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2009.05.24

終わりなきビステキ奇譚

さて、今日は、明日のモナコGPについて、道端ジェシカの視点から考察でもしてみるか‥‥なんて思ってたのもトコノマ、こんなメールが届いちゃったので、皆さん、もう1日、「ビステキ」の話にお付き合いして欲しい。


お名前:UH
コメント:きっこさん、はじめまして。数年前から楽しく読ませていただいております。大声で笑ったり、いろいろと考えさせられたり、学ぶことが本当に多く感謝しております。さて「ビフテキ」と「ビステキ」、ビフテキの語源はフランス語、ビステキはビーフステーキの略語と言うことで落ち着いたようですが、ちょっと気になったことがありましたのでメールさせていただきます。イタリア語では、ステーキやステーキ用の牛肉のことを「bistecca」(ビステッカ)と言います。フィレンツェ名物のTボーンステーキは「bistecca alla fiorentina」です。また、スペイン語でも「bistec」(ビステック)です。フランス語とイタリア語とスペイン語、同じロマンス語系ですから語源は同じだと思うのですが、「f」と「s」の違いは謎です。子音の発音が苦手なイタリア人やスペイン人、「f」が上手く発音できなくて「s」になっちゃったのでは?・・・と、これは私の勝手な憶測ですが。日本語になった「ビステキ」がビーフステーキの略なのかイタリア語が入ってきたものなのかはわかりませんが、「ビステキ」に相当する言葉がちゃんとあるというのは面白いな、と思います。長々と失礼いたしました。これからも日記を楽しみにしております。


UHさん、どうもありがとうございました♪‥‥ってことで、イタリア語で「ビステッカ」、スペイン語で「ビステック」ってことは、いかりや語だと「ダメだこりゃ!」ってワケで、ニポンで明治から大正にかけて使われてた「ビステキ」って言葉も、「ビフテキ」同様に、これらの外来語が語源だった可能性が濃厚ミルクの牧場しぼりって雰囲気になって来た今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、人間の記憶なんてアテにならないもんで、あたしは、とんでもない思い違いをしてたことに気づいちゃった。最初に「ビステキ」のことを取り上げた5月18日の日記、「美しく素敵な昔の言葉」の中で、あたしは、こんなふうに書いた。


(前略)あたしが初めて「ビステキ」って言葉を知ったのは、高校生の時だった。図書館で借りて来た夏目漱石の全集を順番に読んでたら、漱石が大学時代にイギリスへ留学した時のことをニポンにいる友人へ向けた手紙や日記の形で記してある「倫敦消息」っていう短編があって、その冒頭あたりに出て来たのだ。そして、それが、まったく前後の脈絡のない使われ方だったから、何のことだか分からなかった。たとえば、「吾輩は半ポンドもある大きなビステキをナイフで切り分け、その血の滴るような肉片をフォークで口へと運んだのだった」なんてふうに書いてあれば、この「ビステキ」が「ビフテキ」のことだって誰にでも分かるだろう。(中略)だけど、この短編には、こんなふうに書かれてるのだ。「僕のようなものがかかる問題を考えるのは全く天気のせいやビステキのせいではない天の然らしむるところだね」そして、ここから先には、二度と「ビステキ」は登場しないし、そのヒントになるような記述も登場しない。だから、あたしは、この「ビステキ」ってのが、いったいぜんたい何のことなのか、まったく分からなかった。それで、あたしは、当時の担任の先生のとこに聞きに行った。(後略)


‥‥で、UHさんのメールを読んだあたしは、まずは原典を読み返してみようと思って、「青空文庫」で夏目漱石の「倫敦消息」を読んでみた。そしたら、これが完全にあたしの記憶違いで、後半にも「ビステキ」が登場してて、それも、「食べ物」だって分かるように書かれてたのだ。


「そこで家を持って下婢(かひ)共を召し使った事は忘れて、ただ十年前大学の寄宿舎で雪駄(せった)のカカトのようなビステキを食った昔しを考えてはそれよりも少しは結構?まず結構だと思っているのさ。」


