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2009.03.16

梅の香の思いやり

今日は、あたしが1週間で一番忙しい日曜日だったけど、前からお休みにしてた。母さんが退院してから、初めて、母さんと一緒にのんびりと過ごそうと思ってたからだ。退院してからは、ほぼ毎日会ってるし、朝と夜の2回、顔を出してる日もあるんだけど、とにかくあたしはいつでもバタバタしてて、タッパーに入れた煮物を渡すだけで、そのままお仕事に行ったりって、そんな感じだった。唯一、母さんと長い時間一緒にいるのは、付き添いで病院に行く時だけだった。だから、今日は、別に何も予定は決めてなかったんだげど、とにかく母さんと1日ずっと一緒に過ごそうと思って、お休みにしてた。

それで、楽しみにしてた今日になったワケだけど、母さんは1人でもゆっくりなら歩くことができるようになったし、3日前の診察ではお医者さまから「多少の遠出ならOK」って言われたので、あたしは、梅が丘の羽根木公園にでも行こうかと思った。ここには、「あたしの梅」があるからだ。「あたしの梅」って言っても、別にあたしが植えたワケじゃなくて、子供のころ、母さんが連れてってくれた時に、「自分の梅の木を決めておくと、次に来る時の楽しみになるよ」って教えてくれたから、その時に、「じゃあ、これがあたしの梅!」って言って、あたしが勝手に決めた白梅の木だ。その時は、広い梅林の中では、まだ小さな部類に入る白梅の木だったけど、それから30年近くも経ったので、今はそれなりに立派になった。

だけど、現実問題として、バスや電車を乗り継いで行くのは厳しそうだし、あたしの車で行って、離れた駐車場から長い距離を歩かせて、階段や長い坂を歩かせるのも心配だったから、羽根木公園は来年のお楽しみってことにして、今日は近所で済ませることにした。実は、お家から車で5分ほどのとこに、名前もないような小さな公園があるんだけど、ここが、それはもう美しい梅だらけで、紅白のいろんな梅が競演してるパラダイスなのだ。数日前に車で通った時も、どの梅も満開で、すごくキレイだった。だから、あたしは、お弁当とお茶を用意して、この公園に行くことにした今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、今日は、とってもいいお天気だった上に、遊具も何もなくて梅が咲いてるだけの小さな公園は、母さんとあたしの貸し切り状態だった。すぐ近くには、有名な次太夫堀公園もあるし、子供たちが走り回って遊べる公園もあるから、ほとんどの人はそっちに行っちゃう。だから、こっちの公園はガラガラで、母さんとあたしは、大好きな梅を楽しんで、ゆっくりとお弁当を食べて、楽しい時間を過ごしてた。ここ数年を振り返ってみると、日曜日をこんなにゆっくりと過ごしてるのなんて、記憶にないくらい久しぶりのことだ。その上、その時間を母さんと一緒に過ごしてるなんて、ホントに夢みたいだって思えて、あまりにも幸せで涙が出そうになった。

この公園には、丸太で作った6人掛けのテーブルが1つだけあって、人工的なものは、あとは何もない。それで、母さんとあたしは、このテーブルでお弁当を食べたり、お茶を飲んだりしてたんだけど、しばらくしたら、お年寄りのカップルがやって来た。おじいちゃんのほうは、黒いサングラスを掛けてて、白い杖をついてて、おばあちゃんに手を引かれてた。それで、おばあちゃんのほうが、「ここ、いいですか?」って言うから、あたしは、それまで母さんと向かい合わせに座ってたんだけど、母さんのほうへ移動して、おじいちゃんとおばあちゃんが並んで座れるように席を譲った。

おばあちゃんは、目の見えないおじいちゃんのために、バスに乗って、この公園まで梅の香りを楽しみに来たって教えたくれた。おじいちゃんとおばあちゃんは、バス停で3つほどの近所に住んでて、多摩川までは歩いて行けるんだけど、おじいちゃんは目が見えないから、土手の桜を楽しむことができない。でも、梅なら香りが強いから、おじいちゃんも楽しむことができる。それで、背が低い梅が何種類もあって、おじいちゃんに香りをかがせてあげやすいこの公園に、今の時期は週に2回は来るんだって教えてくれた。

