カニチャーハンの逆襲
あたしは、何かを食べたいと思うと、ワリと長いこと、その食べ物のことばっか考えちゃう。たとえば、テレビでタレントさんが老舗の「うな重」を食べてるとこをタマタマ観て、あたしも「ウナギが食べたいな~」って思うと、それから2週間くらいは、「ウナギが食べたいな~」「ウナギが食べたいな~」って思い続けちゃう。だけど、こうした欲求は、簡単にガマンできるレベルだから、単に「ウナギが食べたいな~」って思ってるだけで、それ以上には発展しない。たとえば、貯金を下ろしてまで「うな重」を食べに行くなんてのはモッテノホカだし、貯金を下ろさずに「うな重」を食べるためにパチンコ屋さんへ稼ぎに行くほどのバイタリティーもない。そんなことをするよりも、「ウナギが食べたいな~、でも、あたしはメザシでいいや」って思って、感謝しながらメザシを食べてれば満足できる。
だけど、これが、「ウナギの口」になっちゃってからだと、トタンに貪欲になっちゃう。「ウナギの口」については、2006年2月28日の日記、「シルバーのリング」にもチョコっと書いたけど、単に「ウナギが食べたいな~」って思ってる時とは違って、お金も、時間も、「うな重」を食べられるすべての要素が揃い、実際に目的のうなぎ屋さんへ向かってる時の状況だ。つまり、あと30分とか1時間とかで、あたしは「うな重」を食べられるワケで、あたしの頭の中は、重箱のご飯が見えないほどに、うなぎの蒲焼が敷き詰められた「うな重」のリアルな映像が浮かんでて、あたしの口は、完全に「対ウナギ」の口になっちゃってるのだ。
だから、こんな状況で、やっと目的のうなぎ屋さんに到着してみて、「本日休業」の札なんかが出てたりした日にゃあ、もう、ジダンダを踏んでも示談には応じられないほど発狂しちゃって、あたしは自分自身を抑えられなくなっちゃう。両方の耳の穴から、小さいきっこたちがゾロゾロと出て来ちゃって、「うなぎ~!」「うなぎ~!」って叫びまくり、「ウナギ民営化反対!」とか「ウナギ格差社会反対!」とか「ウナギ政権交代!」とか書かれたプラカードを持って、あたしの足元をグルグルとデモ行進を始めちゃう。だから、あたしは、電車を乗り継ごうが、タクシーを使おうが、代わりのうなぎ屋さんを探し出して、美味しい「うな重」を食べるまでは、落ち着くことができない今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?
‥‥そんなワケで、あたしは、ふだんはそんなに食べ物には貪欲じゃないし、毎日毎日ずっとメザシでも、納豆でも、ぜんぜん不満はない。ホントに困ってた時は、1日におにぎり1個とか缶ジュース1本とかで過ごしてた時期もあるし、5キロで1000円の古古米すら買えなくて、500グラムで100円のパスタを主食にしてた時期もある。500グラムで100円なら、5キロで1000円なんだから、どっちもおんなじように思えるだろうけど、100円のパスタなら、お財布に100円しかなくても買えるのだ。そして、茹でたパスタにケチャップを入れて炒めて、何も具の入ってない「素うどん」ならぬ「素ナポリタン」を1週間続けたこともあった。だから、「何とか標準米が買える」っていう今の状況自体が、あたしにとってはスゴイことで、炊き立てのご飯とお味噌汁があれば、それだけでサイコーのご馳走なのだ。
だから、あたしにとっては、「何を食べるか」ってことよりも、その大前提の「食べられるか、食べられないか」って部分こそが最重要になる。こんな感覚で生きてるあたしだから、おんなじものが続いても、「飽きる」ってことはほとんどない。あたしに言わせれば、食べ物に「飽きる」なんてのはゼイタクの極みであって、それ以前に、「食べられる」ってこと自体に感謝すべきなのだ。たとえば、「花粉症対策カレー」を作った時には、3週間、朝、昼、晩とカレーだったけど、ぜんぜん大変じゃなかった。それどころか、来る日も来る日も美味しいカレーが食べられて、すごく幸せだった。