それで、約20年ぶりに「倫敦消息」を読んだあたしは、自分が大きな記憶違いをしてたことに気づいたのだ。この「倫敦消息」って、3つの章に分かれてるんだけど、当時のあたしは、最後まで読んでから先生に聞きに行ったんじゃなくて、1章を読み終わったとこで、どうしても冒頭に出て来た「ビステキ」の意味が気になって、「このままじゃ先へ読み進められない」って気持ちになって、途中で先生に聞きに行ったんだった。それで、2日後に、先生から「これはビフテキのことで、漱石の時代にはビステキって呼んでたそうだ」って教えてもらって、また最初から読み始めたんだと思う。そして、まだ読んでなかった2章に入ったら、さっきの「雪駄のカカトのようなビステキを食った」って部分が出て来て、「ああ、先生の教えてくださった通りだ」って納得したんだった。

それなのに、あたしは、どこでどう思い違いしちゃったのか、ぜんぜん違うふうに記億してた‥‥つーか、18日の日記を書く時に、問題の個所の文章を正しく引用するために、わざわざ「青空文庫」で「倫敦消息」を探したのに、問題の冒頭の個所だけチェキして、そのまま閉じちゃったのだ。その時点では、まさか、自分の記憶が違ってるなんて思ってなかったから、日記を書くのに必要な部分だけが分かればいいって思ってた。で、さっき、UHさんのメールを読んで、その流れで「念のために原典にあたってみよう」って思って、20年ぶりに読んでみたら、「あっ!」ってことになったってワケだ。

‥‥そんなワケで、UHさんのメールのオカゲで、「ビステキ」の真実への扉が開いたってだけじゃなくて、あたしがずっと思い違いしてたことにも気づき、こうして、訂正することもできたのだ。それにしても、いつもは漢字の変換ミスをしただけでも、翌日には何十通ものツッコミのメールがドバッと届くのに、今回は、18日の日記をアップしてから5日も経つのに、この件に関しては、1通もツッコミのメールが来なかった‥‥ってことは、誰も「倫敦消息」なんて読んでないのかな?

ま、あたし自身も、「吾輩は猫である」とか「坊ちゃん」とか「三四郎」とか「こころ」とか「草枕」とかは大好きで何度も読んでるけど、この「倫敦消息」を始めとした短編のほとんどは、「学生のうちに一度は読んどかなきゃ社会人になってから恥をかいちゃう」なんていう不謹慎な気持ちで、一応、目を通したってレベルの読み方だった。だから、細かい内容なんて覚えてないし、今回みたいな思い違いをしちゃったんだと思う。とにかく、あたしにとっての「倫敦消息」は、「ビステキ」っていうヘンテコな言葉を初めて知った作品‥‥てだけの位置づけでしかなかったのだ、UHさんからメールが届くまでは‥‥。

なんて、ちょっとカッコつけた言い回しを使ってみたけど、UHさんからのメールで、「ビーフステーキ」のことをイタリア語で「ビステッカ」、スペイン語で「ビステック」って言うことを知ったあたしは、夏目漱石が「ビステキ」って言葉を使ってた背景を確認するために、20年ぶりに「倫敦消息」を読んでみたワケだ。で、今度はシッカリと最後まで読んでみたんだけど、漱石が留学してたのは、タイトル通りにイギリスのロンドンだし、他に登場する食べ物は、「オートミール」だけだった。そして、他に登場する外国語は、どれも英語だった。

それで、ここで何よりも問題なのは、「ビーフステーキはイギリスで誕生した」ってことなのだ。ビーフステーキの歴史を調べてみたら、1700年代の初めに、イギリスのロンドンで誕生して、それから周りの国々へと広まって行ったそうだ。つまり、フランスの「ビフテック」にしても、イタリアの「ビステッカ」にしても、みんな語源はイギリスの「ビーフステーキ」ってワケで、そのイギリスのロンドンに留学してた漱石が、「オートミール」を始めとした他の言葉はぜんぶ英語を使ってるのに、ロンドンが発祥の「ビーフステーキ」だけ、何で英語で言わないんだろう?‥‥ってことになる。

漱石が文部省に命じられてロンドンに留学したのは、ちょうど1900年の9月、33才の時だった。それから約2年間、1902年の12月まで留学してて、その間、いくつかの下宿を転々としてた。だけど、どこの下宿に移ろうとも、ロンドンなんだから母国語は英語で、「ビーフステーキ」は「ビーフステーキ」だろう。調べてみたら、漱石は、留学した年の1900年に、パリの万国博覧会を観に行ってたことや、1902年にスコットランドを旅行してたことが分かった。

