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2009.04.19

立直と利一

今、GyaOで、映画の「麻雀放浪記」を無料配信してる。5月1日までなので、観てみたい人は、そんなに慌てなくても大丈夫だ‥‥ってワケで、何の因果か、オトトイの日記で、「1万円もする平野レミの「レミパン」だって、アマゾンのレビューを読むと、多くの人が「大切に使ってたのに1年半でコーティング効果がなくなった」とかって書いてある」って書いたばっかなのに、この「麻雀放浪記」は、阿佐田哲也さんの小説を元にして、和田誠さんが脚本、監督をつとめた名作だ。ようするに、わずか3日の間に、和田誠、平野レミ夫妻が登場しちゃったワケだけど、これまた何の因果か、この2人が結婚したのは、あたしが生まれた1972年なのだ。

ま、ただそれだけのことなんだけど、和田誠さんと言えば、タバコの「ハイライト」のパッケージデザインを手掛けたことでもオナジミだし、あたしの場合は、中学時代に夢中になって読んでた、星新一さんのショート・ショートのイラストのほうが馴染み深い。そして、小学校の1年生の時に母さんからプレゼントしてもらって、本を好きになるキッカケにもなった1冊、「けんはへっちゃら」の絵も、和田誠さんだった。これは、去年の12月25日の日記、「きみこのおなら」に書いたけど、誰が書いた本なのか知らないまま大人になった。そして、去年のクリスマスに、お友達の子供にこの本をプレゼントする時に、あたしは、初めて、作者が谷川俊太郎さんで、絵が和田誠さんだったってことを知った。

もちろん、この本の表紙を見るたびに、谷川俊太郎さんと和田誠さんの名前は何度も目にしてたと思うけど、子供だったから、本の中身が面白かったことばかり記憶に残ってて、作者の名前は覚えてなかったのだ‥‥ってことで、和田誠さんは、あたしが生まれた年に結婚して、あたしが小学校1年生の時に大ウケした本の絵を描いてて、あたしが中学生の時に夢中になった本の挿絵も描いてて、オトトイには奥さんのフライパンのことを日記に取り上げちゃった上に、今日は脚本と監督を担当した映画「麻雀放浪記」について取り上げられちゃうってワケで、なんだか、あたしが和田誠さんのストーカーみたいな気分になって来た今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、和田誠さんが監督した映画「麻雀放浪記」は、1984年の作品だけど、敗戦直後の上野を舞台にしてることから、そのころの雰囲気を出すために、あえてモノクロで作られてる。主人公の「坊や哲」は真田広之、「ドサ健」は鹿賀丈史、「上州虎」が名古屋章、「出目徳」が高品格、「女衒(ぜげん)の達」が加藤健一、ドサ健の彼女が大竹しのぶ、麻雀クラブのママが加賀まりこ‥‥っていう、ソウソウたる顔ぶれの作品だ。

まだ17才で、学ランを着てる坊や哲は、ギャンブルに目がなくて、上州虎に連れられてチンチロリンの賭場に行ったり、イカサマを仕込まれて麻雀を打ちに行ったりするんだけど、これがまた、「二の二の天和(テンホー)」なんていう、あまりにもバレバレなイカサマを連発してみたり、ママから「元禄積み」なんかを教わったりと、昭和のワザが全開なのだ。清水健太郎の「雀鬼」のシリーズでも、「ぶっ込み」だの「ドラ爆」だの「ツバメ返し」だのって、昭和のワザがチョコチョコ出て来るけど、敗戦後の上野と、昭和40年代の新宿歌舞伎町とでは、雰囲気がぜんぜん違う。

何たって、「麻雀放浪記」のほうは、進駐軍のアメ公を相手に麻雀を打つワケで、ヒキョ~なアメ公は、負けてもピストルを突きつけてお金を払わない。ヤクザを相手に麻雀を打つ清水健太郎も大変だろうけど、負けたらピストルを突きつける上に、敗戦国のニポン人なんかいくら殺してもオトガメなしのアメ公のほうが、ヤクザなんかより遥かにタチが悪いだろう。

で、ドサ健に連れられてアメ公の溜まってる麻雀クラブに行った坊や哲は、アメ公が「リーチ!」って言ってるのを見て、「リーチって何ですか?」ってドサ健に聞く。ドサ健は「さあな、アメリカのルールじゃねえか?」って答える。つまり、このヤリトリが、作者の阿佐田哲也さんの創作じゃなければ、昔のニポンの麻雀には、「リーチ」がなかったってことになる。そして、ニポンが戦争に負けて、進駐軍に占拠されて、そんな中で、ヒキョ~なアメ公が自分たちに有利になるような麻雀のルールをゴリ押しして、それが、現在の「リーチ」の「はじめて物語」ってことになる。

‥‥そんなワケで、「クルクルバビンチョパペッピポ、ヒヤヒヤドキンチョのモ~グタン!」って呪文を唱えてみても、敗戦後の上野の様子を見に行くことができない「普通のお姉さん」のあたしとしては、この少ない情報から推測してみるしかないワケだけど、もしも「麻雀におけるリーチは進駐軍が持ち込んだルール」っていう仮説が正しければ、どうして「リーチ」って名称にしたんだろうか?ってことが気になって来る。

