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2009.04.12

午後の野良猫通り

いつもは夜遅くまでお仕事が詰まってる金曜日だけど、昨日は珍しく夕方に終わり、そのあとの予定もなかったので、久しぶりに早く帰ってゆっくりしようと思った。だけど、青山から車を発進させたトタン、オーマイガー!の大渋滞。そりゃそうだよね。金曜日の午後6時半の青山だもん。東京に来たことのない人には想像もつかないと思うけど、東京都心の道路は、深夜とかの一部の時間帯を除いて、常に渋滞してる。別に、何台か前に燃料を積み過ぎたルノーのアロンソがいるワケでもないのに、いつでも渋滞してる。特に、朝の上りと夕方から夜にかけての下りは、爆発的な渋滞になる。

たとえば、あたしの住んでるニコタマから渋谷に行くには、246(ニーヨンロク/国道246号線)で1本だし、ほぼ直線だから、距離的にも最短だけど、最悪の渋滞にハマっちゃうと、わずか8キロの距離なのに、2時間以上もかかっちゃう。深夜のガラガラの時なら10分だし、電車でも15分の距離なのに、2時間以上もかかっちゃうのだ。だから、東京に住んでる人は、朝と夕方は246なんか使わない。東京に住んでる人は、みんな、独自の裏道を持ってるから、246や環八(カンパチ/環状8号線)みたいな大きな道路は使わずに、ほとんど裏道を使ってる。

で、あたしも、独自に開発した数々の裏道を持ってる上に、それぞれの裏道が小学生の登下校タイムや工事なんかで通れない時の迂回櫓、その迂回路もダメだった時の迂回路まで把握してある。これくらいじゃないと、東京で車の運転なんてできやしない。だから、昨日も、あたしは、青山からNHK側を通って渋谷の松濤町(しょうとうちょう)の路地を抜けて、環六をナナメに突っ切って淡島通りの裏手の路地を進み、環七を突っ切ったT字路を左折して、釣り堀の先を右折して世田谷区役所のとこに出て、世田谷通りを突っ切って住宅街をジグザグに進み、桜新町に抜ける「野良猫通り」を爆走して、246を使ったら2時間は掛かっちゃうところをわずか40分で帰って来た今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、この「野良猫通り」ってのは、車1台しか通れないような住宅街の路地なので、当然、名前なんかない。夏目漱石ふうに言えば、「吾輩は路地である。名前はまだない」ってワケで、あたしらジモティーが勝手に「野良猫通り」って呼んでるだけだ。でも、別に、野良猫がいっぱいいるワケでもないし、それ以前に、あたしは、基本的に野良猫の多い路地は通らないようにしてる。猫って、突然、車の前に飛び出して来ることがあるからだ。

じゃあ、何で「野良猫通り」って呼んでるのかって言うと、この路地は、世田谷区の路地に多いタイプで、ビミョ~に左右にクネクネと曲がってるのだ。新しく開発された地方都市の路地とかは、碁盤の目みたいにキチンとしてるけど、世田谷区の場合は、もともと田んぼや畑だった農地を潰して宅地にしてるから、そこを走ってる道路や路地も、もともとの水路や畦道に沿って作られてて、そのために、ビミョ~に左右にクネクネと曲がってたり、急に細くなってたり、急に行き止まりになってたりするワケだ。

で、この「野良猫通り」を入ってくと、ちょうど真ん中辺りに、左へ「く」の字に曲がってる場所があって、車やバイクを運転してると、数秒間だけ、そこのお家の塀が真正面に見える。だから、あたしみたく、この路地を知ってる人はいいんだけど、迷い込んできちゃったような人は、一瞬、行き止まりかと思っちゃうのだ。だから、そのお家の塀は、位置的にすごく目立つんだけど、その昔、その塀に、「アーリーキャッツ」の猫のマークと、「ようこそ世田谷へ」っていう文字が、ラッカースプレーで描いてあったのだ。

「アーリーキャッツ」ってのは、昭和40年代から50年代にかけて流行した暴走族の1つで、他にも、俳優の宇梶剛士が7代目総長をやってたことでもオナジミの「ブラックエンペラー」とかが有名だったみたいだ。あとは、「アーリーキャッツ」が、「ルート20」と「スペクター」と連合を組んだ「CRS連合」とか、他にもいろいろあったみたいだけど、あたしの住んでる世田谷区だと、この「アーリーキャッツ」や「鼠小僧」ってのが有名だったって地元の先輩が言ってた。猫とネズミだから、すぐに覚えちゃった(笑)

それで、「ブラックエンペラー」のマークの「BLACK」と「EMPEROR」の間に「卍」のマークがあるみたいに、「アーリーキャッツ」のマークは、「Alley」と「Cats」の間に猫の絵が描いてあった。これが、オシャレな猫が一筆書きで描いてあるみたいなデザインだから、ラッカースプレーで壁に描きやすかったんだと思う。当時は、いろんな暴走族が、自分たちのテリトリーを示すために、壁とか陸橋とかいろんな場所にラッカースプレーでチーム名を書くのが流行ってて、チーム名の下に「喧嘩上等」とか「夜露死苦」とか書いたりしてた。ようするに、猫が自分の縄張りにオシッコをして回る「マーキング」とおんなじことで、あとは「なめ猫」の免許証を持ってバイクに乗れば、完全に野良猫だ‥‥ってワケで、あたしは、暴走族の「アーリーキャッツ」の落書きがしてあった路地だから、「アーリーキャッツ」をニポン語にして「野良猫通り」って呼んでるワケで、ただそれだけの理由なのだ。

