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2009.02.16

江戸時代はエコ時代

今の子供って、家族で旅行に出かけても、ニンテンドーDSだのPSPだのを持ってって、どこへ行ってもゲーム機の画面から目を離さないらしい。お父さんの運転する車でドライブに行っても、外の景色を観ないで、車内でずっとゲームをしてるそうだ。あたしが子供の時って、電車やバスに乗っても外の景色ばっかり観てたけど、今の子供は、電車やバスに乗っても、すぐにゲーム機を取り出すそうだ。酷い例になると、家族で食事をしてる最中にも片手にゲーム機を持ってる子供もいるそうだし、テレビを観ながらゲームをしてる子供もいるそうだ。だから、あたしが子供のころは、テレビばっかり観てて叱られる子供が多かったけど、今は、テレビよりもゲームばっかりしてて叱られる子供のほうが多いそうだ。

もちろん、あたしもテレビは大好きだったけど、それ以上に本が好きだったから、テレビをずっと観てて叱られることはなかったけど、夜遅くまで本を読んでて叱られることが多かった。「叱られる」って言うか、あたしの母さんの場合は、やさしく「もうそろそろ寝なさいね」って言うだけなんだけど、お布団に入って、枕元の電気スタンドをつけて、枕を抱えるようにうつ伏せになって、夢中になって本を読んでたあたしは、完全に本の中の世界に入り込んでるワケで、母さんのそのヒトコトで、現実の世界へと引き戻されるから、すごく残念だった。

それで、あたしは、他のことなら何でも母さんの言うことをきいてたんだけど、この時だけは、「あと5分だけ!」とか「あと2ページだけ!」とかってワガママを言ってた。だって、読書を途中でやめる時って、ちょうどいい「区切り」ってもんがあるのに、母さんが「もうそろそろ寝なさいね」って言うのは、いつでも「あたしが夢中になってる時」だったからだ。それで、あたしは、慌ててパラパラとページをめくり、今読んでる場所から一番近い「区切り」を見つけて、「ここまで読んだら寝るから」って言うんだけど、母さんの了解を得てそこまで読むと、どうしてもその続きが読みたくなっちゃう。だけど、約束は約束だから、仕方なく電気スタンドを消して寝ると、その続きが夢の中で始まる今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、今でこそ「停電」なんて数年に1回くらいしか起こらなくなったけど、あたしが子供のころって、年に何回かは起こってた。だけど、たいていは台風が来た時で、前もって懐中電灯やローソクを準備をしてたから、慌てることはなかった。あたしは、テーブルの上に並べられた懐中電灯やローソクを見て、はやく停電にならないかってワクワクしながら、外のゴーゴー唸る風の音を聞いてた。それで、停電にならないとガッカリして、母さんに頼んで、電気を消してローソクをつけさせてもらったり、懐中電灯でフスマや天井を照らしたりして遊んだことを覚えてる。

10年以上も前だから、一字一句までは正確じゃないと思うけど、「お~いお茶」の缶に書いてある新俳句大賞の入選句で、「水道をひねれば水が出る日本」とかって句があった。この句の「水」とおんなじで、あたしの世代のニポン人は、水も電気も「あって当たり前」のものとして育って来た。生まれた時から、蛇口からは水が出て、スイッチを入れれば電気がつく中で暮らして来た。つまり、今のニポン人にとっては、電気がつくのが「日常」で、電気がつかないと「非日常」になる。だからこそ、子供のころのあたしは、いつもとは違う「非日常」に身を置くワクワク感を「停電」に求めてたんだと思う。

今どきの女子高生とかに「もしもケータイがなくなったらどうしますか?」ってインタビューしてるのを観ると、必ず「絶対にムリ!」とか「死んじゃう!」とかって答えてるけど、これは、モノゴコロついた時からケータイのある生活をして来たからで、ケータイが「あって当たり前」になってるからだ。あたしの場合は、中学、高校、専門学校とケータイなんかなくて、進んでる子がポケベルを持ってるくらいだった。そして、あたしが初めてケータイを持ったのは、20才を過ぎて社会人になってからだった。

だから、あたしは、十分にケータイのない生活をして来たし、今でも、別にケータイがなくても「絶対にムリ!」とか「死んじゃう!」とかってことにはならない。もちろん、今は、お仕事の連絡でケータイは必要だけど、それは世の中がそうなったからで、あたし自身がケータイに依存してることとは違う。だから、もしもあたしが働く必要のない中学生や高校生だったとしたら、それこそケータイなんかなくても普通に生活できると思う。

