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2009.07.01

「尾ヒレ」のつく話

最近、リトル方角の違う現場に通ってるので、いつもは使わない世田谷通りを使って帰って来ることが多い。で、深夜に帰って来る時とかに、深夜1時まで開いてる上に、500で150円の缶チューハイがある三本杉のとこのサミットに寄るんだけど‥‥って、こんなこと言ってもジモティーにしか分かんないと思うけど、「三本杉」ってのは、環八と世田谷通りの交差点の「三本杉陸橋」のことで、その昔、ここに大きな杉の木が三本あったそうだ。それで、もう杉の木が伐られて開発されちゃった今も、名前だけが残ってるワケなんだけど、この交差点には、数々の伝説がある。

 

たとえば、この辺りには、「三本杉のナントカ兄弟」ってのが住んでて、ものすごい暴れん坊だったって伝説がある。あたしの先輩の先輩の先輩の先輩あたりから伝わってる話だから、文字通り「伝説」になってて、ホントなのか作り話なのかも分からないんだけど、その兄弟2人だけでヤクザの事務所に殴り込みをかけて壊滅させたとか、その兄弟2人だけで100台以上の暴走族をぶっ潰したとか、そうとう尾ヒレがついてそうな伝説がたくさん残ってる。でも、人によっては、「三本杉」に合わせて「三兄弟」だって言ってる人もいるし、あまりにもいろんなバージョンがあって、どれがホントなのかぜんぜん分からない。

 

何しろ、中には、そのナントカ兄弟が100台以上の暴走族の車に取り囲まれた時に、三本杉のうちの1本を根っこから引き抜いて、それをぶん回して、100台以上の車をぜんぶ神奈川県まで飛ばしちゃった‥‥なんていう、まるで「日本むかしばなし」みたいな話まであるくらいだから、尾ヒレどころか、背ビレも胸ビレもついちゃってることウケアイだ。でも、話自体は大ゲサになっちゃってるけど、いわゆる「都市伝説」とは違って、もともとの話は事実っぽい。その証拠に、この辺りで古くから商店をやってるおじいちゃんとかおばあちゃんとかに聞くと、みんなその兄弟のことを知ってる今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?

 

 

‥‥そんなワケで、もう1つ、あたしがいろんな先輩から聞いたのが、「空飛ぶポルシェ」の伝説だ。この三本杉の交差点の角に、かつて、小さな高級中古車屋さんがあって、ビルの敷地面積が狭かったため、1階だけじゃなくて、2階にも車を展示してたそうだ。ようするに、2階も前面がガラス張りになってて、エレベーターになってる1階の床が、そのまま2階までせり上がるってタイプの中古車屋さんだったんだろう。そして、2階に車を展示してると、環八の陸橋を走ってる車から、よく見えるってワケだ。

 

で、ある日の深夜のこと、この環八の陸橋を爆走して来たスカイラインが、ハンドル操作を誤って、陸橋の側壁を突き破り、そのまま空を飛んで、この中古車屋さんの2階のショールームに突っ込み、展示してあったポルシェに突き刺さった‥‥って話だ。幸いにも、運転してた人は軽傷で済んだそうだけど、陸橋とビルとポルシェの弁償で何千万円ていう借金を背負って、どうのこうの‥‥ってことなんだけど、ここで「あれ?」って思うのは、空を飛んだのはスカイラインで、ポルシェは空を飛んでないってことだ。

 

だけど、この話にも尾ヒレがついてて、最終的には、ナントカ兄弟の話みたくなっちゃってるのだ。ハンドル操作を誤ったスカイラインが、空を飛んでビルの2階に突っ込んで‥‥って、ここまではおんなじなんだけど、ここから先が、大幅に脚色されちゃってる。何しろ、その衝撃で、展示してあったポルシェが、ビルの反対側の壁を突き破って、成城学園の駅前まで飛んでった‥‥ってんだから、なかなかすごい。他にも、ポルシェにスカイラインが突き刺さったまま、成城学園の成城警察まで飛んでって、その場で運転手が逮捕された‥‥って話もある。

 

