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2009.02.01

エビドリア

母さんの手術を控えた前日の夜、あたしは、ほとんど眠れなかった。ずっとこの日を夢見てがんばって来たのに、いざ現実に手術を迎えたら、不安で胸がいっぱいになった。ワリと難しい手術であること、成功の確率がそれほど高くないことなど、不安の材料はいくつかあったけど、そんなことは最初から分かってたことだ。それに、あたしの何倍も不安なのが母さんのハズなのに、あたしってホントにだらしない。そう思ってベッドに横になったけど、やっぱり不安で眠れない。

少しだけウトウトしたんだけど、手術が失敗して母さんが死んでしまった夢を見て、泣き叫びながら飛び起きた。それからは、心臓がドキドキして、ヨケイに眠れなくなった。こんな縁起でもない夢なんか見ちゃったもんだから、いくら「逆夢」だって自分に言い聞かせても、どんどん不安が大きくなってく。ベランダに出て、夜空を見上げてお祈りをしたら、少し気持ちが落ち着いた。だけど、結局、このまま朝まで眠ることはできなかった。

でも、あたしが不安な顔をしてるワケには行かないから、寝不足の顔をプロのメーク技術で修正して、病院に着くまでに精一杯のカラ元気を出して、笑顔で病室に入ってった。そしたら、母さんはニコニコしてて、母さんの笑顔を見たら、あたしの不安はスーッと消えてった。そして、今までずっと信じて来た強い心が戻って来た。母さんは、冗談みたいな調子で、「昨日から何も食べさせてもらえなくてお腹がペコペコだから、さっさと済ませて戻って来るよ」って言って、ニコニコ笑ってた。

母さんは、ホントは不安なのに、あたしを心配させないようにムリしてるのかな?‥‥とか、母さんを元気づけなきゃならない立場なのに、あたしのほうが母さんから元気づけられちゃうなんて‥‥とか思いつつ、ストレッチャーに乗せられてく母さんに「がんばってね!」って言ったら、母さんは笑顔でピースサインをしてくれた今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、あたしは、手術を待ってる間、自分が子宮筋腫の手術をした時のことを思い出した。あたしの時は、点滴の中に麻酔の注射を入れられて、お医者さまから「100から逆に数字を数えてください」って言われて、頭の中で「100、99、98、97‥‥」って数えてたら、「声に出して」って言われて、「そりゃそうだ」と思って、今度は声に出して「100、99、98、97‥‥」って数えたんだよね。それで、80いくつかまでは記憶があるんだけど、70いくつかとか言った記憶はないから、アッと言う間に麻酔が効いたんだと思う。

ただ、全身麻酔をしたことがない人は、麻酔が効いてる間は完全に意識も痛みもなくなってると思ってる人もいるかもしれないけど、ワリと感覚は残ってるんだよね。あたしの時は、手術してる下腹部の皮膚をギューッと引っ張られる感覚が断片的に続いてたし、その中に何度も痛みを感じた。いろんな色の巨大なペイズリー模様が、ゾウリムシみたいに動きながら襲って来るサイケデリックな映像とか、言葉じゃうまく説明できないけど、真っ暗な宇宙空間に放り出されて、目に見えない力で体が引きちぎられるような感覚とか、ふだん見る夢とは違う「実感をともなう夢」を見た。

ま、あたしのことは置いといて、母さんの場合は大きな手術だったから、無事に済んで麻酔から醒めてからも、当日の夜は強い鎮痛剤を打ってたし、酸素マスクだの心電図の線だの点滴だのにつながれてたから、目で合図して手を握るだけで、話すことはできなかった。だけど、執刀したお医者さまからの「すべてうまく行きました」って言葉で、あたしは安心して帰って来ることができた。そして、この日は、グッスリと眠ることができた。

でも、不安と緊張から解き放たれて爆睡したら、この5年間のことがダイジャスト版で流れる走馬灯みたいな夢を見た。それも、思い出したくなくて記憶から排除してたようなことばかりが、洪水みたいにドッと流れて来た。あたしは、イヤな思いをした時、屈辱的な思いをした時は、そうした記憶を心の奥の箱に仕舞って、鍵をかけて来た。イヤな思いをするたびに、いちいち悲観的になったり感傷的になったりしてたら、ちっとも前に進めないからだ。あたしには、1日も早く母さんの手術費用を貯めるっていう目的があって、そのためにガムシャラに働いてたんだから、その過程で起こるイヤな思いや屈辱的な思いなんかに、いちいち構ってるヒマなんかなかったからだ。

特に、夜のバイトをしてる時は、ホントにつらかった。本職のほうで朝から晩まで働いて、それからのバイトだったから、肉体的にもギリギリだった。それでも、笑顔でがんばって働いてたけど、酔っ払いに体を触られたり絡まれたりするたびに、泣きたいくらい悔しかった。自分自身に「母さんのため」って言い聞かせて、顔で笑って心で泣いてガマンして来たけど、何度も何度も「どうしてこんなことまでしないといけないのか‥‥」って思って、悔しかった。このころは、手術費用を貯める以前の話で、ふだんの医療費を作るだけで精一杯だったから、ヨケイに悲しかった。

