日食とお稲荷さん
今日は、46年ぶりの「皆既日食」の日だったから‥‥って言っても、あたしは46年前には生まれてないから、生まれて初めての「皆既日食」なワケだし、さらに言えば、あたしの住んでる東京だと、「皆既日食」じゃなくて「部分日食」だ。だから、あたしは小学校の時に観てるし、珍しいんだか珍しくないんだかイマイチ分かんないんだけど、やっぱり、こうしたものは縁起物だから、観ないよりは観といたほうがいい。それで、あたしは、今日のお仕事のスケジュールをうまいこと調整して、夕方からのお仕事だけにしといた。そして、母さんに電話して、あたしのマンションの屋上で一緒に観る約束をしてたんだけど、朝、外を見てみたら、残念ながらドンヨリと曇ってて、今にも雨が降り出しそうな雰囲気がマンマンだった。
でも、イザとなれば、レベル52になった戦士きっこに、ギガスラッシュで雨雲を吹き飛ばしてもらえばいいか‥‥なんて思いつつ、あたしは、朝イチから、母さんと一緒に食べるお稲荷さんを作り始めた。ゆうべ、おアゲと紅ショウガを買っておいたし、ご飯も朝に炊きあがるようにセットしといた。だから、まずは半分に切ったおアゲを熱湯にくぐらせて油抜きをして、それから甘辛に煮て、煮汁ごと冷ましつつ、パタパタと寿司飯を作った。あたしのお稲荷さんは、寿司飯の中に、ミジン切りにした紅ショウガと白ゴマを混ぜるのがポイントだ‥‥って言っても、母さんのお稲荷さんをマネしたんだけど(笑)
母さんもあたしも、そこらで売ってるお稲荷さんは、甘すぎて好きじゃない。お稲荷さんには、ある程度の甘さは必要だけど、肉ジャガくらいの甘みで十分で、それよりも、オカカのダシを効かせたほうが美味しい。だから、母さんもあたしも、オカカのダシをベースにして、そこにお醤油と少量のお砂糖を入れて、それでおアゲを煮る。そして、寿司飯に、ミジン切りにした紅ショウガと白ゴマを混ぜると、味もサッパリするし、歯応えにも変化が生まれるから、ぜんぜん飽きなくて、5個でも10個でも食べられちゃう。実際、中学生の時のお誕生日には、母さんの作ってくれたお稲荷さんがあまりにも美味しくて、1人で14個も食べたことがある。ホントは、12個でお腹がパンパンになったんだけど、14才のお誕生日だったから、ここまで来たら年の数だけ食べちゃおうと思い、ムリしてあと2個食べたんだけど‥‥なんてカミングアウトしてみた今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?
‥‥そんなワケで、あたしは、チャチャッとお稲荷さんを作って、2時間くらいドラクエをやって、それからのんびりと母さんを迎えに行こうと思ってた。だけど、お魚にエサをあげたら、濾過機のフィルターが汚れてることに気づいたから、予備のフィルターに交換したり、猫たちに朝ご飯をあげに行ったら、皆既日食の日だからなのか、猫たちがみんな落ち着きがなくて、ヤタラとあたしにスリスリして来るから、1匹ずつ膝に乗せてかまってやったり、ブラッシングしたりしてた。それから、リビングのお掃除をしてたら、もう10時半を過ぎちゃったから、そのまま車で母さんを迎えに行くことにした。
相変わらず、空は一面のグレーで、いつ雨が降って来てもおかしくないような雰囲気だったけど、真っ黒な雨雲が低く垂れ込めてるんじゃなくて、薄い雲が空全体を覆ってるって感じだった。だから、お日様の前の雲が風に流れて薄くなると、お日様もボンヤリと見えるって状態で、これなら、なんとか日食が観られるかもしれない‥‥なんて思いつつ、母さんを乗せて車で戻って来る時、信号で停まってたら、母さんが「もう日食が始まってるよ!」って言って空を指さした。あたしは、「えっ?」って言って、母さんの指さしてる右のほうを見たら、ウロコ状っぽいマダラの雲の隙間に、片側が欠けて三日月型になったお日様が浮かんでた!