それから、おばあちゃんは、おじいちゃんの手を引いて、すぐ近くの白梅のとこへ行ったから、母さんとあたしも一緒に行ってみた。おばあちゃんは、一番低い枝に手を添えて、おじいちゃんの手に触れさせた。そしたら、その梅の花の香りをかいだおじいちゃんが、こう言ったのだ。


「これは白加賀の香りだね」


母さんとあたしは、驚いて顔を見合せた。だって、その梅の木には、「シラカガ」って名札が掛かってたからだ。そして、おんなじように、その隣りの紅梅の香りをかいだおじいちゃんは、今度はこう言った。


「これは東雲(しののめ)の香りだね」


もちろん、その梅の木には、「シノノメ」って名札が掛かってた。それで、母さんは、さらに驚いて口をポカーンて開けちゃったし、あたしは、思わず「おじいちゃん、すごいですね!」って言った。そしたら、おじいちゃんは、まるで水戸黄門みたいに「あっはっはっはっは!」って笑い出して、隣りのおばあちゃんも笑い出した。そして、おばあちゃんが、種明かしをしてくれた。


「もう何年もここに通ってるから、おじいちゃんは梅の名前を順番に暗記してるだけなんですよ」


おばあちゃんが種明かしをしたと同時に、おじいちゃんはペロッと舌を出した。その仕草がとっても可愛くて、母さんとあたしも笑っちゃった。それから、母さんとあたしは、おじいちゃん、おばあちゃんといろんなお話をして、すごく楽しいひとときを過ごすことができた。

‥‥そんなワケで、とってもステキなおじいちゃんとおばあちゃんとの出会いで、母さんとあたしの休日は、より楽しいものになった。だけど、帰りに母さんがポツンと言った「もしもおばあちゃんがいなくなったら、おじいちゃん、もう梅の香りを楽しめなくなっちゃうのかね‥‥」って言葉が、あたしの心に重たく残った。

あたしは、東京都知事の石原慎太郎のことが大っ嫌いだけど、それは、歴代の自民党の総理大臣と同様に、障害者やお年寄りなどの社会的弱者に冷たいからだ。1999年、石原が都知事になった時、まず初めに手をつけたことが、東京都の借金を減らすことだった。これは、誰が都知事になっても真っ先に手をつけなきゃならない課題だったからよく分かるけど、こともあろうに石原は、「東京の福祉は贅沢だ」って言って、徹底した「福祉予算の削減」を開始したのだ。

そして、石原は、「お年寄りのシルバーパスの全面有料化」「寝たきり高齢者への老人福祉手当の段階的廃止」「障害者への医療費助成の縮小」「特別養護老人ホームへの補助を85%削減」「難病医療費助成の対象から慢性肝炎を除外」「盲導犬の飼育代の廃止」「盲ろう者のための通訳者養成講座の廃止」など、次から次へと社会的弱者への切り捨て政策を断行し続けて、約660億円の予算を削減した。 でも、その一方で、石原は、自分が音頭をとった新銀行東京の大失敗で、1100億円を超える累積赤字を出した上に、さらに400億円もの追加出資を強行して、莫大な赤字を作り続けてる。これじゃあ、いったい何のために障害者やお年寄りや難病患者たちを泣かせたのか、まったく意味がない。

X3あたしの地元の玉川高島屋の中には、いくつもの盲導犬育成のための募金箱がある。人通りの少ない通路の途中とか、薄暗いエスカレーターの裏側とか、あんまり人目につかないとこに、いくつかの募金箱がある。こんなこと、ホントは書くべきことじゃないんだけど、あたしは、毎年、クリスマスのシーズンになって、高島屋にハデなイルミネーションやツリーが飾られるようになると、この募金箱に決まった金額を入れることにしてる。それは、ハデなイルミネーションやツリーで浮かれてる高島屋の様子を見るたびに、こうしたイルミネーションやツリーを見ることのできない人たちのことが頭に浮かぶからだ。