ホントに何もなくなり、お金もなくて、最後の最後に1個だけとっておいたインスタントの金ちゃんラーメンを食べようと思ったら、ガスを止められてて作ることができなかった。それで、電気は止められてなかったから、ラーメンの丼にお水を入れて、それを電子レンジで沸騰させて、そこに金ちゃんラーメンとスープの粉を入れて、あと2分ほど回したら、何となくラーメンぽくなった。だけど、丼は持てないほど熱くなってるワリには、ラーメンの麺はまだ煮えてなくて硬い。それで、カップ麺の方式で、そのままフタをして2分ほど待って、それから食べた。
お鍋で作るみたいには美味しくできなかったけど、それでも、2日ぶりで食べた食事は、ものすごく美味しかった‥‥って、こんな思い出もあるあたしだから、ガスも水道も電気も止められてなくて、お米、それも標準米が買える今は、まるで叶姉妹かデヴィ夫人にでもなったかのようにセレブな気分を満喫してる。それが、「1日に3食も食べられる幸せ」であり、「ご飯とお味噌汁の他にメザシや納豆をはじめとしたオカズがつく」っていうゼイタクなのだ。
‥‥そんなワケで、このメザシや納豆ってのは、便宜上、言ってるだけで、実際には、1週間のほとんどをメザシと納豆だけで暮らしてたのは、すでに過去の話だ。今でも、朝ご飯は、「ご飯、お味噌汁、メザシ、東京タクアン」ってパターンが多いし、お昼はおにぎりを2個、持ってってるけど、晩ご飯は、1枚100円のアジのひらきを買って来て焼いたり、チクワの輪切りを入れたモヤシ炒めを作ったり、ミョウガを乗せた冷奴を作ったり、ナスのピリ辛味噌炒めを作ったりって、美味しいオカズを楽しんでる。だから、あたしは、現在の食生活には1ピコグラムの不満もないし、それどころか、こうしたゼイタクな食事ができることを心から感謝してる。
こんな感じのあたしだから、外食はメッタにしないワケで、1ヶ月に1回くらい、大好きな立ち食いそば屋さんの「ゆで太郎」で300円のきつねそばを食べたりすると、それだけでものすごいゼイタクをした気分になる。午後2時からフィレオフィシュが100円になるって聞いたもんだから、「今日のお昼は久しぶりにゼイタクしてフィレオフィシュにしよう!」って思い、おにぎりを作らずにお仕事へ行く。そして、午後2時を過ぎたのを確認して、近くのマックへと欽ちゃん走りして、ミゴトに100円でフィレオフィシュをGET MY LOVE!すると、それだけで若干コーフン気味になっちゃう。そして、持参したお茶と一緒に久しぶりのフィレオフィシュをほおばると、「タルタルソースはタマゴを使ってるから食べちゃまずいよな?」って思って、どうすべきか結論を先送りにしてた問題なんて完全に忘れちゃうほど幸せな気分になる。
だから、あたしにとって、「何かが食べたい」って思うことは、ほとんどない。お酒に関しては、「スーパードライが飲みたいな~」とか、「銀嶺立山が飲みたいな~」とかって思う時もあるけど、食べ物に関しては、ほとんどない。そして、「何かが食べたい」って思っても、口が、その食べ物の口にならない限り、「食べたくて食べたくてガマンできない!」ってことにはならない。ようするに、その食べ物が食べられる状況になってたのにも関わらず、その直前にドタキャン的に食べられなくなった‥‥って状況じゃなければ、別に食べられなくても何とも思わない。