‥‥そんなワケで、人間てものは、ものすごく勝手な生き物で、自分が生まれた時からあるものに対しては、「あって当たり前」って思っちゃってて、それを失うまでアリガタミに気づかない。だから、そのアリガタミを気づかせるためなのか、現代文明の便利さを再確認させるためなのか、いろんな団体が、江戸時代の庶民生活を体験させる企画を行なってる。あたしは参加したことがないので、報告のレポートとかテレビとかでしか観たことがないけど、電気もガスもない場所で、2泊3日とかのスケジュールで、すべて江戸時代とおんなじ暮らしをするそうだ。

で、その日程が終わったあとの感想を聞くと、参加者のほとんどが「何よりも不便を感じたこと」として挙げるのが、「電気がない」ってことなのだ。だけど、これは、あたしたちが、生まれた時から「電気があって当たり前」の生活をして来たからで、電気なんてものが発明されてなかった時代の人たちは、逆に、「なくて当たり前」だったワケだ。

じゃあ、電気がなくて当たり前だった江戸時代の人たちは、夜の「照明」をどうしてたのかって言うと、そりゃあ、「部屋とワイシャツと私」‥‥じゃなくて、「ローソクとムチとモズレー会長」‥‥じゃなくて、「ローソクと行灯(あんどん)とお月さま」に決まってた。だけど、当時は、ローソクってものすごい高級品だったし、行灯の油も高級品だった。だから、唯一無料だったお月さまが煌々と照ってる夜は、何とか月明かりを頼りに行動することもできたけど、曇ってたり雨が降ってたりしたら、お家の中だけじゃなくて、世の中がぜんぶ真っ暗で、外の厠(かわや)へ行くにもチョウチンとかが必要だった。

今なら、曇ってても雨が降ってても、一歩外へ出れば、街灯だの他の家だのお店だの自販機だのって、街は灯りであふれてる。だから、夜、出かける時に、懐中電灯なんか持ってく人はいないし、たとえ自分のお家が電気料金の滞納で真っ暗だったとしても、ドアを開けて外へ出れば、世の中は明るい。だけど、電気そのものがなかった江戸時代には、お月さまの出てない夜に外へ行く時は、必ずチョウチンを持ってかないと、どこもかしこも真っ暗だったから、マトモに歩くこともできなかったのだ。

‥‥そんなワケで、今とはまるで別世界みたいだった江戸時代なワケだけど、好きなだけ行灯でお部屋を明るくしてられたのは、お殿様とか大店(おおだな)のご主人とか庄屋さんとかの限られたお金持ちだけだったし、高級なローソクをジャンジャン使えたのは、吉原の遊郭だけだった。世の中の99%の一般人にとっては、ローソクなんて高嶺の花だったし、ローソクよりは安い行灯の油にしても、ものすごい高級品だった。行灯の油は、菜種油、つまり、菜の花の種を搾った油を使うんだけど、それまでよりは値段が下がって何とか庶民の手が届くようになった江戸時代でも、お米の4倍もしたのだ。

江戸時代って言っても長いから、お米の値段もいろいろと変動してるんだけど、一例として文化年間の相場をあげると、お米が1升100文だったのに対して、菜種油は1升400文だった。で、このころは、お米自体も高級品だったから、白いご飯が食べられない人たちもいっぱいいた。今でこそ、「雑穀飯」なんて言って、アワだのヒエだのを混ぜたご飯をヨケイなお金まで払って食べてるオメデタイ人たちもいるけど、昔はお米が買えない人たちが、少しでもご飯のカサを増やすために仕方なく雑穀を混ぜてたのだ。

で、当時の1文て言うと、これも諸説があるんだけど、平均すると現在の30円くらいになる。だから、当時の「一文無し」って言えば、現在の「30円も持ってないヤツ」ってことになる‥‥なんて話も織り込みつつ、この換算率で計算すると、お米が1升3000円だったのに対して、菜種油は1升12000円だったってことになる。1升ってのは1.8リットルなんだから、お米もメチャクチャに高いし、菜種油に至っては、とてもじゃないけど手が出ない。1.8リットルで12000円てことは、1リットルで6700円てワケで、現在の灯油やガソリンの値段と比べると、ものすごい金額だ。

