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2009.06.23

「リ」のつく話

誰かから届いたメールに返信しようと思って、「返信」てとこをクリックすると、ひらいたメールフォームのタイトルのとこに、「Re:」ってのが自動的に表示される。いわゆる「返信」て意味の記号?みたいなもんだ。で、この「Re」ってのは、ムリに読もうとすれば「リ」ってワケで、英語ではヤタラと多用されてる。たとえば、「セット」に「リ」をつけて「リセット」、「ターン」に「リ」をつけて「リターン」、「メイク」に「リ」をつけて「リメイク」、「サイクル」に「リ」をつけて「リサイクル」、「アクション」に「リ」をつけて「リアクション」、「プレイ」に「リ」をつけて「リプレイ」、「バウンド」に「リ」をつけて「リバウンド」、「カバー」に「リ」をつけて「リカバー」、「ミックス」に「リ」をつけて「リミックス」、「フォーム」に「リ」をつけて「リフォーム」、「ダイヤル」に「リ」をつけて「リダイヤル」、「コール」に「リ」をつけて「リコール」‥‥って、他にもいっぱいあるけど、ほとんどがニポン語の会話や文章の中で普通に使われてる言葉だ。あたしの愛するMAXの曲にも「Reborn」てのがあるんだけど、「生まれる」って意味の「ボーン」に「リ」がついて「リボーン」、「生まれ変わる」って意味だ。

これらのパターンを見れば分かるように、この「リ」には、「もう一度」とか「繰り返し」とか「折り返し」とかって意味がある。これは、なかなか便利なもので、何も英語だけに使うことはないと思う。ニポン語でも、単語の頭に「リ」をつけて、「もう一度」とか「繰り返し」とかって意味に使えると思う。たとえば、大学受験に失敗して浪人してる人なんて、自分のことを「浪人です」って言うのは気が引けちゃうと思うけど、「リ受験です」とか「リ受験生です」とかって言えば、ナニゲに「お受験」みたいでいいと思う。他にも、一度も国民の信を問わずに、次から次へと職務を丸投げしてバトンタッチしてく総理大臣なんかも、通常の総理大臣と同等に見ることはできないから、「リ」をつけて「リ総理大臣」て呼んだほうがいいと思う。つまり、アベシンゾーが「リ総理大臣」で、フクダちゃんが「リリ総理大臣」で、フロッピー麻生が「リリリ総理大臣」てことになる。「麻生太郎リリリ総理大臣」だなんて、まるで「レレレのおじさん」や「ゲゲゲの鬼太郎」みたいで、マンガが好きなフロッピー麻生にはピッタリだと思う今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、フロッピー麻生が「リリリ総理大臣」なら、もしも、ヒキョ~者の集団の自民党が総裁選を前倒しして、「ポスト麻生」って呼ばれてるマスゾエちゃんを次の総裁に担ぎ上げたとしたら、総選挙までの短い期間、マスゾエちゃんは「リリリリ総理大臣」てことになる。「舛添要一リリリリ総理大臣」だなんて、スズムシみたいな顔してるマスゾエちゃんにとっては、まるでオーダーメイドしたみたいな肩書きってワケで、あまりにもお似合いだ。それに、今の内閣は、わずか8ヶ月のうちに、頭のおかしい中山成彬、アル中の中川昭一、変質者の鴻池祥肇、最後に正しい選択をした鳩山邦夫と、すでに4人もの重要職が辞任してるから、「リ国土交通大臣」「リ財務金融大臣」「リ官房副長官」「リ総務大臣」てのが揃ってるワケだ。

だから、これで、トップの総理大臣がマスゾエちゃんになって「リリリリ総理大臣」になれば、4人の「リ」がつく役職の上に、4つの「リ」がつく総理大臣がふんぞり返るっていう、自民党の長年の独裁政権の千秋楽を飾るにはサイコーの演出になる‥‥って、今日は政治の話題の気分じゃないから、ここで大幅に車線変更しちゃうけど、閣僚の交代や世襲など「リ」がつくことばかりの政治の世界と違って、「リ」がついたら困るのが俳句の世界なのだ。俳句は、たった17音しかない世界最短詩形だから、この短い17音の中に「○○だから××だ」っていう「理屈」が生じちゃうことを何よりも嫌う。これを俳句では「理がつく」って言って、理のついた俳句はダメな俳句の代表選手だ。


