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2009.09.30

緊急のお知らせです!

16日の日記、「祝島というニポンの宝」で取り上げましたが、山口県の祝島(いわいしま)では、今、島民の大切な漁場を埋め立てて原発を造ろうとしています。

祝島は、約500人の島民のうち、7割が65才以上のお年寄りの島です。

そのほとんどは、漁業と農業で生活していますが、島の目の前に原発を造られたら、もう生活ができなくなってしまいます。

その上、このエリアには、天然記念物でもある世界最小のクジラの「スナメリ」や「カンムリウミスズメ」、絶滅危惧種の「ナメクジウオ」など、貴重な生態系が残っている最後の場所なのです。

しかし、島民の9割以上が、27年間も原発の建設に反対して来たのに、去年、安倍晋三のコシギンチャクの二井関成(にい せきなり)山口県知事が、「建設ありき」で行なったデタラメの調査結果をタテにして、島民との対話もせずに、1人で勝手に埋め立てを許可してしまったのです。

八ッ場ダムと同様に、計画が立てられた何十年も前とは、世の中の状況はまったく違います。

電気など足りているのに、かけがえのない海を埋め立ててまで、オジィやオバァたちを苦しめてまで、どうして不必要な原発などを造らなくてはならないのでしょうか?

それは、原発が必要なのではなく、「原発建設」という事業が必要だからです。

政治家、官僚、土建屋、暴力団など、大事業の利権に群がる人たちがいるからなのです。

そして、自民党と癒着している中国電力は、県知事の許可を得たため、島民たちに何の説明もなく、一方的に埋め立て工事を開始しました。

そのため、祝島のオジィやオバァたちは、今、命をかけて阻止行動を行なっています。

祝島でずっと農業を営んで来た86才の磯部一男さんは、連日の座り込みでヘトヘトになりながらも、「原発は絶対に止める。疲れるとか大変とか言ってられない。抗議で死んでも本望だ」と言っています。

今まで誰にも迷惑をかけずに、美しい海を愛し、豊かな自然とともに暮らして来た70代、80代のオジィやオバァたちが、今、その海を守るために、命をかけて闘っているのです。


「オジィやオバァたちの叫び」


【現場まで行けないあたしたちにできること】

1.連日の座り込みで漁に出られないオジィやオバァたちを支援するために、カンパに協力する。

2.原発の建設反対の署名に協力する。

3.山口県知事や中国電力などに、電話、ファクス、メールなどで意見を送る。

4.1人でも多くの知り合いに、この問題を伝える。

5.布メッセージに参加する。


「布メッセージ」


カンパ、署名、抗議先などについては、下記の「祝島島民の会blog」をご覧ください。

「祝島島民の会blog」
http://blog.shimabito.net/

また、「布メッセージ」に関しては、下記の「Radio Active」をご覧ください。

「Radio Active」
http://radio-active.cocolog-nifty.com/blog/


それから、当日のお知らせになってしまい申し訳ありませんが、東京では、本日30日、中野の「ポレポレ坐」で、夜7時から、映画「祝(ほうり)の島」の上映会と監督によるトークショーが開催されます。

祝島のかけがえのない自然や人々の暮らしを映像で観て、今回の原発問題を考えるキッカケにして欲しいと思います。


「祝(ほうり)の島」座談会
~映画「祝の島」最新ラッシュ上映に加え、ゲストと監督による連続トークショー第1回~

■第1回 2009年9月30日(水)19時~
■ゲスト 羽田澄子(記録映画作家)
 司会  山秋真(ライター)
■会場  Space&Cafeポレポレ坐
http://za.polepoletimes.jp
■お問い合わせ
03-3227-1405 (ポレポレタイムス社)
■参加費 1000円(お茶付)
■詳細
http://za.polepoletimes.jp/news/event/


「心の叫び」


★ 1人でも多くの人に伝えたいのでクリックにご協力を!
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2009.09.29

Tレックスの夕暮れ

リトル古い話題でキョーシュクなんだけど、10日ほど前の17日付の「サイエンス誌」に、「T. rex, Meet Your Great-Grandfather」っていうレポートが発表された。ちなみに、「Great-Grandfather」ってのは、「偉大な祖父」って意味じゃなくて、通常は「曾祖父」って意味だ。でも、ニポン語の「祖父の父」って意味の「曾祖父」とは違って、「祖父の父」も、「祖父の父の父」も、「祖父の父の父の父」も、その先も、ぜんぶひっくるめて「Great-Grandfather」で表わす。ようするに、この「Great」は、「祖父よりも偉大な」ってニュアンスも含んだ言い回しってことだ。

 

で、この「T. rex, Meet Your Great-Grandfather」ってタイトルの場合は、懐かしい「世界ウルルン滞在記」のナレーション風味で、「Tレックスはぁ~~~おじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃんにぃ~~~出会ったぁ~~~」って感じになる。ようするに、「偉大な」じゃなくて、「曾祖父」の意味を「Great」で強調させてるのだ。何でかって言うと、肉食恐竜の頂点に君臨してたTレックス(ティラノサウルス・レックス)は、体長が最大で13メートルくらいだったんだけど、今回、中国の内モンゴルで、このTレックスをそのまま小型にしたような、体長が約3メートルの新種の恐竜の化石が見つかったからだ。

 

大きなTレックスが陸上の生物界に君臨してたのは、今から約6550万年前の「白亜紀」の末期なんだけど、今回のプチTレックスは、約1億2500万年前の「白亜紀」の前期の地層から見つかった。つまり、大きなTレックスの祖先にあたる可能性が高いってワケだ。Tレックスは北米にいた恐竜で、今回のプチTレックスが発見されたのは中国だけど、この時代は、ユーラシア大陸と北アメリカ大陸は北のほうで繋がってたから、ユーラシア大陸の生き物が北アメリカ大陸へと移動してったケースがたくさんある。だから、Tレックスも、ユーラシア大陸にいた小型の種が、長い年月をかけて、自分たちの楽園を求めて、ジョジョに奇妙に大型化しながら北米へと渡ってった可能性がある今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?

