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2009.01.16

書いていいこと悪いこと

あたしがずっと応援して来た稲垣早希ちゃんの「関西縦断ブログ旅」は、去年のうちに無事にゴールの京都、経ヶ岬に到着した。だけど、この企画をやってる番組、毎日放送の「ロケみつ」では、この企画だけで視聴率をキープしてたから、どうしても引き延ばしたい。それで、年内にゴールしたってのに、年内の放送はゴールのギリギリ直前で終わりにして、感動のゴールシーンだけを翌年まわし、つまり、今年の1月8日にまわすっていう、あまりにもセコムな方式にした。「答えはCMのあと!」っていう「CMまたぎ」でもムカつくのに、こともあろうに「正月またぎ」だなんて、あまりにも引っぱりすぎだ。

で、何が問題なのかって言うと、テレビの放送は12月の中旬から1月の上旬まで3週間もお休みになったのに、その間に、ブログのほうでは「新たな旅」がスタートしてたのだ。つまり、「関西縦断ブログ旅」はゴールしたのに、看板企画の早希ちゃんの旅を終わらせるワケには行かないから、第2弾の旅がスタートしたってワケだ。もちろん、毎回放送を楽しみにしてたあたしとしては、次の旅が始まったってことは素直に嬉しい。だけど、実際に第2弾の旅がスタートしてるのに、カンジンのテレビの放送のほうは「まだ第1弾の旅がゴールしてない」って状況まま3週間ものブランクができちゃったから、「今、どこを旅してるのか」ってことが言えないまま、ブログが更新されてく。これが、あまりにもムリがあった。

そして、1月8日になり、ようやく、3週間も引っぱりまくった第1弾の旅のゴールシーンが放送された。東京では放送されてないから、あたしが観ることができたのは、某所にアップされた2日後の10日だった。泣きながらゴールをくぐる早希ちゃんに、この旅でお世話になった人たちからの温かいメッセージが流れ、さらに感動してポロポロと泣く早希ちゃん。そして、みんなが、拍手をしながら「おめでとう!」って祝福して、アニメの「エヴァンゲリオン」とおんなじ終わり方をした。あたしも、画面を観ながら拍手をして、心から「おめでとう!」、そして、「ありがとう!」って言った。あまりにも感動しちゃって、ティッシュで拭いても拭いても涙が止まらなかった今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、これでようやく第2弾の旅、「四国一周ブログ旅」を堂々と公開できることになったってワケで、番組のブログも「関西縦断」から「四国一周」へとリニューアルしたので、あたしも、自分の日記やブログのリンクやバナーを貼り替えた。で、第1弾の旅のゴールについてだけど、ゴールの感動もそのままに、早希ちゃんは祝賀会場の「餃子の王将」へと向かい、大好きな王将メニューをたくさんゴチソウになったとこで、ゴールをお祝いする特別ゲストが登場した。「エヴァンゲリオン」のアスカの声優の宮村優子って人だった。中学生の時からアスカの大ファンだった早希ちゃんは、その声優の宮村優子の大ファンでもあったそうで、ご本人の登場に大感激してた。

それで、早希ちゃんは、宮村優子を見て「めっちゃ可愛い!」ってコーフンしてたけど、あたしにはぜんぜんそんなふうに見えなかった。あたしは、「ま、ファン心理なのかな?」って思って、それでも、早希ちゃんが一番喜ぶ人ってことでゲストに呼んだんだろうから、めでたしめでたしって感じだった。

で、あたしは、この声優を見たのは初めてだったし、今まで何ていう人がアスカの声をやってるかなんて知らなかったから、この「宮村優子」って名前をすぐに忘れちゃった。それで、今日の日記を書くにあたって、いちいち調べるのもメンドクサイから、「ヤタラと目がギョロギョロした声優の人」って書こうと思った。実際、あたしにはそう見えたからだ。だけど、いくらあたしが声優に興味がないとは言え、それじゃあまりにも失礼かな?って思って、やっぱり、ちゃんと調べて、ちゃんと名前を書こうと思い直して、ネットで検索してみた。

そしたら、大変なことが分かったのだ。この宮村優子って声優は、2年くらい前にバセドウ病にかかって、それで目が飛び出して来たんだって。たしかに、昔の写真とかを検索してみたら、今とは別人みたいな顔だった。それで、あたしは、調べもしないで「ヤタラと目がギョロギョロした声優の人」だなんて書かなくて良かったって、ホッとしたのだ。

