愛は勝つ
多くの人は、「人からカッコ良く見られたい」って気持ちを持ってるし、それ以前に、「人にカッコ悪いとこは見せたくない」って気持ちを持ってる。だからこそ、一生懸命に外見を磨いたり、必死になって知識を仕入れたりしてるワケだけど、どんなに外見を磨こうとも、どんなに知識を仕入れようとも、どうすることもできないことがある。それが、「過去の恥ずかしい出来事」だ。そして、そうした「過去の恥ずかしい出来事」に関しては、多くの人が大人になってからウソをつく。
たとえば、中学生や高校生のころ、クラスのヤンキーたちのパシリになってたような男の子が、社会人になり、自分の中学時代や高校時代のことを知る者がいない状況になると、会社の飲み会の席とかで、「僕は学生時代はブイブイ言わせてたんですよ!あっはっは~!」なんてウソをついたりする。高校時代には原付の免許も持ってなかった男の子が、大人になってから、悪ぶって、「オレは高校時代に暴走族をやってたんだ」なんてウソをつく。高校時代は女の子と話をすることもできなくて、20才を過ぎるまで童貞だった男の子が、「学生時代はモテモテだったよ」なんてウソをつく。
そして、男の子の場合、特に多いのが、自分の童貞喪失の年齢やその相手を偽るケースだそうだ。ホントは、大学生になってから先輩に風俗店に連れてかれて童貞を喪失したのに、社会人になってからの飲み会では、「高校1年の時に、その時つきあってた彼女と」なんてウソをつく。これらは、みんな、「人にカッコ悪いとこは見せたくない」って気持ちからのことで、こうしたとこにも、「男」って生物の幼児性が垣間見られる。ようするに、たび重なる漢字の読み違いで国語力の低さを全国に露呈しちゃったフロッピー麻生が、わざわざ「矜持(きょうじ)の問題です」だなんて、普通の人が日常的には使わないような言葉を使うみたいなもんで、ホントの自分の姿にコンプレックスを感じてて、それを他人に知られることを恥と思ってるから、こうしたくだらない自己防衛に神経を使ってるんだと思う今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?
‥‥そんなワケで、いくら21世紀になったって言っても、東京都や千葉県の知事みたいに、未だに「男尊女卑」を地で行ってるネアンデルタール人もいるワケだし、フロッピー麻生みたいに「女性に参政権を与えたのは失敗だった」なんて平然とノタマッてるブレムミュアエ人もいるんだから、ニポンの男の性意識は、先進国の中じゃ最低レベルなんだと思う。ま、自分のことをアンドロギュノスのカタワレだと信じてるあたし的には、こうした原始人どもの世迷言には興味ないけど、おんなじ「セックスの初体験」なのに、男の場合は「遅いとカッコ悪い」、女の場合は「早いとだらしない」っていう、男の幼児性から派生した身の毛もよだつ差別意識だけは、そろそろヤメにして欲しいと思う。
でも、あたしだって、男の幼児性が分からないワケじゃない。童貞喪失の年齢を偽る感覚は分からないけど、「若いころの恥を人に知られたくない」ってことなら、男女問わずに誰でも持ってるからだ。たとえば、よくある話では、「初めて買ったレコードって何?」とか「初めて買ったCDって何?」って聞かれた時に、ホントは、光GENJIの「パラダイス銀河」なのに、今は仕事がバリバリできる都会のカッコイイ女を演出してるから、こんなこと、とてもじゃないけど恥ずかしくて言えなくて、マドンナの「ライク・ア・ヴァージン」とかってウソつく女。ホントは、おニャン子クラブの「セーラー服を脱がさないで」なのに、今は流行に敏感なアパレル関係のバイヤーをやってるから、こんなこと、とてもじゃないけど恥ずかしくて言えなくて、ワム!の「ケアレス・ウィスパー」とかってウソつく男。こういう感覚は、とってもよく分かる。