 朝顔やつるべ取られてもらひ水  千代女


これは、江戸時代の女流俳人、加賀千代女の代表句の1つだけど、この句は、いろんなとこに、「朝顔につるべ取られてもらひ水」ってふうに紹介されてる。何しろ300年も前のことだから、実際にはどうだったのかハッキリは分からないけど、一説には、最初に「朝顔につるべ取られてもらひ水」って詠まれて、あとから「朝顔やつるべ取られてもらひ水」に推敲されたって言われてる。ま、実際の流れはともかくとして、「朝顔に」っていうのは間違いで、「朝顔や」ってほうがホントの句だ。

で、間違いのほうの「朝顔につるべ取られてもらひ水」だと、思いっきり理がついちゃってる。朝、井戸にお水を汲みに行ったら、朝顔のツルが伸びて来て、井戸の釣瓶(つるべ)に巻きついちゃってた。お水を汲むためには、朝顔のツルを切らなきゃなんない。それはかわいそうだから、ヨソのお家にお水をもらいに行った‥‥って意味になる。つまり、「朝顔に釣瓶を取られちゃった。だから、もらい水をした」っていうふうに、理がついちゃってるのだ。

でも、ホントの形の「朝顔や」のほうなら、「朝顔」と「つるべ取られてもらひ水」とは「や」で切れてるから、この2つに因果関係はなくなる。朝、お水を汲みに行ったら、井戸の近くにキレイに朝顔が咲いていた。さて、お水を汲もうかと井戸に近づくと、誰かに釣瓶を盗まれちゃってて、お水を汲むことができない。仕方ないので、ヨソの家にお水をもらいに行った‥‥って意味になる。これなら、理はついてない。

だけど、厳密に言うと、どっちでもいいんだよね。この句は、俳句じゃなくて、江戸時代の俳諧(はいかい)なんだから、200年もあとの明治時代にできた俳句のルールを当てはめて論じるべきじゃないからだ。江戸時代の俳諧は、今のサラリーマン川柳みたいな要素もあったし、面白おかしく俗なことばかりを詠むスタイルの流派もあったからだ。だから、この句は、「理がつく」ってことを説明するために引用しただけで、この句自体にケチをつけてるワケじゃない。ただ、現存してる著名俳人の句を引用して、「これが理がついた句の悪い例です」ってのは波風が立っちゃうから、あえて300年前の句を引用したってワケだ‥‥ってことで、江戸時代の俳諧じゃなくて、明治時代に正岡子規が俳句ってものを作ってからの句なら、たとえば、こんなのがある。


 畦川の涸れてさだまる鮒釣場  秋桜子


畦川に水がタップリとあった秋口までは、どこでフナを釣ろうか迷っちゃうほどポイントだらけだったのに、冬になって川の水が涸れたら、水路の一部に小さな池がポツリと残った。水があるのはここだけだし、フナもみんなここに溜まってるだろうから、ここが冬の間のフナの釣り場だ‥‥って意味で、完全に理がついちゃってる。ま、水原秋桜子(しゅうおうし)の場合は、子規の俳句とは流派が違うから、こうした「理のついた俳句」もOKなのかもしれない。

秋桜子は、もともとは子規の弟子の高濱虚子の弟子だったから、最初は子規の提唱した「客観写生」のスタイルで俳句を始めたんだけど、そのうち、師である虚子が、自分と同期の俳人、高野素十(すじゅう)の句ばかりホメることにムカついちゃって、虚子に反旗を翻しちゃう。秋桜子は、東京帝国大学の医学部の学生だったんだけど、素十もおんなじ医学部のおんなじ研究室の後輩だったんだよね。ようするに、大学では自分の後輩の素十なのに、俳句では負けちゃってて、それが気に食わなかったのだ。