 

 

‥‥そんなワケで、「サイエンス誌」のレポートに「Tレックスの小型バージョン」て紹介されてる今回の恐竜は、「略奪王」を意味する「ラプトレックス」って名づけられた。で、今回発見された体長が約3メートル、体重が推定65キロっていう「ラプトレックス」によって、これまでのTレックスに関する学術的な推論が、大ドンデン返しになっちゃったそうだ。レポートによると、これまでは、もともと大きかった恐竜が、弱肉強食の世界で生き残るために、頭が大きくなってアゴや歯が強くなり、そのバランスを取るためにシッポが長くなり‥‥ってふうに、進化したんだと思われてた。Tレックスより5000万年前にいたアロサウルスって恐竜が、Tレックスによく似てたため、このアロサウルスが進化してTレックスになったって説が一番有力だったそうだ。

 

だけど、今回、Tレックスとソックリな小型の「ラプトレックス」が発見されちゃったもんだから、今までの学説はすべて水の泡になっちゃったワケで、シカゴ大学の古生物学者でTレックスの権威のポール・セレノ博士なんて、「to our great surprise!」って言ってる。この場合の「great」は、普通に「すごい」って訳せばいいワケで、「great surprise」は「すごい驚き」って意味だけど、これには「まったく知らなかったことを突然知らされた」的なニュアンスも含まれてるから、単に「驚いた!」ってよりも、「寝耳に水」とか「青天のヘキレキ」って雰囲気になる。だから、これを読んでる中学生や高校生は、英語の授業に「It's a great surprise」とか「to our great surprise」とかって出て来た時には、普通に「すごく驚いた」って訳すんじゃなくて、「寝耳に水」とかって訳すと、ちゃんと英語圏の人たちと英会話ができる先生だったら、「おおっ!なかなかやるな!」って感心されるから、覚えといて損はない。

 

で、英語のプチアドバイスも織り込みつつ、プチTレックスの話題にクルリンパするけど、今までの学説では、普通の恐竜が大きく進化して、アロサウルスとかになって、それから、肉食恐竜として強くなるためにアゴが発達し、それにともなって頭が大きくなり、体のバランスを取るためにシッポも長くなってった‥‥ってものだった。だけど、今回発見されたラプトレックスは、大きさこそTレックスの5分の1程度しかないけど、大きな頭、鋭い歯が並んだ強力なアゴ、立派なシッポ、短い前足など、Tレックスの特徴をすべて備えてた。つまり、このラプトレックスがTレックスの「Great-Grandfather」だと仮定すれば、これまでの学説はすべて覆っちゃうワケで、Tレックスは、5分の1の大きさしかなかった時代から、おんなじような外見をしてたってことになる。そして、そのままの形で、大きく進化してったことになる。

 

‥‥そんなワケで、Tレックスってのは、最初にも書いたけど、正式には「ティラノサウルス・レックス」って言って、これは、「ティラノサウルス科のレックス」って意味だ。恐竜の時代の最後、今から約6550万年前の「白亜紀」の末期にいた最強の肉食恐竜だ。で、今回発見されたラプトレックスは、約1億2500万年前の「白亜紀」の前期の地層から発見されたけど、ニポンでも、おんなじ時代のものが見つかってる。今年の6月、兵庫県丹波市の「白亜紀」の前期の地層から、ティラノサウルスの一種と見られる恐竜の歯の化石が発見されたのだ。ここは、以前、ニポンで最大の草食恐竜、「丹波竜」の化石が発見された場所で、今回のティラノサウルスの一種は、歯の大きさから体長は5メートル前後だって推定された。

 

それにしても、兵庫県の丹波市って言うと、あたしが死ぬまでに一度は食べてみたいと思ってる高級マツタケの産地なのに、マツタケだけじゃなくて恐竜の化石まで掘れるなんて、なかなかワンダホーな地域だと思う。そう言えば、原始時代って、トンボも60センチくらいの巨大なのが飛んでたそうだし、いろんな生き物が大きかったから、もしかしたら、マツタケも巨大だったかもしれない。5メートルとは言わないけど、せめて50センチくらいのマツタケがあったら、マツタケだけでお腹いっぱいなるほどタンノーできちゃうよね。ま、韓国産のマツタケも買えないあたしの場合、現実的には、永谷園の「松茸の味お吸い物」を飲むのが精いっぱいだけど(笑)

 

そんなこんなで、ニポンでは、以前にも、石川県や福井県でティラノサウルスの一種の化石が発見されてて、年代は「白亜紀」の前期でおんなじころだけど、もっと小さな個体のものだった。だから、今回、丹波市で発見されたのは、今のとこ、国内最大ってことになる。で、今回、中国で発見されたラプトレックスは、体長は約3メートルだけど、骨の分析から「成長途中」だって言われてる。恐竜の時代には、ニポンもユーラシア大陸とくっついてたことから、もしかしたら、丹波市で発見されたのが、ラプトレックスの大人の歯の化石ってことも考えられる。おんなじラプトレックスじゃなかったとしても、おんなじルーツを持つ恐竜で、中国で発見されたのが内陸部で繁殖した種族、ニポンで発見されたのが沿岸部で繁殖した種族‥‥ってことも考えられる。

 

でも、スゴイよね。丹波市で発見されたのは、長さが約1.8センチの前歯が1本と、もっと小さくて先っちょが欠けた歯が1本だけなのに、それで「全長5メートル前後のティラノサウルスの一種」だなんてことが分かっちゃうんだから、デタラメなDNA鑑定で冤罪事件ばかり起こしてる栃木県警よりも、恐竜の研究をしてる人たちのほうが、よっぽど優秀だと思う‥‥と思ったのもトコノマ、恐竜の研究をしてる人たちだって、タイムマシンでも発明されない限り、「ホントはどうだったのか」ってことを確かめる手段はないんだから、たとえ間違った学説を唱えてたとしても、その学説を覆す新しい化石とかが発見されない限り、真実には近づけないのだ。

 

今回、中国で、ラプトレックスのほぼ完全な化石が見つかったオカゲで、これまでのTレックスの進化の過程の学説が間違いだった可能性が濃厚ミルクになったけど、ラプトレックスの化石が見つからなかったら、これからもずっと、Tレックスはアロサウルスが進化したものだってことになってたのだ。恐竜の研究って、こうしたことがいっぱいあって、たとえば、今、40代以上か50代以上の男の人なら、「ブロントサウルス」っていう首の長い巨大な草食恐竜の名前を知ってると思う。だけど、これは、今はもういないのだ。今は、「アパトサウルス」って名前で呼ばれてる。

