常盤橋の織田無道
あたしには、もう10年来の仕事仲間で、プライベートでも仲良くしてるスタイリストの女性がいる。あたしより5つ年下のアラサーだけど、それでも同世代だから、ほとんどの話はツーカーだ‥‥って、この「ツーカー」って言葉自体が、今の若い人には分からないと思うし、「何?昔のケータイ?」とかって言われちゃいそうだけど、とにかく、この「ツーカー」とか、「ミーハー」とか、「ピンキリ」とか、こうした、あたしの母さんやおばあちゃんの時代から受け継がれて来た言葉の意味をイチイチ説明しなくても分かってくれる最後の年代の女性だ。で、便宜上、N子ってことにするけど、そのN子は、スタイリストとしての才能はワンダホーだし、人柄もいいし、とってもチャーミングだし、何よりもあたしは信頼してる。ただ、1つだけ、欠点って言うか、人の言った言葉を聞き違えることが多すぎるのだ。
今、ずっとN子とお仕事してて、今日は午後から、お仕事で使う小物を探しに青山に行ったんだけど、最初のお店で理想的なものが見つかったから、あたしは、「ついでにトコパシのバーゲン見てかない?」って言った。「トコパシ」ってのは、表参道にある「トコパシフィック」っていう有名なショップの名前で、1日から7日までバーゲンをやってるのだ。それで、すぐ近くまで来てたから、あたしは「ついでにトコパシのバーゲン見てかない?」って言ったのに、N子ったら、「常盤橋(ときわばし)のバーゲンて何?」って聞き返されちゃった。
ま、これは別に面白くもない聞き間違いなんだけど、このあと、ものすごい爆発力の聞き間違いが炸裂しちゃったのだ。一緒に「トコパシ」のバーゲンを見に行って、その帰り、あたしの車の後ろの座席に積んでたお仕事用のバッグを指さして、「あのバッグ、前からいいなって思ってたんだけど、どこのバッグ?」って聞くから、あたしが「オーダーメイドなの」って答えたら、「えっ? 織田無道?」って聞き返されちゃった。おいおいおいおいおーーーーい! いくら自民党の連日の迷走劇に開いた口からエクトプラズムが出て来て幽体離脱しちゃいそうになってるあたしだからって、織田無道の作ったバッグなんか使うかよ!‥‥って思った今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?
‥‥そんなワケで、「トコパシ」を「常盤橋」に聞き間違えるのは分からなくもないけど、「オーダーメイド」を「織田無道」って、あまりにもムリがありすぎる。その上、車を発進させて、CDをかけたら、「これ、いい曲ね。誰?」って聞くから、あたしが「マキシ・プリースト」って教えたら、「えっ?マセキ・ツーリスト?」だなんて、まるでマセキ芸能社が旅行代理店を始めちゃったみたいなボケをかましてくれた。ここまで来ると、あたしを笑わせようとして、ワザとやってるんじゃないかって思えて来る。
ま、N子の場合は、ふだんから、こうした聞き間違いが多くて、それがキャラの1つにもなってるワケで、念のために言っとくと、あたしのしゃべり方に問題はない。他の人が言ったことは聞き違えないのに、あたしの言ったことだけ聞き違えるってんなら、あたしが早口だとか、あたしのしゃべり方が聞きとりにくいとかってことだから、あたしに原因がある。だけど、N子の場合は、あたしに限らず、誰がしゃべったことでも聞き間違えるのだ。
たとえば、複数の人がいる場所で、N子が「ちょっとコンビニに行って来ます」って言って出かけようとした時に、ある人が「それなら、ついでにジュース買って来て」って言うと、「えっ?ヒューズですか?」とかって聞き返す。でも、その場にいたあたしも、他の人たちも、みんなちゃんと「ジュース」って聞こえてるのだ。だから、頼んだ人の声が小さかったとか、聞きとりにくかったってことじゃなくて、N子だけが聞き間違えてるってことになる。
そして、こんな例を出すと、まるでN子の耳が悪いみたいに思うだろうけど、そうじゃないのだ。あまりにも聞き間違いが多いから、以前、自分の耳が悪いんじゃないかって心配になったN子は、耳鼻科に行って診てもらったそうなんだけど、聴力にはまったく問題はないって結果が出たそうだ。だから、あたしは、医学的なことは分かんないけど、きっと、耳がオッチョコチョイなんだと思ってる。
