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2009.01.06

ガメラに首ったけ♪

こないだの日記に、「昭和ガメラと平成ガメラの違いについて」ってキーワードをチョコっと書いたけど、あたしは、ゴジラが嫌いで、ガメラが大好きだ。東宝のゴジラは、メジャーすぎるから、プロ野球で言うとセ・リーグのジャイアンツみたいだし、バンドで言うとビートルズやストーンズみたいだからだ。その点、大映のガメラは、プロ野球で言うとパ・リーグのロッテみたいだし、バンドで言うとザ・フーみたいで、知る人ぞ知るイブシ銀の魅力があるから、ツー好みって感じがする。もっと単純に言えば、ゴジラはベタで大衆向きだけど、ガメラは分かる人にだけ分かるカッコ良さや可愛いらしさがあるから好きなのだ。

どうしてガメラが好きかってことの前に、まずはゴジラの嫌いなとこを挙げるけど、ゴジラって、何よりも、その発想が安易すぎる。だって、いくらなんでも、恐竜をモデルにして怪獣を作るだなんて、幼稚園児でも思いつくようなアイデアだろう。その上、ゴジラだけじゃなくて、出て来る敵もバカバカしすぎる。蛾を大きくしただけのモスラだの、エビを大きくしただけのエビラだの、カマキリを大きくしただけのカマキラスだの、クモを大きくしただけのクモンガだのって、発想もネーミングも安易で幼稚すぎる。

さらには、完全にパクリのキングコングや、プテラノドンをまんま再現しただけのラドンだなんて、まるで中国のインチキ遊園地だ。唯一、評価できるのがキングギドラだけど、これにしたって、もともとのモデルはヤマタノオロチなんだから、首の数が減ったぶんだけパワーダウンしちゃってる。何かをモデルにして怪獣を作るんなら、もともとのモデルよりもパワーアップするのが鉄則なんだから、これはダメな例だろう。

たとえば、車のチューニングの場合なら、2リットルのエンジンの車を3リットルにボアアップしたり、ターボチャージャーやスーパーチャージャーを組んだりして、ノーマルよりも遥かにパワーが出るようにしてこそ、初めて「怪物マシン」て呼べるようになるワケで、蛾をモスラにしたのだって、エビをエビラにしたのだって、これとおんなじことなのだ。それなのに、ヤマタノオロチをモデルにしたキングギドラは、8本の首が3本になり、8本の尾が2本になり‥‥って、すべてパワーダウンしちゃってる。そして、何よりのパワーダウンが、その大きさだ。「日本書記」や「古事記」に登場するヤマタノオロチは、8つの山と谷にまたがるほど巨大なのに、キングギドラの大きさはたったの100mしかない今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、あたしは、ゴジラよりもガメラのほうが好きなんだけど、ガメラの場合は、基本的な部分からしてゴジラとはレベルが違うからだ。だって、ガメラが、もしもカメを大きくしただけなら、東宝のモスラやエビラと一緒になっちゃう。でも、ガメラが根本的に違う点は、大きくしたそのカメが、ナナナナナント! 2本足で立って歩いちゃうのだ! これは、蛾を大きくしただけのモスラが、空を飛ばずに海を泳ぐようなもんだ。しかもバタフライで。そして、「蛾なのにバタフライかよ!」ってツッコミを入れられちゃうようなもんだ。

それも、ガメラの場合は、最初から「2本足で歩くカメ」って設定をしたんじゃなくて、着グルミの中に人間が入って動くことを前提にしたために、ナシクズシ的に仕方なくそうなっちゃったって感じがマンマンだから、あまりにもコッケイなのだ。こうしたポイントが、あんなに恐ろしい大怪獣なのにも関わらずに、可愛いらしさを醸し出してるってワケだ。

さらには、手足を引っ込めたとこからジェット噴射して、回転しながら空を飛んじゃうだなんて、まるでギャグ漫画だ‥‥つーか、遥か以前の段階として、世の中にはもっとカッコイイ動物がいっぱいいるのに、数えきれないほどいる動物の中から、よりによって「カメ」を選んだとこがミラクルだ。そして、歩くスピードの遅さじゃナンバーワンのカメをモデルにしときながら、そのカメをマッハ3.5で飛ばしちゃうなんて、大映ってあまりにもチャレンジャーだと思う。その上、回転しながら飛ぶ他にも、首と前足を出したまま、後ろ足の穴からだけジェット噴射して、スーパーマンみたいな姿勢で飛ぶパターンもあるんだから、もう言うことなしだ。

