足の痛みは人の痛み
今日から3月だってのに、東京はとっても寒い。もちろん、こんなレベルで「寒い」なんて言ってたら、北海道や東北の人たちからツッコミを入れられちゃいそうだけど、オトトイは、東京でも雪が降った。あたしの住んでる世田谷区では、明け方までにウッスラと雪が積もって、そのあと冷たい雨に変わったので、お昼ころまでには道路の雪もなくなった。だけど、気温はそのままで、夜までずっと寒かった。
こんな時、何よりも心配になるのが、猫たちのことだ。まあ、猫は頭がいいから、それぞれがちゃんと雨に濡れない場所や暖かい場所をキープしてると思うけど、こんな日に自分だけがお風呂で温まってると、どうしても猫たちに申し訳ない気持ちになっちゃう。それに、あたしにできることはご飯の世話だけだから、雨が降ろうと雪が降ろうと、1日も休まずにご飯を食べさせることしかない。だから、雪が降った日は、あたしにできることとして、ちょっと高級な缶詰を食べさせた。
でも、ホントに不思議なんだけど、猫って、雨の日でも雨に濡れてない。ご飯の時間にあちこちから集まって来る猫たちを見ると、傘もさしてないのに、どの子もみんな濡れてない。厳密に言えば、駐車場の植え込みから顔を出して、あたしのとこまで小走りに来る間に、多少の雨が体につく。だけど、それはホンのちょっとで、明らかに「植え込みからあたしのとこまで」のぶんだけなのだ。つまり、猫たちは、みんな、絶対に雨に濡れないようなルートだけを通って、駐車場まで来たことになる。
いくら雨の日だからって、ご飯の時間になるまで、何時間もずっと植え込みの中に隠れてたなんて考えられない。やっぱり、それぞれの猫はそれぞれの半日を過ごしてたハズで、自分のテリトリーの中をいろいろと移動してたハズだ。そして、あたしのマンションと隣りのマンションも、隣りのマンションとその隣りのお家も、すべて何メートルずつか離れて建ってるワケだから、軒下とかを通って、できるだけ雨に濡れないように歩いて来たとしても、マンションからマンション、お家からお家への移動の時には、多少は濡れちゃうハズだと思う今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?
‥‥そんなワケで、あたしがいつも不思議に思ってた「雨の日でも何で猫は濡れてないのか?」って問題だけど、1つだけハッキリしてることは、「猫は水に濡れるのが嫌いなので、できるだけ濡れないように気をつけてる」ってことだ。これは、別に、猫語を使って猫たちに聞いてみたワケじゃないけど、猫たちの行動を見てれば簡単に分かることだ。たとえば、雨上がりで、あちこちに水溜まりがある道を歩いてる猫は、上手に水溜まりを避けて行くし、右にも左にも避けられない幅の広い水溜まりの場合には、ちゃんと距離を確かめてから、ピョンと飛び越す。
オトトイの雪の日も、ご飯を食べ終わったもんじゃが、駐車場の奥のタイヤが4本積んである上に飛び乗ったんだけど、タイヤの上に敷いてあってダンボールが雨でビショビショになってたから、すぐに飛び降りた。たぶん、視覚だけじゃなくて、肉球の感じでも、その場所が濡れてるかどうかが分かるんだと思う。猫が濡れた場所を歩いてる時って、ナニゲに「抜き足、差し足、忍び足」って感じになってて、あたしの見た感じだと、「肉球が濡れるのは仕方ないけど、それでも濡れるのを最小限に抑えたい」って雰囲気が伝わって来る。
猫の肉球ってのは、人間で言えば「足の裏」に当たるワケけど、猫は靴を履かずに外を歩いてるんだから、「足の裏」ってよりも「靴の裏」ってことになる。そして、靴を履いて外を歩くあたしたち人間でも、長靴とかの雨の日用の靴じゃない限りは、水溜りがあれば避けて歩く。つまり、猫の肉球を人間に靴に喩えると、長靴とかじゃなくて、防水されてないスニーカーとかってことになる。だから、いくら肉球が「靴」だとしても、やっぱり濡らしたり汚したりしたくないワケだ、たぶん。
あたしたち人間の場合は、お洋服とか帽子とか靴とか、身につけてるすべてのものの中で、もっとも汚しても気にならないのが、靴のソールだろう。靴の周りが汚れるのはイヤだけど、地面に触れるソールなら、最初から汚れることを想定してる部分だから、サスガに犬のウンコを踏んだりするのはたまんないけど、公衆トイレとかに入っても別に気にならない。もしも裸足だったら、公衆トイレに入るのは勇気がいるけど、靴を履いてるからこそ、普通に入って行けるワケだ。
‥‥そんなワケで、人間にとっては、一番汚れても気にならない部分である「靴のソール」だけど、その部分が濡れたり汚れたりすることすら気にしてるのが猫って生き物なんだから、そんな猫にとって、頭や体が濡れることは、きっと激しくイヤなんだと思う。だから、猫たちは、何らかの秘密のワザを駆使して、雨の日も、極力、濡れないように暮らしてるんだと思う。