だから、もしも、パリに行った時に、漱石が「ビーフステーキ」を食べてたとしたら、フランス語の「ビフテック」だったワケで、ここでフランス語にカブレたんだとしたら、「ビステキ」じゃなくて「ビフテキ」って書いてるハズだ‥‥って、これじゃいつまで経ってもラチが明かないから、頭脳は子供でもベッドでは大人、迷探偵キッコナンに登場してもらったら、キッコナンは、開口一番にこう言った。


「きっこさん、行き詰った時には逆転の発想が大切よ!漱石が留学した時のことを調べても謎が解けないのなら、今度は帰国した時のことを調べてみるといいわ!」


ふむふむ、サスガ、キッコナンだ。何の根拠もないのに、ヤタラと説得力だけはある。それで、あたしは、さっそく、漱石が帰国するに至った経緯を調べてみた。そしたら、ナナナナナント! ビフテックを一気食いしちゃうほどのことが分かったのだ!

漱石は、もともとヒステリー体質で、精神的に自分を追い込んじゃうようなとこがあったんだけど、このイギリス留学中には、東洋人てことで、いろんな場面で酷い人種差別を受けてたのだ。漱石は、身長が156cmで、当時のニポンでも小さかったほうだったから、イギリスでは、東洋人の上に身長も低いってことで、ことあるごとにイジメられたりしてた。それで、下宿を転々としたり、旅に出たりと、いろいろがんばってたんだけど、とうとう精神的にギリギリのとこまで追い詰められて、誰にも会いたくなくなって、部屋に引きこもっちゃった。そして、これに尾ヒレがついて、「とうとう精神の病気になった」っていうウワサ話がニポンの文部省の耳に入っちゃった。それで、文部省は、当初の予定を変更して、急きょ、漱石に帰国を命じたのだ。

こうした状況を踏まえて推理すると、漱石にとってのイギリス留学は、必ずしも楽しいものじゃなかったワケで、それどころか、言われもない人種差別を受けてたんだから、イギリス人どもにムカついてたってワケだ。そうなって来ると、「ビーフステーキ」の発祥の地であるロンドンにいた漱石としては、周りのイギリス人たちが、まるで自分たちのステータスの1つであるかのように自慢してた「ビーフステーキ」のことをワザと他国語で呼んでやるってのも、ある意味、遠まわしの皮肉みたいな意味を持つ。だから、漱石は、ワザとイタリア語の「ビステッカ」から生まれた「ビステキ」って言葉を使ってたんじゃないのか?‥‥ってことだ。

漱石は、この「ビステキ」に対して、「倫敦消息」の中では「雪駄のカカトのようなビステキ」って書いてるし、もう一編、「一夜」っていう短編の中でも、ヘタクソな音楽の演奏に対するヤジのような言葉として「ビステキの化石を食わせるぞ」ってセリフを使ってる。どちらも、食べ物の比喩としてはマイナスのイメージを持つ表現だ。決して、美味しそうな食べ物、豪華なご馳走としては描いてない。これって、もしかすると、自分を差別したイギリス人たちへの屈折した感情なんじゃないだろうか? たとえば、韓国人を嫌ってる他国人が、「キムチ」をバカにしたような表現を使うように。

そして、小説の上では、こうして「ビステキ」を卑下したような書き方をしてる漱石だけど、実際には、「ビステキ」は大好物だったみたいで、ニポンに帰って来てからも、奥さんや子供を連れて洋食屋さんに通い、自分だけ「ビステキ」を注文して、あーだこーだとイギリス式のテーブルマナーのウンチクを傾けながら、美味しそうにムシャムシャと食べてたそうだ。あたしは、これが、嫌いな民族の食文化を「吾輩が食い尽くしてやる!」って態度に思えてならないのだ。

‥‥そんなワケで、ジョジョに奇妙に着地点が見えなくなって来た「ビステキ」の話題だけど、もしも「ビステキ」って言葉がイタリア語の「ビステッカ」から生まれた言葉だとしたら‥‥って想定の上で推測すると、こんな感じの結論に達したってワケだ。もちろん、何の証拠もない推測にすぎないけど、お仕事から帰って来て、わずか1時間半で、インターネットと自宅にある本だけで調べられるのは、こんなとこなのだ。あとは、今度、図書館に行った時に、いろいろと調べてみて、何か新しいことが分かったら、もっと本格的に取り組んでみようと思う今日この頃なのだ。


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