まつとしきかばいまかへりこむ
「カナダ de 日本語」のミニーちゃんの家族、トラ猫のティガーが行方不明になって、もう3週間が過ぎようとしてる。ミニーちゃんのブログによると、5月16日のエントリーに「ティガーが行方不明になってから1週間が過ぎようとしている」って書いてあったから、いなくなったのは5月の第1週だ。
可愛がってる猫がいなくなった時の不安な気持ちは、痛いほどよく分かるけど、こればかりはどうしようもない。近所に住んでれば一緒に探して歩くこともできるけど、ミニーちゃんが住んでるのは遥か彼方の遥かカナダだ。あたしには、無事に帰って来るようにお祈りするしか術はない。でも、他ならぬミニーちゃんに何かできないかと考えて、あたしは、行方不明の猫が帰って来るオマジナイを教えることにした。
2007年1月18日の日記、「和歌を楽しむために」の中でも紹介したけど、在原行平の「立ち別れいなばの山の峰に生ふるまつとし聞かば今帰り来む」って歌の下の句を紙に書いて、その猫が出入りしてた場所の猫の頭くらいの位置に貼っておくってものだ。だけど、あたしも慌ててメールをしたから、在原行平のことを間違えて「在原業平」って書いちゃった。在原業平は平安時代の福山雅治、モテモテの色男で、この歌を詠んだ在原行平は、業平のお兄さんだ。
で、この歌の下の句を割箸の袋くらいの紙に「まつとしきかばいまかへりこむ」って平仮名で縦書きして、その猫の出入りしてた場所に貼り、そこにお盆を置いて、その猫が使ってた器をピカピカに磨いて、伏せて置いておく。そうすると、猫が帰って来るっていうオマジナイになる今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?
‥‥そんなワケで、何の根拠もない非科学的なオマジナイだけど、あたしは、このオマジナイで、いなくなった猫が2回も戻って来た。だから、それなりに威力があるって信じてる。もちろん、偶然に帰って来たって思うのが普通なんだろうけど、昔の和歌には言霊が宿ってたから、あたしは、言霊の力を信じたいと思ってる。
ちなみに、この「立ち別れいなばの山の峰に生ふるまつとし聞かば今帰り来む」って歌の場合は、「いなば」が「因幡」と「去なば」、「まつ」が「松」と「待つ」との掛詞になってる。だから、「私は因幡の国へと去って行きますが、あなたの『待っている』という声が聞こえたら、すぐにでも帰って来ますよ」って意味になる。つまり、この歌の下の句を文字にして出入りしてた場所に貼るってことは、その猫に「待っている」という声を届ける行為なのだ。
あたしが、このオマジナイを知ったのは、小学校の5年生か6年生の時だった。長田弘の「ねこに未来はない」っていう本を読んで、そこに出て来たのだ。この本は有名だから、読んだ人も多いと思うけど、読んでない人のために簡単に説明しとくと、決して「猫たちの未来は真っ暗だ」って言ってるワケじゃない。猫の脳みそには、「前頭葉」っていう未来のことを考える部分がほとんどなくて、そのために「猫のひたい」って呼ばれてるようにオデコが狭い。で、未来のことを考えないから、明日のために食べ物を取っておこうなんて考えない。今が満腹ならそれでいい。人間みたいに、一生かかっても使いきれないほどのお金を欲しがったり、何年も先のことで悩んだりするムダもない。その日その日をノンキに暮らすだけだ‥‥って意味のタイトルだ。
だけど、この本の中身は、ちょっと切ない。猫を飼うことが夢だった猫好きの奥さんと結婚した貧しい詩人が、一間のアパートで子猫との三人暮らしを始める。だけど、「チイ」と名づけた綿菓子みたいなその猫は、ある日、いなくなっちゃう。いなくなったって言うか、このアパートがペット禁止で、それがヤバくなって、一時的に外に出したら、そのままいなくなっちゃったのだ。だけど、いくら名前が「チイ」だからって、そこらに「ちい散歩」に行っただけじゃなくて、そのまま戻って来なくなっちゃった。
で、引っ越したり、他の猫を飼ったりといろいろとあって、ナニゲにハッピーエンドを迎えるんだけど、それは、この夫婦っていう人間にとってのハッピーエンドであって、いなくなったり死んだりした何匹もの猫たちの思い出の上に成り立ってるハッピーエンドなのだ。だから、何とも言えない切なさが胸に迫る‥‥ってワケで、この物語の中では、いなくなった「チイ」を呼び戻すために、在原行平の歌の下の句を紙に書いて貼るんだけど、「チイ」は帰って来なかった。つまり、あたしがこのオマジナイを知ったのは、効果のなかったオマジナイとして知ったワケだ。
