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2009.03.12

スズメの涙

まだ、単なる「容疑者」であって、「立件」されたワケでも、裁判で「有罪」になったワケでもなく、現時点では「無罪」の大久保秘書を寄ってたかって「犯罪者扱い」して、その上司である小沢一郎にまで「なぜ辞任しないのか?」っていう強迫まがいの記事を書き続けてるサンケイとかを見てると、こんなにちっぽけな島国の中の、おんなじ国籍のニポン人の中にも、いろんな種類の人間がいることがよく分かる。それは、既得権益にしがみついて甘い汁を吸い続けて来て、どんなに卑劣な手段を使っても、そのシステムを絶対に失いたくないって考えてる人たちと、もう、いい加減に、政治を国民の手に取り戻したいって思ってるオムライス党の人たちとか、あたしを始めとしたオムライス党を支持してる人たちだ。

そして、政府の広報機関であるマスコミが垂れ流す偏向報道にマンマと騙されて、この国を裏で操る守銭奴どもと一緒になって「小沢叩き」をしてるオメデタイ人たち。ようするに、自分の頭で考えることのできない人たちや、自分の頭で考えることを放棄した人たち、幼稚なオレオレ詐欺に簡単に引っかかっちゃうような知能レベルの人たちってことだ。さらには、自分が生きることに精一杯で、政治のことまで気が回らない人たちもいれば、政治のことなんかどうでもよくて、自分が毎日を面白おかしく暮らすことだけにしか関心のない人たちもいる。つまり、自分の国がこんなに大変なのに、一度も選挙に行ったことのない人たちがたくさんいるってことだ。

かつて、モリヨシローは、「選挙に関心のない有権者はずっと寝ててくれればいい」って迷言を吐いたけど、これこそが、既得権益にしがみついてる権力者たちの本音だろうね。これほど分かりやすい政官財の癒着システムが何十年も続いて来て、あたしたちの税金のほとんどが、この権力者たちの私腹を肥やすために使われて来てんのに、それでも未だに自民党なんかが政権の座に居座ってるのは、モリヨシローの言葉通りに、政治のことなんかぜんぜん興味がない人たちのオカゲ、選挙に行かずに家で寝てる人たちがたくさんいるオカゲだと思う今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、あたしたち人間の多くは、所詮は「自分さえ良ければそれでいい」ってのが行動原理の基盤になってる。たとえば、自民党の議員たちがどれほど悪いことをやってても、官僚や天下りどもがどんなに税金で私腹を肥やしてても、自分がそこそこのお給料をもらってて、好きな車に乗ったり、欲しい家電を買ったり、食べたいものを食べたりして、自分の生活にそれなりに満足できてれば、どこの政党が政権の座を居座ってても、官僚や天下りどもが好き勝手なことをしてても、たいして気にならないもんだ。

だけど、たとえば、人間として最低限の生活もできないほどの重税をかけられたらどうだろう? 重税で手取りのお給料が今の半分になり、物価も2倍、3倍になった上に、消費税まで何倍にもなり、今までの生活ができなくなったとしたら、今まで選挙に行かずに家で寝てた人たちの多くが、政治に興味を持つようになり、自分の生活を取り戻すために、選挙に行くようになる。政権の座を居座ってる政党にしてみたら、そんなことになったら大変だ。だって、今のニポン人の政治離れは、世界的にも突出してて、全国規模の総選挙であっても、投票率は5割前後しかない。つまり、有権者の10人に5人は、「自分さえ良ければそれでいい」って思ってる人たちだってワケだ。

コイズミ大旋風が巻き起こった2005年の郵政解散、総選挙の時は、連日のマスコミの煽りもあって、投票率は67%にまで伸びたけど、これだって、有権者の3人に1人は家で寝てたってことになるワケで、もしも、この家で寝てた3分の1の人たちが野党に投票してたら、現在の格差社会を阻止することができたのだ。そして、その後のアベ政権での2007年の参院選の時には、それまで通りに、50%ちょいの投票率に戻っちゃった。ニポン国民のお家芸であり、モリヨシローの思惑通りの「有権者の2人に1人は家で寝てる」ってパターンに戻っちゃったワケだ。

