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2009.03.03

マーガリンに溺れた夏

今日、母さんが、無事に退院した。ホントは、あと1週間くらい入院してたほうが安心だったんだけど、差額ベッド代のかからないベッドが空いてなくて、このままだと破産しちゃうから、お医者さまのOKも条件つきで出たことだし、今日、退院することにしてもらってた。今までもそうだけど、入院すると、この差額ベッド代ってのが何よりのネックになる。それは、ほとんどの病院が、差額ベッド代のかからない病室はちょっとしか作ってなくて、ゆえに常に満員の状態で、空いてるのは差額ベッド代のかかる高い病室だけで、「入院したけりゃ高い病室にしろ」って姿勢で運営してるからだ。だから、たいていの場合は、仕方なく、1日につき5000円も1万円もヨケイにかかる病室にするしかない。そして、差額ベッド代が月に何十万円かかっても、保険も使えなきゃ高額医療費としての返還対象にもならない。ようするに、自民党の「貧乏人は病気になるな!」っていう弱者切り捨て政策の一環が、こんなとこにも波及してるワケだ。

ま、こんなおめでたい日に、ショッパナから文句を言うのもつまんないから、そんなことは置いといて先へ進むけど、約1ヶ月間の入院中、あたしは、ほぼ毎日、顔を出してた。どうしてもお仕事の都合で2日だけ顔を出すことができなかったけど、あとは毎日顔を出してたから、母さんの回復の具合もよく分かってたし、退院後の注意もキチンと聞いてた。これからは、あたしが付き添って通院する他に、医療ヘルパーさんにもお世話になるから、まだしばらくは金銭的に厳しい日々が続くけど、母さんが退院して、あたしの「禁パチ先生」も解禁になったから、これからは川崎の等価交換のホールに通って、ジャンジャンバリバリとドル箱を積み上げさせてもらうぜ!‥‥なんてことも織り込みつつ、とにかく、今は、母さんが無事に退院した幸せをかみしめようと思ってる。

で、「エビドリア」だ。手術を終えた母さんが、麻酔から醒めて、開口一番に言ったのが、「エビドリアが食べたいよ」っていう歴史に残る名セリフだったから、あたしは、今日の退院の日に、エビドリアを作る準備をしてた。それで、材料だけは昨日のうちに買い揃えてたんだけど、ホワイトソースを作るのに手間がかかるから、ゆうべのうちにホワイトソースだけは作っておいた今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、ホワイトソースってのは、フランク・ザッパに言うと、小麦粉をバターで炒めて、牛乳で伸ばしてくワケだけど、細かいことを言うと、薄力粉の代わりに中力粉を使ったり、バターは無塩バターを使ったり、牛乳はある程度温めてから加えて行ったり、仕上げに白ワインを入れてアルコールを飛ばしたりって、いろんな小ワザがある。だけど、基本的には、そんな小ワザよりも、火加減の調整と、目を離さずに焦がさないように掻き混ぜ続けることこそがポイントになる。

ちなみに、「ホワイトソース」ってのは英語で、フランス語だと「ソース・ベシャメル」って言うんだけど、何でも和製英語にしちゃうのが好きなニポン人は、この両方を混ぜて「ベシャメルソース」なんていうデタラメな造語で呼んでる人もいる。もしかすると、白いソースを「ホワイトソース」って呼ぶと「まんま」でカッコ悪いとでも思ってるのか、変にカッコつけてる人に限って「ベシャメルソース」なんて言ってるみたいだけど、あたしから見ると、こんなデタラメな和製英語を使ってることのほうが、遥かにカッコ悪いと思う。

で、手間のかかるホワイトソースは作っておいたから、あとは、グラタン皿にバターを塗って、ご飯をよそって、下ごしらえしたエビ、タマネギ、ブロッコリー、アスパラを乗せて、とろけるチーズとホワイトソースをかけて、オーブンで焼くだけだ‥‥って言っても、あたしのとこにはオーブンなんてないし、電子レンジにもオーブン機能なんてついてないから、コジマ電気でバーゲンの時に買って来た980円のオーブントースターで焼くしかない。だけど、これで焼くと、激しく時間がかかる上に、中が狭くて1個ずつしか入らないんだよね。