だから、多くの庶民は、菜種油の代わりに、3分の1の値段で買える魚油を使ってた。これは、イワシとかクジラとかを搾って作った油で、簡単に想像できるように、燃やすと鼻が曲がりそうなほど臭かったそうだ。だから、お金持ちが菜種油オンリーだったのに対して、庶民は魚油と菜種油とを併用してた。通常は臭いをガマンしながら魚油を使ってて、ココ一番で菜種油を使うって感じだったのだ。「鍋島の化け猫」のお話にも出て来るけど、昔から化け猫って行灯の油をペロペロとなめる。こうした描写が生まれたのも、日常的には魚油を使ってたってことなのだ。

だけど、安いほうの魚油にしたって、1升で4000円もするんだから、食用として使うんなら何ヶ月も持つだろうけど、燃料として使ったらすぐになくなっちゃう。だから、当時の人たちは、できるだけ使わないように節約してて、どうしても必要な時にだけ灯りをつけたり、コマメに消したりしてた。そして、カンジンの行灯のほうにも、芯をつたって外に垂れる油を受けるための受け皿がついてて、1滴もムダにしないように、ちゃんとリサイクルしてたのだ。

‥‥そんなワケで、お仕事中に給湯室とかでおしゃべりしてると、通りかかった上司から、「こんなとこで油なんか売ってないでちゃんと仕事しろ!」なんて言われちゃうけど、この「油を売る」ってのは、江戸時代に行灯の油を売り歩いてた人のことなのだ。当時は、油売りが大きなカメをかついで、それぞれの家に売りに来た。で、油を升(ます)で量り売りをするワケだけど、升で量った油をお客のカメに移す時に、油は水よりも粘度が高いから、いつまでもポタポタと雫が垂れてる。お客としては、値段が高くて1滴もムダにしたくない油なんだから、買う時だって1滴でも多く欲しい。

お客が納得するまで、升から1滴も雫が垂れなくなるまでには、それなりの時間がかかる。だから、油売りは、その時間、お客と立ち話をして時間を潰す。その様子が、他の人から見れば、仕事をサボッて世間話をしてるように見えたってことだ。だから、この「油を売る」って言葉のホントの意味は、「仕事をサボッてるように見えて、実はちゃんと働いてる」ってことになる。

ま、買うほうにしても売るほうにしても、それほど油ってものが大切だったってワケで、「早起きは三文の得」ってコトワザも、ここから来てる。早起きすれば、お日さまが出てる明るいうちに片づけられる仕事や用事が増えるから、そのぶん、夜になってから油を使って夜なべ仕事をしないでも済むってことで、その油の金額が、三文ぶん、つまり、約100円の節約になるってワケだ。

でも、こんなに大切に使ってた油だけど、行灯は、今からは想像もできないほど暗かった。かつての明るさの単位で「燭光(しょっこう)」てのがあるんだけど、これは「蝋燭(ろうそく)」の「燭」から来てて、1燭光がローソク1本ぶんの明るさってことだ。で、行灯の明るさがどれくらいだったのかって言うと、行灯のタイプにもよるけど、「0.2~0.5燭光」だって言われてる。つまり、一番明るい行灯でも、1本のローソクの半分ほどで、中には、1本のローソクの5分の1しか明るくない行灯もあったってワケだ。で、この「0.2~0.5燭光」ってのをもっと分かりやすく言うと、現在の60ワットの電球の100分の1~50分の1ってことになる。

‥‥そんなワケで、今の貨幣価値で、1リットル6700円もする油を使って、ココ一番で火をつけてた行灯が、こんなにも暗かったのだ。一説には、手元に行灯を置いても、針に糸を通すのがやっとだったって言われてる。それでも、江戸時代の庶民にとっては、ものすごく貴重な「灯り」だった。そして、庶民が節約しながら使ってた魚油の3倍もの値段がした高価な菜種油よりも、さらに高価だったローソクがいくらだったのかって言うと、ちょっと大きなものが、1本200文もした。だから、さっきの換算率だと、1本6000円てことになる。

菜種油が1升400文だから、ローソク2本と菜種油1升がおんなじ値段になる。ローソクだって、つけたり消したりしながら使えば何日かは使えると思うけど、トータルで使える時間を考えたら、ローソク2本よりも、菜種油1升のほうが、遥かに長いだろう。当時、日暮れから寝るまでに庶民が使った油の量は、平均して「5勺(約90ミリリットル)」って言われてる。つまり、1升(1.8リットル)で、20日間も行灯が使えたのだ。だけど、ローソク2本じゃ、どんなにコマメに消したりしても、サスガに20日間は持たないだろう。だけど、ローソクは、1本で1燭光の明るさがある‥‥って、これは当り前か(笑)