ちなみに、あたしの場合は、中学生の時には、CDラジカセを持ってなかった。あたしのは、下北沢の質屋さんのウインドウに並んでた質流れ品のラジカセを母さんが買ってくれたのだったから、ラジオとカセットテープしか聴けなかった。だから、あたしが初めてCDを買ったのは、高校生になって、自分のバイトしたお金でCDラジカセを手に入れてからだった。当時、クラスの女の子たちは、ほとんどが光GENJIにキャーキャー言ってて、下敷きやバインダーにカー君だのミー君だのハー君だのの切り抜きを入れて騒いでたけど、あたしは昔からバカな男には興味がなかったのと、あたしは昔から美女が好きだったから、あたしが初めて買ったCDは、大好きな中森明菜ちゃんのベストアルバムだった。
あたしは、ホントにラッキーなことに、初めて買ったCDが光GENJIじゃなかったから、人に聞かれても、胸を張って堂々と「中森明菜ちゃんのベストアルバム」って言うことができる。だけど、一歩違ってたら、あたしもクラスの女の子たちの影響で光GENJIのCDを買ってたオソレもあったワケで、もしもそうだったとしたら、マジで取り返しのつかないことになってたワケだ。ウソをつくのはイヤだけど、これほど恥ずかしいことはないから、同世代の多くの女性たちとおなじく、生涯、過去の恥を隠すためにウソをつき続けて行くという重い十字架を背負わされてたのだ。
‥‥そんなワケで、この「初めて買ったCDって何?」って質問と並んで、もう1つ、これとおんなじパターンのものがある。それが、「思い出に残ってる曲は?」って質問だ。いろんなシチュエーションで聞かれる質問だから、できればオシャレな曲やカッコイイ曲を答えたいんだけど、あたしにとって、「懐かしい曲」はいっぱいあっても、その曲にまつわる何かの思い出があるような曲なんて、コレと言ってなかった。だから、これは、「ウソをつく」ってことじゃなくて、思い当たる曲がなかったから、高校時代に初めて組んだバンドで最初にコピーしたジョーン・ジェットの「アイ・ラブ・ロックンロール」とかって答えてた。
初めてのバンドでの初めてのコピーだから、ものすごく苦労したし、解散ライブでの最後の曲としても演奏したから、もちろん、それなりに思い入れのある曲だ。だけど、この曲を聴いたからって、胸がジーンと熱くなったり、当時のことを思い出して涙が出たりなんてことはない。ただ、「懐かしいな」って思う程度で、それ以上でも以下でもない。それに、この曲は1981年のヒット曲で、チマタで流行ってた時には、あたしは、まだ小学生で、洋楽なんて聴いてなかった。だから、「思い出に残ってる曲は?」って質問には「チマタで流行ってた曲」ってことも含まれてるので、「何年も前に流行った曲を自分のバンドでコピーした」って「思い出」は、リトル違う感じもする。
そんなこんなで、あたしは、この質問に対して、ジョーン・ジェットの「アイ・ラブ・ロックンロール」って答えることに、イマイチ、「違うよな?」って気分がしてたのだ。だけど、こんなこと、そうそう四六時中考えてるワケもなく、考えたとしても、何かのアンケートとかにこの項目があったりした時くらいなので、多くても1年に1回くらいだから、ほとんど気にしないで生きて来た。でも、数日前のこと、車の運転中に、ラジオから流れて来た曲を聴いて、あたしは、今までに感じたことのない感覚が全身に走った。
曲名を言うのは、ちょっと‥‥って言うか、激しく恥ずかしいんだけど、言わなきゃ先に進まないから、トットと言っちゃうと、KANの「愛は勝つ」だ。これは、あたしが専門学校に通ってた時にヒットした曲だから、あたしが18才か19才の時だ。だから、今の20代後半の人から、50代くらいの人まで、ワリと幅広く知られてる曲だと思う。だけど、あたしは、別にKANのファンだったワケでもないし、この曲が特別に好きだったワケでもない。ただ、十何年ぶりかでこの曲を聴いたら、あたしのパッとしない恋愛遍歴の中で、一番楽しくて幸せだった出来事が、ベタな言い回しだけど、走馬灯のように蘇って来たのだ。