ま、これは、猫に限らず、ほとんどの動物がおんなじだと思うけど、体毛が、ある程度の撥水加工っぽい性質を持ってる。だから、少しくらいの雨なら体毛に染み込まないし、体に雨つぶがついても、体をブルンと振れば飛んでくだろう。だけど、それなりの降り方の雨が長いこと続いてて、そこにずっと座ってれば、いくら猫でもびしょ濡れになっちゃう。で、びしょ濡れの猫って言えば、あたしの飼ってたハナコを思い出す。東京に大雪が降った日に、バス通り沿いの雪の中で、ドロドロに濡れてニャーニャー鳴いてた子猫が、ハナコだった。
それで、あたし、とにかくこのままじゃ死んじゃうから、お家に連れて帰った。だけど、あたしのマンションはペット禁止だから、最初は必死に貰い手を探した。でも、見つからなくて、完全にあたしのことを親だと思っちゃって、そのまま隠れて飼うようになった。ま、この話は、前にも書いたから省略するけど、ようするに、「子猫は雨に濡れる」ってことだ。だから、この辺のことから推測すると、どんな猫でも、まだちっちゃいころは、「雨に濡れると寒くなる」とか「雨に濡れると風邪をひく」とかってことが分かってなくて、「雨に濡れないようにしよう」っていう知恵もないんだと思う。そして、大きくなって行く過程で、「雨に濡れると命取りになる」ってことを学習してくんだと思う。
だから、ずっと野良猫だった子を飼うことにした場合、最初にお風呂でシャンプーしようとすると、ものすごく嫌がる。生まれてから一度も体を洗ったことがないから、濡れることが恐いのだ。だけど、子猫のころから飼ってた子なら、モノゴコロがつく前からシャンプーしてるから、それなりに慣れちゃって、そんなに恐がらない。それどころか、飼い猫の中には、お風呂が好きな子もいる。
これは、猫を車に乗せるのもおんなじで、子猫のころから飼ってて、子猫のころからケージに入れて車に乗せて動物病院に連れてってると、その子は車に乗ることを恐がらなくなる。だけど、ずっと野良だった子を捕まえて、ワクチンとか避妊手術のために病院へ連れてこうとすると、まるで発狂したかのように暴れまくる。もちろん、狭いケージに入れられたことも恐怖なんだろうけど、いったん静かになっても、車のエンジンをかけるとまた恐がり始めるし、車が動き出すとさらに恐がる。そして、恐怖のあまり、オシッコを漏らしちゃったりもする。だから、こんなことするのはすごくかわいそうなんだけど、猫エイズや猫白血病で死ぬ子を1匹でも減らすためには、保健所で殺処分される子を1匹でも減らすためには、こうするしか他に方法がない。
‥‥そんなワケで、あたしの推測によれば、生まれた時から外で暮らしてる野良猫たちは、早い時期から「雨」ってものを認識してて、それに対する対策を身につけてるんだと思う。一方、生まれた時からマンションとかで飼われてて、一度も外へ出させてもらったことのない猫は、「雨」ってものを認識してないし、「雨にあたると体が濡れる」ってことなんか分かるワケがない。だから、大人になるまで室内で飼われてたのに、飼い主の勝手で引っ越しの時に捨てられちゃったりした子は、雨に濡れて風邪をひいて死ぬこともある。都会の場合は、そうした子は、ほとんどが車に轢かれて死んじゃうけど、雨に濡れて病気になって死ぬケースも多い。
ようするに、「車に轢かれたら死ぬ」とか、「雨に濡れたら命取りになる」とかっていう、野良猫として生きて行く上での最低限の学習をしてないから、簡単に死んじゃうワケだ。そして、こうしたかわいそうな子たちを増やしてるのが、命を命とも思わない無責任な飼い主たちだってワケだ。そして、こうした子たちをかわいそうだと思う人間のほうにしても、みんながみんな、ちゃんとモノゴトを考えてる人ばかりじゃない。周りの住民の迷惑を考えずに、人として最低限のマナーすら守らずに餌やりをしたり、それを注意されると逆ギレして怒鳴り散らしたりって、とてもマトモとは思えないような人がいることも事実だ。
だから、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」ってタイプの単細胞な人たちは、ちゃんとマナーを守って誰にも迷惑をかけずに野良猫の世話をしてる人にまで、頭ごなしに文句を言ったりしてる。自分がタバコが嫌いだからって、街にタバコをポイ捨てしてる人も、キチンとマナーを守って吸ってる人も、みんなイッショクタにして文句を言うような人がいるけど、これとおんなじことだ。世の中には、野良猫に餌やりをしてなくて、タバコも吸わなくても、悪質極まりない犯罪者は数えきれないほどいる。だから、野良猫に餌やりをするかしないか、タバコを吸うか吸わないかで人を区別するんじゃなくて、ちゃんと公共のマナーを守ってる人間か、それとも、人として最低限のマナーすら守れない人間か、あたしは、ここで区別すべきだと思ってる。