で、よくよく考えてみたら、星座や流れ星を観るワケじゃないんだから、何もマンションの屋上みたいな高いとこに上らなくても、お日様が見える場所ならどこでも良かったワケだ。それで、あたしは、急きょ作戦を変更して、多摩川沿いのいつものポイントに車を停めて、サンルーフを開けて、そこで観察することにした。多摩川沿いは、基本的に駐車禁止で、駐車するスペースもないんだけど、ここは道路がビミョ~にS字になってて、角の部分に、大型車なら1台、小型車なら2台、停められるようになってる秘密のポイントなのだ。
でも、この場所に到着したら、お日様は、また雲に隠れちゃった。お日様のある場所は、雲が白っぽく光ってるから分かるんだけど、カンジンのお日様の形を観ることができない。戦士きっこにギガスラッシュを使わせるワケにも行かず、結局、母さんとあたしは、ぼんやりと光ってる雲のほうを眺めながら、雲がどいてくれるのを待つしかなかった。最初のうちは、サンルーフから眺めてたんだけど、これだと、2人とも、ずっと首を右に曲げてなきゃダメで、首が疲れちゃう。それで、車から降りて、後ろのハッチバックを開けて、そこに腰掛けることにした。これだと、今度は左を向かなきゃなんないんだけど、左ナナメ向きに腰掛けるって技を使ったから、首はそんなに疲れない。
‥‥そんなワケで、ナンダカンダ言いつつも、40分くらい空を眺めてて、日食は5~6回くらい観ることができた。お日様が雲から出て、また隠れるまでが「1回」だから、「5~6回くらい」って言っても、日食の回数としては、ぜんぶマトメて「1回」なんだけど(笑) とにかく、下敷きも何も使わないで、普通に肉眼で観ることができたのは、曇ってたオカゲだ。あたしは、念のために、厚さが5ミリの黒いプラ板を用意してたんだけど、マンションの屋上で観るつもりだったから、お部屋に置いたままだった。
あたしが観た日食は、たしか3年生の時の夏休みだったと思うから、今から28年前だ。1学期の最後の日に、「夏休み中に学校で日食を観る会をやるから、来られる人は来るように」っていうお知らせをもらって、クラスの3分の2くらいの子が集まった。他の学年の生徒もみんな来てて、それぞれのクラスごとに、何年何組は校庭のここ、何年何組は校庭のあそこ‥‥ってふうに分かれたんだけど、あたしのクラスと隣りのクラスは、ナゼか屋上だった。それで、各自が持って来た濃い色の下敷きを使って日食を観たんだけど、こういう時には、必ず忘れて来る子が2~3人いて、先生のほうも、それを想定して、何人かのぶんの下敷きを用意してくれてるんだよね。
子供のころの記憶って、ホントに面白いもので、あたしは、日食を観たことよりも、いつも忘れ物をする男の子が、この日も下敷きを忘れて、先生から借りる時に、「またお前か!」って言われて、周りにいたみんながゲラゲラと笑ったことと、その子がバツの悪そうな顔をしてニヤニヤしてたことのほうをハッキリと覚えてる。だけど、顔は覚えてるのに、何て名前の子だったのかは思い出せない。あとは、あたしがいつも使ってた下敷きは、薄いピンクのキャラクターのヤツだったので、この日食のために、わざわざ文房具屋さんへ濃い色の下敷きを買いに行ったことを覚えてる。
母さんはお仕事だったから、おばあちゃんが連れてってくれたんだけど、小学校の近くの文房具屋さんは、みんなが濃い色の下敷きを買いに来たみたいで、あたしが行った時には、濃い色はぜんぶ売り切れになってた。一番濃いのでも、普通のグリーンのしか残ってなかった。そしたら、おばあちゃんが、わざわざ渋谷のデパートの文房具屋売り場まで連れてってくれて、そこでようやく濃い紫色の下敷きを買ってもらえたのだ‥‥って、ここまで書いて、ふと思い出したんだけど、そのころ、クラスの女の子の間で、可愛いシールが流行ってたんだ。すごい!完全に忘れてたことなのに、書いてるうちに思い出して来た!
