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2009.02.05

春の麻雀ゲロゲーロ!

今日、2月4日は「立春」なので、1月1日のお元日とは違った意味で、新しい1年のスタートになる。「春夏秋冬」を1年と見るのなら、昨日までの「冬」は前年てことになり、「春」になった今日こそが、新しい「春夏秋冬」のスタートってことだからだ。ま、毎年2月4日の日記は、この「立春」のことを書いてるから、おんなじことを繰り返してもジンジャエールだけど、この「立春の日が1年のスタート」って考え方は、すごく分かりやすいと思う。

たとえば、中国の「春節(旧正月)」の場合は、2006年は「1月29日」、2007年は「2月18日」、去年は「2月7日」、今年は「1月26日」、来年の2010年は「2月14日」‥‥ってふうに、その年の暦によって3週間くらいの幅のズレがある。だから、中国の人たちの1年のスタートは、その年によってずいぶん違って来る。生まれた時からこの方式で1年のスタートをお祝いしてる中国の人たちは、もう慣れっこになってるだろうけど、あたし的には、1日か2日くらいのズレならともかく、その年によって1月の下旬だったり2月の中旬過ぎだったりと、こんなに大きく違っちゃうと、何となくヒザカックンの気分になる。それに、この方式だと、2006年から2007年までの1年間は「386日」もあるのに、去年から今年にかけての1年間は「352日」しかない。つまり、長い年と短い年とで、1ヶ月以上もの差が生じちゃう。

まあ、いくらタグイマレなる美貌とアライグマなる可愛さとダライラマなる平和の心とを兼ね備えてるとは言え、あたしみたいな小娘が中国4000年の歴史にダメ出しするワケには行かないけど、モグタンと一緒に「クルクルバビンチョパペッピポ、ヒヤヒヤドキンチョのモ~グタン!」って呪文を唱えて、4000年前の「旧正月のはじめて」を見学に行ったとしたら、たぶん中国の人たちも、このシステムが導入されたばっかでまだ慣れてなくて、「毎年毎年こんなにズレるんじゃ正月なんか落ち着いてやってらんねえよ!おっとツモった!メンピンツモドラ1でイチサンニーロク!」とかって言ってそうな気がする今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、ナニゲに麻雀をしながらのシチュエーションにしてみつつも、あたしは中国語も知らないし中国の麻雀のルールも知らないから、セリフもニポン語だし麻雀の手もニポン式になっちゃったワケだ。とにかく、ニポンの麻雀と中国の麻雀はぜんぜん違うみたいで、何よりの違いは、中国の麻雀て、捨て牌をメチャクチャに捨てる。ニポンの場合は、自分の河(ホー)にキチンと捨てるけど、中国の場合はどれが誰の捨て牌だか分かんないみたいにテキトーに捨ててる。だから、中国にはフリテンとかないのかな?‥‥とか想像しつつも、あたしには中国の麻雀のルールはまったく分からない。

で、何よりも分からないのが、ニポンのルールでは使わない4枚の「花牌」の存在だ。麻雀の牌は、すべておんなじものが4枚ずつあって、たとえば「東(トン)」「南(ナン)」「西(シャー)」「北(ぺー)」も、みんな4枚ずつある。だけど、この「花牌」ってのは、各1枚ずつしかない。2008年9月14日の日記、「中秋の名月」の中でも取り上げたけど、一番多いのは「春」「夏」「秋」「冬」が1枚ずつあるパターンで、他にも、「山」「間」「明」「月」とか、「晴」「耕」「雨」「読」とか、「江」「上」「清」「風」とかのパターンもある。ようするに、どれも四字熟語が彫られてるってワケだ。

