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2009.07.28

バレ句な人々

あたしは、基本的には下ネタは嫌いだし、特に、エッチな言葉をストレートに言われたり、オヤジギャグ系の下ネタを言われたりすると、生理的に受けつけない。たとえ、あのカッコイイ福山雅治が、あのステキな低い声で言ったとしても、それでも生理的に受けつけない。福山雅治が、TOKYO FMの「SUZUKI TALKING FM」で、時々エッチなことを言ったりしてるのは、ストレートな言い方もしないし、オヤジギャグでもなくて、「暗喩」っていうか、ナニゲに分かるようにサラッと言ってるからOKなんだけど、おんなじTOKYO FMの番組でも、エロオヤジ全開のキムタクの「ワッツアップ・スマップ」は、聴くにたえない。たまたま放送日がクリスマスイブの日だった時には、女性スタッフが気を利かせてクリスマスケーキを差し入れしたら、すかさず「メリークリト●ス!」って叫び、その言葉がよほど気に入ったのか、キムタクは番組が終わるまで何度も何度も「メリークリト●ス!」って繰り返してた。最近も、映画についてのマジメな話をしてた時に、古き良きアナログ映画と、最近のCGを使いまくった映画を説明するのに、「昔の映画は道具を使わないでするオ●ニーで、最近の映画は道具を使ったオ●ニーってことだ。結局、どっちのオ●ニーも気持ちいいんだよね。あはははは~」って言って、番組が終わるまでに何十回も「オ●ニー」を連発してた。コレって、あたしが生理的に受けつけないとかって以前に、放送倫理的にどうなんだろう? 週末の夜の11時って言えば、小学生や中学生だって起きてる時間だし、ファンなら子供でも聴いてると思うんだけど。つーか、40近いオッサンが公共の電波を使って「クリト●ス」だの「オ●ニー」だのを連発すること自体が、あたしからすると、寒気がするほどキモイ。「そんなにイヤなら聴かなきゃいいじゃん!」て言われるのは当然で、あたしだって聴きたくて聴いてるワケじゃない。お風呂に入る時に、バスルームの外に置いてあるラジカセのスイッチを入れてから入るんだけど、いくら聴かないように気をつけてても、いつもTOKYO FMにセットしてるから、1年に何度かは間違えて聴いちゃう今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?

 

 

‥‥そんなワケで、ヒサビサに「マクラの一気書き」をしてみたワケだけど、あたしは、「基本的には下ネタは嫌いだし」とかって宣言しつつも、もともと言葉遊びやダジャレが好きなこともあって、口には出さないけど、脳内では下ネタを考えちゃうことが多い。たとえば、オトトシの暮れくらいに、知り合いの週刊誌の記者から、「来週、長瀬智也と相武紗季のスクープが出るよ」ってメールが来た時なんか、あたしの脳内シアターで真っ先に上映されたのが、「相武紗季の体を愛撫しまくる長瀬智也」ってタイトルの日活ポルノ映画だった。他にも、何かの言葉や文章を見たり聞いたりするたびに、こうした下ネタが次々と思い浮かんじゃうから、自分でも疲れて来るほどだ。

 

最近も、「年金たまご」っていう新種の詐欺のニュースを耳にした瞬間、あたしの脳内では、「年/金たま/ご」っていう区切りを入れた形に自動変換されちゃった。もともとの言葉が「年金たまご」なんだから、区切りを入れなら「年金/たまご」なのに、わざわざ、俳句で言うところの「句またがり」にしてまで、「金たま」ってことばを抽出しちゃうんだから、まるで下ネタを探しながら生活してるエロオヤジ並みの脳みそだ。さらには、「この『年金たまご』の『たまご』は、漢字で『玉子』って書いたほうが完璧になるな」なんてことまで考えちゃった。こんな自分に乾杯!(笑)

 

ま、問題なのは、「口に出して言う」ってことであって、脳内で考えてるだけなら、誰にも迷惑を掛けないし、誰にも不愉快な思いもさせない。脳内で考えるだけなら、下ネタどころか、たとえ人殺しをしたって何の罪にも問われない。ものすごく嫌いな人がいた場合に、こうした公開されてるWEB日記やブログ、掲示板なんかに殺人予告を書いたら逮捕されちゃうけど、脳内で思ってるだけなら、金属バットでタコ殴りにして殺したって罪にならない。今回、あたしが、「相武紗季を愛撫」だの「年/金たま/ご」だのって書いたのは、「下ネタを嫌ってるあたしも脳内ではこんなことを考えてる」ってことを紹介するためであって、こうしたくだらない下ネタで不特定多数の人たちを不快にさせようと思ってのことじゃない。本来なら、絶対に誰にも言わないジャンルのことだ。