これにしたって、単なる気まぐれで2パターンの飛び方があるってワケじゃなくて、子供の味方のガメラだから、助けた子供たちを背中に乗せて飛ぶケースを考えてのことなのだ。もしも、回転しながらしか飛ぶことができなかったら、背中の子供たちが遠心力で飛んでっちゃう。そのために、回転しないで飛ぶ方式も用意されてるってワケで、すごく良く考えられてる。そして、ガメラシリーズの深さは、これだけじゃない。普通、「カメの背中に乗る」って言えば、浦島太郎のお話だ。そう、「助けたカメに連れられて~竜宮城へ来てみれば~♪」ってワケで、浦島太郎がカメを助けて、それで背中に乗せてもらうって流れだ。だけど、ガメラのほうは、ガメラが子供たちを助けて、さらに背中に乗せて空を飛んでくれるワケで、子供たちにしたら、これほど嬉しいことはない。

そして、ガメラが子供たちを背中や手に乗せて飛ぶ時のテーマソング、ナントカ少年合唱団みたいなのが歌ってる「ガメラ~~ガメラ~~強いぞガメラ~強いぞガメラ~強いぞガ~メ~ラ~♪」ってのが流れる。なんと言う様式美だろう。ゴジラに子供のミニラを登場させようとも、ゴジラを流行に迎合させて「シェー!」をさせようとも、そんな大人の目線で子供ウケを狙った方法論なんかじゃ、ホントの意味での子供の心はつかめない。だけど、2本足で立って歩く巨大なカメが、子供たちを守るために自分の身をていしてくれて、そして、背中に乗せてくれて空を飛んでくれて、その上、テーマソングまで流れちゃうなんて、こんなに子供たちのハートをワシヅカミにする演出は他にない。

‥‥そんなワケで、あまりにもガメラが好きだから、最初っから飛ばしちゃったけど、ここでリトル落ち着いて、こないだの日記にチョコっと前フリをしといた「昭和ガメラと平成ガメラの違いについて」ってことに絡めて語らせてもらうと、あたしが大好きなのは「昭和ガメラ」であって、「平成ガメラ」はゴジラとおんなじにダサくなっちゃったから、それほど好きじゃない。それは、外見がダサくなったことも大きいけど、それ以上に残念なのが、ガメラを語る上で何よりも重要な「ガメラは子供の味方」っていう不変のテーマが希薄になっちゃってることだ。

その辺のことを解説する上で、まずは、ガメラの映画の全タイトルを紹介しよう。ガメラの映画は、昭和に8作、平成に4作の合計12作ほど作られてるんだけど、以下がそのラインナップだ。


昭和40年(1965年)「大怪獣ガメラ」

昭和41年(1966年)「大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン」

昭和42年(1967年)「大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス」

昭和43年(1968年)「ガメラ対宇宙怪獣バイラス」

昭和44年(1969年)「ガメラ対大悪獣ギロン」

昭和45年(1970年)「ガメラ対大魔獣ジャイガー」

昭和46年(1971年)「ガメラ対深海怪獣ジグラ」

昭和51年(1980年)「宇宙怪獣ガメラ」


平成7年(1995年)「ガメラ 大怪獣空中決戦」

平成8年(1996年)「ガメラ2 レギオン襲来」

平成11年(1999年)「ガメラ3 邪神<イリス>覚醒」

平成18年(2006年)「小さき勇者たち~ガメラ~」


‥‥ってことで、この全12作を見て、「あれ?」って思うことが何点かあったと思う。まず、昭和ガメラと平成ガメラとに分けた場合に、昭和だけを見ると、1作目から7作目までは毎年作られてるのに、8作目だけが長いブランクのあとに作られてるってことだ。そして、これは、平成ガメラにも言えることで、「ガメラ」「ガメラ2」「ガメラ3」は短い間隔で作られてるのにも関わらず、最後の作品だけが長いブランクのあとに作られてる。さらには、昭和ガメラにしても平成ガメラにしても、長いブランクのあとにポツンと作られた作品だけが、それまでのシリーズとはつながりのない独立したタイトルになってるのだ。

ま、これらは、大映が潰れたり、監督が変わったりっていう制作サイドの諸事情によるものなんだけど、これにあたしの個人的な関わりがある。それは、あたしは昭和47年生まれだってことだ。そう、ガメラの映画って、あたしが生まれる前年までは、毎年毎年作られてたのに、あたしが生まれた年から、突然、作られなくなったのだ。これは、あたしが生まれる前年に、7作目の「ガメラ対深海怪獣ジグラ」を作ったあとに、大映が倒産したからだ。そして、この3年後に、徳間書店の傘下として、大映は再建を果たしたのだ。