で、この選挙では、自民党が歴史的大敗をしたけど、これだって民主党の人たちは喜んではいられない。単に、アベシンゾーの無能さに国民がダメ出しをしたってだけで、民主党を支持しての投票よりも、自民党がダメだから仕方なく民主党に投票したって人もいっぱいいたハズだ。それに、投票率はわずか50%ちょいしかなかったんだから、家で寝てた人たちがみんな自民党に投票してたら、状況は逆転してたハズだ。

‥‥そんなワケで、自分のお友達を集めた仲良し内閣で、閣僚が次々と問題や失言を繰り返したのに、そのたびにアベシンゾーはお友達をかばい続けた。そして、かばうだけかばってから、世論に押されて仕方なく更迭するっていう後手後手のパターンを繰り返したけど、最後まで自分の任命責任についてはウヤムヤにしたままだった。だけど、その裏では、コイズミから受け継いだ「数の暴力」を悪用して、デタラメな法案を次々と強行採決し続けた。そして、こともあろうに、「ワタクチは、今、この国の権力の頂点にいる!」ってノタマッちゃった。あ~恥ずかしい(笑)

そして、ここまで最低最悪なクルクルパーが総理大臣をやってたのに、それでも投票率が50%ちょいしかなかったってことは、この国の有権者の2人に1人は、こんな大バカが自分の国の舵を握ってても「別にかまわない」「自分には関係ない」って思ってたワケだ。中には、「誰がやっても一緒だ」って思ってたり、「自分の1票くらいじゃ何も変わらない」って思ってる人も多いだろうし、ハナッから政治になんて何も期待してない人も多いだろう。でも、モリヨシローの言葉を聞けば分かるように、これこそがこの国の利権を握って離さない寄生虫政党の作戦なんだよね。1人でも多くの国民に、「選挙に行っても何も変わらない」って思わせて、投票所に行かせないようにすれば、あとは、自民党による利権で大儲けしてる経団連の組織票と、頭の狂ったナンミョ~信者の組織票で、いつまでも既得権益の上にふんぞり返っていられるからだ。

で、こうした政官財の癒着システムで永遠に甘い汁を吸い続けて行きたい自民党としては、何よりも重要視してるのが、国民に対する「アメとムチ」のサジ加減だ。度を超えた重税をかけ過ぎたりして、あまりにも国民の生活を圧迫するような政策を断行しちゃうと、今まで選挙に行かずに家で寝ててくれたバカな有権者どもが、「こりゃあ大変だ!」ってことで野党に投票しちゃう。そんなことにでもなったら、祖父の代から、二世議員、三世議員と、連綿と続いて来た政官財の癒着システムが崩壊しちゃう。もう、国民から巻き上げた税金で私腹を肥やすことができなくなっちゃう。

だから、1人でも多くの有権者に、投票日に家で寝ててもらうために、下々の国民どもにもツメのアカほどの小銭をバラ撒いてやり、ギリギリ最低限の福祉や医療をめぐんでやって、文句の出ないようにしよう。これが、自民党による国民に対する「アメとムチ」のサジ加減だ。だけど、コイズミ政権下では、さらなるアメリカへの上納金を捻出するために、サスガの売国政党である自民党も「これだけはマズイ」って思ってキープして来た「障害者やお年寄りに対する最低限の福祉」にまで手をつけちゃった。それが、コイズミが連呼してた「痛みをともなう改革」であり、分かりやすく和訳すれば、「社会的弱者に痛みを押しつけた売国改革」だったワケだ。

‥‥そんなワケで、ちっちゃな都市でも、たとえば、ニューヨークのように、いろんな人種や民族のルツボみたいな街だったら、それぞれの民族的な背景から、いろんな考え方や方向性の人たちがいることは理解できる。そして、中東の国々のように、宗教的な背景によって、考え方の対立した勢力があることも理解できる。だけど、ニポンの場合は、欧米の国々のように雑多な人種が混在してるワケでもないし、戦争が起こるほどの宗教的な対立もない。このちっぽけな島国の中にある対立ってのは、人種による対立でもなく、宗教による対立でもなく、同胞たちによる利権による対立なのだ。