そして、血も涙もない石原が強行した「盲導犬の飼育代の廃止」や「盲ろう者のための通訳者養成講座の廃止」で困ってる人たちのために、こんな最低な人間を都知事に再選させちゃった都民の1人としての責任から、自分にできることとして、毎年の募金を続けてる。情けないけど、あたしには、これが精一杯なのだ。

‥‥そんなワケで、コイズミが社会から障害者を排除するために作った悪魔の法案、「障害者自立支援法案」は、自民党とナンミョー党による「数の暴力」によって強引に可決され、施行以来、全国で多くの障害者やその家族が、生活苦や将来への不安から自殺し続けてる。これとおんなじで、目の不自由な人たちから、その目の代わりである「盲導犬」を取り上げ、1人でも生きて行けるようにするための「通訳者養成講座」も取り上げるなんて、石原の政策は、「目の見えないやつは家から出るな!」って言ってるようなもんだろう。

あたしがオムライス党を支持してるのは、どの政党よりも「福祉」と「医療」に対して社会的弱者のための政策をとってるからだ。「福祉」や「医療」を後回しにしてまで、セッセと自然破壊工事を続けたり、次から次へと不必要な武器を買い続けるような今の政権は、とても先進国の姿とは思えない。「福祉」とは、煎じつめれば「思いやりの心」であり、他人を思いやる心がなくなったら、人間は終わりだ。人間にとって何よりも大切な「思いやりの心」を失い、国民や都民にとって何よりも大切な「福祉」を真っ先に切り捨てる政治って、いったい‥‥。

あたしが、今日、母さんと梅を観に行ったのは、大好きな母さんとゆっくり過ごしたかったからだけじゃなくて、少しでも早く体力を回復して欲しかったからだ。目の見えないおじいちゃんの手を引いて、小さな公園に梅の香りを楽しみに来るおばあちゃんにしても、きっと、目が見えないことで家の中にこもりがちになると、足腰が弱ってきちゃうから、楽しみながらがんばってるんだと思う。もちろん、母さんとあたしは親子だし、おじいちゃんとおばあちゃんは夫婦なんだから、アカの他人の世話をやいてるワケじゃない。だけど、こうした親子間や夫婦間の心だって、今の世の中、欠落してる人も多いと思う。

人が人を思いやる心って、やっぱり一番大切な心だと思うんだけど、それが欠落してる人たちが、どうして政治家になれたり、都知事や総理大臣になれるのか、あたしは、ホントに不思議に思ってる。人が人を思いやる心、人のやさしさって何なのかをあらためて確認するために、あたしの俳句仲間の猫髭(ねこひげ)さんて人が投稿してくださった文章を以下、ご紹介する。


「かっこちゃんの話」

金沢の養護学校の先生で山元加津子さん(かっこちゃん)と生徒たちのふれあいを描いた映画「1/4の奇跡」と、かっこちゃんの講演会が鎌倉であるというので、今日聴きに行きました。

かっこちゃんが最初に受け持った生徒は、きいちゃんという女の子で高校二年生でしたが、子どもの頃高熱が出て手足に麻痺が残り、家から四時間もかかる施設に入っていました。最初の印象は暗い子で、いつも下を向いてぼそぼそ話すので、何を言っているのかわからなかったのですが、ある日、大好きな姉が結婚することになったと、かっこちゃんに嬉しそうに話し掛け、何着ていこうかなあと相談して来たので、良かったねと一緒に喜びました。でも、二三日して、彼女が教室で一人泣いていたので、どうしたのと聞くと、お母さんから、きいちゃんは結婚式には来ないでと言われたとのことでした。

当時は障害者が身内にいることは隠す風潮だったから、お姉さんの結婚に障りがあってもいけないと、心を鬼にしてお母さんが決断したのだろうと考え、じゃあお姉さんに何か作ってプレゼントしようよ、ときいちゃんを慰めると、きいちゃんも気を取り直し、服を縫ってプレゼントしたいと言い出したのです。かっこちゃんは、アップリケのついたハンカチでも一緒に作ればいいと軽く考えていたので、驚いて、じゃあ浴衣にしようよ、あれだったら簡単だからと提案したのです。きいちゃんは手に障害があるので、とても作れないから、デザインだけさせて自分が縫おうと考えていたのですが、きいちゃんは自分が縫うと言い張り、能登の染物屋さんにかっこちゃんに連れられて教わりに行ったりしながら、仮縫いのサラシを自分の手を刺して血だらけにしながら、それでも驚いたことに一週間ぐらいで真っ直ぐ縫えるようになり、授業をすべて休んで、やがて本縫いを何ヶ月もかけてお姉さんの結婚式の一週間前くらいに、夕焼け色の浴衣を完成させて、お姉さんに送りました。