つまり、あたしが大好きな昭和ガメラってのは、8作のうち7作が、あたしが生まれる前に作られてたものなのだ。その上、あたしが生まれてから作られた唯一の昭和ガメラ、「宇宙怪獣ガメラ」は、女子プロレスラーのマッハ文朱が、「平和星から来た平和星人」なんていうアホみたいな役をやってて、ストーリー自体も酷いし、ガメラもちょっと違う。だから、あたしにとっての昭和ガメラってのは、あたしが生まれる前に作られた7作のことであって、この昭和51年の「宇宙怪獣ガメラ」は、あたしの中では昭和ガメラとしてはカウントされてないのだ。

‥‥そんなワケで、あたし的には、あたしが生まれる7年前から、毎年毎年ガメラが作られて来たのに、大映が潰れてガメラが作られなくなった翌年にあたしが生まれたってことに、ものすごく運命的なものを感じてる。さらに言わせてもらえれば、このあたし自身が8作目の昭和ガメラなんじゃないかって思ってる。ガオ~!(笑)

で、昭和ガメラの魅力ってのは、ガメラのカッコ良さや可愛らしさ、子供の味方に徹してるとこだけじゃなくて、アイデアにあふれた数々の敵の素晴らしさも忘れちゃならない。蛾を大きくしただけのモスラや、エビを大きくしただけのエビラなんかとは違って、どの怪獣もアイデアにあふれてる。たとえば、4作目のバイラスなら、見かけは巨大なイカだけど、エンペラ(イカの頭の三角の部分)が尖ってる上に、開いたり閉じたりしちゃう。そして、閉じて尖がると恐ろしい武器になり、ガメラの堅い甲羅をも貫いちゃうのだ。

そして、お腹から背中までをバイラスに串刺しにされたガメラは、瀕死の重症を負いながらも、ジェット噴射で回転し始めて、バイラスに刺されたまま飛んで行く。そうすると、バイラスの足が遠心力で傘みたいにひらいちゃう。この辺の細かいとこが素晴らしい‥‥って、あんまり1つの作品について語ってるとキリがないんだけど、とにかく、背中から冷凍光線を出すバルゴンにしても、「包丁」をモデルにするっていう意外性がワンダホーなギロンにしても、とても東宝にはマネのできない怪獣がメジロ押しだ。細かいことを言うと、ギロンは「ギロチン」をモデルにしてるんだけど、どう見ても包丁にしか見えない。

そして、ガメラを語る上で、絶対に忘れちゃならないのが、永遠のライバルであるギャオスだろう。プテラノドンをまんま再現しただけのラドンと違って、立ってる時のギャオスは、まるでペンギンみたいな楽しさがある。そして、口からレーザー光線を出す時には、必ず前もって頭の真ん中が赤く光るから、ガメラのほうも観てるあたしも「来るぞ!」っていう心構えができる。だから、あたしは、ギャオスも大好きなんだけど、あたしが好きなのは、ノーマルのギャオスじゃなくて、ギロンに出て来る「宇宙ギャオス」だ。「宇宙ギャオス」は、体の形はおんなじだけど、全身が銀色でカッコイイのだ。

ちなみに、この大映のガメラシリーズってのは、当然、東宝のゴジラシリーズの大人気にあやかってスタートしたもので、昭和29年(1954年)のゴジラの1作目に遅れること11年、昭和40年(1965年)に「大怪獣ガメラ」が公開されたことからもよく分かるだろう。だけど、この「宇宙ギャオス」って発想は、大映のほうが先なのだ。ガメラシリーズがスタートして、3作目の「ガメラ対ギャオス」がヒットしたら、大映は2年後の「ガメラ対大悪獣ギロン」に「宇宙ギャオス」を登場させた。

でも、ゴジラシリーズに、これとおんなじ発想の「スペースゴジラ」が登場するのは、遥か後の平成6年(1994年)の「ゴジラVSスペースゴジラ」なのだ。こうして見ると、人気としても、シリーズとして長続きしたのも、ゴジラのほうに軍配が上がるけど、その斬新なアイデアや1作の内容の充実さに関しては、ガメラのほうが優れてるってことが分かると思う。

‥‥そんなワケで、これほどワンダホーなガメラなのに、平成ガメラになると、トタンに楽しくなくなる。まず、ガメラのビジュアルが、可愛らしくなくなった。目つきも悪くなったし、キバはヤタラと長くなったし、甲羅のディテールもミョ~にリアルになっちゃったし、なんか、単なる大きなカミツキガメみたくなっちゃった。だから、変にオドロオドロしい感じで、「正義の味方」「子供の味方」ってイメージがなくなっちゃった。