だから、こうした「いかにも作り話」っていう話を先に聞いちゃうと、もともとの話自体もウソっぽく聞こえちゃうし、それこそ「都市伝説」だと思われちゃう。だけど、「ポルシェが飛んだ」って部分こそ作り話だけど、この事故は、ホントにあった話なんだよね。あたしは現場を見たワケじゃないけど、現場を見たっていう地元の商店のオヤジさんから、ビルの2階に刺さった車の写真を見せてもらった。ただ、ビルの外に出てる車の後ろの感じからすると、スカイラインじゃないように思う。これは、今から30年くらい前の話だそうだから、そしたら、R30の鉄仮面が出る前なので、ジャパン以前てことになるけど、サスガに当時でもクラシックカーだったハズの初代や2代目のワケはないだろうから、普通に考えたら、ハコスカかケンメリかジャパンてことになる。だけど、写真を見る限り、どれにも当てはまらない。

 

‥‥そんなワケで、「三本杉のナントカ兄弟」にしても、「空飛ぶポルシェ」にしても、もともとは実話なのに、人から人へと伝わってくうちに、どんどん尾ヒレがついてって、終いには都市伝説みたいになっちゃったワケだ。もちろん、これらには、ぜんぜん悪意なんてない。ただ単に、人から聞いた面白い話を今度は自分が誰かに話す時に、ちょっとしたサービス精神みたいな感じで、少し大きく話しちゃって、それがどんどん膨れてっただけのことだ。だから、どこかの誰かが悪意を持って流したウワサ話とかなら、火のないとこにガソリンをまいて放火したようなのもあるけど、これらの「悪意のない話」の場合は、根も葉もない話ってワケじゃない。

 

たとえば、大物のフナを釣り上げて、「おおっ!大物だ!」って喜んで、写メを撮ってから、メジャーで計ってみたら、28.5センチだったとする。そしたら、その写メを誰かに見せる時には、ほとんどの釣り人は「30センチ」って言うだろう。これは、「28.5センチなんて細かく言うのもちょっと‥‥」って気持ちとか、「約30センチってことでいいじゃん」って気持ちとか、いろんな気持ちがあってのことだけど、自分を客観的に見てみると、こうした気持ちは自分に対するイイワケであって、本心は「ちょっとでも大きく言いたい」ってことになる。ようするに、自分を良く見せたいっていうカッコツケや虚栄心と根っこはおんなじってワケだ。

 

だいたいからして、このフナの28.5センチっていうホントの大きさにしたって、口の先から尾ビレの先までの「全長」であって、「体長」とは違うのだ。もともと、お魚の大きさってのは、口の先から尾ビレの付け根の部分までの「体長」のことで、その先についてる尾ビレまでは入れなかった。お魚の「体高」にしても、背ビレをピンと立てて、腹ビレを下に引っ張って、その長さを計ったりはしない。ヒレの部分を入れずに、純粋に体の高さを計るものだ。これとおんなじで、お魚の大きさを計る場合は、もともとは口の先から尾ビレの付け根までの「体長」だった。つまり、食べられる部分の長さだった。だけど、自分の釣り上げたお魚の大きさを少しでも大きく言って自慢したい釣り人が、尾ビレの先までの「全長」のほうを申告するようになって、今じゃそれが当たり前になっちゃった。

 

だから、「全長」が28.5センチのフナなら、「体長」は24cmくらいしかないワケで、昔の方式なら、24センチって申告しなきゃならなかったワケだ。でも、ちょっとでも大きく言って自慢したかった釣り人のサガで、誰かが最初に、尾ビレのぶんの4.5センチも付け足して、28.5センチって申告しちゃったのが、「話に尾ヒレをつける」って言い回しの始まりだ。だから、28.5センチって言うだけでも、すでに話に尾ヒレがついてるのに、さらに1.5センチもプラスして30センチだなんて、本人は許容範囲だと思ってるのかもしれないけど、正確には「6センチの上乗せ」、つまり、20%も粉飾決済してる悪徳企業ってことになる。

 

‥‥そんなワケで、フナの場合は、24cmだろうと30センチだろうとフナはフナなんだから、大きさを偽っただけのことで、それ以外の罪には問われない。だけど、これが、スズキだとかブリだとかボラだとかの出世魚の場合は、1センチの差で名前まで変わって来る。スズキの場合なら、10センチ前後までをコッパ、25センチまでの1年魚をセイゴ、50センチ台までの2年魚をフッコって呼んで、3年魚以上になって60センチ以上に成長したものだけをスズキって呼ぶ。

 

つまり、58.5センチのものを釣ったのに、これを60センチってことにしちゃって、みんなに「スズキを釣った」って自慢したとしたら、大きさを粉飾決済しただけじゃなくて、その株の銘柄までを虚偽申告したことになり、2つの罪を犯したことになっちゃうのだ。で、この罪を犯した可能性が極めて高いのが、平清盛だ。「平家物語」の巻一の三は、その名も「鱸(すずき)のこと」っていうショートストーリーなんだけど、清盛がどれほど成功を収めたのかってことが書いてあって、最後に、こんなふうに書いてある。