だけど、それから10年ほどの月日が流れて、社会人になったあたしは、ペット禁止のマンションで、1匹の猫と暮らしてた。細かい事情は割愛するけど、死にそうになってた子猫を拾って来て、里親も見つからなくて、仕方なく買い始めたって流れだった。だけど、男のこととか、お仕事のこととかで、精神的に限界に来てたあたしにとって、そんな1匹の猫が、かけがえのない存在になって行った。だけど、いつもは細く開けた窓から出入りしてたのに、ある日のこと、いつもの時間に帰って来なかった。次の日の朝まで帰って来なくて、あたしは心配になったけど、窓を開けたままお仕事に行くワケには行かず、戸締りをして出かけるしかなかった。
3日目くらいになると、「そのうち帰って来るだろう」って気持ちが「もしかしたら車に轢かれたのかも」に代わり、居ても立ってもいられなくなり、あたしは、懐中電灯を持って夜中に探し回った。だけど、ペット禁止のマンションだから、大声で名前を呼ぶワケにも行かないし、おんなじマンションの住人に聞くこともできないし、そこらに貼り紙を貼るワケにも行かない。それで、ジミに探し回ったんだけど、見つかるワケがない。結局、猫が自力で帰って来てくれることを祈るしかない状況だった。
そして、1週間が過ぎて諦めかけたころに、ハッと思い出したのが、子供の時に読んだ「ねこに未来はない」のオマジナイだったのだ。それで、あたしは、次の日に、ソッコーで図書館に行って、この本を探して、オマジナイの部分をメモ帳に書き写して、その日の夜にやってみた。「溺れる者は藁をもつかむ」とはこのことで、この時のあたしの頭の中には、本の中でオマジナイが効かなかったことなんてミジンも考えてなかった。とにかく、何もせずにモンモンとしてることに耐えられなかったから、どんなにバカバカしいことでも、何かしてないと心がどうにかなっちゃいそうだったのだ。
‥‥そんなワケで、今になって考えると、猫のためってよりも、自分のためにやったオマジナイみたいな気もするんだけど、これが、意外にも、効果があったのだ。オマジナイをしてから1週間後、いなくなってから2週間後に、あたしがウトウトとしてたら、窓のほうで「トン!」て音がした。あたしがハッとして音のしたほうを見ると、細く開けといた窓の間から、ボロボロでガリガリになった猫が入って来た。
あたしは、自分の目に映ってる光景が信じられなくて、それでも気をシッカリと持って、猫が床へ下りると同時に、窓のとこにダッシュして窓を閉めてカギを掛けた。そしたら、そこに貼ってた下の句を書いたお札に、猫の体の泥がスジみたいについてたのだ。狂ったようにご飯を食べる猫を見ながら、あたしは、涙が止まらなかった。そして、それから1年後、また帰って来なくなったんだけど、その時も、このオマジナイをしたら、ピッタリ1週間後に帰って来た。だから、あたしは、このオマジナイを信じてるし、言霊の力を信じてる。
‥‥そんなワケで、このオマジナイは、内田百閒(ひゃっけん)の「ノラよ」にも登場する。夏目漱石の弟子だった百閒は、これまた無類の猫好きで、庭に遊びに来る野良猫のことも、自分の飼い猫のように可愛がってた。そして、70才を過ぎて、奥さんと2人でのんびりと暮してた時に、1匹の野良猫がやって来る。そして、まんま「ノラ」って名づけられた1匹の猫が、百閒の生活に入り込んで来る。
この「ノラよ」が、長田弘の「ねこに未来はない」と違うのは、完全にノンフィクションとして書かれてることだ。「ねこに未来はない」も、長田弘自身の若かりしころの話を小説仕立てにして書いてるものだから、登場する猫たちは実在した猫たちだろうし、細かいエピソードも事実に沿ったものだろうけど、もしかすると、デフォルメしてあったり省略してあったりするんだと思う。だけど、百閒の「ノラよ」は、ノラとの暮らしをそのまま書き綴ってるのだ。
最初は、「庭に来る野良猫にエサをやるだけ」って感覚で接し始めたのに、そのうち、家に中にも入って来るようになり、ジョジョに奇妙に可愛くなって来て、高級なミルクやダシ巻き玉子なんか食べさせたりして、それこそ「目の中に入れても痛くない」ってくらい可愛がるようになっちゃう。それなのに、それほど溺愛してたノラが、1年半ほど経ったある日、いなくなっちゃうのだ。この時の百閒の狼狽ぶりと言ったら、それこそ、愛する猫が行方不明になったことのある人にしか分からない感覚で、「ノラや‥‥ノラや‥‥」と探し回るけど、ノラはどこにもいない。そして、在原行平の句を貼っても効果がなかった。