 

‥‥そんなワケで、あたしは下ネタが嫌いなんだけど、一番嫌いなのが、「ワッツアップ・スマップ」でのキムタクのように、その単語を連発するっていう幼児スタイルだ。これは、エッチなことに興味を持ち始めた小学校の高学年くらいの男の子が、嫌がるクラスの女の子たちに向かって、ワザと「セックス!セックス!」って言って追いかけまわしてるのとおんなじレベルだからだ。こんなことを大人になってもやってるってことは、「普通の人が言わないようなエッチな単語を当たり前のように連発するとカッコイイ」とかって思い込んでる幼児性のなせる業(わざ)で、ただ単に「生理的に受けつけない」ってだけじゃなくて、何て言うか、聴いてて情けなくなって来るのだ。

 

そして、次に嫌いなのが、下ネタのオヤジギャグだ。キムタクの「メリークリト●ス!」ってのも、このジャンルになるけど、下ネタの不愉快さとオヤジギャグの寒さとの相乗効果で、全身で小さな鳥肌実が演説を始めちゃうくらい寒気がして来る。ちなみに、あたしは、鳥肌実さんは大好きで、一連の演説も大好きだ。これは、「鳥肌が立つ」ってことをオヤジギャグにしてみただけだ‥‥って念を押したりしつつ、ついでに言っとくと、あたしは、「あたし個人が下ネタが嫌いだ」ってことを書いてるだけで、下ネタを連発する人たちや、それを聞いて面白いと思ってる人たちのことを否定してるワケじゃない。

 

これは、食べ物やお洋服の趣味とおんなじことで、十人十色、人それぞれの感性の問題なんだから、好きな人は好きなままでいいと思ってる。ただし、子供も聴くような時間帯の全国放送のラジオで、仮にもトップアイドルの1人が、「クリト●ス」だの「オ●ニー」だのって単語を連発することは、放送倫理上、問題じゃないの?‥‥ってこととか、嫌がる女性社員に、毎日毎日いやらしい下ネタのオヤジギャグを連発する上司ってどうよ?‥‥ってこととか、こうしたケースについては、すでに「個人の感性の問題」を激しく逸脱してると思ってる。ようするに、下ネタを聞くのが好きな人だけがいる場所で、下ネタを言うのが好きな人が連発するぶんには何も問題はないけど、下ネタが嫌いな人がいる場所では、社会人としての最低限のマナー的にも自重すべきだろう‥‥ってことだ。

 

‥‥そんなワケで、あたしが、下ネタのオヤジギャグが嫌いなのには、一応、理由がある。もちろん、「生理的に受けつけない」ってことが大前提なんだけど、あえて理由を探してみると、これは、200年以上も前の江戸時代の「バレ句」に行き着く。「バレ句」ってのは、今までにも何度か書いて来たけど、下ネタを詠んだ川柳のことで、漢字では「破礼句」って書く。「バレ」ってのは、江戸時代の言葉で「淫らな」って意味だ。こうした「バレ句」がたくさん掲載されてる本としては、安永5年(1776年)から享和元年(1801年)にかけて全4巻が発行された「誹風末摘花(はいふう すえつむはな)」って本が有名だ。

 

江戸時代の川柳は、句会をひらいて参加者の句を集める時に、その句の内容によって、3つに分類してた。貴族やお武家さんの繁栄とかを詠んだ高尚な句は「高番」、親子や家庭、商人の生活などの一般的な人事を詠んだ句は「中番」、恋愛やセックス、ウンコやオシッコなどのネタを詠んだものは「下番」てふうに分類してた。これは、貴族の繁栄を詠んだ高尚な句と、セックスやウンコを詠んだ句とをおんなじテーブルの上で優劣つけることが難しかったからだ。つまり、高尚な句は高尚な句のグループ、下品な句は下品な句のグループに分けて、それぞれのグループの中で優劣を競ってたワケだ。

 