 

 

「平家がこんなに繁栄したのは、熊野権現の御利益だと言われてる。清盛がまだ安芸守(あきのかみ)だったころ、伊勢から船に乗って熊野詣に向かう時に、大きなスズキが船に飛び込んで来た。それを見た先輩の修験者が「昔、周の国の武王(ぶおう)の船に白魚(はくぎょ)が飛び込んで来たという話がある。これはきっと熊野権現の御利益に違いない。ぜひ召し上がってください」って言ったので、本当は肉や魚を食べてはいけない熊野への道中だったが、その禁を破って、清盛自らがそのスズキをさばき、自分でも食べ、家臣たちにも食べさせた。その結果、それからは良いことばかりが続き、清盛は太政大臣にまで出世して、子孫たちも竜が雲に昇るよりも早く出世したのだ。」

 

 

ちなみに、武王の話ってのは、中国の周の国の武王が、殷(いん)の国の紂王(ちゅうおう)を倒しに行くために船で黄河を渡ってたら、船に白魚(はくぎょ)が飛び込んで来た。「白」は武王の軍旗なので、これは敵軍が降伏する前兆だってことで士気が高まって、結果、討伐に成功した‥‥っていう故事のことだ。で、清盛の場合は、飛び込んで来たのがスズキだったってことが大きなポイントになってる。スズキは、古来から神聖なお魚とされてて、スズキの「スズ」は「清(すず)し」、「キ」は「清(きよ)い」って意味で、「清」の字が二乗になってるのだ。その上、スズキは出世魚だ。

 

そして、禁を破ってスズキを食べた清盛は、この日が10年もしないで、「平氏にあらずんば人にあらず」ってノタマッちゃうほどの独裁者の座へと上り詰めたのだ。これをコッパ→セイゴ→フッコ→スズキっていう「出世」と見るか、ハコスカ→ケンメリ→ジャパン→鉄仮面っていう「左遷」と見るかは人それぞれだけど、とにかく、「平家物語」には、これを熊野権現の御利益だとして書かれてるから、世の中的には「出世」なんだろう。

 

‥‥そんなワケで、清盛が太政大臣になったのは事実なんだから、それを自分の努力の結果だと言おうが、熊野権現の御利益だと言おうが、自民党と裏取り引きして大臣のイスを用意してもらったって言おうが、それは自由だ。ただ、あたしが疑ってるのは、ホントに船にスズキが飛び込んで来たのかどうかって点なのだ。スズキが水面上にジャンプするのは、エサの小魚を追ってる時に、水面まで追い詰めて、勢い余って飛び出しちゃうパターンが多い。だけど、船に飛び込むほど高くジャンプするのは、たいていは30~40センチくらいまでのセイゴやフッコまでで、60センチを超えたスズキになると、ヨホドのことがない限り高くはジャンプしない。ルアーにヒットしたスズキが、ルアーを外そうと「エラ洗い」をする時だって、頭を高くして振るだけで、尾ビレは水面についたままだ。

 

それなのに、ナゼだか、スズキが船に飛び込んで来たって話は多い。スズキを輪切りにして食べる狂言の「鱸包丁(すずきぼうちょう)」のモトになったのが、北条義政の船にスズキが飛び込んだって話だし、足利義政の船にもスズキが飛び込んだって話が残ってる。ここで問題なのは、この足利義政の話は、場所が琵琶湖なのだ。スズキは、河口とかの汽水域にもいるし、多摩川の場合なら河口から10キロも上流の丸子橋くらいまで上って来る。だけど、完全に淡水の琵琶湖にはいないだろう。今なら、ブラックバスならいるけど、シーバスが釣れたとか獲れたって話は聞いたことがない。

 

で、あたしの推理では、ホントは別のお魚が飛び込んで来たのに、縁起のいい出世魚のスズキ、清(すず)しくて清(きよ)いスズキってことにしちゃうってケースが、ワリと多かったんじゃないか‥‥ってことだ。もちろん、平清盛や足利義政が、最初からウソをついたかどうかは分からない。本人たちはホントのことを言ったのに、その話が人から人へと伝えられてくうちに、だんだんに尾ヒレがついてって、最終的に誰かが文献に記した時には、「立派なスズキ」ってことになっちゃってた可能性のほうが高い。

 

