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2009.03.20

知識という道具

人間の頭の良さには、いろんなタイプがある。たとえば、3ケタや4ケタの掛け算や割り算を暗算しちゃうような人もいるし、ヤタラと記憶力が良くて、普通じゃとても一度に覚えられないようなたくさんの情報をアッと言う間に暗記しちゃう人もいる。だけど、一般的に「頭がいい」っていうと、まず挙げられるのが、「知識が豊富な人」「いろんなことを知ってる人」ってことになる。でも、「知識が豊富な人」って、ホントに頭がいいんだろうか? だって、人間、長く生きてれば、それなりに知識は蓄積されてくワケで、知識が豊富かどうかは、あんまり頭の良さのバロメーターにはならないと思うからだ。

もちろん、大学まで出た上に70年近くも生きて来て、それでも「順風満帆」のことを「じゅんぽうまんぽ」なんて読んじゃうフロッピー麻生みたいなのは特例中の特例だ。人間として最低限の知能があれば、たとえ高校や大学へ進学しなかったとしても、70年も生きてるうちに、自国の言葉くらいは自然と読めるようになるもんだ。だから、フロッピー麻生や中川昭一が小学生からもバカにされてるのは、中学生以上なら読めて当たり前の簡単な漢字すら読めないからで、逆に言えば、大人でもなかなか読めないような難しい漢字を次々に読めたりすると、子供たちからだけじゃなくて、大人からも感心されちゃう。

だけど、難しい漢字をたくさん読めるだけとか、いろんなことを知ってるだけなら、円周率をズーッと言える人とか、世界の国の国旗を見て国名が言える子供とか、こうしたジャンルの人とおんなじことで、別に「頭がいい」ってこととはリトル違うと思う。もちろん、たくさんのことを暗記するんだから、平均以上の知能は必要だろうけど、たくさんのことを知ってるからって、それが「頭の良さ」には直結しないと思う。

最近の流行の雑学本とかをパラパラ読んで、人に話すと「へぇ~!」って感心されるようなネタをいくつも仕込んでる人なんて、別に頭がいいワケじゃない。本来なら、その本を書いた人が感心されるべきで、その本からネタを仕込んだだけの人なんて、別に偉くも何ともない。偉いどころか、これこそ「他人のフンドシで相撲をとる」ってことで、テレビや雑誌で知った雑学をまるで自分の知識であるかのように吹聴してまわることほど、ハタから見てて恥ずかしいことはないと思う今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、あたしは、人間の「頭の良さ」と「知識」は、必ずしも一致してないと思ってる。それは、「知識」には、「本物の知識」と「借り物の知識」とがあるからだ。そのモノゴトの表面だけじゃなくて、もっとずっと深い部分からちゃんと理解してて、それをどう活用するのか熟知してるものが「本物の知識」で、どうしてそうなるのかは分からないし説明できないけど、とりあえず、AとBを足せばCになるってことだけは知ってるものが「借り物の知識」だ。

あたしは、人間の知識ってものは、「形のない道具」だと思ってる。たとえば、マッチもライターもない場所で火を起こす方法を知ってれば、その知識は、「火を起こす道具」ってことになる。乗ってた船が難破して、そのうちの何人かが無人島に流れ着いたとしたら、サバイバルに関する知識が何もない人と、火を起こす方法を始めとして数々のサバイバルに関する知識を持ってる人とは、雲泥の差がある。物理的には、みんな着のみ着のままのおんなじ状態だけど、サバイバルの知識を持ってる人は、目に見えないたくさんの道具を持ってるってことになる。

だけど、火を起こす方法を知ってたとしても、アウトドアの雑誌をパラパラと読んで知ってるだけで、実際には一度もその方法を試したことがなかったとする。そしたら、その知識は「借り物の知識」であって、現実に役立つ可能性は低い。アウトドア雑誌のイラストに描いてあった通りに、木の枝を板に当てて、両手で木の枝をコリコリと回しても、いつまで経っても火なんか起こらない。雑誌には、確か、こうしてれば摩擦で種火が起こるから、そこに燃えやすい枯葉をくべて‥‥って書いてあったのに、両手が痛くなるほど続けてるのに、火どころか煙も出やしない。そりゃそうだ。だって「借り物の知識」なんだから。