フランク・ザッパに言っちゃえば、長年、国民から巻き上げた莫大な税金で私腹を肥やして来た人たちと、そうした政官財の癒着のシステムに「NO!」を突きつけてる人たちとの対立だ。そして、既得権益を死守しようとしてる勢力にマンマと騙されて、マスコミの偏向報道を鵜呑みにして「小沢叩き」をしてるオメデタイ人たちと、そんなことには無関心な人たち、ようするに、選挙の投票日に家で寝てる人たちだ。民族的な対立でもなく、宗教的な対立でもなく、単なる利権によって同胞同士が対立してるなんて、なんて未成熟で幼稚な国家なんだろう。そして、それは、「自分さえ良ければそれでいい」「他人を蹴落としても自分だけがいい思いをすることが正しい」ってふうに教育されて来た国民によって作り上げられた国家ってワケだ。

あたしも、そんな国民の1人だから、選挙には行くけど、基本的には自分が大事だ。あたしの大好きな俳人、摂津幸彦の代表句の1つに、「国家よりワタクシ大事さくらんぼ」って句があるけど、ホントにその通りだと思う。お国のために死んでもいいなんて思ってるのは、ひと握りの頭のおかしい人たちだけで、99%の人は、何よりも自分のことが一番大事だと思ってるハズだ。だから、あたしも、北海道とか九州とかでオリンピックが開催されても、別に何とも思わないけど、この東京でやられたら、たまんないと思ってる。

たった数時間の「東京マラソン」でも、あちこちの道路が封鎖や検問で大渋滞が起こり、東京の交通はマヒ状態になっちゃうのに、あんな状態が2週間も続いたら、とてもじゃないけどお仕事ができなくなっちゃう。だから、あたしは、東京都民の権利として、意地でも東京オリンピックだけは阻止しようと思ってる。どっかの都知事みたく、都民から巻き上げた税金を好き勝手に使える御身分の人はいいけど、あたしは働かなきゃ生きて行けない。あたしにとっては、2週間もお仕事ができなくなったら死活問題だ。だから、あたしの生活のジャマをしようとするものには断固として抵抗するし、これは、「国家よりワタクシ大事」だからに決まってる。

‥‥そんなワケで、2~3年前に、エチゼンクラゲが大量発生した時に、漁師さんたちは大変な苦労をした。漁師さんたちも大変だったけど、お魚も獲れなくなったから、あたしたちの食卓にも少なからず影響が出た。だから、新聞やテレビでも頻繁に取り上げてたし、国民の多くがエチゼンクラゲの問題を知ることになった。一方、絶滅危惧種のトキのことも、ずっと報じられ続けてるから、多くの人たちが知ってるだろう。トキは、学名が「ニッポニア・ニッポン」って言うように、ニポンを代表する鳥の1種だからだ。こんなふうに、自然界の生き物が、大量発生したり、絶滅の危機に瀕したりすると、新聞やテレビは取り上げるし、国民の多くが知ることになる。

だけど、これも、すべては「人間の目線」によるものだ。ようするに、人間にとって「自分さえ良ければそれでいい」って感覚に基づいて選択された情報でしかない。都会にカラスが増えたら、ゴミを散らかしたりたり、人を襲ったりする。ハトが増えれば、フン害が起こる。だから、大きくは報じられなくても、ワイドショーなんかの穴埋めニュースとして、面白おかしく脚色して取り上げたりする。朝青龍の一挙手一投足をチクイチ報じる低能ニュースとおんなじレベルだ。

だけど、こうした生き物の大量発生や絶滅の危機に関する情報って、人間にとって表立った害がなければ、テレビではまったく報じないし、新聞でもちっちゃく取り上げる程度で、ほとんどの国民は知らずに過ぎて行く。たとえば、スズメの異常な減少の問題だ。ニポン全国で、それも、野山から都市部まで、どんな場所でも当たり前のようにいたスズメたちが、ものすごいスピードで激減してて、今日までのわずか20年で、80%も減少しちゃてるのだ。今から50年前の1960年には、全国には約2億羽のスズメがいた。それが、ジョジョに奇妙に減り始めて、1990年あたりからは猛スピードで減り続けて、たった20年で約1800万羽にまで激減しちゃったのだ。