たとえば、「北条五代記」には、こんな話が載ってる。室町時代がそろそろ終わりを迎える天文6年、相模の国を治める北条氏綱が、相模湾でのカツオの一本釣り漁を見物しようと、舟を漕ぎ出した。そして、何艘ものカツオ舟の漁師たちの勇ましい姿を見物してたら、自分の舟にも1匹のカツオが飛び込んで来た。氏綱は「戦に勝つ魚(かつうお)が飛び込んで来たぞ。これはめでたい」と喜び、このカツオを食べて酒を飲み、そのイキオイで兵を起こして、武蔵の国の上杉朝定を打ち破って河越城を奪取しちゃった。

 

これで、カツオは「勝つ魚」、転じて「勝男(かつお)」の意味があるって言われるようになって、戦に行く前に、惜敗を期して‥‥じゃなくて、必勝を期して、武士たちの間で好んで食べられるようになった。そして、戦に持ってく保存食の「カツオの干物」のことを「勝男武士(かつおぶし)」って呼ぶようになった‥‥って話もある。ま、この辺はアトヅケだと思うけど、最初の「北条氏綱の舟にカツオが飛び込んで来た」って部分は、たぶんホントだろう。実際に、カツオの一本釣りの様子を見てると、現在の甲板が高い大型の船でも、カツオが自分のほうからピョンピョンと飛び込んで来るからだ。

 

‥‥そんなワケで、もともとは中国の故事から来てる話なんだから、どんな種類のお魚が船に飛び込んで来てもいいってワケじゃない。中国の故事では、自分の軍旗とおんなじ色のお魚が飛び込んで来たことを吉兆としたんだから、これに沿って、何らかの縁起をかついでなきゃなんない。出世魚である「スズキ」や、「勝つ」にカケることができた「カツオ」だからこそ、これを吉兆とすることができたんだと思う。

 

そして、絶対にスズキなんているハズがない琵琶湖でも、足利義政の船には、当たり前のようにスズキが飛び込んで来ちゃう。これは、親の七光で、わずか15才で将軍になったのもトコノマ、無知無教養で、民の声を無視し続けて、政治はすべて大臣たちに丸投げして、自分は遊び呆けてて、挙句の果てには無責任に政権をホッポリ投げちゃったっていう、今で言えばアベシンゾーみたいなサイテー人間だった足利義政だからこそのウソだろう。ホントは15センチくらいのハスか何かが飛び込んで来ただけなのに、他の有名人たちの逸話のマネをして、「スズキは海の魚だ」っていう大前提すら知らずに、450年後にあたしに笑われるとも知らないで、「二尺五寸もある立派なスズキが飛び込んで来た。これは吉兆じゃ」とか抜かしたんだと思う。

 

そして、平清盛の場合は、伊勢から熊野への航路なんだから、そんなに沖には出ないで、ワリと岸に沿って進んでったんだと思う。そう考えると、沿岸部で捕食するスズキのいる場所を通った可能性が高いし、それなりのリアリティーもある。ただ、最初に言ったように、船に飛び込むほど高くジャンプするのは、大きくても40センチくらいまでのセイゴやフッコで、60センチを超えたスズキが飛び込んで来ることはメッタにない。それも、清盛の場合は「大きなスズキが飛び込んで来た」って言ってるのだ。スズキは、最大で1メートルを超える大型魚で、去年、児島玲子ちゃんが高知で釣ったモンスターな大陸スズキは、105センチで8.8キロだった。

 

つまり、単に「スズキ」って言ったのなら、60センチでも70センチでもいいんだけど、あえて「大きなスズキ」って言うのなら、最低でも80センチ以上のものを指すことになる。だけど、そう考えると、とても船に飛び込んで来るサイズとは思えない。だから、百歩ゆずって、60センチのスズキが飛び込んで来たんだとしたら、それを「大きな」って言った部分が尾ヒレなワケだし、もしも60センチ未満だったとしたら、「スズキ」って名称までがウソになるワケだ。

 

だけど、何でこんなにみんながスズキにこだわるのかって言えば、それは、スズキが出世魚だからで、そしたら、一番出世した状態のスズキじゃなきゃ意味がないってことになる。セイゴやフッコが飛び込んで来たなんてホントのことを言っちゃったら、その人物の出世も「係長止まり」ってことになっちゃうからだ。だから、琵琶湖でスズキが飛び込んで来たとか抜かしてる足利義政の話はウソに決まってるけど、平清盛や北条義政の海の話にしても、あたしの推測だと、まあ、よくてセイゴかフッコで、ヘタしたらボラだと思ってる。

 