結局、1個を焼くのに20分以上もかかっちゃって、このペースだと、2個目が焼けた時には1個目が冷めちゃいそうだから、2個目が焼き上がる2分前に、1個目を電子レンジで温めるっていう変則ワザを使ってみた。そして、十数年ぶりに作ってみたエビドリアは、とっても美味しそうにでき上がった。それから、焼いてる時間を使って、タマネギとニンジンのスープと、ブロッコリーとアスパラとニンジンの温野菜のサラダを作った。そしたら、ふだん1食の食費を100円以内に抑えてるあたしにとって、こうしてアトサキのことを考えずに食材を好きなだけ使うことが、ものすごくスカッとする行為だってことが分かった。いつも節約してる人が、パーッとお買い物をして散財しちゃった時みたく、気分がスカッとした。

‥‥そんなワケで、あたしのエビドリアは大好評で、母さんはとっても喜んでくれた。味つけは軽い塩コショウだけなのに、バターの風味が効いたホワイトソースと、その下のとろけるチーズとのハーモニーが、口の中にエトランゼのパラダイスをカーニバルしてくれたボヘミアンだった‥‥って、意味不明だけど、そこらのレストランのエビドリアとは比べ物にならないほど美味しかった。ただ、ヒトコトだけ言わせてもらうと、あたし的には、エビグラタンのほうが食べたかった(笑)

で、今回、食材を揃えるためにスーパーに行ったんだけど、ふだんから節約生活をしてるあたしのお家には、バターも、牛乳も、チーズも、小麦粉も、何もなかった。だから、エビとかお野菜とかだけじゃなくて、こうしたものまで買い揃えなきゃなんなかったんだけど、2年ぶりか3年ぶりでバターやチーズを買おうとしてみて、あまりにも値上がりしてたからビックル一気飲みだった。それで、一瞬、バターの代わりにマーガリンを使おうかとも思ったんだけど、マーガリンが体に良くないことを知って、数年前からなるべく口にしないようにしてたから、今回はムリしてバターを買った。あたしだけなら、別にマーガリンでも何でもいいんだけど、大切な母さんの退院祝いのお料理なのに、体に良くないマーガリンなんて使えないからだ‥‥なんてことを考えてたら、長いことずっと忘れてたことを思い出した。

断片的な記憶で、どうしても思い出せない部分もあるんだけど、たしか、あたしが小学5年生の時だった。あたしは、運動はサッパリな子供だったんだけど、水泳だけはリトル得意だった。それは、5才の時から病気で入退院を繰り返してて、1年遅れて小学校に上がったあたしを健康にするために、母さんがムリしてスイミングの教室に通わせてくれてたからだ。結局、4年生になるまで通ってたと思うんだけど、このオカゲで、あたしは、4年生の時点で、クロールも平泳ぎも背泳ぎもできるようになってた。バタフライだけは、未だにできないんだけど、それ以外の泳ぎ方なら、子供のころにできるようになってたのだ。それで、5年生の夏のこと、水泳のクラス対抗戦があって、あたしは、あたしのクラスの背泳ぎの代表になった。でも、そんなに速かったワケじゃなくて、他に背泳ぎで50メートル泳げる子がいなかったから、仕方なくあたしが代表に選ばれたって記憶してる。

ちっちゃいころからスイミングの教室に通ってると、何よりも水を恐がらない子になる。それで、水を恐がらなくなると、水の中でも全身をリラックスしてられるようになるから、水を恐がってる子よりも浮力がつく。人間の体って、水に浮くようにできてるから、流れや波がない静かなとこなら、手足の力を抜いてれば、自然と仰向けに浮いてる。だけど、水を恐がって全身に力を入れちゃうと、体の浮力が少なくなって、そのまま沈んじゃう。だから、プールで溺れる人ってのは、恐がって全身に力を入れてるから溺れちゃうワケで、ヤケクソになって「もう死んでもいいや!」って思って全身の力を抜けば、そのまま浮かぶから助かるってワケだ。