 

もともと、1人の博士が、最初に発掘した小型の新種の恐竜の化石に「アパトサウルス」って名前をつけて、その数年後に発掘した大型の新種の恐竜の化石に「ブロントサウルス」って名前をつけた。それで、長いこと、この2種類は別々の恐竜だって思われてたんだけど、ずっとしてから、アパトサウルスは、ブロントサウルスの子供のころの小さな個体だったってことが分かったのだ。それで、「最初に発見された化石の名前に統一する」ってルールによって、世界的にメジャーになってた「ブロントサウルス」って名前をナシにして、ものすごくマイナーだった「アパトサウルス」って名前に統一しちゃったのだ。だから、今の恐竜の図鑑を見ても、「ブロントサウルス」って名前はどこにもないのだ。

 

Tレックスの場合も、最初に発見された骨の一部の化石には「マノスポンディルス・ギガス」って名づけられて、2番目に発見された化石が「ディナモサウルス・インペリオスス」って名づけられて、3番目に発見された化石が、初めて「ティラノサウルス・レックス」って名づけられた。この時点では、3つの化石は別々の恐竜だと思われてたのだ。だけど、あとから、2番目と3番目の化石は同一の恐竜だってことが分かった。それなのに、2番目と3番目の化石はおんなじ論文で発表された上に、偶然にも3番目の「ティラノサウルス・レックス」のほうが論文の中で先に書かれてたから、こっちの名前を優先して、2番目の「ディナモサウルス・インペリオスス」のほうが消えることになったのだ。

 

そして、もっとあとから、最初に発見された「マノスポンディルス・ギガス」も、実は同一の恐竜だったってことが分かった。つまり、「ブロントサウルス」の方式なら、「ティラノサウルス・レックス」の名前がナシになって、みんな「マノスポンディルス・ギガス」にならなきゃマズイってパターンだった。でも、最初に発見された「マノスポンディルス・ギガス」の化石がほんのちょっとだったことから、一応、保留みたいな形になってた。そして、最初の発掘から100年以上が過ぎた2000年になってから、「マノスポンディルス・ギガス」の化石が発見された場所からTレックスの化石が発見されて、同一の個体のものだってことが分かったため、Tレックスの名前を「マノスポンディルス・ギガス」に変えないと‥‥っていう論争が起こったんだけど、すでにTレックスの名前がメジャーになり過ぎてたために、動物の名前を決める機関が新しい規約に従って、「ティラノサウルス・レックス」のほうを残したってワケだ。

 

つまり、こんなとこにも、恐竜の世界とおんなじ弱肉強食の世界があったワケで、Tレックス本人たちは、自分たちが滅びてから6500万年もあとに、毛のない猿みたいなヤツラが勝手に自分たちの呼び名を決めるだなんて想像もしてなかっただろう。でも、少なくとも、Tレックスの名前が「マノスポンディルス・ギガス」なんて名前に変えられてたら、マーク・ボランも自分のバンド名を「M・ギガス」なんていうヘビメタバンドみたいな名前に変えなきゃならなかったワケだから、草葉の陰でホッとしてマリファナでも一服してることだろう(笑)

 

‥‥そんなワケで、氷河の中に冷凍保存されてたマンモスとか、琥珀(こはく)の中に閉じ込められてた原始時代の虫とかは別だけど、化石しか残ってない恐竜の場合は、現代の人が見ることができるのは、その骨だけだ。だから、その骨から得た情報だけで、その恐竜の全体の形から行動まで、すべてを推理しなきゃなんない。でも、専門に研究してる博士とかって、やっぱりプロなワケで、Tレックスの場合でも、その頭蓋骨の形から、視覚と嗅覚が発達してたことが分かってる。

 

映画「ジュラシックパーク」では、Tレックスは視覚だけを頼りにして「動くもの」を捕食するってことになってた。だから、事故ったジープの上の人間のギリギリまで顔を近づけたTレックスは、ビビッて微動だにしなかった人間のことを「動かないから生き物じゃない」って判断して、クルッとUターンして帰ってった。だけど、ホントのTレックスは、嗅覚のほうもすごく発達してて、匂いで相手を判断して、食べられるものかそうじゃないかを判断してた。一説には、生きた動物を捕食するだけじゃなくて、動物の死骸なんかも食べてたって言われてる。だから、「ジュラシックパーク」の例のシーンでは、どんなに人間が動かなくても、匂いで生き物だと判断されて、パクッと食べられてなきゃおかしいってワケだ。

 

ま、「ジュラシックパーク」自体、15年以上も前の映画なワケで、原作はさらに前なワケで、その上、琥珀の中のDNAから恐竜を作り出すなんていう、ありそうでアリエナイザーなSFなんだから、細かいことはジンジャエールなんだけど、それでも、ちゃんと恐竜の研究をしてる人たちだって、こうしたSF映画とおんなじくらいテキトーな部分がある。それは、恐竜の色だ。さっきも書いたように、学者たちは、発掘した化石から、つまり、骨から恐竜の外観を推測してるワケだ。もちろん、これは、恐竜の骨格に、思いつきだけで粘土を重ねてったワケじゃなくて、ちゃんと現代のいろんな動物の骨格とかを研究してやってるんだろうから、それなりに当たってると思う。

 

だけど、その恐竜の「形」は分かったとしても、骨からだけじゃ絶対に分からないのが、その「色」なのだ。恐竜の図鑑を見ても、博物館の模型を見ても、みんなそれらしいグレーとかグリーンとかの色に塗られてるけど、いくら専門に研究してる人たちだって、誰ひとり実物を見たことのない人たちが、想像だけで色を決めてるワケで、図鑑の絵や博物館の模型の通りの色だったなんて保証はない。たとえば、現代のシマウマが、原始時代にしか生存してなかった動物だと仮定して、現代人はシマウマの化石しか見ることができなかったとする。そして、その化石の骨格から、どんな動物だったのかを想像しながら復元したとしたら、馬っぽい動物の形は復元できるだろうけど、あのミゴトな白黒のシマシマを想像できるだろうか? きっと、単色のジミな色になってたハズだ。パンダにしたって、実物を見たことのない人が、化石だけから復元したとしたら、あんなに愉快な白黒の模様なんて絶対に想像できるワケがない。

