続・ガメラに首ったけ♪
昨日の日記、「ガメラに首ったけ♪」を読んで、「ギャオスが口から発射するのは、レーザー光線じゃなくて超音波です」っていうメールをくださった十数名の皆さん、どうもありがとうございました♪‥‥ってことで、代表して1通だけ、IOさんのメールをご紹介させていただきます。
お名前:IO
コメント:いつも「きっこの日記」を楽しく読ませていただいてます。いつもは「読んでる」だけなのですが、「ガメラ」の話題が出てきてはどうしてもメールを書かずにはいられず、老婆心を承知でメールさせていただきます。1月5日の「ガメラに首ったけ」の中できっこさんは、ギャオスが「口からレーザー光線を出す」と書かれていましたが、あれは『超音波』です。どう見ても「レーザー光線」なのですが、『超音波』なのです。それは映画「ガメラ対ギャオス」のなかで生物学の権威である青木博士が実験までして説明しています(実験装置もどう見てもレーザーですが)。たしかギャオスの首の骨は”音叉”のようになっていて、それが共鳴(?)して超音波を出すというような説明だったと思います。子供のとき映画館で初めてガメラを見て以来、ずっとガメラのファンだった自分としては、ガメラと同じくらい大ファンのきっこさんが自分と同じガメラ好きと知って嬉しく思うと同時に、そのきっこさんにはガメラについて正しく知ってほしく、こんなメールをさし上げてしまいました。これからも楽しい”日記”を期待しています。
‥‥そうそう!思い出した!ギャオスは首の骨が2本あって、それが音叉のように共鳴して、超音波を発生して、口から出すのは「超音波メス」だった。それから、首の骨が2本あるために、後ろを振り向くことができなくて、それが弱点にもなってたハズだ。それで、振り向いたりできないギャオスのギコチナイ動きに対して、誰もが「着グルミだから仕方ない」って思ってるのに、それをムリヤリに「首の骨が2本あるため」って思い込ませる周到さに、思わず「1本とられた!」って感心した人もいたハズだ。でも、1本とられちゃうと、ギャオスの首の骨は1本になって、超音波を出すことができなくなると思う今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?
‥‥そんなワケで、ゆうべ、YOU TUBEでいろんなガメラ映像を観てたら、完全に怪獣モードになっちゃったので、申し訳ないけど、今日も怪獣の話題を続けようと思う。で、昨日は、あたしの好きなガメラのことを書いたけど、このガメラシリーズで最大のヒットとなった「ガメラ対ギャオス」が公開された昭和42年(1967年)は、ものすごい怪獣映画ブームだったみたいだ。もちろん、ブームの火つけ役になったのはゴジラシリーズで、この年にもミニラが出て来る「ゴジラの息子」が公開されてるけど、東宝のゴジラシリーズの大ヒットと、それに続く大映のガメラシリーズの大ヒットにあやかろうと、日活は「大巨獣ガッパ」、松竹は「宇宙大怪獣ギララ」を公開して、昭和42年は怪獣映画だらけだったみたいだ。
ちなみに、あたしは、この2本も観てるけど、「大巨獣ガッパ」は、名前から分かるように、もともと空想の動物であるカッパをモデルにしたものみたいだ。でも、頭にお皿はないし、クチバシがついてるから、顔は「カラス天狗」みたいな感じだ。その上、翼までついてて空を飛んじゃう。だけど、背中にはカッパの甲羅みたいなのもついてるし、ようするに、いろんなニポンの妖怪をテキトーに組み合わせて、それを巨大化させたみたいな怪獣だ。で、このガッパが他の怪獣と違うとこは、ナナナナナント! オスとメスの夫婦で登場しちゃうって点だ。
フランク・ガッパ(笑)に言えば、子供のガッパを捕まえた人間が、それを見世物にして金儲けをしようとしたら、でかい親ガッパが夫婦そろって子供を取り戻しに来て、街を破壊して大暴れしちゃうって話だ。だから、他の怪獣映画との差別化を図ったのか、怪獣なのに親子の愛を描いた人情噺になってるのだ。でも、これは、怪獣映画の知識のないあたしのマト外れな感想だったみたいで、今、「ガッパ」で検索していろいろと調べてみたら、怪獣のことを専門に書いてる「怪獣ブログ」さんに、「『大巨獣ガッパ』のストーリーはイギリスの怪獣映画『怪獣ゴルゴ』をそのままパクったものである。」って書いてあった。「怪獣ブログ」さんによると、ガッパのストーリーは「怪獣映画の黄金パターン」なんだそうだ。