で、いつまでもずっと仰向けに浮いてることができたあたしは、そのままバタ足をすれば前に進むワケで、左右の手で水を掻けばもっと速く進むワケで、息つぎしなくてもいい背泳ぎが、ラクチンで一番好きだった。それで、小学校のプールの時間に、背泳ぎばっかしてたら、背泳ぎのクラス代表になっちゃったってワケだ。それで、クラス対抗戦の当日、この日は親の見学が自由だったから、いろんな種目の代表に選ばれた子たちのお父さんやお母さんが、パラパラと見学に来てて、応援したりもしてた。

あたしは、背泳ぎのクラス代表に選ばれたことを母さんに話したんだけど、母さんはお仕事だったから、見に来られないって言ってた。母さんは働いてたから、参観日や運動会に来られないことも多くて、ちっちゃいころは寂しかったけど、この時はもう5年生になってたから、あたしは慣れっこになってて、別に気にしてなかった。4年生までは、母さんの代わりにおばあちゃんが来てくれることもあったんだけど、このころは、おばあちゃんは体の具合が悪くて、ほとんどお部屋で横になってたから、もう母さんの代わりに来てくれることもなかった。

‥‥そんなワケで、あたしは、おばあちゃんのことが大好きだったのに、参観日に、母さんの代わりにおばあちゃんが来ると、ちょっとイヤだった。クラスの他の子たちは、みんな若くてキレイなお母さんが来てるのに、あたしだけおばあちゃんで、それがイヤだった。あたしが気にしすぎてたんだと思うけど、周りのクラスメートの子たちが、あたしのおばあちゃんのことを笑ってるみたいな気がして、すごく複雑な気分だった。

それで、授業が終わってから、廊下とかでおばあちゃんに会うと、ホントは嬉しいのに、ワザと冷たい態度をとっちゃったりして、あとから、子供ながらに自己嫌悪に陥ったりした。そして、ブルーな気分でお家に帰ると、おばあちゃんがニコニコして迎えてくれて、あたしは、おばあちゃんの胸に飛び込んで泣いたりして、おばあちゃんは、あたしが何で泣いてるのか分からないハズなのに、頭を撫でて慰めてくれた。

で、そんなこんなもありつつ、あたしが5年生になったころには、おばあちゃんは寝たきりになって、母さんは、お仕事とおばあちゃんの看病とでさらに忙しくなった。だから、母さんが、あたしの水泳なんか見に来てくれるワケがないことは、最初から分かってた。それで、あたしは、周りの盛り上がりとは対照的に、1人、淡々とした感じで、他の競技を眺めたり、空を眺めてたりして、自分の番を待ってた。だけど、あたしの出る背泳ぎは一番最後で、午後になってからだった。それで、ここの記憶がハッキリしないんだけど、あたしは、教室で、1人で給食を食べてた。たぶん、出場種目の時間の都合で、あたしだけ給食の時間が遅くなったんだと思うけど、みんなはもう給食を食べ終わってて、あたしのぶんだけが、一番前の席の上に置いてあった。

それで、1人でボソボソと給食を食べてたら、担任のJ先生がやって来た。J先生は、男の先生で、ちょっと恐い先生だった。1年生と2年生の時も、3年生と4年生の時も、あたしのクラスの担任はやさしい女の先生だったから、5年生になって、初めて男の先生になったあたしは、それまでみたいに、先生に気軽に話しかけたりできなかった。それで、授業中に騒ぐ男子に対して、ものすごい声で怒鳴って怒るJ先生のことが、あたしは恐くて仕方なかった。