でも、それぞれの牌が1枚ずつしかないってことは、他の牌みたいに3枚集めてコーツにすることはできない。じゃあ、並びで集めてシュンツにするかと思っても、4枚集めて初めて四字熟語になるものをそのうちの3枚だけ集めて「東」「南」「西」とか、「間」「明」「月」とかにしても、どうしても「揃った」って感じはしない。だから、4枚すべてを集めて「カン」するしかないワケだ。でも、そんなの難しい上に、せっかくのタンピンとかも消えちゃいそうだから、手が安くなっちゃいそうだ‥‥なんて推測しててもラチがあかないから、今、調べてみたら、なんのこたーない。「花牌」って「抜きドラ」なんだってさ。

ようするに、この4枚の「花牌」も混ぜて麻雀をする時は、リンシャン牌を4枚多く作っとく。で、「花牌」をツモって来たら、横に出して、そのぶんの1枚をリンシャン牌から引いて来るんだって。つまり、手の内に2枚持ってても、頭にすることはできなくて、横に出して「ドラドラ」にするワケだ。ふ~ん。15年も悩んで来ないで、トットと調べれば良かったよ。だから、ニポンでは、よりゲーム性を重視して、「花牌」の代わりに「赤牌」を入れるようになったんだと思う。「五萬」「五ピン」「五ソー」が「花牌」の代わりになれば、横に抜かなくても手の内で使えるからだ。

‥‥そんなワケで、ここまで分かったんだから、どうしておんなじ価値の「ドラ」なのに、美しい「花牌」を使わずに、わざわざ「赤牌」なんかを作ったのかってことをあたしなりに推理してみることにした。で、「推理」と来れば、せっかくだからヒサビサに登場してもらうのは、もちろん、頭脳は子供でもベッドでは大人、迷探偵キッコナンだ。ちなみに、キッコナンの得意ワザは「チートイドラドラ」だ。それも、河にトイツを3組も捨てての「チートイドラドラ」だ。もちろん、計算してのことじゃない。選択を誤っただけだ(笑)

そんなキッコナンの推理によると、これは、麻雀がギャンブルとして広まったことが最大の原因てことになる。一応、お金を賭けて麻雀を打つのはダメってことになってるけど、ハッキリ言って、お金を賭けずに麻雀を打ってる人なんて、ほとんどいないだろう。それに、今でこそ「競技麻雀」なんてものが一般的になって来たけど、もともと麻雀がギャンブルとして広まったってことを否定する人はいないだろう。

で、どんな遊びにしろ、それがギャンブルとして広まって行けば、よりギャンブル性の高いルールに変わってくのは世の常だ。一瞬で勝負がつく関西の「ブー麻雀」しかり、「焼き鳥」や「アリス」や「ワレメ」や「ビンタ」などの補充ルールしかり、すべては、ゲームとしての面白さを削っても、ギャンブルとしてのお金を動きを活発にするために発案されたルールなのだ。ジックリと手を育てることよりも、ドラを増やして何でもない手を満貫やハネ満にする。相手のリーチを避けながら打ちまわして作った美しい面前のピンフ3色よりも、汚らしく鳴き散らした白ドラ4のほうが高い麻雀。これが、どんなにキレイゴトを言おうとも、ギャンブルのギャンブルたるユエンなのだ。

だから、見た目は美しくないけど相手に見せずに手の内で使える「赤牌」が、ビジュアル的に美しい「花牌」に取って代わったのも、こうしたギャンブル性の象徴と言える‥‥ってなワケで、ギャンブルも好きだけど、できれば、より美しく勝ちたいあたしとしては、「赤牌」を廃止して「花牌」に復活して欲しいと思う。そして、単なる「抜きドラ」として使うだけじゃ美しさに欠けるから、プラスアルファのルールを作りたい。それは、1人が4枚の「花牌」を晒した時に、バラバラに「秋」「夏」「冬」「春」なんて順番だった時にはタダの「ドラ4」だけど、キチンと「春」「夏」「秋」「冬」って並んだ時には、「ドラ4」の他に「春夏秋冬」っていう2ハンの役として数えるのだ。つまり、手の内に役がなくても、これだけで「春夏秋冬ドラ4」のハネ満になるってスンポ―だ。

