意識がモーローとしてもハンドルを握り続けてた。そして、お仕事に復帰してからも、少しでも時間があればパチンコ屋さんへ行き、稼いだお金を母さんの手術費用の口座に預金し続けて来た。つまり、あたしの場合は、絶対に負けることが許されない状況で打ち続けて来たから、楽しんでる余裕なんてほとんどなかったのだ。

だけど、教師生活25年の町田先生‥‥じゃなくて、苦節5年の禁パチ先生は、やっと母さんの手術費用ができたから、これからはガツガツとドル箱を積まなくてもよくなったワケで、勝てる確率が低い機種や苦手な機種でも「打ちたい機種」を打てるようになったワケだ。それで、あたしは、これからは100%楽しみとして打てるようになってワクワクしてたパチンコを断つことで、母さんの手術の成功の願を掛けることにした今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、あたしは、現在、3年B組を受け持つ「禁パチ先生」になってるワケで、文化祭でソーラン節をやったり、杉田かおるが妊娠したりといろいろありつつも、何とか今日までこぎつけたってワケだ。で、あたしのパチンコ日記を楽しみにしてる一部のパチンコファンの皆さんには申し訳ないけど、母さんの手術が無事に済み、少し落ち着くことができるまでは、あたしは「打たず、眺めず、入店せず」っていう「非パチ三原則」を守らなきゃなんないワケだ。

でも、核兵器を「持たず、作らず、持ち込ませず」っていう「非核三原則」も、3つめの「持ち込ませず」に関しては、何度も怪しいことを繰り返して来てる自民党政権のように、あたしの「非パチ三原則」も、3つめの「入店せず」に関しては、ハッキリ言って守ってない。それは、メンバーカードに来店ポイントを貯めてるから、パチンコ屋さんの前を通る日には、必ずお店の中に入って、自分のカードを機械に通してるからだ。さらには、あたしはタバコにはお金を使わないようにしてるので、こないだも、タバコがなくなったから、パチンコ屋さんにもらいに行って来た。「もらいに」って言うか、自分のカードに貯めてる玉で、タバコを10個、交換して来た。

あたしのカードには、今、1万発くらい貯めてある。現金に交換すると1発3円で3万円にしかならないけど、景品と交換する時には1発4円の計算になるから、300円のタバコは75発で1個、750発で10個になる。だから、タバコだけじゃなくて、ちょっとした日用品とかも、パチンコ屋さんに行って、景品の中から選ぶようにしてる。そうすれば、1円も使わずに手に入るってスンポ―なのだ。そのために、たとえば2万2000発出たとしたら、ぜんぶを現金に交換するんじゃなくて、2万発ぶんだけを現金に交換して銀行に預金して、残りの2000発はカードに貯めておく。こうしてチョコチョコと貯めておいて、常にカードの中に1万発くらい入ってる状態にしといて、これをお財布代わりにしてるってワケだ。

だから、あたしは、「禁パチ先生」をやってる今も、パチンコ屋さんにはタマに行ってる。パチンコだけに「タマに」ってワケで、まあ、ここは立ち止まるとこじゃないんだけど、あたしはもともとパチンコが好きだから、パチンコ屋さんに行けば、やっぱり打ちたくなる。それに、どんな新台が入ってるのかも気になるし、「海」のデータも気になる。だけど、ホールをウロウロしたり、データ機でデータを見たりすると、ホントにガマンできなくなっちゃうから、必要な用事だけを済ませたら、ヨケイなことはしないでトットと外に出るようにしてる。

でも、ふと思ったんだけど、「願を掛ける」ために「好きなモノを断つ」ってことなんだから、より「ガマン度」が高いほうが効果的ってことになる。たとえば、何かの願を掛けて「禁煙」をするんなら、自宅ではタバコやライターや灰皿を目につかないとこに隠して、会社でも喫煙ルームにも近寄らないようにして、それで「禁煙」するよりも、タバコやライターは普段通りに持ち歩いて、会社の喫煙ルームにも行き、うまそうにタバコを吸ってる人たちと会話しつつ、自分だけはタバコを吸わない‥‥ってほうが、遥かに「ガマン度」が高い。そして、そのほうが、ナニゲに「願」が叶いそうな気がする。

だから、この理屈で行けば、あたしの場合は、カードに来店ポイントを貯めるためでも、タバコをもらうためでも、とにかくパチンコ屋さんに行った時には、あえてホールの中をウロウロして、新台や爆発してる台をチェキしたり、データ機でデータを見たりして、すごく打ちたい気分になった上で、打たずに帰って来る。このほうが、より効果的だってことになる。つまり、おんなじ「禁パチ」をするにしても、消極的な禁パチ先生よりも、積極的な禁パチ先生のほうが、3年B組の小さいきっこたちから支持されるってことになる。

‥‥そんなワケで、この「願を掛ける」って行為は、今さら説明することもないほど、極めて非科学的だ。だけど、どうしてこんなことが21世紀になっても当たり前のように行なわれてるのかって言えば、それが人間のサガだからだ。毎年、受験シーズンになると、コンビニにあふれかえる「合格祈願」のダジャレお菓子の数々にしても、あんなもんに効力なんてあるワケないことは誰だって知ってる。それどころか、お菓子メーカーのコソクな商売だってことまで分かってても、受験生がついつい買っちゃうのは、それが人間のサガだからだ。

これは、「困った時の神頼み」とか「溺れる者はワラをもつかむ」とかと同列の心理であって、地球上に150万種もいる生物の中で、あたしたち人間だけが持ってる特殊な感覚だ。でも、地球上のすべての生物の中で、もっとも脳みそが発達してて、もっとも科学的であるハズの人間が、どうしてこんなに非科学的なことを実践してるんだろう? たとえば、心の底から「絶対に効力なんかない」って100%理解してて、それでもシャレとして「キット勝ット」だの「受カール」だのを買うんなら分かるけど、こうしたバカバカしいお菓子を買う子供たちって、多少は効力を期待してる部分があるんだよね。そして、この心理って、あたしが母さんの手術の成功を祈って願を掛けてるのとおんなじだと思われちゃう。だけど、これって、ぜんぜん違うんだよね。

あたしは、非科学的なことは信じてないけど、非科学的なことと、まだ科学では解明されてないことは別だと思ってる。そして、科学で解明されてないことに関しては、あたし自身が実際に体験したことだけを信じてる。だから、あたしは、幽霊はハッキリと見たことがあるから信じてるし、UFOも何度も見たことがあるから信じてる。そして、人の「祈り」に力があることも、自分で体験してるから信じてる。

で、この「祈り」の基本になってる「思い」のパワーってのは、あたしの体験から言えば、人に対してなら効力が現われる場合もあるけど、自分に対してはまったく効力を持たない。ようするに、誰かのために祈れば、その祈りが叶うこともあるけど、自分のために祈っても意味がないってことだ。だから、おんなじ「願を掛ける」って行為でも、誰かのための行為なら効力が期待できるけど、自分の受験の合格だとか、自分が大金持ちになりたいだとか、こうした私利私欲のためには何の効力も持ってないってことだ。

‥‥そんなワケで、どうして自分に対しては効力を持たないのかって言うと、そこには対価が存在してないからだ。「対価」っていうと「同等の価値のもの」って意味だから語弊があるけど、ようするに、「自分を犠牲にする心」が存在してないってことだ。あたしが誰かのためにお祈りをする時には、たとえ自分に何か悪いことが起こってもいいから、あの人を助けてください‥‥ってふうに思う。もちろん、アカの他人に対してまで、自分の命を差し出すような思いは持たないけど、それでも、多少なりとも「自分を犠牲にする心」を持ってお祈りする。そして、これが、世界中の誰よりも大切な母さんのことになれば、あたしは、何のタメライもなく自分の命を差し出してもいいって思う。

だけど、命は1つしかないし、粗末にすることはできない。だから、何かをお祈りするたびに、自分の命を差し出すことなんてできない。だから、こうした「自分を犠牲にする心」の縮小版として、滝に打たれてみたり、お百度を踏んでみたりっていうモノがあるワケだし、さらにそのプチバージョンとして、「何かを断つ」ってことがあるワケだ。誰かのために、自分の好きなモノを断つって行為には、決して自己満足なんかじゃない深い「思い」がある。これこそが「相手を思いやる心」であり、その「思い」を一瞬だけのものにしないために、自分の好きなモノを断つワケだ。

フリーアナウンサーの逸見政孝さんが、ガンを告白して闘病生活に入った時、公私ともに仲良くしてたプロレスラーのジャイアント馬場さんは、大好きだった葉巻を断ったそうだ。そして、その願いは叶わず、多くの人に惜しまれながら逸見さんは亡くなってしまったけど、逸見さんが亡くなったあとも、ジャイアント馬場さんは、生涯、葉巻を口にしなかったそうだ。

あたしが言いたいのは、これなんだよね。人が人を「思う」ってことの先にあるのは、決して「見返り」とか「報酬」とかじゃない。そして、そんなものを期待しての「思い」なんか、本物の「思い」じゃない。「思い」ってのは、その行為自体に深い意味があるんであって、自分の願いが叶ったか叶わなかったかなんて、オマケみたいなものなのだ。もちろん、ジャイアント馬場さんは、心の底から逸見さんの回復を願って葉巻を断ったんだと思うし、その願いが叶わなかったから、逸見さんが亡くなったあとも、二度と葉巻を口にしなかったんだと思う。でも、あたしは、逸見さんが回復されなかったことは残念だと思うけど、ジャイアント馬場さんのしたことは、決してムダじゃなかったと思ってる。だって、ここには本物の「思い」があふれてるからだ。

「どんな手段を使ってもお金さえ儲かればいい」っていう最近の風潮とか、ナンミョーみたいに「奉仕」に「見返り」を求めるインチキ宗教がハビコってる現代では、どんなことも「結果」ばかりを重視するようになった。そして、自分が期待した結果が得られなければ、その「過程」を否定するような人たちが増えて来た。だからこそ、主婦や学生までもが「株」なんかをやったり、ナンミョーは定額給付金をゴリ押ししたりしてるんだろうけど、「お金を儲ける」っていう「結果」だけを重視した行為や、「票集め」っていう「見返り」を期待しての行為には、人として何よりも大切な「思い」がミジンもない。

あたしは、2007年9月19日の日記、「おもうわよ」で、大好きな俳人の1人、池田澄子さんのエッセイの一部を紹介した。過去ログを読むのがメンドクサイ人のために、その部分だけ、もう一度、紹介する。


(前略)
島の写真を撮っていたという友人がいる。写真家である彼女が素敵な言葉を教えてくれた。ある島では、別れる時、例えば島を離れる彼女に対して、「さようなら」とは言わないのだそうだ。ましてや、「じゃーね」などとは決して言わないだろう。船を見送る島人は、「おもうわよー」と手を振るのだそうだ。電車を降りる少し前に聞いたその言葉が、どすんと私に入り込んでしまって、瞬間、胸がいっぱいになった。コーフンして握手して別れ、一人になっても、その言葉の余韻にくらくらした。後日、そのことを他の友人たちに言いふらした。皆が感嘆する。
こんなに嬉しい別れの言葉があったなんて、おもうわよ。アナタが目の前から去っても、ずーっと思うわよ。今度逢うまで思っているわよー。
亡先生に、亡父に、叔父に祖父母に、友人(田中さんを含め、私より若い男友達も数人)に聞こえるように‥‥、聞こえるだろうか‥‥、もう逢うことがなくても、ずーっと、ずーっと、思うわよー。

(「角川俳句」平成19年8月号「あさがや草紙/池田澄子」より)


‥‥そんなワケで、ここにも、本物の「思い」がある。地続きでない「島」での別れだからこそ、その「思い」は深く純粋なのだ。そして、こうした「見返り」や「報酬」を求めない純粋な「思い」にこそ、その相手に作用する不思議なパワーが宿るように感じる。だから、あたしは、母さんの手術の成功を祈って願を掛けてるけど、「自分を犠牲にする心」を対価として願いを叶えてもらうパターンの「禁パチ先生」をやりつつも、結果にばかり重心を置いてると効力がなさそうだから、できる限り純粋な気持ちで、あと数日を過ごそうと思ってる今日この頃なのだ。


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2009.01.26

築地市場移転で都が情報隠しの疑い

「築地市場移転で都が情報隠しの疑い」(世田谷通信)

東京都の中央卸売市場築地市場の移転予定地とされている江東区の豊洲地区の土壌から、昨年、高濃度の発がん性物質「ベンゾピレン」が検出されていたが、民間の検査機関からこの報告を受けた東京都が情報を公開していなかったことが分かった。築地市場の移転が計画された当初、豊洲地区の土壌から1キログラムあたり最大5.1ミリグラムの「ベンゾピレン」が検出されたため、東京都は詳しい調査を民間の検査機関に委託した。その結果、当初の報告の115倍にあたる590ミリグラムもの「ベンゾピレン」が検出され、東京都は2008年6月にこの報告を受けたのにも関わらず、この時期に行なわれていた専門家会議には報告せず、専門家会議が終了した半年後の11月になってから関係者らにメールで伝えたという。そのため専門家会議では当初の「最大5.1ミリグラム」という数値を前提に汚染対策が検討された。担当者は「ベンゾピレンは専門家会議の調査対象になっていなかったため報告書の記載に気づくのが遅れた。情報隠しではない。専門家からは健康に影響が出る値ではないと聞いている」と釈明しているが、検査を依頼した側の説明としては非常に矛盾している。また専門家会議が終了してから関係者だけにメールで報告したという経緯は、移転計画を予定通りに進めるための「情報隠し」と見られてしまうことも否めないだろう。築地市場の移転計画は石原慎太郎都知事の肝入りで強引に進められているが、市場の利用者らからの反対の声だけではなく、莫大な税金を投入することに疑問を持った多くの都民からも反対の声があがり続けている。(2009年1月26日)


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女の平和

あたしたちが過去の戦争を振り返って、考えたり議論したりする時に、すごくハンザツに‥‥じゃなくて、すごくヒンパンに登場するのが、「あの戦争は必然だったのか?」っていう視点だ。戦争が「良くないこと」ってのは、現代人なら誰でも大前提にしてることで、戦国時代か何かならともかく、現代では、どんなに好戦的な思想を持ってる人でも、表向きは「戦争は悪」ってスタンスから発言することが多い。それは、「戦争は善」なんて前提に立って発言したら、誰もマトモに取り合ってくれないからだ。

アベシンゾーみたいに戦争が大好きなクルクルパーでも、正直に「ワタクチは戦争は正しいことだとおもいまつ!」なんて言っちゃったら、ミもフタもなくなっちゃう。だから、アベシンゾーが官房副長官時代に「北朝鮮など核攻撃で焦土にしてペンペン草の1本も生えないようにしてやる!」って言ったのだって、あくまでも非公式の場での発言だ。裏じゃコソコソと劣化ウラン弾を沖縄に運び込んだり、濃縮ウランをアメリカへ横流ししたりしてるクセに、表向きは「非核三原則にのっとって」なんて心にもないことを言ってるし。

で、戦争が大好きで、過去の戦争を美化したい愚か者どもが、堂々と戦争を肯定できない代わりに詭弁として多様してるのが「あの戦争は必然だったのか?」っていう視点からの考察だ。ようするに、「戦争は悪いことだけど、あの戦争は必然だったのだ。あの戦争は、単なる侵略のための戦争じゃなくて、アジアの和平のために必然性があったのだ」ってふうな理屈を組み立てることによって、「必然性があれば戦争をしてもいい」って流れに持って行きたいワケだ。だから、こうした考え方をしてるキチガイどもって、「国際貢献のため」って理屈で自衛隊を海外の戦地へ行かせたり、「自衛のため」って理屈で核兵器まで必要だって主張してるワケだ。我田引水とは、まさしくこのことだろう。

結局は、「必然性さえあれば戦争をやってもいい」「理由さえあれば何をやってもいい」っていう単一電池を直列つなぎしたみたいな思考回路なんだよね、こういうバカどもって。あたしは、いつまで経ってもこういうバカが減らないから、地球上から戦争がなくならないんだと思ってる。いつまで経ってもこういうバカが政権与党の中にひしめいてるから、あたしたちの血税が他国の民間人を虐殺するために使われ続けてるんだと思う今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、あたしは、どんな理由があっても、絶対に戦争には反対だ。どんな必然性があっても、正当化される戦争なんて1つもないと思ってる。人類の歴史を見ると、古今東西、小さなものから大きなものまで、数えきれないほどの戦争があったし、今も世界のあちこちで戦争が続いてるけど、これらのすべての戦争の中で、たったの1つだって、「素晴らしい戦争」や「美しい戦争」なんてものはない。あとから、どんな理屈を並べようとも、殺された人たちの命は戻って来ない。あとから、いくら「英霊」だ何だと祀り上げても、国の犠牲になって殺された人たちは浮かばれない。それは、どんなに正当化しようとも、戦争が「悪」そのものだからだ。

オバマがアメリカ大統領に就任して、とりあえずイスラエルのガザへの攻撃はストップした。そして、海外プレスがガザへ入れることになったため、断片的にだけど、あまりにも悲惨な現地の様子が伝えられるようになった。白旗をあげて避難していたガザ市民の列が銃撃され、何人もの女性や子供が殺された。イスラエル兵に銃口を向けられ、「助けて!」と叫びながら両手をあげた3人の幼い兄弟も、容赦なく射殺された。イスラエル兵から命令されて1つの建物に集められた100人の市民は、翌日、その建物を攻撃され、30人が殺された。白リン弾によって全身を焼かれて殺された死体の山々。ユダヤ人たちは、かつて自分たちがナチスドイツから受けた痛みを忘れてしまったのだろうか? それとも、今度は自分たちがナチスドイツになろうとしてるのだろうか?

世界各国の多くの人たちは、「これは戦争じゃなくて大量虐殺だ!」って言ってるけど、そんなことはない。この大量虐殺こそが「戦争」なんだよ。イスラエル軍が使ったクラスター爆弾や白リン弾のことを「非人道的な兵器」だって言って、国際社会は批判した。あたしは、アホかと思った。人を殺すために作られた武器や兵器に、人道的なものと非人道的なものがあるなんて、お前らアホか? すべての武器や兵器は、ぜんぶ「非人道的」なんだよ! 自分の親兄弟や子供たちが、ライフルで射殺されたら人道的な殺され方で、白リン弾で殺されたら非人道的な殺され方なのか? 人道的な武器で家族を殺されたら、敵に感謝しろってか?


‥‥そんなワケで、ちょっとコーフンしちゃったので、コーヒーをいれて来て、一服して冷静になってから続きを書いてるんだけど、あたしは、過去から現在までのすべての戦争の原因は、ぜんぶ「男」だと思ってる。だって、どんな時代でも、偏向的な政治をするのも、その結果として戦争を起こすのも、ぜんぶ男どもだからだ。これは、侵略戦争だろうが自衛戦争だろうが報復戦争だろうが、今日までのありとあらゆる戦争を見れば明白だろう。

そして、今回のガザを見れば分かるように、男どもが起こした戦争によって、多くの女性や子供たちが殺されてるのだ。幼稚で、単細胞で、自分勝手で、学習能力が低く、自分の考えを人に押しつけることが好きで、欲が深く、モノゴトを多角的にとらえることができず、何かって言えばすぐ暴力に訴えるしか能がない「男」っていう野蛮な生き物のセイで、これまでにどれほどの女性や子供たちが殺されて来たのか、想像するたびに悲しくなる。

もちろん、世界中のすべての男がダメなワケじゃない。男の中にも、反戦や平和を訴えてるマトモな人はたくさんいるし、女の中にも、戦争を正当化したり美化したりしてるキチガイもいる。ただ、現実問題として、長い人類の歴史上で起こった多くの戦争を振り返ってみると、すべての戦争は、男が引き起こし、男同士で殺し合い、その巻き添えで女性や子供たちが殺されて来たのだ。これは、歴史的事実なんだから、どんなイイワケも通用しない。


で、こんなどうしようもない男どもに対して、あたしたち賢くて平和的な女性たちにできる対策と言えば、それは、「セックス・ストライキ」だ。そう、古代ギリシャの戯曲作家、アリストパネスの「女の平和」だ。

今から2400年以上も前の紀元前の世界でも、やっぱり男どもは野蛮で愚かで戦争が大好きだった。アテナイ(アテネの古名)の男どもとスパルタの男どもは、来る日も来る日も戦争をして殺し合いを続けてた。そして、こうした男どもの戦争道楽の被害に遭ってたのが、アテナイとスパルタ、両国の女性や子供たちだった。「男」っていう生物は、女性よりも遥かに学習能力が低いため、何千年経とうとも、この図式は変わらないのだ。

それで、来る日も来る日も戦争に明け暮れる男どもに対して、とうとう堪忍袋の緒がプチッと切れちゃったアテナイの美女、リュシストラテは、ある日のこと、両国の女性たちを集めて、ある計画を話した。それは、両国の女性たちが、自分のダンナや恋人に対して、「あなたが戦争なんてバカなことをやめてくれるまで、セックスはオアズケよ!」って宣言しちゃうって作戦だった。そう、戦争をしてる双方の国の女性たちが、みんなで手を組んで、戦争をやめさせるために「セックス・ストライキ」をしちゃうって作戦を立てたのだ。そしたら、1人の女性が言った。


「そんなことを言って、もしもダンナが暴力的にセックスを強要してきたらどうしましょう?」

「何も心配しなくて大丈夫よ。セックスはお互いの協力があってこそ快感を得られるもの。男どもがいくら力ずくで犯して来ても、こちらがその気にならなければ、相手は本当の快楽なんて得られないんだから、楽しくなくてすぐにやめちゃうわよ」

「そんなものかしら?」

「ええ、どんなに男どもが股間をいきり立たせて襲って来ても、あたしたちが応じなければ、男なんて慌てて白旗を振るわ」


ようするに、野蛮な男どもが剣を武器にして戦争を続けるのなら、賢くて平和的な女性たちは、自分自身の肉体を武器にして、その戦争をやめさせようって作戦なのだ。なんてワンダホーなアイデアなんだろう。そして、多くの女性たちが、この作戦通りに、自分のダンナや恋人に対して「セックス・ストライキ」を決行しちゃった上に、首謀者のリュシストラテは、仲間たちとアクロポリスの神殿に立てこもっちゃう。

昼間は戦争、夜はセックスっていう2本立てで快楽をむさぼって来た野蛮な男どもにとって、片方の夜の娯楽がなくなっちゃうことは、大きなダメージだった。それで、「これは一大事だ!」ってワケで、股間をギンギンにふくらませてケダモノのような目をした男どもは、リュシストラテたちが立てこもってる神殿の前まで来て、自分の奥さんや恋人に戻って来てくれるようにと懇願する。

だけど、女性たちは、ガンとして動こうとしない。女性たちは、あくまでも「戦争なんてバカなことをやめない限り、二度とセックスなんかさせてあげません!」て主張し続ける。それどころか、セックスに餓えてる男どもに向かって、クネクネとセクシーダンスを披露して、思いっきり挑発を繰り返した。


「あ~ん♪ あたしの体が欲しいのなら、戦争なんてバカで野蛮なことはやめてちょうだ~い♪」


腕っぷしの強さで知られたアテナイやスパルタの戦士たちも、サスガに、このセクシー攻撃にはひとたまりもなかった。そして、とうとう男どもは、女性たちの主張を受け入れて、戦争をやめたのだった。そして、みんなで海辺へ行きましたとさ。めでたし、めでたし‥‥ってなワケで、ヒサビサにこのフレーズを使ったのは、もちろん、ギリシャつながりってワケだ。

あたしの大好きな「日曜はダメよ」のイリヤは、何と言ってもギリシャ悲劇の大ファンで、それも、悲劇なのにケラケラと笑いながら、まるで喜劇を観てるように観劇しちゃう。で、このアリストパネスの「女の平和」のほうは、モトから生粋のギリシャ喜劇ってワケだから、その関係性はマニアックにディープだ。さらには、イリヤ役のメリナ・メルクーリのおじいちゃんは、30年以上もアテネの市長をつとめてたワケで、この「セックス・ストライキ」の発案者がアテナイのリュシストラテだったってこととも、2000年以上の時を超えて、場所的につながってるってワケだ。

ま、この辺のことは、ちょうど1年前の日記、「日曜はダメよ」を読んでもらうとして、とにかく、男って生物が生み出した「戦争」なんていう人類史上最低最悪の愚行なんかやめちゃって、男も女もみんな仲良くして、「そして、みんなで海辺へ行きましたとさ。めでたし、めでたし」ってふうに終わるのが何よりだってことだ。

ちなみに、この「女の平和」って喜劇は、アリストパネスの「女もの三部作」の1つで、他に「女だけの祭」と「女の議会」がある。「女だけの祭」は、女性だけが参加できるお祭りの席で、「悲劇作家のエウリピデスをこらしめてやろう」って計画が立てられる。それは、エウリピデスの書く悲劇では、常に女性が悪者として書かれてたからだ。だけど、このウワサを小耳にはさんだエウリピデスは、知り合いの作家を女装させて、このお祭りに潜り込ませる。そして、自分に有利な発言をさせようとするんだけど、途中で男だってことがバレちゃってナンダカンダ‥‥ってお話だ。そして、「女の議会」のほうは、男だけが政治をやってるのはおかしいって思った女性たちが、みんなで男装して議会に潜り込む。そして、女性に有利な法案をどんどん作っちゃうってお話だ。


‥‥そんなワケで、モトモトは2400年以上も前に書かれた創作だけど、最近になって、ホントにこの「セックス・ストライキ」を決行しちゃった女性たちがいる。2年ちょい前の2006年9月のこと、南米コロンビアのコーヒー生産地、パレイラで、ギャング団による殺人事件を始めとした犯罪の多さにたまりかねたギャング団のメンバーの奥さんや恋人たちが、「銃を捨てないと二度とセックスさせないわよ!」っていう運動を起こしたのだ。パレイラでは、前年の2005年には480件もの殺人事件が起こり、そのほとんどがギャング団のメンバーによるものだったため、その奥さんや恋人たちが見るに見かねて立ち上がったってワケだ。

詳しくは、BBCの「Colombian gangsters face sex ban (コロンビアのギャングたちはセックス禁止に直面してる)」って記事を読んでもらうとして、この中で、1人のギャングを恋人に持つ18才のジェニファー・バイエルさんは、「暴力なんて、ちっともセクシーじゃないわ!」って訴えてる。ちなみに、彼女たちの運動は、「脚を組んでセックスを拒否する」ってことから、「strike of crossed legs (組んだ脚のストライキ)」ってネーミングされた。

そして、去年の暮れには、イタリアのナポリでも、この「セックス・ストライキ」が起こった。ナポリでは、どんなに警察が警告をしても、毎年、大晦日から新年を迎える時に、男どもが違法な花火を人ゴミの中で打ち揚げたり、空に向かってピストルを撃ったりして、たくさんのケガ人や死亡者が出る。去年も、24人の重傷者をふくむ473人がケガをした上に、自宅で食事をしてた男性が、流れ弾に当たって死亡してるのだ。

それで、かねてから、この男どもの年越しのバカ騒ぎにヘキエキとしてたナポリの主婦、カロリーナ・ステイアーノさんが、その名も「Se Spari, Niente Sesso(花火をやるならセックスはオアズケよ)」っていう団体を設立しちゃったのだ。だけど、これは、単なる思いつきなんかじゃない。カロリーナさんのお父さまは、若いころ、この違法な年越し花火の犠牲になって、半身不随になっちゃったのだ。その上、未だに事故の後遺症の「てんかん」の発作に苦しんでるのだ。

百歩ゆずって、バカ騒ぎをしてた本人や仲間が、大ケガしたり死んだりするんなら仕方ない。だけど、無関係な人たちが、流れ弾に当たって亡くなったり、このカロリーナさんのお父さまのように障害を負ったりするのは、絶対に許されないことだ。それなのに、こうして何の罪もない人たちに甚大な被害を与えても、どんなに警察が取り締まりをしても、それでもバカ騒ぎをやめようとしないナポリの一部の男ども。コイツラの思考回路って、「必然」だの「自衛」だのと理屈をこねちゃ戦争をしたがる野蛮で幼稚な男どもと何ら変わらない。

で、カロリーナさんが設立した「花火をやるならセックスはオアズケよ」って団体がナポリの女性たちに呼びかけたところ、わずか数日で数百人もの女性たちから同意の署名が集まったそうだ。そして、ナポリの警察も、カロリーナさんたちの呼びかけを受けて、大晦日の朝に、「今夜は違法な花火よりも、妻や恋人と愛し合いましょう」ってメッセージを発表したのだ。う~ん、融通の利かないニポンの警察と違って、イタリアの警察は粋だねえ。

だけど、残念なことに、カロリーナさんの願いは通じなかった。去年の大晦日から今年のお元日にかけて、イタリア各地で違法な花火や発砲が例年並みに巻き起こり、多くの被害者が出ちゃったのだ。ナポリでは、自宅のベランダにいた25才の男性が、頭に流れ弾を受けて死亡した。ミラノでも、10才の少女、35才の女性、42才の男性が、それぞれ流れ弾や花火に当たって病院に運ばれた。お元日の朝の発表では、重傷者28人をふくむ382人の負傷者が出たって報じられてたから、もう少し人数は増えたかもしれない。

これでも、大晦日の何週間も前から、イタリア各地の警察は違法花火の摘発を続けてて、大晦日までに合計で294トンもの花火を押収してたそうだ。前年の押収量が146トンだったから、去年の暮れはその2倍もの量を押収したワケだけど、それでも例年並みに400人近くもの被害者が出たってことは、バカ騒ぎをしたいアホどもって、いったいどれほど大量の違法花火を準備してるんだろう?

それにしても、今年のお元日は、暮れから続いてたイスラエル軍によるガザへの空爆で、連日、たくさんの人たちが殺され続けてたって言うのに、そんな時に、よくもまあ花火を打ち上げたりピストルを撃ちまくったりして、死者やケガ人を出してまでバカ騒ぎができるもんだよね。あたしなんか、ガザの人たちのことを思うと、知り合いに「おめでとう」って言うことさえハバカリ気味だったのに‥‥。

ナポリでバカ騒ぎを繰り返す男どもが、少しでも人の痛みが分かるのなら、少しでも思いやりの心を持ちあわせてたのなら、たとえ警察が取り締まらなくても、たとえ女性たちが「セックス・ストライキ」を起こさなくても、自分たちの中から自発的に「ガザの人たちが空爆を受けてるんだから、今年は年越し花火を自粛しよう」って声が出ただろう。だけど、結果として、例年以上の厳しい取り締まりが行なわれた上に、被害者家族のカロリーナさんが団体まで設立して呼びかけたのにも関わらず、このバカ騒ぎは行なわれた。そして、死亡者まで出したのだ。

‥‥そんなワケで、今日もまた長々と書いてきちゃったけど、あたしは、今こそ、世界中の女性たちが力を合わせて、地球規模の「セックス・ストライキ」に突入する時だと思ってる。マジで「セックス・ストライキ」を決行する5秒前 by 広末涼子‥‥だなんて言っても、平成生まれの新成人には何のことだか分かんないほど古すぎるけど、今こそ、世界中の女性たちが力を合わせて、「戦争をやめなきゃセックスはオアズケよ!」「武器を捨てなきゃセックスはオアズケよ!」って言わなきゃいけない時だと思ってる。で、これはもちろん異性愛者のパターンだから、男性同士の同性愛者の場合には、女性役をやってるほうが「戦争をやめなきゃセックスはオアズケよ!」って言わなきゃダメなのだ。とにかく、何千年もの間、野蛮で学習能力のない男どもが、人殺しのための「非人道的な武器」を手放さずに戦争をやめないんだから、賢くて平和的なあたしたち女性は、自らの肉体という「人道的な武器」を利用して、男どもに「地球にとって何か大切なのか」っていう基本中の基本を教えてやらなきゃなんないと思う今日この頃なのだ! なのだったらなのなのだ!


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2009.01.25

辛口モニター、きっこ見参!

1月10日の日記、「初めてのモニター生活」で、あたしは、「毬月(まりつき)美肌そーぷ」のモニターを始めたってことを書いたけど、あれからずっと、この石鹸を使って来て、ずいぶんいろんなことが分かったので、今日は、空気の乾燥したお部屋で、最後まで完走できるように、タップリと感想を書いてこうと思う。略して、「乾燥の完走の感想」ってワケで、ショッパナから空振り三振感がマンマンだけど、この石鹸、なかなか面白い。

だいたいからして、石鹸を使った感想が「面白い」ってのもアレだけど、普通は、「シャア専用」‥‥じゃなくて、「洗顔専用」が当たり前の高級石鹸なのに、この「毬月美肌そーぷ」の場合は、顔だけじゃなくて、体にも髪にも使えるってことが謳い文句になってるのだ。だから、この前提がすでに「面白い」ってワケで、チャレンジ精神が旺盛なあたし的には、当然、洗顔だけじゃなくて、体も髪も洗ってみようと思ったワケだ。それにしても、体は顔とおんなじ皮膚だからいいとしても、髪を洗うのにも固形石鹸を使うなんて、なんか、田舎のボウズ頭の小学生みたいなイメージがふくらみまくっちゃう。

もちろん、あたしの場合は、最初っから髪を洗ってみるほどの度胸がなかったから、まずは基本の洗顔から始めてみようと思った。で、石鹸のラッピングを剥がして、手の上に乗せて、匂いを嗅いでみた。やっぱ、初めて手にしたものは、それがいかなるものであっても、まずは匂いを嗅いでみて、長嶋茂雄終身名誉監督にも通じるあたしの潜在能力の1つ、「野生のカン」をフル稼働させてみようと思ったからだ。そしたら、これが、どこかで嗅いだことのある匂いだった。すぐには思い出せなかったんだけど、「毬月美肌そーぷ」の匂いは、遠い昔、どこかで確かに嗅いだことのある懐かしい匂いだった今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?



‥‥そんなワケで、あたしは、「毬月美肌そーぷ」に鼻を近づけて、クンクンと匂いを嗅ぎ続けた。そして、目をつぶって、遠い記憶の糸をたどり始めた。そしたら、あたしの頭の上の100ワットの裸電球がパッ!っとついて、25年以上も前の古い記憶が蘇った。

「これは、油ねんどの匂いだ!」

そう、小学生の時の工作の時間に使った「油ねんど」の匂いとソックリだったのだ。幼稚園の時って、赤や黄色や緑のカラフルな「プラねんど」を使ってたけど、小学生になったら、この「油ねんど」と「紙ねんど」を使うようになった。もう30年近くも前のことだから、記憶もサダカじゃないけど、確か、1年生か2年生の時に「油ねんど」を使って、「紙ねんど」を使うようになたのは3年生くらいからだったように思う。

ようするに、単に形を作るだけの「油ねんど」は低学年、形を作ってから乾かして、それから絵の具で色を塗ったりする「紙ねんど」は中学年以上‥‥って感じだったと思う。あたしが、夏休みの宿題で、「紙ねんど」で「オオモンハタの貯金箱」を作って校長先生から金賞をもらったのも、小学3年生の時だった。これは、3年生の1学期に工作の授業で習ったことを思い出して作ったものだ。

確かに、決して「いい匂い」とは言えないけど、それでも、1人に1個ずつ配られた新品の「油ねんど」は、とっても嬉しかった。そして、周りのラッピングを剥がすと、プ~ンと例の独特の匂いがして、新品の長四角のねんどを崩すのがもったいなかった。それを「えいや!」っと手でこねて、好きな動物とかの形を作り、ねんどべらで目とか鼻とかを作って‥‥って、ま、あたしのセンチメンタルジャーニーは置いといて、とにかく、この「毬月美肌そーぷ」は、あの懐かしい「油ねんど」の匂いだった。その上、色までおんなじアーミーグリーンだから、ヨケイに「油ねんど」っぽい感じがした。

ちなみに、最近の小学校では、あの独特の匂いを抑えた「無臭の油ねんど」ってのを使ってるそうだ。何よりも大切な「匂いの記憶」まで取り上げちゃうなんて、最近の子供たちって、ホントにかわいそうだよね‥‥なんてことも織り込みつつ、この「毬月美肌そーぷ」が「油ねんど」みたいな匂いなのも、「無臭」とおんなじ方向性の「無香料」って姿勢で作られてるからだ。普通の石鹸は、いかにも石鹸らしい「いい匂い」がするけど、アレはすべて「香料」を加えて人工的に作られてるもので、お肌のためには無意味だし、場合によってはマイナスになっちゃう。

だから、ずいぶん前からの傾向として、ファンデなど、直接、お肌につけるベースメークとおんなじに、洗顔石鹸も「無香料」のものが主流になって来た。だけど、「無臭の油ねんど」のように、本来の匂いまで科学的に消しちゃったりすると、そのための薬品がお肌に良くなかったりもするから、こうした製品の場合には、源料そのものの匂いが残ってる。ちなみに、この「毬月美肌そーぷ」の匂いも、基本的には「無香料石鹸」に共通する匂いなんだけど、そこに、「ミネラルパウダー」「真珠エキス」「セラミド」「混合アミノ酸」「スクワランオイル」「かわらよもぎエキス」「ヒアルロン酸ナトリウム」「ハチミツ」「深層水塩」っていう9種類の天然由来成分がブレンドされたことによって、結果的に「油ねんど」っぽい匂いと色になったんだろう。

‥‥そんなワケで、サスガ、長文を売り物にしてる「きっこの日記」だけあって、「匂い」だけでここまできちゃったけど、そろそろ実際に使ってみた感想に突入しようと思う。で、まずは、この「毬月美肌そーぷ」で洗顔するにあたり、ぬるま湯につけて両手で泡立ててみた。だけど、両手がヌルヌルして来るだけで、いつまで経っても泡立たない。もちろん、石鹸の成分は溶け出してるみたいだから、このヌルヌルを使って洗顔することもできると思うけど、これじゃあちゃんとした効果は望めそうにない。



そこで、今度は、オマケについてた「魔法の泡立てネット」を使ってみた。そしたら、一瞬のうちにキメ細かい泡が大量にできて、何だかイイ感じ。石鹸自体はホンの2~3回ほどネットでこすっただけだから、ほとんど消費してないのに、両手にいっぱいの泡ができたのだ。それで、この泡で洗顔したんだけど、泡の状態になると、例の「油ねんど」の匂いはしなくなって、ほとんど無臭のサッパリ洗顔ができた。



ただ、この時は、すぐにお化粧してお仕事に行ったので、石鹸の効果は分からなかった。それで、帰って来てから、お風呂でジックリと使ってみることにした。「毬月のホームページ」に、「バスタイムには、お顔の上に泡を乗せたまま、数分放置する泡パックをお試しください。洗い流したあとは、驚くほどツルツルの肌になっています」って書いてあったからだ。

それで、あたしは、いつものオイルタイプのクレンジングでお化粧を落としてから、お風呂に入って、この「泡パック」を試してみた。「魔法の泡立てネット」を使うと、ちょっと石鹸をこすっただけで驚くほど泡ができるから、洗顔だけじゃ余っちゃう。それで、まずは念入りに洗顔をして、それから余った泡を顔に乗せて、しばらく上を向いてた。ナニゲに、今の自分の姿を客観的に想像してみたら、全裸で顔面に泡を乗せて上を向いてるんだから、激しくアホな感じだったけど、美しくなるためにはアホでケッコー。どうせアホなら踊らにゃソンソンってワケで、あたしは、顔面に泡を乗せたまま、阿波踊りを踊ってみたりもした(笑)

‥‥そんなワケで、あたしは、約5分ほどの「泡パック」をしてみたんだけど、洗顔後のお肌のパツパツ感がゼロで、なかなかシットリしてた。あたしは、お風呂上がりには、すぐに化粧水をパッティングして、寝る前には保湿と美白効果のある美容液を使ってるんだけど、この日は、石鹸の効果を見るために、あえて化粧水を使わずに、何もしないで様子を見てた。そしたら、驚いたことに、Tゾーンがいつまでもシットリしてたのだ。

前にも書いたけど、あたしって、アマノジャクな混合肌だ。一般的な混合肌って、ホホからアゴにかけてのUゾーンは乾燥しやすいのに、オデコから鼻筋にかけてのTゾーンだけがテカッちゃったりする人がほとんどだ。だけど、あたしの場合は、Uゾーンは普通なのに、Tゾーンだけが乾燥しやすい。こんなこと、あんまり書きたくないんだけど、冬場に2日以上、Tゾーンの保湿ケアをサボると、ミケンの辺りからカサカサになり始めて、お肌が粉をふいたようになっちゃう。だから、特に今の時期は、お風呂上がりの化粧水と、寝る前の美容液、そして、2日おきのパックは欠かせないんだけど、この日は、「毬月美肌そーぷ」で「泡パック」したら、化粧水も美容液も使わなかったのに、次の日の朝までTゾーンがシットリのスベスベだったのだ。

で、ホントに「毬月美肌そーぷ」の「泡パック」の効果なのか、それとも「阿波踊り」を踊った効果なのかを調べるために、翌日の夜は、別の石鹸で洗顔して、そのまま化粧水も美容液も使わずに様子を見てみた。そしたら、お風呂から上がって2時間くらいで、Tゾーンが乾燥してパツパツの感じになってきちゃったから、こりゃヤバイってことで、すぐにケアした。そして、こんな実験を何度か繰り返してみて分かったことは、別に「泡パック」をしなくても、普通に「毬月美肌そーぷ」で朝と夜の洗顔を続けてるだけで、乾燥肌はケッコー改善されるってことだ。

そして、もう1つのいいとこは、乾燥肌はシットリして来るのに、普通肌はサッパリ系のツルツル系になるってことだ。普通、乾燥肌に対応したものだと、普通肌や脂性肌には重すぎたりするんだけど、この「毬月美肌そーぷ」は、乾燥肌にはシットリ感を、脂性肌にはサッパリ感を与えてくれるって感じだった。言葉は違うかもしれないけど、「お肌のPHバランスを整えてくれる」って感じがした。

で、「それなら」ってことで、今度は、体を洗うのに使ってみた。ただ、体の場合は、顔ほどお肌が敏感じゃないから、ハッキリした効果は分からなかった。でも、あたしの場合、ヒジとか内モモとかが乾燥しやすいんだけど、そうした部分に「泡パック」を試してみたら、お風呂上がりもシットリ感が持続してて、なかなか良かった。

そして、残すは「髪を洗う」っていう大冒険だけになっちゃったので、キヨミズの舞台からバンジージャンプするつもりでチャレンジしてみたんだけど、コレに関しては、ハッキリ言わしてもらうけど、あたしの場合は、やっぱり普通のシャンプーで洗うほうがいいと思った。でも、あたしの場合は、パーマもカラーリングもしてないストレートの黒髪で、常に完璧なキューティクルを心がけてるから、モトモト髪の状態はすごくいい。だから、いろんな効果が謳われてる「毬月美肌そーぷ」を使っても、これ以上は良くならないってことなのかもしれない。カサカサになっちゃう乾燥肌が改善されたことを思えば、パーマやカラーリングを繰り返してて痛んでる髪の場合なら、普通のシャンプーを使うよりも、「毬月美肌そーぷ」を使ったほうがいいってことが推測できる。

‥‥そんなワケで、この「毬月美肌そーぷ」について、あたしが2週間のモニターを続けてみた感想をヒトコトでマトメてみると、「使う人によりけり」ってことになる。何しろ、60gで2850円もする高価な石鹸なんだから、今までいろんな石鹸を試してみたけど、自分の肌質に合ったものに巡りあえなかったって人なら、試してみる価値はあると思う。だけど、すでに今使ってる石鹸で満足してるって人には、必要ないだろう。どっちにしても、最初から2850円も投資してみるのが恐い人のために、12gで600円の「お試しサイズ」がある。この「お試しサイズ」は、例の「魔法の泡立てネット」もついてるし、さらには送料が無料だから、まずはコレを買ってみたほうがいいと思う。

それから、あたし個人の厳しい感想としては、まず、もうちょっと大きかったほうが良かったと思う。前回も書いたけど、あたしが愛用してる神戸トランスパランの「メーク落とし洗顔せっけん」は、1個1500円だけど100gだし、高級洗顔石鹸の代名詞的なアルソアの「クイーンシルバー」は、1個4000円もするけど135gもある。洗顔専用の石鹸でも、これくらいの大きさなんだから、体も髪も洗えるってことを謳い文句にしてる石鹸としては、60gってのは使用目的に大きさが比例してないと思う。もしかすると、原料や製造工程にお金をかけすぎて、100g以上にすると単価が高くなりすぎちゃうってことで、先に「3000円以下」って設定してから大きさを決めたのかもしれないけど、ホントにいいものなら、4000円でも5000円でも買う人は買うと思う。

そして、もう1つ気になったことは、これも前回書いたけど、ケースが付いてないってことだ。こうした商品は、何よりもリピーターが命なのに、リピーターゴコロを刺激するための基本中の基本のアイテムである「専用ケース」が付いてないってのは、あまりにももったいないと思った。アルソアの「クイーンシルバー」が何十年も売れ続けてるのは、石鹸自体の品質は当然として、その他に「ケース付きのものは4000円だけど、石鹸のみだと3900円」ていう販売方式をとってることが大きい。「初回はケース付きを買って、2回目からはリフィルを買えばいい」ってのは、固定客をつかむ上での大きなポイントになる。

ケースを付けるってことは、リピーターを増やすだけじゃなくて、商品自体の高級感を演出することにもつながるし、使ってるうちに商品に対する愛着もわく。その上、他メーカーの商品との差別化を図る上でも重要なポイントになる。だから、まだ他がやってないこと、たとえば、何種類かのカラーやデザインのケースを用意して、お客さまが選択できるようにすれば完璧だろう。



‥‥そんなワケで、あたしは、この「毬月美肌そーぷ」って、石鹸自体を使ってみた感想としては、なかなかいい石鹸だと思った。だけど、最初の1回、試しに買ってみて、使ってみて効果を実感できた人でも、2回目、3回目とリピートするかどうかは疑問に思った。それが、大きさであったり、ケースの有無であったり、さらに言わせてもらえば、あまり高級感を感じないパッケージのデザインだったりするワケだ。こうした高級石鹸を買う人って、その品質や効果は当然として、プラスアルファの「何か」を求めてる人が多い。それは、「自分は高級品を使ってる」っていう満足感だ。そして、そのために必要なのが、高級感を演出するためのパッケージであったりケースであったりするワケだ。ようするに、あたしの総括としては、「石鹸自体はなかなかいいと思ったけど、プラスアルファの部分での工夫が足りない」ってことになる。こんなこと書くと、一生懸命に開発した人たちには申し訳ないけど、これがあたしの率直な感想なので、少しでも今後の参考になればと思って、正直に書かせていただいた今日この頃なのだ。


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2009.01.24

オバマの演説の評価は?