だけど、スズメなんて、増えても減っても人間の生活にあんまり関係ないから、テレビじゃ絶対に取り上げないし、国民のほとんどはこうした事実を知らないまま暮らしてる。俳人を始めとした観察力のある人なら、ナニゲに、「どうも最近、スズメを見かけなくなったな」って気づいてると思うけど、一般の人たちはまったく気づいてない。スズメなんて、害鳥でもなければ益鳥でもないから、多くの人間にとって、「どうでもいい存在」なのだ。もちろん、細かいことを言えば、お米を作ってる農家にとっては、スズメの数の増減はいろんな影響があるだろうし、ピンポイントの被害だと、京都の伏見稲荷の名物、「すずめの串焼き」のお店の問題がある。伏見稲荷に行ったことのある人なら、たくさんの「すずめの串焼き」のお店を見たと思うけど、スズメの数が激減したことによって、ここ数年で、次々と廃業してるそうだ。そして、わずかに残ってるお店も、国産のスズメが手に入らなくなったから、中国から輸入したスズメを使ってるそうだ。

だけど、この「すずめの串焼き」ってのは、あくまでも一部の地域の名物であって、全国の国民の食卓とは関係ない。伏見稲荷から「すずめの串焼き」のお店が消えたとしても、全国の人たちには関係ない。だから、大きなニュースにはならない。ようするに、多くの国民にとっては、スズメは「どうでもいい鳥」であって、トキやニワトリとは人間にとっての必要性のレベルが段違いだってことだ。そう、ここでのポイントは、「人間にとって」ってことであって、さっき書いた「害鳥でもなければ益鳥でもない」ってのも、やっぱり「人間にとって」って視点からの区別でしかない。たとえば、2006年に北海道の各地で、原因不明のスズメの大量死が報告されたけど、これを報じたのは北海道だけで、東京じゃ完全にスルーだった。

‥‥そんなワケで、あたしたち人間は、すべての自然や生き物に対して、「人間にとって」の視点からしか見てない上に、その判断も「目先の利益」に直結した見方による場合が多い。たとえば、ある動物が、田畑を荒らすことから、人間にとって害があるって判断されて、駆除されたとする。そうすると、必ず、その動物を天敵としてた動物が大量発生して、二次的な被害をもたらすことになる。前にも書いたけど、ブラックバスやブルーギルが害魚として駆除したら、ブラックバスやブルーギルの稚魚が食べてた動物性プランクトンが大量発生しちゃって、死の池になっちゃったなんてケースも数多くあるのだ。

自然界の生き物は、すべてが食物連鎖のピラミッドになってるし、すべてが持ちつ持たれつの関係を形成してるんだから、必要のない生き物なんて1つもない。エチゼンクラゲのように、人間にとって害のある生き物もいれば、スズメのように、人間にとって「どうでもいい鳥」もいるけど、こうした「人間にとって」っていう大前提を取り払えば、エチゼンクラゲにはエチゼンクラゲの、スズメにはスズメの存在理由があり、生態系の中で重要な役割を果たしてるのだ。それなのに、こうした生き物たちを人間の都合だけで、人間の目先の利益だけで善悪に区分けして、一方では大量に殺しまくり、一方では大切に保護しようとしてる。こんな自分勝手な話はないし、生態系の中に不必要な生き物が1つもないことを踏まえれば、人間が絶滅させた生き物によるシッペ返しは、必ず人間自身に返って来るだろう。

「たかが何々、されど何々」って言い回しは使い古されてるけど、あえて使わせてもらうと、「たかがスズメ、されどスズメ」ってことだ。トキだけを腫れものにさわるかのように大切にして、国は予算まで割いてるけど、これにしたって、結局は中国との外交問題っていう、人間にとっての「目先の利益」に絡んだ鳥だからであって、人間の作った価値観のハカリに乗せれば、トキ1羽の重さは、スズメ1万羽よりも重いんだろう。命の重さは、おんなじハズなのに‥‥。百歩ゆずって、人間の命と豚の命、人間の命の鳥の命、こうした比べ方をして、それで「人間の命のほうが重い」って言うのなら、それは理解できる。だけど、仮にもおんなじ鳥なのに、「トキは大切だけどスズメはどうでもいい」ってのは、「白人の命は重いけど有色人種の命は軽い」って言うのとおんなじ感覚だと思う。