そうしたら、お姉さんから電話がかかってきて、きいちゃんに結婚式出て欲しいというのです。かっこちゃんは、お母さんに電話をして、きいちゃんが不自由な手でお姉さんの浴衣を縫ってプレゼントした経緯を話します。すると、お母さんも、かっこちゃんに同伴して出て欲しいと言うので、二人は結婚式に出席します。

ところが、車椅子のきいちゃんを押して結婚式場に入った途端、皆がじろじろ見て「どうしてあんな子を連れて来たんだ」「誰が面倒見るんだ」と聞こえよがしに噂する声が聞こえてきました。きいちゃんは真青になって、披露宴の食べ物にも一切口をつけないで下を向いたままだし、かっこちゃんも来なければ良かったかなと後悔しました。そうしたら、お色直しで出てきたお姉さんが、驚いた事に、きいちゃんの縫った浴衣を着て新郎と現れ、きいちゃんとかっこちゃんを自分たちのそばに呼んだのです。

「妹は小さい時に高熱がもとで手足が不自由になりましたが、この浴衣は妹がわたしのために一生懸命縫って染めてくれたものです。わたしの誇りとする大好きな妹です」と紹介してくれたのです。そうしたら、式場の皆が一斉に拍手してくれて、席に戻っても、頑張ったね、良かったねと次々に皆が励ましに来てくれました。

お母さんからかっこちゃんに電話があり、先生どうもありがとうございましたと御礼を言うので、わたし何もしてませんよ、きいちゃんが一人で頑張ったんです、とこたえると、こういう話をしたそうです。娘が「自分を生んでくれてありがとう」と言ったそうです。お母さんはそれまでずっと自分を責めて来たそうです。自分があのとき熱は朝までには引くだろうと軽く考えないで、お医者さんに連れて行っていたら、娘は障害者にならなかったのではないかと、ずっと毎日何年も何年も思い詰めて苦しんでいたそうです。それが娘の一言で救われました。先生、ありがとうと。

きいちゃんは、それから自分に自信を持って、裁縫の仕事を自分の道と決め、お姉さんやお兄さんと裁縫の仕事をして暮らしているそうです。「次は、雪絵ちゃんの話をしたいと思います」と、彼女は自分に元気を与えてくれた子どもたちの話を、静かにひとりひとりに語りかけるように一時間話し続けました。

わたくしは一番前の席で聴いていて、目の前に「純粋な優しさ」が人間の形をして立っているような、無垢な魂と向かい合っているような不思議な時間を経験しました。こんなにも弱々しく見えるのに、しっかりと守らなければならないものを自分の言葉で語りかけることが出来る稀有な聖人を見るようでした。

以上


‥‥そんなワケで、あたしは、こうした話を聞くたびに、今のニポンの政治にもっとも欠けてるものを見たような思いがする。人が人を思いやる心、人が人を思う気持ちは、人として何よりも大切なものだと思う。そして、政治における「福祉」が、人間ひとりひとりの「思いやりの心」の延長線上にあるものだとすれば、その「福祉」に対する予算が、先進国の中で最低水準なのに、さらに削り続けてるニポンは、「思いやりの心」が完全に欠落した国家だと言わざるをえないだろう。フロッピー麻生は、自分が健康なことを自慢したあとに、「たらたら飲んで食べて何もしなかった人のぶんの金(医療費)を何で俺が払わなきゃいけねえんだ!」ってノタマッたけど、あたしは、この言葉を聞いた時に、まさしく今の自民党政権の本質を見せられたような気がした。そして、政治における「思いやりの心」である「福祉」の予算を削減し続けながら、在日米軍には「思いやり予算」と称した大金を上納し続けるような政党や政治家には、1日も早く消えてもらいたいと思った今日この頃なのだ。


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