つまり、人間の知識を「形のない道具」だとするあたしの考えだと、こうした、現実には役に立たない「借り物の知識」の場合は、その道具を持ってないこととおんなじなのだ。マッチもライターもない場所でも、実際に火を起こすことのできる人は、マッチやライターに代わる「火を起こす道具」を持ってるワケで、それが知識っていう道具なのだ。だけど、頭では分かってて、自分自身も火を起こせるつもりでいたのに、実際には火を起こすことができない人ってのは、マッチもライターも持ってない上に、「形のない道具」も持ってなかったってことになる。

‥‥そんなワケで、人と話しをしてる時に、ヤタラと難しい言葉を使いたがる人がいる。たとえば、ちょっと前なら、何かと言えば「メディアリテラシー」とか「ナントカリテラシー」とかって言葉を使ってる人がいたけど、あたしには、ものすごく頭が悪そうに見えた。何ていうか、新しいオモチャを買ってもらった子供が、それを周りの人たちに見せびらかして自己満足してるみたいな、幼児性が丸出しの行為だからだ。

覚えたての難しい言葉を使いたがるのも、覚えたての新しい知識をひけらかしたがるのも、精神面での根っこはおんなじだ。自分の知識に自信がない人ほど多く見られる傾向があるけど、難しい言葉を使ったり、新しい知識をひけらかすことで、ホントの自分よりも、数段、頭のいい人間に見せようとしてる虚勢に他ならない。体の小さな弱い鳥が、敵と出会うと、精一杯に羽を広げて、自分を大きく見せようとする行動に似てる。

だから、こうしたタイプの人ってのは、自分をリコウに見せたり、人から感心されたりするために、知識を使う。人から聞いた話を自分が経験したかのように話したり、テレビや雑学本で仕入れた知識を自分が以前から知ってたかのように話す。そして、必死になって自分がバカだってことを見抜かれないように虚勢を張り続けてる。だから、テレビを観たり本を読んだりするのも、虚勢を張るための知識を仕入れるっていう目的のためであって、こうして得た知識は、すべて実際には何の役にも立たない「借り物の知識」でしかない。

フロッピー麻生は、去年、「(年収が)1億円あっても、さもしく1万2000円が欲しいという人もいるかもしれない。これは人間の矜持(きょうじ)の問題だ」ってノタマッて、この「さもしい」って部分が大問題になった。だけど、この時、フロッピー麻生は、中学生にも読めるような簡単な漢字を次から次へと読み間違えてばかりで、連日、新聞やテレビで取り上げられてる最中だった。そうした背景を踏まえれば、この時のフロッピー麻生の発言の目的は、「さもしい」なんて部分じゃなくて、そのあとの「矜持」だったってことが簡単に分かる。常に人の目を気にしてる小心者のフロッピー麻生は、精一杯の虚勢を張って、「俺だって、こんなに難しい言葉を知ってるぜ!」ってことをアピールしたかっただけなのだ。あまりにも幼稚だから、違う部分でツッコミを入れられちゃったけどね(笑)

‥‥そんなワケで、文化財の中には「無形文化財」ってのがあるし、国宝の中には「人間国宝」ってのがある。これらには、形はない。人間国宝は、人間なんだから姿や形はあるけど、その人の姿や形が国宝なんじゃなくて、その人の「技」や「技術」という目に見えないものが国宝なのだ。だから、これらは、人間の知識を「形のない道具」とするあたしの考えの究極の位置にあるものってことになる。ある伝統舞踏が無形文化財に指定されたり、ある職人が人間国宝に指定されるってことは、それらの「技」や「技術」が最高レベルだって認められたからだけど、これは、内なる「形のない道具」を誰よりも素晴らしく使いこなしてることが認められたってことなのだ。