他の怪獣サイトにも、おんなじことが書いてあった。人間が南の島の小美人(ザ・ピーナッツ)を捕まえて、見世物にしようとニポンに連れて来たら、小美人を取り返すためにやって来たモスラが街を破壊する‥‥ってのも、人間が見世物にするために捕まえたキングコングが、檻から逃げて大暴れしちゃう‥‥ってのも、みんな似たようなストーリーで、ようするに、愚かな人間と、その人間に仕返しする怪獣ってパターンになってる。これが「怪獣ブログ」さんの言うとこの「怪獣映画の黄金パターン」なんだろう。そう考えると、ゴジラの1作目だって、愚かな人間が核実験を繰り返したことによって、ゴジラが誕生しちゃって、結果、人間の街がメチャクチャにされちゃうんだから、ベースになってる考え方は一緒だと思う‥‥って書いてたら、こんなメールが届いた。
お名前:KT
コメント:きっこさん、こんにちは。いつも楽しく読ませていただいてます。KTと申します。さて、1/5 の日記「ガメラに首ったけ♪」を読んで、ひとつ不思議に思ったことがありました。それは、ゴジラ第2作からはともかく、昭和29年の第1作「ゴジラ」は明確な反戦反核映画であり、どちらかというときっこさん好みの内容なのでは?と思ったからです。第1作ではゴジラは地球や子供を守るヒーローでは全くありません。人間が海で核実験を繰り返していたとき、海中生物が放射能により進化・巨大化し、東京に上陸して町をめちゃめちゃに破壊するというストーリーで、ゴジラは核の技術をもてあそぶ人間に対する「自然・地球の怒り」の象徴なのです。そしてそのゴジラを唯一破壊することができる、活性酸素を応用した「Oxygen Destroyer」という装置を開発していた博士は、自分の研究が政府や軍に注目されはじめたのを知ります。かつての核のように、自分の研究が悪用されることを恐れた博士は研究資料をすべて廃棄しますが、自分の頭の中に残っている研究成果もいつかは政府や軍の手に渡るだろうからと語り、海にいるゴジラに「Oxygen Destroyer」を仕掛けたときに自らその場に残り、ゴジラとともに消えていったのでした。このようにゴジラは大人が大真面目に作った映画であり、しかも原爆投下からわずか9年後に作られているというのもすごいのではないでしょうか?追記:確かに第2作以降は今回の日記の通りだと思います(笑)
‥‥KTさん、どうもありがとうございます♪ おっしゃる通り、1作目の「ゴジラ」は、素晴らしい映画だと思います。ただ、あたしが書いたのは、見た目の好き嫌いのことと、1作目では人間の敵だったゴジラが、他の怪獣が登場するようになってからは、突然、人間の味方にクルリンパと豹変し、そのうちに「シェー!」までするようになっちゃった迎合主義が、まるで自民党の山本一太を見てるようで不愉快なのです(笑)
‥‥そんなワケで、ガメラの場合は、敵の怪獣が出て来ない1作目の「大怪獣ガメラ」の時も、戦争が大好きなナントカ幕僚長ひきいる自衛隊に総攻撃されたのにも関わらず、逃げ遅れた子供を助けるっていう一貫性のある怪獣だから好きなのだ‥‥って、ずいぶんダッフンしちゃったけど、日活の「大巨獣ガッパ」と並ぶもう1つの映画、松竹の「宇宙大怪獣ギララ」のほうは、他の怪獣と違って、何もモデルにしてないとこがオリジナリティーみたいだ。ストーリー的には陳腐なんだけど、「宇宙大怪獣」って言うだけのことはあって、宇宙船みたいな顔をしてる。