でも、居ても立ってもいられない百閒は、何度も新聞に広告を出し、2万枚ものチラシを作り、挙句の果てには、もしもニポン語の読めない外国人の家に拾われてたらって考えて、英語のチラシまで作っちゃう。そして、この広告やチラシは、周りをフチ取るように、在原行平の歌が平仮名で書かれてるのだ。ちなみに、この新聞広告やチラシには、ノラを見つけてくれた人には「謝礼三千円」て書かれてるんだけど、1960年当時の貨幣価値は今の20倍くらいだから、約6万円の礼金を払うつもりだったのだ。
そして、それでも見つからない。百閒は、来る日も来る日も「ノラや‥‥ノラや‥‥」と泣き続け、外で猫の鳴き声がするたびに飛び起きて外を見て、ノラが帰って来た夢を見ては夜中に目を覚ます。時折、謝礼金を目当てにした怪しげな情報が入って来れば、それでも必死に出かけて行き、よく似た猫が死んでいたので埋めたという話を聞けば、そのお墓を掘り起こしてまで確かめた。
1ヶ月が過ぎ、半年が過ぎ、1年が過ぎても、ノラのことが忘れられず、毎日を泣いて暮らす百閒。そんな百閒のところにやって来たのが、ノラによく似た別の野良猫だった。百閒は、ノラを失った寂しさから、この猫に「クルツ」って名前をつけて飼い始めるんだけど、この猫も、5年半後に病気で死んでしまう。この「ノラよ」は、ノラとクルツっていう2匹の猫と百閒との生活を綴った随筆集だけど、マジで、誰もが号泣しちゃうだろう。これは、「ねこに未来はない」で流す涙とは異質のもので、胸が張り裂けそうになるほどの感情移入の号泣だ‥‥ってワケで、こんな話題を書いてたら、オトトイの5月29日付の「東京新聞」に、偶然にもこんな記事があった。
「ノラや、ここにいるよ/内田百間生誕120年、千代田六番町に記念碑」(東京新聞)
夏目漱石門下の小説家内田百間(ひゃっけん)(一八八九-一九七一)の生誕百二十年を記念し、内田が後半生を過ごした千代田区六番町に記念碑が設置された。設置した地元町会は、内田の誕生日の二十九日、近くの区立番町小で、内田の好物だったウナギを食べながら、記念碑の設置を祝い、郷土の文人をしのぶ。内田は岡山生まれで、昭和十二(一九三七)年に番町に引っ越してきた。戦時中に空襲で家が焼け、近くの掘っ立て小屋に住んだ後、四八年に六番町に三畳の部屋が三つ並んだ「三畳御殿」を建て、死ぬまで過ごした。この地を舞台に愛猫ノラがいなくなって捜し回ったという随筆「ノラや」も書いている。記念碑は縦五十センチ、横七十五センチ。内田の経歴と番町の三カ所の旧居跡を記した。六番町にはかつて、泉鏡花や島崎藤村ら多くの文人が住み、町会は町の記憶を後世に伝えようと、一昨年には画家藤田嗣治の記念碑を設置しており、今回が第二弾。新井巌会長(65)は「記憶はどんどん消えてしまいかねない。何らかの形で残していきたい」と話している。(松村裕子)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/20090529/CK2009052902000062.html
‥‥そんなワケで、可愛がってた猫が行方不明になった時ほど、居ても立ってもいられないことはない。それこそ、何も手につかない状態で、車に轢かれたんじゃないかとか、残酷な変質者に捕まって殺されたんじゃないかとか、悪いふうに悪いふうに考えちゃう。百閒も、雨の日には、濡れながら飢えてさまよってるノラのことを想像して、おいおいと泣いてたけど、あたしも、どれだけ悲しい思いをしたことか‥‥。こないだ、もんじゃが妊娠してしばらく姿を消した時でさえ、自分の飼い猫じゃないのに、ホントに心配で、毎日探し歩いてた。だから、今、ミニーちゃんが、どんな思いでいるのかと思うと、自分のことのように胸が痛くなる。だけど、ミニーちゃんのお家の周りは、車の少ない自然に恵まれた場所だから、交通事故の可能性が低いことだけでも救われてると思う。ティガーは、きっと、ある日ひょっこりと帰って来るから、それまで、希望を持ってがんばって欲しいと思う今日この頃なのだ。
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