‥‥そんなワケで、しばらく前にも、これと似たようなことがあった。自民党を批判する日記を書いてた時に、自民党屈指の守銭奴の1人、与謝野馨について触れる時に、あたしは、「あんなかすれた声で何言ってんだか聞こえやしない」って書こうとした。だけど、念のために調べてみたら、与謝野馨は、数年前に喉頭ガンを患い、手術してたことが分かったのだ。いくら嫌いなヤツでも、病気や事故などによることをいじるのはマナー違反てワケで、あたしは、この時も、事前に分かってホッとした。

この辺のマナーとかモラルってのは、その感覚も人それぞれで、どこまで言ってもいいか、どこまで書いてもいいかってのは難しいとこだ。たとえば、あたしは、アベシンゾーに「オチョボグチ」とか、フクダちゃんに「目と鼻が横一列に並んでる」とか、フロッピー麻生に「口がひん曲がってる」とかって書いて来たけど、こうした言い方についても、時々、「人の外見を言うのはよくないです」なんてメールが来る。だから、人によっては、こうした言い方を不快に感じる人もいるんだろう。

だけど、あたしは、そうは思わない。病気や事故などで顔や体が変形したりしたのなら、それを茶化すように取り上げるのは問題だと思うけど、もともとの顔の特徴に関しては、大いにツッコミを入れていいと思ってる。だって、これがダメだって言うのなら、似顔絵を描けなくなっちゃうからだ。アベシンゾーの似顔絵は、誰もがタレ目でオチョボグチに描くし、フクダちゃんの似顔絵は、誰もが目と鼻を顔の中央に並べて、オデコと鼻の下を広くして、オランウータンみたいな顔に描く。そして、フロッピー麻生の場合なら、どんな似顔絵を見ても、ミゴトなまでに口がひん曲がってる。中には、「口だけじゃなく根性も曲がってます」なんてセリフまでプラスされてるものもある。そして、こうした似顔絵は、新聞や週刊誌を始め、いろんな媒体で公開されてる。

街角の似顔絵描きの場合、自分の顔を描いてもらうと、実物よりもずいぶん良く描いてくれる。男性なら少しでも美男子になるように、女性なら少しでも美人になるように、サービスして描いてくれる。それは、こっちがお客なんだし、欠点をそのまま描いたらお客が怒っちゃうからだ。だから、街角の似顔絵描きの絵は、あんまり似てないのだ。もちろん、欠点をカバーした上にちゃんと似せて描くような上手な人もたくさんいるだろうけど、基本的な描き方が、有名人の似顔絵を描く場合と違って来る。

有名人の似顔絵の場合は、その人の顔の特徴をデフォルメして描くことが「似せるポイント」になる。たとえば、千昌夫の似顔絵だと、オデコのホクロがみんな大きく描かれてる。これは、似顔絵だけじゃなくて、モノマネや顔マネでもおんなじだ。コロッケが千昌夫のモノマネをする時には、直径が5cmくらいある巨大なホクロをつけるし、南伸坊さんや清水ミチコさんが顔マネをする場合にも、やっぱり大ゲサなホクロをつけたりしてる。研ナオコや谷村新司のモノマネなら、鼻に貼ったセロテープを上に引っぱるし、ザ・ニュースペーパーのメンバーが政治家のモノマネをする時も、それぞれの特徴を大ゲサにしたメークをしてる。

‥‥そんなワケで、フロッピー麻生を題材にした風刺マンガの場合は、もちろん、口は、実物以上にひん曲がって描かれてるし、その上、目つきや人相も悪く描かれてることが多い。そして、ザ・ニュースペーパーのメンバーがフロッピー麻生のモノマネをする時だって、大ゲサに口をひん曲げて、ダミ声でしゃべってる。こうした似顔絵やモノマネが当たり前のように氾濫してるのに、文章で書く場合だけ、「口のひん曲がったフロッピー麻生は~」って書いちゃダメって感覚は、あたしにはまったく理解できない。

アベシンゾーのモノマネにしても、みんなオチョボグチで舌足らずなしゃべり方をして、「わたくしは~」じゃなくて「ワタクチは~」って言ってる。こうして実際にモノマネすることはOKなのに、あたしが日記に「ワタクチは~」って書くことはNGって感覚が理解できない。逆に、どっちかって言えば、わざわざ人相の悪い似顔絵を描いたり、特殊メークまでしてモノマネをするよりも、文章で書くだけのほうが軽いような気がする。