オバマの大統領就任演説は、「とても感動した」という人から「期待はずれだった」という人まで賛否両論です。

そこで質問です。


【オバマの就任演説を観て】

1.とても感動した
2.まあまあ良かった
3.なんとも言えない
4.ちょっとガッカリ
5.激しく期待はずれ



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味の無人島化計画

「お肉は食べないけどお魚は食べる」っていうヘナチョコベジタリアンをやってると、「魚肉は肉じゃないのか?」っていうツッコミを入れられる。それもこれも、「ベジタリアン」ていう言葉にムリがあるんだと思う。だって、「ベジタリアン」て名乗っちゃうと、頭に「ヘナチョコ」をつけようが「テキトー」をつけようが、どうしても「ベジタブルしか食べない人」ってイメージが強くなっちゃうからだ。だから、ホントは、食べるほうのものを言うんじゃなくて、「牛や豚や鶏を始めとしたお肉だけを食べない人」って言葉があればいいんだけど、そんな言葉はなさそうだし、仮にあったとしても、一般的じゃないだろうから、そんな言葉を使ったところで誰にも伝わらない。

それに、あたしの場合は、お魚は食べるけど、お魚の中でもメチル水銀の量がハンパじゃないマグロとかカジキとかキンメダイとかは食べないことにしてる。そして、動物関係は食べないことにしてるけど、牛乳は飲むし、バターやチーズとかの乳製品も食べるから、この辺のラインが曖昧だ。でも、牛乳や乳製品は、ダイレクトに動物を殺すワケじゃないから、「動物を殺すのがかわいそうだからお肉は食べない」っていうあたしの考え方には反してない。

それで、あたしが、ずっと悩み続けてるのが、タマゴだ。タマゴは「ヒヨコの素」なんだから、食べたら動物を殺すことになる。でも、そこらのスーパーで売られてる無精卵なら、メンドリが温めたってヒヨコは生まれないんだから、人間が食べても動物を殺すことにはならない。もちろん、10個200円以下で売られてるようなタマゴは、いくら無精卵でも、あまりにも劣悪な環境と危険な飼料で飼われてる鶏のタマゴだから論外だけど、1個50円以上の無精卵なら、それなりの環境と飼料で飼われてる健康な鶏のタマゴだから、月に1回か2回くらいなら食べてもいいかな?‥‥って思う今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、あたしの場合、どうしてこんなにタマゴのことで悩んでるのかって言えば、前から「きっこの日記」を読んでくれてる人は知ってると思うけど、タルタルソースが使えなくて困ってるからだ。あたしの大好物の1つにシャケフライがあるんだけど、このシャケフライの食べ方としては、全体に少しだけハチ公ソースをかけてから、その上にタルタルソースをタップリと乗せて、ハシッコからガブッとかじりつく。そうすると、ハチ公ソースの酸味とタルタルソースの甘味との何とも言えない和音の中から、サクッとした衣とジューシーなシャケの身が出て来て、口の中いっぱいに味覚のパラダイス銀河がローラースケートで広がってく。そして、まだ口の中にシャケフライが残ってるうちに、ホカホカのご飯を口に入れると、「あ~~幸せ~~♪」ってことになるのだ。

もちろん、この食べ方は、シャケフライに限らず、白身魚フライでもエビフライでもアジフライでもイワシフライでも美味しいんだけど、あたしの場合は、タルタルソースを使う定番のカキフライには使わない。カキフライの時は、ハチ公ソースとカラシだけで食べる。何でかって言うと、せっかくのコクのあるカキの味が、タルタルソースのコクで打ち消されちゃうからだ。ま、その辺のことはどうでもいいんだけど、とにかく、タマゴを食べちゃダメってことにすると、タルタルソースが使えなくなって、その結果、こうしたお魚のフライを食べる時に、あたしのベストの形での食べ方ができなくなるってワケだ。

この辺までは、前にも書いたことがあるかもしれない部分で、お肉を食べないようにした初期のころから悩んでた部分だ。そして、今の悩みは、仮に「健康な鶏の無精卵なら食べてもいい」ってことにした場合に、どうするのかってことだ。だって、あたしのタルタルソースって、市販のマヨネーズを使って作るから、いくら健康な鶏の無精卵を使ったとしても、マヨネーズのほうに使われてるタマゴが、劣悪な環境と危険な飼料で飼われてる鶏のタマゴの可能性が大きいからだ。

ちなみに、あたしのタルタルソースは、ユデタマゴを作って、白身を細かく刻んで、黄身はパラパラにして、あとはピクルスやタマネギも細かく刻んで、パセリもあったら細かくして、これらを市販のマヨネーズで和えるって感じだ。あとは、その時の気分で、黒コショウを入れてみたり、余ってたドレッシングを入れてみたりって感じで、極めてテキトーだ。だから、この方式で作るとなると、市販のマヨネーズに使われてるタマゴに問題が生じてきちゃって、いくら健康的なタマゴでユデタマゴを作っても、意味がなくなっちゃう。だからって、マヨネーズの部分から自分で作るなんて、そんなヒマとお金を持て余してるセレブ奥さまみたいなことなんてやってらんない。

で、ここまで書いて来てようやく気づいたのは、ようするに、あたしって、タルタルソースがどうしたとかってことが問題なんじゃなくて、「市販のマヨネーズを食べてもいいのかどうか」ってことが問題だったんだ。そして、そんな根本的なことに気づかなかったのは、あたしが、ほとんどマヨネーズを使わない食生活をしてたからなのだ。あたしがマヨネーズを使うのって、タルタルソースを作る時の他は、スルメを食べる時くらいだからだ。スルメを炙って細く割いたら、全体にお醤油をかけて、頭の三角のとこにマヨネーズをニュルニュルっと出して、そこに一味唐辛子をドバッとかける。そして、この一味マヨをスルメで混ぜ混ぜしながら食べると、いくらでもお酒が飲めちゃうのだ。

‥‥そんなワケで、こうして考えると、あたしにとって必要な調味料って、一番必要なAクラスがお醤油、お味噌、お塩、お砂糖の4つで、次に必要なBクラスがソースとケチャップの2つで、マヨネーズは大して必要ないCクラスってことになる。実際、お醤油やお味噌がなくなったら翌日から困るけど、ソースやケチャップがなくなっても1週間くらいは困らないし、マヨネーズはずっとなくても困らない。シャケフライやスルメを食べる時に、マヨネーズがないと物足りなくなるけど、絶対に必要ってほどでもないからだ。

そして、Bクラスのソースとケチャップにしても、お肉やタマゴを普通に食べてたころとは違って来た。ソースはお魚のフライを食べる時に使うけど、ケチャップはほとんど使わなくなった。ケチャップって、オムレツやオムライスとかのタマゴ料理に使うのがメインだったから、タマゴを食べなくなったら、必然的にケチャップも使わなくなったのだ。

それで、あたしがどんな食生活をしてるのかって言うと、前にも何度が献立表を書いたけど、9割以上を和食が占めてる。たとえば、朝はダイコンのお味噌汁とご飯と納豆とタクアン、お昼は梅干しと昆布のおにぎりとお茶、夜はダイコンのお味噌汁とご飯とメザシとキンピラゴボウ‥‥って感じだ。週に一度くらいは、お昼にお蕎麦を食べたりもするけど、それでも使ってる調味料は、お醤油とお味噌とお塩だけで、ソースやケチャップやマヨネーズは皆無だ。

で、こんな食生活を続けてると、やっぱりタマには洋食とか中華とかを食べたくなって来る‥‥って言うか、お醤油とお味噌とお塩以外の調味料を使ったものを食べたくなって来る。それで、ここんとこ、焼酎のお湯割りの梅干し入りばっか飲んでたから、ゆうべは、久しぶりに洋風にお酒を飲んでみることにした。ウイスキーのお湯割りを飲みながら、何か洋風のオツマミを食べようってことにしたのだ。だけど、ザッと調べても、洋風のオツマミの材料になりそうなのはジャガイモくらいしか見当たらない。そこで、あたしは、ただ単にジャガイモを細く切って、フライパンで炒めて、ポテトフライみたいなジャガイモ炒めを作ることにした。

中くらいのジャガイモ3個を1cm角の棒状に切って、キャノーラ油を少しだけ入れたフライパンで、細火でジックリと炒めて行った。焦げないように、全部に平均的に火が通るように、そして、シナッとしないでカリッとなるように、つきっきりで何度もコマメにフライパンを振ってた。そして、すごくイイ感じにカリッとできたから、仕上げにお塩をすごく軽く振って、黒コショウを全体に振った。それで、お小皿にケチャップを出して、チョコチョコとつけながら食べるって方式だ。

炒めたジャガイモにケチャップをつけて食べるなんて、話だけ聞くと芸がないと思われちゃうし、その味も簡単に想像できちゃうと思うけど、これが、信じられないくらい美味しかったのだ。あまりにも美味しくて、大きなお皿にマウンテンなジャガイモを食べながら、ウイスキーのお湯割りを6杯も飲んじゃった。それで、何でこんなに美味しかったのかって言うと、ジックリと時間をかけて理想的な状態になるまで炒めたこともあるけど、もう1つの理由は、何ヶ月もずっと、お醤油とお味噌とお塩の味付けのものばかり食べ続けて来たから、久しぶりのケチャップの味に感動しちゃったからだ。

‥‥そんなワケで、あたしは、この経験から、あることがひらめいた。それは、「味の無人島化計画」とでも名づけるべき作戦なんだけど、ふだん使う調味料に関してだけ、「もしもここが無人島だったら」って仮定して生活するって作戦だ。ここが無人島なら、手に入る調味料は海水から作るお塩だけだ。そう、何を食べるにしても、味つけはお塩しか使っちゃいけないことにするのだ。そうすると、お味噌汁は潮汁になるだけだけど、納豆やメザシにはお醤油が使えない。お野菜で煮物を作るにしても、すべて塩味だけだ。でも、お昼のおにぎりに関しては、もともと塩味だから問題ない。

そして、1週間なら1週間て期間を決めて、この「味の無人島化計画」を遂行する。そうすると、つらい1週間が終わったあとに、お味噌汁を作って飲んでも、お醤油を垂らした納豆をご飯にかけて食べても、あまりの美味しさに大感動できるってワケだ。どう?アホみたい?(笑)

でも、こんなにアホみたいな実験でも、いいこともある。それは、お醤油にしてもお味噌にしても、一定期間、口にしないことで、知らず知らずのうちに舌がマヒしちゃって、日常的につい多めに使ってたものが、いったんリセットできるってことだ。あたしは、オムレツにしてもオムライスにしても、ケチャップをいっぱいかけてた。それこそ、タマゴの全面が赤くなるほどかけてた。だけど、今回、すごく久しぶりにケチャップを使ってみたら、ジャガイモの先にほんのちょっぴりつけるだけで、十分に美味しさを感じることができたのだ。以前、ファーストフードとかにも普通に行ってたころは、ポテトフライにはベットリとケチャップをつけて食べたのに、今回は、ものすごく少しで味を楽しむことができたのだ。

ようするに、何の制約もなく生活してると、こうした調味料って、だんだんと多めに使うようになっちゃうってワケだ。お醤油が好きな人なら、ちゃんと味のついてるものにまで、さらにお醤油をかけちゃう人がいる。漫才師の宮川大助花子の大助も、2年前に脳出血で倒れるまでは、何にでもお醤油をドバドバかけちゃってたそうだ。それで、今は、ものすごく塩分に気をつけた生活をしてる。だから、あたしの考えた「味の無人島化計画」を定期的に遂行すれば、使えなかった調味料に対する感激度が増すだけじゃなくて、知らず知らずのうちにマヒしてた味覚を回復することもできて、結果、体のためにもいいってことになるのだ。

‥‥そんなワケで、「無人島」とか言いつつも、サスガに毎回がお塩だけじゃ飽きちゃうから、お塩だけのパターンの他に、お醤油だけのパターン、お味噌だけのパターン‥‥って、毎回、使っていい調味料を変えてくほうがいいと思う。それに、こうしないと、お塩に関する味覚をリセットできないからだ。ただ、このパターンにすると、ソースだけの時とか、ケチャップだけの時が、想像しただけでもキツイような気がする。だって、あたしが一番多く食べてるオカズって、メザシと納豆なんだから、ケチャップをかけたメザシなら、ギリギリで「にがみばしったイタリアン」てことでお茶を濁すとしても、サスガに、ソースを入れた納豆は、あまりにもアバンギャルドでヌーベルバーグで前衛的だと思う今日この頃なのだ(笑)


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2009.01.23

六ヶ所村施設でまた放射能事故

「六ヶ所村施設でまた放射能事故」(世田谷通信)

使用済み核燃料再処理工場(青森県六ヶ所村)で、21日、試運転中に高レベル放射性廃液が漏れる事故が起こった。日本原燃によると、事故があったのはガラス固化を行なっていた建屋内の外部と隔離された小部屋で、配管の下の受け皿に約20リットルの廃液が溜まっているのが発見された。調べたところ、配管先端のステンレス製のふたの金具がゆるみ、そこから高レベル放射性廃液が漏れていたことが分かった。昨年12月、ガラス溶融炉をかき混ぜるための金属棒が原因不明の変形事故を起こしたが、この事故による炉内の損傷を調べるために、原料供給器を取り外しその配管にふたをしていた。今回の高レベル放射性廃液は、この配管のふたがゆるんでいて漏れたもので、事故の調査がさらなる事故へと発展したということになる。2007年11月に始まったガラス固化試験は、これまでに別のトラブルで三度中断され、昨年11月の試運転完了時期を今年2月に延期したばかりだった。多くの住民が不安の声をあげている中、半ば強引に続けられてきた試運転だが、これほど頻繁に事故が続くと、計画そのものを根本的に見直すべきだろう。昨年12月には、監督官庁の経済産業省原子力安全・保安院の原子力事故故障対策室も、「原燃の原因分析を待つしかないが、こう何度もトラブルが起きると、どうなんだ、と思う」と事業そのものに対する否定的なコメントを出している。(2009年1月23日)


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地球のカレンダー

あたしが欠かさずに観てるNHK教育テレビの「高校講座・地学」だけど、おんなじ放送を観続けて、もう3年目になるので、宇宙のことも、地球のことも、もうずいぶん理解して来た。で、毎年、今の時期は、人気のあった回をランダムに放送してたりするので、あたしも完全にリラックスモードで楽しんでるんだけど、ゆうべの深夜は、あたしが「高校講座・地学」を好きになったキッカケの回、第12回の「野外観察に出かけよう」だった。これは、第11回までの第1編で宇宙のことを勉強して、続いての第2編で地球のことを勉強する最初の回だ。

お茶目で可愛い安達修子先生と、ご存知、平野麻樹子ちゃんとの天然風味のやりとりがサイコーで、番組のサイトでもダイジェスト版は観られるんだけど、面白いポイントがずいぶんカットされちゃってるから、やっぱり、ちゃんとした放送のほうが何倍も楽しむことができる。

で、あたしは、焼酎のお湯割りの梅干し入りを飲みながら観てたんだけど、その流れで、次の「理科総合AB」も観た。こっちも、ちょうど「理科総合B」の第12回の「海で始まった生命」、ようするに、生物の回の1回目だった。こっちも何度か観てたけど、相変わらず挙動不審な小林裕光先生に、小沢一郎をもシノぐ岩手県パワー全開の高松知美ちゃんが貪欲な食いつきを連発してて、なかなか楽しかった。レポーターの中里真美ちゃんとのやりとりも、まだ台本棒読み感がマンマンのギクシャクぶりが微笑ましかった今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、この「高校講座」では、「地学」の場合は、スタジオもロケも平野麻樹子ちゃんが1人でこなしてるんだけど、「理科総合」の場合は、スタジオが高松知美ちゃんで、「A」のロケが武田あかりちゃん、「B」のロケが中里真美ちゃんていうキャスティングになってる。だから、「理科総合」の場合は、野外や研究所や博物館にロケに行った武田あかりちゃんや中里真美ちゃんが「現場に行って答えを調べて来た人」になるワケで、スタジオにいる先生も「答えを知ってる人」なワケだから、スタジオでお留守番をしてた高松知美ちゃんだけが「答えを知らない人」って図式でのコント‥‥じゃなくて、展開になるのが黄金のパターンだ。

たとえば、「理科総合B」なら、先生と一緒に海へ微生物の採集に行った中里真美ちゃんが、得体のしれない不気味なモノを持ち帰って来る。で、先生も真美ちゃんも、それが何なのか分かってるけど、スタジオでお留守番してた高松知美ちゃんだけは分からない。もちろん、事前に台本を読んでるワケだし、スタッフからもちゃんと指導させてるんだから、ホントは何なのかは分かってる。ここでは、あくまでも、台本に沿って「何だか分からない演技」をしてるワケなんだけど、もったいぶる先生と、答えを聞いて大ゲサに驚いて見せる高松知美ちゃんとのワザトラシーやりとりがサイコーなのだ。

ゆうべの「理科総合B」は、3回に渡って「地球上に生物が登場してから現在まで」を勉強する第1回なんだけど、放送の冒頭で、シャーレに入れた「乾燥した岩海苔」みたいなモノが登場する。で、コレが何なのかは、台本を読んでる上に、事前に実験もしてる高松知美ちゃんは、当然知ってるワケだけど、本番では生まれて初めて見たような顔をして、「これはいったい何ですか~?」ってやるワケだ。そして、あとから、この岩海苔みたいなのが、酸素がなくても生きられる原始生物の「シアノバクテリア」の中の「陸性のもの」ってことを教えてもらい、水槽に入れて光をあてて光合成をさせるってワケだ。

‥‥そんなワケで、あまりにも楽しい高松知美ちゃんのリアクション芸なんだけど、次回の「理科総合B」では、両生類とかが誕生したとこに入るから、もっと面白いことになる。ナナナナナント! 高松知美ちゃんと中里真美ちゃんが、小林裕光先生に言われてサンショウウオのモノマネをさせられちゃうのだ! これは、今から30年くらい前に、タモリがイグアナのモノマネをしたのにも匹敵するほどの衝撃映像なので、皆さん、お見逃しなく!‥‥ってのも織り込みつつ、次の次の放送では、多細胞生物が誕生して、あたしの大好きなワオキツネザルとかも紹介されつつ、人類が誕生したとこまでが総括される。

そして、この3回の放送でのすごく興味深いこととして、小林裕光先生が、地球が誕生してから現在までを「1年間のカレンダー」に見立てた「地球カレンダー」ってのを紹介してくれる。ようするに、46億年前に地球が誕生した日を「1月1日の午前0時」として、現在を「12月31の午後11時59分」として、この1年間のカレンダーに、地球で起こった生物の誕生などを書き込んでくってものだ。で、痒いとこに猫の手が届く「きっこの日記」としては、もちろん、簡単にマトメて紹介しちゃう。


「地球カレンダー」(フランク・ザッパ版)


1月1日 地球誕生(46億年前)

3月初め 最初の生命が誕生(38億年前)

6月初め シアノバクテリアなどのラン藻類が出現(27億年前)

7月中旬 真核生物(細胞に核を持つ生物)が出現(21億年前)

9月下旬 多細胞生物が出現(11億年前)

12月1日 生物が陸上へ進出(4億年前)

12月中旬 恐竜や哺乳類が出現(2億年前)

12月26日 恐竜が絶滅(6500万年前)

12月31日 人類が誕生(500万年前)


‥‥そんなワケで、この「地球カレンダー」を見れば分かるように、1月1日に地球が誕生したと仮定すると、3月の初めに最初の生命が誕生してから、11月の終わりまでは、すべての生命は「海の中」だけにしかいなかったのだ。そして、1年も終わりを迎える12月になって、初めて植物が陸上へと進出して来たのだ。そして、植物に続いて、サンショウウオみたいな生物が、水中でも陸上でも呼吸できる両生類へと進化して、陸上へと進出して来たってワケだ。

それからは、陸上でいろんな植物や動物が誕生して、12月の中旬には、恐竜や哺乳類が誕生した。だけど、6500万年前の中生代と新生代の境の「KT境界」では、直径が10kmもある巨大な隕石が地球に激突して、舞い上がった粉塵が何ヶ月間も太陽の光をさえぎっちゃって、恐竜を始め、いろんな生物が絶滅しちゃった。多くの生物が短期間に絶滅することを「大絶滅」って言うんだけど、この6500万年前の「大絶滅」の前にも、2億5000万年前の古生代と中生代の境の「PT境界」で、海の生物の95%が絶滅した「大絶滅」があった。

こうした「大絶滅」は、地球上に多細胞生物が誕生してから今までに5回あったって言われてるんだけど、それでも、わずかに生き残った生物たちが、お互いに助け合って、何とか命のバトンをつなげて来た。蜜を吸わせてもらう代わりに、その花の花粉を運ぶ昆虫たち。果実を食べさせてもらう代わりに、その果実の種をフンと一緒に遠くへ落とす鳥たち。一見、弱肉強食に見える食物連鎖にしても、すべては命のバトンを未来へとつなぐために「輪」になってるのだ。

だけど、今、地球は、6回目の「大絶滅」を迎えてる。そして、現在の「大絶滅」が、過去の5回と大きく違ってる点は、その「原因」なのだ。過去の5回が、すべて自然が原因だったのに対して、現在の「大絶滅」の原因は、間違いなく「人間」が原因なのだ。そして、その規模は、6500万年前の「大絶滅」をも超えるもので、毎年、4万種もの生き物が絶滅し続けてる。1年間に4万種ってことは、1日に110種ずつ、1時間に4~5種ずつ、この地球上から生物が滅び続けてるってことになる。ちなみに、人間が地球上に現われる前の世界では、生物が自然に絶滅する割合は、だいたい「1000年に1種」だったそうだ。

‥‥そんなワケで、現在、地球上には、約150万種の生物が確認されてるけど、まだ人間が発見してない種がこの何倍かはいるだろうって言われてる。だから、この約150万種がすべてってワケじゃないけど、それでも、毎年4万種ずつ絶滅してるんだから、このまま人間が何の対策もしなければ、10年で40万種、20年で80万種‥‥って絶滅してって、40年後の2050年には、地球上のほとんどの生物がいなくなるってことになる。

でも、これは、あくまでも「1年間に4万種」っていうスピードで進んでったらの話だ。近年の生物の絶滅のスピードを見てみると、100年前の1900年までは「4年に1種」しか絶滅してなかったし、1900年から1960年までも「1年に1種」しか絶滅してない。それが、1960年を過ぎると、突然、「1年に1000種」になり、1970年を過ぎると「1年に1万種」になり、1980年を過ぎて、とうとう「1年に4万種」になったのだ。つまり、このまま行けば、「1年に5万種」になったり「1年に10万種」になったりする可能性もあるワケで、そしたら、もっと早くにすべての生物が絶滅することになる。

それから、「1年間に4万種ってことは、1日に110種ずつ、1時間に4~5種ずつ、この地球上から生物が滅び続けてるってことになる」って書いたけど、この内わけを見ると、何よりも大きいのが「熱帯雨林の伐採」で、これが原因で絶滅してる生物は、1年間に2万7000種、1日に74種に上る。そして、残りの1万3000種が、乱開発や地球温暖化、大気汚染や海洋汚染によるものだ。つまり、熱帯雨林の伐採をやめれば、生物の絶滅のスピードを一気に3分の1にできるんだけど、これは「バイオ燃料」の源料のトウモロコシやサトウキビを植えるための伐採だから、アメリカ主導の自動車社会が続いてる以上、やめさせることはできないだろう。

‥‥そんなワケで、ここで、もう一度、さっきの「地球カレンダー」を見て欲しいんだけど、1月1日に地球が誕生してからの1年間のうち、12月30日までの364日は、氷河期が訪れようとも、大規模な地殻変動があろうとも、巨大な隕石が地球に激突しようとも、生き残ったわずかな生物たちが力を合わせて、何とかがんばって美しい地球を守り続けて来たってことが分かると思う。そして、最後の12月31日になって、突然現れた人間が、たった1日で、この地球をメチャクチャにしちゃったってことが分かると思う。

だけど、その人間にしても、地球上に誕生した500万年前から、ずっと自然破壊を繰り返した来たワケじゃない。さっきの「生物の絶滅のスピードの変遷」を見れば分かるように、現在のように「1年間に4万種」なんて速さで生物を滅ぼすようになったのは、たった30年前からなのだ。そこで、今度は、人間が誕生した12月31日のことを時間割りにして見てみようと思う。


「地球カレンダーの12月31日の出来事」(きっこ版)


午前0時 人類が誕生(500万年前)

午後2時 ヒト属(ホモ属)が誕生(200万年前)

午後4時 ホモ・ハピリスが石器を使い始める(150万年前)

午後11時 ホモ・サピエンスが誕生(25万年前)

午後11時55分 縄文時代(1万6000年前)

午後11時59分57秒 明治時代(150年前)

午後11時59分58秒 ドイツで世界初のガソリン自動車が誕生(120年前)

午後11時59分59秒 第二次世界大戦(60年前)

午後11時59分59秒30 人類によって年間4万種の生物が絶滅するようになる(30年前)


皆さん、これ、どう思う? 「地球カレンダー」の1月1日に地球が誕生して、12月30日までナニゴトもなく平和に過ぎて来たどころか、12月31日の夜の11時55分過ぎまでは、人間もこれと言って他の生物に迷惑はかけてなかったんだよ。そして、あと1秒か2秒で今年も終わって新年を迎えるっていうギリギリのとこで、まるで発狂したかのように自然を破壊し始めて、わずか1秒でこの地球をメチャクチャにしちゃったんだよ。

あたしたちは、あたしたちの時計で生活してるから気づかないけど、1000年に1種しか生物が絶滅しなかった恐竜の時代の時計で見てみると、あたしたち現代の人間て、一瞬のうちに地球をボロボロにしちゃう恐ろしい病原菌みたいな存在なんだよね。それも、自分たちが生きてくために必要な最低限の殺生をしてるワケじゃなくて、自分たちが「便利な生活」や「ゼイタクな生活」をするための不必要な殺生をしてるんだよね。自動車の燃料を作るための熱帯雨林の伐採しかり、娯楽施設を建設するための沖縄の泡瀬干潟の埋め立てしかり、人殺しの訓練のための高江のヘリパット計画しかり、高尾山を貫くムダなトンネル工事しかり、すべては一部の人間が自分たちのフトコロを潤すための自然破壊なんだよね。

‥‥そんなワケで、6500万年前の「大絶滅」の時には、恐竜などの大型動物の他にも、たくさんの生物が絶滅した。全生物の約7割が絶滅したって言われてるけど、何ヶ月間も太陽の光がさえぎられてたんだから、海洋生物も大きな被害を受けた。そして、この時、美しいサンゴも大被害を受けた。だけど、サンゴは絶滅をまぬがれて、ほんのわずか生き残った種が、それから長い年月をかけて、また復活することができたのだ。この時に、サンゴが元の状態に戻るためにかかった時間は、およそ200万年だ。

そして、現在の世界規模の海洋汚染も、サンゴに大きな打撃を与えてる。世界遺産にも指定されてる世界最大のサンゴ礁、オーストラリアのグレートバリアリーフでも、ものすごいスピードでサンゴの「白化現象」が進んでて、過去400年で最悪の事態になってる。これは、隣接するクイーンズランドの沿岸部での熱帯雨林の伐採が最大の原因だって言われてる。これも、もちろん、熱帯雨林を伐採して、広大なサトウキビ畑にしてるワケで、これは人間が食べるためじゃなくて、バイオ燃料の原料として栽培してるワケだ。そして、短期間に大きくさせるために、大量の化学肥料をぶち撒いてるんだけど、この多くが雨によって海へと流れ出し、海水を酸性に変えてしまい、サンゴを殺し続けてるのだ。

去年の7月に「ワイアード誌」に発表された「CO2 Pollution Could Erase Coral Reefs (CO2の汚染がサンゴ礁を消滅させる)」って記事では、人間が排出し続けてるCO2による海水の酸性化について取り上げてる。そして、この記事の中で、スタンフォード大学の気象学者のケン・カルデイラ博士は、「私たちが現在行なっているCO2の排出と同じくらい極端な例を見ようと思ったら、6500万年前の恐竜が絶滅した時代へ戻らないとならない。6500万年前の酸性化の時には、サンゴ礁が元の姿を取り戻すまでに200万年もかかった。サイエンス誌に発表された論文には『今すぐにCO2の排出量を厳しく規制すべき』だと書かれているが、そうしなければグレートバリアリーフなどのサンゴ礁はすべて死滅し、元の姿を取り戻すまでには何百万年もかかるだろう」って言ってる。ようするに、現在のサンゴ礁が破壊され続けてる状況は、6500万年前の「大絶滅」の時とおんなじだって言ってるワケだ。

それなのに、タダでさえ世界中のサンゴ礁が絶滅の危機に瀕してる時だって言うのに、遥か昔のバブルの時の計画をゴリ押しして、かけがえのないサンゴ礁の上にコンクリートを流し込んで埋め立てちゃうなんて、それも、利用する計画も何も立ってないのにどんどん工事を始めちゃうなんて、もはやキチガイとしか言いようがない。ようするに、入居者の予定がゼロなのに巨大なオフィスビルを建てるのとおんなじで、所詮は政治家と土建屋とが癒着して、自然を破壊して小銭を稼ごうとしてるだけなんだよね。目先の小銭に目がくらんだ守銭奴どもには、自分たちが犯してる自然破壊行為が、地球にとっても人間にとっても、決して取り返しがつかない愚行だってことが1ピコグラムも理解できないんだろう。

これは、去年の3月13日の日記、「虔十の心」で呼びかけをした「国交省による高尾山の破壊計画」とおんなじで、あまりにも時代に逆行してる。一部の守銭奴どもが甘い汁を吸うために、何十年も前の計画をゴリ押しして、住民の声を無視して、かけがえのない自然を破壊して、多くの生物を絶滅させるなんて、あたしが大統領だったら懲役200万年の実刑にして、自分たちが破壊した自然が再生するまで重労働させてやるのに。

‥‥そんなワケで、沖縄の泡瀬干潟の埋め立てに関しては、以前も紹介した「リーフチェッカーさめの日記」を見て欲しいんだけど、数日前、何かのニュース番組を観てたら、ちょうど、さめさんがインタビューに答えてるとこだった。埋め立てをゴリ押しする行政が、反対派を黙らせるために、サンゴを別の場所に移植して形だけ取り繕ったんだけど、しばらく前に、さめさんが移植されたサンゴの様子を観に行ったら、どれも死にかけてたそうだ。その映像も放送してたけど、どのサンゴも白化してて、ホントに酷い状況だった。この泡瀬干潟にしろ、辺野古の海にしろ、高江のヘリパットにしろ、どうしてこの国の政府は、こんなに酷いことばかり続けてるんだろう? だって、さっきの「地球カレンダー」を見れば分かるように、1年間の最後の12月31日の夜の11時59分59秒のところにいるあたしたちには、「少しでも美しいままの自然を次の世代へ手渡す」っていうことこそが、何よりも優先すべき使命のハズなのに‥‥。そして、これこそが、人類が笑顔で新年を迎えられる唯一の選択肢なのに‥‥って思う今日この頃なのだ。


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2009.01.22

オバマに浮かれる人たち

疲れてて眠たかったのに、夜中の2時すぎまで起きててテレビを観てたのに、オバマの演説にはガッカリさせられた。少しは期待してたからムリして起きてたのに、やっぱ、所詮は「アメリカの大統領」なんだよね。オバマの目に映ってたのは、アメリカの国民だけだったんだよね。あたしは、世界の人たちに向けてメッセージを発信してくれるもんだと思ってたから起きてたのに、黒人であろうと白人であろうと「所詮はアメリカ人」なんだってことが分かって、ホントにガッカリした。

何よりもムカついたのは、今までアメリカが酷いことをして来た世界の国々へ向けての謝罪がヒトコトもなかったってことだ。アメリカの大統領に就任したっていう自覚が1ピコグラムでもあったら、まずは世界の人たちに謝罪して、せめてイラク戦争についてだけでも謝罪して、それから自国民へのメッセージをノタマウべきじゃないの?ってことだ。まあ、前任のブッシュのことを激しく讃えたのは、目の前に本人がいるワケだし、誰しもが「立場上、心にもないことを言ってんだろう」って思っただろうし、こうしたセレモニーなんだから仕方ない。だけど、仮にも、何の罪もない他国の民間人を何十万人も殺して来た殺人鬼のあとを引き継いだんだから、ブッシュに代わって、まずは世界中に謝罪するのがスジだろう。

だいたいからして、アメリカの建国についてはゴタイソウに語ってたけど、それ以前のこと、つまり、あたしたちモンゴリアンの同胞であるアメリカの先住民、インディオたちを殺しまくり、奪い取った土地に建国したってことにはいっさい触れてない。ここに触れないんなら、アメリカの建国についても触れんなよな。アメリカの建国について触れるなら、先住民を殺しまくって土地を奪ったってことにも触れろよ。ようするに、オバマは、テメエラの都合のいい部分だけを切り張りした「アメリカ人にだけ耳障りのいいスピーチ」をしたワケな今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、今回のオバマのスピーチを聴いて、たぶん多くのニポン人はガッカリしてると思うけど、スピーチの内容なんて関係なしに、世界中に恥をさらして大ハシャギしてるのが、福井県小浜市のバカどもだろう。何しろ、タダ単に「名前がおんなじ」ってだけで、オバマがどんな政策を掲げてるのかも知らないで、「I LOVE OBAMA」なんてTシャツまで着て大騒ぎしてんだから、これほど恥ずかしいことはない。

あたしは、オバマとヒラリーならオバマのほうがマシだと思ってたし、オバマとマケインならオバマのほうがマシだと思ってた。だから、オバマが勝った時はそれなりに喜んだけど、それは、「民意によって政権交代を果たした」ってことに対する喜びが2~3割くらいで、残りの7~8割は「やっとブッシュが消えてくれる」っていう喜びだった。これは、長い選挙戦の中で、オバマに対する期待がどんどんしぼんで行ったことによるものだ。

もちろん、最初は、「この人なら何かやってくれるかも?」って期待した。それは、キング牧師をリスペクトしてる黒人だったからだ。だけど、選挙戦が進むにつれて、莫大な費用が必要なのは分かるけど、ジョジョに奇妙に車線変更してっちゃった。その最たるものが、去年の6月に、ワシントンで開催されたイスラエルの最大のロビー団体、「AIPAC」の会合に出席して、そこで「イスラエルを全面的に支持する」ってノタマッたことだ。さらには、「エルサレムはイスラエルの首都であるべきだ」とまでノタマッたのだ。

百歩ゆずって好意的な見方をすれば、これは、ユダヤ票を獲得するための政治的な手段だったって見ることもできる。まあ、それでもこれは、あまりにも酷すぎるけど、ニポンにも、選挙に勝つためにはカルト教団のナンミョーなんかと手を組む総理大臣もいるんだから、仕方ないっちゃ仕方ない。で、あたしは、ガッカリしつつも、まだ少しは好意的に見てたから、「ホントはユダヤなんかにオベンチャラしたくないのに、票集めのためにムリしたんだな」って思ってた。

それなのに、去年の暮れから、イスラエル軍によるパレスチナのガザ地区へのジェノサイドが始まったら、オバマは、急に口を閉ざして「ノーコメント」になっちゃった。あと3週間で消えてくブッシュなんかよりも、これから大統領になるオバマのコメントのほうが遥かに大きな力を持ってるのに、世界中でイスラエルの無差別大量殺人をやめさせようって流れになってるのに、オバマはずっと沈黙を続けてた。

いろんな国の首脳が、1日でも、1時間でも早く停戦させるために、必死にメッセージを送ってたのに、カンジンのアメリカの次期大統領が沈黙を続けてたから、イスラエル側は「沈黙してるってことは、我々の攻撃を見て見ぬふりをしてるってことだ」って解釈して、1月5日、それまではリトル躊躇してた地上戦まで開始しちゃったのだ。

そしたら、オバマは、大慌てで翌日の6日に記者会見をひらいて、「私が沈黙してるのは、まだ大統領になってないからだ。現在はブッシュ政権が外交を行なっているのに、それと同時に私までが口を出すわけには行かない」って、あまりにも苦しい自己弁護を炸裂させちゃった。あたしは、「おいおいおいおい!」って思ったよ。だって、これまでだって、イラクやアフガンに対して何でも言って来たじゃん。それなのに、イスラエルにだけ何も言えないなんて、どう考えたってアメリカ内のユダヤ勢力に気を使ってるとしか考えられないじゃん。

で、いろいろと調べてみたら、オバマ陣営って、あまりにもワンダホーなメンバーで構成されてるってことが分かった。まず、オバマ陣営でユダヤ票の取りまとめをしたのが、両親が迫害を受けてアメリカへ渡って来たユダヤ人のラーム・エマニュエル下院議員だ。そして、このエマニュエル下院議員は、今回の功績を評価されて、首席補佐官としてホワイトハウス入りを果たした。他にも、オバマ陣営の資金集めを担当してるのが、シカゴでユダヤ系の団体を動かしてるアラン・ソロモンて人だそうで、何だかウサン臭さがプンプンして来る。

こんなスタッフに囲まれて、「AIPAC」の会合に出席して、「イスラエルを全面的に支持する」とまでノタマッた上に、イスラエル軍がガザを攻撃し始めたら口を閉ざしちゃったんだから、こりゃあ、どう見ても、イスラエル寄りの立場をとってるとしか思えない。ちなみに、「AIPAC」と言えば、何よりも「ハマスの支配するガザ地区の孤立化」と「イランの非核化」を2本柱にしてる団体だ。こんな団体とベッタリ癒着してるオバマなんだから、パレスチナのハマスをアフガンのタリバンと同一視してることは明らかだろう。つまりは、ユダヤ資本に牛耳られて戦争を繰り返して来たブッシュ時代と、方向性は何も変わってないってことになる。

1000人を超えるパレスチナ人をカタッパシから惨殺したイスラエル軍は、オバマの就任に合わせて、ひとまず攻撃をやめたってワケだ。これは、最初から決まってたシナリオで、逆に言えば、オバマが就任したらしばらくは攻撃できなくなるから、1月20日までに1人でも多く殺しとこうって作戦だったワケだ。だからこそ、イスラエル軍は、民間人が避難してた学校から国連施設まで手当たり次第に攻撃してたってワケで、イスラエルにとっては、タイムリミットのある作戦だったってワケだ。

ようするに、今回のジェノサイドは、「すべてブッシュ政権下に行なわれたってことにして、次期大統領には責任が行かないようにする。だから、オバマは、ヨケイなことは言うな」って取り引きが水面下で行なわれてたってことだ。何しろ、イスラエルの手先で固めてあるオバマ陣営なんだから、こんなことは当たり前だろう。だから、こんな言い方をするのは乱暴かもしれないけど、殺された1000人を超えるパレスチナ人のうち、500人はブッシュに殺され、500人はオバマに殺されたってふうにも考えられる。それなのに、何も考えずにハシャギまくってる小浜市のバカどもを見てると、おんなじニポン人として、あたしは恥ずかしくて仕方ない。

‥‥そんなワケで、オバマは、イラクのアメリカ軍を完全撤退させる代わりに、それをそのままアフガンへ派遣させるって言ってる。そんなことしたら、アフガンの穏健派は選挙で排除され、アメリカがハマスを「テロリスト」って断定したことによって泥沼化しちゃったみたく、確実に収拾のつかない状況が訪れることは猿にでも分かるのに、オバマは「アフガンを平和にするために」なんて詭弁を繰り返してる。そして、もしもそんなことにでもなったら、「自民党をぶっ壊す!」って言って登場して、国民に大きな期待を持たせたクセに、結局は国民の生活のほうをぶっ壊しちゃったペテン師のコイズミとおんなじことになっちゃう。だから、コイズミで懲りてるあたしたちは、まだ何もしてないオバマに対して、あんまり大きな期待を持たないほうがいいかもしれない。オバマ政権がスタートして、実際にオバマが「何をするか」「何をしたか」ってことを見て、それからジックリと判断すべきだと思う今日この頃なのだ。


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2009.01.21

ニポンをここまで酷くした最大の戦犯

取り上げるのが1日遅れになっちゃったけど、18日の日曜日、自民党と民主党は、それぞれ都内で党大会をひらいた。で、すでにいろんなとこで報じられちゃったけど、チョー高級な「グランドプリンスホテル新高輪」で、莫大なお金をかけて豪華絢爛に行なわれた自民党の党大会と、リーズナブルな「メルパルク東京」で、ものすごく質素に行なわれた民主党の党大会とは、何から何までが対象的だった。青のカクテル光線を浴び、まるでプロレスの選手入場のようなドハデな演出で登場したフロッピー麻生に対して、小沢一郎はと言えば、音楽などの演出もいっさいなく、ポスターが1枚貼られただけの殺風景な会場に静かに現われた。そして、こうした演出だけでなく、それぞれのスピーチも対象的だった。

ナンミョー党の太田と経団連の御手洗っていう2匹の便所虫から激励を受けたフロッピー麻生は、檀上から「俺たちが励まされているようじゃダメだ!俺たちが励ます立場にならねえといかん!俺たちが世界で最初に不況から脱出するんだってことを示さにゃならん!」って、短いスピーチの中で何度も何度も「俺たちが!」って連呼してて、まるで「オレオレ詐欺」の犯人みたいだった(笑)

一方、小沢一郎のほうは、「国民の命と暮らしを守る責任と使命を忘れた政権は、一刻も早く消え去るのみだ」「このまま自公政権が1日でも長く続けば、国民の苦しみもそれだけ長く続いて行く」と続けた上で、リンカーンの「人民の人民による人民のための政治」って言葉になぞらえて、「国民の国民による国民のための政治を実現する」って言って、短いスピーチの中で30回も「国民」て言葉を繰り返した。

この、「俺たち」って言葉を繰り返したフロッピー麻生と、「国民」て言葉を繰り返した小沢一郎との対象的なスピーチこそが、自民党そのもの、民主党そのものを表わしてると思う。ようするに、「俺たち」が甘い汁を吸うために政治をやって来た自民党と、その犠牲になって来た「国民」のために政権を取り戻そうとしてる民主党の姿勢を明確に表わしたものだと思う。

そして、派手な音楽とカクテル光線の中に登場するっていう、見てるほうが恥ずかしくなるようなフロッピー麻生の低能パフォーマンスには、自民党議員たちも呆れ果ててたみたいで、現場を取材に行ったテレビ朝日の解説委員、三反園訓氏によると、「麻生さんがスピーチを始めたとたんに、多くの自民党議員がゾロゾロと会場から出て行った」っていう今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、あたしは、世の中がバブル景気で盛り上がってて、底辺の国民までもがウハウハ言ってるような時代だったら、庶民の生活なんて何も知らない大金持ちのボンボンが総理大臣でもいいと思う。渋谷の雑貨店「ロフト」を視察して、ポケットに両手を入れたまま、レジ係の女性に向かって、「レジやってんの?レジで正社員って珍しいな」ってノタマッたり、渋谷のハローワークを視察して、仕事を探しに来た人の前にナナメにふんぞり返り、「何かありませんかね?じゃ仕事なんか見つからねえよ」ってノタマッても、笑い話のネタになるだけだ。

カップ麺の値段を聞かれて「400円ぐらいか?」って答える無知ぶりも、中学生レベルの漢字すら読めない無学ぶりも、すべては「愛すべきキャラクター」の1つとして、国民に笑いを与える要素になる。つまり、「こんなバカが総理大臣をやってても許されるほど世の中の景気がいい」ってことで、フロッピー麻生のバカ殿ぶりは、多くの国民から愛されることになる。そして、フロッピー麻生が新たに漢字の読み間違いをするたびに、全国から笑いが巻き起こり、親近感が増し、支持率も上がってくことになる。

だけど、残念なことに、今は100年に一度のミゾウユウの経済危機だ。多くの企業が倒産し続け、多くの国民が路頭に迷ってる時に、こんなバカに総理大臣ゴッコをさせて遊ばせてる余裕なんかない。国民は、ホントに国民のことが分かってて、ホントに国民のための政治をやってくれる、実行力のある有能なリーダーを必要としてるのだ。それなのに、まるで居直り強盗のように、いつまでも総理大臣のイスに居座り続けてるフロッピー麻生。そして、やってることと言えば、ナンミョーの言いなりの定額給付金と、経団連の言いなりの消費税の大増税だけ。これじゃあ、一挙手一投足を揶揄されちゃうのもジンジャエールだろう。

‥‥そんなワケで、ここで、しばらく前から続けて来た2つのアンケートの結果を発表する。1つめは、今日までの8年間のブッシュ政権中に、ニポンでは5人もの総理大臣が入れ替わってるけど、その5人の中で、【あなたが最も無能だと思うのは?】ってアンケートの結果だ。


【以下の歴代首相の中であなたが最も無能だと思うのは?】

1位 麻生太郎 4728票(32%) 
2位 森喜朗 3746票(25%)
3位 安倍晋三 3016票(20%)
4位 小泉純一郎 1897票(13%)
5位 福田康夫 1116票(7%)

※有効投票数 14503票 (1月20日17時現在)


そして、2つめは、この5人の歴代首相の中で、【日本をここまで酷くした最大の戦犯は?】ってアンケートの結果だ。


【日本をここまで酷くした最大の戦犯は?】

1位 小泉純一郎 9138票(76%)
2位 森喜朗 1935票(16%)
3位 安倍晋三 387票(3%)
4位 麻生太郎 334票(2%) 
5位 福田康夫 155票(1%)

※有効投票数 11949票 (1月20日17時現在)


‥‥そんなワケで、まずは、アンケートに協力してくださった皆さん、どうもありがとうございました♪‥‥ってことで、両方とも1万人以上の人が参加してくださったから、500人から2000人程度にしか聞かないそこらの新聞やテレビの世論調査よりは、何倍も正確な「国民の声」が反映されてる結果だと思う。

1つめの「もっとも無能な首相」の座に輝いたのは、現在の首相、フロッピー麻生だけど、これは、さっきも書いたように、時代背景が大きく関わってる結果だと思う。だって、ホントに「知能の低さ」ってことだけを純粋に計測したら、ここに並んでる5人て、みんな似たようなレベルのバカだと思うからだ。つまり、フロッピー麻生の場合は、この5人の中で、もっとも国民が有能なリーダーを欲してる時に総理大臣になっちゃったから、より、その無能ぶりがアピールされちゃったってことなんだと思う。

たとえば、口先ばかりで何ひとつ公約を守らなかった大ウソつきのアベシンゾーなんて、たった1年しか総理大臣をやってないのに、天下無敵の大バカで「サメの脳みそ」とまで呼ばれたモリヨシローに迫るほどの得票数をあげてるんだから、もしも、あと1年、アベシンゾーが総理大臣をやってたら、モリヨシローを抜いて2位になってたかもしれない。そして、もしも、現在のフロッピー麻生の時期に総理大臣になってたら、完全に1位になってただろう。

それにしても、ビックル一気飲みなのは、2つめのアンケートの結果だ。1つめのアンケートは、1位が約5000票、2位が約4000票、3位が約3000票、4位が約2000票、5位が約1000票ってふうに、キレイなラインで並んでる。それなのに、2つめのアンケートのほうは、コイズミがダントツの1位で、何とか1000票を超えた2位のモリヨシローの他は、ほとんどゼロに近いって言ってもいいほどの票数しか集まってない。

ようするに、この結果を「国民の声」とするならば、この国がここまで酷くなっちゃったのは、「モリのバカが下地を作り、コイズミのバカがそれを完成させた」ってふうに国民から認識されてるってことになる。そして、さらに言えば、「現在のこの国の状況は、アメリカにシッポを振り続けたコイズミの売国政策が原因だ」って思ってる人が76%もいるってことになる。ま、アメリカの飼い犬の竹中平蔵に吹き込まれるままに、虚飾の新自由主義を推進して、見かけだけの好景気を演出して、国民を騙しまくったコイズミが元凶だって考えるのは、ごく一般的な見方だと思う。