‥‥そんなワケで、あたしは、美味しいものは大好きだし、大好物もいっぱいある。世の中で一番好きなのは、何と言ってもマツタケで、マツタケほど好きな食べ物は他にない。だけど、マツタケを食べたのは、36年間の人生で5回くらいだし、まだ食べたことのないものもたくさんある。世界三大珍味にしても、キャビアだけは1~2回食べたことがあるけど、フォアグラとトリュフってのは食べたことがない。他にも、食べたことのないものはいっぱいある。だから、「マツタケほど好きな食べ物は他にない」ってのも、正確に言えば、「マツタケほど好きな食べ物は、今のとこ、他にない」ってことになる。
ま、それは置いといて、とにかく、あたしは、マツタケが大好きで、次が、サザエだ。世の中的には、サザエよりもアワビのほうが遥かに高級とされてるけど、あたしの場合は、15年くらい前に、江の島の猫たちに会いに行った時に、江の島の中腹にあるお店で食べたサザエのお刺身が、この世のものとは思えないほど美味しくて、それ以来、いろんなとこでサザエのお刺身を食べて来たんだけど、どれも江の島で食べたサザエの足元にも及んでない。だから、これも、正確に言うと、「サザエが好き」ってことじゃなくて、「江の島の中腹にあるお店で食べたサザエのお刺身が好き」ってことになる。
他にも、好きな食べ物はいっぱいあるワケで、イワシのお刺身も大好きだし、アジのタタキも大好きだし、ホッケのひらきも大好きだし、ホタテ貝を貝殻ごと焼いてお醤油を垂らしたのも大好きだし、鮎の塩焼きも大好きだし、朴葉味噌も大好きだし、タラの白子を軽く焼いたのをモミジおろしとポン酢でいただくのも大好きだし‥‥って、こんなこと書いてると、適度に冷やした銀嶺立山を江戸切子のぐい呑みでキュ~っと飲みたくなってきちゃうよ、まったく(笑)
とにかく、あたしは、好きな食べ物はいっぱいあるんだけど、「食べたくて食べたくてガマンできない!」ってことにはメッタにならないから、現在の食生活にまったく不満はなかった。それなのに、どうしたことか、2週間くらい前に、突然、「カニチャーハンが食べたい!」って思っちゃったのだ。別に、テレビとかで美味しそうなカニチャーハンを見たワケでもなく、ボーッとしてる時に、何の脈絡もなく、突然、「カニチャーハンが食べたい!」って思っちゃったのだ。それで、最初は、一過性のものだろうって思ってたんだけど、次の日も、次の日も、次の日も、ことあるごとに「カニチャーハンが食べたい!」って思っちゃうのだ。
もちろん、まだ「カニチャーハンの口」にはなってないから、「食べたくて食べたくてガマンできない!」ってレベルには達してないんだけど、ふだん漠然と「ウナギが食べたいな~」とか思うのとは違って、ヤタラと具体的にカニチャーハンが食べたくて仕方ない。それで、あたしは、「もしかしたら、あたしの体に何かの栄養が不足してて、それがカニチャーハンに含まれてるのかもしれない」って思ったのだ。つまり、ゼイタクな味覚として欲してるんじゃなくて、汗をかいた時に塩分を欲するように、体そのものがカニチャーハンを欲してるんじゃないかって思ったのだ。
もしも、そうだとしたら、これは大変なことで、すぐにでもカニチャーハンを食べないとマズイことになる。体がカニチャーハンを求めるSOSを出してたのに、それを無視したことで、あたしは何かの病気になっちゃうかもしれない。それで、あたしは、カニチャーハンを食べる方向で考えてみることにした。ただし、ちゃんとしたナントカ飯店とかに行ってカニチャーハンを注文して食べるのは、金銭的な問題だけじゃなくて、「中華料理屋の厨房はゴキブリだらけだから中華料理屋には絶対に行かない」っていうあたしのポリシーがある。