もちろん、使ってる「花牌」が「山間明月」だったり「晴耕雨読」だったりした時には、役の名前が変わる。これは、とっても美しいし、やっぱり四字熟語は正しく並んでこそ意味が生じるワケだから、理にかなった役だと思う。だって、おんなじ四季にしても、「秋夏冬春」と「春夏秋冬」とじゃ、美しさがぜんぜん違うからだ。「秋夏冬春」とだと、何か、UB40のCDケースの中にマライア・キャリーのCDが入ってて、マライア・キャリーのCDケースの中にドラクエ8が入ってて、ドラクエ8のケースの中にモンティバイソンのDVDが入ってて、結局、UB40のCDが見つからない‥‥みたいな?(笑)

それに比べて、「春夏秋冬」のほうは、UB40のCDケースの中にはちゃんとUB40のCDが入ってて、マライア・キャリーのCDケースの中にはちゃんとマライア・キャリーのCDが入ってて、すべてがキチンとしてて、聴きたいCDを一発で聴ける清々しさがある。その上、1年のスタートにふさわしい「春」から始まり、1年のゴールにふさわしい「冬」で終わってるっていう自然体の起承転結があって、森羅万象に秩序が感じられる。だからこそ、長かった話をクルリンパと戻すけど、1年のスタートは、今日の「立春」でなきゃダメだってワケなのだ。

で、「夏も近づく八十八夜~♪」なんて歌があるけど、この「八十八夜」ってのは、今日の「立春」から数えて「88日目」の日のことだ。それから、農家の厄日とされてる「二百十日」とか「二百二十日」とかってのも、今日の「立春」から数えて「210日目」と「220日目」のことだ。ちなみに、この「二百十日」ってのは、カレンダーで見ると9月1日くらいに当たるんだけど、ちょうどこのころは稲の開花時期で、台風が多い時期でもある。だから、稲の開花と台風がバッティングしちゃうと、稲の花粉が風で飛んじゃって、実りが悪くなるのだ。もちろん、農村だけじゃなくて、漁村だって台風が来ると困る。

そのため、この「二百十日」には、昔からニポン各地の農村や漁村で、風を鎮めるための神事や祭事が行われて来た。有名な富山県八尾町の「おわら風の盆」も、この風を鎮めるための神事で、毎年9月1日から行なわれるのは、「二百十日」に合わせてるからだ。そして、9月1日は、台風が多いってだけじゃなくて、大正12年(1923年)には関東大震災も起こってる。そんなことから、9月1日は「防災の日」に定められて、各地で防災訓練が行なわれるようになった。つまり、この「二百十日」ってのは、ホントに気をつけなきゃいけない日ってワケなのだ。そして、それは、今日をスタートとしての220日目ってことになる。

‥‥そんなワケで、可愛らしい茶摘女(ちゃつみめ)たちがお茶の葉を摘む「八十八夜」にしても、農村や漁村に災いをもたらす「二百十日」や「二百二十日」にしても、いいことも悪いこともひっくるめて、みんな今日を起点にして数えてるってワケだ。この事実こそが、「立春が1年のスタートである!」ってことと、「わしが男塾塾長、江田島平八である!」ってことを証明してるってワケだ。そして、この方式で行くと、今日の「立春」から291日目が、記念すべきあたしのお誕生日ってことになる。だから、「八十八夜」や「二百十日」と並んで、今年からは「二九一(にくい)日」ってのも記念日として加えて欲しいと思う。そして、毎年、「立春」から291日が過ぎたら、全国各地で「にくいよ、この、ど根性キッコ!」って声をかけて欲しいと思う。だって、「立春」を迎えて春になれば、青空球児好児も言ってるように、あっちでも「ゲロゲーロ!」、こっちでも「ゲロゲーロ!」って、カエルが鳴くことになる今日この頃だからなのだ(笑)


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