 

現代のヘビやトカゲにしても、ものすこい色や模様のものがたくさんいる。ニシキヘビなんてすごい模様だし、多摩川の土手に行くと、虹色のトカゲもいる。外国には、赤と黒と白の3色のシマシマのヘビとかもいるし、鮮やかな黄緑色のヘビもいる。他にも、世界各国には、いろんな色や模様のヘビやトカゲがいるけど、骨格だけを見たら、ほとんど変わらないだろう。こうした例から推測すれば、Tレックスが赤と黄色のシマシマだったり、ステゴサウルスが白地に黒のブチだったり、トリケラトプスがピンクだった可能性だってゼロじゃないだろう。それに、多摩川の土手にいる虹色のトカゲは、大きくなると薄い茶色になるから、Tレックスにしても、子供のころは赤と黄色のシマシマで、大人になると水色になったかもしれない。

 

さらには、状況によって色を変えるカメレオンみたいな生き物だっているんだから、昔の恐竜だって、肉食恐竜に狙われてた弱い草食恐竜の中には、ジャングルに行けば緑色になったり、土の多い場所に行けば茶色になったりって、周りの色に同化する種族がいたかもしれない。他にも、一部の昆虫や魚のように、何かに擬態した模様の恐竜だっていたかもしれないし、可能性は無限にある。哺乳類にしても、ライオン、トラ、ヒョウ、チーターとかの猫科の動物は、それぞれ模様が違うけど、骨格だけを見たらそんなに違わない。それどころか、猫の場合は、まったくおんなじ種類なのに、白や黒の単色もいれば、ブチやミケやシマシマやいろんな色や模様がある。だから、昔の恐竜にしても、おんなじ種類なのに、1頭1頭、色や模様が違う恐竜がいたかもしれない。

 

それなのに、図鑑の恐竜は、どれもジミで無難な色ばかりで、ぜんぜんパッとしてない。人間の先入観によるリアリティーを追求して描かれてるだけで、所詮は思い込みの世界なのだ。だって、最初にTレックスの化石が発見されてから、もう100年以上も経ってるんだし、その間には、ほぼ完全な個体も発見されるし、他にもいろんな研究が続けられて来たってのに、未だに、Tレックスを始めとした恐竜が、恒温動物だったのか変温動物だったのかも解明されてないのだ。これは、とっても大きなことで、もしも恒温動物だったとしたら、恐竜は鳥の親戚なんだから、体温を調節するために、全身に羽毛が生えてた可能性もあるワケだ。

 

今の図鑑や模型の恐竜は、ほとんどが「爬虫類とおんなじ変温動物」っていう仮定の上でイメージされてるもので、もしも恒温動物だったとしたら、外観はぜんぜん違って来る。事実、中国で発掘された「白亜紀」の前期の恐竜、「ディロング・パラドクサス」は、鳥のヒナのように全身が羽毛で覆われてたって言われてる。これは、推測じゃなくて、ちゃんと化石から羽毛の痕跡が見つかってるのだ。そして、この「ディロング・パラドクサス」は、Tレックスの類縁種のティラノサウルス上科に属してる。だから、Tレックスにも羽毛が生えてた可能性だってあるワケだし、羽毛が生えてたのなら、外観はぜんぜん違って来るし、さらには、南国の鳥のようにカラフルだった可能性もあるワケだ。

 

‥‥そんなワケで、現在、発見されてる肉食恐竜の中で、陸上で最強だったのがTレックスで、海で最強だったのが「プレデターX」だって言われてる。「プレデターX」ってのは、去年、北極海の永久凍土から化石が発見された全長15メートル前後の海竜で、Tレックスよりも大きなアゴと長い牙を持ってて、発掘、研究してる博士は、大型の四駆のハマーを簡単に噛み潰すほどのアゴの力を持ってたって推測してる。だから、人間が戦うには、潜水艦に乗っててもヤバイかもしれない。だけど、知性の蒼い泉、キュアキッコの場合は、Tレックスになら簡単に勝つことができる。それは、ジャンケンでグーを出せばいいからだ。ナゼなら、Tレックスの前足には、指が2本しかないから、チョキしか出せないからだ。これで、ドラえもんにはパーで勝ち、Tレックスにはグーで勝ったから、あとは、手がラザニアにみたいになってて、パーしか出せそうにない第14使徒ゼルエルをチョキで倒せば、今日も1日ピカピカな日になりそうな気がする今日この頃なのだ♪

 

 

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2009.09.28

ガンバランス de ダンス

あたしは、アニメの話題を取り上げる時には、一応は大人が読んでる「きっこの日記」ってことを踏まえて、幼児向けのアニメの話題は取り上げて来なかった。大人になってもアニメを観てるような人たちって、完全に大人向けに作られたアニメか、子供向けでも「エヴァンゲリオン」みたいに難解な部分があるようなアニメが好きで、幼児向けのアニメは対象外だと思ってたからだ。

あたし自身は、どんな年齢層に向けて作られたってことじゃなくて、好きか嫌いかだけで選ぶから、最初から大人向けに作られたアニメでも、「ミチコとハッチン」みたいに大好きな作品もあれば、まったく興味のない作品もある。幼児向けのアニメでも、たとえば、今日、感動の最終回を迎えた「ねぎぼうずのあさたろう」なんて、1回も欠かさずに観てたほど大好きだった。だけど、完全に幼児向けのアニメだったから、ココで詳しく取り上げるようなことはしなかった。それは、「きっこの日記」を読みに来てくれる人たちが、きっと興味がないだろうと思ってたからだ。

それで、あたしは、「プリキュア」も取り上げて来なかったんだけど、先週の「プリキュア」があまりにも感動的だったもんだから、20日の日記、「敬老ロックンロール」の中で、初めて取り上げた。そしたら、「プリキュア」に関するたくさんのメールが届くようになった。22日の日記、「メールをくださる皆さんへ」の中では、tleinusさんからいただいたメールを紹介したけど、他にも、たくさんのメールが届き続けてる。