現代のあたしたちからすれば、SMの女王様以外には、それこそ停電になった時とお誕生日くらいにしか使わないローソクだけど、電気のなかった江戸時代には、庶民には手が届かないほどの高級な灯りだったワケで、逆の意味で、1年に1回のお誕生日くらいしか使うことのできない高級品だったってワケだ。そう言えば、何年か前に、会津若松へ旅行に行った時に、あたしは、どうしても「絵ろうそく」が欲しかったから、有名な「小澤ろうそく店」に行ったんだけど、あたしのハートにグッと来た太くて長くて立派なものは3000円以上もして、貧乏旅行だったあたしが買えたのは、1000円くらいの小さいやつのセットだった。でも、何の絵も描いてないローソクが6000円もした江戸時代のことを思えば、あんなにステキにローソクが3000円だったんだから、ムリしても買ってくれば良かった。

ま、あたしのメンソレタームジャーニーのことは置いといて、客観的に江戸時代のことを考えてみると、当時、世界一の人口を誇ってた百万都市の大江戸でさえ、夜になれば真っ暗だったってことになる。だから、時代劇で、悪代官と越後屋が、夜にどっかのお座敷で芸者をあげてドンチャン騒ぎをしてるけど、アレだって、ホントはもっともっと薄暗くて、相手の顔もボンヤリとしか見えなかったのだ。唯一、たくさんのローソクを惜しげもなく使ってた吉原の遊郭だって、所詮はローソクなんだから、現代と比べたら、遥かに薄暗かったハズだ。それでも、当時の最高の灯りであるローソクをふんだんに使ってたんだから、電球や蛍光灯の灯りを見たことのない当時の人たちにしてみれば、夜の吉原は眩しいほどの明るさだったんだと思う。

今は、ローソクを「1本」「2本」て数えるけど、昔は「1挺(ちょう)」「2挺」って数えてた。これは、人が手に持って使う細長いものや、乗り物を数える時の単位で、畑で使う「鍬(くわ)」や「鋤(すき)」、舟を漕ぐ「櫓(ろ)」、他にも、墨、包丁、そろばん、鉄砲、三味線、バイオリンなんかを数える時に使う。乗り物だと、駕籠(かご)や人力車に使う。ちなみに、「二丁拳銃」とかって書くことがあるけど、この「丁」は、あくまでも代用漢字で、正確に書く場合は、「二挺拳銃」って書かなきゃならない。

で、ローソクも、昔は「1挺」「2挺」って数えてたワケで、江戸時代には、最後の1本になったローソクのことを「一挺蝋(いっちょうろう)」って呼んで、すごく大切にしてた。2本以上あれば、もしも今使っても、まだ予備があるワケで、急に必要になっても困らない。だけど、最後の1本になると、それを使っちゃったら終わりだから、こうした特別な呼び方をして、すごく大切にしてたってワケだ。一番大切にしてる高価な服のことを「一張羅(いっちょうら)」って言うけど、これも、この「一挺蝋」から派生した言葉なのだ。

‥‥そんなワケで、わずか300年前の江戸時代には、お金持ちでさえ、たった1本のローソクを大切にしてたワケだし、庶民に至っては、たった1滴の油を大切にしてた。それも、菜の花から作った菜種油をだ。SF作家で江戸文化研究者の石川英輔さんは、江戸研究シリーズの中の「大江戸リサイクル事情」で、「江戸のあかりは去年の太陽だった」って書いてる。これは、「去年の太陽を浴びて育った菜種から、今年の夜を照らす行灯の油が作られてた」ってことなのだ。だけど、現代では、化石燃料を掘りまくり、地球上のすべての生物を全滅させるほどの原発まで稼働して、電気を作り続けてる。そして、その電気を使って何をしてるのかって言えば、お日さまが出てる明るい昼間に、企業から一般家庭までが数えきれないほどの灯りをつけてるのだ。江戸時代には、お日さまの出てる明るい昼間に、貴重な油を使って行灯を灯してるようなバカのことを「昼行灯」て呼んだけど、そしたら、昼間から電気を使いまくってる現代のあたしたちは、全員が大バカってことになる。ま、最初に書いたように、あたしたち人間は、自分が生まれた時からあるものに対しては、「あって当たり前」って思っちゃって、それを失うまでアリガタミに気づかないし、感謝の気持ちも持たない。だけど、そろそろ、あたしたちも、この「あって当たり前」って考えを改めないと、電気だけじゃなくて、もっともっと昔からあった「空気」や「水」、そして、この「地球」までも、失うことになると思う今日この頃なのだ。


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