当時、ヘアメークの専門学校に通いながら、いくつものバイトをカケモチしてたあたしは、メチャクチャに忙しかったけど、それでも、自分の夢に向かって走り続けてたから、ちっとも辛くはなかった。それどころか、今の何倍もイキイキとしてた。それは、人並みに恋愛もしてたからだ。あたしが、専門学校のベーシックコースを終えて、2年目のプロ養成コースへ進んでからだから、19才から20才にかけて、ちょうど1年くらい付き合ってた男がいた。あたしが付き合った男の中で、唯一、あたしのことを殴らなかった男で、唯一、あたしのお金を盗まなかった男だ。浮気はしてたみたいだったけど、男運が最低最悪なあたしにとっては、暴力を振るわなくてお金を盗まないだけでも、すでに「そうとうイイ男」の部類だった。
その男は‥‥ってのもアレだし、A君‥‥ってのもアレだから、とりあえず、石川喬司先生と松尾貴史さんのお名前を無断で拝借して、「タカシ」ってことにしちゃうけど、タカシは、6才年上の25才で、波乗りとレゲエが好きな男だった。カッコ良くて、アメ車のワゴンに乗ってて、すごくモテてた。あたしが、専門学校の仲良しのS子と2人で横浜のレゲエのお店で飲んでたら、タカシは男友達のRと2人で来てて、あたしたちはナンパされた。それが出会いだった。ちなみに、あたしもS子も19才だったから、2人とも未成年でお酒を飲んでたワケだけど、もう17年も前の「若かりしころ」の話だから、重箱の隅はつつかずに読んで欲しい。
で、タカシたちは2人ともカッコ良かったし、すごくノリのいいコンビだったから、若かったあたしたちはホイホイとついてっちゃったワケで、そのままタカシのワゴンで、夜の湘南の海に行った。子供も読んでる健全な「きっこの日記」では、生々しい性描写はご法度だけど、全体の流れを説明するためにザクッと書かせてもらうと、この日、S子がタカシと、あたしはRとくっついた。あたしは、タカシのほうがタイプだったんだけど、S子もタカシのほうがタイプだったみたいで、S子はワレ先に助手席に乗り込んじゃったから、自然とそんな組み合わせになっちゃったワケだ。
それから、この4人で、2~3回ほどデートした。タカシがRと専門学校の近くまで車で迎えに来てくれて、あたしとS子が乗り込んで、その日の気分で、夜の海に行ったり、タカシのマンションでくつろいだり‥‥って感じだった。だけど、そのうち、あたしだけが、だんだんに疎遠になっちゃった。あたしは、夜は週に4~5日、居酒屋さんでバイトしてたし、日曜日は本屋さんでバイトしてたから、なかなか時間を合わせることができなくて、せっかく盛り上がってるのに、あたしだけ途中で抜けなきゃならなかったりしたからだ。
それと、もっと大きな理由があった。あたしは、やっぱりタカシのほうが好きだったから、S子とタカシがイチャイチャしてるのを見てるのがイヤだった。それに、Rは別にあたしのことを本気で好きだったワケじゃなくて、親友のタカシの付き合いで「きっこ担当」をしてただけなのもナニゲに分かってた。だから、あたしは、自分だけ自然にこのグループからフェードアウトして、あとはS子とタカシが勝手にヨロシクやってくれればいいと思ってた。恋愛なんて所詮は人生のスパイス程度のものだし、あたしには、ニューヨークへ行って舞台メークのプロになるっていう大きな夢があったからだ。