で、tleinusさんの場合は、2才と4才のお嬢さんたちが「プリキュア」が大好きで、お嬢さんたちに付きあって観てるうちに、自分もリトル興味を持ち始めた‥‥って感じだったけど、他に届いてるメールの多くは、「自分がプリキュアが好き」ってものだった。だから、あたしとおんなじなので、どのメールを読んでも、すごく「思い」が伝わって来た今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、さっそく、1通のメールを紹介させていただく。


お名前:茗荷
コメント:はじめまして。わたしは都内の中小企業に勤める独身女、茗荷と申します。『きっこの日記』は五年ほど前、二十歳くらいの頃から見させていただいていました。きっこさんの軽妙洒脱な文章でも、自分自身が無知なせいで理解するのに時間がかかる時もまだまだあるのですが、今では二十五歳になり、前よりずっと『きっこの日記』を楽しく読めるようになってきたことが嬉しい今日この頃です。最近では特に、プリキュアの美希とせつな(とタコ)のお話、残念ながら見逃したのですが、きっこさんの日記のおかげでどんな感じだったか想像できて、泣いてしまいました。たかがプリキュア、されどプリキュアですよね。私はプリキュア5gogoが大好きだったので、今でもあのオープニング曲を聴くだけで、涙腺が緩みます。毎日たくさんメールが届いていると仰っていたのに、こんな内容の薄いメールを送ってしまってすみません。毎日の楽しみをくださるきっこさんに、感謝の気持ちと尊敬の念とセクシーさへの憧れをお伝えしたいと思い、メールさせて頂きました。これからも楽しみにしています。お忙しいと存じますが、ご自愛をお祈り申し上げます。読んで頂き、ありがとうございました。


茗荷(みょうが)さん、どうもありがとうございました♪‥‥ってワケで、茗荷さんが大好きだったっていう「プリキュア5gogo」ってのは、正確には「Yes!プリキュア5 Go Go!」って言って、プリキュアが5人になった「Yes!プリキュア5」の続編のことだ。ぜんぜん分からない人のために軽く説明すると、こないだもチョロっと書いたけど、「プリキュア」ってのは、最初は「ふたりはプリキュア」っていうタイトルの通り、2人だった。だけど、2作目の「ふたりはプリキュア Max Heart」で3人になり、3作目の「ふたりはプリキュア Splash Star」で全面改装して2人に戻ったんだけど、世の中的には人気がガクッと下がっちゃった。

で、支持率が急落した自民党は、麻生太郎、石破茂、石原伸晃、小池百合子、与謝野馨っていう5人もの総裁候補を乱立させて‥‥じゃなくて、人気が急落したプリキュアは、のぞみ、りん、うらら、こまち、かれんっていう5人のプリキュア戦士を登場させて、4作目の「Yes!プリキュア5」を発進させた。そして、自民党とは正反対に、これでグッと人気を持ちなおしたので、5作目も、この続編てことで、茗荷さんが大好きだって書いてる「Yes!プリキュア5 Go Go!」へと続いてったってワケだ。そして、今は、またまた全面改装した6作目の「フレッシュプリキュア!」で、ラブ、美希、祈里、せつなの4人でがんばってるワケだ。

でも、前回までの「プリキュア5」には、「ふたりはプリキュア」における、ひかりちゃんのシャイニールミナス的な、くるみちゃんのミルキィローズってのが出て来るワケで、なかなか複雑なシステムになってる。ま、その辺のことは割愛してくけど、茗荷さんは、「Yes!プリキュア5 Go Go!」のオープニング曲を聴くと涙腺がゆるむって言ってる。あの、「みんな~の応援が待ってる~さあ進もう叫ぼう一緒に~♪」ってヤツだよね。「Yes!プリキュア5」のオープニング曲よりも勇ましくて、友情の大切さを歌ってて、あたしも大好きだ。もっと分かりやすく言うと、コレだ。

だけど、あたしの場合は、何と言っても、エンディング曲の「ガンバランス de ダンス」が好きだ。ぜんぶ踊れるし、カラオケでも歌う。細かいことを言うと、この「ガンバランス de ダンス」は、「ふたりはプリキュア Splash Star」の後期のエンディング曲だった。プリキュアシリーズは、オープニング曲は1年間ずっと変わらないけど、エンディング曲は半年でリニューアルする。で、最初に聴いた時は、アレンジもショボかったし、初期のプリキュアの主題歌を歌ってる人が歌ってたから、あの甘ったるい鼻に掛かったような歌い方で、昭和の少女向けアニメの匂いがプンプンしてて、あんまり好きじゃなかった。

でも、この歌が、「Yes!プリキュア5」の後期のエンディング曲として、アレンジも歌詞も歌い手もリニューアルして再登場したのだ。それが「ガンバランス de ダンス~夢見る奇跡たち~」って歌で、あたしは、コレが一番好きだ。ちなみに、最初の「ガンバランス de ダンス」も、リニューアルした「ガンバランス de ダンス~夢見る奇跡たち~」も、出だしの「手のひら太陽向けて~フリフリ体ゆすれば~光のシャワーを浴びて~今日も1日ピカピカ~♪」ってとこはおんなじなんだけど、その次のとこが、「ネガティブになると~猫背になる、なんてこった♪ 見た目からでもOK~胸を張って、ちょいとハッスル♪」が、「壁にぶつかって~目が点になる、どんだけって♪ マイナスからでもOK~逆転しよう、イッキヨーヨー♪」ってふうに、大幅に歌詞が変わってる。

そして、茗荷さんが好きだって言ってる「Yes!プリキュア5 Go Go!」の後期のエンディング曲は、さらにリニューアルした「ガンバランス de ダンス~希望のリレー~」ってのになってて、この部分が「初めの一歩が~あればこその、ハイタッチで♪ 希望のリレーには~チカラ宿る、グッとグーグー♪」って、またまた大幅に歌詞が変わってる。ただ、このバージョンは、また歌い手が初期の「昭和風味」の歌い方の人に変わっちゃったので、あたしにはイマイチだった。だから、すごくマニアックで申し訳ないんだけど、あたしは、「Yes!プリキュア5」の後期のエンディングの「ガンバランス de ダンス~夢見る奇跡たち~」こそが好きなのだ。聴くだけで楽しくなるし、テレビの前で一緒に踊ると、すごく元気が出るからだ。