でも、おんなじ研究室だったから、医学部の研究室対抗の野球大会じゃ、ピッチャーの素十が投げた球をキャッチャーの秋桜子が受けたりしてた。2人はそんな関係だったんだけど、不必要に頭が良くて俳句の世界にまで理屈を持ち込む秋桜子は、「見たものを見たままに写生する」っていう虚子の教えに素直に従うことができなかった。一方、頭は良くても医学と俳句とを完全に切り離して考えることのできた素十は、師である虚子の指導に従って、コツコツと写生の腕を磨いて行った。そして、虚子から認められるようになったってワケだ。

当初、秋桜子の攻撃対象は、素十だった。虚子が高く評価した素十の句を秋桜子はボロクソに批判しまくった。そして、そのうち、秋桜子の攻撃対象は師である虚子へと向き、虚子の教え、つまり、子規の教えを否定し始めて、「ホトトギス」を飛びだして、自分の結社「馬酔木(あしび)」を作っちゃった。あたしは、子規の俳句が大好きで、素十の俳句も大好きで、秋桜子の俳句は大嫌いだけど、秋桜子は人間としても大嫌いだ。これは、前にも書いたから詳しくは書かないけど、秋桜子は野良猫を残酷に殺した男だからだ。小さな花や虫の命を大切に写生すべき俳人として、何の罪もない野良猫を遊び半分になぶり殺すなど言語道断、俳人以前に、人として最低だ。

‥‥そんなワケで、小さな命を大切にしてた素十の句と、平然と野良猫を殺してた秋桜子の句を比べてみよう。


 「高野素十 5句」

 ひつばれる糸まつすぐや甲虫(かぶとむし)

 翅(はね)わつててんたう虫の飛びいづる

 浮草を押しながら蛭(ひる)泳ぎをり

 春水や蛇籠の目より源五郎

 揚羽蝶おいらん草にぶら下る


 「水原秋桜子 5句」

 滝落ちて群青世界にとどろけり

 野の虹と春田の虹と空に合ふ

 冬菊のまとふはおのがひかりのみ

 芥子(けし)咲くやけふの心の夕映えに

 馬酔木咲く金堂の扉にわが触れぬ


それぞれの句のついては、あえて解説しないけど、小さな命がキラキラと光ってて抱きしめたくなるほどステキな素十の句に対して、いったい何様のつもりなのか聞いてみたいほどご立派な秋桜子の句は、あまりにも対照的だろう。ま、子規を否定し、虚子を否定した挙句が、こんなアリサマなんだから、お気の毒さまとしか言いようがないけど、飯田龍太や波多野爽波の爪のアカでも煎じて飲ませてやりたいと思う‥‥って、こんなこと言っても分かる人にしか分からないから、ま、いっか(笑)

‥‥そんなワケで、「リ」がつくのが当たり前なのが政治の世界で、「理」がついちゃいけないのが俳句の世界なんだけど、俳句でご法度の「理屈」って、英語だと「Reason(リーズン)」だから、ちゃんと「Re」がついてるんだよね。もちろん、これは、「リセット」や「リターン」の「リ」とは違うし、「リーズン」は「理由」「動機」「理性」なんて意味もあるから、ニポン語の「理屈」とはちょっとニュアンスが違う。フランス語なら「レーゾン」だし、「レーゾンデートル」は「存在する理屈」じゃなくて「存在する理由」なんだから、どっちかって言うと、「リーズン」は肯定的に使われる言葉だ。それに比べて、ニポン語で「理屈」っ言うと、やっぱり否定的なニュアンスを含んでる。それは、理屈をこねるのがニポン人の美意識にそぐわないからだ‥‥なんて、こうして毎日、日記をクリエーションしてるだけじゃ疲れて来るから、タマには頭に「リ」をつけて、「リクリエーション」でもしてみようかと思う今日この頃なのだ。


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