‥‥そんなワケで、あたしは、今までに何度も書いて来たけど、最近、相手のことを思いやる心を持った人が激減して来たように思う。ま、この国のトップの総理大臣でさえも、自分のことしか考えてないんだから、国民1人1人にまで総理大臣以上の人格を要求するのはムリっちゃムリなのかもしれないけど、それにしても、特にネット上の匿名による嫌がらせとかを見てると、あまりにも殺伐としてて、腹が立つ前に、やってる人たちのことが気の毒になって来る。こんなことでしかストレスを発散できないなんて、ホントにかわいそうな人たちだと思う。そして、こうした嫌がらせを普通にできちゃうのは、マトモな人間なら持ってて当たり前の、相手に対する「思いやりの心」が、人格の中からスポッと抜け落ちてるんじゃないかって思えて来る。
家庭で親から平均的な教育を受けて、学校で先生から平均的な義務教育を受けて育てば、普通なら「相手の立場に立って考える」ってことくらいできる平均的な大人になるハズだし、「自分がされたらイヤなことは、人に対してもしない」ってことくらい身につくハズだ。だけど、今のネット上の嫌がらせを見てると、そのほとんどが、自分がやられたらイヤなことをあえて他人に対してやってるように見える。さらに言えば、いかに相手にイヤな思いをさせてやるかってことの基準として、「自分がやられたら一番イヤなこと」を想像して、それでやってるようにも見える。つまり、小学生のころに、親や先生から教えられた「人として最低限のマナー」が、まったく身についてないってことになる。で、昨日、こんな記事が目についた。
「ほめられる子は思いやりも育つ…科学の目が初めて証明」(読売新聞)
乳幼児期に親からよくほめられる子供は、他人を思いやる気持ちなどの社会適応力が高くなることが、科学技術振興機構の長期追跡調査で明らかになった。育児で「ほめる」ことの重要性が、科学的に証明されたのは初めて。3月7日に東京都内で開かれるシンポジウムで発表する。筑波大の 安梅勅江 ( あんめときえ ) 教授(発達保健学)らの研究チームは、2005~08年、大阪府と三重県の計約400人の赤ちゃんに対し、生後4か月、9か月、1歳半、2歳半の時点で成長の度合いを調査した。調査は親へのアンケートや親子の行動観察などを通して実施。自ら親に働きかける「主体性」や相手の様子に応じて行動する「共感性」など、5分野25項目で評価した。その結果、生後4~9か月時点で父母が「育児でほめることは大切」と考えている場合、その子供の社会適応力は1歳半時点で明らかに高くなった。また、1歳半~2歳半の子供に積み木遊びを5分間させたとき、うまく出来た子供をほめる行動をとった親は半数程度いたが、その子供の適応力も高いことも分かった。調査では、〈1〉規則的な睡眠習慣が取れている〈2〉母親の育児ストレスが少ない〈3〉親子で一緒に本を読んだり買い物をしたりする--ことも、子供の適応力の発達に結びつくことが示された。(2009年2月28日)
http://news.goo.ne.jp/article/yomiuri/life/20090228-567-OYT1T00545.html
‥‥ってことは、今、激増中の「思いやりの心」が抜け落ちた人たちって、もしかすると、乳幼児期に親からホメてもらえなかった人たちなんだろうか? そして、社会適応力が未発達なまま大人になっちゃったから、立派な大学まで出してもらって、ちゃんとした会社に勤めてるのに、夜になるとネットに嫌がらせを書き込んでニヤニヤしてるんだろうか? そう仮定すると、こうした「思いやりの心」が抜け落ちた人たちってのは、ホントは、ママに抱きしてめ欲しいのかもしれない。ママに頭を撫でてもらって、「いい子だね」って言って欲しいのかもしれない。そして、それが叶わないから、日夜、見ず知らずの他人に嫌がらせを繰り返して、自分の心の穴ぼこを埋めようとしてるのかもしれない。ようするに、自分の未発達な部分を埋めようとする代償行為ってワケだ。
‥‥そんなワケで、野良猫は、親からも教えてもらうけど、ほとんどのことを自分自身で学習して大人になって行く。雨の日に、雨に濡れずにあたしのとこまでやって来るのだって、誰から教えらたことでもない。マイケルはマイケル、マックスはマックス、ジジはジジ、もんじゃはもんじゃ、みんなそれぞれが自分で学習して、自分で身につけた「生きるための知恵」だろう。だけど、人間はと言えば、高校や大学まで何年間も勉強して、衣食住の心配もなく育ててもらっても、乳幼児期に親からホメてもらえなかったってだけで、人として最低限の「思いやりの心」すら持てずに大人になっちゃう人がいる。そして、いい年こいて、他人に嫌がらせをするなんていう非生産的で幼稚な行為を「生きる糧」にしてるなんて、人間て、なんて脆弱な生き物なんだろう。やっぱり、靴なんか履いて歩いてるから、足の痛みが、人の痛みが分からないのかな。それなら、一度、猫みたいに、裸足で外を歩いてみればいいのに‥‥なんて思う今日この頃なのだ。
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