ヒョウタンからソフトクリーム
ニポンの国民食である「納豆」の起源には、年代も場所も人物も諸説ある。一番古いとこでは、琵琶湖のほとりで仏像を完成させた聖徳太子が、その帰りに、馬に食べさせるために豆を茹でて、それを藁(わら)に包んでおいたら納豆になっちゃったって説かある。これがホントなら、聖徳太子なんだから、西暦で言えば600年ころってワケで、納豆の誕生は今から1400年も前ってことになる。
次は、源義家が、戦の最中に煮豆を藁で包んで持ち歩いてたら、戦が長引いて納豆になっちゃったって説。これだと、西暦1100年ころだから、今から900年ほど前だ。そして、光巌法皇から煮豆をいただいた村人が、大切に少しずつ食べてるうちに残りが発酵して納豆になったって説。これだと西暦1300年ころなので、700年ほど前ってことになる。
それから、加藤清正が、朝鮮出兵の時に、馬に積んでた大豆が馬の体温で発酵して納豆になっちゃったって説。これなら、西暦1600年ころだから、わずか400年ほど前ってことになる。そして、この説がホントだとしたら、加藤清正は熊本から朝鮮に渡ったんだから、熊本県が「納豆発祥の地」ってことになるんだけど、熊本県とは正反対の秋田県は仙北郡美郷町に「納豆発祥の地」の碑が建ってる。そして、もちろん、茨城県の水戸市も「納豆発祥の地」を名乗ってる。
だから、どれがホントか分からないし、どれもがホントなのかもしれない。冷蔵庫のなかった時代のことだから、「煮た大豆が藁についてた菌で発酵した」ってことが、時代も場所も超えて、アチコチで起こってたのかもしれないからだ。さらに言えば、聖徳太子よりも数百年も前の弥生時代に納豆が食べられてたって説もあるから、納豆の誕生については、正確なことは何も分かってない。ただ、1つだけ言えることは、どの説がホントだったとしても、最初から、煮た大豆を菌によって発酵させようとしたワケじゃないってことだ。つまり、納豆は、偶然の産物として生まれたってことになる今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?
‥‥そんなワケで、もっと細かいことを言うと、納豆菌じゃなくて、麹菌を使って作る「塩辛納豆」なら、紀元前の中国でも作られてたし、ニポンでも西暦1000年くらいの文献に記録がある。だから、源義家や加藤清正よりも前から納豆自体は存在してたことになる。だけど、現在の主流の「糸引き納豆」に関しては、やっぱり、場所や時代はともかくとして、偶然の産物として生まれたんだと思う。納豆より遥かに歴史があると思われる「お酒」にしても、一番最初は偶然の産物として生まれたワケで、一定の糖度を持つ液体が酵母菌によって発酵してお酒になるなんてメカニズムは、お酒が誕生してずっとアトになってから解明されたことなのだ。
あたしは、こういうのって、「ヒョウタンから駒」の最たるものだと思う。だって、普通なら腐って食べられなくなっちゃうとこなのに、目に見えない菌の力によって、発酵っていう不思議な現象が起こって、そのまま食べるよりも遥かに美味しくて栄養価も高い食べ物に変化しちゃったり、飲めば楽しい気分になるお酒が出来上がっちゃうなんて、これほどの「ヒョウタンから駒」はないだろう。
発明王のトーマス・エジソンは、「失敗は成功の母」って言ったし、第35代アメリカ合衆国大統領、ジョン・F・ケネディの弟のロバート・ケネディは、「大失敗した者だけが大成功を収める」って言った。2002年にノーベル化学賞を受賞した島津製作所の田中耕一さんも、失敗したことがノーベル賞への道につながったって言ってる。だから、あたしは、失敗を恐れずに、いろんなことにチャレンジしてみることは大事だと思うし、失敗することを恐れてたら、何も始まらないと思ってる。
でも、正直なことを言えば、これは「キレイゴト」であって、誰だって失敗なんかしたくないのが本音だろう。ドMでもない限り、普通の感覚の人が理想とするのは、やっぱり「失敗せずに成功する」ことだと思う。大学受験を例にとれば、二浪も三浪もしてようやく合格するよりも、誰だって現役合格のほうがいいに決まってる。そして、2番目に位置するのが、「浪人しても希望校に合格する」、つまり、この「失敗を乗り越えての成功」ってパターンだろう。だけど、みんながみんな、エジソンや田中耕一さんのような「選ばれし者」じゃないんだから、多くの人は「何度も失敗したのに結局は成功しなかった」ってパターンに陥るのが現実だ。