麻雀における「リーチ」の定義は、「門前(メンゼン)で聴牌(テンパイ)した場合には立直(リーチ)をかけることができる」ってことと、「立直(リーチ)をかけたら手牌の入れ替えはできなくなるが、和了(ホウラ)した時に役が1飜(イーハン)高くなる」ってことだ。後ろで誰も見てない一般の麻雀の場合には、自分が聴牌してなくても、誰かを下ろす目的で「ノーテンリーチ」をかけるケースもある。もちろん、これはルール違反だから、もしも誰も上がれなくて場が流れた場合には、手牌を晒して聴牌型を見せなきゃなんないから、ここでバレて8000点の罰符(バップ)を払うことになる。

だから、こうした特殊な状況を除けば、麻雀の「リーチ」ってのは、「あと1牌で和了できる形」じゃないとかけられないワケで、そう考えると、英語の「reach」の「(手を伸ばせば)届く」っていう意味を「和了」に対して用いたネーミングなんじゃないかって思う。ボクシングでも、腕の長さのことを「リーチ」って言うけど、これにしても、単に「腕の長さ」ってだけじゃなくて、「腕を伸ばせは届く距離」って意味を持ってるのだ。ちなみに、「Jonson&Jonson」の「リーチ」って歯ブラシも、最初は「今までの歯ブラシじゃ届かなかったような場所にまで簡単に届く」って意味で名づけられたそうだ。

‥‥そんなワケで、英語の「reach」を語源だとすれば、麻雀の「リーチ」は意味が通る。だけど、漢字で「立直」って書く中国語だと、ニポン語的には「立ち直る」とか「立て直す」って雰囲気になっちゃって、リトル違ったイメージになっちゃう。ま、中国語の場合は、おんなじ漢字でもニポンとは意味が違う場合も多い。たとえば、ニポンでは「レター」のことを指す「手紙」って言葉でも、中国だと「トイレットペーパー」のことを指す。だから、中国だと、「立直」が「あとちょっとで手が届く」って意味なのかもしれない。

ただ、英語の「reach」を語源だとすれば、中国の麻雀にも昔は「リーチ」がなくて、あとから逆輸入されたルールってことになり、英語の「reach」に発音が似てる漢字をアテたとも考えられる。そうなると、「立直」って漢字自体には深い意味はなくて、発音を重視したアテ字ってことになる。だけど、それなら、あたし的には、「利一」ってアテ字にして欲しい。これなら、「上がれれば利がある」って意味にもなるし、「一」の字がリー棒の千点棒に見えるからだ‥‥ってのはアトヅケの理由で、これは、明治から昭和にかけての小説家で俳人の「横光利一(よこみつ りいち)」の名前だ。

横光利一と言えば、代表作は紛れもなく「上海」ってワケで、中国にはちゃんとつながってるし、若くして結核で亡くなった奥さんの名前が「キミコ」ってのも、あたしには他人とは思えない。また、横光利一が上海で詠んだと言われてる俳句、「茉莉花の香指につく指を見る」も、正しくは「まつりかの こうゆびにつく ゆびをみる」って読むんだけど、あたしとしては、どうしても「まりはなの こうゆびにつく ゆびをみる」って読みたくなっちゃう(笑)

そんなこんなで、俳人としてもワリと好きな横光利一だけど、やっぱり、小説家としての才能がものすごい。あたしが初めて「上海」を読んだのは、高校生の時だったけど、あまりにも素晴らしくて、感動と興奮で体の震えが止まらなくなったことを覚えてる。今から80年も前の昭和初期に発表された小説なのに、こんなにもスピード感があって、こんなにもカッコ良くて、あたしをブルブルと興奮させてくれる小説があったなんて、ホントにビックル一気飲みだった。

当時、あたしは、いろんな本を読んでたんだけど、ちょうどこの時は、ウィリアム・バロウズの「裸のランチ」を読んだとこだった。「ビートニク文学の最高峰」だなんて言われてたから、さぞかし素晴らしい作品なんだろうと思って、ものすごく期待して読み始めたのに、単なるジャンキーのデタラメ小説で、完全に意味不明だった。ようするに、絵で言うところの「抽象画」の世界だったワケで、俳句でも「客観写生」を実践してたあたしとしては、小説でも絵でも音楽でも、この手のモノをありがたがる人たちの感覚は理解できなくて、とっても残念だった。せめて、アンソニー・バージェスの「時計じかけのオレンジ」くらいの壊れ具合なら、若者たちのスラングの「ナッドサット語」も世界観を楽しむためのエッセンスとして許容できるし、ストーリーもちゃんと理解できるのに。

‥‥そんなワケで、あたしは、バロウズの「裸のランチ」にガッカリしたあとに、横光利一の「上海」に出会ったワケで、だから、なおさら素晴らしく感じたのかと思ったんだけど、そうじゃなかった。それから今まで、何度となく読み返して来たけど、やっぱり、読むたびに新しい発見があるし、読むたびに引きずり込まれちゃうし、読むたびにブルブル震えるほど興奮しちゃう。ニポンが中国を支配してた時代に起こった上海での反日民族運動から、戦争前夜までを描いた小説なのに、まるで「近未来SF映画」みたいな、「ブレードランナー」みたいなノリで、あまりにも面白くて、1ページごとに引きずり込まれてく。そして、寝るのも忘れて夢中になって読みふけり、読み終わった時には、感動と興奮で体がブルブルと震えちゃって、それから数日は、まるで魂が抜けたみたいにボーッとしちゃう今日この頃なのだ。


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