‥‥そんなワケで、76%もの国民から「日本をここまで酷くした最大の戦犯」だと思われてるコイズミだけど、そのコイズミが政権の座を去ってから、もう3人も総理大臣が変わったっていうのに、世の中はまったく良くならない。それは、膨大な借金を始めとして、コイズミが遺した「負の遺産」がマウンテンだからだ。「障害者自立支援法」や「リハビリ打ち切り制度」や「後期高齢者医療制度」を始めとした数々の弱者切り捨て法案にしても、すべてはコイズミが辞めたあとに可決されて、国民を苦しめ続けてる。そして、こうしたコイズミの「負の遺産」の最たるものが、国民の生活を直撃してる「アメリカの言いなりの経済システム」なのだ。

フロッピー麻生は、自民党内部からたくさんの反論が出てるのにも関わらず、「2011年からの消費税引き上げ」をゴリ押ししてる。そして、その前提には、フロッピー麻生が繰り返して来た「3年後には景気が回復するから」っていうアバウトな予想があるんだけど、野党からは「その根拠は?」ってツッコミを入れられて、そのつどフロッピー麻生はちゃんとした根拠を示すことができずに、なんやかやとゴマカシ続けて来た。だけど、コレって、ちゃんとした根拠があるんだよね。ただ、国民には知られたくない根拠だから、国会では言うワケには行かないだけなんだよね。

「2011年」って言えば、しつこいくらいに告知CMを流し続けてる「テレビの地デジ」が始まる年だ。だけど、現実には、地デジを推進してる総務省の思惑とはウラハラに、なかなか進んでない。総務省の計画だと、去年までに50%以上の家庭が地デジ対応のテレビに買い替えるって試算してたけど、実際には未だに4割弱の家庭しかテレビを買い替えてない。そして、あたしみたく「地デジになったら、もうテレビは観ない」って人を覗いても、ほとんどの人が「ギリギリになってから買い替える」って言ってる。これは、「別に急ぐ必要がない」ってことと、「今よりも1年後、2年後のほうが、より高性能で低価格のテレビが発売されるから」ってことだそうだ。

で、「2011年からテレビの地デジになる」ってことに合わせて「2011年から消費税を大幅に引き上げる」ってことにすれば、多くの人たちが、「消費税が上がる前にテレビを買っておこう」ってことになって、前年の2010年には、全国で何百万台っていうテレビが売れるだろう。中には、テレビだけじゃなくて、消費税が上がる前に他の家電も一緒に買っとこうと思う人だってたくさんいるだろう。そうすれば、一時的に景気が回復して、「景気が良くなったから消費税を引き上げる」っていうフロッピー麻生のシナリオ通りになるってワケだ。

‥‥そんなワケで、今のテレビでもぜんぜん問題ないのに、何で全国民にテレビを買い替えさせてまで「地デジ」なんてものにしなきゃなんないのか、不思議に思ってる人も多いと思う。中には「地デジになれば今までより映像がキレイになるから」なんて思ってる人もいるみたいだけど、それは大きな間違いなので、フランク・ザッパに説明しとこうと思う。

まず、今回の「地デジ騒動」のもともとの発端は、ニポンのNHKが「アナログのハイビジョン」を開発したからなのだ。NHKが開発した「ハイビジョン」は、今までのアナログでありながら、遥かにキレイな画面を映し出すことに成功した。ようするに、今までのテレビでも今まで通りの放送を観ることができる上に、よりキレイな映像を観たい人だけ、ハイビジョン対応のテレビに買い替えれば良かったってワケだ。

で、これに焦ったのが、アメリカだった。こんな技術が世に出ちゃったら、世界中のテレビ市場がニポンに独占されちゃうからだ。それで、アメリカは、大慌てで「地デジ化を推進して、ニポンのアナログハイビジョンの市場を潰せ!」ってことになったってワケだ。電波がデジタルになれば、NHKが開発したアナログハイビジョンは使えなくなるってワケだ。そして、アメリカのブッシュは、自分の飼い犬であるコイズミを呼びつけて、こう命令したのだ。


「おい!お前の国のNHKが開発したアナログハイビジョンが一般化されたらアメリカは困ることになる。だから今すぐにNHKに圧力をかけてアナログハイビジョンを中止させろ!その代わりにアメリカが主導して始める地デジを推進しろ!分かったな?」

「ワン!」


これが、ニポンまで無意味な地デジにしなきゃいけなくなったイキサツだ。ようするに、今回の「地デジ騒動」ってのも、コイズミが遺した「負の遺産」のうちの1つだってことだ。コイズミがブッシュの言いなりなんかにならなければ、あたしたちはテレビを買い替える必要なんかなかったんだし、キレイな映像を観たい人だけがハイビジョン対応のテレビを買えば良かったのだ。だけど、地デジ化による莫大な利益を目論んでる上に、各放送局の放送内容に対する「口出し」まで法案に盛り込んだアメリカ政府としては、その属国であるニポンも地デジ化させて、ザックリと迂回利益を上げ、その上、ニポンの放送内容にまで「口出し」しようとしてるってことだ。

だけど、ニポンに先駆けて2年も早く全国の地デジ化を推進してたアメリカは、完全移行の期限だった来月2月を目前にしても、多くの家庭が地デジに移行してない現実を目の当たりにして、オバマちゃんが「完全移行日の先送り」を発表した。アメリカでは、地デジ放送を受信するためのチューナーが5000円から7000円ほどで、そのうちの4000円ぶんを国が補助してくれるチケットを配布してる。ようするに、1000円から3000円ほどの出費で、地デジ放送を観られるようになる。それでも、未だに多くの家庭が地デジに移行してなくて、結局、政府のほうが完全移行の日程を先送りしたのだ。だから、ハッキリ言って、ニポンの場合も、最後まで地デジ対応のテレビやチューナーなんか買わずにホッタラカシにしてれば、ギリギリになって焦った政府が、タダ同然でチューナーを配ってくれる可能性がヒジョ~に高いってワケだ。

‥‥そんなワケで、アメリカの牛肉市場の拡大に協力するための「クローン牛の認可」しかり、今回の強引な「テレビの地デジ化」しかり、すべては前代未聞の売国奴であるコイズミが、何年も前にブッシュと密約してたことが表面化したってだけのことなのだ。これも、アメリカの狂牛肉の輸入再開やインド洋での無料給油とおんなじことで、あたしたち国民のことなんかどうでもよくて、とにかくアメリカを儲けさせること、アメリカに上納金を払い続けることを快感としてたド変態のコイズミが1人で勝手に決めたことなのだ‥‥ってワザワザあたしが言わなくても、76%もの人たちがコイズミのことを「ニポンをここまで酷くした最大の戦犯」だって判断してるんだから、まだまだニポンも捨てたもんじゃないと思った今日この頃なのだ。


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2009.01.20

お知らせ大会♪

今日は、昨日の民主党と自民党の党大会のことを書こうと思ったんだけど、「きっこのブログ」で行なってるアンケートの結果も発表しつつネットリと書きたいので、明日に回すことにした。で、今日は、軽い話題‥‥って言っちゃアレだけど、いくつかのお知らせ関係をマトメて発信しようと思う。

まずは、アースシェイカーのSharaさんのソロプロジェクト、「mintmints」のお知らせだ。去年の暮れからマイスペに音源をアップしてるので、ファンの皆さんにはオナジミだと思うけど、とにかくカッコイイ! 現在は、「gohst」と「travelling」の2曲がアップされてて、通称「Shara節」って呼ばれてる泣きの音色を散りばめつつも、ゴキゲンなグルーヴと疾走感がたまらない。

Sharaさんは、「1人でやってる宅録(自宅録音)の延長なんだけど‥‥」なんて遠慮チックに言ってたけど、こんなにシビレちゃうSharaさんのギターが無料で聴けるなんて、サスガ、ビール腹‥‥じゃなくて、太っ腹だ(笑)

で、Sharaさんの昨日のブログには、「mintmints」のPV撮影や新しい曲の追加情報もありつつ、こんなことが書かれてた。


「mintmintsのアルバムは4月末に発売予定なんだけど「そんなに音源をアップすると誰も買ってくれないよ。」っていろんなとこでよく言われる。」


やっぱ、Sharaさんは太っ腹だ‥‥ってワケで、とにかくカッコイイので、ぜひ聴いてみて欲しいと思う今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?

「mintmints」(アクセスすると曲が流れます)
http://www.myspace.com/mintmints

「Sharaさんのブログ」
http://blog.goo.ne.jp/shara-fuzz


‥‥そんなワケで、今日はサクサクと行っちゃうけど、続いては、「チェ・ゲバラ」に関するお知らせだ。オムライス党のみずほたんも、昨日観に行ったっていう、現在公開中の「チェ 28歳の革命」と、今月末から公開される「チェ 39歳 別れの手紙」の2本の映画が火付け役となって、今、ものすごい人気が再燃してるチェ・ゲバラだけど、この映画の公開にともなって、1月9日に発売された写真集、「チェ・ゲバラ~愛しい男(ひと)」(イン・ロック社)に、「ヘタレ・チップス」のめきしこさんが文章を寄稿してる。

めきしこさんと言えば、以前、「クーペ&Shifo」のヘタレ論を紹介させていただいたけど、数編のヘタレ論の中で、ひときわ秀逸だって言われてるのが、6年前に書かれた「チェ・ゲバラ」のヘタレ論だ。何しろ、「ゲバラ焼肉のたれ」ってギャグを言いたいがために書き始めたってウワサもあるくらいなんだから(笑)‥‥なんてことも織り込みつつ、チェ・ゲバラと言えば、「鈴木紗理奈かめきしこか」ってくらいのめきしこさんだから、その内容はワンダホーのヒトコトだ。

ま、小林多喜二の「蟹工船」がリバイバルヒットしちゃうのも、チェ・ゲバラの人気が再燃しちゃうのも、すべては自民党による長年の圧政が生み出した必然たる社会現象ってワケで、この流れは、政権交代が実現して、あたしたち国民の手にこの国の主権が戻って来る日まで続いて行くと思われる。どっちにしても、まずは、無料で読めるめきしこさんのヘタレ論を読んでみて欲しい。そして、このチェ・ゲバラの人気再燃に乗って、雑誌とかで特集をしようと思ってる編集者の皆さんは、誰よりも面白い視点でゲバラを語りまくるめきしこさんに原稿を依頼するといいと思う。

「ヘタレ・チップス」
http://homepage2.nifty.com/GAKUS/


‥‥そんなワケで、続いてのお知らせは、銀座の資生堂ギャラリーで現在開催中の宮永愛子さんの個展、「地中からはなつ島」だ。宮永愛子さんは、海水から抽出した塩の結晶が育って行く過程や、ナフタリンによって靴やドレスが朽ちて行く過程などを作品としてるアーティストで、芸術と科学とをコラボさせたみたいな独自の世界観を持ってる。ようするに、それぞれの作品が「常に変化し続けてる」ってワケで、いつ観に行ってもおんなじ絵や彫刻が鎮座してる展覧会とはワケが違う。

たとえば、展覧会の初日には、シッカリと形が分かるハイヒールやドレスだったのに、それが少しずつナフタリンによって浸食されてって、展覧会が終わるころには、原形が分からないほどに朽ち果ててしまう。それが、まるで、美しく散った花のような姿なのだ。変化して行く過程、消えて行く過程、すべての瞬間が「一期一会」の美しさを持っていて、その場に行った者だけに語りかけて来る。

だから、宮永愛子さんの作品を楽しむためには、ホントなら、展覧会の初めのころと、真ん中と、終わりのころの3回は最低でも観に行きたい。でも、こんなこと言うのは申し訳ないけど、有料の展覧会だと、そうも行かない。

そこで、今回、あたしが紹介させていただいたのは、いつでも無料の「資生堂ギャラリー」ってワケだ。無料でゴキゲンなギターが聴けるSharaさんのマイスペ、無料で楽しいヘタレ論が読めるめきしこさんのサイト‥‥って流れで来てるんだから、「お金をかけずに楽しい生活」をモットーにしてるあたし的には、この機会に、宮永愛子さんの世界を味わって欲しいと思ったのだ。

ちなみに、今回の個展、「地中からはなつ島」は、1月9日から2月1日までの開催で、あたしは、最初のころに1回観に行った。地下のスペースへ降りて行くと、薄暗い照明の中にたくさんの透明なパイプが並んでて、地下の水脈から水を吸い上げてるって設定になってた。そして、丸い展示ケースを「島」に見立てて、その中にナフタリンによる作品群が点在してる。もう、異次元の世界に迷い込んじゃったみたいに美しかった。今月は、もうじき母さんの手術があるから、今は何とも言えないけど、できたら終わりころに、もう一度観に行きたいと思ってる。

「宮永愛子さんのサイト」
http://www.aiko-m.com/

「銀座資生堂ギャラリー」
http://www.shiseido.co.jp/gallery/html/


‥‥そんなワケで、今日の最後のお知らせは、明日、20日(火)の日本テレビ「誰も知らない泣ける歌」で、メティスちゃんの「母賛歌」のVが流れるってお知らせだ。

あたしが最初にメティスちゃんのことを取り上げたのは、去年の2月、ガンと戦うメティママを励ますために、この「母賛歌」をリリースしたって時だった。このころは、メティママの病状も少しずつ良くなってて、自宅で療養できるほどになってたし、メティスちゃんのライブにも来られるようになってた。だけど、6月に心筋梗塞で倒れ、その時に念のために検査をしたら、ガンが転移してることが分かった。そして、すごくがんばってつらい治療を続けて来たんだけど、ガンの進行に治療が追いつかず、11月に入ってからは病状が悪化して、意識が戻らない日もあった。

直接、みんなの心に歌いかけることを大切にしてて、ふだんはあんまりテレビに出ず、ライブを中心に活動して来たMetisちゃんだけど、何とかメティママを元気づけようと、「誰も知らない泣ける歌」への出演を決めて、11月25日、その番組が放送された。そしたら、前日まで意識のなかったメティママが、この日だけ意識を取り戻し、病室で看護婦さんたちと一緒にテレビを観ることができたのだ。

そして、メティママは、全国で応援してくれてるみんなに感謝のメッセージを書いたんだけど、このあと、また意識がなくなり、12月12日の早朝、天国へ旅立って行った。サイコーにカッコ良かったビッグマザー、メティママは、最後までカッコ良かった。そして、明日の「誰も知らない泣ける歌」では、メティスちゃんがメティママの告別式で歌った「母賛歌」のVが流れる。

「メティスちゃんのブログ」
http://ameblo.jp/metis-jp/

「誰も知らない泣ける歌」
http://www.ntv.co.jp/nakeuta/


‥‥そんなワケで、本来なら日記とは別に単発でアップする「お知らせ」なんだけど、今日はたくさんあったので、マトメて「お知らせ大会」を開催しちゃったワケだ。でも、これくらいの本数だから「お知らせ大会」で済んだけど、もしも10本近くあったら、たぶん「お知らせ祭り」になっちゃってたと思う。そして、20本くらいあったら、きっと「お知らせカーニバル」とか「お知らせフェスティバル」とかになっちゃってたと思う今日この頃なのだ‥‥って、お知らせのほうにエネルギーを使いすぎて、オチ切れてないや(笑)


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2009.01.19

緊急アンケートです!

昨日の日記、「バカ親に苦しむ子供たち」で、自分の子供に変な名前をつけるバカ親について書いたところ、たくさんの人から賛否両論いろいろな意見が寄せられました。


そこで2つの質問です。


【子供に変な名前をつける親をどう思いますか?】

1.親の自由
2.子供がかわいそう
3.どちらとも言えない

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【あなたは自分の名前が気に入っていますか?】

1.とても気に入っている
2.まあまあ気に入っている
3.どちらとも言えない
4.あまり気に入っていない
5.すぐに改名したいほど気に入らない


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バカ親に苦しむ子供たち

「田中宇」って書いて「たなか さかい」って読むけど、こんなの普通じゃ絶対に読めない。調べなきゃ絶対に読めない。フロッピー麻生じゃなくても絶対に読めない。「宇宙」の「宙」のほうなら、「そら」って読み方をするパターンもあるけど、サスガに「宇」のほうは「う」しか知らないから、分かるワケがない。それで、あたしは、この人の名前を初めて目にした数年前から、去年くらいまで、ずっと「たなか う」って読んでた。もちろん、ホントに「たなか う」なんて読み方をすると思ってたワケはなく、「きっと、ヒロシとかマサルとかタカシとかって読むんだろう」って推測しつつも、わざわざ調べるのもメンドクサイから、そのままずっと「たなか う」って読んでた。それで、去年、この人の書いた何かの文章を読む機会があったんだけど、そこの名前に振り仮名がついてて、初めて「たなか さかい」って読むってことを知ったってワケだ。

「内田樹」って書いて「うちだ たつる」って読むけど、こんなの普通じゃ絶対に読めない。誰かに聞かなきゃ絶対に読めない。フロッピー麻生じゃなくても絶対に読めない。だけど、あたしは、「田中宇」を「たなか う」って読んでたように、「内田樹」を「うちだ じゅ」とか「うちだ き」って読んでたワケじゃない。「樹」は一文字で「いつき」って読むパターンを知ってたから、あたしは、この人の名前を初めて目にした数年前から、去年くらいまで、ずっと「うちだ いつき」って読んでた。その上、ナントカ女子大の先生だって言うから、あたしはテッキリ女性なんだと思ってた。そして、わざわざ調べるのもメンドクサイから、そのままずっと「うちだ いつき」って言う女性なんだと思ってたら、去年、この人を紹介してる何かの記事を読む機会があって、そこの名前に振り仮名がついてた上に、写真も載ってたから、初めて「うちだ たつる」って読むことと、男性だってことを知った今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、あたしとおんなじに「田中宇」や「内田樹」が読めなかった人でも、柳田國男の弟子としてもオナジミの民族学者、「折口信夫」の名前くらいは読めるだろう‥‥って、あえて書いてるくらいだから、これはヒッカケ問題だ。折口信夫を知らなかった人は、たぶん、10人が10人とも「おりぐち のぶお」って読んじゃうだろう。で、正解は、「おりぐち しのぶ」だ。世の中の野次馬的なアホたちは、折口信夫がゲイだったってこととか、自分の弟子の男性をムリヤリに襲ったこととか、そうした部分にばかり好奇の目を向けるけど、そんなことは個性の1つであって、重要なのは「どんな仕事をしたのか」ってことだ。

ま、そんなことは置いといて、この「信夫」を「しのぶ」って読むのだって、あたしは知ってるから読めるんであって、ぜんぜん知らない一般人で「鈴木信夫」って人がいたら、やっぱり「すずき のぶお」って読むに決まってる。ようするに、これは、「浩次」って名前を「こうじ」と読むか「ひろつぐ」と読むか、みたいなもので、本人に聞かなきゃ分からないことだ。

だけど、「浩次」の場合、「こうじ」にしても「ひろつぐ」にしても、どっちかは分からないにしろ、この2種類の読み方は誰にでも分かるだろう。ようするに、読めないワケじゃなくて、「読めることは読めるけど、複数の読み方があるから、どれが正しいのかが分からない」ってことだ。だから、最初から読めない「田中宇」や「内田樹」のケースとは違って来る。そして、なんだか最近、こうした「最初から読めない名前」を子供につけるケースがすごく増えて来たように思う。

どうしてなのか知らないけど、ニポンの漢字の名前って、デタラメな読み方をさせてもいいって決まりになってる。それも、「夜露死苦」を「よろしく」って読ませるようなアテ字なら、まだ考えれば分かる場合もあるけど、まったくのデタラメもいいそうで、極端な話、「山」を「うみ」って読ませても、「猫」を「いぬ」って読ませてもいいらしい。こんなことがマカリ通っちゃったら、どんなに難しい漢字を読める漢字博士でも、絶対に解読不可能だろう。

もちろん、サスガに「山」を「うみ」なんて読ませるようなヘソ曲がりはいないと思うけど、実際に親が子供につけた名前で、「花」って書いて「フラワー」って読ませるものや、「騎士」って書いて「ナイト」って読ませるものや、「虹」ってかいて「イリス」って読ませるものもある。まあ、「花」を「フラワー」や「騎士」を「ナイト」なら分からなくもないけど、「虹」を「イリス」だなんて、誰も読めないだろう。ちなみに、「イリス」ってのは、ギリシャ神話に出て来る「虹の女神」の名前なので、表記と読みとがまったく無関係ってワケじゃない。だけど、あまりにもコジツケすぎるし、何よりも子供がかわいそうだ。

‥‥そんなワケで、あたしにゃとても読めない最近の子供の名前をザッと挙げてみるけど、男の子の名前だと、「陽生(ひろき)」「響笛(ひびき)」「大馬(たいし)」「翔胤(かいん)」「夢和途(むうと)」「妃夏(ひなた)」「七光美(なるみ)」などなど、女の子の名前だと、「初桜(ういら)」「莉暖(まな)」「湊羽(みう)」「姫流愛(きるあ)」「萌愛(もえ)」「一嬉(ひよ)」「心遙(こはる)」などなど、どれ1つとして読めやしない。

「ひろき」とか「もえ」とか、読めないだけで、耳で聞くぶんには普通の名前の子はまだマシだけど、読めない上に「むうと」だの「ういら」だの「きるあ」だのって、まるでポケモンみたいな名前をつけられちゃった子たちは、これからずっと学校でイジメられて、社会人になってからも名前を名のるたびに恥ずかしい思いをして、一生、重い十字架を背負って行かなきゃなんないんだよね。あーかわいそう。

普通の名前に変な漢字をアテられるだけなら、「誰からもちゃんと読んでもらえない」とか「いちいち読み方を教えなきゃなんない」ってだけだけど、読み方まで変だと、もうどうしようもない。たとえば、「姫流愛(きるあ)」とおんなじ系列で、「海月彰(かるあ)」とか「海聖亮(かしす)」なんて名前もあるけど、こういう名前をつける親って、元ヤンキーか元暴走族としか思えない。頭が悪いだけじゃなくて、センスも悪いからだ。だから、こうした名前を見ただけで、エリ足だけを伸ばして茶髪に染めさせられた気の毒な子供の姿が目に浮かぶ。

さらに酷いのは、「恋獅子(れんじし)」なんて名前をつけられた男の子もいるし、有名なとこでは、自民党の橋本聖子参議院議員の子供たちが気の毒だ。長女が「聖火(せいか)」、長男が「亘利翔(ギリシャ)」、次男が「朱李埜(トリノ)」って、いくら自分がオリンピック選手だったからって、子供は親のペットじゃないのに、こんなメチャクチャな名前をつけられて、あまりにもかわいそうだ。ずいぶん前に、自分の子供に「悪魔(あくま)」って名づけようとして、役所で受理してもらえなかったシャブ中のオヤジがいたけど、あたしに言わせりゃ、「悪魔」のほうが、まだ読めるだけマシだと思う。

でも、「悪魔」は役所で受理してもらえなかったけど、「悪」だけなら受理してもらえるのだ。ある医者が、自分の長男に「悪(たける)」、次男に「弁(さとす)」、三男に「京(なから)」って名づけたそうで、これらの名前はちゃんと受理されてる。それにしても、ちゃんとした教育を受けて来て、社会常識を持ってるであろう医者が、初めて授かった自分の息子に、こともあろうに「悪」なんて名前をつけるなんて、いったいどういうつもりなんだろう? 高卒のあたしの脳みそじゃ、逆立ちしても理解できない。

‥‥そんなワケで、法的に改名しない限り、親からつけられた名前は、一生ずっと名のってかなきゃならないワケで、健康保険証にも免許証にもパスポートにも、その名前が書かれる。病院や銀行に行けば、その名前で呼ばれる。だから、自分の名前が気に入ってる人はいいけど、変な名前をつけられちゃった人は、常に「公衆の面前で自分の変な名前を呼ばれちゃう」っていう恐怖と向かい合ってかなきゃならない。

ホントは、チャレンジしてみたいスポーツや、やってみたい仕事があったのに、自分の変な名前を多くの人に知られるのが嫌で、そうした夢を諦めた人もいるかもしれない。自分の名前が変なセイで、引きこもりになった人もいるかもしれない。そこまで行かなくても、自分の名前が原因で、消極的な性格になっちゃった人は多いと思う。

たとえば、今までに挙げたみたいな「明らかに変な名前」じゃなくて、ごく一般的な名前であっても、自分の名前が気に入ってない人って多いと思う。たとえば、男性なのに女性と間違われるような名前だったり、その逆だったりってケースもある。それから、太ってる男性で「太(ふとし)」って名前もイヤだと思うし、逆に、ガリガリに痩せてるのに「太(ふとし)」って名前でも、からかわれる対象になっちゃうだろう。フィギュアスケートの「安藤美姫」は、そこそこ美人だから良かったけど、そこらの普通の女の子で「美しい姫と書いて美姫」なんてつけられちゃったら、常に「名前負けしてる」って気持ちで生きてかなきゃなんない。

これとおんなじで、アイドルやタレントと同姓同名ってパターンもある。「木村拓哉」って名前で苦労してる一般人の話を聞いたことあるし、あたしの知り合いには、それまでは何でもない「瞳ちゃん」だったのに、黒木さんて人と結婚して「黒木瞳」になっちゃったもんだから、どこへ行っても恥ずかしい思いをしてるって人もいる。だけど、こうしたケースだと、なかなか法的に改名することができない。ようするに、「改名するに足る理由に当たらない」って判断されちゃうのだ。

だけど、変な名前をつけられたケースだけじゃなくて、こうしたケースだって、本来なら悩まなくてもいいようなことで苦労してるんだから、あたしは、どんな名前の人でも、「成人になったら自分の好きな名前に自由に変更できる」っていう制度にすべきだと思ってる。そうすれば、頭のおかしい親から、どんなに変な名前をつけられても、20才までガマンすればいいワケで、残りの人生はヨケイな悩みを抱えずに気持ち良く生きて行けるってワケだ。

‥‥そんなワケで、ニポンでは、平安時代から江戸時代にかけての武士や貴族は、親が子供につけた「幼名」を名のるのは元服するまで、つまり、成人するまでだった。そして、当時の成人は12~16才だったから、現代で言えば中学生か高校生くらいまでだった。だから、どんなに変な名前をつけられても、12~16才までガマンすれば良かったってワケだ。そして、元服したら、正式な名前の「諱(いみな)」を授かるんだけど、この諱は、人前で口にしちゃいけない名前だった。そのために、人前で使うための「字(あざな)」って名前もつけられた。そして、この上に、「氏(うじ)」と「姓(せい)」がついてた。それで、「氏・姓・名字・字・諱」ってふうに並べたのが正式な名前だった。

たとえば、みんな知ってる「武田信玄」でも、これは現代ふうにした名前であって、正式には「源朝臣武田太郎晴信」って言う名前なのだ。これは、最初の「源」が氏で、「朝臣」が姓で、「武田」が名字で、「太郎」が字で、「晴信」が諱ってワケだ。じゃあ、カンジンの「信玄」はどこに行っちゃったの?‥‥ってことだけど、「信玄」は出家したあとに名のった「法名」であって、出家しない人にはつかない名前なのだ。だから、あたしたちが、欧米の人のフルネームを見て、セカンドネームだのナントカネームだのとヤタラとダラダラ長いことに驚くけど、あたしたちニポン人だって、似たような名前だったってワケだ。「武田信玄」の「信玄」なんてのは、まさに、西洋のクリスチャンネームみたいなもんだったのだ。

あたしたち現代のニポン人は、「山本スーザン久美子」とか「小山ジャネット愛子」みたいな特別のケースを除けば、ほとんどの人は「名字」と「名前」、言い換えれば、「姓」と「名」だけしかない。だけど、これにしても、江戸時代までは、「名字」と「姓」とは別の名前だったのだ。だから、江戸時代のままの流れが続いてたとしたら、現代人も、「麻生太郎」っていう簡単な名前じゃなくて、「踏襲頻繁麻生太郎未曾有」なんて名前になってた可能性もあるワケで、そしたら、自分の名前も読めないバカが、この国の総理大臣になってたってことになる(笑)

‥‥そんなワケで、あたしは、自分の名前が気に入ってるし、何よりも、母さんと父さんが2人で相談してつけてくれた名前なんだから、一生、大切にしてくつもりだ。だから、もちろん、改名なんかするワケないけど、ポケモンみたいな名前だの、アニメのキャラクターみたいな名前だのをつけられちゃった気の毒な子供たちのことを思うと、やっぱり、「成人になったら自分の好きな名前に自由に変更できる」っていう制度にすべきだと思う。そして、自分の子供をペットかオモチャか何かとカン違いしてるバカ親に苦しめられる子供が、1人でも救われるべきだと思ってる今日この頃なのだ。


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2009.01.18

お知らせです♪

先日、サプリでどれくらいバストが大きくなったか、ちゃんとしたとこでちゃんと測定してもらったのですが、そのついでに、身長と体重も正確に測定してもらいました。

そしたら、ナナナナナント! 身長が2mm伸びて「161.7cm」になってました!

この年で背なんて伸びるワケないので、今までの測り方がテキトーだったのかもしれませんが、163cmを理想としてるあたし的には、ナニゲに理想に近づけて嬉しさ満点です。

で、正確な身長と体重が分かったので、久しぶりにプロフィールを書き直してみました。

興味のある人はご覧ください。


「きっこのプロフィール」
http://pr.cgiboy.com/13291963/


あと、カンジンのバストに関しては、後日あらためて日記に詳しく書こうと思いますので、しばしお待ちを!

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サザエさんな日

昨日、大事にしてた1個しかない大きなグラスを洗って、水分を飛ばしてから水切りカゴに入れようと思って、シンクの上で勢いよく振ったら、水道の蛇口にぶつけちゃって、木端微塵になっちゃった。よく、映画やドラマで、小道具のビール瓶を割るシーンがあるけど、アレみたいに、手に持ってた部分だけがキレイに残って、上半分だけが砕け散っちゃった。だから、運よくケガはしなかったけど、もしもケガして流血してたら、それはそれで、「真紅のシンク」なんていうオヤジギャグのネタにしてたと思う。まあ、ケガしなかったことが何よりなんだけど、1年以上も愛用してたグラスだったから、割っちゃったことはやっぱりショックだった。そして、現実問題としても、唯一の大きなグラスだったから、すごく困ることになった。

あたしは、最近、インスタントよりもドリップでコーヒーをいれることが多いんだけど、1杯だけをドリップでいれるのって、ガス料金だけじゃなくて、何よりもペーパーがもったいない。それで、あたしは、朝とかにコーヒーを飲もうと思ったら、2杯ぶんのコーヒーをいれることにしてる。マグカップと大きなグラスを並べて、ドリッパーを移動しながら、マグカップ、グラス、マグカップ、グラス‥‥ってお湯を入れてコーヒーを落としてく。そして、マグカップのほうはその場で飲んで、グラスのほうはラップをして冷蔵庫に入れといて、夜になってから、お風呂あがりにアイスコーヒーとして飲んだりしてる。

で、あたしは、この時に使ってたグラスを割っちゃったワケだ。他にもいくつかグラスは持ってるけど、どれも口の大きさが小さくて、ドリッパーが乗らない。あたしの持ってるグラスの中で、唯一、ドリッパーがちゃんと乗るのが、この大きなグラスだったのだ。もちろん、マグカップなら何個か持ってるから、マグカップを2個並べてコーヒーをいれてもいいんだけど、あとからアイスコーヒーとして飲むことを考えると、最初からグラスに作っておいたほうが手間が省ける。それに、このグラスだと、大きくて容量に余裕があるから、氷を入れたり牛乳を入れたりもできて、ものすごく重宝してた今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、前にも書いたと思うけど、「マグカップ」ってのは和製のインチキ英語で、正しくは「マグ」って言う。「マグ」だけであのカップのことを指すワケで、それに「カップ」をつけちゃうと、「馬に乗馬した」みたいになっちゃう。これは、韓国の鍋料理のことをニポンで「チゲ鍋」って言うのもおんなじだ。韓国語では「チゲ」が「鍋」って意味なんだから、「キムチチゲ」って言えば「キムチ鍋」のこと、「豆腐チゲ」って言えば「豆腐鍋」のことで、「チゲ鍋」なんて言ったら「鍋鍋」って意味になっちゃう。

だから、あたしが「マグカップ」って書いてるのは、あくまでも、「マグカップって呼び方が一般的になってるニポンで、いくら正しい呼び方とは言え、マグなんて言葉を連発すると、なんかカッコつけてる嫌なヤツみたいな感じになっちゃうから、それを回避するため」って理由なのだ‥‥って、イチイチこんなことまで書かなきゃならないのは、ロクに過去ログも読んでないクセに重箱の隅をつつくのが好きな人たちが、まるで鬼の首でもとったかのように「きっこさん、マグカップって和製英語ですよ?そんなことも知らなかったんですか?」ってメールがきちゃうからだ。あーメンドクサイ。

で、「メンドクサイ対策」も終わったから、ここからいよいよ本題に入るけど、あたしは、あんまり食器を持ってない‥‥って言うか、必要最小限の食器しか持ってない。3人家族なら3人ぶんの食器、5人家族なら5人ぶんの食器が必要だけど、たいていの場合は、お客様のことを考えて、家族の人数ぶん以上の食器を揃えてたり、場合によっては「お客様用」なんていう特別な食器を用意してる家庭もある。だけど、食器にはぜんぜん興味がない上に、ムダなものを持つことが嫌いなあたしは、必要最小限の食器しか持ってない。あたしの家族は母さんだけだから、「母さんと2人で食べる」ってことしか想定してなくて、お茶碗も、お椀も、ラーメンの丼も、すべて2個ずつしか持ってない。

でも、これは「お揃いの食器」って意味で、バラバラなら多少は持ってる。たとえば、コーヒーカップにしても、お揃いのは1セットしかないけど、単体のコーヒーカップやマグカップなら、5~6個はある。これは、プレゼントでもらったり、何かのシールを集めてもらったりしたものだ。だから、タマに2人以上のお友達が遊びに来た時には、全員にバラバラのカップでコーヒーを出す。そんな感じだ。

だから、「必要最小限」とか言いつつも、多少は食器を持ってるあたしだから、正確に言えば、「お揃いの食器は必要最小限しか持ってない」ってことになる。それに、「食器にはぜんぜん興味がない」って言っても、それはご飯を食べたりするための食器に興味がないってことで、お酒を飲むための焼き物には興味がある。特に「ぐい呑み」は好きなので、1個3000円から5000円くらいのものをいくつか持ってて、すごく大切にしてる。ようするに、ふだん使う食器には興味がないってことだ。だから、お皿や深鉢なんかは、ぜんぜん揃ってなくて、みんなバラバラだ。

で、特にバラバラなのがグラスなんだけど、これは、最初から1個だけ買って来た場合だけじゃなくて、2個買って来たのに1個を割っちゃったってパターンも多い。逆に言えば、あたしはよくグラスを割っちゃうから、気に入ったグラスの場合、いつか割っちゃうことを考えて、予備として2個買って来るってケースもある。もちろん、何千円もするようなグラスを2個も買うことなんてできないから、あたしが2個買うのは、100円ショップの100円のグラスの時だけだけど。

それで、今回、割っちゃったグラスも、100円ショップで買って来たものだから、金額的には痛くなかった。だけど、いくら100円のグラスとは言え、もう1年以上、たぶん2年近く愛用して来たものだし、あたしの持ってるグラスの中で一番使用頻度が高かったから、ものすごく愛着がわいてたのだ。その上、こうしたメンタルな部分を抜きにしても、「コーヒーを2杯いれる時に使える唯一のグラス」っていう現実的な問題もあったから、あたしは、おんなじようなグラスが早急に必要になった。

‥‥そんなワケで、あたしは、100円ショップへと欽ちゃん走り‥‥しようと思ったんだけど、欽ちゃん走りで行ける近所の100円ショップは、お店が狭いこともあって、あんまりいろんな種類のグラスがない。それで、ものすごく久しぶりに、ちょっと離れたとこにある大型店に行ってミルコ・クロコップにした。ちょっと離れてるって言っても、原チャリで行けば5分ほどの距離だから、あたしは、原チャリを停めてる自転車置き場へ向かった。そしたら、あたしの原チャリのシートの上で、ハナコが日向ぼっこをしてた。

ちょうど日差しがナナメに降り注いでて、一番ハシッコに停めてたあたしの原チャリのとこだけにお日様が当たってて、ハナコは気持ち良さそうにスフィンクスのポーズで目を細めてたのだ。それで、キッコ・マランドロとしては、せっかく日向ぼっこしてるハナコ・モレーノスをシートからおろすのがかわいそうだったから、一緒に連れてくことにした。


「行くぜ、ハッチン! 地獄行き超特急だぜ!」

ブオ~ン!ブオ~ン!


あたしが景気良くウイリーで発進させると、ハッチンは振り落とされまいと、あたしの体に爪を立ててしがみついた。こうして、「キッコとハッチン」のワイルドでラテン系な旅がスタートしたってワケだ‥‥なんてのも織り込みつつ、実際には、ハナコにはどいてもらって、あたしは1人で行って来た。で、久しぶりに100円ショップの大型店に行ってみたら、ずいぶんと模様替えをしてた。一番の違いは、100円以外のものがすごく増えてたことだ。

100円ショップって、最初は100円のものしか置いてなかった。お店に並んでるすべての商品が100円だったから、値札なんてついてなくて、何をカゴに入れても、5個なら500円、10個なら1000円てふうに計算すれば良かった。でも、何年かしたら、200円とか300円のものも置くようになった。グラスのコーナーなら、ほとんどのグラスが100円なんだけど、1つ上の棚とかに、ちょっと高級そうな感じのグラスが並んでて、そうしたものには200円とか300円とかの値札が貼られてるようになった。

で、今回、久しぶりに行ってみたら、もっと高いものも並んでたのだ。500円とか700円なんか当たり前で、中には1000円以上するものまで並んでた。ま、こっちとしても、100円ですぐに壊れちゃうスリッパよりは、300円でも1年くらい使えるスリッパのほうがいいワケで、おんなじものでも値段によってランクがあれば、選択の幅が広がるってワケだ。でも、商品によっては、100円のものが置いてないコーナーもあって、なかなかのセチガラサも感じちゃった。

‥‥そんなワケで、あたしは、さっそくグラスを選ぶことにしたんだけど、あたし的な絶対条件として、「100円だってこと」と「口が大きくてドリッパーが乗ること」と「大きくて最低でも450ccは入ること」の3点が、小さいきっこたちの脳内国会で閣議決定されてた。だから、この条件に合ったものを探したら、やっぱ「100円だってこと」って部分でのハードルが高くて、2種類しか該当するものがなかった。200円のグラスなら、デザイン的にもステキなものがあったんだけど、こうした棚の前に立つと、あたしって、「200円のグラスを買うくらいなら、100円のグラスを2個買ったほうが得だ」っていう思考回路が発動しちゃうのだ。

それで、100円のグラスで条件に合うのは、台座が小さくて上に行くに従ってラッパ状にひらいて行く背の高いグラスと、全体的に波打った曲線になってるドッシリした感じのグラスだった。正直、どっちもあたしの趣味じゃなかったけど、このどっちかを選ぶしかないワケで、こうなって来ると、ここからが長いのがあたしの長所&短所ってワケだ。両方のグラスを手に持って、目の高さにしてみたり、照明のほうに向けて透かしてみたり、持った感じの手触りを確かめてみたりと、最低でも10分くらいは悩んじゃう。

そして、ようやくどっちにするかが決まったら、今度は、いくつも並んでるおんなじグラスの中から、一番良さそうなのを選び始めるから、さらに時間が掛かっちゃう。安モノのグラスって、おんなじものでも、底のガラスが不均等になってたりするから、ちゃんと選ばないとダメなのだ。こんなことなら、最初から1種類のグラスしかなくて、それが最後の1個になってたほうが、よっぽど悩まないで済むんだけど、これが世の常ってもんだし、あたしの貧乏性のなせるワザってワケだ。

結局、あたしは、ナンダカンダで15分くらい掛けて、やっとのことで1つのグラスをカゴに入れた。安定性は悪そうだけど、スラッとした背の高いほうのグラスに決めたのだ。そして、この「安定性は悪そうだけど」って部分で、これから先の展開を予想しちゃった人は、すでに「きっこの日記」の愛読者ってワケで、このまま最後のオチまで一気に読み進んで欲しい。

‥‥そんなワケで、あたしは、200円のグラスならデザインも気に入ったものがあったのに、ちゃんと小さいきっこたちの閣議決定に従って100円のグラスを選んだんだから、急きょ、「それならあと100円だけ自分の欲しいものを買ってもいい法案」を脳内の臨時国会に提出して、小さいきっこたちに「数の暴力」を使わせて、強行採決しちゃったワケだ。そして、広い店内を眺めてまわったんだけど、いくら脳内国会で可決したからって、自民党とおんなじズルい方法での可決だから、国民の声はまったく反映されてない。だから、自民党の議員ほどツラの皮が厚くないあたしは、どうしても後ろめたい気持ちになっちゃう。

そこで、あたしがとった行動とは、「長く使える日用品の中で欲しいものを1つ買う」って作戦だった。オモチャだのアクセサリーだのを買っちゃうと、どうしても「ムダ遣い感」が浮き彫りにされちゃって、あたしの後ろめたい気持ちが増幅されちゃう。そこで、ふだん使う日用品を買うことによって、その後ろめたさを払拭するって作戦なのだ。でも、単なる日用品を買っても、今度はあたしが楽しくない。それも、実際には必要ないものを買うワケだから、何のメリットもない。つまり、オモチャじゃない日用品なのに、あたしがワクワクして楽しめるものを探さなきゃなんないワケで、これはなかなか楽しい店内大冒険がスタートしたってワケだ。

そして、小1時間も店内をウロウロしたあたしが、ついに辿り着いたのが、「球状の氷を作るアイストレー」だった。グラスに1個しか入らないほどの大きなボール状の氷が、このトレーで一度に3個作れる。これなら、グラスを買ったことにも関連してるし、何よりも、大きなボール状の氷が作れるなんて、想像しただけでもワクワクしちゃう。それに、今は、2リットルのペットボトルをタテ半分に切って、舟みたいな形にしたのに、お水を入れて氷を作ってる。それをアイスピックで割って使ってるのだ。だから、アイストレーを買うことは、「すでにあるものをさらに買う」っていうムダ遣いとも違う。

‥‥そんなワケで、100円のグラスと100円のアイストレーを買ったキッコ・マランドロは、意気揚々と帰路についたってワケで、出発時と同様にワクワク気分のラテン系なノリで、瀬田の交差点の真ん中でマックスターンを披露しつつ、空に向けてマシンガンを撃ちまくりつつ、ウイリーだけで帰って来た。ウイリーで走れば前輪が減らないからだ‥‥なんてのも散りばめつつ、サスガに、お家に着いたら疲れちゃったので、コーヒーをいれて一服することにした。

で、まずは、買って来たグラスとアイストレーをキレイに洗って、アイストレーにお水を入れて、フリーザーに入れた。ホントにボールみたいな氷ができるのか、すごくワクワクしちゃう。それから、お湯を沸かしつつ、シンクの上に渡したマナ板の上に、マグカップと買ってきたグラスを並べた。そして、マグカップの上にドリッパーを乗せて、ペーパーをセットして、コーヒーを2杯ぶん入れた。2杯ぶんて言っても、コーヒーカップよりも大きなマグカップと大きなグラスなので、いつも計量スプーンで2.5杯にしてる。

それから、冷蔵庫に賞味期限が近づいてる牛乳が少しだけ残ってたので、今飲むぶんのほうだけ、カフェオレにしようと思った。マグカップに3分の1くらい牛乳を入れて、それを電子レンジで温めて、そこに濃い目のコーヒーを落とせば、美味しいカフェオレができる。それで、あたしは、マグカップに牛乳を入れるために、マグカップの上のドリッパーを一時的にグラスの上に移動した。背の高い安定感の悪いグラスだけど、ちゃんと平らなマナ板の上に置いてあるから、大丈夫だと思ったのだ。

‥‥そんなワケで、ここまではすべてパーフェクトだったあたしなのに、次の瞬間、カッコ良かったキッコ・マランドロから、おっちょこちょいのサザエさんへと変身しちゃったのだ。マグカップに牛乳を入れて、電子レンジのほうへ行こうとクルッと後ろを振り向いた瞬間、着てたローゲージのニットの脇腹のあたりが、シンクの上から飛び出してたマナ板の角に引っかかり、マナ板がズレて、ドリッパーを乗せたグラスがグラッと大きく傾いた。あたしは、左手にマグカップを持ってたから、慌てて右手でマナ板を押さえようとしたんだけど、それが手前にズレたとこを押さえちゃったもんだから、マナ板がテコの原理になっちゃって、ドリッパーとグラスが上に飛び上がっちゃった。で、あたしは、反射的に空中のグラスをキャッチすることには成功したんだけど、左手に持ってたマグカップを横向きにしちゃったので、そこらじゅうに牛乳とコーヒーの粉をぶちまけちゃって、もうメチャクチャ。そして、ボーゼンと立ち尽くしてたら、しばらくして、ヤカンがピーッ!と鳴った今日この頃なのだ(笑)


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2009.01.17

英国外相、テロ戦争は間違いだった

「英国外相、テロ戦争は間違いだった」(世田谷通信)

イギリスのデイヴィッド・ミリバンド外相は、15日付のガーディアン紙に「テロ戦争は間違いだった」というコメントを発表した。ミリバンド外相は「世界各地で様々な事情により発生しているテロをすべて『過激派』と決めつけ、それを攻撃する側は『正義』であるという二者対立の構図を作って戦争を繰り返してきたことは間違いだった。こうした欧米の攻撃によって、それまでは無関係だった敵対グループが対抗策として手を組み、さらに巨大化してしまった。テロに対しての軍事的な攻撃は問題の解決にはつながらなかった」とコメントした。イギリスは、イラクやアフガニスタンに対して「テロとの戦い」という大義名分を掲げて戦争を繰り返して来たアメリカのブッシュ政権に協力の立場をとって来たが、今回のミリバンド外相のコメントは、自国の行為のみならず、ブッシュ政策を根源から否定するものである。歴代最低の支持率の中、政権を去るブッシュ大統領は、16日の最後の会見で自身の対テロ政策を自画自賛していたが、アメリカ国民からも冷やかな視線を浴びている上に、重要なパートナーであるイギリスの閣僚からも政策の失敗を指摘されたことになる。またアメリカの対テロ政策に追従し、莫大な予算や自衛隊派遣などで協力してきた日本の小泉純一郎元首相や安倍晋三元首相も、「テロとの戦い」という言葉を繰り返してアメリカの戦争に加担し続けて来た責任は重く、今後、歴史的に断罪されていくことは避けられないであろう。(2009年1月17日)


http://www.guardian.co.uk/politics/audio/2009/jan/15/foreignpolicy-davidmiliband


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チンコ切り

(前略)すると藤木さんは言った。

「チョン髷(まげ)に結っておくれ。」

あたしは前かけをとって、彼の頭にチョン髷を結びつけた。小僧さんのする盲目縞(めくらじま)の真黒な前かけでもあることか、紫地に桜の花がらんまんと咲いて、裏には紅絹(もみ)のついているちりめんのチョン髷、しかも額に緋ぢりめんの紐の結び目が瘤のように乗っかっている。それで平気で煙草を吹かしている。その背中が真ん丸いので、あたしは拳骨(げんこ)でコツコツ叩いた。

「痛いよ、痛いよ。」

「でも猫のようだから。」

「ニャアン、鍋島の猫だよ、化猫だよ。ゴロニャーン。」

彼はフーッといって、背中を見る見る盛上げた。
それは全く奇怪な存在だった。アンポンタンはおしっこが出るほど吃驚(びっくり)して、火鉢の縁を握ったまま、首をすくめて中腰になった彼を見詰めた。(後略)