何でかって言うと、あたしのボートにも、ボラが飛び込んで来たことがあるからだ。もう10年以上も前のことだけど、霞ヶ浦で手漕ぎボートでバス釣りをしてたら、奥田民生さんとPUFFYの亜美ちゃんもボートでバス釣りをしてて、あたしは「おおっ!」って思って、連れて来てもらった男の子にボートをダッシュで漕いでもらって、民生さんたちのボートを追いかけるように言った。だけど、向こうはエレキ(バッテリー式のモーター)がついてて、なかなか追いつけない。それで、あたしは、まるでドロンジョ様がトンズラーとボヤッキーに文句を言うかのように、「こ~のスカポンタ~ン!」とかって言ってたら、突然、ビール瓶くらいの何かが、あたしの膝の上にバシャン!て飛び込んで来たのだ。

 

あたしは、あまりにもビックル一気飲みで、バタバタと大騒ぎしてボートが転覆しちゃいそうになったんだけど、それがボラだった。一応、獲物は獲物だから、ブラックバスが釣れた時に計るメジャーで計ってみたら、35センチだった。とにかく、あまりにも臭くて、それも、お魚の生臭さじゃなくて、ドブみたいなヘドロみたいな臭さだったから、すぐに逃がして、手をウエットティッシュで拭いたんだけど、ボラが乗ったジーパンの膝の部分は、ずっと臭くてイヤになっちゃった。

 

で、ボラも出世魚だから、オボコ→イナッコ→スバシリ→イナ→ボラって名前が変わってく。ただ、ボラの場合は、ボラっていう代表名が出世頭じゃないのだ。30センチまでがイナで、40センチ台までがボラで、50センチを超えるとトドって名前になる。これが「トドのつまり」って言葉の語源になってるんだけど、スズキにしてもブリにしてもチヌ(クロダイ)にしても、みんな、その名前が出世頭なのに、ボラの場合だけ、ボラは「上から2番目の名前」なのだ。

 

だからなのか、あたしのボートにまで飛び込んで来るほどのボラなのに、出世を望んでた昔の人たちの船には、不思議と飛び込んで来てない。だけど、現実には、スズキとボラは生息域が重複してる。両方とも、河口を中心とした汽水域を餌場にしてて、多摩川でも、スズキもボラも丸子橋まで上って来る。霞ヶ浦も、海とつながってるから、サスガにスズキが釣れたって話は聞かないけど、ボラは群れで回遊してるのをよく見るし、早朝とかは、20センチくらいのイナや30センチを超えたボラが、あちこちでバシャバシャと跳ねてるのを見かける。

 

多摩川を始め、ほとんどの大きな川の河口から数キロで、春になると「バチ抜け」って言って、ゴカイやイソメが産卵のためにユラユラと大量に泳ぎ出す。こうなると、いつもは小魚とかを食べてるスズキも、ボラやハゼと一緒になって、このゴカイやイソメを食べ始める。だから、河口付近は「バチ抜け祭り開催中」になるワケで、初心者でも簡単にスズキが釣れるようになる。で、この「バチ抜け祭り」の様子を見てると分かるんだけど、バシャバシャと跳ねてるのはほとんどがボラなのだ。この事実からも分かるように、船に飛び込んで来る確率が高いのは、スズキよりもボラのほうなのだ。

 

‥‥そんなワケで、もちろん、スズキが船に飛び込んで来る可能性だってゼロじゃないけど、平清盛や北条義政の船にスズキが飛び込んで来たって話は、あたしが推測する限り、そうとう「尾ヒレのついた話」って感じがする。最大限に事実だったとして推測しても、とても「大きい」とは言えない60センチそこそこのスズキだったハズだし、確率として高いのは、スズキとは呼べないサイズのセイゴやフッコだったってことになる。でも、これなら、まだマシなほうで、琵琶湖でもスズキが飛び込んで来たなんて言ってる足利義政の大ウソも踏まえて推測すれば、ホントはボラが飛び込んで来たのに、それじゃあ何の御利益もないからって、その船に乗ってたヤツラが示し合わせて、縁起のいいスズキってことにしちゃった。そして、どうせウソをつくなら、いっそのこと「大きなスズキ」ってことにしちゃえ‥‥って流れが見えて来る。ま、スズキにしたってボラにしたって、お魚なんだから、どっちも最初から尾ヒレがついてるワケで、その話に尾ヒレをつけたって、ま、いっか!‥‥っていう、当時のユルユルな雰囲気が伝わって来る今日この頃なのだ(笑)

 

 

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