‥‥そんなワケで、あたしは、このグループからジョジョに奇妙にフェードアウトしたんだけど、専門学校の中でも、自然とS子と距離を置くようになった。最初のころは、月曜日に学校でS子と顔を合わせると、「昨日はタカシが館山に波乗りに行くっていうから、連れてってもらっちゃった!」とか、「タカシが、きっこにまたみんなで遊ぼうよって伝えといて‥‥って言ってたよ!」とかって、チクイチ報告してくれてた。だけど、まだタカシのことが忘れられなかったあたしは、タカシがあたしのことを気にしてくれてたことが嬉しい気持ちが「3」だったのに対して、彼女ヅラしてるS子のことがムカつく気持ちが「7」だったから、ついついツッケンドンな冷たい態度をとっちゃって、S子のほうもそれを察知してか、あたしの前ではタカシの話をしなくなり、だんだんにお互いが距離を置くようになっちゃった。
そして、タカシたちと会わなくなってから半年くらいが過ぎて、新しい年が明けた1月の終わりころ、もう、タカシのことを考えなくなってたある日のこと、居酒屋さんでバイトしてたら、そこに、突然、タカシがやって来たのだ。久しぶりに会ったタカシは、ぜんぜん変わってなくて、すごくカッコ良くて、照れくさそうに笑いながら、こんなことを言った。
「きっこに連絡とりたかったんだけど、Rは電話番号を聞いてないって言うし、S子に聞くわけにも行かないし、学校の前で張ってるのは迷惑だろうし、それで、溝口の居酒屋でバイトしてるって言ってたことを思い出して、この辺りの居酒屋を順番に覗いて来たんだ。見つかって良かったよ」
あたしは、タカシに再会できた嬉しさよりも、カッコ悪い居酒屋さんの制服姿を見られたことのほうが恥ずかしくて、顔がカッカとしてきちゃった。でも、タカシは、そんなこと気にもしないで、こう続けた。
「俺さあ、S子と付き合うつもりなんてなかったんだよ。最初に会った時から、俺はきっこがいいなって思ってたんだ。だけど、あんな流れでS子と付き合うような感じになっちゃって‥‥でも俺は、どうしてもきっこに会いたかったから、2人きりで会いたいっていうS子に、きっこも呼んで4人で会おうって言ってたんだ」
タカシは、あたしに会って気持ちを打ち明けるために、クリスマスの前にS子と別れたって言った。あたしは、S子と疎遠になってたから、学校で顔を合わせてたのに、別れてたなんて、ちっとも知らなかった。タカシは、あと1時間でバイトが終わるあたしを待っててくれて、お家まで車で送ってくれた。あたしは、この日、初めてタカシの車の助手席に乗った。ここは、S子の指定席だったからだ。そして、お家に着く前に、多摩川沿いに車を停めて、しばらく話をした。
「今度、ドライブに行かないか‥‥」
「うん‥‥どこに連れてってくれるの?」
「館山に波乗りがてら‥‥」
「館山はイヤ!」
S子と行った場所に、あたしも連れてく気なの?って思って、あたしはちょっと不機嫌になった。
「それなら、どこに行きたい?」
「水戸の偕楽園の梅祭り」
「えっ?」
「あたし、梅が大好きなの。だから、一度でいいから水戸の偕楽園の梅祭りに行ってみたかったの」
「よし分かった!だけど日帰りだとゆっくりできないから、できたら土日の一泊で行かないか?」
「うん!バイト誰かに代わってもらって、連休をとるよ!」
‥‥そんなワケで、あたしは、つい何ヶ月か前には、「恋愛なんて所詮は人生のスパイス程度のものだし」なんて偉そうなことを言ってたクセに、この日からの1週間は、自分の背景にバラの花が咲き乱れちゃって、少女マンガみたいなキラキラした目になっちゃって、誰の言葉も上の空で、足が地面から5センチほど浮いてるようにフワフワとしてた。そして、待ちに待った土曜日がやって来た。
細かいことを言うと、水戸の偕楽園の梅祭りって、毎年、2月の下旬からで、この日は、まだ開催してなかった。だけど、この時のあたしは、タカシと2人きりでいられることが何よりだったから、人出が多くて混雑してる梅祭りの間よりも、その前のほうが良かったし、1日でも早く会いたかった。そして、初めて行った偕楽園は、ものすごく梅が美しくて、種類も多かったし、見たこともないほど大きな枝垂れ梅もあったし、ずっと行きたかった好文亭も見学できたし、とっても楽しかった。もちろん、タカシと2人きりだったから、何倍も楽しかった。