‥‥ってなワケで、唐突にスタートしちゃったけど、これは、あたしの大好きな女流作家、長谷川時雨の大傑作、「旧聞日本橋」の中の「朝散太夫(ちょうさんだいぶ)の末裔」の一節だ‥‥って言っても、知らない人にはチンプンカンプンだと思うから、簡単に説明すると、この「旧聞日本橋」って作品は、明治12年(1879年)生まれの長谷川時雨が、自分が子供のころの「江戸の風情が残ってたころの明治初期の思い出」を綴った回想録みたいな本で、すべて実話だからメチャクチャに面白い。

で、その中でも面白いのが、この「藤木さん」ていうおじさんで、これは、幼い時雨を相手に「髪結いさんごっこ」をした時のやりとりだ。時雨が、前かけを丸めて藤木さんの頭に乗せてチョンマゲにしてるワケで、今から80年近くも前の昭和初期の「女人藝術」に連載してた作品なのに、「あたし」ってとことか、「アンポンタンはおしっこが出るほど吃驚して」ってとことか、他にもたくさん「きっこ風味」な部分が満載な今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、この長谷川時雨の「旧聞日本橋」は、全編を「青空文庫」で読むことができるので、痒いとこに猫の手が届く「きっこの日記」としては最後にちゃんとリンクしとくけど、これ、内容の面白さもさることながら、文体の楽しさがサイコーなのだ。夏目漱石の「吾輩は猫である」や「坊ちゃん」は、もちろん創作だけど、この「旧聞日本橋」は、ドキュメンタリー版の「吾輩は猫である」って感じなのだ。あたしは、長谷川時雨が大好きなので、他の作品もぜんぶ何度も読んでるけど、とりわけ好きなのが、この「旧聞日本橋」だ。

長谷川時雨は、本名が「康子ちゃん」て言うんだけど、マクラで挙げた一節にもあるように、子供のころは「アンポンタン」なんていう名誉なアダ名で呼ばれてた。それにしても、今から80年近くも前に「アンポンタンはおしっこが出るほど吃驚して」なんて書かれちゃうと、サスガのあたしもビックル一気飲みでオシッコが漏れそうになっちゃう(笑)

で、この「旧聞日本橋」に登場する「実在した面白い人たち」の中で、この「藤木さん」ておじさんが一番の変わり者なんだけど、このおじさん、とにかく運が悪い。「ちびまる子ちゃん」の例もあるけど、「藤木」って名前の人は不運な人が多いのか? ハタマタ、「ちびまる子ちゃん」に出て来る藤木くんは、この藤木さんの子孫なのだろうか?‥‥ってなワケで、この藤木さんがどれほど不運なのかってことは、次の一節を読めば分かるだろう。


(前略)その頃藤木さんは、災難つづきで極度な落目だった。下谷青石横町の露路裏のドンヅマリの、塵埃(ごみ)すて場の前にいたが、隣家の女髪結さんから夜中火事を出して、髪結さんは荷物を運び出してしまってから騒ぎだした。一ツ棟だ、かえって火元よりは火廻りの早かった藤木の方が何もかも丸焼けで、垣根を破って隣裏へ逃出し一家命だけは無事だった。で、神田白銀町の煙草問屋へチンコッきりに通うようになった。あたしたちが牢屋の原とよぶ、以前の伝馬町大牢のあった後の町から、夕方になると、蝙蝠(こうもり)におくられて、日和下駄をならして弁当箱をさげて、宿り番に通って来てくれたのだった。(後略)


ようするに、長屋の隣りの髪結いの女が夜中に火事を出しちゃって、そのセイで藤木さんちも全焼しちゃったってワケだ。それも、火事を出した髪結いの女は、とにかく自分の荷物を真っ先に外に運び出して、それから初めて「火事だ~!」って騒いだもんだから、藤木さんがその声で目を覚ました時には、すでに火の海で、命からがら逃げ出すのが精一杯だったワケだ。だから、藤木さんの家財道具はみんな焼けちゃって、火元の女よりも藤木さんのほうが被害を受けたってワケだ。

それにしても、この一節を見ても分かるように、「ドンヅマリ」ってカタカナで書くとことか、「で、神田白銀町の煙草問屋へ~」の「で、」とか、ホントに「きっこ文体」に似てる‥‥って言うか、あたしのほうが「時雨文体」に似てるってことなんだけど、長谷川時雨の文章は、他にも似てるポイントがいっぱいあって、とても他人とは思えない。あたしの場合は、文章を読むのが苦手な人たちが、少しでもスラスラと読めるようにと思って工夫してるんだけど、すべてを漢字にしないで、ところどころカタカナにしてるのも、活字嫌いの人に「ラクに読めそう」って感じさせる演出の1つだ。そして、「で、」とか「ま、」とかで文章にリズムをつけて、読み始めるとスイスイと進んでくように組み立ててる。

‥‥そんなワケで、あたし的には、まるで文章の書き方のお手本みたいな長谷川時雨の「旧聞日本橋」なんだけど、この「で、神田白銀町の煙草問屋へ~」の先がどうなったのかって言うと、藤木さんは、「チンコッきりに通うようになった」ってワケだ。「チンコッきり」ってのは、当時、時雨が暮らしてた東京は下町に近いエリアでの言い方で、正しくは促音が入らずに「チンコ切り」って言う。使う道具はマナ板と包丁だけで、このマナ板の上に「何か」を乗せて、大きな包丁で「トン!」と切るワケだ。この描写だけで、多くの男性が「イタタタタタッ!」って言いながら股間をおさえたかもしれないけど、男性にとっては、ある意味、「派遣切り」よりも痛そうな感じの響きを持ってる言葉、それが「チンコ切り」だろう。

でも、これは、漢字で書くと「賃粉切り」ってことで、タバコの葉を細かく刻むことなのだ。今は「紙巻きタバコ」が全盛だけど、江戸時代はキセルで吸う「刻みタバコ」が全盛だったから、タバコの葉は細く刻んだ状態で売られてて、それを自分の愛用のキセルに詰めて吸うのが当たり前だった。で、当時の町のタバコ屋さんは、たいていは夫婦2人で商ってて、奥さんがタバコの葉を巻いて揃えて、それをダンナさんが細く刻むっていう完全分業のスタイルをとってたから、「かかぁ巻き、ととぅ切り」なんて呼ばれてた。

そして、庶民の間に喫煙の習慣が広まって行くに連れて、夫婦2人じゃ手が回らなくなって来て、人を雇うようになる。タバコ屋さんも大きくなって、何人もの職人を雇ってる大きな問屋とかも現われて来る。そうしたお店で、タバコの葉を刻むためだけに雇われてたのが「チンコ切り」ってワケで、日給とか時給とかじゃなく、どれだけ刻んだかっていう量によって賃金をもらえる出来高制だったから、そのために「賃粉切り」って呼ばれてたのだ。

江戸後期から明治初期にかけて、ニポンの人口は約3500万人、東京(江戸)の人口は約100万人ほどだった。だから、全国の人口としては今の3分の1ほどだったんだけど、東京の人口としては今の10分の1くらいだったワケで、比率的には、そんなに東京に集中してるワケじゃなかった。ようするに、今みたいに、地方から東京に出て来る人が殺到してなかったのだ。江戸時代、江戸に上って来るのは、仕官の道を探してる下級武士とかが多かったから、100万人の人口のうち、半分の50万人は武士だった。そして、そのうちの多くの下級武士や浪人たちは、長屋に住んで、内職やアルバイトでギリギリの生活をしてた。

で、長屋住まいの浪人の内職って言うと、よく時代劇とかで見るのは、とにかく多いのが「傘貼り」の内職だろう。あとは、勉学に自信のある浪人が、「寺子屋の先生」をやって、子供たちに読み書きを教えたりなんてのもある。他にも、腕に自信のある浪人が「ヤクザの用心棒」をやったり、「ぶらり信兵衛」みたいな「道場破り」なんてのもある。だけど、これらは時代劇の中の話で、実際に多くの浪人や下級武士が生活の糧にしてたのは、「傘貼り」と「刃物研ぎ」と「チンコ切り」だった。だけど、いくら浪人とは言え、仮にも武士のハシクレが、食って行くために「チンコ切り」に通うってのは、ものすごく恥ずかしいことだった。なにしろ、「士農工商」ほどの細かい区別はなかったにしろ、武士は上で町民は下っていう順位だけは明確だった時代なんだから、その武士が町民に使われるなんて、武士のプライドを捨てるようなものだったからだ。

だから、ほとんどの浪人は、あんまり人に見られずに自宅でできる内職を選ぶことが多かった。「傘貼り」の他にも、「風車」などの子供のオモチャを作ったりする内職だ。そして、そうした仕事にありつけず、ホントに食うに困ったボロボロの浪人とかが、恥も外聞もかなぐり捨てて通ったのが、この「チンコ切り」だった。だから、貧乏な町民が「チンコ切り」に通うのは、「ちょっと恥ずかしいバイトをする」ってレベルだったんだけど、こと浪人や下級武士になると、そんなレベルじゃなかったのだ。

‥‥そんなワケで、時代は江戸から明治へと変わり、政府は近代国家を目指すために、それまでの身分制度を取り止めにして、「四民平等」の政策をとった。そして、文明開化の音が「ポン!」と鳴り、人々の暮らしも劇的に変わり始めた。だけど、まだ国民の半数くらいがチョンマゲをしてたような明治初期には、底辺の生活をしてる庶民の暮らしは江戸時代とほとんど変わらなかった。長屋に住んでる人たちはそのままだし、食うに困れば「傘貼り」の内職をしたり「チンコ切り」に通ったりしてたのだ。そして、長屋が火事になって焼け出された藤木さんは、食ってくために、神田白銀町の煙草問屋へ「チンコ切り」に通うようになったってワケだ。

「チンコ切り」は、現代の人たちが想像するよりも、遥かに重労働だった。床に座ったままの姿勢で、大きな「切り板」の上に乗せたタバコの葉を「押さえ板」で押しつけて、端から髪の毛ほどの細さに刻んで行く。ちょうど、お蕎麦を切ってくような感じだ。だから、あぐらをかいて座ってても、少しお尻を浮かして、押さえ板と包丁に体重をかけるような姿勢になる。だから、しばらく続けてると、腕だけじゃなく、肩や腰まで痛くなって来る。その上、当時の包丁はステンレスだったりカーボンだったりするワケがないんだから、ある程度、作業を続けてると、切れ味が悪くなって来る。そのために、時々は砥石で研がなきゃならなかった。

それで、あまりにも疲れるから、1時間に1回とか休憩するワケだけど、目の前にタバコの葉がマウンテンなんだから、ここで一服するワケだ。自分の愛用のキセルに、刻み立てのタバコの葉を詰めて、プカ~ッと吹かして疲れをとる。だけど、ここで気をつけなきゃならないのは、その火の始末だ。周り中が燃えるもので囲まれてるんだから、そこらへポンとタバコの火なんか捨てたら、アッと言う間に火事になっちゃう。自宅が火事になって「チンコ切り」に来てるのに、職場まで火事になっちゃったらシャレにもならない。それで、「チンコ切り」の人たちのルールとして、「一服したらキセルの火は必ず水の中へ捨てる」って決まりがあった。それぞれの脇に、包丁を研ぐための砥石を沈めた水桶が置いてあったから、そこへキセルの火を捨てるワケだ。


「ふきがらをじゅうといわせるちんこ切り」


これは、江戸中期から幕末までの川柳を集めた「柳多留(やなぎだる)」の名句選に収められてる句で、水桶の中へキセルの吸いがらを捨てて、「ジュッ」って音を立ててるところを詠んでるものだ。「吸いがら」のことを「吹きがら」って言ってるのは、「吹田」を「ふきた」じゃなくて「すいた」って読むようなもので、昔の人にとっては、「吸う」も「吹く」も似たようなニュアンスだったんだろう。そして、ここまで何度も「チンコ」「チンコ」って連発して来たから、一部の期待してる人たちのために、ついでにこんな川柳も紹介しよう。


「金玉の休む暇(いと)なしちんこ切り」


これは、「チンコ切り」の人たちが、お尻を浮かした姿勢でタバコの葉を刻み続けてるから、股間のオイナリさんがブラブラと揺れ続けてて、休むヒマもないってことだ。当時の人たちは、ブリーフだのボクサーパンツだのを履いてるワケもなく、ズボンを履いてるワケもない。フンドシに着物って決まってるんだから、股間のオイナリさんの自由度も大きくて、不健康なパンツを履いてる現代の男性たちよりも、ずっとインタークーラーとしての役割を果たしてたんだと思う。で、そのインタークーラーがブラブラと揺れ続けてたワケだけど、こんな川柳が詠まれたくらいだから、当時の人たちも、「賃粉切り」の「賃粉」を男性の股間の「チンコ」と重ねて考えてたってワケだ。

ちなみに、最近は、「パンドルショーツ」とかいう女性用のフンドシが登場したり、挙句の果てには「男性用のブラジャー」なんて意味不明なものまで現われちゃって、何が何だかワケが分からなくなって来たけど、フンドシはオイナリさんがついてる男性のための下着であり、ブラジャーはオッパイがついてる女性のための下着なのだ。人間、自分の体に合ってないものを着用すると、必ず何らかの不具合が生じて、場合によっては健康被害が出て来る。あたしは、仲良しのスタイリストからもらった「パンドルショーツ」を履いてみたんだけど、血圧が下がって体調を崩しそうになった。

‥‥そんなワケで、時代は江戸から明治に変わったけど、庶民の暮らしはそれほど変わらず、長屋が火事になった藤木さんが、食ってくために神田白銀町の煙草問屋へ「チンコ切り」に通うようになったってのが、「旧聞日本橋」の11章の「朝散太夫の末裔」に書かれてることで、この次の12章のタイトルが、その名もズバリ、 「チンコッきり」だ。この章もまた、内容も文体もサイコーに面白いんだけど、さらに面白いのが、なにやらボーッとしてる子供だった「アンポンタン」の様子を客観的に書き留めてるとこだ。

当時の小伝馬町には、時雨の通ってた学校があったし、長唄のお稽古に通ってる教室もあったし、お友達が何人も住んでたし、親の知り合いのお家もあったので、時雨にとっては、まさしく自分のテリトリーだった。そして、興味のあるものを見つけると、いつまでも無言で眺め続けてるクセのあった時雨だったから、町工場の前を通れば、必ず足を止めて、鉄を解かして型に流し込む作業をずっと眺めてたり、ガラスを溶かして瓶を作る作業をいつまでも眺めてたりもした。そんな時雨が、ある日、煙草問屋で「チンコ切り」をしてる藤木さんを見つけたってワケだ。その時の様子は、こんなふうに書かれてる。


(前略)藤木氏がチンコッきりをしていたのもその近所だった。はじめ私が発見した時、私は藤木氏なんぞ目にも入れなかった。忙しなく煙草の葉を揃える人の手元や、ジャキジャキと煙草の葉を刻んでいる職人の手許を夢中になって眺めていた。その日の夕方、いつものように来て、藤木さんは母に呟(こぼ)していた。

「今日ってきょうは弱ったのなんのって、汗が出たね。だんまりはいいがね、いつまでもいつまでも立って見ているのだからね。こっちのほうがなにか言わなくちゃならない気がして‥‥」

だが真から心配そうにもいった。

「あんな道草していて、稽古にほんとにゆくのかしら?」

その翌日あたしは、藤木さんのチンコッきりを立って見ていてはいけないと誡(いまし)められた。そのついでに母と誰かが話していたのだが、チンコッきりおじさんは、職人としても好くないのだそうだ。(後略)


‥‥そんなワケで、「チンコッきりを立って見ていてはいけない」ってとこに反応しちゃった人は置いてくけど、この一節から分かることは、「チンコ切り」は「いやしい職業」だったってワケだ。あたしは、「いやしい職業」って言い方は好きじゃないけど、この「旧聞日本橋」を読むと、当時の人たちが普通に持ってた「職業差別」って感覚が垣間見られる。たとえば、この藤木さんに関する記述で、こんな一節がある。


(前略)藤木さんはその頃が貧窮のどん底だったが、細君の前だけでは、封建的殿様ぶりを発揮して、怒鳴ってばかりいた。蜜柑箱にキンタマ火鉢を入れたのが長火鉢かわりの生活でいて、

「貴様なんぞはボテイフリの嬶(かかあ)にでもなれ。」

というのが口癖で、魚売は自分よりよほど身分違い‥‥さも低級でもあるように賤しめて罵る習慣があったのだ。貞淑な細君は、そんな事を言われても尤ものように押だまって辛棒強く働いていた。(後略)


この「ボテイフリ」ってのは、ここでは「魚売」って言ってるけど、農村や漁村から町へと作物やお魚を売りに来る行商人のことを指す言葉だ。てんびん棒を担いで、両端に荷物を提げて売り歩くことから、「棒手振り」って書いて「ぼてふり」って読む。この「ボテイフリ」ってのは、「チンコ切り」を「チンコッ切り」って言うみたいな、当時のこの地域の方言なんだと思う。

で、人々から下に見られる職業の「チンコ切り」をやってた藤木さんは、それでも、どっかの都知事みたいに、ニポンの悪しき伝統芸能である「男尊女卑」の精神に支配されてたみたいで、奥さんにだけは威張り散らしてたワケだ。そして、こうした行商人のことを「自分よりもさらに下の職業」として口にすることによって、間接的に自分のプライドを死守してたってワケだ。どっかの都知事と同じく、あまりにも軽薄で情けないけど、これが「男」って生物の大かたの姿なんだよね(笑)

‥‥そんなワケで、あたしの大好きな長谷川時雨は、19才の時に親にムリヤリに嫁入りさせられたんだけど、自分の望んだ結婚じゃなかったから、苦労の果てに、29才の時に協議離婚をした。そして、それからは、文学に邁進して、自由な恋愛を楽しみ、昭和に入ってからは、恋人でベストセラー作家だった三上於菟吉(みかみ おときち)の金銭的援助を受けて、女流文学誌「女人藝術」を創刊主宰した。これは、当局の弾圧で廃刊させられるまで続き、何人もの女性作家を世に出すことに貢献した。「アンポンタン」て呼ばれて、藤木さんの「チンコ切り」をボーッと眺めてた1人の少女が、ニポンの女流文学の道しるべを作るまでに大成したってワケだ。だから、あたしも、その末裔の1人として、ここはひとつ、フンドシを締め直して「きっこの日記」を書き続けてこうと思った今日この頃なのだ(笑)


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2009.01.16

この国を酷くした戦犯は?

昨日から「最も無能だと思う首相は?」のアンケートを行なっていますが、それと並行して「日本をここまで酷くした首相は誰なのか?」というアンケートも行なうことにしました。

無能であることと、無能でなくとも酷い政策を行なったこととは別だからです。


そこで質問です。


【日本をここまで酷くした最大の戦犯は?】


1.森喜朗
2.小泉純一郎
3.安倍晋三
4.福田康夫
5.麻生太郎


両方の結果が出たら日記で総括しようと思いますので、皆さん、ご協力をお願いいたします。



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書いていいこと悪いこと

あたしがずっと応援して来た稲垣早希ちゃんの「関西縦断ブログ旅」は、去年のうちに無事にゴールの京都、経ヶ岬に到着した。だけど、この企画をやってる番組、毎日放送の「ロケみつ」では、この企画だけで視聴率をキープしてたから、どうしても引き延ばしたい。それで、年内にゴールしたってのに、年内の放送はゴールのギリギリ直前で終わりにして、感動のゴールシーンだけを翌年まわし、つまり、今年の1月8日にまわすっていう、あまりにもセコムな方式にした。「答えはCMのあと!」っていう「CMまたぎ」でもムカつくのに、こともあろうに「正月またぎ」だなんて、あまりにも引っぱりすぎだ。

で、何が問題なのかって言うと、テレビの放送は12月の中旬から1月の上旬まで3週間もお休みになったのに、その間に、ブログのほうでは「新たな旅」がスタートしてたのだ。つまり、「関西縦断ブログ旅」はゴールしたのに、看板企画の早希ちゃんの旅を終わらせるワケには行かないから、第2弾の旅がスタートしたってワケだ。もちろん、毎回放送を楽しみにしてたあたしとしては、次の旅が始まったってことは素直に嬉しい。だけど、実際に第2弾の旅がスタートしてるのに、カンジンのテレビの放送のほうは「まだ第1弾の旅がゴールしてない」って状況まま3週間ものブランクができちゃったから、「今、どこを旅してるのか」ってことが言えないまま、ブログが更新されてく。これが、あまりにもムリがあった。

そして、1月8日になり、ようやく、3週間も引っぱりまくった第1弾の旅のゴールシーンが放送された。東京では放送されてないから、あたしが観ることができたのは、某所にアップされた2日後の10日だった。泣きながらゴールをくぐる早希ちゃんに、この旅でお世話になった人たちからの温かいメッセージが流れ、さらに感動してポロポロと泣く早希ちゃん。そして、みんなが、拍手をしながら「おめでとう!」って祝福して、アニメの「エヴァンゲリオン」とおんなじ終わり方をした。あたしも、画面を観ながら拍手をして、心から「おめでとう!」、そして、「ありがとう!」って言った。あまりにも感動しちゃって、ティッシュで拭いても拭いても涙が止まらなかった今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、これでようやく第2弾の旅、「四国一周ブログ旅」を堂々と公開できることになったってワケで、番組のブログも「関西縦断」から「四国一周」へとリニューアルしたので、あたしも、自分の日記やブログのリンクやバナーを貼り替えた。で、第1弾の旅のゴールについてだけど、ゴールの感動もそのままに、早希ちゃんは祝賀会場の「餃子の王将」へと向かい、大好きな王将メニューをたくさんゴチソウになったとこで、ゴールをお祝いする特別ゲストが登場した。「エヴァンゲリオン」のアスカの声優の宮村優子って人だった。中学生の時からアスカの大ファンだった早希ちゃんは、その声優の宮村優子の大ファンでもあったそうで、ご本人の登場に大感激してた。

それで、早希ちゃんは、宮村優子を見て「めっちゃ可愛い!」ってコーフンしてたけど、あたしにはぜんぜんそんなふうに見えなかった。あたしは、「ま、ファン心理なのかな?」って思って、それでも、早希ちゃんが一番喜ぶ人ってことでゲストに呼んだんだろうから、めでたしめでたしって感じだった。

で、あたしは、この声優を見たのは初めてだったし、今まで何ていう人がアスカの声をやってるかなんて知らなかったから、この「宮村優子」って名前をすぐに忘れちゃった。それで、今日の日記を書くにあたって、いちいち調べるのもメンドクサイから、「ヤタラと目がギョロギョロした声優の人」って書こうと思った。実際、あたしにはそう見えたからだ。だけど、いくらあたしが声優に興味がないとは言え、それじゃあまりにも失礼かな?って思って、やっぱり、ちゃんと調べて、ちゃんと名前を書こうと思い直して、ネットで検索してみた。

そしたら、大変なことが分かったのだ。この宮村優子って声優は、2年くらい前にバセドウ病にかかって、それで目が飛び出して来たんだって。たしかに、昔の写真とかを検索してみたら、今とは別人みたいな顔だった。それで、あたしは、調べもしないで「ヤタラと目がギョロギョロした声優の人」だなんて書かなくて良かったって、ホッとしたのだ。

‥‥そんなワケで、しばらく前にも、これと似たようなことがあった。自民党を批判する日記を書いてた時に、自民党屈指の守銭奴の1人、与謝野馨について触れる時に、あたしは、「あんなかすれた声で何言ってんだか聞こえやしない」って書こうとした。だけど、念のために調べてみたら、与謝野馨は、数年前に喉頭ガンを患い、手術してたことが分かったのだ。いくら嫌いなヤツでも、病気や事故などによることをいじるのはマナー違反てワケで、あたしは、この時も、事前に分かってホッとした。

この辺のマナーとかモラルってのは、その感覚も人それぞれで、どこまで言ってもいいか、どこまで書いてもいいかってのは難しいとこだ。たとえば、あたしは、アベシンゾーに「オチョボグチ」とか、フクダちゃんに「目と鼻が横一列に並んでる」とか、フロッピー麻生に「口がひん曲がってる」とかって書いて来たけど、こうした言い方についても、時々、「人の外見を言うのはよくないです」なんてメールが来る。だから、人によっては、こうした言い方を不快に感じる人もいるんだろう。

だけど、あたしは、そうは思わない。病気や事故などで顔や体が変形したりしたのなら、それを茶化すように取り上げるのは問題だと思うけど、もともとの顔の特徴に関しては、大いにツッコミを入れていいと思ってる。だって、これがダメだって言うのなら、似顔絵を描けなくなっちゃうからだ。アベシンゾーの似顔絵は、誰もがタレ目でオチョボグチに描くし、フクダちゃんの似顔絵は、誰もが目と鼻を顔の中央に並べて、オデコと鼻の下を広くして、オランウータンみたいな顔に描く。そして、フロッピー麻生の場合なら、どんな似顔絵を見ても、ミゴトなまでに口がひん曲がってる。中には、「口だけじゃなく根性も曲がってます」なんてセリフまでプラスされてるものもある。そして、こうした似顔絵は、新聞や週刊誌を始め、いろんな媒体で公開されてる。

街角の似顔絵描きの場合、自分の顔を描いてもらうと、実物よりもずいぶん良く描いてくれる。男性なら少しでも美男子になるように、女性なら少しでも美人になるように、サービスして描いてくれる。それは、こっちがお客なんだし、欠点をそのまま描いたらお客が怒っちゃうからだ。だから、街角の似顔絵描きの絵は、あんまり似てないのだ。もちろん、欠点をカバーした上にちゃんと似せて描くような上手な人もたくさんいるだろうけど、基本的な描き方が、有名人の似顔絵を描く場合と違って来る。

有名人の似顔絵の場合は、その人の顔の特徴をデフォルメして描くことが「似せるポイント」になる。たとえば、千昌夫の似顔絵だと、オデコのホクロがみんな大きく描かれてる。これは、似顔絵だけじゃなくて、モノマネや顔マネでもおんなじだ。コロッケが千昌夫のモノマネをする時には、直径が5cmくらいある巨大なホクロをつけるし、南伸坊さんや清水ミチコさんが顔マネをする場合にも、やっぱり大ゲサなホクロをつけたりしてる。研ナオコや谷村新司のモノマネなら、鼻に貼ったセロテープを上に引っぱるし、ザ・ニュースペーパーのメンバーが政治家のモノマネをする時も、それぞれの特徴を大ゲサにしたメークをしてる。

‥‥そんなワケで、フロッピー麻生を題材にした風刺マンガの場合は、もちろん、口は、実物以上にひん曲がって描かれてるし、その上、目つきや人相も悪く描かれてることが多い。そして、ザ・ニュースペーパーのメンバーがフロッピー麻生のモノマネをする時だって、大ゲサに口をひん曲げて、ダミ声でしゃべってる。こうした似顔絵やモノマネが当たり前のように氾濫してるのに、文章で書く場合だけ、「口のひん曲がったフロッピー麻生は~」って書いちゃダメって感覚は、あたしにはまったく理解できない。

アベシンゾーのモノマネにしても、みんなオチョボグチで舌足らずなしゃべり方をして、「わたくしは~」じゃなくて「ワタクチは~」って言ってる。こうして実際にモノマネすることはOKなのに、あたしが日記に「ワタクチは~」って書くことはNGって感覚が理解できない。逆に、どっちかって言えば、わざわざ人相の悪い似顔絵を描いたり、特殊メークまでしてモノマネをするよりも、文章で書くだけのほうが軽いような気がする。

たしかに、顔や体の欠点を言われたら、誰だって不愉快だ。あたしだって、目が離れてるとか、口がデカいとか、鼻が低いとか言われてたら腹が立つ。だけど、もしもあたしがテレビや雑誌にヒンパンに出るような有名人だったとしたら、見ず知らずの人に似顔絵を描かれたりモノマネされたりするのは「有名税」だ。そして、あたしの似顔絵を描く人は、10人が10人とも目を離して描くだろうし、口をデカく描くだろう。モノマネタレントがあたしのモノマネをするのなら、絶対に、口のまわりに、ひとまわり大きく口紅を引いたりするだろう。そして、見ず知らずの人のブログとかにも、あたしの外見をネタにしたことが書かれるに決まってる。

だけど、これは、「有名税」なんだから、いちいち腹を立てるようなことじゃない。それどこか、もしもあたしがアイドルやタレントだったとしたら、どんなに酷い扱いであっても、似顔絵を描かれたりモノマネされてるうちが花なのだ。こうしたネタにされるってことは、タレントにとっては「売れてる」か「売れてないか」のバロメーターなワケで、多くの人にいじられてるほうがアリガタイザーなワケだ。

‥‥そんなワケで、政治家はタレントじゃないんだから、顔なんてどうでもいい。政治家に問われるのは政治の手腕だけなんだから、二枚目で無能な政治家よりも、ブサイクでも有能な政治家のほうがいいに決まってる。そして、この政治家としての能力の違い、資質の違いは、わずかだけど似顔絵にも表われる。その政治家が有能で、ホントに国民から支持されてれば、似顔絵だって好感を持たれるような顔つきに描かれる。そして、その政治家が無能なら、欠点をデフォルメした酷い顔に描かれる。おんなじ顔をした政治家であっても、その能力や支持率によって、マンガ家のほうが描き分けるってことだ。

つまり、今、フロッピー麻生の似顔絵が、憎たらしい顔や傲慢な顔にばかり描かれてるのは、フロッピー麻生自身の資質によるものなのだ。だって、フロッピー麻生って、歴代のどの総理大臣よりもニコニコしてるだろう。「満面の笑み」って表現がピッタリなほど、わざとらしいほどの笑顔を振りまいてる。それなのに、似顔絵に描かれる時の顔は、口をひん曲げて苦虫を噛み潰したような顔ばっかだ。これは、フロッピー麻生が国民にアピールしてる顔と、国民のほうが感じてる顔とに大きなギャップがあるからなのだ。

たとえば、フロッピー麻生が、自民党を延命させることなんか後回しにして、どんどん国民のための政策を推進してたら、描かれる似顔絵だってぜんぜん違ってただろう。ナンミョーの顔色をうかがった2兆円のバラ撒きなんかやめちゃって、2年後の消費税の引き上げなんかやめちゃって、天下りの「渡り」も完全に禁止にしちゃって、もっと国民のほうを向いた政策を推進してたら、描かれる似顔絵だって笑顔になってただろう。口のひん曲がり具合だって、必要最低限にしか描かれなかったハズだ。そして、あたしの日記でも、「口のひん曲がったフロッピー麻生は~」なんて書かずに、「お茶目な麻生ちゃんは~」とかって書き方になってただろう。

‥‥そんなワケで、世界中の人たちがブッシュのことを「殺人鬼」って呼ぶのは、ブッシュ自身の責任であり、ニポン中の人たちがモリヨシローのことを「サメの脳みそ」って呼ぶのは、モリヨシロー自身の責任なのだ。そして、ブッシュのことを「殺人鬼」って呼んだり、モリヨシローのことを「サメの脳みそ」って呼ぶことがOKなのに、その外見をネタにするはNGって考え方は、単なる詭弁でしかない。内容であれ外見であれ、その政治家自身の能力や資質や人間性に対して、国民がつけた評価が、似顔絵であり文章表現なのだ。だから、政治家の似顔絵が酷い顔に描かれるのも、「きっこの日記」で酷く書かれるのも、それは、その政治家自身の責任てワケで、酷く書かれたくなければ、国民のための政治をすればいいだけの話だと思う今日この頃なのだ。


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2009.01.15

もっとも無能な首相は?

アメリカでは、現在のブッシュ大統領が「歴代の大統領の中で最も無能」と言われていますが、ブッシュ大統領が2期8年をつとめる間、日本では5人もの総理大臣が入れ替わっています。

そこで質問です。


【以下の歴代首相の中であなたが最も無能だと思うのは?】


1.森喜朗
2.小泉純一郎
3.安倍晋三
4.福田康夫
5.麻生太郎



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不発弾の上で暮らす人たち

今日、14日の午前8時20分ころ、沖縄県糸満市小波蔵(こはぐら)の工事現場で、第二次大戦中の不発弾の爆発事故が起こった。現場の道路に水道管を埋めるため、建設会社の作業員が掘削作業をしてたところ、地下1m付近に埋まってた不発弾に重機の掘削用ドリルが当たり、その衝撃で大爆発が起こり、重機を操作してた「東信興建」の古波蔵 ( こはぐら ) 純さん(25才)が重傷を負った。

古波蔵 さんは、南風原町の県立南部医療センターに運ばれて、搬入時には意識があったそうだけど、爆風で体の前面にヤケドを負っていて、特に顔面を中心に胸から上の損傷が激しく、集中治療室で治療してる。担当した救命救急の神山佳之医師によると、「傷の程度はかなり酷く予断を許さない状況」とのことだ。ちなみに、現場の住所が「小波蔵(こはぐら)」で、ケガをした人が「古波蔵 ( こはぐら ) さん」で、ちょっと間違えちゃいそうだけど、沖縄には多い名前だ。何とかがんばって、助かって欲しい。

爆発はものすごかったようで、「ドーン!」という爆音と同時に地響きのような揺れが起こり、半径100m以上に土砂や爆弾の金属片などが飛び散り、現場には直径5m、深さ1.5mの大きな穴が開いた。付近に駐車してた工事関係車両などの窓は吹き飛び、現場から30mほどの場所にある老人ホーム「沖縄偕生園」では、爆風と飛び散った金属片などで窓ガラス104枚が割れ、割れたガラス片で75才の男性入所者が足に軽傷を負った。事故当時は、ちょうど朝ご飯の時間で、入居者全員が食堂に集まってたから良かったけど、もしも全員が自室にいる時間帯だったら、多くのお年寄りが大ケガをしてたとこで、ヘタしたら死者も出てただろう。

一歩間違ったら何人もの犠牲者が出てた大きな事故だから、「琉球新報」では「電子号外」も出たほどだけど、中央での扱いはいつもの通りで、新聞もテレビも簡単に触れただけだった。唯一、NHKのお昼のニュースで、少し詳しく5分ほど報じたけど、それでも今回の事故についての内容を伝えただけで、過去の不発弾による事故や、沖縄の不発弾の現状にはまったく触れなかった今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、あたしは、こうした危険なことに関しては、常に「たら・れば」で考えなきゃダメだと思ってる。ふだん、車の運転をしてる時でも、停車中のバスの右側を通る時なんかは、「もしも子供が飛び出して来たら」って考えて、必ず徐行するようにしてる。だから、今回の爆発事故の場合も、事故後であっても、「もしもお年寄りたちが自室にいる時間帯だったら」ってことを想像してみることも重要だと思う。

だって、1974年3月には、那覇市の聖マタイ幼稚園の前の道路に雨水管を埋める工事をしてて、そこで旧日本軍が埋めた対戦車地雷が爆発して、幼稚園にいた園児の妹を含む4人が死亡、34人が重軽傷を負い、46棟もの家屋が全半壊したのだ。この時も、たまたま「ひな祭り」の準備で、すべての園児が奥の部屋に集まってたから、お庭のブランコで遊んでた園児の妹だけが被害に遭ったけど、もしも他の日だったら、たくさんの園児がお庭で遊んでたのだ。

地雷って言うと、カンボジアとかの地雷を思い浮かべる人が多いと思う。子供たちが地雷を踏んで、足を失ったりしてるヤツだ。でも、アレは、歩兵の進行を食い止めるための「対人地雷」であって、沖縄に埋まってる「対戦車地雷」は、この1974年の事故の被害状況を見れば分かるように、火薬の量も爆発力もケタが違う。そして、この事故にしても、もしも幼稚園がお休みの日だったり、夜だったりすれば、少なくとも園児たちは死なずに済んだのだ。今回の老人ホームのお年寄りたちにしても、35年前の幼稚園の園児たちにしても、たまたま食事の時間だったり、たまたま「ひな祭り」の準備をしてたことで生死を分けてるのだ。

沖縄では、復帰後、こうした不発弾や地雷による事故が11件も起こってて、何人もの人が死亡してる。それなのに、未だにこうした事故が起こるのは、単純明快な話で、国による対応、対策が不十分だからだ。63年前の沖縄戦で、日米両軍が使用した爆弾、砲弾、地雷は、20万トン以上で、そのうち2%にあたる約4000トンが、不発の状態で地下に埋没したままになってた。そして、現在でも、未処理のまま埋没してる不発弾や地雷は、推定で約2500トンも放置されてるのだ。

ちなみに、2007年度の沖縄の不発弾処理の実績は、781件、25.4トンで、復帰後からの累計は、3万24件、1757.9トンが処理されたことになってる。ようするに、1年あたり25トンの割合で処理してるってことで、あと2500トンの不発弾が完全に処理されるのは、今のスピードなら100年後ってワケだ。で、どうしてこんなに時間が掛かるのか?‥‥ってことだけど、もちろん、人手の問題とかもあるけど、何よりもネックになってるのが、無責任な国による予算の問題だ。

こうした不発弾を処理するための対策は、費用の9割を内閣府が補助する「不発弾等処理交付金」と、費用の5割を総務省が補助する「不発弾処理事業」の2つがある。だけど、1つの不発弾を処理するためには、事前の調査、住民への広報、住民の避難、交通規制、掘削工事、自衛隊への撤去要請、処理後の補修工事など、莫大な費用が掛かる。だから、たとえ9割を国が負担してくれたとしても、小さな市町村には大きな財政負担が生じる。そのため、積極的には不発弾の調査をすることができないってワケだ。だって、ヤミクモに調査して、いくつもの不発弾が見つかっちゃったら、ぜんぶ処理するしかないワケで、そんなことにでもなったら、その自治体が破産しちゃうからだ。

それで、沖縄では、何十年も前から、「不発弾の処理費用は全額を国が負担して欲しい」って要望を続けて来た。でも、都合の悪いことは何でも「先送り」するのが十八番の自民党は、この沖縄の要望を長年ずっと先送りし続けて来た。普通に考えたら、国が勝手に始めた戦争で使われた爆弾なんだし、地雷に至っては旧日本軍が埋めたものなんだから、すべて国の責任で処理するのがスジだろう。それなのに、たとえ一部でもそこに住んでる人たちに負担させるなんて、あまりにも無責任な話だ。

去年、ようやく国は重い腰を上げて、今年の予算からは、不発弾処理に伴う土嚢(どのう)や防護壁設置などに掛かる費用だけは国が全額負担することになったんだけど、これにもおかしな裏があって、「公共工事の場合のみ」っていう線引きがなされてるのだ。ようするに、民間の建設会社とかがマンションを建てたりする時に不発弾が見つかったりすると、これまで通り、その自治体に負担が生じるワケで、これも政官業の癒着の上にふんぞり返ってる自民党政権ならではのやり方ってワケだ。自民党の議員と癒着してる業者が、ワイロを渡して公共事業を斡旋してもらった時だけ、不発弾の処理に掛かる費用を国が全額持つだなんて、あまりにも分かりやすい構図ってワケだ。

‥‥そんなワケで、現在、内閣府が沖縄の不発弾処理にどれくらいの予算を割り当ててるのかって言うと、年間で約4億4000万円だ。このお金をあたしにくれるんなら、それは「ものすごい大金」だけど、沖縄の不発弾処理の予算としては、「たったの4億4000万円」てことになる。そして、国がこれだけの予算しか出さないから、沖縄の不発弾は、すべてを処理するまでに、あと100年も掛かるってワケだ。戦後60年が過ぎても、未だに不発弾の事故で亡くなる人や重傷を負う人が出てるってのに、国は、これっぽっちの予算しか出さずに、あと80年も沖縄の人たちに「不安な生活」を押しつけようとしてるのだ。

ちなみに、辺野古で平和の座り込みをしてる人たちを脅して排除するために、去年、国がつぎ込んだ予算は、軽く50億円を超える。たとえば、ジュゴンのエサ場やサンゴの産卵地域を守るために、カヌーやゴムボートで海上の座り込みを続けてる人たちを威嚇するために、国は、48億円もの税金を投入して、11隻の巡視艇と、3隻の小型船と、30隻のゴムボートを購入したのだ。そして、こともあろうに、これらの船をアメリカ軍のキャンプ・シュワブの中に停泊させて、そこから出動させてるのだ。不発弾を処理するためには4億4000万円しか出さないのに、辺野古の平和と自然を守る自国民を脅して排除するためには、その10倍以上の48億円をポンと出す政府って、いったい何のための、誰のための政府なんだろう?

そして、さらに言わせてもらえば、グアムにアメリカ兵たちの高級住宅を作るために、政府は3000億円もポンと出すそうだけど、どうしてそこまでやらなきゃなんないの? 百歩ゆずって、沖縄の不発弾がゼロになり、辺野古の海が守られて、高江のヘリパットも白紙に戻り、東京ドーム1700個ぶんの「北部訓練場」が沖縄に返還されて、それからアメリカのためにお金を出してやるんなら少しは納得できるけど、これほど沖縄の人たちが苦しんでるのに、それをホッタラカシにしたまま、アメリカの人殺しには湯水のごとくお金を出し続けるなんて、モノゴトの優先順位がデタラメすぎるよ、まったく。

それも、あたしたちの税金でグアムに作るアメリカ兵たちの高級住宅って、すごくおかしな話になってるんだよね。2008年1月24日の日記、「語るに落ちた自民党」に詳しく書いてるけど、グアムにあるアメリカの建設会社に建てさせれば、ぜんぶで600億円で済むって試算が出てるのに、ニポンの政府はそれを断って、わざわざニポンの建設会社にグアムまで材料や建設機器を運ばせて、それで建てさせるんだってさ。だから、3000億円なんていう、アメリカ側の試算の5倍もの法外な予算が必要なんだってさ。皆さん、どう思う?

高卒のあたしの脳みそだと、アメリカに600億円くれてやって、グアムにあるアメリカの建設会社に建てさせて、余った2400億円をニポン人のために使ったほうが遥かにいいと思うんだけど、そうすると政府にとって何か都合の悪いことでもあるのかな? もしかすると、自民党の森派とベッタリ癒着してるニポンの大手建設会社にオイシイ仕事を回すために、何が何でもグアムの建設会社なんかには渡せない仕事ってことなのかな?

たとえば、不発弾の処理に掛かる費用は、年間に4億4000万円なんだから、不発弾がゼロになるまでの100年間で440億円掛かるってワケだ。だから、7~800億円もあれば、自治体には1円も負担させずに、すべての不発弾を処理することができるだろう。そして、2400億円も浮いてるんだから、それでもまだ1600億円も残ってる。そしたら、このお金で、辺野古や高江の自然を守り、沖縄から基地がなくなってもみんなが暮らして行けるような基盤を作ることは十分に可能だ。それなのに、不発弾の上で暮らしてる自国民のことよりも、殺人鬼のアメリカ兵どものことを優先してるなんて、ニポンの政府って、トンチンカンにも保土ヶ谷バイパスだ。

‥‥そんなワケで、沖縄の人たちの命を守るための「不発弾処理の費用」には、年間に4億円ちょっとの予算も出し惜しみして、その一部を地元の人たちに負担までさせてるクセに、辺野古の平和を願ってるオジィやオバァたち、やんばるの貴重な自然を守ってる高江の人たちを脅すための「嫌がらせの費用」には、その10倍以上の50億円なんて予算をポンと出しちゃうのが、売国奴軍団の自民党政権てワケだ。そして、自分たちと癒着してる企業や官僚や天下りどもを潤すためには、2400億円ものムダ遣いも何とも思わないってワケだ。国民の税金が、まったく国民の望む形で使われてない上に、さらには、国民を苦しめるために使われてるなんて、それもこれもすべては、霞が関と癒着してる自民党政権の独裁が原因なのだ。だからこそ、国民の7割以上が反対してる2兆円ものバラ撒きを平然と強行採決しちゃうワケで、こんな腐りきった政府の支持率が未だに10%台もあることが、あたしは何よりも信じられない今日この頃なのだ。


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2009.01.14

F60のダッフン具合

全国2200万人のF1ファンの皆さんの中の、たぶん550万人くらいのフェラーリファンの皆さん、どうもご愁傷さまでした‥‥ってなワケで、昨日の12日、フェラーリF1のオフィシャルサイトに発表された今期、2009年のマシン、「F60」を見て、ある程度の覚悟はしてたけど、あまりのカッコ悪さに、あたしは全身が脱力しちゃった。アホ丸出しの新レギュレーションによって、どのチームのマシンも醜くなっちゃったけど、ハッキリ言って、他のチームのダサいマシンを見ても、あたしはそんなにガッカリはしなかった。だけど、昨日、フェラーリレッドのダサいマシンを見て、なんて言うか、江東区でドンキーコングが大暴れ‥‥じゃなくて、後頭部を鈍器で殴られたほどの衝撃を受けた。

あたしの場合、「F60」って名前からして、イヤな予感がマンマンだった。だって、フェラーリの市販車の中で、史上最低にカッコ悪いヤツとおんなじ名前だからだ。あれ、ボンネットからフロントにかけて、真ん中がピノキオの鼻みたいになってて、前から見ると死ぬほどカッコ悪い。中途半端にカクカクしたフォルムが、まるで折り紙で折って作ったみたいなチャチさが全開だからだ。まあ、あたしの場合は、あくまでもフェラーリのF1マシンが好きなのであって、カッコ悪い市販車なんかモトモト興味ないけど、それにしても、フェラーリの市販車って、どうして新型が出るたびにどんどんダサくなってくんだろう?