ちっちゃいネコとかお花とかショートケーキとかのシールが、1シートに10枚とかついてるヤツで、下敷きや筆箱に貼ったり、お友達同士で交換したりしてた。それで、この日も、あたしは、おばあちゃんにシールを買ってもらったんだ。当時のあたしは、ちびまる子そのもので、おばあちゃんは、友蔵的な存在だった。母さんと出かけると、ヨホドのことがない限り、あたしが欲しがるムダなものなんて買ってくれなかったんだけど、おばあちゃんと出かけると、何でも買ってくれた。もちろん、何千円もするものはムリだけど、100円くらいのものなら、何でも買ってくれた。
で、小学校の近くの文房具屋さんは、クラスの子たちもみんな行くから、そこに置いてあるシールは、別に珍しくなかった。だけど、渋谷のデパートの文房具屋売り場には、文房具屋さんの何倍もの量のシールが置いてあって、見たこともない珍しいものもいっぱいあった。それで、狂喜乱舞しちゃったあたしは、下敷きのことなんかどうでもよくなっちゃって、シールばかり見てた。そしたら、おばあちゃんが、「欲しいものがあるなら、下敷きと一緒に買ってあげるからね」って言ってくれたもんだから、さらに狂喜乱舞しちゃったあたしは、両手に10種類くらいのシールを持って、おばあちゃんのとこへ行った。
そしたら、サスガに、「こんなに買ったらお母さんに叱られちゃうから、2つまでにしようね」って言われちゃった。それで、悩みに悩んであたしが選んだのは、熱帯魚のシールと、お寿司のシールだった。熱帯魚のシールは、ネオンテトラとかエンゼルフィッシュとか5種類の熱帯魚が、2匹ずつタテに並んでるもので、すごくカラフルで可愛かった。そして、お寿司のシールは、マグロの握りとかイクラの軍艦巻きとかが1個ずつ並んでて、一番下にカッパ巻きと鉄火巻きが2個ずつ並んでて、ちょうど一人前のお寿司になってた。だから、熱帯魚のシールのほうは、お友達のシールと交換することができたんだけど、お寿司のシールのほうは、カッパ巻きと鉄火巻き以外は、どれも1個ずつしかなくて、交換することができなかった。
‥‥そんなワケで、小学3年生の夏休みっていうと、あたしがハッキリと記憶してるのは、夏休みの宿題で作った「オオモンハタの貯金箱」がワンダホーな出来栄えで、校長先生の金賞をもらったことだ。これは、2008年8月31日の日記、「夏休みの宿題」に書いたけど、今、必死になって記憶の糸をたどってるんだけど、「オオモンハタの貯金箱」を作った夏休みと、日食を観た夏休みが、どうしてもおんなじ夏休みとは思えないのだ。そうすると、日食を観たのって、2年生の時だったのかな?‥‥って、ナニゲに自信がなくなってきちゃったけど、あたしの場合、小学校に入学したのが病気で1年遅れてるから、高校を卒業するまで、ぜんぶ1年ずつズレてるんだよね。
とにかく、小学生の時に日食を観たことだけは事実なんだから、今日の日食で、あたしの「日食スキルポイント」は「2」になったってワケだ。それで、母さんに、46年前の皆既日食を観たかどうか聞いてみたら、覚えてないって言う。そりゃそうだよね。46年前の皆既日食は、北海道の一部でしか観られなかったんだから。母さんが覚えてるのは、あたしが観た小学生の時の日食と、あたしがまだ小学校に上がる前に、病院に入院してた時の日食だそうだ‥‥ってことは、あたしが記憶してないだけで、実際には、あたしは、小学校に上がる前にも日食を観てた可能性がある。そうだとしたら、あたしの「日食スキルポイント」は「3」になる。ま、どうでもいいけど(笑)
とにかく、「皆既日食」に限定すれば、今度は26年後だそうだけど、普通の「部分日食」なら、ワリとチョコチョコと観られる。あたしの住んでる東京でも、最近なら、2002年の6月と2004年の10月に「部分日食」があったみたいだし、来年2010年の1月15日にも、日が暮れる間際に「部分日食」が観られるそうだ。2012年の5月21日には「金環食」が観られるし、「部分日食」なら、2016年3月9日、2019年1月6日、2019年12月26日、2020年6月21日‥‥って、26年も待たなくても、たくさん観られる。
‥‥そんなワケで、今日は、一応、母さんと一緒に日食を観ることができたから、まあまあ良かったんだけど、日食よりも感動したのが、日食が終わったあとの空の美しさだった。それまで薄暗かった空が、見る見るうちに明るくなって、空を覆ってた雲も薄くなって、何だか、明るい未来が見えて来たみたいに感じられたからだ。お日様の温かさが肌で感じられて、多摩川を渡って来る風が、すごく気持ちが良かった。お稲荷さんも好評だったし、久しぶりに母さんと夕方までゆっくり過ごすことができて、すごく楽しい1日だった。これで、政権交代が実現して、オムライス党(社民党)が大幅に議席を増やしてくれたら、母さんとあたしだけじゃなく、全国の母子家庭にお日様の光が届くようになるだろう。そして、今の子供たちが立派な大人になってる26年後に、みんなが笑顔で、次の「皆既日食」を見上げてるだろう‥‥なんて思った今日この頃なのだ。
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