で、ここでポイントになるのは、この「宇宙大怪獣ギララ」が、松竹の作品だってことだ。松竹と言えば、何たって、あたしの大好きな「男はつらいよ」と「釣りバカ日誌」の映画会社ってことで、こんなにマイナーな怪獣映画なのにも関わらず、ギララは「男はつらいよ」にも出演してるのだ。1985年のお正月に公開されたシリーズ34作目の「男はつらいよ 寅次郎真実一路」のオープニングのシーンで、博士に扮した寅さんとギララが登場してるのだ。でも、寅さんは「ギララ」って名前を知らない設定みたいで、「怪獣だ!」って言ってるんだけど、結局、これが夢でした‥‥ってオチで映画がスタートする。
そして、さらには、寅さんの妹のさくら役の倍賞千恵子が、「宇宙大怪獣ギララ」のほうのエンディング曲を歌ってるのだ。なんてワンダホーなトレードなんだろう。それも、同時期に制作された映画ならありそうな話だけど、「宇宙大怪獣ギララ」が公開されたのは1967年なのに、もう一方の「男はつらいよ 寅次郎真実一路」が公開されたのは、18年もあとの1985年なのだ。その上、「男はつらいよ」の1作目が公開されたのは、「宇宙大怪獣ギララ」の公開から2年後の1969年なのだ。つまり、倍賞千恵子が「宇宙大怪獣ギララ」のエンディング曲を歌った時点では、まだ「男はつらいよ」は始まってなかったのだ。
もちろん、倍賞千恵子と言えば、松竹音楽舞踊学校を首席で卒業して、SKD(松竹歌劇団)へと進み、そのあとに松竹映画から銀幕デビューした生粋の松竹女優だから、初の怪獣映画にも花を添える意味で、歌で参加させたんだと思う。だけど、その2年後にスタートした「男はつらいよ」が松竹の看板シリーズになり、誰もが予想しなかったほどの長期シリーズへと発展し、また、倍賞千恵子のほうも、さくら役で女優としての地位を不動のものにして行く中で、この「宇宙大怪獣ギララ」が、18年の時を超えて「男はつらいよ」に登場しちゃうなんて、あまりにも粋なハカライでグッときちゃう。
あたし自身は、昔の映画はどれもすべてリアルタイムで観てないから、先に観たのが「男はつらいよ 寅次郎真実一路」だった。だから、その時は、寅さんも「怪獣だ!」って言ってたし、あたしは単なる無名の怪獣なんだと思ってた。だから、それから何年もして、たまたま「宇宙大怪獣ギララ」を観た時に、映画にギララが登場してからしばらくは気づかなかったんだけど、途中で「どこかで観たことがある」って感じがした。それで、最初は「いつものデジャブーかな?」って思ってたんだけど、最後の最後に、「もしかしたら寅さんにチョコっと出て来た怪獣かも?」って気づいたのだ。そして、その次に「男はつらいよ 寅次郎真実一路」を観た時に、ちゃんとギララだって確認することができて、「おおっ!」って感激したことを覚えてる。
‥‥そんなワケで、この「宇宙大怪獣ギララ」は、40年もの長い沈黙を破って、去年、「ギララの逆襲/洞爺湖サミット危機一発」が公開された。まあ、これは、かつてのギララをフシュウ‥‥じゃなくて、踏襲しつつも、コイズミやアベシンゾーの役で、ザ・ニュースペーパーが登場したり、ギララを倒す正義の味方が、ビートたけしが変身する「タケ魔人」だっていう完全なるギャグ映画だから、純粋な怪獣映画とは言えないけど、興味のある人は、40年前の「宇宙大怪獣ギララ」の予告編と、去年の「ギララの逆襲/洞爺湖サミット危機一発」の予告編とを見比べてみて欲しい。
ま、今日は、ガメラシリーズの最高傑作の「ガメラ対ギャオス」が公開された昭和42年(1967年)をピンポイントで話題にしてるワケだから、去年の映画のことは置いといて、「ガメラ対ギャオス」と同じ年に公開された日活の「大巨獣ガッパ」、松竹の「宇宙大怪獣ギララ」について触れてみたんだけど、チマタでは怪獣映画がメジロ押しだったとは言え、本家本元のゴジラシリーズのほうは、もうずいぶんと下火になり始めてたみたいだ。