ま、市販車のことなんか置いといて、とにかく、あまりにもカッコ悪い今期の「F60」だけど、もしかしたら、あまりにもカッコ悪いからこそ、ワザと「F60」って名前にしたのかもしれない。だって、フェラーリのF1マシンは、1999年までは開発番号だったりエンジンの大きさと年式との組み合わせだったりを名前にしてたけど、2000年からは年式が名前になって、「F2001」「F2002」「F2003」‥‥って続いて来た。2006年の「248F1」だけは特別だけど、それ以外はずっと「F2007」「F2008」って続いて来た。それなのに、ここに来て、突然、「F60」だなんて、スタイルのあまりのカッコ悪さに、今までの流れのネーミングがオソレ多くて、仕方なくダサい市販車の名前を使ったような気がする今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、念のためにフェラーリのリリースに書かれてることに触れとくと、公式リリースには「フェラーリがF1に参戦して60周年目ということを記念してF60とネーミングした」ってことになってる。だから、市販車の「F60」とは意味が違うみたいだけど、どっちにしても、スタイルも名前も泣けて来るほどカッコ悪い。パッと見た印象としては、発表済みの他チームのマシンとおんなじで、まるで折りたたみ式のキャンプ用のイスみたいになっちゃったリアディゾン‥‥じゃなくて、リアウイングのみっともなさが目を引く。そして、平たくて幅広くなったフロントウイングによって、リアウイングのカッコ悪さがヨケイに際立ってて、前後のバランスの悪さは、とてもレーシングマシンとは思えないほどのオッペケペーが炸裂してる。

昨日、ミクシーの日記に「F60」の写真をアップしたら、マイミクの皆さんから、「赤いカマキリみたいw」「アリクイに似てますね。」「魚肉ソーセージが浮かびましたが何か?(爆)」‥‥って、楽しいコメントがメジロ押しだ(笑) ようするに、見る人によっていろんな印象を受ける「F60」だけど、カマキリにしろアリクイにしろ魚肉ソーセージにしろ、どれも「速そう」とか「カッコイイ」とかってイメージからは、かけ離れてる。ちなみに、あたしの場合は、第一印象で、「コウガイビル」に似てると思った。頭が「T字型」になってる生き物って言うと、まず頭に浮かぶのが「シュモクザメ」だけど、これは英語で「ハンマーヘッドシャーク」って呼ばれてるように、トンカチみたいな形になってて、その両端に目玉がついてるサメだ。だから、T字型はT字型なんだけど、「F60」のフロントウイングみたいな平べったさがない。

で、平べったくてT字型の頭の生き物って言うと、とても地球上の生物とは思えないほど不気味な「コウガイビル」だろう。体はミミズみたいにニョロニョロしてるのに、頭だけがT字型になってて、意味不明の生き物だ。何種類かの仲間がいるみたいだけど、あたしが目撃したことがあるのは、「クロコウガイビル」って言うヤツで、コールタールみたいに真っ黒でつやつやしてる。子供のころ、10cm以上もあるコレがブロック塀に貼りついてるのを見つけて、最初は道路工事のコールタールか何かがついてるのかと思ったんだけど、顔を近づけてよく見たら動いてやがるから、あたしは死ぬほど驚いて、その場に尻もちをついた。

そんな「コウガイビル」だけど、名前に「ヒル」がついてても、ヒルの仲間じゃないそうだ。じゃあ「夜」なのか‥‥って、ついついオヤジギャグも散りばめつつ、ヒルの仲間じゃないから血は吸わない。だけど、とてもじゃないけど手で触るのはムリで、百歩ゆずって割箸で持つのが精一杯だと思う。ちなみに、「コウガイビル」の「コウガイ」ってのは、漢字で「笄」って書いて、女性がニポン髪を結う時に使う飾りの一種で、櫛(くし)と簪(かんざし)とともに3点セットになってる。で、この笄は、髪に横向きに刺すから、両端が突き出すような形になる。それで、この生き物の頭の形が、この笄を刺したニポン髪に似てるってワケだ。

‥‥そんなワケで、とにかく、興味のある人は「コウガイビル」で画像検索でもしてもらうとして、あたしは、フェラーリの今期のマシン、「F60」を見て、まるで「コウガイビル」みたいだって思った。それも、新種の「アカコウガイビル」だ。だから、今んとこ、赤いカマキリみたいでアリクイにも似てる魚肉ソーセージのようなアカコウガイビルってワケで、こんなマシンで勝てるワケがない‥‥って思ったのもチョイノマ、「コウガイビル」になっちゃったのはフェラーリのマシンだけじなくて、他のチームもおんなじなんだ。つまり、今期のレースは、いろんな色のコウガイビル同士の戦いってワケで、フェラーリだけがヘンテコな生き物になっちゃったワケじゃないのだ。

こうなって来ると、ガゼン有利になって来るのがフェラーリってワケで、去年の暮れに、フィアット&フェラーリの会長のルカ・コルデーロ・ランツァ・マルケーゼ・ディ・モンテゼーモロ‥‥って、ついフルネームを書いちゃったけど、このモンテゼーモロ会長から批判されて逆ギレしちゃったバーニー・エクレストンが、今までずっとフェラーリチームだけを特別扱いして来たことを暴露しちゃったんだよね。ま、フェラーリチームがFIAから特別扱いされてることとか、現役を引退したあともシューマッハ兄がお金をガバガバともらい続けてることとかは、ナニゲに誰でも知ってたけど、それを冷静なキャラのバーニーがハッキリと言っちゃったってのは、ある意味、モズレーの病気が感染したのかもしれない(笑)

で、どんな流れなのかって言うと、最初、モンテゼーモロ会長のほうが、「バ―ニ―はFOM(Formula One Management)の分配金を明確にしてない」って批判したんだよね。ようするに、F1の放映権などによる収入の分配に不明瞭な点が多いため、それを批判したってワケだ。そして、この物言いに逆ギレしちゃったバーニーは、「お前らフェラーリチームには、他のチームより8000万ドルも多く渡してやってんのに、ざけんなよ!」って言っちゃったワケだ。そして、完全にレッドゾーンを振り切っちゃったバ―ニ―は、こう続けた。


「2003年までは、どのチームにも同額を支払ってた。だけど、2003年にいくつかのチームがF1を離脱した。これによって浮いた分配金をフェラーリチームへ渡すことで、我々はフェラーリチームを買収したのさ。そして、フェラーリがコンストラクターズを制すると、マクラーレンが制した時よりも8000万ドルも多くもらえるっていう暗黙のシステムが出来上がったのさ。フェラーリは我々から8000万ドルを受け取り、他のチームやメーカーを裏切った。そして我々は、8000万ドルでフェラーリの忠誠心を買収したってワケさ!んがんぐ!」


‥‥そんなワケで、いくら売り言葉に買い言葉とは言え、あまりにも大人げない。だから、その大人げなさを表現するために、最後に「んがんぐ!」をプラスしてサザエさん風味にマトメてみたワケだけど、ま、他のチームがみんな反対してたレギュレーションに、フェラーリだけが賛成したりしてたから、みんなウスウスとは気づいてたことだろう。だけど、ここまでハッキリ言っちゃうと、マジでミもフタもない。そして、「本気」と書いて「マジ」と読む‥‥って言ってるけど、渚組の白銀本気は、ホントは「しろがねもとき」って読み方で、「マジ」ってのは自分で勝手に言ってるだけなのだ。

で、モズレー病が感染しちゃったバーニーのことは放っといて、カンジンのフェラーリのマシンのことだけど、あたしは、自分のママチャリに「フェラーリF2004」て名前をつけてることからも分かるように、2004年のマシンが大好きだ。もともと、あたしは、1999年の「F399」が大好きで、これほどF1らしいマシンはないと思ってる。ちなみに、この「F399」ってのは、「3リッタ―エンジンの99年モデル」って意味だ。で、この「F399」をベースにして発展させたマシンが、2000年の「F1-2000」から2004年の「F2004」までのマシンで、2005年からはまったく新しいマシンになる。つまり、「F399」をベースにして開発したマシンの最終モデルが「F2004」てことなのだ。

だから、あたしは、この「F2004」が大好きなんだけど、好きなのは、もちろん、バリチェロのマシンだ。だけど、悲しいかな、おんなじ「F2004」なのに、シューマッハ兄のマシンとバリチェロのマシンだと、その価値がぜんぜん違う。たとえば、ミニカーの値段を見ても、おんなじメーカーから出てるおんなじスケールのミニカーなのに、シューマッハ兄のマシンが1万2000円で、バリチェロのマシンが8000円だったりする。もちろん、これは、「F2004」に限らず、どの年代のマシンでもおんなじことだ。

それにしても、F1のミニカーって、どうしてこんなに高いんだろう? あたしは、どうしてもバリチェロの「F2004」が欲しくて、いつもいろんなサイトやオークションを眺めてるんだけど、どんなに安いのでも5000円前後で、ちょっと精密なのになると1万円を超えちゃう。これだって、安いほうのバリチェロのマシンだからであって、シューマッハ兄のマシンなんて、ワールドチャンプを決めた時のマシンとかになると、5万円とか7万円とかのもザラだ。大きくて走らせることができるラジコンとかなら分かるけど、ミニカーに7万円だなんて、いくら何でも¥enショップ武富士だ。

‥‥そんなワケで、どんなにフェラーリチームが汚いことをしても、あたしはずっと応援し続けて来たワケだし、いくら中古車と言えども、あたしはフィアットの車を大切に乗り続けてるワケだし、フェラーリとフィアットの会長であるモンテゼーモロおじさんから見れば、あたしはアリガタイザーなお客さまってことになる。だから、バリチェロの「F2004」のミニカーをプレゼントしてくれてもいいのに‥‥なんてことを書いてみても、モンテゼーモロ会長が「きっこの日記」を読んでるとは思えないし、それ以前に、ニポン語が読めるとも思えない。だから、ミニカーに関しては、前から持ってるサーキットチョロQの昔のフェラーリでガマンしようと思う。何しろ、今期の「F60」は、思いっきりデフォルメされてるチョロQのF1マシンよりもカッコ悪くなっちゃったんだから‥‥なんて思う今日この頃なのだ。


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2009.01.13

署名のお願いです!

先日お願いした沖縄の高江のヘリパットに関する署名ですが、これまでにたくさんのご協力をいただき、本当にありがとうございました。

第一次のしめきりの26日まで、あと2週間になってしまいましたので、もう一度、告知させていただきます。

米軍だけでなく、イスラエル軍やドイツ軍、果ては自衛隊にまで実戦訓練をさせようと計画しているヘリパット建設に反対している高江の村の人たちが、政府から訴えられていることに対して、異議を唱えるための署名です。

1人でも多くの人の力が必要なので、この国を「戦争加害者の国」にしたくない人、戦争よりも平和を望む人、沖縄のかけがえのない自然を守りたい人、どうかご協力ください。

簡単にできるネット署名なので、どうぞよろしくお願いいたします。


◆ 署名フォーム
http://www.shomei.tv/project-590.html


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続・派遣村について

今日も、まず、1通のメールを紹介する。


お名前:KM
コメント:昨日の日記で、TYさんのメールが紹介されています。このTYさんって何者ですか!今50歳代で20歳代半ばから派遣会社経由で工場で働いていたですって。この日本で派遣労働が認められ且つ工場への派遣が認められてから何年になると思うのですか!【うそ】であることは確実です。きっこさんもこんなメールの意見を採り上げるなんてどうかしています。自己責任論を押し付け弱者がさらに弱者を貶める今の為政者に与する以外の何物でもありません。派遣村に行かれた大半は国家政策の犠牲者です。自己責任ではありません。


‥‥昨日のTYさんのメールは、1000文字以下にマトメるためにあたしがサクサクと削除しちゃったから、このKMさんのように誤解した人もいると思うので、説明をさせてもらう。昨日の日記には、「私は、派遣会社からの労働を永年やってきました。20代半ばから40歳過ぎまで、殆どが派遣会社からの工場労働で糊口を凌いできました。(中略)」って書いたけど、この「(中略)」の部分には、次のように書いてあった。


「蛇足ですが、2004年(5年?)に製造業への派遣が解禁されたらしいのですが、(1999年以降、パチプロ稼業に突入して世情に疎くなっていた事も有りこの事を知らない)私が派遣会社から主に工場労働を斡旋されてきたのは”製造業”に該当しなかったのか?それとも法律違反だったのか?」


あたしとしては、マサカ、こんな部分をネホリーナ・ハホリーナして「ウソだ!」なんて言って来るような人がいるとは思わなかったので、重要な部分だけを残して短くマトメたワケだけど、このKMさんの他にも、もう1通、同様のメールが届いてるので、まずは、この点を説明させてもらった。

で、あたしの知る範囲で補足させてもらうと、KMさんはニポンに「労働者派遣法」が施行された1986年までは、派遣労働がゼロだったとでも思ってるみたいだけど、それはまったくの思い違いだ。「労働者派遣法」が施行されるまでも、違法の派遣会社はたくさんあったし、通称「手配師」って呼ばれるヤクザとかも労働者の派遣を斡旋して、今よりも何倍も酷いピンハネをしてた。TYさんは、そうした状況下で働き続けて来たんだから、今みたいに「派遣労働者の権利」だなんて声高に叫べない時代だった。誰も助けてくれない。自分のケツは自分で拭く。そうして生きて来た人だからこそ、今の派遣労働者に対して厳しい意見が言えるんだと思う今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、それまで野放し状態だった間接雇用が、1986年に施行された「労働者派遣法」によって法律で規定されたワケだけど、この「労働者派遣法案」を制定する時に、企業側が自民党に対して「雇い主のほうが有利になるような法案にしないと献金をストップするぞ」って脅したんだよね。そして、自民党が作った法案は、もちろん企業の言いなりで、あまりにも企業寄りの内容だったから労働組合が強く反対した。それでも、国民のためじゃなくて、自分たちのスポンサーである企業や官僚のために政治をやってる自民党だから、労働組合の意見なんか聞くワケがない。で、この自民党による「労働者派遣法」が施行されてどうなったのかって言えば、それまではヤクザが闇でやってた労働者の斡旋が、法のもとに堂々とできるようになったのだ。それまでは「手配師」って呼ばれてたヤクザたちが、労働大臣(現・厚生労働大臣)のお墨付きをもらって、堂々と「労働派遣会社」を名乗れるようになったのだ。

1986年に「労働者派遣法」が施行されるまでは、一応は「職業安定法」で間接雇用、つまり、労働者の斡旋は禁止されてた。だけど、ニポンでは、江戸時代から労働者の斡旋は当たり前のこととして行なわれて来たし、近年でも、地方で農業や漁業をしてる人たちに、閑期の仕事として都会での土木作業などを斡旋する手配師がたくさんいた。また、酷いのになると、多重債務者をマグロ船などの長期遠洋漁業へ斡旋する手配師もいるし、不法滞在してる外国人を専門に工場とかに斡旋してる手配師もいる。

ようするに、「職業安定法」なんてのは単なる形式上のことで、現実には、労働者を派遣して雇用者からキックバックをもらうっていう仲介業が、100年も200年も前から商売として成り立って来たってワケだ。そして、それに法律でお墨付きを与えたのが自民党による「労働者派遣法」であり、当初の法案では禁止されてた「物の製造業務の派遣」を規制緩和の名のもとに解禁したのが、2004年のコイズミ改革だったってワケだ。で、このコイズミ改革によって、製造業への派遣労働者の数はふくれ上がり、現在は、それらの人たちの多くが路頭に迷ってるってワケだ。フランク・ザッパに言えば、昔は「職業安定法」で禁止されてたけど、暗黙の了解としてマカリ通ってた「労働者を斡旋してピンハネすること」を法律で許可したのが自民党であり、それをもっと酷くしたのがコイズミってワケなのだ。

だから、オムライス党は、非正規労働者を守るための第一歩として、とりあえず「物の製造業務の派遣」だけでも全面禁止にして、せめてコイズミ改革の前の状況に戻そうとがんばってるのだ。そうなれば、今みたく、「人手が足りない時だけ派遣を雇い、いらなくなったら首を切る」っていう企業に有利なやり方はできなくなり、人手が足りなければキチンとした正社員を募集するしかなくなり、雇用される側の人権も守られるようになるってワケだ。こんなメチャクチャな世の中になっちゃったのは、その8割方がコイズミと竹中平蔵の売国奴コンビによる悪政のタマモノなんだから、「コイズミ改革の前の状況に戻す」ってことで、この国はようやくスタートラインに立てるってことになる。

‥‥そんなワケで、昨日の日記を読んだ人から、たくさんのメールが届いてるので、何通か紹介しようと思ったんだけど、大別すれば、やっぱり、「派遣切りにあった人たちは甘えてる」「派遣村は甘やかしすぎだ」って意見と、「派遣切りにあった人たちは政治の犠牲者だ」「派遣村は立派だ」って意見の二極になるから、今日はメールは紹介せずに、あたしの書きたいことを書かせてもらう。

あたしは、昨日の日記に書いたように、この両方の意見がそれぞれモットモだと思ってる。ただ、大前提として言わせてもらうと、派遣村に集まった500人の人たちの中にも、いろんな人がいるってことだ。つまり、「甘えてる」って言われても仕方ないような人もいたかもしれないけど、どう見ても政治の犠牲者だって言える人もいたハズだ。だから、白か黒かみたいな一元論では決めつけられないと思う。それに、こうしたことって、どうしたって水掛け論になっちゃう。だから、あたしは、「どっちが正しい」ってことは置いといて、あえて正論に反しても、あたしの感覚を書いてみたワケだ。つまり、理由はどうあれ、目の前に困ってる人がいたら、あたしは黙ってられない。いくら正論だとしても、つらい思いをしてる人に厳しい言葉を投げつけるようなことはできない‥‥ってことだ。

新聞やテレビでも取り上げられてるから、知ってる人も多いと思うけど、カルデロンのり子ちゃん、ニポンで生まれ育ったフィリピン国籍の中学1年生の女の子だ。フィリピン人の両親が、偽造パスポートで来日して、そのまま不法滞在を続けてて、その中で生まれた子だ。親の不法滞在が発覚したから、のり子ちゃんも一緒に強制送還されちゃう。これ、誰がどう見たって、強制送還されるのは当然のケースだろう。それが正論だ。逆に、情にほだされて、こんなケースを許しちゃったら、悪い前例を作ることになり、これからも偽造パスポートで来日した不法滞在者が増えることにもつながる。中には、自分の不法滞在を大目に見てもらうために、ワザとニポンで子供を作るようなケースだって出て来るかもしれない。

だけど、あたしは、両親はともかくとして、のり子ちゃんだけでも何とかして欲しいと思ってる。ニポンで生まれて、ニポン語しかしゃべれないのり子ちゃんは、せめて今の中学だけでも卒業させて欲しいと、クラスメートたちと署名活動を続けてて、法務大臣による在留特別許可を求めてる。とりあえず、去年の12月27日までだった国外退去期限は、特別に今月の14日まで延長されたけど、このまま在留特別許可がもらえなければ、のり子ちゃんは、あと2日で退去期限を迎えちゃう。

あたしは、一番最初にこのニュースを耳にした時には、強制送還は仕方ないって思った。だって、「法律」と「情」なら、「法律」のほうを優先しなかったら社会が成り立たないからだ。だけど、そのあとに、おんなじようなケースで、オトトシ、フィリピンに強制送還された12才のマリア・パストルちゃんのことを知った。マリアちゃんは、2才上のお兄さんと、1才下の弟の3人兄弟で、3人ともニポンで生まれ育ったんだけど、フィリピン人のお父さんの超過滞在が発覚して、2007年3月に強制送還された。でも、3人ともニポン語しか話せない上に、フィリピンではお父さんの仕事も見つからない。そして、生活できなくなったお父さんは、子供の世話もできなくなり、遠く離れた親戚の家にマリアちゃんを預けて、自分はどこかへ行っちゃったのだ。

いくら法的な国籍がフィリピンだからって、言葉も何も分からない国へ連れて行かれ、親にも捨てられ、親戚と称する家にポツンと預けられた12才の女の子が、どれほどつらい思いをしてるのか、誰にだって容易に想像できるハズだ。そして、マリアちゃんのお兄さんと弟は、毎日インスタントラーメンだけの生活で、2人ともガリガリに痩せ細り、とうとうお兄さんは入院してしまった。マリアちゃんは、ニポンにいた時にお世話になってた横浜の在日外国人教育生活相談センター「信愛塾」のセンター長、竹川真理子さんに、1通の手紙を送った。そこには、こう書かれてた。


「私のきょうだい死んじゃうよ!竹ちゃん助けて下さい!」


‥‥そんなワケで、ニポンで生まれ、ニポンで育ち、ニポン語しか話せない幼い子供たちが、突然、異国のような母国へ放り出されて、ロクに食べる物さえ与えられずにホッタラカシにされてるなんて、こんなことが人道的に許されるのだろうか? 確かに、お父さんが超過滞在してたことは問題だし、こうなる原因を作ったのもお父さんだ。だから、強制送還されることは法的には正論なんだけど、もう1つ正論を言わせてもらえば、「子供たちには何の罪もない」ってことだ。

ベトナムでアメリカ軍の枯葉剤の犠牲になった子供たち、イラクでアメリカ軍の劣化ウラン弾の犠牲になった子供たち、今、ガザで、イスラエル軍のクラスター爆弾や白リン弾で殺され続けてる子供たち、こうした子供たちに共通して言えることは、みんな「大人の犠牲」になってるってことだ。そして、フィリピンへ強制送還されたマリアちゃんたちも、あと2日で期限を迎えるのり子ちゃんも、みんな「大人の犠牲」になってるのだ。

マリアちゃんのお父さんは、ニポンではすごくマジメに働いてたから、仕事場の社長からも信頼されてたそうだ。それで、強制送還が告げられた時に、社長は、「信愛塾」の竹川真理子さんと一緒に、法務省に特別在留許可を求める嘆願書を出したんだけど、許可されなかったそうだ。だから、今回ののり子ちゃんのケースも、たくさんの署名が集まってるけど、なかなか難しい局面を迎えてる。何しろ、のり子ちゃんとおんなじケースの子供は、現在、ニポン中に5万人以上もいるんだから、政府としては、特別の前例を作りたくないのが本音だろう。

だけど、ちょっと待って欲しい。法を犯したのは親であって、何も知らずに生まれて来た子供には何の罪もないのだ。それに、のり子ちゃんのほうだって、何もずっとニポンで暮らしたいだの、ニポンの永住権が欲しいだのって言ってるワケじゃない。やっと中学に上がって、たくさんのお友達ができたんだから、せめてあと2年だけ、中学を卒業するまででいいからニポンにいさせて欲しいって言ってるだけなのだ。それに、2年間の猶予があれば、その期間にフィリピンの言葉を勉強して、フィリピンに行ってからも困らないように準備することだってできる。あたしは、これくらいしてあげるのが、「大人」としての責任であり義務だと思う。

言葉も何も分からないマリアちゃんたちを強制送還したのは、喩えはすごく悪いけど、自分の家の前に捨ててあったゴミを隣りの家の前へとホウキで掃いたようなもんだ。自分の家の前さえキレイになればいい。あとは知らんぷり。ホントにこれでいいのか?

‥‥そんなワケで、偽造パスポートだの不法滞在だのって聞くと、何だかものすごく悪いことみたいに聞こえるし、ヘタすると、マフィアだのヤクザだの麻薬だの密輸だのと一緒のジャンルみたいなイメージを持つ人もいるだろう。だけど、その実態は、ほとんどの人たちが自国では生活できずに、ワラにもすがる思いで、恵まれたニポンに働きに来てる普通の人たちだ。ニポンで悪質な犯罪を犯してるのはわずか1~2%で、ほとんどの人たちは大人しくマジメに働いてる。

もちろん、それだって、法律には違反してるんだから、立派な犯罪者だ。摘発されたら強制送還されるのは仕方ないし、それが分かった上で、それでも生きるためにやって来るワケだ。派遣労働者に「仕事がなくなったら首を切られて寮から追い出されることは最初から分かってたハズだ」って言うのとおんなじ理屈で、「偽造パスポートで不法滞在してたんだからバレたら強制送還されることは最初から分かってたハズだ」ってことになる。

だけど、自分のモノサシだけで考えるんじゃなくて、相手のモノサシでも考えてみて欲しい。もしも、あなたが、フィリピンの貧しい村に生まれて、どんなにがんばってもロクな仕事にはありつけず、自分の子供にご飯を食べさせてやることもできず、年老いた親を病院に連れて行ってやることもできなかったとする。そんな時に、ニポンていう国に行くとたくさんのお金を稼げる。子供にもご飯を食べさせられるし、親を病院に連れてくこともできるって聞けば、多くの人はその話に乗るだろう。

たしかに、違法は違法だ。だけど、自分たちが生きてくためには、仕方ないことだってある。ニポンへの入国の方法は違法だけど、そこで悪いことをするんじゃなくて、誰よりもマジメに働いて生活費を稼ぐことが、そんなに悪いことなんだろうか? 逆に言えば、あたしたち先進国の人間が、こうした国々に対して、十分な援助やODAなどを充実させてたり、外国人労働者への門戸を広げたりしてれば、こういう不法入国者を減らせるんじゃないのか? マリアちゃんやのり子ちゃんのような「大人の犠牲」になる子供たちを減らせるんじゃないのか?

‥‥そんなワケで、玉虫色の結論になっちゃうかもしれないけど、あたしが言いたかったことは、ヒトコトで言えば、「相手を思いやる心」だ。派遣村に集まった人たちに対して何か意見を言うのなら、どんな意見であっても、それを発する根源が「相手を思いやる心」であって欲しいってことだ。目の前に困ってる人がいて、その人を何とかしてあげたい。そうした思いから出た言葉なら、たとえそれが「甘えるな!」って言葉であっても、昨日のメールのTYさんの言葉のように、温かく感じられるハズだ。逆に、どんなに派遣労働者の立場に立ったような言葉でも、マスゾエちゃんの言葉のように、その裏に「政治利用」の影がチラつけば、「相手を思いやる心」はぜんぜん感じられない。だから、皆さん、あたしからの提言は、派遣村の問題に限らず、強制送還の問題に限らず、どんな問題にも「相手を思いやる心」を持って考えて欲しいってことだ。そうすれば、水と油のように対立する意見であったとしても、それを発する根源がおんなじなんだから、絶対にどこかで融合できるワケで、双方の良い部分を取り入れて、最善の道が拓けると思う今日この頃なのだ。


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2009.01.12

派遣村について

今日は、まず、1通のメールをご紹介する。


お名前:TY
コメント:こんにちは、きっこ様。ほぼ毎日、読ませて頂いています。50代半ばの大阪のオッサンです。きっこさんの取り上げる話題の97%位は共感します。(中略)ただ、政治関連の話になると若干異論も有りますが、人それぞれ主義・主張が異なるのは仕方ないことだし議論も出来ないので省略します。さて、1・8の日記で、安江清治氏や坂本哲志総務政務官の発言を取り上げておられました。きっこさんは、当然、両氏の発言を問題視されておられるのでしょう。しかし、両氏の発言(安江氏のは少し乱暴な部分もありますが)は、本質を突いている点も有り、マスコミや野党が批判だけしているのでは、全体像を見誤る事になると思います。今回、世間的に耳目を集めている派遣村についての私の感想です。私は、派遣会社からの労働を永年やってきました。20代半ばから40歳過ぎまで、殆どが派遣会社からの工場労働で糊口を凌いできました。(中略)派遣会社と契約していて働いていれば、仕事が無くなったら寮から出て行くのは当たり前の話で、契約時に承知しているわけですから、”仕事も住むところも無い”といって、いかにも会社が酷い仕打ちをしているかのような言い方は間違っているし、甘えていると思います。そんな事は、百も承知で働いているんですから、仕事が無くなった時の準備、ある程度の貯えをしておかなければなりません。月々、些少でも貯金しておくのは当然として、仮に1円の貯えも無かったとしても、最後に貰う給料(最低でも数万円はあるでしょう)で、カプセルホテル、安宿に宿泊して、次の仕事が見つかるまで何とか凌ぐのです。実際、私はそうしてきました。年末に仕事が無くなったことも経験しています。この時は、三重県の食品工場の仕事でしたが、12月半ばに仕事が無くなり、名古屋駅前の1泊1500円だかの安ホテルに泊まっていましたっけ。勿論、十数年前と比較すると雇用状況が悪くなっているのは事実でしょう。でも、アルミ缶集めをしてでも生き延びようとすれば出来るのですから、そんなに深刻さを訴えるのはどうかと思います。今回、仕事が無くなった連中を支援している人たちですが、純粋に気の毒だと思って行動している人は立派だと思います。しかし、政治思想団体や組織が煽動して政権批判に利用している、というのも事実だと思います。(後略)


‥‥そんなワケで、TYさんは、とても長いメールをくださったんだけど、マクラの部分に収まるように、とりあえず1000文字以下に省略させていただいた。そして、省略した中からも、あとで部分的に紹介させていただこうと思う。TYさん、どうもありがとうございました♪‥‥ってことで、今回はレイアウトの点から「いかがお過ごしですか?」はナシにしてくけど、TYさんのメールを紹介させていただいたのは、他にも同様のメールを何通かいただいてるからだ。もちろん、坂本哲志総務政務官や安江清治市議の発言を批判するメールのほうが遥かに多く届いてるけど、反論‥‥ていうか、他の意見にこそ目を向けるべきだと思ったから、今回は、中立的な立場で冷静に書いてくださってるTYさんのメールを紹介させていただいた。

で、派遣村に集まった人たちに批判的なメールの意見をマトメると、「仕事がなくなれば切られることは最初から分かっていたハズだ」とか、「仕事がないと言うが、人手不足の職場はたくさんある。結局は仕事を選り好みしているだけ」とかって意見が多かった。なかなかモットモな意見だと思う。それから、TYさんが言ってる「仕事を切られた時のために少しづつでもお金を貯めておくこと」も当然だと思うし、それをしなかったのは本人の責任だと思う。

もちろん、大きな借金を抱えてたり、奥さんや子供がいたりして、収入のほとんどが右から左へ消えてって、とても自分のための貯金なんかできなかった人もいると思う。だけど、こうした理屈を正論とする人たちの感覚で言えば、大きな借金を作ったのだって自分の責任だし、仕事も安定してないのに結婚して子供を作ったのだって自分の責任てことになるんだろう。それを会社のセイや世の中のセイ、政府のセイにするのはトンデモナイことで、甘えてることで、派遣村に集まれば「傷をなめあってんじゃねえよ!」って安江清治市議から怒鳴られちゃうってワケだ。

‥‥そんなワケで、昨日の10日、埼玉県熊谷市の71才の女性の家が全焼した。この女性は、電気料金を払えなくて、5日に電気を止められちゃって、それからロウソクの明かりで生活してたそうだ。で、そのロウソクの火が原因で火事になっちゃったそうなんだけど、この女性は年金を支給されてなくて、離婚した夫からの月5万円~8万円の仕送りだけで生活してたそうだ。そして、猫を7匹飼ってて、お金に困ってて、前日の9日に、市役所に生活保護を受給できないか相談に行った矢先のことだったそうだ。

派遣村に集まった人たちに対して平然と批判的なことが言える人は、この女性に対しても、きっとおんなじように批判的だと思う。「料金を払わなければ電気を止められるのは当たり前だ」とか、「火事を起こしたのは自分の不注意だ」とか、「お金がないクセに猫を7匹も飼うな」とかって言うだろう。そして、これらの意見は、派遣村に集まった人たちへの意見と同様に、なかなかモットモな意見だと思う。スジも通ってるし、誰が見たって正論だから、反論する余地はない。

でも、あえて言うけど、あたしの感覚は違う。たとえ、その人に原因があったとしても、目の前に困ってる人がいれば、気の毒だとは思えるけど、決して厳しい口調で批判することはできない。たとえば、正社員になれる求職がいくつもあったのにも関わらず、自分から好んで自由気ままな派遣社員になった人だったとしても、別に大きな借金を抱えてたワケでもなく、奥さんや子供がいたワケでもなく、イザって時のために貯金をする余裕があったのに、お給料をもらうたびにキャバクラや風俗へ通ってムダ遣いを繰り返してた人だったとしても、それでも、突然、解雇されて、行くあてがなく、食べる物もなくて困ってれば、やっぱり気の毒だと思う。あたしにできることがあれば、何かしてあげたいと思う。

あたしは、目の前に自殺しようとしてる人がいれば、いくらその人自身に原因があったとしても、まずは思いとどまってもらうように説得する。その人が、ギャンブルや女遊びで莫大な借金を作って、それを苦に自殺しようとしてたとしても、あたしは、「自業自得だろ?トットと飛び降りろよ!」とは言えない。タバコの吸い過ぎで肺ガンになって余命宣告された人の病室まで行って、その人に向かって「自業自得だろ?ザマーミロ!」とは言えない。ギャンブルや女遊びで莫大な借金を作ったのも、タバコの吸い過ぎで肺ガンになったのも、どっちも自分自身に原因があるワケで、まさしく「自業自得」だろう。そして、それを指摘することは正論だろう。でも、あたしは、こうした正論を口にすることが、必ずしも正しいことだとは思えないのだ。

たとえ正論でも、あたしは、寒さと空腹で震えてる人に向かって、「お前は甘いんだよ!」なんて言うことはできない。たとえ正論でも、あたしは、家が全焼した女性に向かって、「自業自得だろ?」なんて言うことはできない。そして、こんなことを考えると、あたしは、「正論って何だろう?」って思えて来る。あたしは、正しいことと間違ってることがあれば、正しいことが好きだ。そして、あたしは、スジの通らないことが嫌いだ。そうすると、正論こそがあたしの求めてるもののハズなのに、こうした正論は、いくら頭で理解できても、あたしの心が理解できないのだ。

‥‥そんなワケで、マクラでメールを紹介したTYさんは、いろんな苦労をされて来た人だ。もちろん、自分では「苦労」だなんてヒトコトも書いてなくて、あくまでも自身の経験として淡々と書かれてるだけだけど、実際にいろんな経験をして来た人だからこそ、言ってることに説得力がある。TYさんは、こう言ってる。


「私は大阪の愛隣地区のドヤで1年半位生活していたこともあります。彼の地区においては、冬場でも路上で寝ている姿はしょっちゅう眼にします。そのまま凍死する人も何人かは出る。こういった地区ですが、支援する人々もいます。主にキリスト教関係の団体が、炊き出しをしたりしています。(ただ食事にありつこうとしたら、30分位の”説教”を我慢して拝聴しないとダメですが)同じ支援をするならば、こういう地区の無収入になった人たちや、全国各所に点在しているホームレスの人たちの支援の方が必要だと思います。派遣の仕事が無くなって困っている人々の支援よりも、切実さにおいては、より以上の境遇に置かれているのですから。」


TYさんは、20代半ばから20年近く、派遣会社からの工場労働で生活して来て、その間には、こうして愛隣地区のドヤ街で暮らしたこともある人だ。だから、そんなTYさんが、派遣村に集まった人たちを「甘えてると思います」って言うのは分かるし、また、言ってもいい立場にあると思う。そして、もっと困ってるのに支援されてない人たちが全国にたくさんいるってことへの言及も、まさしく的を射てると思う。

で、派遣村に集まった人たちに対して、おんなじことを言ってるのに、坂本政務官や安江市議の発言には「おいおい!」って思う反面、TYさんの発言はスンナリと受け入れられるのは、やっぱり、目線の高さの問題だと思う。坂本政務官や安江市議は、フロッピー麻生と同様に、所詮は高い場所から見下ろして言ってるだけなのに対して、一方のTYさんは、派遣村に集まった人たちとおんなじ目線の高さで意見を言ってるからだ。さらに言えば、TYさんの場合は、派遣村のような支援が無かった時代に、自分の力で生き抜いて来た。だから、おんなじ「甘えてると思う」って見方をしてても、TYさんの言葉には、どこか温かさを感じるのだ。これは、人の痛みが分かる人だけが持つ温かさなんだと思う。

そして、あたしの場合は、派遣労働者として工場で働いた経験もないし、ましてや、ドヤ街で暮らしたことも、ホームレスになったこともない。多摩川のホームレスのおっちゃんたちとは、タマにお酒を飲んだりすることもあるけど、あたし自身は、そうした暮らしをした経験がない。だから、あたしは、いくら正論だとしても、派遣村に集まった人たちに対して、「自業自得だろ?」って見方をすることができないんだと思う。おんなじ人間として、そこに困ってる人がいれば、やっぱり、何とかしてあげたいって思うほうが先だからだ。

‥‥そんなワケで、個人的な感覚の違いについては、いくら書いても仕方ないので、ここでリトル車線変更して、今回の派遣村の政治的背景について書きたいと思う。TYさんは、「今回、仕事が無くなった連中を支援している人たちですが、純粋に気の毒だと思って行動している人は立派だと思います。しかし、政治思想団体や組織が煽動して政権批判に利用している、というのも事実だと思います。」って言ってるけど、こんなふうにも言ってる。


「民主党の菅氏が派遣村に行って何か励ましとかしたそうですが、こんな行為は明らかにスタンドプレーだし、鳩山由紀夫氏の”政治災害だ”という発言を聞いても、お金持ちの坊ちゃんが下層階級の人間のことなど本当に同情しているわけも無く、単に政治利用しているのは歴然だと思いますがどうでしょう?」


まず、「お金持ちの坊ちゃんが下層階級の人間のことなど本当に同情しているわけも無く」ってのは、鳩山由紀夫本人をウソ発見機にでもかけなきゃ分かんないことだから何とも言えないけど、それを言うなら、フロッピー麻生を筆頭に自民党の議員のほとんどが、下層階級どころか、国民のことなんかぜんぜん考えてないんだから、おんなじことだと思う。そして、自民党が、国民のことよりも官僚や企業のことしか考えてない政策を続けて来たことが、今回の問題の根本原因である「派遣労働者の急増」っていう温床を作ったことは事実なんだから、「政治災害」って言葉は当たってると思う。だから、こうした状況を作った現政権に対して、野党が批判するのは当然のことで、「政権批判に利用している」って言われても、それが野党の仕事なんだから、別に間違ってないと思う。

だって、本来は政府がすべきことなのに、フロッピー麻生が何にもしないから、仕方なく民間が動いたってのが今回の派遣村でしょ? フロッピー麻生は、あれほど「スピードが重要だ」って言いながら、「1次補正予算で十分だ」って言って、2次補正予算案を先送りにしたんだから、もう、この時点で、困ってる人たちは国から見捨てられたってことになる。それで、仕方なく民間が動いたんだから、国民の代表として現政権の政策に異議を唱えてる野党が、派遣村の問題を与党批判の材料にするのは当たり前のことだと思う。

それに、今回の派遣村は、ただ単に「派遣切りにあって困ってる人たちに寝る場所と食べ物を提供しましょう」っていう、その場しのぎのボランティアだったワケじゃない。労働運動の連合体である連合、全労連、全労協の3団体が手を結んで、こうした状況を生み出した政治や企業の体質に対して労働者の人権を主張するために開村したんだから、厚生労働省に対して要望書を提出したりデモを行なったりするのは、現状を改善するための手立てとして当然の流れだろう。

もちろん、500人も集まったんだから、中には、そんなことはどうでも良くて、ただ寝る場所と食べ物さえ手に入ればいいと思ってた人もいたのかもしれない。これは、TYさんのメールにある、キリスト教関係の団体の炊き出しにありつくために、30分の説教をガマンして聞いてる人たちとおんなじだろう。だから、今回の派遣村を「政治利用」って言うのなら、こうしたキリスト教関係の団体の炊き出しは「宗教利用」ってことになっちゃう。「食べ物が欲しければ説教を聞け!」ってことになっちゃうし、さらに穿った見方をすれば、この中から何人かの人が入信してくれればいいと思って炊き出しをしてるってことになっちゃう。

だけど、あたしは、そうは思わない。ナンミョーみたいな悪質なカルト教団が2兆円のバラ撒きをしようとしてるのは、誰の目にも明らかなように「選挙での票集め」っていう「見返り」を狙っての愚策だけど、これこそが、ナンミョーがインチキ宗教だってことの証明なのだ。毎日お題目をあげれば幸せになれるだの、1人でも多く勧誘すれば幸せになれるだの、ナンミョーを始めとしたインチキ宗教の特色って、口じゃ「奉仕」だなんて言いつつも、やってることはすべてが「見返り」を求めてるのだ。普通に考えたら、「見返り」を求めてるものを「奉仕」とは呼ばないことくらい、小学生でも分かるだろう。

そして、マトモな宗教であるキリスト教の場合は、「奉仕」は純粋なる「奉仕」であって、何の見返りも求めていない。お腹を減らした人にしてみれば、ガマンしなくちゃなんない30分の説教はつらいかもしれないけど、これにしたって、食べ物に対する感謝の心を持ってもらうために、良かれと思ってやってることだ。その場に集まった人たち全員に神様の祝福があるようにと、良かれと思ってやってることだ。そして、別にキリスト教なんかに入信しなくても、「感謝する」って気持ちだけでも持つようになってくれれば、その人の残りの人生は、少なからず豊かなものになる。つまり、キリスト教関係の団体が炊き出しを行なってるのは、1人でも多くの人に幸せになって欲しいからであって、これは信者集めのための「宗教利用」なんかじゃないってことだ。

これとおんなじ理屈で、あたしは、派遣村に集まった野党の議員たちも、「政治利用」しようとして集まったとは思わない。たとえば、オムライス党のみずほたんの日記にも、1月4日付で、こんなことが書いてある。


「派遣切りにあって、神奈川で、自殺をはかろうとした人がいて、その人を助けた人が、警察に連れていったそうである。そしたら、派遣村を紹介をされて、派遣村にきたそうである。うーん。でも、死ななくていい、生きられる、ひとりじゃない、手を差し伸べたり、何とかしようとしている人たちがいるということは、心のなんとか支えになってくれないか。」


自由すぎる「みずほ文体」はイマイチ分かりずらいけど、ここには「政治利用」なんて心はミジンもないこと、困ってる人たちを助けたいっていう純粋な心しかないことが分かると思う。これは、キリスト教関係の団体の炊き出しに通じる精神だ。オムライス党からは、保坂展人さんが開村式に駆けつけて、年末年始を通して視察や協力を続けて来たし、みずほたんも年明けから毎日のように顔を出して、多くの人たちの話を聞き、元気づけて来た。これは、決して何かの見返りを求めた行為じゃなく、純粋に困ってる人たちをほっとけなかったからだ。

そして、マスゾエちゃんは、解雇されて寮を追い出された人たちに対して、厚労省が管理する公務員宿舎200戸を貸し出すって、まるで自分の手柄のようにノタマッてたけど、これにしたって、みずほたんからの申し入れを受けて、ようやく重い腰を上げたってだけなのだ。今の政府が、ホントに「国民のほうを向いた政治」をしてたんなら、こんなこと去年のうちにやっとくのが当たり前だろう。そうすれば、民間が派遣村なんかやらなくても済んだのだ。

‥‥そんなワケで、オムライス党は、こうして「今、困ってる人たち」のことを最優先しながらも、こうした状況を生み出した悪しき「コイズミ派遣法」を改善するために、改正法案を取りまとめて、民主党にも合意してもらった。これにしたって、「政治利用」って言われればそうなっちゃうけど、たとえ「政治利用」だと言われても、自民党や民主党のように企業からガバガバと献金を受け取ってる政党と違って、オムライス党のワンダホーなとこは「1円たりとも企業献金は受け取らない」っていう徹底したクリーンな姿勢だ。だからこそ、特定の企業にだけ有利な政策をする義務もなく、ホントに困ってる人たちのための政策を推し進めて行けるってワケだ。だから、あたしは、これからも、クリーンで見返りを求めないオムライス党を支持してくつもりの今日この頃なのだ。


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2009.01.11

リリーになれない女

ご通行中の皆さま、新年明けましておめでとうございます。さて、ここに陳列されましたるは、幸せを呼ぶ鶴亀でございます。鶴は千年、亀は万年、あなた百までわしゃ九十九まで、共にシラミのたかるまで、三千世界の松の木が枯れても、おまえさんと添わなきゃ娑婆に出て来た甲斐がない。七つ長野の善光寺、八つ谷中の奥寺で、竹の柱に萱の屋根、手鍋下げてもわしゃいとやせぬ。信州信濃の新蕎麦よりも、あたしゃあなたのそばがいい。 あなた百までわしゃ九十九まで、共に白髪の生えるまでというのがホント、 もしもこれで買い手がなかったら貧乏人と思って諦めます。右に行って井筒橋、左に行って三ケ日、右と左の泣き別れだ‥‥ってなワケで、ひと昔前は、お正月って言えば、初詣のあとに映画館へ寄って「男はつらいよ」を観るのがニポンの風物詩だった。映画が始まり、最初のちょっとしたミニドラマがあり、その流れから寅さんのテーマ曲が流れてタイトルが出ると、「ああ~お正月だなぁ~」って気持ちに浸れる。だから、今でも、寅さんの曲を聴くと、なんとなくお正月をイメージしちゃう人も多いと思う。

だけど、渥美清さんが亡くなって12年、もう続編が作られることはないから、寅さんにお正月のイメージを重ねてた人たちは、過去の作品の中から、自分の好きな「男はつらいよ」をDVDとかインターネットとかで観て、お正月気分を味わうしかない。昭和44年(1969年)から平成7年(1995年)までに48作が作られた「男はつらいよ」のシリーズは、1作1作に深い思いが込められてて、どの作品も素晴らしいから、人によって、好みも様々だろう。

そして、あたしの場合は、2005年10月21日の日記、「理想はリリー」にも書いてるように、何と言っても浅丘ルリ子さん演じるリリーが大好きで、リリーと付かず離れずの寅さんがサイコーに好きだから、「男はつらいよ」をゆっくりとタンノーすることになれば、やっぱり、「リリー三部作」って呼ばれてる11作目の「寅次郎忘れな草」(1973年)、15作目の「寅次郎相合い傘」(1975年)、25作目の「寅次郎ハイビスカスの花」(1980年)を観て、それから最後の48作目の「寅次郎紅の花」(1995年)を観て、ついでに寅さん亡きあとに作られた49作目の「寅次郎ハイビスカスの花 特別篇」(1997年)を観たいと思う今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、あたしは「寅さんと言えばお正月」って書いたけど、かつての寅さんは、毎年2回、お正月と夏休みに新作が公開されてた。そして、40作目くらいからが、毎年1回、お正月だけ公開されるようになった。だから、人によっては、「寅さんと言えば夏休み」って人もいるかもしれない。で、あたしの好きな「リリー三部作」も、すべて夏休みに公開された作品だ。だから、映し出されるシーンも冬の景じゃない。「寅次郎ハイビスカスの花」に至っては、舞台が沖縄ってこともあって、映画の中にお正月のイメージはまったくない。だけど、映画館でリアルタイムに観てないあたしとしては、借りて来たビデオをお正月に母さんと観た記憶しかないから、たとえ夏に公開された作品でも、やっぱり、お正月のイメージがしちゃうのだ。

とにかく、あたしは、作品の順番をバラバラに観て来たから、1作1作の内容は知ってても、時系列での流れが分かってなかった。生まれて初めてキチンと順番通りに観たのは、2001年10月からスタートしたテレビ東京の「男はつらいよ」の全48作を放送するって企画の時だ。この企画は、最初は1ヶ月に何本も放送してくれたんだけど、そのうち、2ヶ月間もぜんぜん放送しない時もあったりで、結局、全作放送するのに足掛け3年半も掛かっちゃった。でも、ちゃんと順番に観ることができて、今まで分からなかったことがいろいろと理解できた。サスガ、庶民の味方のテレビ東京だ。

で、あたしは、あまりにも記憶がゴチャゴチャしてて、生まれて初めて観た寅さんが何作目だったのかは、ぜんぜん覚えてない。ただ、映画館で新作を公開する前に、そのちょっと前の作品をテレビで放映するっていうオナジミのパターンがあるけど、それで観たんだと思う。母さんも寅さんが好きだったから‥‥って言うか、母さんが寅さんを好きで、その影響であたしも好きになった。それで、テレビで放映する時は、いつも一緒に観てた。それから、あたしがまだ観てない作品をビデオで借りて来て、母さんと一緒に観たりするようにもなった。

そんな流れの中で、あたしが社会人になって1~2年目くらいの時だったと思うけど、お正月を母さんと2人で過ごすために、母さんに「寅さんのビデオを借りてくるけど何かリクエストある?」って聞いたら、母さんは、「リリーが出て来るのが観たいな」って言ったのだ。それで、あたしは、「リリー三部作」を借りてって、お正月の三が日を母さんと過ごした。それまではバラバラに観てた寅さんだったけど、この時、初めて、リリーの出て来る作品だけを時系列でちゃんと観て、あまりにも深い寅さんの世界に、あたしは完全にやられちゃった。「リリー三部作」を観たあたしは、母さんと一緒に何度も泣いて、たまんないほど胸がジーンとして、リリーのことが大好きになって、寅さんのこともいっそう好きになった。

初めて寅さんとリリーが出会うのは、11作目の「寅次郎忘れな草」で、北海道は網走へ向かう夜汽車の中だ。でも、この時は、寅さんが、ちょっと離れた座席で、窓の外を眺めながら泣いてるリリーのことを気にしてチラッと見てるだけで、ちゃんとした出会いじゃない。2人がちゃんと出会うのは、網走の町に着いてからだ。寅さんは、網走神社の前でレコードを売ってるんだけど、1枚500円のレコードを「2枚で100円!」て言ってもぜんぜん売れない。そりゃそうだよね。音楽ってもんは、欲しいものなら高くても買うけど、欲しくないものは安くても買わないのが普通だ。いくら「2枚で100円」にしても、バナナの叩き売りじゃないんだから、欲しくないレコードを買う人なんかいない。だけど、寅さんにはそんなことは分からない。