ちなみに、鼻に掛かった歌い方の昭和風味のがコレで、あたしの大好きな元気いっぱいなのがコレだ。とにかく、おんなじ「プリキュア」って名前のシリーズなのに、人数もメンバーもチョコチョコと変わり続けてるから、なかなか覚えるのが大変なんだけど、その点、年度が変わって続編になっても、一貫してストーリーが完璧だったのが、「おジャ魔女どれみ」だろう。今年を入れて6作の「プリキュア」のシリーズの前は、1年だけ、ちょっと上の学年を対象にした「明日のナージャ」が放送されて、その前が「おジャ魔女どれみ」のシリーズだった。

あたしは大人だから、「明日のナージャ」も大好きだった。孤児院で育ったナージャが、母を訪ねて三千里するっていう暗そうなテーマなのにも関わらず、ナージャと旅するダンデライオン一座の人たちとか、ナージャのブローチを狙うロッソとビアンコとか、怪盗「黒バラ」とか、次から次へと展開するストーリーと、何があってもへこたれないナージャのガッツが楽しかった。で、その前の「おジャ魔女どれみ」は、これは有名だから知ってる人も多いと思うけど、あたしが何よりも感心したのは、その一貫性だ。

1作目の「おジャ魔女どれみ」は、どれみ、はづき、あいこの3人が魔女見習いで、小学3年生だったけど、2作目の「おジャ魔女どれみ♯」になると、3人は4年生になるのだ。そして、新しいメンバーの「おんぷ」が加わる。そして、3作目の「も~っと!おジャ魔女どれみ」になると、4人は5年生になり、新しいメンバーの「ももこ」が加わり、4作目の「おジャ魔女どれみ ドッカ~ン!」になると、5人は6年生になり、「おジャ魔女どれみ♯」から出てたハナちゃんが新しいメンバーに加わった。

これは、ある意味、すごいことだ。だって、「サザエさん」にしても、「ドラえもん」にしても、「ちびまる子ちゃん」にしても、登場する小学生たちは、何年経っても年を取らなくて、カツオものび太もまる子も、毎年毎年、夏休みの最終日には宿題で苦労してる。大人になると、子供のころの夏休みを懐かしく思い出すけど、それは、過ぎ去った日のことだからであって、20年も30年も小学校を卒業できずに、それどころか進級もできずに、半永久的に小学3年生をやり続けてなきゃならないなんて、もともとグータラなまる子じゃなくてもイヤになっちゃうと思う。

その点、「おジャ魔女どれみ」は、毎年ちゃんと進級してく上に、キャラの外見も、最初はすごく子供っぽかったのに、毎年ちょっとずつ成長してったのだ。あたしは、「サザエさん」や「ちびまる子ちゃん」で感じてた「アニメの矛盾」をそれまでは「大人の世界の事情」として納得してたけど、こうして、登場人物がちゃんと成長してくアニメを観て、後頭部を鈍器で殴れたようなショック‥‥ってのは大ゲサだけど、子供のころから持ち続けてた「何とも言えないモヤモヤした気分」が、スカッと快晴になったような気がした。

さらに、もう1つ言わせてもらうと、「おジャ魔女どれみ」には、「MAHO堂(魔法堂)」ってお店が出て来て、どれみたちはココのお手伝いをしながら魔女修行をしてるんだけど、最初は水晶玉で占いをするお店で、2作目には花屋さんになり、3作目にはお菓子屋さんになり、4作目には雑貨屋さんになった。で、メインの5人の魔女見習いの頭文字、どれみのD、はづきのH、あいこのA、おんぷのO、ももこのMを並べ替えると、「MAHOD」になって、どれみを「DO」ってことにすると、ミゴトに「MAHODO」になるってスンポ―なのだ。前に、「魔法戦隊マジレンジャー」のメンバーの名前の最初の1文字を並べると「オズの魔法使い」って言葉になることや、「炎神戦隊ゴーオンジャー」のメンバーの名前の最初の1文字を並べると「エコロジイ」って言葉になることを書いたけど、おんなじようなもんだ。あたしは、こういう細かい部分での「遊びの精神」が大好きなのだ。


‥‥そんなワケで、これだけ絶賛しといて、こんなこと言うのもアレだけど、日曜日の朝の8時半から9時までのテレビ朝日のアニメの中では、あたしが一番好きだったのが、この「おジャ魔女どれみ」の前にやってた「夢のクレヨン王国」だった。覚えてない人のために簡単に説明すると、「寝起きが悪い」とか「食べ物の好き嫌いが多い」とか「自慢したがる」とか「何でも欲しがる」とかの12の悪い癖を持った12才のシルバー王女が、石になっちゃった王と王妃を元に戻すために、ヘンテコな仲間たちと死神を探して冒険の旅に出る‥‥って話だ。そして、死神をやっつけて王と王妃が元に戻ったのが1年目で、今度は、天使を探して旅に出るのが2年目だった。

当時、あたしは、事務所から独立したばかりで、辛いことや悔しいことの毎日で、夜、1人で泣くことも多かった。1人でツッパルのはやめて、どこかの事務所に所属し直そうって思ったことも何度もあった。でも、この「夢のクレヨン王国」を観て、ちっちゃいのにがんばってるシルバー王女から、すごく元気をもらったのだ。タカビシャだし、ワガママだし、ハチャメチャだし、どうしようもない性格のシルバー王女だったけど、旅を続けるうちに、12の悪い癖も1つずつ直って行き、とってもステキな女の子へと変わってく。あたしは、この「夢のクレヨン王国」から元気をもらって、社会人になってから一番辛かった時期を乗り越えることができたのだ。

世界観や各キャラなんかは、ハッキリ言って、完全に「不思議の国のアリス」のパクリ‥‥っていうか、良く言えば「亜流」だったけど、映画の「チャーリーとチョコレート工場」ほどは「不思議の国のアリス」をパクッてなかったし、何よりもシルバー王女の個性が確立してたから、1つの完成された作品として楽しむことができた。今でも、ちょっと元気がなくなると、「Yes!プリキュア5」の「ガンバランス de ダンス~夢見る奇跡たち~」と一緒に、この「夢のクレヨン王国」のテーマ曲を聴いて、元気をもらうことがある。ちなみに、コレだ。