‥‥そんなワケで、この「野良猫通り」って名前は、一般的じゃないけど、あたしの地元じゃケッコー通じる。もちろん、あたしの母さんとかの世代には通じないけど、昔、リトル悪いことをしてた地元の商店の二代目とかは、一発で通じる。だから、正式な名前じゃないけど、通じる人には通じるってワケで、一般的な「通称」とまでは行かないけど、仲間内の「通称」って感じになってる。

これは、東京に限ったことじゃないと思うけど、道路にこうした「通称」や「愛称」をつけるってのは、ニポンじゃ昔からよくあることみたいだ。「野良猫通り」の場合は、もともと何の名前もない路地だから、会話とかで困らないように自然に名前がついたワケだけど、もともと名前のある道路でも、ある一区画だけに「通称」をつけることが多い。

たとえば、青山の「キラー通り」や「骨董通り」なんて、東京以外の人でも知ってる人は知ってると思うけど、地図にも「キラー通り」とか「骨董通り」とか書いてあることも多い。それどころか、東京で話をする時は、こうした「通称」じゃないと理解されないことのほうが多い。「キラー通り」は、正式には「外苑西通り」って言うんだけど、「外苑西通り」をぜんぶ「キラー通り」って言うんじゃなくて、青山3丁目の交差点から仙寿院の交差点までを指す。だから、この一区画を指したい場合には、正式な名前じゃなくても「キラー通り」って言ったほうが分かりやすい。

一説には、その昔、コシノジュンコさんが「キラーストリート」って名づけたとかって言われてて、本人も「近くに青山墓地があったらキラーストリートって名づけた」って言ってるそうだけど、「墓地があるからキラー」って、墓地に眠ってるのは、みんな誰かに殺された人たちってワケ?‥‥つーか、あたしは、この辺りはナンパする男が多くて、それで「女殺し」から「キラー」って名づけられたって聞いてる。

それから、「骨董通り」のほうは、青山通りの青山5丁目の交差点から、六本木通りの高樹町の交差点に抜ける道のことで、もともとは「高樹町通り」って呼ばれてた。だけど、昔は骨董品店が多かったことから、「開運!なんでも鑑定団」の中島誠之助さんが「骨董通り」って名づけたそうだ。ふ~ん。とにかく、今では、こうした「通称」のほうがホントの名前みたいになっちゃったのだ。だって、「キラー通り」にあるおそばの増田屋さんは、「増田屋 キラー通り店」て名前だし、「骨董通り」にあるスタバは、「スターバックス 骨董通り店」て名前だからだ。

渋谷に行けば、一番有名なのは「公園通り」だけど、これだって「通称」だ。普通に考えたら、あんな坂のことを「公園通り」だなんて、絶対におかしいと思う。知らない人が聞いたら、絶対に平坦な道を想像すると思うから、あたし的には「公園坂」って名前にしたほうがいいと思う。どうせ、オシャレ感を醸し出すために「パークアベニュー」をそのまま和訳したんだろうけど、あたしが子供のころは、自転車やスケボーで下って遊ぶための坂だった。

他にも、西武や丸井から表参道のほうに抜ける通りは、並びに消防署がある辺りの一区画だけが「ファイヤーストリート」って呼ばれてる。明治通りに沿って、渋谷から原宿まで続いてるクネクネした遊歩道は「キャットストリート」って呼ばれてるけど、もともとは川だったとこを埋め立てて作った道だ。西武のA館とB館の間を入ってって、東急ハンズのとこからパルコのほうへ上る坂は、周りに音楽関係のお店が多かったことから「オルガン坂」って名づけられたし、TOKYO FMの「スペイン坂スタジオ」でオナジミのスペイン坂は、ただ単に「スペイン風の内装の喫茶店があったから」って理由でついた名前だ。

‥‥そんなワケで、こうした「通称」ってのは、世田谷区の「野良猫通り」みたく、必然性から名づけられて、狭い範囲だけでジミに使われてるものもあれば、青山の「キラー通り」や渋谷の「スペイン坂」みたく、後ろの大人たちがお金儲けのために名づけて、1つの「ブランド」としてハデに使われてるものまで、その規模は様々だ。だけど、こうした名前を「通称」って呼ぶ以上、それなりに広まってなくちゃダメなワケで、「野良猫通り」は、まだ「通称」の域にまでは達してないんだと思う。でも、あたしは、お金儲けのために裏道に名前をつけてるワケじゃないし、こう言うのって、「仲間内だけで通じる」「分かる人だけが分かる」って楽しさもある。だから、あたしは、これからも、渋谷からの帰り道が混んでる時には、「野良猫通り」から「サザエさん通り」を抜けて、用賀の「カメレオンストリート」経由で「高級お寿司通り」へと入り、環八を突っ切って、森喜朗の大邸宅がある「鮫の脳みそ坂」を下って、玉川大師がある「お遍路ストリート」から、左に直角に曲がってる「俺は直角坂」を上り、原チャりで爆走できる「世田谷マルホランド」を下って、お家に帰ろうと思う今日この頃なのだ。


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