異性愛特権という傲慢
今、GyaOのアニメコンテンツで、「落語天女おゆい」を配信してる。毎週土曜日に2話ずつ配信してて、今は4週目なので、7話と8話を配信してる。ま、ぜんぶで12話しかないから、あと2週間で終わっちゃうんだけど、あたしは、ちゃんと最初から観てる。テレビ東京で深夜に放送してた時は、単体で2回くらいしか観たことがなくて、どんな話なのかチンプンカンプンだったから、今回は、ちゃんと1話から観てるってワケだ。
だけど、「美少女戦隊モノ+落語」っていう、あたしの大好物が2つも合体してるから、さぞかし楽しめるアニメだと思ってたのもトコノマ、ちゃんと観てみたら、あまりにもデタラメがマウンテンで、5話と6話を観た先週の段階で、すでに観る気が失せちゃった。でも、あたしは、アベシンゾーやフクダちゃんとは違って、モノゴトを途中で投げ出すことが大嫌いなので、今週の7話と8話もがんばって観た。そしたら、これがまた最悪な内容で、本気で続きを観る気が失せちゃった。
ここんとこ、「サムライチャンプルー」「電脳コイル」「十二国記」「ミチコとハッチン」て、オリジナリティーあふれる素晴らしいアニメばっかり観て来たもんだから、こういう完全パクリの上にツジツマの合わない雑なアニメを観ると、なんだか、制作サイドのあまりの志の低さに、怒りを通り越して悲しくなって来る。ま、「美少女戦隊モノ」って時点で、「セーラームーン」や「プリキュア」をパクッてることは仕方ないんだけど、あまりにもストーリーがデタラメで、薄っぺらで、何ひとつ感心できる点がない。
その上、「落語芸術協会創立75周年記念作品」とかで、歌丸や小遊三も登場するんだけど、みんな実物より何倍も美男子に描かれてて、あまりにも違和感が爆発してる。ま、歌丸本人や小遊三本人が声優をやってるから、あんまり酷い絵を本人に見せるワケには行かなかったのかもしれないけど、顔が美男子に描かれてるだけならともかく、髪の毛がフサフサな歌丸なんて、あまりにもムリがありすぎる。こんなオベンチャラをしてまで、制作サイドはそんなに座布団が欲しいのか?‥‥なんてツッコミを入れてみた今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?
‥‥そんなワケで、ホントのことを言うと、あたしが「落語天女おゆい」に対して本気で頭に来た点は、一点しかない。ストーリーが破綻してるのも、歌丸や小遊三が美男子なのも、そんなこたーどうでもいい。所詮はアニメなんだから、この辺のことは、「この程度のレベルの作品なのか」って思って観ればいいだけのことだ。で、あたしが頭に来てんのは、このアニメには、実在した人物の「平賀源内」が登場するんだけど、これが、「異性愛者」として描かれてるって点だ。
平賀源内と言えば、多くの人が知ってるように、同性愛者だ。当時の言葉で言えば「男色家」ってワケで、歌舞伎役者の二代目瀬川菊之丞とイイ仲だったこともよく知られてる。それなのに、いくらテキトーに作ったアニメだとは言え、その平賀源内が、現代から江戸時代にタイムスリップして来た美少女の中の1人、アキラちゃんにひと目惚れしちゃって、顔を真赤にしてメロメロになり、挙句の果てには、敵の妖術を受けて眠ったままになっちゃったアキラちゃんを目覚めさせるために、抱き上げてキスまでしちゃうなんて、あまりにも酷すぎる。
それも、まるで「ど根性ガエル」の寿司屋の梅さんがヨシコ先生にアタックを繰り返すみたいなノリで、毎回毎回、周りのメンバーからハヤシ立てられたりして、あまりにも無神経すぎる。さらに、第8話では、パワーを使い果たして気を失ったアキラちゃんに対して、平賀源内が彼女の手を握って叫ぶと、彼女は天女として目覚めちゃったのだ。ようするに、本線のストーリーとは無関係な部分で、くだらない枝葉として「平賀源内がアキラちゃんに片思いしてる」って小ネタが散りばめられてるとかの「許されるレベル」じゃなくて、この2人の恋愛が、思いっきり本線のストーリーに関わってるってワケだ。
‥‥そんなワケで、この「落語天女おゆい」は、江戸時代の幕末が舞台になってる。西暦で言えば、1850年くらいになる。一方、平賀源内は、おんなじ江戸時代でも、幕末から100年ほど前の1750年くらいに活躍した人だ。で、このアニメの原作を書いた人も、こうした時代背景をキチンと調べてから書いたみたいで、現代の美少女たちが江戸の幕末へタイムスリップしたと同時に、平賀源内も、自分の発明したタイムマシンみたいなので、1750年から1850年の幕末へとタイムスリップして来て、そこでアキラちゃんと出会う‥‥ってなってる。つまり、こうした部分に関しては、ちゃんとツジツマが合うように書かれてる。