‥‥そんなワケで、こうしたアニメって、自分が何才の時に観たか、どんな状況の時に観たかによっても、その印象は大きく違うと思う。おんなじ「夢のクレヨン王国」でも、あたしは社会人になってから観たワケだけど、今、25才の茗荷さんなら中学生の時に観てたワケだし、今、20才前後の人なら、小学生の時に観てたワケだ。だから、大人になって、辛い状況の時に観たあたしとは違って、もっと純粋に楽しんでたと思う。「プリキュア」にしても、大人になってから観てるあたしと、今、小学生の子供たちとでは、大きく違うと思う。だけど、「友情の大切さ」をメインテーマにして、そこから、「人を信じることの大切さ」、「約束を守ることの大切さ」、「夢をあきらめないことの大切さ」なんかを教えてくれる「プリキュア」を今、観てる子供たちは、きっと、「自分さえ良ければいい」っていう今の大人たちとは違って、人の痛みが分かる大人に成長してくれるって信じてる。そして、そうした子供たちのために、あたしたち大人は、基地やダムじゃなくて、美しい海や山を残してあげるべきだと思った今日この頃なのだ。


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2009.09.27

早希ちゃん、おめでとう♪

ホントは、オトトイの日記に「江古田ラプソディー」を書いて、昨日の日記にコレを書く予定だったんだけど、「江古田ラプソディー」が長くなりすぎちゃって前編と後編の2日に渡っちゃったから、1日ほど遅くなっちゃったけど、早希ちゃ~ん!「四国一周ブログ旅」のゴール、おめでとう♪ そして、ありがとう♪

パチパチパチパチ‥‥ってワケで、今回の旅は、最後にゴール地点へのバスの最終便に間に合わず、3万円以上もの大金を持ってる余裕から「タクシーでゴール地点へ向かう」っていう感動の薄い流れになっちゃった。だけど、それでも、タクシーを降りてから、一歩一歩、ゴール地点へと歩いてく早希ちゃんの脳裏には、きっと、8ヶ月にも及ぶ長かった旅の辛かったことや嬉しかったことが走馬灯のように駆け巡ってるようで、ジョジョに奇妙に感動モードへと車線変更してく。そして、まるで「電波少年」のヒッチハイクのゴールのように、誰もいない場所にポツンと作られてるジミなゴールを潜った瞬間、早希ちゃんの目から涙があふれた。

スタッフが用意してた小型モニターには、この旅でお世話になった人たちからのメッセージが流れ始めた。小豆島に渡る前の早希ちゃんと高松駅前で出会って「ここから先はロケみつが放送されてない」っていう重要な情報を教えてくれた高校生の男の子。この旅で最難関だった足摺岬のホエールウォッチングでお世話になった船長の中山さん一家。同じく高知でお世話になったサーファーの宿、「とまんさいや」の松浦さんと愛犬のハス。高知で所持金の少なかった早希ちゃんをお接待してくれた、お遍路の宿「一心庵」の尼さん。旅の序盤の徳島で、サイコロで「1」と「2」しか出ずに途方に暮れてた早希ちゃんに親切にしてくれた有美ちゃん、絵莉ちゃん、真衣ちゃんの3人。香川の観音寺で困り果ててた早希ちゃんを泊めてくれたあゆみちゃん。高知の江川崎で深夜なのに泊めてくれた竹崎さん一家。高知の須崎で早希ちゃんの少ない所持金で泊まれる宿を親身になって探してくれたタクシー運転手の西添さんと、泊めてくれた上に「ぼうしパン」までくれた柳屋旅館の女将さん。そして、とってもやさしくしてくれた民宿「足摺はっと」のご主人と女将さん。

懐かしい人たちからの「お祝いコメント」のメッセージを観て、涙が止まらない早希ちゃん。もちろん、あたしも大号泣で、今、コレを書いてても、また目がウルウルしてきちゃってる今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、これだけで終わらないのが「ロケみつ」ってワケで、全員の「お祝いコメント」が終わったと思ったのもトコノマ、ここからが素晴らしかった。最初に登場した高校生の男の子が、パチパチと拍手しながら「おめでとう♪」って言ったと思ったら、船長の中山さん、松浦さんと愛犬のハス、「一心庵」の尼さん、有美ちゃん、絵莉ちゃん、真衣ちゃんの3人‥‥って、みんな順番に拍手しながら「おめでとう♪」「おめでとう♪」「おめでとう♪」‥‥って祝福してったのだ。そう、アニメの「エヴァンゲリオン」の意味不明なラストシーンのパロディーだ。そして、最後に、この8ヶ月に及んだ旅で、早希ちゃんを応援してたみんながブログに書き込んだコメントの総数、「454060件」の数字が、例の「黒地に明朝体の白文字」で出て、こんな言葉が続いた。


「そして」

「すべての書き込み者たちに」

「おめでとう」


う~ん、素晴らしい! 本家の「エヴァンゲリオン」のラストは意味不明だったけど、こっちのパロディーのほうは単純明快だった。早希ちゃんを応援して、セッセとコメントを書き込み続けて来たあたしたち視聴者も、「早希ちゃんと一緒にゴールした」ってことなんだよね。あたしは、この言葉をいただいて、さらに涙が止まらなくなった。画面の中の早希ちゃんも、感動の涙が止まらない。あたしは、ホントに、早希ちゃんと一緒にゴールしたような気持ちになれた。

それにしても、コメントの総数が「45万件」だなんて、早希ちゃん、コレ、サイコロでぜんぶ「6」を出してたら、450万円だったんだね! そしたら、それこそタクシーで四国一周ができたじゃん!‥‥つーか、そんな高望みをしなくても、普通に「3」から「5」を出してれば、合計で45万円だったんだから、普通に旅館に泊まりながら楽しい旅ができたじゃん!