正直者のあたしは、「失敗は成功の母」なんていう現実味の薄いキレイゴトよりも、「ヒョウタンから駒」とか、「棚からボタモチ」とかの、満員のパチンコ屋さんで、たまたま空いた台に座ったら5回転で確変‥‥みたいなほうが好きだ。そして、遥か昔に、どこかの誰かが、煮た大豆を藁に包んで持ち歩いてて、それが「ヒョウタンから駒」で納豆になっちゃったように、このあたしも、煮たような大豆‥‥じゃなくて、似たような出来事があったのだ。
‥‥そんなワケで、あたしが小学校5年生の時、母さんがジューサーミキサーを買って来た。寝たきりのおばあちゃんのために、リンゴジュースやバナナジュースを作るのが目的だった。そして、母さんは朝早くから夜遅くまで働きづめだったから、おばあちゃんにジュースを作るのは、あたしの役目になった。もちろん、あたしは、大好きなおばあちゃんのために何かできることは嬉しかったけど、それだけじゃなくて、このジューサーミキサーって機械を使えることが、ものすごく嬉しかった。
それまでは、リンゴの皮を剥いて、4つに切って、おろし金を使っておろしてた。それで、そのまま「おろしリンゴ」としてスプーンで食べてもらったり、布巾で搾って「リンゴジュース」にして飲んでもらったりしてた。この作業も、あたしの役目だったんだけど、おろし金だと時間が掛かる上に、リンゴばかりになっちゃって、おばあちゃんも飽きて来るし、作ってるあたしのほうも飽きてきちゃってた。
そんな時に、母さんが、ジューサーミキサーを買って来たのだ。今でもハッキリと覚えてるけど、フタが黄緑色だった。それで、買って来た日に、母さんと一緒にお台所で試してみたんだけど、母さんも使うのは初めてだったから、大変なことになっちゃったのだ。台座にカップ部分をセットして、コンセントを入れて、テキトーに切ったリンゴを入れて、母さんがスイッチに指を伸ばした。あたしは、ワクワクしながら見てた。そして、母さんがスイッチを入れた瞬間、ガガーッ!って鳴りながらカップ部分がふっ飛んじゃったのだ!
今から25年も前のジューサーミキサーだったから、モーターの振動が激しくて、スイッチを入れる時には、カップ部分を上からシッカリと押さえとかないとダメだったのだ。ま、そんなこんなもありつつ、2回目からは無事に使えるようになったんだけど、あたしは、この時のことがトラウマになったみたいで、現在の振動が少ない高性能なジューサーミキサーでも、使う時には、必ずフタの部分を上からギューッと押さえてないと恐くてしょうがない大人になっちゃったのだ。
‥‥そんなワケで、当時のあたしにとってのジューサーミキサーは、原始人が初めて「火」を手に入れた時のような状態で、楽しくて楽しくてたまんなかった。たとえば、リンゴジュースひとつとっても、今まではリンゴを擦って搾っただけの「リンゴの搾り汁」だったのに、この文明の機器を手に入れてからは、他の果物をミックスしたり、ハチミツを混ぜたりと、いろんなことができるようになり、デパートの屋上の売店で飲むフレッシュジュースとおんなじような美味しいジュースを作れるようになったからだ。
そして、何よりも嬉しかったのが、「バナナジュース」を作れるようになったことだった。バナナをテキトーに切って入れて、お砂糖をちょこっと入れて、牛乳を入れて、あとはフタを押さえてからスイッチを入れれば、アッと言う間にバナナジュースができた。これは、ジューサーミキサーがないとできなかったことだから、ホントに嬉しかった。おばあちゃんも喜んでくれたし、あたしも、こんなに美味しいものを自分ちで作れるようになったことが、ものすごく嬉しかった。
それから、しばらくして、夏になった。夏になると、当時の我が家では、バナナアイスを作ってた‥‥って言っても、バナナの皮を剥いて、割り箸を1本刺して、バナナの部分にラップを巻いて、それを冷凍庫で凍らせるだけなんだけど、あたしにとっては、夏だけに許された大好物のオヤツだった。で、ある日のこと、あたしは、バナナアイスを食べようと思って、冷凍庫から取り出した時に、頭の上で、100ワットの電球がパッと光ったのだ。