ゴジラシリーズは、昭和37年(1962年)の3作目「キングコング対ゴジラ」が最大のヒットで、ニポンの怪獣映画では、唯一、1000万人を超える観客動員数を記録してる。その数、1255万人で、ニポンの人口が、まだ9000万人台だった時代ってことを考えると、全国の人の7~8人に1人が映画館に足を運んだってことで、これは、あまりにもすごい大ヒットだと思う。ちなみに、庶民のレクリエーションも多様化されて、映画館へ足を運ぶ人が激減した現在では、観客動員数が100万人を超えれば興行として成功で、200万人を超えればヒット、500万人を超えれば大ヒットって感じだから、もしも1000万人を超えちゃったら、関係者全員にガッポリと特別ボーナスが出るほどのチョー大ヒットってことになる。最近の映画の例を挙げると、1999年の「マトリックス」が530万人、2003年の「ロード・オブ・ザ・リング」が590万人だ。だから、この「キングコング対ゴジラ」が叩き出した1255万人ていう動員数が、どれほどスゴイことなのか分かると思う。
で、これは、あたしの想像なんだけど、昭和37年ていう時代背景から考えると、この「キングコング対ゴジラ」って映画は、アメリカを代表する怪物のキングコングと、ニポンを代表する怪獣のゴジラが戦うっていう設定が、シャープ兄弟を空手チョップでやっつける力道山のイメージだったんじゃないかって思った。いくら高度成長期だって言っても、未だに敗戦の影を引きずってて、どうしてもアングロサクソンには卑屈になっちゃってた当時のニポン人にとって、プロレスにしろ怪獣にしろ、アメリカから来た相手をメイド・イン・ニポンのプロレスラーや怪獣がやっつけるってのは、何よりも気分が良かったんじゃないかって思う。だからこそ、この「キングコング対ゴジラ」に、前人未到の1255万人もの動員があったんだと思う。
そして、大ヒットした「キングコング対ゴジラ」をピークに、ゴジラシリーズの人気はジョジョに奇妙に下降してった。昭和41年の7作目「南海の大決闘」では421万人、昭和42年の8作目「ゴジラの息子」では309万人て感じになり、昭和50年の15作目「メカゴジラの逆襲」では、とうとう100万人を割り込んで97万人にまで落ちちゃった。それで、東宝は、「もうゴジラじゃ客を呼べない」ってことになって、長年続いて来たシリーズをいったん打ち切ったのだ。
つまり、「ガメラ対ギャオス」が公開されて、日活や松竹も参入して来て、怪獣映画の大ブームみたいになった昭和42年だけど、本家本元のゴジラを見ると、すでのピーク時の4分の1にまで観客動員数が減っちゃってたってワケだ。だけど、「ガメラ対ギャオス」の大ヒットから、このガメラシリーズは「大映のドル箱」って呼ばれるようになって、大映が潰れるまでの大きな収入源になったって言われてる。残念ながら、ガメラシリーズの観客動員数は公開されてないけど、当時を知る人が言うには、「ゴジラシリーズとガメラシリーズの人気は『ガメラ対ギャオス』で逆転した」とのことなので、「ガメラ対ギャオス」は、少なくとも300万人以上は動員したんだと思う。
一方、人気にカゲリが見えて来たゴジラのほうは、あたしが思うに、ゴジラ自体の人気がなくなったんじゃなくて、単に内容が酷くなったからファンが離れたんだと思う。だって、この年に公開された「ゴジラの息子」って、赤塚不二夫の「おそ松くん」の人気にあやかって、「チビ太」をモデルにして「ミニラ」を作ったり、ゴジラに「シェー!」をさせたりしたのだ。これはナシでしょ、普通。こんなことしたら、今までのファンはみんな去ってっちゃうことウケアイだし、こんなもの観て喜ぶのなんて、小学校低学年の子供と漢字の読めない総理大臣くらいだよ。
だけど、仮にも商業映画なんだから、ウケを狙うのは当たり前のことだし、その時に世の中で流行ってるものを取り入れるってのも理解できる。ただ、それが、それが、ゴジラのキャラを壊しちゃったことが失敗なのだ。実際、ガメラだって、似たようなことをやってる。ガメラの場合は、5作目の「ガメラ対大悪獣ギロン」が顕著なんだけど、この作品でのギロンとの戦いは、あまりにもギャグが盛り沢山で、サスガのあたしもお腹がいっぱいになっちゃうほどだ。