そして、レコードが売れなかった寅さんが橋にもたれてションボリしてると、通りかかったリリーが「さっぱり売れないじゃないか」って声をかけて来る。これが、これからずっと続いてく、2人の運命の出会いのシーンだ。で、寅さんは、「不景気だからな、お互い様じゃねえか?」なんて言いつつ、「何の商売してんだい?」って聞くと、リリーは「私?歌うたってんの」って答える。リリーは、売れない三流歌手で、地方のキャバレーとかをドサ回りしてる。網走にも、ドサ回りでやって来てたのだ。そして2人は、河口の船の見える場所に腰を下ろす。


寅さん 「どうしたい、ゆんべは泣いてたじゃないか?」

リリー 「あらいやだ、見てたの?」

寅さん 「うん、何かつらいことでもあるのかい?」

リリー 「ううん別に‥‥ただ、何となく泣いちゃったの‥‥」

寅さん 「何となく?」


包みからタバコを出すリリー。


リリー 「うん、兄さん、なんかそんなことないかな?夜汽車に乗ってさ、外見てるだろ、そうすっと、何もない真っ暗な畑なんかにひとつポツンと灯りがついてて、ああ、こういうとこにも人が住んでるんだろうなって、そう思ったら、何だか急に悲しくなっちゃって、涙が出そうになる時ってないかい?」

寅さん 「うん」


マッチを擦る寅さん。


寅さん 「こんなちっちゃな灯りが、こう、遠くの方へス~ッと遠ざかって行ってなあ‥‥あの灯りの下は茶の間かな、もう遅いから子供たちは寝ちまって、父ちゃんと母ちゃんが2人で、しけったセンベイでも食いながら、紡績工場に働きに行った娘のことを話してるんだ、心配して‥‥暗い外見てそんなこと考えてると、汽笛がボ~ッと聞こえてよ、何だかふっと涙が出ちまうなんて、そんなこともあるなあ‥‥分かるよ‥‥」


‥‥これが、もう20回以上は観てると思うあたしの大好きなシーンだ。そして、サイコーにステキなのが、このあとのお別れのシーンだ。ものすごい美女のリリーと仲良くなったのに、変に粘着質にならずに、サッパリと別れるとこが死ぬほどカッコイイ。


寅さん 「行くのかい?」

リリー 「うん、じゃあまた、どっかで会おう」

寅さん 「ああ、日本のどっかでな!」

リリー 「うん、じゃあね」

寅さん 「うん!」

リリー 「兄さん、兄さん何て名前?」

寅さん 「え?俺か?俺は葛飾柴又の車寅次郎って言うんだよ」

リリー 「車寅次郎、じゃあ寅さん?」

寅さん 「うん」

リリー 「ふふふ、いい名前だね」


‥‥そんなワケで、今どきの男性なら、仲良くなる前から、メアドだのケータイ番号だのをしつこく聞いて来るようなヤカラがほとんどなのに、どうだろう、この寅さんのカッコ良さ。連絡先も聞かずに「また会おう」って言って、それに対して「ああ、日本のどっかでな!」だなんて、もう、サイコーにシビレちゃう。そして、このあと、リリーはある男性と結婚しちゃうんだけど、2年後の15作目、「寅次郎相合い傘」は、リリーが離婚してバツイチになった上で、寅さんと再会を果たすっていう大感動モノだ。それも、函館の港のラーメン屋台で、バッタリと再会しちゃうんだから、もう、たまんない。そして、リリーの美しさも、もう、たまんない。

言っちゃ悪いけど、12作目から14作目までの3作は、この15作目でのリリーとの再会を感動的にするための布石なんじゃないかって思わせるほどで、この再会のあと、楽しいことや大ゲンカやいろんなことがあって、ラストでは、いつもの切なさで胸がいっぱいになる。そして、それからの寅さんは、リリーに想いを寄せつつも、名だたる女優に次々と恋をして、次々と振られて行き、ようやく25作目の「寅次郎ハイビスカスの花」で、久しぶりの再会を果たす。

ま、あまりにも有名な国民的なシリーズだし、1作1作あたしが解説する必要もないと思うけど、この3作を通して観ると、寅さんとリリーとの言葉なんかじゃ表現できない想いが満載で、どれほど泣いても泣き足りないくらいに涙が出る。そして、この「三部作」で終わりなのかと思ったのもトコノマ、最後の48作目の「寅次郎紅の花」では、考えられるすべてのパターンの中で、サイコーのエンディングを迎えるのだ。分かっちゃいるけど、あたしは、何度観てもこのエンディングで大号泣しちゃう。

この「寅次郎紅の花」の撮影をした時って、渥美清さんは、肝臓ガンが肺にまで転移してて、お医者さまからは「撮影はムリ」って言われてたそうだ。それでも、ムリを押して撮影に挑んだんだけど、あまりにも具合の悪そうな様子を見た浅丘ルリ子さんが、山田洋次監督に、「もしかしたらこれが最後の作品になるかもしれないから、寅さんの夢を叶えてリリーと結婚させてあげて欲しい」ってお願いしたそうだ。だけど、山田監督は、どうしても節目の50作までは作りたかったために、リリーと結婚はさせなかった。そして、翌年、渥美清さんは亡くなり、この作品が遺作になった。

だから、寅さんとリリーの夢は叶わなかったけど、この作品には、過去の三部作を振り返るシーンがある。リリーと寅さんが暮らす奄美大島を訪ねた満男(さくらの息子、吉岡秀隆)が、2人の前で寅さんの今までの失恋歴を話すシーンだ。それで、満男は、あんな女性もいた、こんな女性もいたと、今までのマドンナの名前を挙げてくんだけど、何人かの名前を挙げたあとに、ハッと思い出して、こう言う。


満男 「あ!そうだ!」

寅さん 「え?」

満男 「ほら、北海道で知り合ったっていう売れない歌手だよ。おじさんとはぜんぜん似合わない華やかな人」

寅さん 「それがリリーだよ。バカだなお前!」

満男 「あ、そっか」

リリー 「あたしも、一応、数の内?」

満男 「すいません‥‥」

寅さん 「どうだい!リリーが一番いい女だろ?」


‥‥ああ、こんなセリフ、一生に一度でも言われてみたい。そして、3人の会話は、こんなふうに続いてく。


満男 「最初に会ったのはどこなんですか?」

寅さん 「北海道は網走よ。覚えているか?リリー」

リリー 「覚えてるよ。橋の上であんたはレコードなんか売ってたんだ」

寅さん 「そこへお前がやって来てさ、『兄さん、売れるの?』、なんて聞いたんだっけ」

リリー 「2回目に会ったのはどこだった?」

寅さん 「忘れたのかよ?リリー。おなじ北海道は函館だよ。夜更けに港の近くの屋台で、俺はラーメン食ってたんだ。遠くで青函連絡船の汽笛がボ~ッと鳴ってなあ、そこへひょっこり、リリー、お前が顔を出したんだよ」

リリー 「そうだったね。あんたの懐かしい声が聞こえて、まさかと思ってひょいと見たら」

寅さん 「俺のこの顔が」

リリー 「あはは、そう、懐かしいこの顔がニコニコ笑ってたの!嬉しかったな、あん時」

寅さん 「そうだ、もういっぺん、どっかで会ってるな?」

リリー 「沖縄よ。あんた、何度も何度も病院に見舞いに来てくれたじゃない」

寅さん 「そうか。あん時は暑かったなあ」

リリー 「ふふふ‥‥」

満男 「へえ~いろんなとこで巡り合ってるんだな、おじさんとリリーさんは」

寅さん 「俺とこの女は、生まれる前から運命の不思議な赤い糸に結ばれているんだよ、な、リリー?」


‥‥寅さんとリリーは、最後の作品、「寅次郎紅の花」でも、結婚こそできなかったけど、十分すぎるくらいに幸せな生活を送ってた。だけど、いくら愛するリリーと一緒だって言っても、糸の切れた風船みたいな生き方をして来た寅さんが、暖かい南の島で2人で幸せに暮らしてくなんてホントにできるのだろうか? そして、そんな暮らしが、ホントに寅さんの理想だったんだろうか?‥‥なんて思いつつ映画のエンディングが近づいて来ると、新年を迎えた柴又の「とらや」に、リリーからの手紙が届く。


あけましておめでとうございます。
みなさんどんなお正月をお過ごしですか。

さて寅さんのことですが、一週間前、例によってお酒の上でちょっとした口げんかをした翌朝、置手紙をしていなくなってしまいました。
あの厄介なひとがいなくなって、ほっとしたりもしましたが、こうして独りで手紙を書いていると、ちょっぴり淋しくもあります。

でもいつか、またひょっこり帰ってきてくれるかもしれません。
もっとも、その日まで私がこの島に暮らし続けちゃってるか分かりませんけどね。
もしかして、この次寅さんに会うのは、北海道の流氷が浮かぶ港町かもしれません。
寅さんにお会いになったら、どうかよろしくお伝えくださいね。

奄美の浜辺にて  リリー


‥‥そんなワケで、この手紙は、リリーの声で読み上げられるんだけど、ここで注目すべきは、ただヒトコト、「またひょっこり帰ってきてくれるかもしれません」て部分だろう。「顔を見せにきてくれるかも」とか「遊びにきてくれるかも」とかじゃなくて、リリーは「帰ってきてくれるかも」って書いてるのだ。そう、今までずっと港を持たなかった寅さんに、初めて「リリー」って言う港ができたのだ。こんなにステキなことはない。だけど、そのリリーのほうも、「もっとも、その日まで私がこの島に暮らし続けちゃってるか分かりませんけどね」って書いてるように、寅さんとおんなじに糸の切れた風船みたいな生き方をして来た女なのだ。だから、この手紙に書かれてるように、ホントに2人が次に再会できるのは、奄美大島とは正反対の流氷が浮かぶ港町なのかもしれないのだ。ああ、なんて切なくも心温まる恋なんだろう? あたしは、これほど純粋な恋愛を他に知らない。2004年3月11日の日記、「愛しの寅さん」にも書いたけど、いつ帰って来るか分からない人を待ち続ける女なんて、ハタから見たら不幸そのものなのに、そんなものに憧れてるあたしは、きっと、その奥にある純粋さに憧れてるのかもしれない‥‥なんて思う今日この頃なのだ。


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2009.01.10

初めてのモニター生活

まだ「ブログ」なんて言葉ができる前からWEB日記を書いて来たあたしは、今年で10年目に突入したワケだけど、今みたいな長文日記のスタイルになってからも6~7年は経ったし、何よりも「1日も休まずに書き続ける」ってことを破裏拳ポリマー‥‥じゃなくて、ポリマーシーク加工‥‥じゃなくて、ポリシーにしてるから、数えたことはないけど、年間に書いてる文字の数は世界一だと思う。1日に最低でも5000文字、多い日は1万文字も書いてるんだから、少なくとも1年間に200万文字以上は書いてるワケで、ちゃんと数えて申請すれば、きっとギネスに載っちゃうと思う。

で、こんなに長いことWEB日記を書き続けてるあたしなのに、ブログでの未経験なことや知らないことが多すぎる。たとえば、ブログについてる「トラックバック」って、未だに何のためのものなのか、まったく理解できないでいる。だって、最初のころ、よく分かんないからそのままにしてたら、わずか半日で、数えきれないほどのエロサイトの宣伝みたいなのがズラーッと並んじゃったからだ。そして、削除しても削除しても新しいエロサイトの宣伝が来るから、当然の流れとして「トラックバックを受けつけない」って設定に変更した。こんなハタ迷惑なシステムに、いったい何の利点があるのか、あたしにはまったく理解できない。

だから、これからも、この「トラックバック」だけは「受けつける」にするつもりはないけど、あたしが未経験でやってみたかったことの1つに、「ブロガーの商品モニター」ってのがあった。自分の興味ある商品を実際に使ってみて、それについてブログに書く‥‥っていうアレだ。たいていの場合は、その商品自体がもらえるみたいで、それがオダチンてことになる。それで、去年の12月に、ある商品のモニターに応募してみたら、わずか30人のワクだったのに、ナナナナナント! あたしが当選しちゃった今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?



‥‥そんなワケで、あたしが当選したのは、「毬月(まりつき)美肌そーぷ」っていう、1個2850円もするセレブな石鹸だ。去年の暮れに手元に届いたんだけど、泡立て用のネットがサービスでついてて、この石鹸を使ってみた感想をブログに2回書くってのが、あたしに与えられたノルマなのだ。それで、こうしたモニターって、あたしは、悪いことは書いちゃいけないのかと思ってたんだけど、依頼書には、「なお、記事掲載にあたり、きっこ様の率直な感想をもとめております。ご使用してみて、納得のいかない点やご不満等ございましたら、そういう意見も遠慮なく、どんどん記事にしていただきたいと思います。」って書いてあったので、毒舌が売り物の「きっこの日記」としては、ヘアメークのプロとしての厳しい目で、率直な感想を書いてこうと思う。

で、届いた商品を見てみたら、正方形の黒い箱に「毬と月」の絵が描いてあって、見方によっちゃ「和風でステキ♪」って感じもする反面、大きさと色とデザインから、ナニゲに「大人のオモチャ」みたいな淫靡な雰囲気も醸し出してた。あたしの個人的な感覚だと、「石鹸のパッケージに黒ってどうよ?」って部分もあったけど、まずは石鹸を見てみようと思って、箱の上を開けて、逆さにして‥‥って、あれ? 石鹸が出て来ないぞ? 何度か振ってみたんだけど、何かに引っかかってるみたいで、どうしても石鹸が出て来ない。だけど、中を覗いてみると、普通に石鹸が入ってるだけで、何かで留めてあるようには見えない。

それで、あたしは、「もしかしたら下のほうから開けるのかな?」って思って、箱の反対側を開けようとしたんだけど、こっちは、箱のフタの部分自体が何かに引っかかってるみたいで、開けることができない。それで、あれこれといろいろやってるうちに、ようやく何とか開けることができたんだけど、すべての謎は、迷探偵キッコナンの登場を待つまでもなく、この瞬間にハラリと解けた。ようするに、丸い石鹸がラップされてて、石鹸の裏の部分でラップを丸いシールで留めてたんだけど、そのシールのハシッコが浮き上がってて、それが箱の内側でフタの爪の部分に貼りついてたのだ。ま、言葉で説明しても分かりにくいと思うから、一応、写真も撮っといたんだけど、とにかく、「箱から出すのに苦労した」っていう予想外の出来事によって、あたしの「初めてのモニター生活」は、一沫の不安と一縷の望みとが入り混じった玉虫色のスタートを切ったってワケだ。



‥‥そんなワケで、石鹸を使ってみるだけのモニターなのに、箱を開けるまでに、すでに2000文字も使ってるとこが、サスガ、長文を売り物にしてる「きっこの日記」ってワケで、こんなとこにも「たかがモニター、されどモニター」って姿勢が垣間見える‥‥なんて自画自賛しつつも、そろそろ本題に入るとして、まずはこの「1個2850円」ていうお値段だけど、100円ショップで3個100円の石鹸を買ってる男の人には理解できないだろうけど、女性のお肌は敏感なので、特に洗顔石鹸に関しては、ホントに自分の納得できる商品に出会えれば、これくらいは出せる金額だ。

ちなみに、あたしが愛用してるのは、神戸トランスパランの「メーク落とし洗顔せっけん」で、1個1500円だ。それから、高級洗顔石鹸の代名詞的なアルソアの「クイーンシルバー」は、1個4000円もする。だけど、これらは、それぞれ大きさが違う。今回の「毬月美肌そーぷ」は1個60gだけど、あたしの愛用してる「メーク落とし洗顔せっけん」は1個が100gで、「クイーンシルバー」は1個135gだ。だから、この2つを「毬月美肌そーぷ」とおんなじ60gに換算すると、「メーク落とし洗顔せっけん」は900円、「クイーンシルバー」は1800円弱ってことになる。つまり、この「毬月美肌そーぷ」のお値段は、他の高級洗顔石鹸と比べても、ずいぶん高い部類に入るってことになる。

でも、洗顔石鹸は、あたしの場合なら、朝のメーク前と夜のメーク落とし後の2回使って、1個がだいたい3ヶ月くらい持つ。これは、100gの「メーク落とし洗顔せっけん」の場合だから、60gの「毬月美肌そーぷ」なら、たぶん1ヶ月半くらいだろう。1ヶ月半で2850円なら、1日あたり60円程度ってことで、美肌のためなら決して高いとは言えない。あたしは、お肌の相談を受けるたびに言ってるんだけど、みんな、化粧水や美容液にはお金をかけるのに、カンジンの洗顔石鹸にはお金をかけてないんだよね。どんなに高級な美容液を使っても、毛穴にメークが残ってたら意味がないワケで、お肌にとって何よりも重要なのが洗顔なんだから、美肌への第一歩は、自分の肌質に合った洗顔石鹸を見つけることなのだ!なのだったらなのなのだ!

‥‥そんなワケで、いよいよモニターを開始しちゃうけど、まず、商品を開けた時点でのあたしからのダメ出しは、「あれ?ケースは?」ってことだ。この「毬月美肌そーぷ」は、紙の箱に石鹸本体が入ってるだけで、石鹸を入れるケースがついてなかった。1個4000円もするアルソアの「クイーンシルバー」が、発売から30年以上ものロングセラーを続けてるのは、リピーターによって支えられてるからだ。そして、そうした多くのリピーターを獲得したのは、製品の内容の信頼性は当然として、この石鹸に「ケース」がついてるからだ。

アルソアの「クイーンシルバー」は、ケース付きの石鹸が4000円で、リフィルとしての石鹸のみが3900円だ。つまり、最初に4000円のケース付きのを買って、それを使い切ったら、次からは中身の石鹸だけを買うことができるようになってる。これが、リピーターを増やすためのポイントでもあるし、さらには、最初に手にした時に高級感を感じさせるポイントにもなってる。大量に発注すれば、1個あたりわずか数十円で作れるケースを付けるだけで、リピーターも増やせるし高級感も増すんだから、あたしは、1個2850円もする「毬月美肌そーぷ」には、当然、オシャレで可愛いケースが付いてるもんだと思ってた。

ファンデにしろチークにしろ、初めて使ってみたコスメが気に入れば、次はリフィルを買うだろう。そして、なくなるまで2~3ヶ月も使って愛着がわき始めたケースに、新しく買ったリフィルをパチンと入れて、また愛用してくことによって、より愛着が深まってく。これが、リピーターの心理だ。そして、夜と朝の間にハッと気づくのが、ピーターの心理ってワケだ‥‥ってことで、「毬月」のホームページには、こんなことが書いてあった。


「美に関する情報も豊富、アンテナも鋭い女性達が集まって、商品の企画に入りました。この素晴らしい成分に出会えてから、私達の本当の商品開発が始まったのです。その数68名…関係者も全て含めると約100名の声が反映されています。」


う~ん、美に関する情報も豊富、アンテナも鋭い女性が100人も集まったんなら、誰か1人くらい、「ケースを付けたらどうでしょうか?」って言わなかったのかな?‥‥なんてツッコミを入れてみつつ、実際に使ってみる前にこれだけ書いてるのも、あたしが、それだけこの石鹸に期待してるからだ。なんたって、この「毬月美肌そーぷ」は、「ミネラルパウダー」「真珠エキス」「セラミド」「混合アミノ酸」「スクワランオイル」「かわらよもぎエキス」「ヒアルロン酸ナトリウム」「ハチミツ」「深層水塩」っていう9種類の天然由来成分をベストバランスで配合してるのが「売り」だそうで、よく分かんないけど、こんなり盛りだくさんだと、キャビアとフォアグラとトリュフの3色丼の大盛りを朝から食べちゃうみたいな感じだからだ。



‥‥そんなワケで、「毬月美肌そーぷ」そのものの感想は、今日から10日間くらい使ってみてから書く予定なので、皆さんは、「はじめてのおつかい」の子供たちを見守るような温かい目で、あたしの「初めてのモニター生活」を見守ってて欲しい‥‥って言っても、お家まで来られちゃ困るから、あくまでも、脳内で想像して見守ってて欲しい。ただ、どうせ脳内で想像するだけだからって、あたしに変なコスチュームを着せたり、変なポーズをとらせたりってのはやめて欲しい。とにかく、あたしは、今日からこの「毬月美肌そーぷ」を使って、丹下段平のおっちゃんから届いたメールを参考にして、左ひじを左脇から離さない心構えで、やや内角を狙い、えぐり込むようにして、洗うべし!洗うべし!洗うべし!‥‥って感じでモニターしてみるので、皆さんは、手に汗を握り、固唾を飲んで見守って欲しいと思う今日この頃なのだ! んがんぐ!(笑)


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2009.01.09

サンタ民営化

先日ご紹介した「手遅れ」が大評判だった風刺漫画家、壱花花さんの新作、「サンタ民営化」をご紹介します。

こちらも3分間の作品ですが、今度は紙芝居風に作られていて、なかなかの力作です。

どうぞ、お楽しみください♪


「サンタ民営化」

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小さなリセットと大きなリセット

去年、何度かアシスタントを頼んだ子が、簡単な打ち合わせであたしのマンションに来た時、リビングに飾ってある神崎すみれちゃんのフィギュアを見て、「何ですか?これ」って聞くから、あたしはどんなにすみれちゃんのことを好きか、30分くらい熱弁した。すみれちゃんがどれほど素晴らしい女性なのかってことから、もしもあたしに女の子ができたら「すみれ」って名前にする予定だってこととか、でも今んとこそんな予定などないってことまで話し続けた。でも、その子は、あたしの話す内容よりも、そのフィギュアの美しさに見とれてて、「ホントによくできてますね~」って感心してた。

何たって、あたしの「すみれコレクション」の中で、唯一の自慢できるフィギュアだからだ。他のは、どれも、200円のガチャポンとか、300円の食玩とかのヤツだけど、この1体だけは、2004年にマックスファクトリーから発売された公式認定フィギュアで、原型師は国内最高水準の技術とセンスを持つ富田暁人氏によるものだ。特に、はだけたお着物から覗くオッパイのラインがサイコーで、もう、たまんない。で、このフィギュアは、ユーズド品でも5000円以上はしちゃうんだけど、あたしはすごく運が良くて、新品の出物を2000円で手に入れることができたのだ。

そんなこんなもあって、そのアシスタントの子とは、今年もお仕事をすることになって、昨日、ザックリしたスケジュールを切るために家に来てもらった。そしたら、「きっこさん、こんなの見つけました~」って言って、「すみれ」っていうドンブリ型のカップラーメンをお土産に持って来てくれたのだ。もちろん、これだけのことなら、わざわざ日記のマクラに書くほどのことでもないんだけど、何よりもミラクルだったのは、今日、1月8日って、すみれちゃんのお誕生日なのだ。つまり、お誕生日の前日に、「すみれ」っていうラーメンをもらったことになる今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、今日は、あたしの愛する神崎すみれちゃんのお誕生日ってワケで、1907年1月8日生まれのすみれちゃんは、今日で102才になったってワケだ。だから、それを記念して、いただいたラーメンの「すみれ」を食べようと思ったんだけど、このラーメン、「札幌濃厚味噌」って書いてあって、フタの写真には挽肉みたいなのも乗ってる。まあ、挽肉に関しては、付属のカヤクを入れなきゃいいだけなんだけど、そうしたとこで、スープ自体にもトンコツだのトリガラだのが使われてるハズだ。だから、あたしが食べられるのは麺だけだってことで、麺だけをお湯でもどして、それをおそばのお汁にでもつけて「つけ麺」みたいに食べるしかない。

S315
つーか、もっと細かいことを言うと、これって中華麺だから、麺の中にもタマゴが入ってるハズで、そうすると、あたしは麺も食べられない。だから、とりあえずは、すみれちゃんのフィギュアの横に飾っといて、誰かが遊びに来た時に食べてもらおうと思う。あ゛~~~!ベジタリアンて2009年もメンドクサイ!‥‥ってワケで、ベジタリアンになってみて初めて分かったことは、世の中の食べ物って、いたるところに動物の命が使われてるってことだ。特に、インスタントやレトルトの食品て、具材としてはお肉が使われてなくても、スープやソースの中に使われてることが多くて、そういう「目に見えない部分」に使われてるお肉って、もちろん、安全な国産牛のワケはなく、アメリカ産の狂牛肉だったり、これからは危険極まりないクローン牛になったりするワケだ。

ま、そんなことは置いといて、この「すみれ」ってラーメンだけど、フタの写真を見ると、スープの表面に脂がギラギラしてるし、「札幌濃厚味噌」って書いてあるし、どう考えても胸やけしそうなシツコイ味っぽいんだけど、何で「すみれ」なんて名前にしたんだろう? だって、「すみれ」って言えば、お花の中でも、清楚で可憐で控え目なお花なんだから、このラーメンのイメージとぜんぜん合ってない。魚介類でとったサッパリしたダシで、透明感のある塩味のスープで、麺も細くてお上品なら「すみれ」って感じもするけど、脂ギッシュで濃厚な味噌ラーメンを「すみれ」だなんて、あまりにもネーミングがズレまくってる。

‥‥そんなワケで、食べられないラーメンのことはともかくとして、今日は愛するすみれちゃんのお誕生日だし、オトトイの1月6日は愛するMAXの玲奈ちゃんのお誕生日だったワケで、あたしは、毎年、この時期を迎えるたびに、「1月上旬がお誕生日の人って、どんな気分で1年を過ごすんだろう?」ってことが気になってる。あたしの場合、お誕生日が11月の下旬だから、その時の年齢のまま1年を過ごして来て、その年の終わりころになって、ようやく1つ年を取る。だから、新年早々にお誕生日を迎えて、新しい年齢でその1年を過ごす人って、どんな気持ちなのかな?‥‥って思うのだ。

普通、新年を迎えただけでも気持ちが改まるんだから、その上、自分の年齢までもが新しくなれば、リフレッシュ感は倍増ってワケで、あたしの想像だと、セスジがピンとするどころか、スーツの背中に製図用のモノサシをタテに差し込まれちゃったほどシャキッとして、ものすごく改まった気持ちになるんじゃないかと思う。それに比べて、あたしの場合は、11月の下旬に新しい年齢になったトタンに、あと1ヶ月でその1年が終わっちゃう。それも、一番忙しい師走を迎えるワケだから、年末のお仕事だのクリスマスだのお正月の準備だのでバタバタしてるうちに、自分が1つ年を取ったことなんて忘れちゃう。

で、新年を迎えるワケだ。だから、新年を迎えたことによっての改まった気持ちにはなれても、自分が新しい年齢になった新鮮さは、もうどこかに行っちゃってる。だから、「1年に1回、自分の気持ちをシャキッとリフレッシュする」ってことで言えば、あたしみたいに年末にお誕生日がある人よりも、玲奈ちゃんやすみれちゃんみたいに年明けにお誕生日がある人のほうが、遥かに「シャキッと感」が実感できると思う。

だけど、これにもサジ加減てもんがあるワケで、いくら新年早々のお誕生日がいいって言っても、1月1日がお誕生日だなんてのはシャレにならない。ニポン中から「おめでとう!」なんて言われちゃって恥ずかしいし、せっかくの自分のお誕生日なのに、家族もきっとお正月のほうにウエイトを置くだろうから、めでたさが半減しちゃう。それに、お年玉とお誕生日プレゼントを一緒にもらうと、なんか1回しか嬉しくなくて、損した気分になっちゃうだろう。さらには、お友達を呼んでお誕生パーティーをしようとしても、元旦なんて誰も来てくれそうにないから、いいことなんて1つもない。

だからって、1月2日とか3日とかもイヤだし、4日でも落ち着かない。やっぱり、最低でも5日以降が望ましい。かと言って10日を過ぎちゃうと「新年早々」の新鮮さが消えちゃうから、5日から9日までの日付が1ケタの間が理想的だと思う。そう考えると、1月6日の玲奈ちゃんや、1月8日のすみれちゃんは、まさに理想的なお誕生日だってことが言える。新年を迎えて、気持ちも新たに「明けましておめでとうございます」って挨拶をして、三が日を過ごす。そして、お正月気分が一段落しつつも、まだ新たな年を迎えた新鮮さがマンマンな5日から9日までの間にお誕生日を迎えて、1つ年を取る。

そうすると、世の中の暦だけじゃなくて、自分自身も新しい年齢を迎えたことによって、リフレッシュの相乗効果が巻き起こり、まるで体内のすべての内臓を新品に交換したほどの爽快感を得られると同時に、たった1枚しかない半紙に墨で清書する時みたいな緊張感を得られる。これこそが、ホントの意味での1年のスタートってワケだ。

‥‥そんなワケで、会社でのことでも、夫婦生活でも、来る日も来る日もガマンばかりしてると、1つ1つの不満は小さなことでも、いつかは大爆発しちゃう。上司の顔面にロケットパンチを炸裂させて会社を辞めちゃったり、ちゃぶ台をひっくり返して離婚の書類を叩きつけたりと、一気に最終段階に突入しちゃう。だけど、普段から小さなストレス発散をしてて、不満を溜め込まずにうまいこと処理してる人は、こうした流れにはならない。

たとえば、会社でムカつくことがあったとする。自分に原因があって上司から怒られたのならジンジャエールだけど、上司のミスをなすりつけられて怒られたとなれば、ムカつかないワケがない。だけど、立ち場上の問題で、反論することすら許されず、ひたすら怒鳴られた。で、帰りに同期の仲間と居酒屋さんに寄って、その上司の悪口をツマミにお酒を飲んでサッパリ‥‥とか、カラオケ屋さんに寄って、その上司をバカにした替え唄を歌いまくってサッパリ‥‥とか、バッティングセンターに寄って、次々と来るボールをその上司の顔だと思って打ちまくってサッパリ‥‥とか、こうした方法でストレスを発散して、翌日に持ち越さない。そうしてる人は、溜まりに溜まった不満が爆発して大暴れ‥‥なんてことはない。

ようするに、大爆発を回避するためってだけじゃなくて、日々を楽しく暮らす上でも、何よりも大切なのが、定期的に気分をリセットするってことなのだ。ストレスは、様々な現代病の原因の1つとしても挙げられてるから、ストレスを溜めないことは健康にもいい。女性の場合なら、ストレスは美容の敵だから、どんなに高価な基礎化粧品を使うよりも、ストレスを溜めずに十分な睡眠をとったほうが美しくなれる。

だけど、この方式にも、デメリットがある。あまりにもストレス発散ばかりしてて、ストレスがゼロの状況が長く続いてると、人間て、だんだんと向上心がなくなってきちゃう。つまり、現状に満足しちゃって、自分自身を磨くってことに必要性を感じなくなってきちゃうのだ。だから、その意味でも、ふだんの小さなストレス発散とは別に、1年に1回、身も心もホントの意味でリセットするための儀式が必要なのだ。

ふだんの小さなストレス発散てのは、その時のイライラさえ解消できればそれでいい。女性なら、カードを使ってパーッとお買い物をしちゃったり、エステに行って全身を磨いてもらったり、食べたいだけケーキを食べたりすれば、その時のイライラは解消できるだろう。だけど、こうした「その時だけ」の気分のリセットには、マイナスになってた気分の目盛りをプラマイゼロにする効果しかないから、こればかり続けてると、その人はプラマイゼロでいることに甘んじるようになっちゃう。そして、プラスを目指さなくなっちゃうのだ。

だからこそ、新年を迎えた時とかに、1年に1回、ほどよい緊張感を持って、セスジをシャキッとして、「よし!今日から新たな1年がスタートするぞ!」って思って、「大きなリセット」をすべきなのだ。お正月に書き初めをするのだって、新年の抱負を語るのだって、すべては、この「大きなリセット」を実感するためなのだ。そして、こうした「大きなリセット」は、日々の「小さなリセット」と違って、向上心に満ち溢れてる。この先の新しい1年間を見据えて、頭の中に自分の夢や希望を描くって行為は、確実に自分の目盛りをプラスのほうへ振り切ろうとする力がみなぎってる。

‥‥そんなワケで、あたしは、残念なことに1月上旬の生まれじゃないけど、それでも、今年のお正月には、セスジをシャキッとして「大きなリセット」をした。歯ブラシも新しいのをおろしたし、フローリング用のスリッパも新しいのにした。これだけでも気分は大きく変わったし、すみれちゃんのフィギュアの隣りにラーメンの「すみれ」も飾ったから、今年は、すみれちゃんみたいなステキな女性になれそうな予感がマンマンだ。その上、なんたって、今年は記念すべき政権交代の年なんだから、国民を愚弄し続けて来た天下り製造機の自民党が崩壊し、あたしたち国民の手にこの国の主権が戻って来たら、お祝いにすみれちゃんのコスプレを披露しようかと思ってる今日この頃なのだ。


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2009.01.08

自民党市議が問題発言

「自民党市議が問題発言」(世田谷通信)

自民党の武蔵野市議会議員、安江清治氏(35)が1月5日付の自身のブログにおいて、日比谷公園の「年越し派遣村」を名指しした上で、「政治のせいにするのはいいよ、でもおまえら何をやろうとしてるのさ。自分で死ぬ気でやってんのかよ。政治は魔法じゃねぇんだよ!世の中のせいにする前に死ぬ気でやってみろよ!傷をなめあってんじゃねえよ!甘えるなよ!人のせいにするなよ! 」との問題発言をし批判が集まっている。現在は「コメントの中には明らかな誹謗中傷もございましたので、これ以上公表しておくのも、さらなる混乱を招くと判断し、甚だ自分としては不本意ですが、いったん記事を削除させていただきます。」として記事を削除しているが、謝罪などはいっさいなく、さらなる批判が集中するものと思われる。派遣村に集まった非正規労働者については、自民党の坂本哲志総務政務官も5日に「本当にまじめに働こうとしている人たちが集まっているのかな?という気もした」と発言して批判が集中したが、こうした言動が繰り返される背景には、自民党という政党そのものの体質が垣間見られるだろう。(2009年1月8日)


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アンケートです!

野村証券が個人投資家を対象に行なったアンケートで、現在の株価低迷の原因として1位に挙げられたのが「麻生政権」の53%で、2位の「国内景気」の26%を大きく引き離しました。

個人投資家の半数以上は、麻生政権のせいで株価が下落していると感じているようです。

そこで質問です。


【あなたは麻生政権が株価に悪影響を及ぼしていると思いますか?】

1.思う
2.思わない
3.分からない



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なくて七草

今日、1月7日は、「五節句」の1つの「人日(じんじつ)」だった。前にも書いたと思うけど、奈良時代に中国から入って来た「五節句」は、1月7日の「人日」の他は、3月3日の「上巳(じょうし)」、5月5日の「端午(たんご)」、7月7日の「七夕(しちせき)」、9月9日の「重陽(ちょうよう)」って、みんなゾロ目になってるのに、1月だけ「1月1日」じゃない。これは、ホントは「1月1日」にしたかったんだけど、1年のうちで1月1日から6日までは、神様が地上に戻って来る特別な日で、人間の節句に神様の日は使えないって考えから、1月だけ人間の日に戻る「1月7日」にズラしたってワケだ。

もっと詳しく言うと、1月1日は「鶏の日」、2日は「狗(犬)の日」、3日は「猪(豚)の日」、4日は「羊の日」、5日は「牛の日」、6日は「馬の日」で、ようやく7日が「人の日」になる。これが何かって言うと、この日には、これらの生き物を殺したり食べたりしちゃいけないって決まりになってた。つまり、1月1日に鶏肉の入ったお雑煮を食べた人や、おせちに飽きた5日にビーフカレーを食べたりした人は、その1年が最悪の年になるってことなのだ。もちろん、もともとは中国の風習だから、関係ないっちゃ関係ないんだけど、お雑煮にはホウレン草しか入れない上に、ヘナチョコベジタリアンのあたし的には、さらに関係ない。

で、もっと基本的なこととして、何で「五節句」は3月3日とか5月5日の奇数の日だけなのかっていうと、中国では、奇数を「陽」、偶数を「陰」としてて、「陽(奇数)」と「陽(奇数)」が重なって「陰」になることを忌み嫌ってたのだ。これを「重陽(ちょうよう)」って言って、9月9日が不吉のピークにあたることから、9月9日を「重陽」って呼んでる。それで、こうした「重陽」の日には、その時期の植物から聖なるパワーをもらって、邪気を払おうってことになったのだ。だから、1月7日には「七草粥」を食べ、3月3日には「桃の花」を飾り、5月5日には「菖蒲湯」に入り、7月7日には「笹」を飾り、9月9日には「菊の花びら」を浮かべたお酒を飲むことになった今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、今日は「七草粥」を食べて邪気を払わないと、少なくとも次の「重陽」である3月3日まではアンラッキーが連発しちゃうってワケで、あたしは「七草粥」を作って、母さんと一緒に食べた‥‥って言っても、何でもフランク・ザッパなあたしのことだから、当然、「春の七草」がキチンと入ってるワケがない。ちなみに、「春の七草」と言えば、今さらだけど、「セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロ」ってワケで、現代ふうに言えば、「セリ」は「セリ」だけど、「ナズナ」ってのはペンペン草」のことだし、「ゴギョウ」は「母子草(ははこぐさ)」のことだし、「ハコベラ」は「ハコベ」のことだし、「ホトケノザ」の「タビラコ」のことだし、「スズナ」は「カブ」のことだし、「スズシロ」は「ダイコン」のことだ。

それで、あたしのとこには、暮れに俳句仲間が送ってくださった手作りのお野菜があって、その中にカブとダイコンがあったので、この2種類だけで「七草粥」を作ったのだ。ザックリと言えば、「カブ」と「ガブの葉っぱ」と「ダイコン」と「ダイコンの葉っぱ」で4種類ってことにした上に、カブは「くし切り」と「半月切り」にして、ダイコンは「千切り」と「イチョウ切り」と「短冊切り」にした。これで、材料は2種類だけど、7種類のものが入ったワケで、「七草粥」は「七種粥」とも書くから、これでいいのだ(笑)

でも、これだけだとコジツケすぎるので、母さんと一緒に食べる時に、あたしのケータイをコタツの上に置いた。今、ストラップにエヴァンゲリオンの「ペンペン」がついてるから、これを「ペンペン草」の代わりにしたってことだ。なんか、こっちのほうが、さらにコジツケっぽいけど、スーパーで売られてる「七草セット」なんかを高いお金を払って買って来るよりも、よっぽどホーリーな感じで、邪気を払うための植物パワーがみなぎってると思った。なんたって、「朝顔やつるべ取られてもらひ水」でオナジミの江戸時代の女流俳人、加賀千代女の句でも、こんなのがあるくらいだ。


 七種やあまれどたらぬものも有り  千代女


ようするに、7種類どころか、8種類も10種類も集めて来たってのに、カンジンの七草がぜんぶそろってなかったってことだ。喩えとしては変かもしれないけど、麻雀をやろうと思って、いろんな人に手当たり次第に電話して家に呼んだら、5人もやって来たんだけど、その中で麻雀を打てる人が2人しかいなかったって感じだ。でも、大切なのは、キチンと数を揃えることじゃなくて、その心意気なのだ。だから、この場合なら、3人麻雀をやればいいってワケだ。つまり、あたしの作った変則的な「七草粥」は、3人麻雀みたいなもんなのだ。そして、スーパーで買って来た「七草セット」で作ったほうは、数こそ揃ってるけど、自分以外の3人はコンピューターが打つテレビゲームの麻雀みたいなもんなのだ。

‥‥そんなワケで、どんなことでも、そのルーツにまでさかのぼってみると、「何をすべきか」ってことが見えて来る。今日の「七草粥」にしても、大切なのは、重陽の邪気を払うために、今の時期の植物の生命力を分けてもらうってことなのだ。逆に言えば、重陽の邪気を払えるほど、その時期の植物には強い生命エネルギーがあるってことだ。だから、1月7日の「七草粥」は食べるけど、3月3日の「桃の花」や7月7日の「笹」は眺めるだけだし、5月5日の「菖蒲」はお風呂に入れて浸かるだけで邪気を払えるのだ。

その時期の植物を眺めただけでも邪気が払えるってことは、そうとう強力な生命エネルギーがあるワケで、それを利用したのが、今日の「爪切り」なのだ。もう、ほとんどのニポン人はやらなくなっちゃったけど、今日、七草粥を作る時に、七草を洗ったお水は、捨てずに取っておく。そして、そのお水に両手を浸けてから、新年を迎えて初めての爪切りをする。そうすると、お水の中に溶け出してる七草のパワーが指先から入って来て、今年1年、風邪をひかなくなるって言われてるのだ。

ま、今じゃ、こんなことをしてる人も少なくなったばかりか、「新年を迎えたら人日が来るまで爪を切っちゃいけない」ってことすら守ってる人も少なくなっただろうし、若い子たちなんて、こんなこと知らない人のほうが多いかもしれない。お正月に門松を立てるのは、神様を迎え入れる目印にするためで、そして、お元日にやって来てくださった神様がいる間は、爪を切っちゃいけない。これって、普通に考えたら当たり前のことなんだけど、こうした当たり前の感覚がどんどんなくなってって、通例的に門松やお飾りを飾り、通例的におせち料理を食べ、通例的に仕事始めを迎える‥‥ってことが繰り返されてくうちに、一番大切な「心」の部分が失われてくんだよね、きっと。

だから、あたしは、スーパーで買って来た七草セットで作ったお粥を通例的に食べるよりも、たとえスズナとスズシロの2種類しか入ってないお粥でも、そのルーツに沿って感謝していただき、さらには、洗ったお水に両手を浸けてから爪を切ったほうが、より多くの植物エネルギーを体内に取り入れられたと思ってる。言葉は違うかもしれないけど、「量より質」って言うか、「見かけよりもハート」って感じだ。そして、この考え方で行けば、3月3日や5月5日に、何十万円もするような高価なお雛様や五月人形を飾ったって、これらの節句にとって何よりもカンジンな「桃の花を愛でる」とか「菖蒲湯に入る」とかってことをしなけりゃ、たったの1ピコグラムも植物エネルギーをいただけないワケだし、重陽の邪気も払えないってワケだ。

‥‥そんなワケで、戦中や戦後の何もなかった時代には、鉛筆1本を短くて持てなくなるまで使い、さらには、その短くなった鉛筆を差し込んで持てるようにするためのアダプターみたいな器具まであったそうだ。新聞に挟まってる大量のチラシなんて、今は見もしないでそのままゴミ箱に捨ててる人がいっぱいいるけど、あたしのおばあちゃんの時代には、裏が無地のチラシを集めて、それを針と糸で綴じて、ノートにしてたそうだ。ダイコンやニンジンだって、今のあたしたちなら普通に捨てちゃってる葉っぱやヒゲ根の部分まで、ぜんぶ大切に使ってたそうだ。

今は、日用品でも文房具でも食べ物でも何でもたくさんある時代なんだから、何もチラシを集めてノートを作れとは言わない。ダイコンやニンジンだって、スーパーで売られてるものは最初から葉っぱがついてないし、もしも葉っぱがついてても、農薬まみれで食べられたもんじゃない。だから、何から何まで昔とおんなじにしろとは言わない。だけど、こうして、お金さえあれば何でも手に入る時代になったことによって、何よりも大切な「心」の部分、「精神」の部分が失われてきちゃったように思う。それは、「感謝の心」「感謝の精神」だ。

モノのない時代に、1本を鉛筆を最後まで大切に使った心には、絶対に「感謝」の気持ちがあったと思う。最後の最後の1cmくらいになって、もうアダプターに差し込んでも使うことができなくなった時に、心の中で「ありがとう」って言って、引き出しの中の小箱に入れたんだと思う。使えなくなったからって、とても捨てることなんてできないから、その小箱の中には、今まで使って来た1cmくらいの鉛筆がいくつも溜まってるのだ。まるで、宝物のように。

‥‥そんなワケで、気持ちの方向が精神性よりもモノのほうへ向いちゃえば、「感謝の心」を始めとして、いろんな心が失われてく。ようするに、精神性の退化ってことだけど、その最たるものが、今日の「七草粥」を始めとした、古くからの習わしにおける「本意の喪失」だ。1ヶ月後にやって来る「節分」にしたって、前にも書いたように、本来は1年に4回あるもので、立春の前日に行なう今度の「節分」には、キチンとした「本意」がある。それなのに、多くのニポン人は、表面上だけの豆撒きをして、この「節分」を済ませた気になっちゃってる。まあ、これも時代の流れなのかもしれないけど、こうした何でもないような部分から、「感謝の心」を持ったニポン人が少なくなり始めちゃったように思う。こうした何でもないような部分から、この国は壊れ始めちゃったようにも思う。だから、あたしは、これからも、できるだけ「本意」に沿ったイベントを心がけて行こうと思う今日この頃なのだ。


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2009.01.07

ガザの学校が砲撃され45人以上が死亡

「ガザの学校が砲撃され45人以上が死亡」(世田谷通信)

日本時間の6日、パレスチナ自治区ガザ地区のガザ市と近郊のジャバリヤ難民キャンプ、ハンユニス市にある国連が運営する学校3校がイスラエル軍の空爆と戦車による砲撃を受け、少なくとも45人以上が死亡した。これらの学校には空爆で自宅を破壊された民間人約450が避難しており、今回死亡した45人以上もほとんどが子供や女性などハマスとは無関係な人々だった。これで先月27日からの攻撃で死亡したガザ地区の人々は650人に達し、負傷者は5000人以上とも言われている。また病院に運ばれた重傷者も、イスラエル軍によるライフラインの封鎖によって、約9割は治療を受けられずに放置されたままだという。一方イスラエル政府はこれらの攻撃を「民間人を『人間の盾』としてハマスの武装グループが潜伏していたため」として正当化しているが、死亡した全員が子供や女性などの民間人だったことから、停戦を求める国際社会の反発が強まるのは必至であろう。(2009年1月7日)



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緊急の署名のお願いです!