人間には、人から良く思われたい、人から尊敬されたい、人から羨ましがられたいって欲望があるから、自分に自信のない人の場合は、わざと難しい言葉を使ったり、誰かのウケウリの知識をひけらかしたがる。これは、自分の外見に自信のない人が、高価なブランド品で身を飾ることと一緒で、自分を実際よりも良く見せたいワケだ。だから、こうした人にとっての知識ってのは、自分の内面を磨くために得るものじゃなくて、自分の外見を飾るために必要なものなのだ。だからこそ、何の役にも立たない「借り物の知識」でも十分なワケで、火を起こす方法さえ知ってれば、実際に火を起こすことはできなくても、さも火を起こすことができるかのように振る舞い、周りに偉そうにペラペラとノーガキを垂れ、自分を1ランク上の人間に見せ続けてるってスンポーなのだ。

だけど、あたしにとっては、こんな「借り物の知識」なんてまったく必要ないし、こんなもんで外見をとりつくろってるような人を見ると、あまりにも情けなくて気の毒になってきちゃう。あたしは、書籍版の「きっこの日記 R」の中の、自分の恋愛遍歴を書いた書き下ろしの中で、あたしの好みのタイプとして、こんなことを書いてる。


「あたしは、何から何まで用意された都会で、年収2000万円を稼ぐ男よりも、文明的なものが何もないジャングルの中で、そこらの木とかツルとかで罠を作って、魚を獲ったり火を起こしたりしてくれる男性のほうをリスペクトしてるから、学歴や年収なんかは何の意味もない。」


そう、あたしの場合は、「使える道具」を持ってる男にしか興味がないワケで、何の役にも立たない「借り物の知識」しか持ってないような男には、まったく興味がない。あたしの座右の銘は、今までにも何度か書いて来たけど、「盤根錯節(ばんこんさくせつ)に遭いて利器を知る」って言葉だ。これは、「深い根っこや複雑に入り組んだ枝に出会った時こそ、ホントに伐れるオノかどうかが分かる」って意味で、つまりは、「ものすごい困難に対面した時にこそ、その人間のホントの力が分かる」って意味だ。

だから、人のウケウリだの、雑学本から得たネタだのをまるで自分の知識であるかのように振る舞ってる人たちには、最初からまったく興味がない。あたしが興味あるのは、ここ一番で役に立つ「本物の知識」を持ってる人だ。そうした人が持ってる、ふだんは目に見えない知識っていう道具が、ここ一番でピカッと光った瞬間を見ると、あたしはソッコーでリスペクトしちゃうし、タイプの男だったり美女だったりしたら、もうフニャフニャになっちゃう。あたしのお仕事の現場でも、ものすごくステキな人が何人もいるけど、撮影が行き詰った時に、誰かが目に見えない道具をピカッと光らせて問題を解決しちゃと、「本物の知識」を持った素晴らしい人たちと一緒にお仕事ができる幸せを感じちゃう。

‥‥そんなワケで、あたしは、人間の「頭の良さ」と「知識」は、必ずしも一致してないと思ってる。そして、あたしは、ホントの「頭の良さ」ってのは、「頭の回転の良さ」だと思ってる。たとえば、「ベッドと木馬とお寿司に共通するものは何?」って質問されて、一瞬でパッと「回転!」て答えられる人は、頭の回転がいいワケで、たとえ掛け算や割り算が苦手だとしても、ある部分で突出した「頭の良さ」を持ってるんだと思う。そして、「頭の回転がいい」って聞いて、すぐに頭が高速でグルグルと回ってる変なおじさんのことを思い浮かべて「ププッ!」っと噴き出しちゃうあたしは、頭の回転は悪いけど、想像力だけは人一倍だと思う今日この頃なのだ(笑)


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