それなのに、ここまで細く設定しておきながら、平賀源内のセクシャリティーに関しては、完全に本人の嗜好を無視して描かれてるのだ。セクシャリティーってのは、その本人を描く上で絶対に譲れないキャラクターの1つなのに、それを無視するってことは、本人に対する冒涜とも言える。たとえば、たかがアニメであっても、「アンディー・ウォーホル」って名前の芸術家を登場させるのであれば、わざわざ同性愛者として描く必要はないとしても、あえて異性愛者として描くってのは、本人に対する冒涜でしかない。これとおんなじことだ。
あたしの大好きな「機動新撰組 萌えよ剣」にも、平賀源内が出て来る。こっちは、機動新撰組の中で数々の武器や装備を発明するって役割だけど、ちょっと女性的なやさしい風貌で、美女ばかりの機動新撰組の中にいても、特定の女性に対して恋愛感情を持ったりすることはない。テレビ版のアニメのほうでは、ナニゲに土方歳絵ちゃんのことを気にかけてるような素振りを見せるけど、これにしたって、実は「土方歳絵ちゃん型のロボットを作るための観察」だったっていうオチがついてる。
「機動新撰組 萌えよ剣」だって幕末が舞台なんだから、タイムマシンも使わずに100年も前の平賀源内がいること自体にツジツマが合ってない。だけど、こんなことは、アニメなんだからどうでもいいことだ。だけど、このアニメの中で、平賀源内が特定の女性に好意を示してたら、ものすごく違和感を覚えちゃう。ようするに、アニメに実在した人物を登場される時には、たかが100年や200年の誤差なんて気にならないけど、セクシャリティーを始めとした個有の設定はすごく気になるってことだ。
‥‥そんなワケで、異性愛者の人から見たら、あたしが何を怒ってるのか理解できないかもしれないけど、それなら、逆のパターンにして想像してみて欲しい。異性愛者のあなた(男性)が、何らかのことで世の中に名前を残して、亡くなったとする。そして、その100年後か200年後に、あなたの名前のキャラが同性愛者としてアニメに登場して、男同士で抱き合ったりキスしたりしてるってことだ。あなたが普通の感覚を持ってれば、「オレの名前を勝手に使うのはいいけど、それならそれで、オレのセクシャリティーは正しく描いてくれよ!」って思うハズだ。
「異性愛者」ってのは、単なる1つのセクシャリティーにしか過ぎないのに、自分たちがマジョリティーであることをいいことにして、「異性を愛することが普通」っていう現在の世の中の歪んだ状況に甘んじちゃってるのだ。だから、マイノリティーである同性愛者の気持ちなんて分かろうともしないし、同性愛者の立場に立ってモノゴトを考えることもしない。だけど、人間ていう生き物が、集団を形成しないと生きて行けない以上、今、その集団の中で生かされてる以上、セクシャリティーに限らず、どんなカテゴリーにしても、常にマイノリティーの立場に立って考えることが重要だと思う。
こないだ、風刺漫画家の壱花花(いちはなはな)さんのブログ、「漫画漫文」で、「異性愛特権」ていう興味深いエントリーを読んだ。「異性愛特権」について書いてるお友達のマサキチトセさんていう人のブログを紹介してるものだったんだけど、あたしは、胸に迫るものがあった。ザクッと言えば、世の中のマジョリティーである異性愛者たちが、異性愛者のために作られた社会の中で、ごく当たり前のこととして無意識に行なってることの多くが、マイノリティーである同性愛者から見れば、まさに「特権」とも呼べるようなことである‥‥ってことだ。英語の原文は「Heterosexual Privilege」だけど、マサキチトセさんの訳を一部だけ引用させてもらうと、こんな感じだ。
「異性愛特権」
日々の生活の中で異性愛者は:
雑誌を手に取ったり、映画やテレビ番組を見たり、劇場に行ったり音楽を演奏したりするとき、自分の性的指向が表現されているだろうという確信がある
自分が他の人へ持つ恋愛感情は、普通でまともだと信じて育って来ている
「セックス」が異性愛のセックスであるとか、「家族」が異性愛の夫婦に子供がいる状態を表す、という考えが、友人たちとの日常会話において当然のように想定されている