1月2日の日記、「戦争反対」の最後でお願いした沖縄の高江の署名ですが、ご協力くださる人たちの手間と負担を省くために、電子署名も併用することになりました。

今までに署名にご協力くださった皆さん、本当にありがとうございました。

また、これから署名してくださる人は、以下のURLからお願いいたします。

政府に訴えられた村の人たちが裁判所から呼び出されているのは今月の27日なので、その前日までに署名を集めて、裁判所に持って行きたいとのことです。

どうか、皆さん、1人でも多くの人の署名を集めたいので、ご協力をお願いいたします。


「署名サイト」
http://www.shomei.tv/project-590.html


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続・ガメラに首ったけ♪

昨日の日記、「ガメラに首ったけ♪」を読んで、「ギャオスが口から発射するのは、レーザー光線じゃなくて超音波です」っていうメールをくださった十数名の皆さん、どうもありがとうございました♪‥‥ってことで、代表して1通だけ、IOさんのメールをご紹介させていただきます。


お名前:IO
コメント:いつも「きっこの日記」を楽しく読ませていただいてます。いつもは「読んでる」だけなのですが、「ガメラ」の話題が出てきてはどうしてもメールを書かずにはいられず、老婆心を承知でメールさせていただきます。1月5日の「ガメラに首ったけ」の中できっこさんは、ギャオスが「口からレーザー光線を出す」と書かれていましたが、あれは『超音波』です。どう見ても「レーザー光線」なのですが、『超音波』なのです。それは映画「ガメラ対ギャオス」のなかで生物学の権威である青木博士が実験までして説明しています(実験装置もどう見てもレーザーですが)。たしかギャオスの首の骨は”音叉”のようになっていて、それが共鳴(?)して超音波を出すというような説明だったと思います。子供のとき映画館で初めてガメラを見て以来、ずっとガメラのファンだった自分としては、ガメラと同じくらい大ファンのきっこさんが自分と同じガメラ好きと知って嬉しく思うと同時に、そのきっこさんにはガメラについて正しく知ってほしく、こんなメールをさし上げてしまいました。これからも楽しい”日記”を期待しています。


‥‥そうそう!思い出した!ギャオスは首の骨が2本あって、それが音叉のように共鳴して、超音波を発生して、口から出すのは「超音波メス」だった。それから、首の骨が2本あるために、後ろを振り向くことができなくて、それが弱点にもなってたハズだ。それで、振り向いたりできないギャオスのギコチナイ動きに対して、誰もが「着グルミだから仕方ない」って思ってるのに、それをムリヤリに「首の骨が2本あるため」って思い込ませる周到さに、思わず「1本とられた!」って感心した人もいたハズだ。でも、1本とられちゃうと、ギャオスの首の骨は1本になって、超音波を出すことができなくなると思う今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、ゆうべ、YOU TUBEでいろんなガメラ映像を観てたら、完全に怪獣モードになっちゃったので、申し訳ないけど、今日も怪獣の話題を続けようと思う。で、昨日は、あたしの好きなガメラのことを書いたけど、このガメラシリーズで最大のヒットとなった「ガメラ対ギャオス」が公開された昭和42年(1967年)は、ものすごい怪獣映画ブームだったみたいだ。もちろん、ブームの火つけ役になったのはゴジラシリーズで、この年にもミニラが出て来る「ゴジラの息子」が公開されてるけど、東宝のゴジラシリーズの大ヒットと、それに続く大映のガメラシリーズの大ヒットにあやかろうと、日活は「大巨獣ガッパ」、松竹は「宇宙大怪獣ギララ」を公開して、昭和42年は怪獣映画だらけだったみたいだ。

ちなみに、あたしは、この2本も観てるけど、「大巨獣ガッパ」は、名前から分かるように、もともと空想の動物であるカッパをモデルにしたものみたいだ。でも、頭にお皿はないし、クチバシがついてるから、顔は「カラス天狗」みたいな感じだ。その上、翼までついてて空を飛んじゃう。だけど、背中にはカッパの甲羅みたいなのもついてるし、ようするに、いろんなニポンの妖怪をテキトーに組み合わせて、それを巨大化させたみたいな怪獣だ。で、このガッパが他の怪獣と違うとこは、ナナナナナント! オスとメスの夫婦で登場しちゃうって点だ。

フランク・ガッパ(笑)に言えば、子供のガッパを捕まえた人間が、それを見世物にして金儲けをしようとしたら、でかい親ガッパが夫婦そろって子供を取り戻しに来て、街を破壊して大暴れしちゃうって話だ。だから、他の怪獣映画との差別化を図ったのか、怪獣なのに親子の愛を描いた人情噺になってるのだ。でも、これは、怪獣映画の知識のないあたしのマト外れな感想だったみたいで、今、「ガッパ」で検索していろいろと調べてみたら、怪獣のことを専門に書いてる「怪獣ブログ」さんに、「『大巨獣ガッパ』のストーリーはイギリスの怪獣映画『怪獣ゴルゴ』をそのままパクったものである。」って書いてあった。「怪獣ブログ」さんによると、ガッパのストーリーは「怪獣映画の黄金パターン」なんだそうだ。

他の怪獣サイトにも、おんなじことが書いてあった。人間が南の島の小美人(ザ・ピーナッツ)を捕まえて、見世物にしようとニポンに連れて来たら、小美人を取り返すためにやって来たモスラが街を破壊する‥‥ってのも、人間が見世物にするために捕まえたキングコングが、檻から逃げて大暴れしちゃう‥‥ってのも、みんな似たようなストーリーで、ようするに、愚かな人間と、その人間に仕返しする怪獣ってパターンになってる。これが「怪獣ブログ」さんの言うとこの「怪獣映画の黄金パターン」なんだろう。そう考えると、ゴジラの1作目だって、愚かな人間が核実験を繰り返したことによって、ゴジラが誕生しちゃって、結果、人間の街がメチャクチャにされちゃうんだから、ベースになってる考え方は一緒だと思う‥‥って書いてたら、こんなメールが届いた。


お名前:KT
コメント:きっこさん、こんにちは。いつも楽しく読ませていただいてます。KTと申します。さて、1/5 の日記「ガメラに首ったけ♪」を読んで、ひとつ不思議に思ったことがありました。それは、ゴジラ第2作からはともかく、昭和29年の第1作「ゴジラ」は明確な反戦反核映画であり、どちらかというときっこさん好みの内容なのでは?と思ったからです。第1作ではゴジラは地球や子供を守るヒーローでは全くありません。人間が海で核実験を繰り返していたとき、海中生物が放射能により進化・巨大化し、東京に上陸して町をめちゃめちゃに破壊するというストーリーで、ゴジラは核の技術をもてあそぶ人間に対する「自然・地球の怒り」の象徴なのです。そしてそのゴジラを唯一破壊することができる、活性酸素を応用した「Oxygen Destroyer」という装置を開発していた博士は、自分の研究が政府や軍に注目されはじめたのを知ります。かつての核のように、自分の研究が悪用されることを恐れた博士は研究資料をすべて廃棄しますが、自分の頭の中に残っている研究成果もいつかは政府や軍の手に渡るだろうからと語り、海にいるゴジラに「Oxygen Destroyer」を仕掛けたときに自らその場に残り、ゴジラとともに消えていったのでした。このようにゴジラは大人が大真面目に作った映画であり、しかも原爆投下からわずか9年後に作られているというのもすごいのではないでしょうか?追記:確かに第2作以降は今回の日記の通りだと思います(笑)


‥‥KTさん、どうもありがとうございます♪ おっしゃる通り、1作目の「ゴジラ」は、素晴らしい映画だと思います。ただ、あたしが書いたのは、見た目の好き嫌いのことと、1作目では人間の敵だったゴジラが、他の怪獣が登場するようになってからは、突然、人間の味方にクルリンパと豹変し、そのうちに「シェー!」までするようになっちゃった迎合主義が、まるで自民党の山本一太を見てるようで不愉快なのです(笑)

‥‥そんなワケで、ガメラの場合は、敵の怪獣が出て来ない1作目の「大怪獣ガメラ」の時も、戦争が大好きなナントカ幕僚長ひきいる自衛隊に総攻撃されたのにも関わらず、逃げ遅れた子供を助けるっていう一貫性のある怪獣だから好きなのだ‥‥って、ずいぶんダッフンしちゃったけど、日活の「大巨獣ガッパ」と並ぶもう1つの映画、松竹の「宇宙大怪獣ギララ」のほうは、他の怪獣と違って、何もモデルにしてないとこがオリジナリティーみたいだ。ストーリー的には陳腐なんだけど、「宇宙大怪獣」って言うだけのことはあって、宇宙船みたいな顔をしてる。

で、ここでポイントになるのは、この「宇宙大怪獣ギララ」が、松竹の作品だってことだ。松竹と言えば、何たって、あたしの大好きな「男はつらいよ」と「釣りバカ日誌」の映画会社ってことで、こんなにマイナーな怪獣映画なのにも関わらず、ギララは「男はつらいよ」にも出演してるのだ。1985年のお正月に公開されたシリーズ34作目の「男はつらいよ 寅次郎真実一路」のオープニングのシーンで、博士に扮した寅さんとギララが登場してるのだ。でも、寅さんは「ギララ」って名前を知らない設定みたいで、「怪獣だ!」って言ってるんだけど、結局、これが夢でした‥‥ってオチで映画がスタートする。

そして、さらには、寅さんの妹のさくら役の倍賞千恵子が、「宇宙大怪獣ギララ」のほうのエンディング曲を歌ってるのだ。なんてワンダホーなトレードなんだろう。それも、同時期に制作された映画ならありそうな話だけど、「宇宙大怪獣ギララ」が公開されたのは1967年なのに、もう一方の「男はつらいよ 寅次郎真実一路」が公開されたのは、18年もあとの1985年なのだ。その上、「男はつらいよ」の1作目が公開されたのは、「宇宙大怪獣ギララ」の公開から2年後の1969年なのだ。つまり、倍賞千恵子が「宇宙大怪獣ギララ」のエンディング曲を歌った時点では、まだ「男はつらいよ」は始まってなかったのだ。

もちろん、倍賞千恵子と言えば、松竹音楽舞踊学校を首席で卒業して、SKD(松竹歌劇団)へと進み、そのあとに松竹映画から銀幕デビューした生粋の松竹女優だから、初の怪獣映画にも花を添える意味で、歌で参加させたんだと思う。だけど、その2年後にスタートした「男はつらいよ」が松竹の看板シリーズになり、誰もが予想しなかったほどの長期シリーズへと発展し、また、倍賞千恵子のほうも、さくら役で女優としての地位を不動のものにして行く中で、この「宇宙大怪獣ギララ」が、18年の時を超えて「男はつらいよ」に登場しちゃうなんて、あまりにも粋なハカライでグッときちゃう。

あたし自身は、昔の映画はどれもすべてリアルタイムで観てないから、先に観たのが「男はつらいよ 寅次郎真実一路」だった。だから、その時は、寅さんも「怪獣だ!」って言ってたし、あたしは単なる無名の怪獣なんだと思ってた。だから、それから何年もして、たまたま「宇宙大怪獣ギララ」を観た時に、映画にギララが登場してからしばらくは気づかなかったんだけど、途中で「どこかで観たことがある」って感じがした。それで、最初は「いつものデジャブーかな?」って思ってたんだけど、最後の最後に、「もしかしたら寅さんにチョコっと出て来た怪獣かも?」って気づいたのだ。そして、その次に「男はつらいよ 寅次郎真実一路」を観た時に、ちゃんとギララだって確認することができて、「おおっ!」って感激したことを覚えてる。

‥‥そんなワケで、この「宇宙大怪獣ギララ」は、40年もの長い沈黙を破って、去年、「ギララの逆襲/洞爺湖サミット危機一発」が公開された。まあ、これは、かつてのギララをフシュウ‥‥じゃなくて、踏襲しつつも、コイズミやアベシンゾーの役で、ザ・ニュースペーパーが登場したり、ギララを倒す正義の味方が、ビートたけしが変身する「タケ魔人」だっていう完全なるギャグ映画だから、純粋な怪獣映画とは言えないけど、興味のある人は、40年前の「宇宙大怪獣ギララ」の予告編と、去年の「ギララの逆襲/洞爺湖サミット危機一発」の予告編とを見比べてみて欲しい。

ま、今日は、ガメラシリーズの最高傑作の「ガメラ対ギャオス」が公開された昭和42年(1967年)をピンポイントで話題にしてるワケだから、去年の映画のことは置いといて、「ガメラ対ギャオス」と同じ年に公開された日活の「大巨獣ガッパ」、松竹の「宇宙大怪獣ギララ」について触れてみたんだけど、チマタでは怪獣映画がメジロ押しだったとは言え、本家本元のゴジラシリーズのほうは、もうずいぶんと下火になり始めてたみたいだ。

ゴジラシリーズは、昭和37年(1962年)の3作目「キングコング対ゴジラ」が最大のヒットで、ニポンの怪獣映画では、唯一、1000万人を超える観客動員数を記録してる。その数、1255万人で、ニポンの人口が、まだ9000万人台だった時代ってことを考えると、全国の人の7~8人に1人が映画館に足を運んだってことで、これは、あまりにもすごい大ヒットだと思う。ちなみに、庶民のレクリエーションも多様化されて、映画館へ足を運ぶ人が激減した現在では、観客動員数が100万人を超えれば興行として成功で、200万人を超えればヒット、500万人を超えれば大ヒットって感じだから、もしも1000万人を超えちゃったら、関係者全員にガッポリと特別ボーナスが出るほどのチョー大ヒットってことになる。最近の映画の例を挙げると、1999年の「マトリックス」が530万人、2003年の「ロード・オブ・ザ・リング」が590万人だ。だから、この「キングコング対ゴジラ」が叩き出した1255万人ていう動員数が、どれほどスゴイことなのか分かると思う。

で、これは、あたしの想像なんだけど、昭和37年ていう時代背景から考えると、この「キングコング対ゴジラ」って映画は、アメリカを代表する怪物のキングコングと、ニポンを代表する怪獣のゴジラが戦うっていう設定が、シャープ兄弟を空手チョップでやっつける力道山のイメージだったんじゃないかって思った。いくら高度成長期だって言っても、未だに敗戦の影を引きずってて、どうしてもアングロサクソンには卑屈になっちゃってた当時のニポン人にとって、プロレスにしろ怪獣にしろ、アメリカから来た相手をメイド・イン・ニポンのプロレスラーや怪獣がやっつけるってのは、何よりも気分が良かったんじゃないかって思う。だからこそ、この「キングコング対ゴジラ」に、前人未到の1255万人もの動員があったんだと思う。

そして、大ヒットした「キングコング対ゴジラ」をピークに、ゴジラシリーズの人気はジョジョに奇妙に下降してった。昭和41年の7作目「南海の大決闘」では421万人、昭和42年の8作目「ゴジラの息子」では309万人て感じになり、昭和50年の15作目「メカゴジラの逆襲」では、とうとう100万人を割り込んで97万人にまで落ちちゃった。それで、東宝は、「もうゴジラじゃ客を呼べない」ってことになって、長年続いて来たシリーズをいったん打ち切ったのだ。

つまり、「ガメラ対ギャオス」が公開されて、日活や松竹も参入して来て、怪獣映画の大ブームみたいになった昭和42年だけど、本家本元のゴジラを見ると、すでのピーク時の4分の1にまで観客動員数が減っちゃってたってワケだ。だけど、「ガメラ対ギャオス」の大ヒットから、このガメラシリーズは「大映のドル箱」って呼ばれるようになって、大映が潰れるまでの大きな収入源になったって言われてる。残念ながら、ガメラシリーズの観客動員数は公開されてないけど、当時を知る人が言うには、「ゴジラシリーズとガメラシリーズの人気は『ガメラ対ギャオス』で逆転した」とのことなので、「ガメラ対ギャオス」は、少なくとも300万人以上は動員したんだと思う。

一方、人気にカゲリが見えて来たゴジラのほうは、あたしが思うに、ゴジラ自体の人気がなくなったんじゃなくて、単に内容が酷くなったからファンが離れたんだと思う。だって、この年に公開された「ゴジラの息子」って、赤塚不二夫の「おそ松くん」の人気にあやかって、「チビ太」をモデルにして「ミニラ」を作ったり、ゴジラに「シェー!」をさせたりしたのだ。これはナシでしょ、普通。こんなことしたら、今までのファンはみんな去ってっちゃうことウケアイだし、こんなもの観て喜ぶのなんて、小学校低学年の子供と漢字の読めない総理大臣くらいだよ。

だけど、仮にも商業映画なんだから、ウケを狙うのは当たり前のことだし、その時に世の中で流行ってるものを取り入れるってのも理解できる。ただ、それが、それが、ゴジラのキャラを壊しちゃったことが失敗なのだ。実際、ガメラだって、似たようなことをやってる。ガメラの場合は、5作目の「ガメラ対大悪獣ギロン」が顕著なんだけど、この作品でのギロンとの戦いは、あまりにもギャグが盛り沢山で、サスガのあたしもお腹がいっぱいになっちゃうほどだ。

まず、ガメラとの前哨戦として、ギロンは宇宙ギャオスと戦うんだけど、ここでギロンは、頭の包丁でギャオスを真っ二つにした上に、体を切り刻み、最後には首をチョン切っちゃう。すなわち「ギロチンの刑」だ。相手を真っ二つにして、すでに勝負はついてるのに、それでも相手を切り刻み続けて、その残虐性をアピールしてるってワケだ。で、誰に対してアピールしてるのかって言うと、それは、映画を観てる子供にだ。で、子供たちのヒーローのガメラは、そんな残虐なギロンと戦うことになるんだから、子供たちはみんなハラハラしてスクリーンにクギづけになってる‥‥って状況で、繰り広げられるワケだ。ギャグ満載の戦いが。

「ギロチン」をモデルに作られたギロンに対して、ジャンプして前に伸ばした足から落ちて攻撃するプロレスの技、「ギロチンドロップ」を連発するガメラ。これは、プロレスがゴールデンタイムに放送されてた時代を考えれば当然の流れだ。そして、飛ばされたガメラは、建物と建物の間に渡ってた鉄棒みたいなのをつかんで、クルクルと回り出して、大車輪からミゴトな着地を決めて、両手を広げてポーズをとる。これは、この作品が公開されたのが昭和44年(1969年)なんだから、どう考えたって、前年の1968年の「メキシコオリンピック」の器械体操だ。

母さんに聞いたら、当時のニポンは、1964年の「東京オリンピック」に続いての「メキシコオリンピック」がものすごい盛り上がりを見せたそうで、中でも、男子の体操が、ほとんどの種目をニポンチームが独占して、ニポン中の人たちがテレビの前でコーフンしたそうだ。それで、子供たちの間では、ちょっとした「器械体操ブーム」みたいなのが巻き起こっちゃたらしい。だから、それを踏まえて、ガメラにも鉄棒をやらせてみたってワケだ。

だけど、大映のお遊びはこんなもんじゃない。ギロンの発射した手裏剣が両目の下に刺さり、まるで涙を流してるかのように青い血が流れたガメラは、足元にあった雪を両手に取り、それで傷口を冷やすのだ。そして、次に飛んで来た手裏剣は、巨大なツララを刀の代わりにして、素晴らしい身のこなしで弾いちゃう。この辺は、当時の子供たちが好きだった「忍者」とか「チャンバラ」とかを取り入れてるってワケだ。そして、最後には、ギロンの後ろ足をつかみ、そのままジェット噴射で高く飛び上がり、空宙からバックドロップを決めてギロンを地面に突き刺しちゃう。もう、満腹だ。

だけど、これらのワザの数々は、あたし的には「許される範囲」なのだ。命懸けの戦いをしてるのに、何だか余裕があるみたいで、大好きなガメラのことが頼もしく思えるし、あくまでも「怪獣がやりそうなことのギリギリのライン」だからだ。どうしてゴジラの「シェー!」がNGで、ガメラのこれらのワザがOKなのかは、あたしの感覚だから、そう思わない人もいるだろう‥‥つーか、ガメラも「シェー!」をするんだけど、手足があんまり動かないカメだから、「シェー!」に見えないんだよね。それに、もしもハッキリと分かる「シェー!」をしたとしても、可愛いガメラだから許せちゃうし、別にキャラが壊れないからOKなのだ。

‥‥そんなワケで、その時代に合わせて、人気のあるものなら何でも取り入れて、ひたすらウケを狙って作り続けて来た主体性のないゴジラシリーズと、ウケを狙いつつも、1作目からずっと「子供の味方」っていう一貫性を持って作り続けて来たガメラシリーズとでは、その志の高さが違うと思う。だから、プロ野球の世界を見てみても、東宝の怪獣の名前をニックネームにしてるのは「ゴジラ松井」だけしかいないけど、大映の怪獣の名前をニックネームにしてるのは「ギャオス内藤」と「ハマの大魔神」の2人がいる。ちなみに、「大魔神」てのは、ガメラシリーズの2作目の「ガメラ対バルゴン」とセットで公開された映画で、フランク・ザッパに言えば、怒ると恐い巨大なハニワだ(笑)‥‥ってワケで、今日も長々と主体性のないことを書いちゃったあたしは、どんなにガメラシリーズが好きでも、やってることはゴジラシリーズみたいな気がする今日この頃なのだ(笑)


「ギロンを相手にギロチンドロップだの鉄棒の大車輪だのバックドロップだのを繰り出すお茶目なガメラ」


「夫婦で登場する演歌の花道っぽいガッパ」


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2009.01.06

山本一太議員、反麻生の勉強会を発足

「山本一太議員、反麻生の勉強会を発足」(世田谷通信)

自民党の山本一太参院議員は、6日、麻生太郎首相が明言した3年後の消費税率引き上げの撤回などを求める勉強会を発足させた。山本氏は、麻生首相が景気対策の柱としている2兆円の定額給付金についても、当初から「定額給付金は根本的な見直しが必要、もっと必要なことに予算を使うべき」と言い続けており、また明確な数値目標を出さない麻生首相の姿勢を批判し続けて来た。勉強会に参加するのは、道路特定財源の一般財源化の徹底を求める水野賢一、柴山昌彦両衆院議員を筆頭に、山内康一、牧原秀樹、上野賢一郎、松本洋平衆院議員、田村耕太郎参院議員の8名で、いずれも現在の麻生政権に一定の距離を置く顔ぶれがそろっている。自民党の中川秀直元幹事長は、すでに麻生政権の崩壊後を見据えて政界再編へ向けた議員連盟を立ち上げており、また渡辺喜美元行政改革担当相も「麻生内閣が続けばみんな不幸になる」として、事実上の離党表明をした上で、小泉チルドレンとの会合を重ねて反麻生の勢力の拡大を図っている。国民の内閣支持率が10%台へと急落し、党内部からも造反の動きが連鎖的に起こっている中、また新たな反麻生の勉強会が発足したことで、麻生首相はさらに厳しい状況へ追い込まれた。(2009年1月6日)


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ガメラに首ったけ♪

こないだの日記に、「昭和ガメラと平成ガメラの違いについて」ってキーワードをチョコっと書いたけど、あたしは、ゴジラが嫌いで、ガメラが大好きだ。東宝のゴジラは、メジャーすぎるから、プロ野球で言うとセ・リーグのジャイアンツみたいだし、バンドで言うとビートルズやストーンズみたいだからだ。その点、大映のガメラは、プロ野球で言うとパ・リーグのロッテみたいだし、バンドで言うとザ・フーみたいで、知る人ぞ知るイブシ銀の魅力があるから、ツー好みって感じがする。もっと単純に言えば、ゴジラはベタで大衆向きだけど、ガメラは分かる人にだけ分かるカッコ良さや可愛いらしさがあるから好きなのだ。

どうしてガメラが好きかってことの前に、まずはゴジラの嫌いなとこを挙げるけど、ゴジラって、何よりも、その発想が安易すぎる。だって、いくらなんでも、恐竜をモデルにして怪獣を作るだなんて、幼稚園児でも思いつくようなアイデアだろう。その上、ゴジラだけじゃなくて、出て来る敵もバカバカしすぎる。蛾を大きくしただけのモスラだの、エビを大きくしただけのエビラだの、カマキリを大きくしただけのカマキラスだの、クモを大きくしただけのクモンガだのって、発想もネーミングも安易で幼稚すぎる。

さらには、完全にパクリのキングコングや、プテラノドンをまんま再現しただけのラドンだなんて、まるで中国のインチキ遊園地だ。唯一、評価できるのがキングギドラだけど、これにしたって、もともとのモデルはヤマタノオロチなんだから、首の数が減ったぶんだけパワーダウンしちゃってる。何かをモデルにして怪獣を作るんなら、もともとのモデルよりもパワーアップするのが鉄則なんだから、これはダメな例だろう。

たとえば、車のチューニングの場合なら、2リットルのエンジンの車を3リットルにボアアップしたり、ターボチャージャーやスーパーチャージャーを組んだりして、ノーマルよりも遥かにパワーが出るようにしてこそ、初めて「怪物マシン」て呼べるようになるワケで、蛾をモスラにしたのだって、エビをエビラにしたのだって、これとおんなじことなのだ。それなのに、ヤマタノオロチをモデルにしたキングギドラは、8本の首が3本になり、8本の尾が2本になり‥‥って、すべてパワーダウンしちゃってる。そして、何よりのパワーダウンが、その大きさだ。「日本書記」や「古事記」に登場するヤマタノオロチは、8つの山と谷にまたがるほど巨大なのに、キングギドラの大きさはたったの100mしかない今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、あたしは、ゴジラよりもガメラのほうが好きなんだけど、ガメラの場合は、基本的な部分からしてゴジラとはレベルが違うからだ。だって、ガメラが、もしもカメを大きくしただけなら、東宝のモスラやエビラと一緒になっちゃう。でも、ガメラが根本的に違う点は、大きくしたそのカメが、ナナナナナント! 2本足で立って歩いちゃうのだ! これは、蛾を大きくしただけのモスラが、空を飛ばずに海を泳ぐようなもんだ。しかもバタフライで。そして、「蛾なのにバタフライかよ!」ってツッコミを入れられちゃうようなもんだ。

それも、ガメラの場合は、最初から「2本足で歩くカメ」って設定をしたんじゃなくて、着グルミの中に人間が入って動くことを前提にしたために、ナシクズシ的に仕方なくそうなっちゃったって感じがマンマンだから、あまりにもコッケイなのだ。こうしたポイントが、あんなに恐ろしい大怪獣なのにも関わらずに、可愛いらしさを醸し出してるってワケだ。

さらには、手足を引っ込めたとこからジェット噴射して、回転しながら空を飛んじゃうだなんて、まるでギャグ漫画だ‥‥つーか、遥か以前の段階として、世の中にはもっとカッコイイ動物がいっぱいいるのに、数えきれないほどいる動物の中から、よりによって「カメ」を選んだとこがミラクルだ。そして、歩くスピードの遅さじゃナンバーワンのカメをモデルにしときながら、そのカメをマッハ3.5で飛ばしちゃうなんて、大映ってあまりにもチャレンジャーだと思う。その上、回転しながら飛ぶ他にも、首と前足を出したまま、後ろ足の穴からだけジェット噴射して、スーパーマンみたいな姿勢で飛ぶパターンもあるんだから、もう言うことなしだ。

これにしたって、単なる気まぐれで2パターンの飛び方があるってワケじゃなくて、子供の味方のガメラだから、助けた子供たちを背中に乗せて飛ぶケースを考えてのことなのだ。もしも、回転しながらしか飛ぶことができなかったら、背中の子供たちが遠心力で飛んでっちゃう。そのために、回転しないで飛ぶ方式も用意されてるってワケで、すごく良く考えられてる。そして、ガメラシリーズの深さは、これだけじゃない。普通、「カメの背中に乗る」って言えば、浦島太郎のお話だ。そう、「助けたカメに連れられて~竜宮城へ来てみれば~♪」ってワケで、浦島太郎がカメを助けて、それで背中に乗せてもらうって流れだ。だけど、ガメラのほうは、ガメラが子供たちを助けて、さらに背中に乗せて空を飛んでくれるワケで、子供たちにしたら、これほど嬉しいことはない。

そして、ガメラが子供たちを背中や手に乗せて飛ぶ時のテーマソング、ナントカ少年合唱団みたいなのが歌ってる「ガメラ~~ガメラ~~強いぞガメラ~強いぞガメラ~強いぞガ~メ~ラ~♪」ってのが流れる。なんと言う様式美だろう。ゴジラに子供のミニラを登場させようとも、ゴジラを流行に迎合させて「シェー!」をさせようとも、そんな大人の目線で子供ウケを狙った方法論なんかじゃ、ホントの意味での子供の心はつかめない。だけど、2本足で立って歩く巨大なカメが、子供たちを守るために自分の身をていしてくれて、そして、背中に乗せてくれて空を飛んでくれて、その上、テーマソングまで流れちゃうなんて、こんなに子供たちのハートをワシヅカミにする演出は他にない。

‥‥そんなワケで、あまりにもガメラが好きだから、最初っから飛ばしちゃったけど、ここでリトル落ち着いて、こないだの日記にチョコっと前フリをしといた「昭和ガメラと平成ガメラの違いについて」ってことに絡めて語らせてもらうと、あたしが大好きなのは「昭和ガメラ」であって、「平成ガメラ」はゴジラとおんなじにダサくなっちゃったから、それほど好きじゃない。それは、外見がダサくなったことも大きいけど、それ以上に残念なのが、ガメラを語る上で何よりも重要な「ガメラは子供の味方」っていう不変のテーマが希薄になっちゃってることだ。

その辺のことを解説する上で、まずは、ガメラの映画の全タイトルを紹介しよう。ガメラの映画は、昭和に8作、平成に4作の合計12作ほど作られてるんだけど、以下がそのラインナップだ。


昭和40年(1965年)「大怪獣ガメラ」

昭和41年(1966年)「大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン」

昭和42年(1967年)「大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス」

昭和43年(1968年)「ガメラ対宇宙怪獣バイラス」

昭和44年(1969年)「ガメラ対大悪獣ギロン」

昭和45年(1970年)「ガメラ対大魔獣ジャイガー」

昭和46年(1971年)「ガメラ対深海怪獣ジグラ」

昭和51年(1980年)「宇宙怪獣ガメラ」


平成7年(1995年)「ガメラ 大怪獣空中決戦」

平成8年(1996年)「ガメラ2 レギオン襲来」

平成11年(1999年)「ガメラ3 邪神<イリス>覚醒」

平成18年(2006年)「小さき勇者たち~ガメラ~」


‥‥ってことで、この全12作を見て、「あれ?」って思うことが何点かあったと思う。まず、昭和ガメラと平成ガメラとに分けた場合に、昭和だけを見ると、1作目から7作目までは毎年作られてるのに、8作目だけが長いブランクのあとに作られてるってことだ。そして、これは、平成ガメラにも言えることで、「ガメラ」「ガメラ2」「ガメラ3」は短い間隔で作られてるのにも関わらず、最後の作品だけが長いブランクのあとに作られてる。さらには、昭和ガメラにしても平成ガメラにしても、長いブランクのあとにポツンと作られた作品だけが、それまでのシリーズとはつながりのない独立したタイトルになってるのだ。

ま、これらは、大映が潰れたり、監督が変わったりっていう制作サイドの諸事情によるものなんだけど、これにあたしの個人的な関わりがある。それは、あたしは昭和47年生まれだってことだ。そう、ガメラの映画って、あたしが生まれる前年までは、毎年毎年作られてたのに、あたしが生まれた年から、突然、作られなくなったのだ。これは、あたしが生まれる前年に、7作目の「ガメラ対深海怪獣ジグラ」を作ったあとに、大映が倒産したからだ。そして、この3年後に、徳間書店の傘下として、大映は再建を果たしたのだ。

つまり、あたしが大好きな昭和ガメラってのは、8作のうち7作が、あたしが生まれる前に作られてたものなのだ。その上、あたしが生まれてから作られた唯一の昭和ガメラ、「宇宙怪獣ガメラ」は、女子プロレスラーのマッハ文朱が、「平和星から来た平和星人」なんていうアホみたいな役をやってて、ストーリー自体も酷いし、ガメラもちょっと違う。だから、あたしにとっての昭和ガメラってのは、あたしが生まれる前に作られた7作のことであって、この昭和51年の「宇宙怪獣ガメラ」は、あたしの中では昭和ガメラとしてはカウントされてないのだ。

‥‥そんなワケで、あたし的には、あたしが生まれる7年前から、毎年毎年ガメラが作られて来たのに、大映が潰れてガメラが作られなくなった翌年にあたしが生まれたってことに、ものすごく運命的なものを感じてる。さらに言わせてもらえれば、このあたし自身が8作目の昭和ガメラなんじゃないかって思ってる。ガオ~!(笑)

で、昭和ガメラの魅力ってのは、ガメラのカッコ良さや可愛らしさ、子供の味方に徹してるとこだけじゃなくて、アイデアにあふれた数々の敵の素晴らしさも忘れちゃならない。蛾を大きくしただけのモスラや、エビを大きくしただけのエビラなんかとは違って、どの怪獣もアイデアにあふれてる。たとえば、4作目のバイラスなら、見かけは巨大なイカだけど、エンペラ(イカの頭の三角の部分)が尖ってる上に、開いたり閉じたりしちゃう。そして、閉じて尖がると恐ろしい武器になり、ガメラの堅い甲羅をも貫いちゃうのだ。

そして、お腹から背中までをバイラスに串刺しにされたガメラは、瀕死の重症を負いながらも、ジェット噴射で回転し始めて、バイラスに刺されたまま飛んで行く。そうすると、バイラスの足が遠心力で傘みたいにひらいちゃう。この辺の細かいとこが素晴らしい‥‥って、あんまり1つの作品について語ってるとキリがないんだけど、とにかく、背中から冷凍光線を出すバルゴンにしても、「包丁」をモデルにするっていう意外性がワンダホーなギロンにしても、とても東宝にはマネのできない怪獣がメジロ押しだ。細かいことを言うと、ギロンは「ギロチン」をモデルにしてるんだけど、どう見ても包丁にしか見えない。

そして、ガメラを語る上で、絶対に忘れちゃならないのが、永遠のライバルであるギャオスだろう。プテラノドンをまんま再現しただけのラドンと違って、立ってる時のギャオスは、まるでペンギンみたいな楽しさがある。そして、口からレーザー光線を出す時には、必ず前もって頭の真ん中が赤く光るから、ガメラのほうも観てるあたしも「来るぞ!」っていう心構えができる。だから、あたしは、ギャオスも大好きなんだけど、あたしが好きなのは、ノーマルのギャオスじゃなくて、ギロンに出て来る「宇宙ギャオス」だ。「宇宙ギャオス」は、体の形はおんなじだけど、全身が銀色でカッコイイのだ。

ちなみに、この大映のガメラシリーズってのは、当然、東宝のゴジラシリーズの大人気にあやかってスタートしたもので、昭和29年(1954年)のゴジラの1作目に遅れること11年、昭和40年(1965年)に「大怪獣ガメラ」が公開されたことからもよく分かるだろう。だけど、この「宇宙ギャオス」って発想は、大映のほうが先なのだ。ガメラシリーズがスタートして、3作目の「ガメラ対ギャオス」がヒットしたら、大映は2年後の「ガメラ対大悪獣ギロン」に「宇宙ギャオス」を登場させた。

でも、ゴジラシリーズに、これとおんなじ発想の「スペースゴジラ」が登場するのは、遥か後の平成6年(1994年)の「ゴジラVSスペースゴジラ」なのだ。こうして見ると、人気としても、シリーズとして長続きしたのも、ゴジラのほうに軍配が上がるけど、その斬新なアイデアや1作の内容の充実さに関しては、ガメラのほうが優れてるってことが分かると思う。

‥‥そんなワケで、これほどワンダホーなガメラなのに、平成ガメラになると、トタンに楽しくなくなる。まず、ガメラのビジュアルが、可愛らしくなくなった。目つきも悪くなったし、キバはヤタラと長くなったし、甲羅のディテールもミョ~にリアルになっちゃったし、なんか、単なる大きなカミツキガメみたくなっちゃった。だから、変にオドロオドロしい感じで、「正義の味方」「子供の味方」ってイメージがなくなっちゃった。

フランク・ザッパに区分けすると、昭和ガメラは、いかにも着グルミですよって感じの可愛らしさがあるのに対して、平成ガメラは、技術の進歩による中途半端なリアリティーが台頭して来たことによって、ガメラの最大の長所である「子供の心を惹きつける魅力」がなくなっちゃったのだ。だから、昭和ガメラを好きだったあたしが、初めて平成ガメラを観た時のガッガリ感は、往年のゴジラファンが、1998年にハリウッドで作られた「GODZILLA」を観た時のガッカリ感とおんなじだと思う。

それから、平成ガメラの良くない点は、ギャオスにばかり寄りかかってるストーリーにもある。そりゃあ、人気のあるギャオスを登場させたいと思う気持ちは分かるけど、ガメラと同様に、中途半端なリアリティーで始祖鳥とプテラノドンのハーフみたいなビジュアルになっちゃったギャオスは、ぜんぜん強そうに見えない。その上、ドーム球場の屋根を開けて、おびき寄せて、屋根を閉めて捕まえるだなんて、ヒザカックンもいいとこだ。

そして、やっと2作目の「ガメラ2 レギオン襲来」で、宇宙から飛来した未知の敵との対決になったと思ったのもトコノマ、3作目の「ガメラ3 邪神<イリス>覚醒」は、ものすごい敵が登場するのかと思ってたのに、タイトルにもある「イリス」って、単なるギャオスの進化形態だった。それも、ワケの分かんない植物みたいなビジュアルで、カッコイイとかカッコ悪いとか、強そうとか弱そうとかってことじゃなくて、ただ「気持ち悪い」って感じだった。

全編をCGで作ったであろうガメラとの空中戦も、スピード感こそあったけど、イマイチよく分かんなかったし、自衛隊がガメラに向けて発射するミサイルの名前が「ペトリオット」ってとこで、あたしは飲んでたお茶を噴き出しちゃったよ。ちゃんと「パトリオット」にするか、それが問題あるなら、ぜんぜん別の名前にすればいいのに、いくらなんでも「ペトリオット」はないだろう。この名前のセイで、それまでワリと真剣に観てたのが、一気に興ざめしちゃったよ。

ま、いろいろゴチャゴチャと書いて来たけど、あたしは、基本的には平成ガメラも好きだ。ストーリーや設定は、子供向けの昭和ガメラとは比べ物にならないほど練られてるし、大人が観ても十分に楽しめる。ただ、あたしは、やっぱりガメラは「子供の味方」だと思ってるから、ガメラが大暴れして渋谷をメチャクチャにして、109を始めとしたビルを次々と破壊して、逃げ惑う人たちを何百人も何千人も吹っ飛ばした上で、たった1人の子供だけを助けられても、「おいおいおいおい!」って思っちゃう。

‥‥そんなワケで、あたしが初めてガメラを観たのは、たぶん子供のころにテレビで観たんだと思うけど、本格的に観るようになったのは、大人になってからだ。深夜のテレビで「ガメラ対ギャオス」を放送してて、あまりにもチャチな特撮にホノボノとしつつも、口から光線を出す前にギャオスの頭が赤く光るとことか、その光線で切られたガメラの腕から青い血が出るとことかに「おおっ!」って思ったことを覚えてる。そして、何よりも感動したのが、人間からしてみたらどっちも迷惑千万な怪獣なのに、キチンと、ガメラが正義の味方でギャオスが悪者ってことが明確になってたからだ。だから、一応はその流れを汲んでる平成ガメラも、文句を言いつつ、それなりに楽しく観させてもらってる。今は、パソコンテレビのギャオス‥‥じゃなくて、GyaOで、「ガメラ3 邪神<イリス>覚醒」を配信してるから、「ペトリオット」って言葉でヒザカックンされたい人や、無意味にセクシーな山咲千里をタンノーしたい人や、キャンプ中に一瞬でミイラにされちゃう仲間由紀恵にアゼンとしたい人や、歌舞伎俳優の中村勘太郎との熱愛が発覚した前田愛の若かりしころに興味のある人は、ぜひ観てみて欲しいと思う今日この頃なのだ。


「ガメラ3 邪神<イリス>覚醒」(2月1日 正午まで)
http://www.gyao.jp/sityou/catedetail/contents_id/cnt0077689/


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2009.01.05

麻生首相、今年は書き間違い

「麻生首相、今年は書き間違い」(世田谷通信)

昨年は漢字の読み間違いを連発して話題になった麻生太郎首相だが、4日の年頭会見で行なった書き初めのパフォーマンスでは、今度は「書き間違い」があることが分かった。「安心活力」と書いた左側の日付と署名が「平成廿十一年新春 麻生太郎」となっていたのだ。「廿」は1文字で「20」を表わすため、「平成21年」は「平成廿一年」と書くのが正しく、「廿」の下の「十」は必要ない。また自民党のホームページでも麻生首相の年賀状を掲載しているが、こちらの日付も「平成廿十一年元旦」と間違って書かれているので、単なる書き間違いではなく、間違って覚えているものと思われる。(2009年1月5日)


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坂本総務政務官が問題発言

「坂本総務政務官が問題発言」(世田谷通信)

自民党の坂本哲志総務政務官は、5日、総務省の仕事始めの挨拶で、東京の日比谷公園の「年越し派遣村」について、「本当にまじめに働こうとしている人たちが集まっているのかな?という気もした」「『(厚生労働省の)講堂を開けろ』『もっといろんな人が出てこい』(という要求)は、学生紛争の時の『学内を開放しろ』『学長よ出てこい』という戦術、戦略が垣間見える気がした」と発言した。また麻生太郎首相は、4日の年頭会見で「悲観主義は気分によるものであり、楽観主義は意志によるものである。好きな言葉であり、ある哲学者の言葉です」と語り、派遣切りにあった人たちから「何も好きこのんで悲観的になっているわけではない」と強く反発されている。「年越し派遣村」は、派遣切りにあって行く場所を失った人たちのために、何もしない政府に代わって民間のボランティア団体などが寝場所と食べ物などを無償で提供していたもので、約500人の人たちを救ったと高く評価されている。(2009年1月5日)


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イスラエル軍、クラスター爆弾を使用

「イスラエル軍、クラスター爆弾を使用」(世田谷通信)

3日夜(日本時間4日未明)、ガザへ侵攻したイスラエル軍は、地上と空と海からの総攻撃を続けており、多くの民間人が死傷している。イスラエル軍の戦車部隊は、高台や主要幹線道路など戦略拠点を制圧し、ガザを南北に分断、主要都市ガザ市を包囲した。各地で激しい攻撃が行なわれ、日本時間5日未明には、パレスチナ人の死者は520人を超え、このうちの半数近くが民間人と見られている。またイスラエル軍は「非人道的」との理由から国際会議などで使用禁止を呼び掛けているクラスター爆弾を使用しているとイスラエルのテレビ局が映像をまじえて報じた。クラスター爆弾は大型の弾体の中に複数の子弾を搭載した爆弾であり、空中で広範囲に子弾を撒くシステムだが、その多くが不発弾として残るため、戦闘が終息したあとに子供など多くの民間人が事故で死傷している。(2009年1月5日)


「ガザの住宅密集地へ投下されるクラスター爆弾」


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「ist」と「er」

あたしは、昔から疑問に思ってるんだけど、ロックバンドとかで、ボーカルをする人は「ボーカリスト」で、ギターを弾く人は「ギタリスト」で、ベースを弾く人は「ベ―シスト」で、キーボードを弾く人は「キーボーディスト」なのに、どうしてドラムを叩く人だけは「ドラミスト」じゃなくて「ドラマー」って呼ばれてるんだろう? 他の楽器でも、ピアノを弾く人は「ピアニスト」だし、バイオリンを弾く人は「バイオリニスト」だし‥‥って考えてったら、ふと気づいたんだけど、ボーカルは楽器じゃないから特別としても、他の楽器はみんな「弾く」ものだった。ギターもベースもピアノもバイオリンも、みんな「弾く」もので、ドラムだけが「叩く」ものだった。

だから、あたしは、弾く楽器の場合は「~ist」になって、叩く楽器の場合だけが「~er」になるのかな?‥‥って思ったのもトコノマ、木琴(シロフォン)や鉄琴(ヴィブラフォン)も叩く楽器だけど、「シロフォニスト」と「ヴィブラフォリスト」って言う。まあ、木琴や鉄琴の場合は、叩くって言っても、ドラムみたいなリズム楽器じゃなくてメロディー楽器だから、ジャンルが違う。でも、そしたら、ボンゴを叩く人は「ボンゴイスト」だし、コンガを叩く人は「コンガイスト」だし、みんなひっくるめてパーカッションを担当すれば「パーカッショニスト」だ。つまり、リズム楽器であろうとメロディー楽器であろうと、叩いて音を出す楽器の中で、演奏者の呼び名が「~er」になるのは、今のとこドラムだけってワケだ。

で、今度は、「弾く」でも「叩く」でもなくて、「吹く」楽器を見てみると、これが複雑なのだ。フルートを吹く人は「フルーティスト」なのに、トランペットを吹く人は「トランペッター」で、さらには、サックスを吹く人になると、「~ist」でも「~er」でもなくて、「サックス・プレイヤー」って呼ばれてる。細かいことを言えば、これも「~er」の部類に入るのかもしれないけど、あたし的には、ちょっとインチキっぽく感じる。だって、こんな方式もアリなら、めんどくさい呼び方なんかやめちゃって、みんな「ギター・プレイヤー」「ベース・プレイヤー」「ドラム・プレイヤー」「フルート・プレイヤー」「トランペット・プレイヤー」‥‥ってことにしちゃえば、まぎらわしくなくなると思う今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、マクラに書いたことを総括すると、その楽器の演奏者に対する呼び名が「~ist」になるのと「~er」になるのは、「弾く」とか「叩く」とか「吹く」とかの演奏方法の違いによって分かれてるワケでもなくて、「木」とか「金属」とかの楽器の材質の違いによって分かれてるワケでもないってことだ。で、普通に考えると、単なる「英単語の語呂」として、「~ist」にしたほうがシックリ来るものと、「~er」にしたほうがシックリ来るもので分かれてるって考えるのが自然だろう。だけど、そうすると、ここで大問題が発生しちゃうのだ。

それは、「キーボーディスト」だ。キーボードを弾く人が「キーボーディスト」なのに、スノーボードをする人は「スノーボーディスト」じゃなくて「スノーボーダー」って呼ばれてる。キーボードの「ボード」もスノーボードの「ボード」もおんなじ「ボード」なのに、何でキーボードのほうは「キーボーディスト」で、スノーボードのほうは「スノーボーダー」なんだろう?‥‥って、どうしても疑問だったから、アメリカ人のお友達に電話して聞いてみた。そしたら、英語圏では、キーボードを弾く人のことは「キーボーディスト」とも「キーボーダー」とも言うし、スノーボードをする人のことは「スノーボーディスト」とも「スノーボーダー」とも言うんだって。

それで、ついでに聞いてみたら、ニュアンスの問題として、「~ist」にすると、アーティストっぽいイメージ、インテリっぽいイメージになって、「~er」にすると、単なるプレイヤーっていう雑なイメージになるそうだ。で、キーボードの場合は、「鍵盤楽器」って意味の他に、パソコンのキーボードとかも指す言葉だから、「キーボーダー」って言い方だと「鍵盤楽器の演奏者」とは断定しにくくなる。それで、英語圏では、「キーボーダー」でも間違いじゃないんだけど、「鍵盤楽器の演奏者」ってことを明確にするために、アーティストっぽいイメージを持ってるほうの「キーボーディスト」って言い方を多様してるそうだ。

う~ん、母国語じゃないから、ニュアンスの問題って言われると、分かるような気もするし分からないような気もする。たとえば、オートバイに乗る人のことを「ライダー」って言うけど、これは「乗る」って意味の「ride」に「er」をつけただけだから、本来ならオートバイのことには限定されないハズだ。じゃあ、何でオートバイに乗る人のことを指す言葉として使われてるのかって言うと、この「ride」ってのが、もともとの語源が「馬にまたがる」って意味だったからで、かつては馬に乗る人のことを「ライダー」って言ってたからだ。そして、時代が流れて、馬の代わりにオートバイが登場して、オートバイのことを「鉄の馬」なんて形容するようになったことから、オートバイに乗る人のことも「ライダー」って言うようになったってワケだ。

ようするに、この「ライダー」って言葉は、オートバイに乗る人のことだけを指すんじゃなくて、「馬に代わる乗り物」に乗る人のことを指すワケだ。だから、エンジンのついてない自転車の場合でも、BMXとかマウンテンバイクとかのワイルドなイメージのある自転車に乗る人は「ライダー」って呼ばれてる。そして、細いタイヤのサイクリング車になると、スポーツタイプだけど荒々しいイメージはなくなるから、「サイクリスト」って呼ばれるようになる。ちなみに、あたしの場合は「ママチャリスト」だ(笑)