だから、あたしは、こうした思いをするたびに、悔しさや悲しさを心の奥の箱の中に仕舞って、鍵をかけて、翌日に引きずらないようにして来た。本職のほうでも、何度も悔しいことがあったけど、みんな箱の中に仕舞って来た。そして、ようやく手術費用を貯められるようになったと思ったら、今度は自分が大ケガをして、8ヶ月も働けなくなった。これがトドメみたいなもんだったけど、このころは手術費用が作れそうな目安も立ってたから、あたしの意気込みも違ってた。だから、松葉杖をついてパチンコ屋さんに通うほどのパワーもあったし、どんなに苦しい生活にも耐えることができた。

そして、あたしの夢は叶った。正確に言えば、これから、元気になった母さんを近場の温泉に連れてったり、いろんなとこに旅行に連れてったり、いつかは九州の湯布院に連れてったりって、やりたいことはマウンテンで、まだ夢のスタート地点に立ったばかりだ。だけど、日々の生活と医療費だけでギリギリの生活をしてた10年前の時点では、絶対に考えられなかった手術を受けることができたんだから、これで母さんが元気になってくれれば、あたしの夢の90%は叶ったようなもんだ。

5年越しの夢だった母さんの手術もうまく行き、あたしは極度の不安と緊張から解き放たれてグッスリと眠ったら、心の奥の箱がパカッと開いて、今まで仕舞って来た悔しい思いやつらい思いが洪水のように流れ出した。お金のためにガマンしたこと、プライドをズタズタにされたこと、思い出したくなかったイヤな記憶が一気に流れ出して、瞬く間に川の水かさが危険水域まで上昇して、あたしは溺れそうになった。だけど、その時には泣きたいほどつらかった出来事だったのに、ひとつひとつのイヤな記憶に触れても、不思議なことに、それほど悔しくは感じなかった。そして、しばらくして水かさが減り、元の川に戻った時には、あたしはとっても清々しい気持ちになってた。

そして、手術の翌日、あたしが朝イチで顔を見に行ったら、母さんは酸素マスクも外れてて、ようやく話すことができた。あたし的には、この日の明け方にこんな夢を見ちゃったあとだし、5年越しの夢だった手術のあとだし、それなりに感慨深い「最初のヒトコト」を期待してたんだけど、母さんは、あたしの顔を見るなり、こう言った。


「きみこ、お腹がペコペコだよ。エビドリアが食べたいよ」


あまりの第一声に、あたしは、すぐに言葉が出て来なかった。つーか、なぜ「エビドリア」なの? 別に好物でもないのに、数ある食べ物の中から、なぜ「エビドリア」なの? それで、あたしがポカンとしてたら、母さんは、こう続けた。


「あ~エビドリア~」


あたしは、映画の「ロッキー」の「エイドリア~ン!」を連想しちゃって、プッと噴き出した。母さんは、笑いたくても、体が痛くて笑えないみたいだった。この日はお粥も食べられない状態なんだから、しばらくはエビドリアどころの騒ぎじゃない。母さんはつらそうだったので、この日はあまり話さずに、ぼんやりと母さんの顔を見てるだけにした。そして、お医者さまからの詳しい説明を聞いたり、ナースルームにアイサツに行ったりして、帰って来た。

そして、次の日も朝イチで病院に行ったんだけど、母さんは、たった1日でずいぶん回復してて、電動のリクライニングで上半身をナナメに起こせるようになってた。休み休みだけど、ほぼ普通に話すこともできたし、自分でお水を飲むこともできた。それで、あたしは、「なんでエビドリアを食べたいの?」って聞いてみた。そしたら、あたしが中学生の時、母の日に、あたしはお料理の本を見ながら、小麦粉をバターで炒めてホワイトソースを作って、生まれて初めて本格的なエビドリアを作ったんだけど、それが美味しかったことを思い出して、すごく食べたくなったんだって。あたしは完全に忘れてたんだけど、母さんに言われて思い出した。母の日のプレゼントにエビドリアを作ったら、母さんはすごく美味しいって言って喜んでくれたんだ。あたしも忘れてたこんなことを母さんは覚えててくれたんだ。

‥‥そんなワケで、あたしは、母さんが退院したら、まずは近場の温泉に連れてくっていう目標があるし、母さんが元気になったら、いろんなとこに旅行に連れてって、いつかは九州の湯布院に連れてきたいっていう大きな夢があるけど、その前に、「エビドリアを作ってあげる」っていうプチ目標ができちゃった。こんな目標なら、すぐにできるから、いくらでも大歓迎だ。今まで、ずっと病気でつらい思いをして来た母さんに、やっと何でもしてあげられるようになったんだから、これからはどんなリクエストにもバッチリと応えてこうと思う今日この頃なのだ♪


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