この日、タカシは、「せっかく水戸まで来たんだから」って言って、ホテルに車を預けてから、アンコウ鍋の専門店に連れてってくれた。タカシはタカシなりに、ちゃんと下調べをしといてくれて、ホテルを予約したり、アンコウ鍋の専門店を予約したり、いろいろと準備してくれてたのだ。あたしは、その気持ちがとっても嬉しくて、もう幸せの絶頂だった。でも、こんなこと言っちゃミもフタもないけど、その専門店で出たアンキモは、あたしが想像してたような味じゃなくて、あんまり美味しくなかった(笑)
だけど、お鍋はバツグンに美味しくて、最初は熱燗をチビチビと飲んでたあたしは、途中から冷に変えて、コップ酒をクイクイと飲み始めた。最初は、タカシと初めてのデートだから、絶対に飲み過ぎないようにしようって思ってたのに、お鍋が美味しいのと、タカシと一緒にいられることが幸せなのとで、飲まずにはいられなくなっちゃったのだ。タカシも、車をホテルに預けて来た安心感から、あたし以上のピッチで飲み続けて、どれだけ飲んだか分からないけど、お店を出る時には、2人とも笑いが止まらないほどの酔っぱらいになってた。
外に出たら、タカシは人差し指を立てて、「まだ飲み足りない人、この指と~まれ!」って言ったから、あたしは、ピョンとジャンプして、その指をつかもうとしたけど、届かなくてタカシの胸に抱きつくような形になり、タカシはそのまま抱きしめてくれた。人通りの多い繁華街の歩道だったけど、ここが地元じゃない旅行者にとっては、旅の恥はかき捨てだし、そんなことよりも、目がハートになってたあたしには、通行人なんて「動く街路樹」にしか見えなかった。
初めてタカシと腕を組んだ。波乗りのパドリングで鍛えたタカシの腕は、とっても頼もしくて、あたしは両手で抱きつくように腕を組んだ。全身に幸せが満ちあふれて、あたしは幸せすぎて溺れそうになった。そして、しばらく繁華街を歩いて、一本奥の道沿いにあったアメリカンなカフェバーみたいな飲み屋さんに入った。土曜日の夜なのに、ワリと空いてて、あたしたちは真ん中の丸いテーブルに案内された。それまで腕を組んでたから、離れて向い合せに座るのは寂しかったけど、お店の真ん中のテーブルだったから、並んで座るのも変だし、あたしは、仕方なく向い合せに座った。
だけど、このお店が、ヤタラと楽しいお店だった。お店の若いお兄さんは、すごく感じのいい人で、あたしたちが酔っぱらって大声で笑ってても、「お客さま、少しお静かにお願いします」なんて野暮なことは言わずに、「とっても楽しそうですね」って、ニコニコしながら話しかけてくれた。タカシはウォッカのロック、あたしはジンのロックを飲みながら、交代にバカ話をして笑ってたら、何杯目かのお替わりの時に、「すごく楽しそうに飲んでくれてるので、これ、お店からのサービスです」って言って、大きなウッドボールに山盛りの中国の揚げせんべいみたいなのを持って来てくれた。あの、軽くて、口に入れると溶けちゃうエビせんべいみたいなヤツだ。
だけど、これが、ヤタラとベロにくっつく。それで、あたしが、ベロにくっついた揚げせんべいをピロピロと動かしたり、上と下のクチビルに1枚ずつくっつけて「アヒルだガーガー、アヒルだガーガー」ってやって、また2人で大笑いしてたら、それまで流れてたジャズっぽいBGMが止まって、突然、KANの「愛は勝つ」が流れ始めたのだ。当時は、大ヒットしてたから、テレビやラジオでもよく流れてたし、あたしもよく知ってたから、酔っぱらってたイキオイもあって、あたしは、一緒に歌い始めちゃった。狭いお店だったし、他に2組くらいいたお客さんも、みんな感じのいい人たちで、あたしたちに「へ~東京から梅を見に来たんですか~」なんて話しかけてくれてたから、すでに、お店全体が、「歌っても平気な雰囲気」になってたからだ。