「この凍ったバナナを使って、バナナジュースを作ったら、いつもより冷たくて美味しいかもしれない」
それで、あたしは、すぐに実験に取り掛かった、凍ったバナナから割り箸を抜いて、包丁でいくつかに切った。そして、ジューサーミキサーに入れて、お砂糖をちょこっと入れて、牛乳を入れて、フタを押さえてスイッチを入れた。そしたら、これが、いつもの「やわらかいドロッとした感じ」とは違って、シャーベットみたいな「シャリシャリ感のあるドロッとした感じ」になって、この世のものとは思えないほどの美味しいジュースが完成しちゃったのだ。
あまりの美味しさにコーフンしちゃったあたしは、すぐにおばあちゃんにも持ってったんだけど、おばあちゃんは、冷た過ぎるのがダメだったみたいで、いつものバナナジュースのほうがいいって言った。でも、あたしにとっては、もう今までのバナナジュースなんか飲めなくなっちゃうほど美味しかったから、この時から、あたしは、自分のぶんだけは、凍らせたバナナを使って作ることにした。
でも、あたしにとっては「世紀の大発見」だったけど、いくら美味しいって言っても、バナナにしても牛乳にしても、おばあちゃんのために母さんが買って来るんだから、あたしが自分のためだけに自由に作ることはできなかった。それまでは、おばあちゃんのためにバナナジュースを作る時に、ちょっと多めに作って、それをあたしのぶんとして飲んでたから、ワリとヒンパンに飲むことができたんだけど、凍らせたバナナで作る場合には、あたしのためだけに作るワケだから、せいぜい1週間に1回がイイトコだった。
だけど、タマにしか飲めないからこそ、より美味しく感じるワケで、母さんが「明日の日曜日はバナナジュースを作って飲んでもいいよ」って言ってくれた時には、あたしは、皮を剥いてラップで包んだバナナを冷凍庫に入れて、ワクワクしながら眠りについた。そして、次の日に、おばあちゃんのためのノーマルのバナナジュースを作ったあとに、自分のためにシャリシャリ感のあるバナナジュースを作って、心ゆくまで楽しんでた。
‥‥そんなワケで、ついに、運命の日がやって来た。この日は、おばあちゃんが数日前から病院に入院してて、お家にはあたし1人だった。あたしは、前日の夜に、母さんから「バナナジュースOK」の許可をもらってた。そして、この日は、冷凍庫の中に、凍ったバナナが何本も入ってた。おばあちゃんが急に入院することになったから、おばあちゃんのために買っておいたバナナが傷んじゃうからって、母さんが「ぜんぶ凍らせとく」って判断をしたからだ。
そして、あたしの「バナナジュース大作戦」がスタートした。あたしは、こんなにいっぱい凍らせたバナナがあるんだからに、いつもよりたくさん作ってもいいんじゃないかって思って、バナナを2本使うことにした。一瞬、「怒られちゃうかな?」って思ったんだけど、目の前の誘惑には勝てなかったのだ。それで、あたしは、テキトーに切った2本ぶんの凍ったバナナをジューサーミキサーに入れて、お砂糖をいつもの2倍くらい入れてから、冷蔵庫を開けて牛乳のパックを手にした。
「えっ?」
あたしは、一瞬、牛乳のパックを持ったまま、全身がフリーズしちゃった。1リットルの牛乳のパックは、予想に反して軽かったのだ。とりあえず、コップに牛乳を出してみたら、小さなコップに8分目ほどしかなくて、量にすると150ccくらいしかなかったと思う。バナナ1本でも牛乳は300ccくらい必要なのに、2倍のバナナを使ってるのに150ccしかないなんて、これじゃあバナナジュースは作れない‥‥。
あたしはお金を持ってなかったから、急いで牛乳を買いに行くこともできないし、こりゃあ困ったぞ‥‥ってことで、あたしが考えたのは、とりあえず、あるだけ牛乳を入れて、足りないぶんはお水を入れるって作戦だった。だけど、もしもまずくなっちゃったら取り返しがつかないから、まずは少ない牛乳だけで作ってみて、それから、味見をしながらお水を足してくことにした。そして、あたしは、コップの牛乳を入れて、フタを押さえて、スイッチを入れた。
ガガーッ!ガガーッ!