で、この「下番」の句だけを集めたのが、江戸時代に発行された「誹風末摘花」ってワケで、これは、「末の句を拾い集めた」って意味で、「源氏物語」の「末摘花」にカケてある。「下番」の句を集めたんだから、すべてがエッチな「バレ句」ってワケじゃなくて、単に恋愛を詠んだ句もあれば、単に下世話な出来事を詠んだ句も収められてる。だけど、その多くは、あまりにもジンジャエールな「バレ句」であって、それこそ、現代の下品な上司の下品な下ネタと大差ないのだ。たとえば、こんな句もある。

 

 

 仰向いてせんずり臍が潦(にはたづみ)

 

 

こんな時、あたしは、俳句を勉強してるオカゲで、すぐに意味が分かっちゃう自分が悲しくなる。「潦(にはたづみ)」ってのは、現代仮名遣いだと「にわたずみ」で、「水溜り」のことだ。つまり、仰向けになってオ●ニーをしたら、おへそが水溜りになっちゃったって意味だ。オーマイガー!

 

 

 せんずりはかかれませんと搗屋みせ

 

 

「搗屋(つきや)」ってのは、「搗き米屋」のことで、米問屋さんからお米を仕入れて来て、それを精米して小売りする商売だ。当然、今みたいに全自動の精米機なんてなくて、人力の精米機を使ってたから、朝から晩までお米を搗いてる搗屋さんの手のひらは、硬くてゴワゴワになっちゃってた。それで、その手を見せて、「こんな手じゃオ●ニーなんてできませんよ」って愚痴をこぼしてるワケだ。オーマイガー!

 

 

 五十ほどかくとせんずり終ひなり

 

 

「千摺り」と言いながらも、50回も摺れば終わってしまう。オーマイガー!‥‥って、オ●ニーの句ばかりじゃアレだから、別の句も紹介する。

 

 

 馬ののがなけりゃ一だと湯屋で云ひ

 

 

銭湯に行ったオチンチン自慢の男が、「馬さえいなければオレ様が一番だ!」って、これまたオーマイガー!

 

 

 牛若が目がさめますと常磐云ひ

 

 

幼いころの義経(牛若)が寝てる横で、男とセックスしてるお母さんの常磐‥‥って、こっちもオーマイガー!

 

 

 障子突き抜きへのこにばあをさせ

 

 

「へのこ」ってのは、沖縄の辺野古のことじゃなくて、「男の根」って書いて、男性のオチンチンのことだ。 ようするに、お目当ての女性のいる部屋へ行き、障子を開けずに、ボッキしたオチンチンで障子を突き破って、「いないいないバア」をしたってことだ。どっかの東京都知事が書いた誤字だらけの三流小説に、「彼は勃●した陰●を外から障子に突きたてた」とかっていう作者の人格そのまんまのくだらない描写があるけど、川柳の「下番」の世界では、200年以上も前に、とっくにネタになってたのだ。オーマイガー!‥‥つーか、都知事がパクリ?(笑)

 

ま、あんな「下番」な男のことは置いといて、あたしが「バレ句」を嫌いなのは、こうした品性下劣な句が多いからだけじゃない。ある意味、こんなバカバカしい句を詠み合うことがオオヤケに行なわれてたほど、レクリエーションの少なかった時代なんだから、これはこれで、江戸時代の大衆文化の1つとして評価することができる。あたしが「バレ句」を嫌いなのは、どっかの東京都知事とおんなじに‥‥って、また登場させちゃったけど、とにかく、男尊女卑の極みが凝縮されてることがムカつくからだ。

 

ま、女性に参政権が与えられたのは、今からわずか60年前の昭和20年(1945年)で、これにしたって、戦争に負けたニポン政府が、アメリカから命令されて仕方なく与えたもので、それまでは、明治、大正、昭和と、何度も何度も「女性にも参政権を」ってことが議題に上がるも、封建的な男どもによって、ことごとく潰されて来たのだ。つまり、戦争に負けてなかったら、あたしたち女性は、今でも参政権がなかった可能性もあるのだ。フロッピー麻生は、「東京で美濃部革新都政が誕生したのは、婦人が美濃部スマイルに投票したのであって、婦人に参政権を与えたのが最大の失敗だった」ってノタマッたけど、ニポンが戦争に負けなければ、今でもフロッピー麻生や三流小説家のオモワク通りに、男性だけの独裁政治が続けられ、あたしたち女性は、「男性の性欲のハケグチ&女中」としてコキ使われてたことだろう。