たしかに、顔や体の欠点を言われたら、誰だって不愉快だ。あたしだって、目が離れてるとか、口がデカいとか、鼻が低いとか言われてたら腹が立つ。だけど、もしもあたしがテレビや雑誌にヒンパンに出るような有名人だったとしたら、見ず知らずの人に似顔絵を描かれたりモノマネされたりするのは「有名税」だ。そして、あたしの似顔絵を描く人は、10人が10人とも目を離して描くだろうし、口をデカく描くだろう。モノマネタレントがあたしのモノマネをするのなら、絶対に、口のまわりに、ひとまわり大きく口紅を引いたりするだろう。そして、見ず知らずの人のブログとかにも、あたしの外見をネタにしたことが書かれるに決まってる。

だけど、これは、「有名税」なんだから、いちいち腹を立てるようなことじゃない。それどこか、もしもあたしがアイドルやタレントだったとしたら、どんなに酷い扱いであっても、似顔絵を描かれたりモノマネされてるうちが花なのだ。こうしたネタにされるってことは、タレントにとっては「売れてる」か「売れてないか」のバロメーターなワケで、多くの人にいじられてるほうがアリガタイザーなワケだ。

‥‥そんなワケで、政治家はタレントじゃないんだから、顔なんてどうでもいい。政治家に問われるのは政治の手腕だけなんだから、二枚目で無能な政治家よりも、ブサイクでも有能な政治家のほうがいいに決まってる。そして、この政治家としての能力の違い、資質の違いは、わずかだけど似顔絵にも表われる。その政治家が有能で、ホントに国民から支持されてれば、似顔絵だって好感を持たれるような顔つきに描かれる。そして、その政治家が無能なら、欠点をデフォルメした酷い顔に描かれる。おんなじ顔をした政治家であっても、その能力や支持率によって、マンガ家のほうが描き分けるってことだ。

つまり、今、フロッピー麻生の似顔絵が、憎たらしい顔や傲慢な顔にばかり描かれてるのは、フロッピー麻生自身の資質によるものなのだ。だって、フロッピー麻生って、歴代のどの総理大臣よりもニコニコしてるだろう。「満面の笑み」って表現がピッタリなほど、わざとらしいほどの笑顔を振りまいてる。それなのに、似顔絵に描かれる時の顔は、口をひん曲げて苦虫を噛み潰したような顔ばっかだ。これは、フロッピー麻生が国民にアピールしてる顔と、国民のほうが感じてる顔とに大きなギャップがあるからなのだ。

たとえば、フロッピー麻生が、自民党を延命させることなんか後回しにして、どんどん国民のための政策を推進してたら、描かれる似顔絵だってぜんぜん違ってただろう。ナンミョーの顔色をうかがった2兆円のバラ撒きなんかやめちゃって、2年後の消費税の引き上げなんかやめちゃって、天下りの「渡り」も完全に禁止にしちゃって、もっと国民のほうを向いた政策を推進してたら、描かれる似顔絵だって笑顔になってただろう。口のひん曲がり具合だって、必要最低限にしか描かれなかったハズだ。そして、あたしの日記でも、「口のひん曲がったフロッピー麻生は~」なんて書かずに、「お茶目な麻生ちゃんは~」とかって書き方になってただろう。

‥‥そんなワケで、世界中の人たちがブッシュのことを「殺人鬼」って呼ぶのは、ブッシュ自身の責任であり、ニポン中の人たちがモリヨシローのことを「サメの脳みそ」って呼ぶのは、モリヨシロー自身の責任なのだ。そして、ブッシュのことを「殺人鬼」って呼んだり、モリヨシローのことを「サメの脳みそ」って呼ぶことがOKなのに、その外見をネタにするはNGって考え方は、単なる詭弁でしかない。内容であれ外見であれ、その政治家自身の能力や資質や人間性に対して、国民がつけた評価が、似顔絵であり文章表現なのだ。だから、政治家の似顔絵が酷い顔に描かれるのも、「きっこの日記」で酷く書かれるのも、それは、その政治家自身の責任てワケで、酷く書かれたくなければ、国民のための政治をすればいいだけの話だと思う今日この頃なのだ。


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