で、オートバイに乗る人でも、「ライダー」の他に、「バイク」に「er」をつけて「バイカー」って呼ぶ場合もあるし、「モーターサイクル」に「ist」をつけて「モーターサイクリスト」って呼ぶ場合もある。これこそニュアンスの問題で、あたしのイメージなら、「ライダー」って言うと、前屈姿勢で乗るロードレーサータイプのオートバイに、レーサーみたいな皮のツナギを着て、ヘルメットもグローブもブーツも、モトGPに出場しちゃうみたいな本格的な感じがする。そして、「バイカー」って言うと、アメリカンタイプのバタバタ走るオートバイに寝袋とかを積んで、背中にドクロの刺繍とかしてある袖を切ったGジャンを着て、まっすぐな埃っぽい道を走り続けてる感じがする。それから、「モーターサイクリスト」の場合は、トライアンフのヴィンテージの完全レストアとか、カワサキのW1にキャブトンマフラーとかで、リーバイスのジーンズに黒のダブルの皮ジャンで、都会をオシャレに乗りまわしてそうな感じがする。

ま、これは、あくまでもあたしのイメージだけど、フランク・ザッパに言えば、「er」がつく「ライダー」や「バイカー」のほうは、タイプは違ってもワイルドなイメージがして、「ist」がつく「モーターサイクリスト」のほうは、ワイルドってよりもオシャレなイメージが強くなる。だから、これが、アメリカ人のお友達が言ってた「ist」と「er」との「ニュアンスの違い」なのかな?って思った。

‥‥そんなワケで、この「ニュアンスの違い」ってことを前提にして考えると、楽器演奏者の呼び名の中でのマイノリティーである「ドラマー」と「トランペッター」には、他の楽器よりもワイルドなイメージがあるってことに気づいた。ドラムは思いっきりワイルドだと思うし、トランペットにしても、他の吹奏楽器よりもワイルドって言うか、とんがった感じの自己主張があるように感じる。たとえば、いろんな吹奏楽器で、おんなじ楽曲のソロを激しく吹きまくった場合に、トランペットが、どの楽器よりもワイルドで攻撃的な印象に聴こえそうな感じがするのだ。

でも、こうなって来ると、これまたヤヤコシイことになって来る。何でかって言うと、ロックのドラムに負けないほどワイルドで熱いニポンの「和太鼓」の場合、その演奏者のことを英語圏では「タイコイスト」って呼ぶからだ。ニポンの伝統楽器のほとんどは、世界的にも認知されてて、多くの国にファンがいる。だから、「三味線」にしても「尺八」にしても「お箏」にしても世界的に有名な楽器で、それぞれの楽器の演奏者のことは、「シャミセニスト」「シャクハチスト」「コトイスト」って呼ばれてる。だから、「和太鼓」の演奏者も、その流れて「タイコイスト」って呼ばれてるみたいなんだけど、あのワイルドさを加味すれば、「和太鼓」の場合は「ist」じゃなくて「er」だろう。まあ、「タイカー」ってことにしてもあんまりワイルドじゃないけど、少なくとも「タイコイスト」よりはマシだと思う。

あと、あたし的には、「三味線」は「シャミセニスト」でいいけど、激しい「津軽三味線」だけは「er」にして欲しい。でも、「ツガルシャミセナー」ってのも、どっかの自己啓発セミナーみたいでインチキ臭いから、「太棹」に「~er」をつけて「フトザオラー」ってのがいいと思う。怪獣みたいでカッコイイし‥‥って、ここまで書いて来て気づいたんだけど、「er」をつける場合には、濁音が入ってないとワイルドさが出ないみたいだ。「ドラマー」しかり、「ライダー」しかり、「バイカー」しかり、「フトザオラー」しかり、1音でも濁音が入ってると、ナニゲにワイルドな感じがする。だから、「トランペッター」はちょっと軽く感じてたし、「タイカー」は激しく軽く感じてたのだ。

「タイカー」に濁音を入れて「タイガー」にすればグッとワイルドになるし、もひとつ濁音を増やして「タイガー・ジェット・シン」にすれば、さらにワイルドになる。さらには、あと4つ濁音を増やして、「タイガー・ジェット・シン対アブドーラ・ザ・ブッチャー」にすれば、あまりにもワイルド過ぎて、想像しただけで流血しちゃいそうだ。だから、これからは、「和太鼓」の演奏者のことを「タイガー・ジェット・シン対アブドーラ・ザ・ブッチャー」って呼んで欲しいと思う。

‥‥そんなワケで、ヘアメークをナリワイとしてるあたしは、何よりも嫌いなのが、「メークアップアーティスト」って呼ばれることだ。だから、自分の名刺には、「Hair & Makeup」としか書いてない。今は、くだらないアイドル歌手までもが、何の臆面もなく自分のことを「アーティスト」って言ってハバカラナイ時代になっちゃったけど、あたしのツラの皮はそこまで厚くはない。だって、もしもあたしが「アーティスト」を自称しちゃったら、あたしが「主役」で、お客さまが「作品」てことになっちゃうからだ。あたしにとってのヘアメークとは、その人の内面の美しさを引き出すお手伝いをさせていただくことであって、主役はあくまでもお客さまだ。だから、あたしは、これからも、「ist」も「er」もつけずに、肩書きによるイメージなんかには左右されずに、ひたすら自分のスタイルを貫いて行こうと思う今日この頃なのだ。


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2009.01.04

イスラエル軍が地上戦を開始

「イスラエル軍が地上戦を開始」(世田谷通信)

パレスチナ自治区ガザ地区への大規模な空爆を続けていたイスラエル軍は、3日夜(日本時間4日未明)、地上侵攻を開始した。現地の報道によると、ガザ地区周辺に集結していたイスラエル軍の地上部隊は、ガザ地区北部のヘイトラヒヤなど4カ所から一斉に突入し、ハマスとの間で激しい交戦が始まった。イスラエル軍報道官は侵攻開始から数時間の戦闘で、ハマスの戦闘員数十人を殺害したと発表。また戦車による攻撃でパレスチナ人の子供1人が死亡し、11人が負傷したとガザ地区の医療関係者が伝えている。(2009年1月4日)



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手遅れ

風刺漫画家、壱花花さんの映像作品「手遅れ」をご紹介します。

これは2007年の作品ですが、さすが風刺漫画家だけあって、現在のニポンの労働者たちの状況をミゴトに予測しています。

3分間の作品なので、ぜひご覧ください。


「手遅れ」


「壱花花さんのサイト」
http://18787.main.jp/


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今年の三大イベント

ゆうべの「しぶんぎ座流星群」は、母さんと一緒に着膨れして、夜の11時から12時までがんばって観察したんだけど、ほとんど観られなかった。それでも、母さんとおしゃべりしながら夜空を見上げてるのは楽しかったし、1時間で6つの流れ星を確認できて、そのうちの5つは一緒に観ることができた。いつもは、1人で黙って観てるだけだから、2人でキャーキャー言いながら観るのはホントに楽しかった。ただ、確実に「しぶんぎ座流星群」だって言えるのは3つだけで、残りの3つは、無関係な通常の流れ星だった。でも、ピークを迎える本番は今夜だから、今夜はあたし1人で観に行くつもりだ。

三大流星群でも、7月から8月にかけての「ペルセウス座流星群」と、12月の「ふたご座流星群」は、流れ星のモトになる宇宙の塵のカタマリが、地球の軌道とゆるい角度で交差するから、イイ感じに併走するみたいになって、ワリと長いこと観られる。たとえば、「ペルセウス座流星群」のピークを8月10日だとすれば、その数日前から数日後まで観られるし、ピークの前後の日はピークの日に近いくらい観られる。ようするに、ピークが長く続くってワケだ。

だけど、今回の「しぶんぎ座流星群」は、地球と宇宙の塵のカタマリとの交差する角度が71度っていう鋭角だから、数時間でピークが過ぎちゃう。そのため、ピークの前日も翌日もそんなに観られない。で、そのピークが、今夜、3日の夜から4日の明け方にかけてなので、今夜こそがチャンスってワケだ。でも、この「3日の夜から4日の明け方にかけてがピーク」ってのは、あたしの信頼してる国立天文台のホームページに書いてあったことで、別のとこには「4日の15時が極大」って書いてあった。だから、こっちの情報が正しければ、ピークを迎えるのは明日の昼間ってことになり、今夜はそれほど期待できないってことになる。

で、今年もフランク・ザッパに突っ走るあたしとしては、大ザッパに「国立天文台寄りの両方の中間」をとることにして、今夜の深夜2時か3時くらいから明け方まで観察してみようかと思ってる今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、あたしは、明日の仕事始めは午後からなので、明け方まで流れ星を観てるのは時間的には大丈夫なんだけど、どうせ1人で観るのなら、周りが暗くて観察しやすい場所でジックリと観たい。そうなると、いつもあたしが星を観察に行く場所、自転車で15分ほど多摩川を上流へ上った東名高速の高架の手前のとこの土手がいいんだけど、ちょうどそこの東名高速の高架の下で、昨日、ホームレスのおじさんが何者かに殺されたのだ。で、今日の昼間も、パトカーが赤色灯を回しながら道路を塞ぐように停まってて、例の黄色いテープみたいなのが張られてた。

この近辺は、夜になると人通りがほとんどなくなる薄暗い場所で、あたしも何年か前に変質者に襲われたことがある。オマケに、すぐ前の河原に住んでたホームレスのおじさんが、中学生か高校生のグループから、リンチに遭ったり火をつけられたりしたこともある。だから、ただでさえ気をつけなくちゃならない場所なのに、さらに殺人鬼がウロウロしてるってことは、激しくヤバイ状況だってことになる。深夜の2時3時に、あたしみたいな美女が1人でフェロモンを撒き散らしながら夜空なんか見上げてたら、背後から変質者と殺人鬼が2人そろってホフク前進で近づいてきちゃうかもしれない。

だから、周りが明るくて観察しにくくても、やっぱり安全なマンションの屋上のほうが無難かな?‥‥なんて思いつつ、あたしのことは、今夜の夜中になってから考えるとして、この日記を読んで、「今夜、しぶんぎ座流星群を観てみよう!」って思った人へのアドバイス的なことを書こうと思う。まず、「しぶんぎ座流星群」が飛んで来るのは、北東の方角だ。もしも、星がキレイに見えるような場所だったら、まずは北斗七星を「あたたたたたたた~!」って探す。で、横向きに寝てる北斗七星が「ひでぶ!」って見つかったら、それが北東の方角だから、その北斗七星の下あたりを中心にして、広範囲に観てるといい。実際には、北斗七星の左下にタテに並んでるのが「りゅう座」で、このあたりが中心になるんだけど、りゅう座は分かりにくいから、北斗七星を目印にしたほうが分かりやすい。

今の時期なら、正反対の南西の空には、「冬の大三角」が輝いてる。まず、「オリオン座」を探して、オリオンの右肩(向かって左上)の赤っぽい明るい星がベテルギウス、そのずっと左下の星の中でいちばん明るくて青白いのが「おおいぬ座」のシリウス、ベテルギウスのずっと左のほうにある「こいぬ座」のプロキオン、この3つの星でできる逆三角形が「冬の大三角」だ。そして、ずっと上にある「ぎょしゃ座」のカペラから右回りに、「おうし座」のアルデバラン、「オリオン座」のリゲル、「おおいぬ座」のシリウス、「こいぬ座」のプロキオン、「ふたご座」のポルックスで、「冬の大六角形」、通称「冬のダイヤモンド」の出来上がりだ。

だから、もしも「しぶんぎ座流星群」が思ったほど観られなかったとしても、反対側の南の空を見れば、こうした星たちの競演が楽しめるってワケだ。何しろ、今年は、「天文学の父」って言われたガリレオ・ガリレイが、自作の望遠鏡で初めて天体観測を行なった1609年からちょうど400年目にあたることから、「2009年を世界天文年てことにしよう!」って決まったのだ。だから、2005年11月28日の日記、「冬の夜空」を読んだり、こちらのホームページの「星図」で「冬の大三角」や「冬のダイヤモンド」の図を見たりしてから、ぜひ、星空を見上げてみて欲しいと思う。

‥‥そんなワケで、星を眺める楽しさを熱弁して来たあたしとしては、ホントのことを言うと、今夜の「しぶんぎ座流星群」なんて、あんまりオススメできない。もちろん、あたしは楽しいんだけど、タマにポツリポツリと飛ぶような流星群を観ても、興味のない人はそんなに感動しないからだ。あたしが観せてあげたいのは、かつての「しし座流星群」みたいに、まるで星がシャワーのように降って来るものすごい流星群だ。2001年の「しし座流星群」は、1時間に最大で3000個もの星が流れて、まるで夢を見てるみたいに素晴らしかった。

これは、前にも書いたけど、何でこんなにすごい「しし座流星群」が三大流星群の中に入ってないのかって言うと、その年によって、ものすごい時もあれば、ぜんぜん観られない時もあって、安定してないからだ。だから、それほどすごくなくても、毎年、安定して、おんなじくらいの流れ星が観られる「しぶんぎ座流星群」と「ペルセウス座流星群」と「ふたご座流星群」が三大流星群に選ばれるってワケだ。

この「しし座流星群」は、2001年が一番すごかったけど、1999年と2002年にも、1時間に1000個以上の星のシャワーが観られた。このくらいすごいのを「流星嵐」とか「流星雨」って呼ぶんだけど、そのあとはサッパリで、オトトシの2007年までは、しし座ゲリオン初号機は完全に沈黙しちゃった。だけど、去年は、1時間に100個ほど観られて、ヒサビサの復活を見せた。ようするに、1時間に2000個も観られる年もあれば、まったく観られない年もあれば、通常の流星群とおんなじくらいに1時間に100個くらい観られる年もあるってワケで、あまりにもアバウトな流星群てワケだ。

で、そんな気の置けない「しし座流星群」だけど、ナナナナナント! 今年は、またまたドバッと降りそそぐっぽい感じなのだ! 5年間の沈黙のあとに、去年、突如発生した「しし座流星群」をカリフォルニア工科大学のジェレミー・ヴォバイヨン教授のチームが調べたところ、これが、1333年に彗星が残した塵の中を地球が突き抜けて発生したものだってことが分かったのだ。そして、こんなに古い塵でも流れ星になるんなら、今年は、1466年にテンペルタットル彗星が残した塵の中を突き抜けるから、最低でも去年とおんなじくらいの数の流れ星が発生するそうだ。

ただ、去年は塵のカタマリのフチの辺りを地球が突き抜けたんだけど、今年はど真ん中を突き抜けるんだって。だから、宇宙空間に散乱してる塵の数はおんなじくらいでも、より密度の高い中心部を突き抜けるワケで、そのぶん、発生する流れ星の数も多くなる。NASAの「マーシャル宇宙飛行センター」の天文学者、ビル・クック氏は、「ピーク時には1時間に500個以上の流星が観られる半流星嵐が予想される」って言ってる。ちなみに、今年の「しし座流星群」のピークは、世界時間の「11月17日21時43分」で、ニポン時間だと「11月18日6時43分」だそうだ。

それで、痒いとこに猫の手が届く「きっこの日記」としては、今年の11月18日の日の出の時刻を調べてみたんだけど、これが残念なことに「6時19分」だった。つまり、ニポンでは、日の出の直後にピークが来るってワケだ。でも、これは、あくまでもピーク・オブ・ピークってことで、この時間を頂点として「半流星嵐」が発生するんだから、11月17日の深夜からたくさんの流れ星が観え始めて、深夜の2時、3時、4時とどんどん増えてって、東の空が明るくなり始める直前には、素晴らしい光景が広がるってーことになる。これは、今からワクワクドキドキの縄文式土器だ(笑)

‥‥そんなワケで、今年は、7月22日に、ニポンでは46年ぶりの「皆既日食」が観られる。それも、46年前の「皆既日食」は、北海道の一部でだけしか観られなかったものが、今年はニポン全国どこでも観られるのだ。正確に言えば、ニポン全国で観られるのは「部分日食」で、太陽と月とがキチンと重なる「皆既日食」は、トカラ列島とか屋久島とかに行かないと観られないんだけど、それでも46年ぶりなんだから、あたしは、もちろん、生まれて初めての体験だ。そして、今年を逃すと、次に観られるのは26年後だから、こりゃあどんなことをしても観るっきゃない。つまり、今年は、7月22日の「皆既日食」と、11月18日の「しし座流星群」と、11月22日の「きっこ生誕祭」が三大イベントってワケで、新年早々、1年の後半が楽しみになって来た今日この頃なのだ(笑)


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2009.01.03

永田寿康氏が自殺

「永田寿康氏が自殺」(世田谷通信)

元民主党の衆院議員、永田寿康氏(39)が3日午後6時半過ぎ、北九州市八幡西区里中の11階建てマンションから飛び降り自殺をした。音を聞いたマンションの管理人が駐車場で倒れている永田氏を発見して110番に通報し、駆けつけた救急隊員によって病院に搬送されたが、午後7時過ぎに死亡が確認された。マンションの10階と11階の間の踊り場には紙パック入りの焼酎とノートが残されており、ノートには永田氏が書いたと思われる遺書めいた内容が遺されていた。通報を受けた福岡県警幡西署では飛び降り自殺として調べている。永田氏は、平成18年、国会の偽メール問題の責任を取り議員を辞職していたが、うつ病になり、去年10月からは親族が保有する同市内の保養施設で療養中だった。去年11月には施設を抜け出して自殺未遂を起こしており、親族が心配していた矢先のできごとだった。(2009年1月3日)


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ガザ空爆に反対する署名にご協力を!

イスラエルのガザ空爆に反対する電子署名のお願いです。





「署名フォーム」
http://www.avaaz.org/en/gaza_time_for_peace/?cl=161793181&v=2606


英語の署名サイトですが、以下の指示に従って記入すれば簡単です。


「1.Sign the petition」と書いてある下の入力フォームとピンクの「SEND」は無視して、その下へ進みます。

「Name」の欄に、半角のローマ字で自分の名前を記入します。
山田花子なら「Hanako Yamada」と記入します。

「Country」の欄で、右端の「V」をクリックして、「JAPAN」を選択します。

「Email」の欄に、自分のメールアドレスを記入します。

「Cell/Mobile」(携帯電話番号)と「Postcode」(郵便番号)は省略しても大丈夫です。

これで、下のピンクの「SEND」をクリックすれば、署名は完了です。


現在、12万人以上の署名が集まっていますが、まだまだ足りません。
どうか、アメリカの利権のための人殺しを止めるために、その人殺しに加担しているニポン政府の悪事を止めるために、署名にご協力を!


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戦争反対!

今年のお正月は、久しぶりに母さんと過ごしてるので、せめて三が日くらいはマッタリとした日記を書きたかった。だけど、国内外から次々と届く悲惨なニュースの数々に、とてもマッタリとした日記を書いていられる状況じゃなくなった。特に、昨年末から続いてるイスラエル軍による大量無差別殺人は、あまりにも酷すぎる。アメリカの飼い犬であるニポンの報道は、常にアメリカ側、イスラエル側に立った偏向報道しかしないけど、あたしのとこには、大晦日やお元日にイスラエル軍の空爆を受けて、血まみれになってガレキの下敷きになってる人たちの写真や、殺された我が子を抱き、泣き叫んでる母親の映像などが届き続けてる。これらは、すべて、決してニポンでは報じられない「ガザの真実」の姿なのだ。

昨日のお元日、イスラエル軍は、ハマスの幹部、ニザル・ラヤン氏を殺すために、ラヤン氏の自宅があるガザ北部のジャバリア難民キャンプを空爆して、ラヤン氏の自宅を中心に、1トンもの爆弾を大量投下した。このキチガイじみた作戦によって、ラヤン氏の妻や子供を始め、無関係な難民など、合計で18人もの人たちが巻き添えで殺された。でも、イスラエル政府は、ラヤン氏を殺害できたことで、この作戦を「成功」とし、女性や子供たち、無関係な難民たちの巻き添えなど、何とも思っていない。たった1人を殺すために、これほどメチャクチャな空爆が行なえるのも、これほど大量の爆弾を使用できるのも、アメリカのバックアップやニポンの援助があるからだ。

この1月1日の空爆は、もちろん、ラヤン氏の自宅周辺だけでなく、ガザ地区のあちこちで行なわれ、政府公舎から民間人の住むアパートまで、無差別に爆弾が落とされ、多くの人たちが殺された。この空爆は、前日の12月31日に、アラブ側から出された停戦決議案に対して、アメリカが「拒否」したことによるものだ。国連安保理の非常任理事国であるリビアは、あまりにも酷いイスラエル軍の大量無差別殺人に対して「強く批難する」として、即時停戦を求める決議案を提示した。だけど、ほとんどの国がこの停戦決議案を採択したのにも関わらず、アメリカのハリルザド国連大使が「拒否」したことで合意には至らなかった。そして、イスラエル軍は、「待ってました!」とばかりに、翌日の1月1日からも激しい空爆を続行したのだ。


‥‥そんなワケで、今日は「いかがお過ごしですか?」はナシにして行くけど、今日の日記は、ものすごく重要なことを書くから、ぜひ、最後まで読んで欲しい。で、まず基本的なこととして、あたしは、イスラエルを始めとして世界の国々に武器を売りつけて金儲けしてる戦争大国のアメリカが、国連の常任理事国のイスに居座り続けてて、こうした停戦の決議案に対して、いつもいつも「拒否」してること自体が大問題だと思ってる。今回のケースなら、イスラエル軍が空爆を続けてるオカゲで、イスラエルをお得意様としてるアメリカが大儲けしてるワケなんだから、アメリカとしては、1日でも長く空爆が続いてくれたほうが嬉しいワケで、停戦の決議案に対しても、おいそれと合意しないことは最初から分かってることだ。

で、「ものすごく重要なこと」ってのは、沖縄の辺野古と並んで、ニポン政府が地元住民の声を無視してアメリカ軍のヘリパットを建設しようとしてる高江のことだ。高江は、皆さんご存知のように、沖縄では「やんばる」って呼ばれてる場所にある。この「やんばる」ってのは、漢字だと「山原」って書いて、読んで字のごとく自然の豊かな土地で、有名な天然記念物のヤンバルクイナやノグチゲラを始め、絶滅寸前の希少な動植物が数多く暮らしてる。世界的に見ても珍しい生態系が形成されてて、あたしたちニポン人が絶対に後世へ遺さなきゃならない貴重な財産だ。

だけど、ここには、沖縄で最大のアメリカ軍の演習場、広大な「北部訓練場」がある。「北部訓練場」は、通称「ジャングル戦闘訓練センター」って呼ばれてて、その面積は、約7500ヘクタールだ。これは、那覇市の2倍もの面積、東京ドーム約1700個ぶんもの面積なのだ。そして、この広大な山林を使って、アメリカの兵士たちは、実戦を想定した訓練を繰り返してるんだけど、それだけじゃなくて、ベトナム戦争の時なんか、枯れ葉剤の散布実験まで行なわれたのだ。だから、今後も、アメリカ軍が新しい化学兵器や生物兵器を開発したら、間違いなく、この地域で実験が行なわれる。

で、この「北部訓練場」に隣接した場所に、新たに6ヶ所ものヘリパットを建設することになったんだけど、その6ヶ所のヘリパットが、わずか160人の人たちが暮らす高江の村を取り囲むように配置されてるのだ。それも、こうした話ってのは、国なり県なりから事前に申し出があって、住民との話し合いがあって、初めて決められるのが当たり前のことなのに、高江の村で暮らしてる人たちには、何の連絡もなかったのだ。ある日、新聞を見たら、すでにこの場所に6ヶ所ものヘリパットを建設することが「決定事項」として書かれてたのだ。

武器弾薬を積んだ危険なヘリが、連日連夜、離着陸を繰り返すヘリパットが、自分の住んでる村を取り囲むように6ヶ所も作られるって言うのに、そこに住んでる人たちには何の連絡も相談もなく、ニポンの政府とアメリカの政府だけで勝手に「決定」したってことだ。だから、高江の人たちは、新聞やテレビの報道を見てガクゼンとした。今まで静かに暮らして来た自分たちの村の民家や学校の目と鼻の先に、危険極まりない殺人ヘリの発着場が6ヶ所も作られるなんて、「寝耳に水」とはこのことだ。

それで、高江の人たちは、すぐに県に抗議をしたんだけど、自民党の息のかかった県知事は、すでに「決定事項」だとして、住民たちの訴えを突っぱねた。それで、住民たちの再三の申し入れを無視して、ヘリパットの建設計画はどんどん進み、ついに着工の日を迎えた。それで、高江の人たちは、お年寄りも子供も、みんなで交代で座り込みを続けて、計画の見直しを訴えて来たのだ。

そしたら、去年の12月26日の「きっこの裏日記」でお伝えしたように、政府は、わずか8才の子供を含む15人の住民に対して、「通行妨害仮処分命令」の申し立てをして、訴えを起こしたのだ。ようするに、法的に住民たちの座り込みを排除しようってことで、ここまでしても強引にアメリカ軍のためのヘリパットを建設しようってことなのだ。ちなみに、この8才の子供に対しては、政府は世論を恐れて訴えを取り下げたけど、他の14人に対しての訴えはそのままだ。

‥‥そんなワケで、長い前置きになっちゃったけど、いよいよここからが、「ものすごく重要なこと」になる。それは、去年の5月21日に、この「北部訓練場」をアメリカ軍の海兵隊の案内で、ニポンの自衛隊と、ドイツ軍、オランダ軍、そして、イスラエル軍という4カ国の連絡官が視察してたのだ。詳しくは、去年の7月1日の「琉球新報」の記事を読んでもらうとして、これは、将来的に、これらの他国軍にも「北部訓練場」での演習に参加してもらうための視察だという。アメリカ軍の海兵隊のホームページには、この視察に参加したドイツ軍の上級曹長の感想として、「とても素晴らしい視察だった。この場所で訓練できることを楽しみにしている」ってコメントまで掲載してる。

皆さん、どう思う? アメリカ軍の演習場としてニポンが提供してる沖縄の山林に、ドイツ軍やイスラエル軍、そして、戦争なんかしちゃいけないハズのニポンの自衛隊までもが集合して、みんなで実戦の訓練をするんだってさ。たとえ「視察」であっても、こうしたことをニポンの政府を通さずに勝手にやれるワケはないんだから、あたしたち国民が知らされてなかっただけで、自民ナンミョーの売国政府は、この「視察」を事前に了解してたってことになるし、さらに言えば、この視察の目的である「将来の他国籍軍による合同演習」をも了解してたってことになる。そして、そこに参加する予定なのが、アメリカ、ドイツ、オランダ、イスラエル、ニポンの5カ国だってことだ。

そして、高江でヘリパット建設に反対してる人からの報告によると、この去年の5月21日の視察の時、コイツラは、みんなそろってヘリパットの建設予定地も視察に来たって言ってる。ようするに、すでにいくつものヘリパットがあるのにも関わらず、さらに6ヶ所ものヘリパットを増設する理由は、今後、ドイツ軍やオランダ軍やイスラエル軍やニポンの自衛隊までもが、この「北部訓練場」で人殺しの訓練をするための準備だってことなのだ。そして、その時期が近づいてるからこそ、ニポンの政府は、高江の住民たちを訴えてまで、強引に工事を始めようとしてるのだ。

‥‥そんなワケで、話は大きな円を描いてクルリンパと戻ったけど、今回のイスラエル軍によるガザ地区への大規模な空爆と、この「合同演習」の参加国の顔ぶれを見てもらえれば、すべての謎は一気に解けただろう。どうしてもイランと戦争を始めたいアメリカが、イスラエルを焚きつけて、ガザ地区への空爆を続けさせてるってことなのだ。そして、ハマスを「テロリスト」に仕立て上げることで、ハマスのバックのイランをも「テロリスト」だって図式を作り出し、堂々とイランを攻撃できる大義名分を作りたいってワケだ。だからこそ、リビアの出した停戦決議案にも、ナンダカンダと何癖をつけて「拒否」してるワケだ。

で、何にもしないどころか、アメリカの人殺しに加担し続けてるニポンの政府に代わって、あたしたちがすべきことは、今苦しんでるガザの人たちのことも見過ごせないけど、近い将来、あたしたちの税金で組織されてる自衛隊が、アメリカ軍やイスラエル軍と一緒になって他国民を殺しまくることを阻止するってことだと思う。その第一歩が、高江に新しいヘリパットを作らせないことで、平和のための座り込みをしてただけで政府から訴えられた高江の人たちを救うために、皆さん、ぜひ、以下の署名に協力して欲しい。まずは下記のPDF資料の「説明」を読んでいただき、内容に賛同できる場合は、「署名用紙」をダウンロードして、「説明」に書かれてる住所へ送付するか、ファクスで送って欲しい。ネット上でできる電子署名じゃないので、手間が掛かってしまうけど、ガザの悲惨な写真を見て、自分の支払ってる税金の一部がこうした人殺しのために使われ続けてることに疑問を持った人は、どうか協力して欲しい。


「説明」(PDF資料)
http://nohelipadtakae.org/files/karishobun-shomei1.pdf

「署名用紙」(PDF資料)
http://nohelipadtakae.org/files/karishobun-shomei2.pdf

「やんばる東村 高江の現状」
http://takae.ti-da.net/


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2009.01.02

母と娘のお正月

今年のお正月は、去年のお正月と違って母さんと過ごせるから、あたしは、大晦日も早めに帰って来た。いつもは、夜遅くまで働いて、帰りに車を運転しながらラジオで除夜の鐘を聴くなんてこともあったけど、今回は、晴れ着の着付けとヘアメークのお仕事を受けずに、夕方には仕事納めにした。で、6時過ぎには帰って来て、猫たちにご飯をあげてから、用意しておいた「年越しセット」を持って、愛車のフェラーリF2004(ママチャリ)で母さんのとこへ向かった。

あたしが用意しておいた「年越しセット」は、年越しそば用の「おそば、麺つゆ、長ネギ」、年の湯&初湯のための「登別カルルス」、お元日のための「おもち、カズノコ、銀嶺立山」、お元日に母さんと遊ぶための「秘密道具」などなどなんだけど、この中であたしが買ったのって、780円のカズノコだけだ。カズノコは、母さんもあたしも大好物なので、お正月ってことで、白醤油漬けの小さいパックのを1つ買っておいた。でも、おそば、長ネギ、登別カルルス、おもち、銀嶺立山は、どれも「きっこの日記」の読者やネット友達や俳句仲間からのいただきもので、感謝感激アメトーークだ。

で、これらの「年越しセット」を持って母さんのとこへ行き、まずはおそばを茹でて、恒礼の「大晦日だよドラえもん」を観ながら、年越しそばを食べた。おそばは美味しかったけど、母さんもあたしも、どうしても今のドラえもんの声にはナジメなくて、心から楽しむことができない。だから、テレビはつけてたけど、ほとんど観てなくて、ずっとおしゃべりしてた今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、これは毎年のことだけど、年末年始は観たいテレビ番組がほとんどないから、「ドラえもん」が終わったらテレビを消して、ラジオをつけた。TOKYO FMをつけたら、大晦日だってのに、いつもと変わらずに「Daily Planet」をやってた。そしたら、TOKYO FMをよく聴いてる母さんが、こう言った。


「ホリンキーさん、たしか今日が最後だよ」


「Daily Planet」の編集長のホリンキーは、12月31日までで、1月1日からは新しい編集長に代わるらしい。それで、あたしは、母さんと一緒に「Daily Planet」を聴くことにした。「Daily Planet」は‥‥って言うか、前の「Seven」の時もおんなじだったから、ホリンキーのスタイルなんだろうけど、会話のジャマにならないルーズなダブとか民族音楽とかを流しながら、合い間に時々しゃべる。ある程度のことをしゃべって、しばらく音楽だけが流れて、また続きをしゃべる。だから、1人で聴いてる時もいいんだけど、何人かでラジオを聴いてても、ホリンキーがしゃべり出したら耳を傾けて、音楽になったらみんなでしゃべる‥‥ってふうに楽しめる。

母さんとあたしも、お茶を飲みながら、こんなふうに楽しんだ。ホリンキーは、「日本はあと4時間で新年を迎えるけど、地球上で一番早く新年を迎えるクリスマス島は、もう5時間も前に1月1日になってる」ってこととか、「2009年になることに反発してる人たちのグループが、ずっと2008年のままでいるために、どこかの島に集合してる」ってこととか、いつもながらに面白い世界のニュースを伝えてくれた。母さんとあたしは、そうしたホリンキーのトークを楽しみながら、合い間の音楽のとこで、「へ~!」とかって言いながら、いろんなことをおしゃべりした。

で、ホリンキー最後の「Daily Planet」も終わったので、「年の湯」に入ることにして、登別カルルスを入れたお風呂に入った。狭いお風呂だけど、年に一度の「年の湯」だから、母さんの背中を流そうと思って、一緒に入った。そしたら、「あんた、そんなとこにピアスしたの?」って、新しいボディーピアスがバレちゃったよ(笑)

‥‥そんなワケで、あたしの大晦日の夜は、母さんと年越しそばを食べて、母さんとラジオを聴いて、母さんと「年の湯」に入って過ごした。それで、0時前にはお布団を敷いてゴロゴロしてたんだけど、母さんは登別カルルスのお風呂が嬉しかったみたいで、「もう1回お風呂に入る」って言い出した。それで、またまたあたしも一緒に入ることにしたんだけど、今度は、狭い湯舟に向かい合って2人で入ってみた。そしたら、お湯がザバーッとあふれて、ものすごくもったいなかったんだけど、何だかすごくゼイタクな気分になれて、2人で笑いが止まらなくなっちゃった。

それで、2人で「松葉くずし」みたいな体勢になってお湯に浸かってたんだけど、笑い終わって静かになったら、遠くで除夜の鐘が鳴ってるのが聞こえた。いくつ目の鐘なのか分からないけど、ちょうど0時になったころだと思うから、「年の湯」が「初湯」になっちゃったってワケだ。そしたら、しばらく目を閉じて除夜の鐘を聞いてた母さんが、こんな歌を詠んだ。


「新しき年の初めの初湯とて今日降る雪のごとき湯の色‥‥なんてどお?」


おおっ!ミゴトな本歌どり!サスガ、あたしの母さんだ!この歌の本歌は、もちろん、「万葉集」のラストを飾る大伴家持のこの歌だ。


 新しき年の初めの初春の今日降る雪のいやしけ吉事  家持


ちなみに、「新しき」は、「あたらしき」じゃなくて、「あらたしき」って読む。現代は「新しい」を「あたらしい」って読むけど、この時代は、「あたらしい」って言うのは「惜しい」って意味になっちゃう。今で言う「あたらしい」って意味の言葉は、当時は「あらたしい」だった。ようするに、古いものが新しいものに「改まる」って意味なのだ。今でも「新た」って書いて「あらた」って読むけど、この読み方こそが、「新」ていう漢字の本来の読み方だった。だから、母さんも、ちゃんと「あらたしき年の初めの~」って詠んだのだ。

家持の歌は、年も改まったお元日に、降り積もる雪の様子を詠んでる。万葉の時代には、お元日の雪は「吉兆」、つまり、「良いことの兆し」とされてて、お元日に雪が降ると、その年は豊年になるって言われてた。「吉兆」なんて言うと、今でこそ、他のお客の食べ残しを別のお客に出すようなインチキ料理屋の代名詞であり、恥も外聞もない「ささやき女将」の顔が浮かんできちゃうけど、昔は素晴らしい言葉だったのだ。

それから、家持の歌の「いやけし」ってのは、漢字で書くと「いや重し」ってことで、「ますます重なる」って意味だ。で、何が「ますます重なる」のかって言えば、「吉事(よごと)」、つまり、「良いこと」なワケだ。だから、フランク・ザッパに訳せば、「年も改まったお元日に、良いことの兆しと言われてる雪が、こんなにもどんどん積もって行く。この雪のように、今年は良いことが次々と重なって行くといいなあ」って感じだ。

だから、母さんは、この家持の歌の本意を踏まえた上で、「東京には吉兆を表わす雪は降らなかったけど、まさにお元日に降る雪のような色の初湯に入ったんだから、今年はきっと良いことが重なって行く年になるだろう」って詠んだのだ。単なる語呂合わせだったり、元の歌の本意を無視した本歌どりが多い中、こうしてキチンと本意を踏まえた本歌どりを即興で詠んじゃうなんて、やっぱりあたしの自慢の母さんだ。

‥‥そんなワケで、親子で、裸で、狭い湯舟の中で新年を迎えたあたしは、母さんとお布団を並べて寝た。そして、お元日の朝は、のんびり起きて、お雑煮を作り、母さんが炊いてくれた黒豆と、あたしの買ってったカズノコを並べて、お屠蘇に銀嶺立山を飲んだ。それから、母さんの髪とメークをしてあげて、あたしもチャチャッと済ませて、近所の小さな神社に初詣に行った。

それで、帰って来てからは、いよいよあたしの持ってった「秘密道具」の登場だ。それは、ハンドメイドの「投扇興(とうせんきょう)」だ。「投扇興」ってのは、「枕」っていう台の上に乗せた「蝶」っていうお飾りに向けて扇子を投げて、ぶつかって落ちた時の形によって、2人で順番に得点を競ってく昔の遊びだ。普通に買うと何万円もしちゃうけど、あたしのは自分で作ったものだ。台は、テキトーな箱に重りを入れて安定を良くして、周りに千代紙を貼った。扇子は、使わなくなった安モノだ。そして、問題の「蝶」は、壊れた置物の足の部分をベースにして、釣り具の上州屋で買って来た釣り用の小さな重りを利用して作った。文章だけで説明するのは難しいから、興味のある人は、「投扇興」で検索して、画像を見てみて欲しい。

「投扇興」の得点は、「百人一首」式のものと、「源氏物語」式のものと、もう1つ、別のものがある。「百人一首」式のものは、それぞれの役の名前が、「秋風」とか「有明」とかって「百人一首」の歌にちなんだものになってて、「源氏物語」式のものは、「空蝉」とか「夕顔」とかって「源氏物語」の登場人物とかの名前になってる。これは、流派によって変わるもので、つまり、枕と蝶と扇子とがおんなじ形になっても、「百人一首」式を導入してる流派と「源氏物語」式を導入してる流派とでは、その役の呼び名が変わるってワケだ。だけど、「百人一首」式にも「源氏物語」式にもいくつかの種類があるから、なかなか複雑なのだ。

それで、あたしは、「源氏物語」式の中から、ワリと覚えやすそうなタイプのをやってみようと思って、役の一覧表をコピーして持ってった。だけど、専用の扇子じゃないから、うまく飛ばなくて、何回投げても、扇子が何にも当たらない0点の「手習(てならい)」にしかならない。それで、インチキをして、自分の位置をズラして的までの距離を近くにしたら、3回に1回くらいは当たるようになった。でも、あたしの作った蝶のバランスが悪かったみたいで、枕から蝶が落ちるだけの「末摘花(すえつむはな)」(2点)と、枕の上で蝶が倒れるだけの「松風」(4点)しか出ない。一覧表に載ってる高得点のワザ、たとえば、落ちた蝶が立って、その蝶と枕とに扇子が橋みたいにかかる100点の「夢浮橋(ゆめのうきはし)」とか、枕に扇子が逆さ向きに立て掛かって、そこに蝶が引っ掛かってぶら下がる95点の「御法(みのり)」なんて、1万回くらい投げなきゃ出そうもない。

だけど、母さんはだんだんにコツをつかんで来たみたいで、2回に1回は扇子がグライダーみたいに飛ぶようになった。そして、1回だけ、落とした蝶の上に扇子も落ちて、蝶を扇子が覆い隠す8点の「夕霧」を出した。これが決定打になって、初めての「投扇興」の勝負は、母さんが勝利を飾った。でも、ちゃんとしたルールにのっとって、決められた回数を順番に投げたんじゃなくて、2人で大騒ぎしながら扇子を投げまくって、得点の出た時だけ紙につけてったっていう激しくアバウトな勝負だった。

それにしても、「箱の上の飾りに向かって扇子を投げる」ってだけの極めて単純な遊びなのに、投げるものが「広げた扇子」っていう不規則に飛ぶものだから、ものすごく奥が深い。まっすぐ飛ぶボールとかなら、コントロールのいい人が高得点を出すことになるけど、扇子はまっすぐに飛ばないから、ある程度までは練習でうまくなるけど、最終的には「運」が左右する。つまり、ビギナーズラックや大逆転ていうギャンブル性があるワケだ。だから、あたしは、マジメに「投扇興」に取り組んでる人たちからは邪道だって言われちゃいそうだけど、コレ、お金を賭けてやったら熱くなりそうな気がした(笑)

‥‥そんなワケで、母さんとあたしは、ナンダカンダと1時間以上も「投扇興」で遊んじゃって、気がついたら午後1時半。それで、お腹も空いて来たし、お元日と2日は、午後2時からNHKの教育テレビで「新春桧舞台」をやるから、あたしはご飯の支度をすることにした‥‥って言っても、おもちを焼いて磯部巻きにしたのと、母さんが作ったダイコンとイカの煮物を温め直したのと、朝の黒豆とカズノコの残りだ。それで、お茶をいれたら、ちょうど「新春桧舞台」が始まった。

今年のお正月は、いつもに増して観たいと思う番組がないから、ずっとテレビはつけなくてもいいと思ってたんだけど、母さんが「新春桧舞台だけは観たいわ」って言ってて、演目を見たらあたしも観たくなった。何しろ、「新春」て銘打ってるだけのことはあって、長唄舞踊の「三升猿曲舞(しかくばしらさるのくせまい)」、お筝の「越後獅子」、長唄の「鶴亀」、そして踊りの「梅の春」や「京人形」と、お元日にふさわしく、おめでたい演目がメジロ押しだ。それで、ちょっと遅いお昼を食べながら観たんだけど、どの演目もホントに素晴らしかった。

特に、去年、人間国宝に選ばれた米川文子さんを中心としたお箏、「越後獅子」は壮観だったし、市川團十郎さんと、お嬢さんの市川ぼたんさんの「京人形」も素晴らしかった。そして、番組の最後には、ゲストの加藤武さんが、今日の感想を俳句にして、「泣き初めは獅子に噛まれし縁起かな」なんて詠んでくれた。ベタな句だけど、この「ベタさ」がお正月らしくていい。これは、明日の放送も楽しみだ。母さんもすごく楽しんでて、「元気になったら歌舞伎を観に行きたい」って言ってたから、あたしの楽しみの中に、「母さんを歌舞伎に連れて行く」っていう項目が、また1つ増えた。

‥‥そんなワケで、お元日の夜は、あたしはいったんコマーシャル‥‥じゃなくて、いったんマンションに帰って来た。そして、明日は、今度は母さんがあたしのマンションに泊まりに来ることになってる。何でかって言うと、2日の夜は、マンションの屋上で、一緒に「しぶんぎ座流星群」を観ることになってるからだ。7月から8月にかけて観られる「ペルセウス座流星群」、12月に観られる「ふたご座流星群」と並んで、お正月に観られる「しぶんぎ座流星群」は三大流星群の1つだけど、あたしは、お正月はいつも忙しいのと、あまりにも寒いのとで、あんまりちゃんと観たことがなかった。だけど、今年は、時間もタップリあるし、そんなに寒くないから、ホカロンを貼って着膨れして、母さんと一緒に観る約束をしてたのだ。「しぶんぎ座流星群」は、2日の夜から5日の朝まで観られるから、母さんと一緒に流れ星を観て、流れ星に一番大切なことをお願いしようと思ってる今日この頃なのだ。


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2009.01.01

明けましておめでとうございまっくす♪

皆さま、明けましておめでとうございまっくす♪‥‥っていう毎年恒礼のアイサツも、今年で7年目を迎えたからオナジミになって来たと思うけど、このアイサツは、もともとは愛するMAXの応援日記として書き始めたことから、読みに来てくれる人もMAXファンに対するアイサツだったワケだ。だから、何年か前には、こんなふうな書き方をしてる。


皆さま、明けましておめでとうございます♪
そして、MAXファンの皆さま、明けましておめでとうございMAX♪


つまり、一般の人には普通のアイサツ、MAXファンにはMAXファン用のアイサツってふうに区別してたのだ。だけど、MAXファンであろうとなかろうと、わざわざ読みに来てくださる人たちを区別するのは良くないと思って、両方に通用するスタイル‥‥っていうか、単なる折衷案なんだけど、「MAX」の部分をひらがなにした「明けましておめでとうございまっくす♪」ってスタイルが定着した‥‥ような気がする。

ホントのことを言うと、俳句や古典が好きで、ニポン語を愛するあたしとしては、新年のアイサツくらいはキチンと書いたほうがいいような気もしてる。否、むしろキチンと書くべきだと思ってる。だけど、こうして8年以上も日記を書き続けて来られたのは、「MAXのことが好きで好きで日記を書き始めた」っていうキッカケがあってのことなんだから、毎日の日記の内容がMAXから離れちゃってる今こそ、逆に、年に一度の新年のアイサツくらいは、初心を忘れないためにも、この「明けましておめでとうございまっくす♪」って書き方を続けてったほうがいいような気もしてる。

つまり、「MAX」の部分を「まっくす」に変えたのは、折衷案は折衷案でも、一般の人へのアイサツとMAXファンへのアイサツの折衷案てよりも、あたし自身の中での「新年のアイサツくらいキチンとしたほうがいい」って考えと、「日記の初心を忘れないためにもこのスタイルは崩せない」って考えとの折衷案て感じの今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、新年早々、屁理屈みたいなマクラからスタートしちゃったけど、今年のお正月は、珍しく3が日をお休みにして、母さんと過ごしてる。だから、お元日の今日だけは、ザクッとしたアイサツだけにさせてもらい、本格的な日記は、明日の2日からのスタートってことにさせてもらう。で、まずは、今年の「歳旦三つ物」だけど、こんなのを詠んでみた。


  歳旦三つ物

 もうもうと湯気たちこめる初湯かな

 ぎゆうぎゆう詰めの手作りおせち

 恋の猫うししうししと顔なめて
 
  きっこ


‥‥ってワケで、自分の句を説明するのは野暮なんだけど、連句のことが分からない人のために軽く触れとくと、発句の「もうもう」と、脇の「ぎゅうぎゅう」と、第三の「うししうしし」っていう3つのオノマトペが、それぞれ今年の干支の「牛」にカケてあるっていう、あまりにも安易な「歳旦三つ物」だ。だけど、去年のうちから用意してたんじゃなくて、時計の針が深夜0時をまわり、ちゃんと新年を迎えてから即興で詠んだものから、こんなとこでOKにして欲しい。

あとは、お元日から読みに来てくださった皆さんのために、例の「お年玉」を用意しておいた‥‥って言っても、去年とおんなじパズルなんだけど、あたしの画像は最近のものに変えてあるので、がんばってパズルを完成させて、最近のあたしのツラを拝んでね(笑)



‥‥そんなワケで、明日からは、また長文日記をスタートするので、皆さん、どうぞ今年もよろしくお願いいたしま~す♪


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お年玉で~す♪

皆さま、明けましておめでとうございます♪

あたしからのお年玉、「きっこパズル」でお楽しみくださいね!



1.白いコマに隣接したコマをクリックすると、そのコマが白い部分へ移動します。

2.難しいと思った人は、パズル下の「番号オン」をクリックすると、すべてのコマに番号が表示されますので、左上を「1」、その隣りを「2」というように並べてください。

3.「別の画像」をクリックすると、他の人が制作した無関係なパズルになってしまいます。

4.完成するとメッセージが現われ、キレイな画像を見ることができます。


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