まず、ガメラとの前哨戦として、ギロンは宇宙ギャオスと戦うんだけど、ここでギロンは、頭の包丁でギャオスを真っ二つにした上に、体を切り刻み、最後には首をチョン切っちゃう。すなわち「ギロチンの刑」だ。相手を真っ二つにして、すでに勝負はついてるのに、それでも相手を切り刻み続けて、その残虐性をアピールしてるってワケだ。で、誰に対してアピールしてるのかって言うと、それは、映画を観てる子供にだ。で、子供たちのヒーローのガメラは、そんな残虐なギロンと戦うことになるんだから、子供たちはみんなハラハラしてスクリーンにクギづけになってる‥‥って状況で、繰り広げられるワケだ。ギャグ満載の戦いが。
「ギロチン」をモデルに作られたギロンに対して、ジャンプして前に伸ばした足から落ちて攻撃するプロレスの技、「ギロチンドロップ」を連発するガメラ。これは、プロレスがゴールデンタイムに放送されてた時代を考えれば当然の流れだ。そして、飛ばされたガメラは、建物と建物の間に渡ってた鉄棒みたいなのをつかんで、クルクルと回り出して、大車輪からミゴトな着地を決めて、両手を広げてポーズをとる。これは、この作品が公開されたのが昭和44年(1969年)なんだから、どう考えたって、前年の1968年の「メキシコオリンピック」の器械体操だ。
母さんに聞いたら、当時のニポンは、1964年の「東京オリンピック」に続いての「メキシコオリンピック」がものすごい盛り上がりを見せたそうで、中でも、男子の体操が、ほとんどの種目をニポンチームが独占して、ニポン中の人たちがテレビの前でコーフンしたそうだ。それで、子供たちの間では、ちょっとした「器械体操ブーム」みたいなのが巻き起こっちゃたらしい。だから、それを踏まえて、ガメラにも鉄棒をやらせてみたってワケだ。
だけど、大映のお遊びはこんなもんじゃない。ギロンの発射した手裏剣が両目の下に刺さり、まるで涙を流してるかのように青い血が流れたガメラは、足元にあった雪を両手に取り、それで傷口を冷やすのだ。そして、次に飛んで来た手裏剣は、巨大なツララを刀の代わりにして、素晴らしい身のこなしで弾いちゃう。この辺は、当時の子供たちが好きだった「忍者」とか「チャンバラ」とかを取り入れてるってワケだ。そして、最後には、ギロンの後ろ足をつかみ、そのままジェット噴射で高く飛び上がり、空宙からバックドロップを決めてギロンを地面に突き刺しちゃう。もう、満腹だ。
だけど、これらのワザの数々は、あたし的には「許される範囲」なのだ。命懸けの戦いをしてるのに、何だか余裕があるみたいで、大好きなガメラのことが頼もしく思えるし、あくまでも「怪獣がやりそうなことのギリギリのライン」だからだ。どうしてゴジラの「シェー!」がNGで、ガメラのこれらのワザがOKなのかは、あたしの感覚だから、そう思わない人もいるだろう‥‥つーか、ガメラも「シェー!」をするんだけど、手足があんまり動かないカメだから、「シェー!」に見えないんだよね。それに、もしもハッキリと分かる「シェー!」をしたとしても、可愛いガメラだから許せちゃうし、別にキャラが壊れないからOKなのだ。
‥‥そんなワケで、その時代に合わせて、人気のあるものなら何でも取り入れて、ひたすらウケを狙って作り続けて来た主体性のないゴジラシリーズと、ウケを狙いつつも、1作目からずっと「子供の味方」っていう一貫性を持って作り続けて来たガメラシリーズとでは、その志の高さが違うと思う。だから、プロ野球の世界を見てみても、東宝の怪獣の名前をニックネームにしてるのは「ゴジラ松井」だけしかいないけど、大映の怪獣の名前をニックネームにしてるのは「ギャオス内藤」と「ハマの大魔神」の2人がいる。ちなみに、「大魔神」てのは、ガメラシリーズの2作目の「ガメラ対バルゴン」とセットで公開された映画で、フランク・ザッパに言えば、怒ると恐い巨大なハニワだ(笑)‥‥ってワケで、今日も長々と主体性のないことを書いちゃったあたしは、どんなにガメラシリーズが好きでも、やってることはゴジラシリーズみたいな気がする今日この頃なのだ(笑)
「ギロンを相手にギロチンドロップだの鉄棒の大車輪だのバックドロップだのを繰り出すお茶目なガメラ」
「夫婦で登場する演歌の花道っぽいガッパ」
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