あたしは、とにかく幸せの絶頂だったから、この歌の歌詞が、まるで今の自分のことを言ってるように感じられた。特に「最後に愛は勝つ~♪」ってとこが、ホントに今の自分のことみたいで、声に出して一緒に歌ってたら、嬉しくて幸せで涙が出そうになった。だけど、そう思ったトタンに、それを口に出して歌うことが、顔が真っ赤になるほど恥ずかしく思えて来た。だって、目の前にタカシがいたからだ。だけど、楽しそうに歌ってるあたしを見て、お店のお兄さんは、もう一度、この曲をかけたのだ。
それで、恥ずかしくなってたあたしは、2回目には、「最後に愛は勝つ~♪」のとこを「最後にチキンカツ~♪」って歌った。そう、当時、ものすごく流行ってた、山田邦子の「邦ちゃんのやまだかつてないテレビ」でやってた「愛は勝つ」の替え唄だ。そしたら、これが、信じられないくらいに大ウケしちゃったのだ。ずっと普通の歌詞で歌ってて、この部分だけを「チキンカツ」にしたもんだから、周りのみんなは、あたしがこれを「狙ってやった」と思ったみたいなのだ。
タカシはゲラゲラ笑ってるし、お店のお兄さんも笑ってるし、恥ずかしさをゴマカスためにやったのに、それが意外にも大ウケしちゃったもんだから、あたしはマンザラでもなかった。そしたら、お店のお兄さんは、3回目の「愛は勝つ」を流したのだ。こうなって来たら、もうやるっきゃない。何しろ、酔っぱらうと「失うものなんて何もない状態」になっちゃうあたしとしては、知り合いなんて1人もいない水戸なんだから、どんなに恥をかいたって関係ない。それで、あたしは、今度は最初から替え唄で歌った。そしたら、タカシも、他のお客さんも、みんなが歌い出して、大合唱になっちゃったのだ。
「愛はチキンカツ」
心配ない唐揚げ~君のおもちが~♪
誰かに豆腐~明日はきつねうどん~♪
どんなにコンニャクで~くじけそうめん~♪
豚汁ことを~けしてやめんたいこ~♪
カレーうどん~カレーライス~♪
しば漬け~福神漬け~♪
愛するせツナサラダ~♪
少し疲れて天丼~♪
ウォ~ウォ~♪
心配ない唐揚げ~君のおもちが~♪
誰かに豆腐~明日はきつねうどん~♪
どんなにコンニャクで~くじけそうめん~♪
豚汁ことさ~必ず最後にチキンカツ~♪
歌い終わった瞬間、みんなが大きな拍手をして、何だかよく分からない変な連帯感に包まれて、それからは、他のお客さんたちと入り乱れて飲みまくった。そして、どうやってホテルまで帰ったのか記憶にない上に、気がついた時には、次の日の朝になってて、あたしは、洋服のまま、お化粧もしたまま、ベッドの上に反対向きに寝てた。タカシはと言えば、床でうつぶせに寝てて、片方だけ靴を履いてた。
‥‥そんなワケで、あたしは、タカシとの甘い夜を期待して、とっておきの勝負下着をつけて来たのに、チキンカツのオカゲで、ムダに終わっちゃったってワケだ。でも、この日のことは、17年経った今でも、ハッキリと覚えてるほど楽しかった思い出だし、この日から、あたしは、タカシとの付き合いが始まった。いろんなことがあって、結局、1年で別れることになっちゃったけど、こないだ、たまたま車のラジオから流れた「愛は勝つ」を聴いて、この日のことや、タカシとのいろんな思い出が蘇って来て、何だか胸が熱くなった。書籍版「きっこの日記 R」に書いた、あたしにとって最悪の男と付き合ったのは、タカシと別れたあとだ。そして、あたしは、あまりのショックで、過去の男のことをすべて記憶から消そうとして、タカシのことも一緒に、心の奥の箱の中に仕舞って、カギをかけてたんだと思う。だから、この記憶を蘇らせてくれたKANの「愛は勝つ」は、あたしにとって、初めての「思い出の曲」なのかもしれないと思う今日この頃なのだ。
「愛はチキンカツ」
http://www.youtube.com/watch?v=pzN-CqaBCaw
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