何かを見間違えることが多い人の場合も、視力の良し悪しよりも、その人の性格がオッチョコチョイかどうかってことのほうが原因のような気がする。視力が0.8で落ち着いた性格の人と、視力が1.5でオッチョコチョイな性格の人に、見間違いしやすいものをいくつか見せるテストをしたら、視力が1.5の人のほうが見間違いが多いんじゃないかと思う。もちろん、これは、何の根拠もないあたしの仮説だから、ホントはどうだか分からないけど。
だけど、何の根拠もないって言っても、長年、N子と付き合って来て、N子の数々の聞き間違いのパターンを見て来て、その上での仮説なのだ。だから、それなりに、観察だけは積み重ねて来た実績がある。たとえば、「ジュース」を「ヒューズ」に聞き間違えた時なら、N子は「コンビニに行って来る」って言ったんだから、ついでに何かを頼むとしたら、コンビニに売ってるものに決まってる。そう考えれば、ヒューズなんて頼むハズがないことは簡単に分かる。だけど、N子は、そう考える前に、「えっ?ヒューズですか?」って聞き返してる。
今日のパターンなら、今いる場所が青山だったから、あたしは「ついでにトコパシのバーゲン見てかない?」って言ったワケで、ものすごく離れた場所の「常盤橋」は「ついで」にはならない。それに、「常盤橋」って言ったら、大手町って言うか、日本橋って言うか、そっちのほうにある橋の名前で、首都高速の呉服橋の出入口のとこだ。東京の地理を知らない人には紛らわしいと思うけど、東京の真ん中あたりの日本橋って住所のとこに、首都高速の呉服橋って出入口があって、そこに実際に架かってる橋が常盤橋って名前の橋なのだ。
で、常盤橋のハス向かいには三越デパートの本店があるから、近くでバーゲンをやってないこともないんだけど、それならそれで、あたしは「三越のバーゲン見に行かない?」って言うだろう。つまり、場所的にも「ついで」にはならない上に、「常盤橋のバーゲン」て言葉自体がおかしな言葉なワケだ。それなのに、N子は、そう考える前に、「常盤橋のバーゲンて何?」って聞き返して来た。
まあ、ポンポンと会話してる最中のことだから、相手の言葉が「?」だった時には、イチイチ立ち止まって、状況や脈絡を考えて自分で答を推測するよりも、パッと相手に聞き返しちゃったほうがテットリ早い。実際、あたしだって、誰かと会話してて、「えっ?」って思った言葉があれば、会話を中断して考えたりしないで、その場でパッと聞き返す。誰かが「トコパシのバーゲン」て言ったのが「常盤橋のバーゲン」て聞こえたら、「常盤橋のバーゲン?‥‥でも、ここは青山だから、ついでに常盤橋まで行くってのは距離的にもおかしいし‥‥それ以前に、常盤橋でバーゲンをやってるってこと自体がおかしいし‥‥ってことは、常盤橋にニュアンスが似た、この辺りにあるお店の名前を聞き間違えたんだと思うけど、そうなると、トキワバシ‥‥トキワバシ‥‥トキワバシ‥‥もしかして、トコパシ?」なんてことを脳内でやってたら、日が暮れちゃう。
‥‥そんなワケで、N子が、自己解決よりも聞き返すってほうを選択してるのは自然の摂理だと思うし、あたしもそうしてる。逆に、相手の言葉を正しく聞き取れなかったのに、相手に聞きもせず、自分で考えもせず、そのまま分かったフリをして流しちゃう人のほうが、遥かに問題だと思う。「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」ってワケで、フロッピー麻生みたいに知ったかぶりをして生きて来た人間は、60才を過ぎてから、全国民の見てる前で、「踏襲」を「フシュウ」、「未曾有」を「ミゾウユウ」、「順風満帆」を「ジュンポウマンポ」なんて読んじゃうワケだ。
ま、それはそれで、「マンガばかり読んでると俺みたいに全国の笑い者になっちゃうぞ」っていう、子供たちへの反面教師としての仕事をしたってことで、ある程度は評価できる。でも、一般人の場合には、60年以上も生きて来て、こんな漢字も読めなかったら、単なる「無知な大人」でしかない。やっばり、分からないこと、知らないことがあれば、その場で相手に聞くか、自分でキチンと調べるべきだろう。だから、すぐに相手に聞き返すN子は、何ひとつ間違ってないどころか、人としてのお手本のような行動をしてることになる。ただ、その回数が尋常じゃないから、いつでもドタバタしちゃってるのだ。