だけど、スズメの激減は、何もニポンだけのことじゃない。ニポンよりも早くスズメの減少に気づいたヨーロッパでも、すでに何十年も前から社会問題の1つとして研究が続いてて、政府がスズメの調査や研究のために予算を割いてる国も多い。ちなみに、スズメの減少が続いてるヨーロッパ各国の中で、もっとも顕著なイギリスでは、野鳥研究家のマックス・ニコルソン氏による恐ろしい報告がある。ロンドンにあるケンジントン庭園に来るスズメの数を調査して来たニコルソン氏によると、1925年には2603羽のスズメが確認されたのに、1950年には544羽になり、2000年にはわずか8羽しか確認されなかったというものだ。これは、もう、「絶滅」といっても過言はないだろう。

この減少のパターンは、ここ2~30年で急速に激減してるニポンの場合もよく似てて、すでにニポンのスズメも「絶滅」に近づいてるって考えてもおかしくない。ちなみに、ニポンの動植物のレッドデータブックには、「絶滅危惧種」から「要注意種」まで122種の鳥類が掲載されてるんだけど、このうちの41種が、「アカモズ」や「コマドリ」や「コガラ」や「ニュウナイスズメ」などの「スズメ科」の野鳥なのだ。まあ、スズメ科の野鳥は、もともと種類が多いんだけど、それでも、全国で絶滅の危機に瀕してる野鳥の3分の1がスズメ科の野鳥だって事実は、普通に考えれば、これらの危惧種たちと同様の条件下で暮らしてるスズメだって、似たような状況だってことになる。

あたしは、トキやニワトリのニュースには目を向けても、スズメの窮状には興味も示さない、知ろうともしない人たちの感覚って、「自分さえ良ければそれでいい」って思いから、選挙の日に家で寝てる人たちの感覚とおんなじだと思う。ニワトリが鳥インフルエンザにかかったら、自分の食卓にも影響があるから興味を示すけど、スズメなんて増えたって減ったって自分には関係ないって思ってる人が、きっと、選挙の日に家で寝てる人たちとおんなじくらいいるんだと思う。だけど、人間が、自分には関係ないからってスズメの問題に目を向けなければ、このままスズメは絶滅するだろう。そして、地球上からスズメが1羽もいなくなって、それまでスズメが食べてた害虫が大量発生して、世界中の田畑が害虫だらけになって、それを殺すために人体に害があるほどの農薬が使われて、土地そのものが死んでしまって‥‥って、いつかは必ず人間にシッペ返しが来ると思う。

‥‥そんなワケで、あたしは、自然界全体、生物界全体に対する「人間にとって」の見方の縮図が、こんなにちっぽけなニポンていう島国の中の人間1人1人にもあるんだと思う。逆に言えば、「自分さえ良ければそれでいい」って人たちの集合体が国であり、「自分の国さえ良ければそれでいい」って国たちの集合体が世界なんだと思う。つまりは、地球上のすべてのことが「人間にとって」って基準で考えられてるワケで、このままだと地球が滅びちゃうことは一目瞭然だ。そして、こうした流れに歯止めをかけるには、地球上の人間たちの最小単位である「自分」が変わるしかない。それが、今まで選挙の日に家で寝てた人が、重い腰を上げて投票に行くことなのだ。「自分の1票くらいじゃ何も変わらない」って思ってるから寝てるワケだろうし、事実、選挙における1票は、それこそ「スズメの涙」みたいなもんだ。だけど、有名な「ハチドリの一滴」のお話とおんなじで、どんなに小さな一滴だって、たくさん集まれば山火事を消すことだってできる。今の地球は、今のニポンは、まさに山火事のような状況なんだから、「まだ自分の家は安全だから」なんて思ってたら、アッと言う間に火の手が迫って来るだろう。だから、その前に、1人1人が、どんなに小さな一滴でも、自分にできることをやって欲しいと思う今日この頃なのだ。


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