教室に入って来たJ先生は、手に給食のトレイを持ってて、「ボクも今からお昼ご飯だよ」って言って、あたしの目の前の教卓の上にトレイを置いた。ガランとした教室で、恐い先生と向かい合わせになって、1人で給食を食べるのは、「気まずい感」が充満してて、何とも言えない気分だった。そしたら、先生は、教卓の引き出しの中をゴソゴソとやり始めてから、あたしのとこに来て、「ほら、これ食べて水泳がんばれ!」って言って、給食のマーガリンをくれた。

いつもは、1つのマーガリンを2枚のパンに塗って食べるから、あたしは、その日の給食についてたマーガリンを半分だけ、1枚目のパンに塗って食べてるとこだった。だけど、先生がマーガリンをくれたから、使いかけのマーガリンをぜんぶ1枚目に塗って、先生からもらったマーガリンは2枚目に使うことにした。先生は、あたしが母子家庭で、母さんがお仕事で応援に来てないことを知ってたみたいで、「先生が応援してるから、がんばれよ!」って言ってくれた。あたしは、それまで「恐い」って思ってた先生のイメージが、大幅に変化した。そして、それまでは「どうせ母さんも来てないし‥‥」って思って、たいしてがんばる気もなかったんだけど、この先生の言葉で、急にやる気が出て来た。それで、あたしは、先生に、「絶対に1等になるから見ててください!」って言った。

‥‥そんなワケで、ホントは感動的なお話を書きたいとこなんだけど、ここまでの流れからは想像もできないようなことになっちゃうのが、創作じゃなくて実話の恐いとこなんだよね。先生からもらったマーガリンを塗った2枚目のパンをパクッと食べたあたしは、一瞬、何が起こったのか分からなくなった。口の中いっぱいに、鉛筆の芯の味が広がったのだ。それで、自分なりに想像してみたんだけど、先生は、このマーガリンを長いこと教卓の引き出しの中に仕舞ってて、それも、鉛筆が並んでるとこに置いてたんじゃないのか? それも、こんなに暑い夏なのに‥‥ってことだ。

で、大人になった今なら、ハッキリとホントのことを言って、そこで食べるのをやめるんだけど、子供だったあたしは、せっかくの先生からの好意に対して、それをムゲにしちゃうようなことが言い出せなかったのだ。ひと口食べるたびに、口いっぱいに鉛筆の芯の味が広がって、どうしようもないほど気持ち悪いのに、目の前で先生がニコニコして見てるから、あたしは、どうしても言い出せなかった。それで、あたしは、ひと口ごとに牛乳で流し込んで、必死に食べ続けたんだけど、あまりの気持ち悪さに、オデコからは冷や汗がタラタラと流れて来るし、遠くから聞こえて来るアブラゼミのジージー鳴く声が、頭の中をグルグルと回り出した。それでも必死に食べ続けて、結局、最後まで残さずに食べ切ったのだ。

そして、今にもゲロを吐きそうな史上最悪の体調のまま、あたしが出場する5年生の背泳ぎが始まった。背泳ぎは、飛び込みをしないで、プールに入った状態からスタートするんだけど、あたしは、プールに入っただけで、とても泳げるような状態じゃないって分かった。それも、下を向いて泳ぐクロールや平泳ぎならともかく、仰向けになって泳ぐ背泳ぎなんかしたら、一気に気持ち悪さが倍増しちゃうに決まってる。

だけど、ふだんのプールの時間とは違って、この日はクラス対抗戦だったから、特別な雰囲気だった。周りから応援の声も聞こえるし、親もたくさん見に来てるし、他のコースに並んでる子たちは、みんなやる気マンマンだし、とてもじゃないけど「気分が悪いのでやめます」なんて言い出せるような雰囲気じゃなかった。つーか、ここまで来て「やめます」なんて言えるくらいなら、もっと前の、パンをひと口食べた時点で、先生に「このマーガリン変な味がします」って言えてたハズだ。そして、そんなことも言い出せずに、ガマンして食べ続けたほどの子供だったんだから、スタート目前の緊張した雰囲気の中で、自分だけ「やめます」なんて言い出せるワケがない。