たとえば、1人が話してるのを10人が聞いてたとして、その話の中に「現実とカイリしている」ってフレーズが出て来たとする。そして、9人は、この「カイリ」が「乖離」のことだと理解して聞いてたけど、1人は意味が分からなかったとする。この場合、言葉の意味が分からなかった人が、隣りの人に「カイリってどういう意味ですか?」って聞いたとしても、聞かなかったとしても、この人の耳には、他の9人とおんなじに、ちゃんと「カイリ」って聞こえてたワケだ。つまり、問題なのは、この人が、年齢的に考えて、「知ってて当然の言葉を知らなかった」ってことになる。
だけど、N子の場合は、そうじゃない。ちゃんと「カイリ」って聞こえてれば、N子はフロッピー麻生みたいにバカじゃないから、「乖離」の意味くらい普通に知ってる。だけど、N子の耳には、他の9人の耳に「カイリ」って聞こえた言葉が、ナゼだか「カイギ」って聞こえちゃってるのだ。それで、すぐに、「あの~、『現実と会議している』って、どういう意味なんですか?」って質問しちゃうワケだ。
つまり、N子の場合は、言葉の意味は人並みに知ってるのに、カンジンの言葉が正しく聞こえて来ないから、意味が分からなくて聞き返しちゃうワケだ。それも、誰もが聞き間違えるような分かりずらい言葉だけじゃなくて、他の人にはちゃんと聞こえる言葉までもが、ワリと激しい確率で、変なふうに聞こえちゃう。でも、耳鼻科で診てもらったら、聴力には何も問題がないと言う‥‥ってことで、あたしの高卒の脳みそだと、さっきの「耳がオッチョコチョイ」っていうアバウトな推理が精一杯だから、久しぶりに、頭脳は子供でもベッドでは大人、迷探偵キッコナンに登場してもらった。そしたら、ひと通り状況を聞いたキッコナンは、静かに口をひらいた。
「それは、耳が乱視なのね」
あたしは、さっきの「耳がオッチョコチョイ」のとこで、「視力が0.8で落ち着いた性格の人と、視力が1.5でオッチョコチョイな性格の人に、見間違いしやすいものをいくつか見せるテストをしたら、視力が1.5の人のほうが見間違いが多いんじゃないかと思う」っていう推理をしたけど、キッコナンに言われてハッと気づいた。そう、視力には、「近視」の他に「乱視」もあったんだ!
たいていの近視の人は、乱視も混じってるみたいで、メガネを作る時には、近視と乱視の両方を矯正するようにレンズを選ぶそうだ。そして、実際に視力が悪い人に聞いてみると、近視よりも乱視のほうが厳しいらしい。つまり、視力が「0.1」だけど乱視じゃない人と、視力が「0.3」で乱視も酷い人がいれば、裸眼で何かを見る場合には、前者のほうがよく見えるってことになる。
で、キッコナンの言葉だ。「耳が乱視」ってのは、「お腹が頭痛」って言ってるみたいなもので、単なる比喩みたいなもんだろうけど、ようするに、耳にも、音の大きさがどのくらい聞こえるかの「聴力」だけじゃなくて、おんなじ音量でも、それが正しく聞こえるかブレて聞こえるかの「乱視」ならぬ「乱聴」ってのがあるんだろう‥‥って推理だ。もしも、そうだとしたら、聴力が悪いワケじゃないのに、よく聞き間違いを起こすN子みたいな人は、まさしく、この「乱聴」ってことになる。だから、乱視の人が、乱視を矯正するレンズのメガネを掛けるみたいに、乱聴を矯正する小型フィルターみたいなのを開発して耳の穴にはめれば、聞き間違いの回数が人並みになるってワケだ。
‥‥そんなワケで、「乱聴」なんてものがあるのかどうかは分からないし、ましてや、それを矯正する小型フィルターが開発されるかどうかなんて分かるワケがない。だけど、あたしとしては、楽しい聞き間違いを連発してくれるN子のことが大好きだし、N子自身も、すぐに聞き返すから、コレと言って、二次災害や三次災害に発展したことはない。別に、そんなに困ってるワケじゃないし、どっちかって言えば、現場でみんながピリピリしてる時なんか、N子の聞き間違いでドッと笑いが起こり、場がリラックスしたりもしてる。だから、もしも「乱聴」なんてものがあって、さらに小型フィルターまで開発されたとしても、N子だけは、そんなものを使わずに、今まで通り、いつものN子でいて欲しいと思う今日この頃なのだ。
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