友人や家族に自分の性的指向を知られることを恐れていなかったし、だから隠すこともなかった
もし家族や友人に自分の性的指向がバレたときに経済的、感情的、身体的及び精神的に追いやられるかもしれないという恐怖感がない
全ての異性愛者を代表して意見を聞かれることはない
自分の性的指向を理由として誰かに嫌がらせを受けたり暴行を受けたりすると恐れることはない
異性愛者と呼ばれずに何ヶ月も過ごせるし、悪意を持って異性愛者と呼ばれることはないし、人は自分の性的指向についてネガティブな意味を持つ言葉ではなく、ポジティブな言葉を使って表現することができる
法的な手助けや医療の手助けが必要な時、まさか自分の性的指向によってそれが困難になるとは思わない
パートナーと公の場で手をつないだり、空港でキスをしてお別れをしたりしても、ジロジロ見られたり、ヒソヒソ話をされたり、罵倒されたり暴行を受けたりしない
公の議論を経なくともパートナーと結婚出来るし、それによる社会的、法的、そして経済的な恩恵を受けることができる
「異性愛特権」
http://d.hatena.ne.jp/cmasak/20090420/1240163778
‥‥そんなワケで、ここには一部だけを引用させてもらったけど、これを読んだだけでも分かるように、異性愛者たちが何も考えずに普通にやってることの数々が、同性愛者にとっては、どんなに手を伸ばしても届かない「特権」のようなものだってことだ。もちろん、あたしだって、民主主義の基本くらいは分かってるけど、いくらマイノリティーだからって、マジョリティーの嗜好を押しつけられるイワレもなければ、それを拒否する権利だってある。
たとえば、劇場版の「エヴァンゲリオン」のタイトルが「ヱヴァンゲリヲン」て表記されてるけど、旧仮名には拗音や促音は存在しないんだから、「ヱ」っていう旧仮名を使う以上は、「ァ」は「ア」って表記しないと成り立たない。ようするに、これは、中学生レベルの国語の知識もない人が、ロクに調べもしないでテキトーに書いたタイトルってことで、見るほうとしては、タイトルを書いた人の無知を笑うだけで済む。
たとえば、今、ヤフーのアニメで配信してる「イヴの時間」ていうアニメがあるんだけど、これには「女性型アンドロイド」っていうアリエナイザーな言葉が何度も登場する。「アンドロギュノスの背中」を読んだ人ならご存知のように、「アンドロイド」ってのは「男性のようなもの」って意味で、それが転じて「男性型の人造人間」て意味になった。そして、「女性型の人造人間」のことは「ガイノロイド」とか「ギュノスロイド」って呼ぶ。だから、「女性型のアンドロイド」って言い方は、「猫型の犬ロボット」って言ってるようなもんで、見るほうとしては、原作を書いた人の無知を笑うだけで済む。
‥‥そんなワケで、所詮はアニメなんだから、デタラメな歴史認識が散りばめられてたって、デタラメな仮名遣いが炸裂してたって、デタラメな言葉が乱発してたって、こっちは「そんなレベルでテキトーに作られた作品なんだな」って受け取ればいいだけの話だ。現に、あたしの大好きな「機動新撰組 萌えよ剣」のテレビ版アニメだって、タイトルの仮名遣いの多くがデタラメだ。前にもツッコミを入れたけど、たとえば11話のタイトルなんて、正しくは「契りたがへどいたづらに」って表記すべきとこを「契りたがゑどゐたずらに」だなんて、こんな短い中で3ヶ所も間違えてる。だけど、所詮はアニメなんだから、こうした低レベルの間違いに対しては、書いた人の無知を笑うだけでいいと思うし、アニメはアニメとして楽しめばいいと思う。だけど、今回の「落語天女おゆい」のように、実在した人物の名前を勝手に使っておきながら、その人のセクシャリティーをネジ曲げて描くなんて、絶対に許されないことだ。いくら過半数以上の人たちが動物の肉を好きだからって、食べたくないあたしの口にムリヤリに押し込まれたらたまんない。これとおんなじことで、同性愛者だった平賀源内のことを異性愛者としてアニメに登場させて、若い女性に夢中になるだらしない発明家を演じさせるなんて、これこそがマジョリティーの傲慢以外のナニモノでもないと思った今日この頃なのだ。
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