中の様子を見ながら、いつもより慎重に、何回かに分けてスイッチを入れたら、思ったよりもちゃんとバナナはドロドロになったし、何だかイイ感じになった。それで、あたしは、フタを開けてみたら、ジュースの水面が平らになってなくて、ニョッキリと盛り上がってたのだ! そして、盛り上がってる部分を恐る恐る指で取り、ペロッと舐めてみたら、ナナナナナント! ソフトクリームだよ!これ!
‥‥そんなワケで、あたしは、「ヒョウタンから駒」で、ソフトクリームを作り出してしまったのだ。それも、遊園地の売店で売ってるみたいな甘ったるいのじゃなくて、ビミョ~なシャリシャリ感があって、美味しい上に爽やかで、まさに、あたしの理想するソフトクリームだったのだ。まるで、どこかの高原に来てるみたいな気分で、あたしは、夢中になって食べ続けた。
それからのあたしは、より美味しいソフトクリームを完成させるために、いろいろと実験を繰り返した。中学生になってからは、バニラエッセンスを買って来て、2~3滴、垂らしてみたりもした。だけど、これは、バニラのソフトクリームじゃなくて、バナナのソフトクリームだから、バニラエッセンスは入れないほうが美味しかった。そして、試行錯誤の末に辿り着いたのが、あたしの考案した究極のデザート、「長崎皿ソフト」だ。
凍らせたバナナ2本ぶんを細かく切って、大さじ1杯のお砂糖と、牛乳150ccと一緒に、ジューサーミキサーにかける。つまり、この部分は、小学生の時の「偶然」のままがベストだったワケだ。そして、カレーやシチューに使うお皿に、コーンフレークを全体的に敷く。これは、お砂糖が入ってないノーマルのコーンフレークじゃないとダメだ。そして、その上に、出来上がったバナナソフトをぜんぶ乗せてから、コーンフレークの部分がヒタヒタになるくらい牛乳を入れる。これで完成だ。あとは、牛乳とコーンフレークとバナナソフトとをイイ感じにスプーンですくって、パクッと食べるだけだ。
ようするに、コーンフレークは、ソフトクリームのコーンの部分にあたるってワケだ。ソフトクリームは、もちろん、クリームの部分がメインなワケだけど、上の部分を食べてから、コーンの部分に詰まったクリームをコーンごと食べる時が一番美味しい。その美味しさが、最初から最後まで続くのが、あたしの開発した「長崎皿ソフト」ってワケだ。ちなみに、このネーミングは、ただ単に「お皿で食べる」ってことから「長崎皿うどん」をパロッただけで、長崎とは何の関係もない。
‥‥そんなワケで、昔から「きっこの日記」を読んでる人なら、コーンフレークの上に明治のスーパーカップのバニラを乗せて、それに牛乳をかけるっていう、あたしの大好物を知ってると思うけど、アレは、この「長崎皿ソフト」を作る時間がない時のための簡易版だったってワケだ。そして、長年100円で庶民の味方だった明治のスーパーカップも、今や125円なんていう高嶺の花になっちゃったから、これからは、バナナが安くなってる時に買って来て、冷凍庫で凍らせといて、本家本元の「長崎皿ソフト」で楽しんでこうと思った今日この頃なのだ。
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