‥‥そんなワケで、自分で作ったものしか信用できない疑い深いあたしとしては、当然、カニチャーハンも、自分で作ることにした。だけど、カニは買えないし、カニ缶だって買えない。でも、体のSOSを無視するワケには行かないから、ウツロな目をしてスーパーの中をさまよい続けてたら、ナナナナナント! 永谷園の「チャーハンの素」に「今月のサービス品」の札がついてて、いつもなら130円くらいするのに、98円になってたのだ! 永谷園の「チャーハンの素」は、「えびチャーハン」「さけチャーハン」「かにチャーハン」「焼豚チャーハン」「五目チャーハン」があるんだけど、ぜんぶ98円になってた。それで、あたしは、大喜びで「かにチャーハン」をカゴに入れようとしたんだけど、ここで、あることに気がついた。
「えびチャーハン」は「えびチャーハン」、「さけチャーハン」は「さけチャーハン」、「焼豚チャーハン」は「焼豚チャーハン」て書いてあるのに、「かにチャーハン」だけは、よくよく見ると、ちっちゃい字で「味」って字が付け足されてて、正しくは「かに味チャーハン」て書いてあったのだ。つまり、「えびチャーハン」には「えび」が入ってるし、「さけチャーハン」には「さけ」が入ってるし、「焼豚チャーハン」には「焼豚」が入ってるけど、「かにチャーハン」には「かに」は入ってなくて、カニカマボコとかでお茶を濁してるってワケだ。
だけど、98円で3袋も入ってるんだから、「1食100円」ていうあたしの予算もクリアしてることだし、細かいことは気にしないことにした。それで、あたしは、お家に帰って来て、さっそく、永谷園の「かにチャーハン」、もとい、「かに味チャーハン」を作った。ホントは、最初にフライパンにタマゴを入れて、それからご飯を入れるんだけど、タマゴがNGなあたしは、お茶碗2杯ぶんのご飯を炒めて、そこに「かに味チャーハン」を1袋入れて、混ぜながら炒めた。わずか2分、ただ、これだけだ。
そしたら、これだけなのに、あまりにも美味しいカニチャーハンができちゃった。タマゴを入れてたら、もっと美味しかっただろうな‥‥って感じだったけど、味だけで言えば、それこそ、そこらの中華料理屋で出て来るカニチャーハンといい勝負で、ずっとカニチャーハンを食べたいと思ってたあたしにとっては、十分に満足の行く味だった。あまりにも美味しくて、次の日の晩も、次の日の晩も、3日連続で食べちゃった。そしたら、あたしの「カニチャーハンが食べたい!」っていう欲求は、キレイサッパリと消えてなくなった。
‥‥そんなワケで、あたしは、あまりにも「カニチャーハンが食べたい!」って気持ちが続いてたから、「もしかしたら、あたしの体に何かの栄養が不足してて、それがカニチャーハンに含まれてるのかもしれない」なんて変なことまで考えてたけど、あたしが食べたのは「カニチャーハン」じゃなくて、あくまでも「カニ味チャーハン」だったのだ。つまり、あたしの体に、「カニ」に含まれてる成分が不足してたのなら、この「カニ味チャーハン」じゃ不足を補えてないワケで、今でも「カニチャーハンが食べたい!」って気持ちが噴出してなきゃおかしいワケだ。それなのに、今は気持ちがおさまってるんだから、結局のところ、あたしは、ただ単にカニチャーハンが食べたかっただけで、それ以上でも以下でもなかったってワケだ。ま、結果としては、98円で3回ぶんのオカズになったんだから、90円で3個パックの納豆を買ったのとそんなには変わらないし、何も問題はなかったんだけど、タマゴも入れてない「カニ味チャーハン」を食べただけで、「カニチャーハンが食べたい!」って気持ちがおさまっちゃった自分自身に、「安上がりなヤツ」なんて言葉を客観的につぶやいてみた今日この頃なのだ。
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