 

‥‥そんなワケで、「男が偉くて女は下の下」ってのが当たり前だった江戸時代だから、女性を下に見た川柳がマウンテンなのは仕方ないことだけど、それでも、あたしとしては、読めば不愉快になる。

 

 

 後架でせんずり下女とした心待ち

 

 

「後架(こうか/ごか)」ってのは、禅寺のおトイレのことだ。ようするに、セックスのできない禅寺で修行をしてる若いお坊さんが、性欲には勝てずにおトイレに隠れてオ●ニーをしたんだけど、この「便所でオ●ニーしてる自分」を「まるで下女とセックスしたような情けない気分だ」って言ってるワケだ。

 

 

 妾のはねだり下女のはゆすりかけ

 

 

妾(めかけ)とセックスする時はおねだりしてやり、下女とセックスする時は脅してやるって意味だ。ま、この辺までは、まだまだ許される範囲だけど、ここから先は、「TVタックル」で田嶋陽子が発狂しちゃいそうな句を紹介する。

 

 

 毛虱(けじらみ)も鼻つまんでる臭い下女

 

 毛虱へ煮え湯をかけて下女火傷

 

 すは夜討むきみで逃げる馬鹿女

 

 馬鹿のむきみの腐つたは夏の下女

 

 下女寝糞おごと剥身はぬたになり

 

 

最後の句は難しいので、リトル解説するけど、「おご」ってのは「おご海苔」っていう海藻の一種で、岩場に貼りついてることから、「アンダーヘア」のことを指す。ようするに、下女が寝糞をして、下半身が糞まみれになっちゃって、アンダーヘアとアソコが和え物の「ぬた」みたいになっちゃった‥‥って意味だ。こんな句を読んだ日にゃあ、半年くらい「ぬた」を食べられなくなっちゃうけど、句会にこんな句を提出して、男同士でゲラゲラと笑い合ってたんだから、男っていう生物のレベルがよく分かる。

 

他にも、男を欲しがってオ●ニーにふける女性を笑い者にした句や、生理中の女性器のことを「赤貝」にたとえて揶揄した句など、今すぐにタイムマシンで江戸時代の句会に乗り込んでって、ドイツもコイツもカタッパシから金属バットでギガスラッシュを食らわせてやりたくなるような句がメジロ押しだ。そして、こうした品性下劣な上に男尊女卑の腐った精神性がマウンテンな江戸時代の「バレ句」の流れをくんでるのが、現代の下ネタのオヤジギャグなのだ。最初にも書いたように、人の感性は十人十色だから、下ネタのオヤジギャグを言うのが好きな人がいても、それは別に構わない。ただ、あたしの知る限り、そういう人の多くは、男同士で言い合うのが好きなんじゃなくて、ワザと嫌がる女性に向かって言うことが好きなのだ。だから、あたしは、ムカついてるワケだ。

 

‥‥そんなワケで、2006年6月18日の日記、「恋歌からエロティッ句へ」に詳しく書いてるけど、川柳の「バレ句」が、現代の下ネタのオヤジギャグと同様に最低最悪なのに対して、おんなじ「バレ句」でも、俳句の「バレ句」には素晴らしい作品が多い。それは、川柳やオヤジギャグのように直接的に言わず、ほんのりとイメージだけを感じさせるように、暗喩として詠んでるからだ。だから、あたしは、俳句における上質な「バレ句」のことを川柳の「バレ句」と区別するために、「エロティッ句」って呼んでる。どんな句があるのかは、「恋歌からエロティッ句へ」を読んでもらうとして、あたしだって人並みの性欲はあるし、「相武紗季を愛撫」だの「年/金たま/ご」だのって考えちゃうくらいだから、どっちかって言うと、平均よりもエッチなのかもしれない。だけど、やっぱり、品性下劣なもの、そして、男尊女卑なものに関しては、どうしても生理的に受けつけない。そして、21世紀にもなった現代で、「婦人に参政権を与えたことは間違いだった」だなんて江戸時代みたいなことを平然とノタマッちゃう品性下劣で男尊女卑で無知無能な人間が総理大臣をやってることも、どうしても生理的に受けつけない今日この頃なのだ。

 

 

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