‥‥そんなワケで、最悪な状態でスタートを迎えたあたしだったけど、それでも、「先生が応援してるから、がんばれよ!」って言ってくれた先生のために、何とかがんばって1等になりたい気持ちはあった。それに、お家に帰ってから、おばあちゃんに「1等になったよ!」って言いたかったし、お仕事から帰って来た母さんから「今日の水泳大会はどうだったの?」って聞かれた時に、胸を張って「1等になったよ!」って言いたかった。だから、あたしは、プールにザブンて頭を沈めて、水中で気合いを入れてから頭を出して、スタート位置についた。

スタートして泳ぎ出したら、みんなの歓声や独特の雰囲気で、あたしのテンションも高くなって、一瞬、気持ち悪さを忘れることができた。それで、全力で泳ぎ続けたんだけど、背泳ぎって、他のコースの人がどの辺にいるのか、自分が何番目なのかが分からない。それで、とにかく必死に泳ぎ続けて、25メートルのターンの時に順位を確認しようと思ってたんだけど、それがいけなかった。ターンしながら他のコースを見ようと思って変な角度に頭を上げたら、鼻から水が入りそうになっちゃって、それをこらえるために喉と鼻にグッと息を溜めたら、そのトタンにゲップみたいになっちゃって、しばらく忘れてた鉛筆の芯の味が、口の中だけじゃなくて、喉から鼻からぜんぶに広がっちゃって、気絶するほど気持ち悪くなっちゃった。

それで、あたしは、気が遠くなって溺れかけたんだけど、その時、「きみこ、がんばれ!」っていう母さんの声が聞こえたのだ。もちろん、ホントの声じゃなくて、気を失いかけてたあたしが、水中で聞いた幻聴なんだけど、あたしは、この声を聞いて、ハッ!と我に返った。それで、そこから必死に立ち直って、また泳ぎ始めることができた。実は、あとから分かったんだけど、ここまであたしは1番を泳いでて、このミスで3番まで下がっちゃったのだ。そして、あたしは、残りの25メートルを必死に泳いで、1人抜いて、何とか2位でゴールすることができた。

ま、これで1等になったとかって言うんなら、それなりに話としてはカッコイイし、ターンのとこで溺れてビリになったって言うんなら、それはそれでオチがつく。だけど、何とか泳ぎきって「2位」だなんて、ネタとしてはあまりにも中途半端だ。でも、お家に帰ってから、母さんに、先生からもらったマーガリンのことは言わなかったけど、ターンの時にミスをして、それでも2位になれたってことを話したら、母さんはニコッと笑って、こう言った。


「2位になれたなんて、ホントによくがんばったね! 母さん仕事で見に行けなかったけど、きみこが泳ぐのは1時半からだって言ってたから、その時間に『きみこ、がんばれ!きみこ、がんばれ!』って心の中でずっと応援してたんだよ!」


‥‥そんなワケで、あたしが溺れかけた時に水中で聞いた声は、ホントに母さんの声だったワケだ。だから、結果としては中途半端な「2位」だったけど、あたしにとっては、何よりも嬉しい「2位」になった。だって、母さんに応援してもらいながら泳いだ結果の「2位」だなんて、母さんに応援してもらえないで「1位」になるよりも、遥かに嬉しいからだ。そして、それから25年が過ぎ、ずっと病気でつらい思いをして来た母さんも、今日、退院して、これでやっと元気になれるから、これからは、あたしが母さんを応援してく番だと思ってる。今までは、あたしがだらしなくて最善の治療を受けさせてあげられなかったから、治る見込みがない治療をしながら「がんばれ!」なんて言えなかったけど、これからは元気になれるんだから、いっぱい「がんばれ!」って応援しようと思ってる今日この頃なのだ♪


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