フランク・ザッパに区分けすると、昭和ガメラは、いかにも着グルミですよって感じの可愛らしさがあるのに対して、平成ガメラは、技術の進歩による中途半端なリアリティーが台頭して来たことによって、ガメラの最大の長所である「子供の心を惹きつける魅力」がなくなっちゃったのだ。だから、昭和ガメラを好きだったあたしが、初めて平成ガメラを観た時のガッガリ感は、往年のゴジラファンが、1998年にハリウッドで作られた「GODZILLA」を観た時のガッカリ感とおんなじだと思う。

それから、平成ガメラの良くない点は、ギャオスにばかり寄りかかってるストーリーにもある。そりゃあ、人気のあるギャオスを登場させたいと思う気持ちは分かるけど、ガメラと同様に、中途半端なリアリティーで始祖鳥とプテラノドンのハーフみたいなビジュアルになっちゃったギャオスは、ぜんぜん強そうに見えない。その上、ドーム球場の屋根を開けて、おびき寄せて、屋根を閉めて捕まえるだなんて、ヒザカックンもいいとこだ。

そして、やっと2作目の「ガメラ2 レギオン襲来」で、宇宙から飛来した未知の敵との対決になったと思ったのもトコノマ、3作目の「ガメラ3 邪神<イリス>覚醒」は、ものすごい敵が登場するのかと思ってたのに、タイトルにもある「イリス」って、単なるギャオスの進化形態だった。それも、ワケの分かんない植物みたいなビジュアルで、カッコイイとかカッコ悪いとか、強そうとか弱そうとかってことじゃなくて、ただ「気持ち悪い」って感じだった。

全編をCGで作ったであろうガメラとの空中戦も、スピード感こそあったけど、イマイチよく分かんなかったし、自衛隊がガメラに向けて発射するミサイルの名前が「ペトリオット」ってとこで、あたしは飲んでたお茶を噴き出しちゃったよ。ちゃんと「パトリオット」にするか、それが問題あるなら、ぜんぜん別の名前にすればいいのに、いくらなんでも「ペトリオット」はないだろう。この名前のセイで、それまでワリと真剣に観てたのが、一気に興ざめしちゃったよ。

ま、いろいろゴチャゴチャと書いて来たけど、あたしは、基本的には平成ガメラも好きだ。ストーリーや設定は、子供向けの昭和ガメラとは比べ物にならないほど練られてるし、大人が観ても十分に楽しめる。ただ、あたしは、やっぱりガメラは「子供の味方」だと思ってるから、ガメラが大暴れして渋谷をメチャクチャにして、109を始めとしたビルを次々と破壊して、逃げ惑う人たちを何百人も何千人も吹っ飛ばした上で、たった1人の子供だけを助けられても、「おいおいおいおい!」って思っちゃう。

‥‥そんなワケで、あたしが初めてガメラを観たのは、たぶん子供のころにテレビで観たんだと思うけど、本格的に観るようになったのは、大人になってからだ。深夜のテレビで「ガメラ対ギャオス」を放送してて、あまりにもチャチな特撮にホノボノとしつつも、口から光線を出す前にギャオスの頭が赤く光るとことか、その光線で切られたガメラの腕から青い血が出るとことかに「おおっ!」って思ったことを覚えてる。そして、何よりも感動したのが、人間からしてみたらどっちも迷惑千万な怪獣なのに、キチンと、ガメラが正義の味方でギャオスが悪者ってことが明確になってたからだ。だから、一応はその流れを汲んでる平成ガメラも、文句を言いつつ、それなりに楽しく観させてもらってる。今は、パソコンテレビのギャオス‥‥じゃなくて、GyaOで、「ガメラ3 邪神<イリス>覚醒」を配信してるから、「ペトリオット」って言葉でヒザカックンされたい人や、無意味にセクシーな山咲千里をタンノーしたい人や、キャンプ中に一瞬でミイラにされちゃう仲間由紀恵にアゼンとしたい人や、歌舞伎俳優の中村勘太郎との熱愛が発覚した前田愛の若かりしころに興味のある人は、ぜひ観てみて欲しいと思う今日この頃なのだ。


「ガメラ3 邪神<イリス>覚醒」(2月1日 正午まで)
http://www.gyao.jp/sityou/catedetail/contents_id/cnt0077689/


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