それなのに、嗚呼それなのに、それなのに‥‥って、またまた五七五の俳句調で嘆いちゃうけど、早希ちゃんてば、全額没収の「1」と、コメント数×0.1円の「2」ばっかり出しちゃうから‥‥それも、所持金がない上に、たくさんのコメントをもらった時に「2」を出したり、せっかく「6」を出して大金を手に入れた直後に「1」を出したりって、ホント、ここ一番に弱いんだよね。

だけど、サイコロで「1」を出して落ち込む早希ちゃんは、自分が大変な状況になったってことよりも、コメントを書き込んでくれたみんなに対して、そのコメントを生かせなかったことが申し訳なくて落ち込んでたんだよね。お金がなくて、泣きながら知らない土地をさまよい歩いてた早希ちゃんは、泊まる場所がないってことよりも、見ず知らずの人に声を掛けて泊めてもらう、見ず知らずの人たちにまた迷惑を掛けちゃうことが、それが申し訳なくてポロポロと泣いてたんだよね。

なんていい子なんだろう。なんてやさしい子なんだろう。みんな、こうした早希ちゃんの純粋さが伝わったからこそ、ずっと応援し続けて来たんだよね。カンジンのとこでサイコロで「1」を出しても、誰ひとり早希ちゃんのことを見捨てずに、さらに多くのコメントが集まったんだよね。

第1弾の「関西縦断ブログ旅」の時に、まだどうしていいのか何も分からなかった序盤で、必死になっていろんな人に声を掛けてたら、ある1人の女性が車に乗せてくれることになった。でも、そのあとに、もっと先まで行くっていう車の女性が現われた。こっちに乗せてもらったほうが、早希ちゃんは助かる。それなのに、早希ちゃんは、「お母さんから『約束したことは守りなさい』って教わったから」って言って、あとから申し出てくれた女性に謝って、最初の女性の車に乗ったんだよね。そしたら、この判断が、素晴らしい結果につながったんだよね。

この時、あたしは、なんていい子なんだろうって思ったし、この出来事がキッカケで、早希ちゃんのことが大好きになった。そして、ゴールまで応援し続けようって決めた。多くの人が、そうだったんじゃないかって思う。

‥‥そんなワケで、今回の「四国一周ブログ旅」でも、スタート直後から大変だった。最初の通過ポイント、徳島ラーメンの「いのたに」を目指して歩いてる時は、お金もそこそこあったし、「まずは徳島ラーメンを食べて、通過ポイントをクリアして‥‥」ってふうに、早希ちゃんはニコニコしてた。それなのに、「いのたに」に到着したら、まだ早い時間なのに、もう閉店してた。東京や大阪だと、ラーメン屋さんて言えば夜遅くまで開いてると思っちゃうけど、このお店は、夕方には閉まっちゃうのだ。

何しろ、「いのたに」で徳島ラーメンを食べるってことが通過ポイントだから、翌日まで待たなきゃなんない。それなのに、ここからの展開が最悪で、サイコロタイムのたびに「1」と「2」の連続で、所持金が46円の状態で夜を迎えちゃった。スタート地点の徳島にいて、まだ1つめの通過ポイントもクリアできずに、ぜんぜん先へ進めない。すっかり落ち込んだ早希ちゃんは、精神的にまいっちゃって、ワリと人通りのある駅前のアーケード街にいるのに、誰にも声を掛けられない。

それでも、このまま野宿なんてことになったら大変だから、気持ちを切り替えて、思い切って声を掛けてみるんだけど、第1弾の関西とは違って、ここは四国だから、ものすごいアウェイ感が漂ってる。アスカのコスプレをしてる早希ちゃんから声を掛けられると、相手はギョッ!として後ずさっちゃう。それで、またまた落ち込みかけた早希ちゃんだけど、もう時間も遅くなって来たから、がんばるしかない。そして、2人連れの若い女性に、「あの‥‥大阪の毎日放送の『ロケみつ』という番組なんですけど‥‥」って声を掛けたら、相手は「知ってる!」って言う。トタンに、元気になる早希ちゃん。やっぱり、自分のことを知ってる相手には、話しやすいよね。

早希ちゃんのことを知ってたのは、徳島大学の歯学部へ通ってる有美ちゃんで、お友達は会社員の絵莉ちゃんだった。2人は、これからご飯を食べに行くとこだったらしく、「一緒に行く?」って早希ちゃんを誘ってくれた。全財産が46円で、ずっと何も食べてなかった早希ちゃんは、2人のオカゲで、チョコレートパフェを食べることができた。テレビに映ってたのは、チョコレートパフェを食べてるシーンだけだったけど、「これからご飯を食べに行く」って言ってたんだから、チョコレートパフェの前にちゃんと食事もゴチソウになってたんだと思う。

そして、2人と打ち解けられた早希ちゃんは、ここで「どちらかのお家に泊めてもらえないか」ってことを切り出すんだけど、有美ちゃんは「これからカレシが泊まりに来る」、絵莉ちゃんは「家族が風邪で寝てる」ってことで、2人ともムリだった。でも、有美ちゃんが、心当たりのお友達に電話してくれて、おんなじ大学の真衣ちゃんを紹介してくれたのだ。真衣ちゃんは、まだバイト中だったから、バイトが終わるまで、3人は近くのオシャレなバーに飲みに行って、楽しい時間を過ごした。ちなみに、早希ちゃんは、お酒を飲みながら、どんぶりを出してサイコロを振るとこを披露したんだけど、ココでは「6」が出てるんだよね。

で、真衣ちゃんのお部屋に泊めてもらい、翌朝、大学へ行くっていう真衣ちゃんと一緒にお部屋を出た。そして、近くの公園みたいな場所で9時のサイコロタイムを迎えたんだけど、ここで「1」と「2」以外を出さなかったら、「徳島ラーメンを食べる」っていう通過ポイントをクリアすることができないから、いつも以上に重大な局面だ。それで、「1」と「2」が続いてて自信をなくしてる早希ちゃんは、真衣ちゃんに手を握ってもらい、パワーを受けながらサイコロを振った!


カランカラン‥‥カラン‥‥「1」


オーマイガー!‥‥ってことで、資金を増やして徳島ラーメンを食べに行くどころか、全財産の46円まで没収されちゃって、放心状態になる早希ちゃん。そんな早希ちゃんを残して、真衣ちゃんは大学へ行った。1人残された早希ちゃんは、あまりのショックで、立ち上がることもできない。少なくとも、午後3時のサイコロタイムまでは一文無しになっちゃったワケだし、午後3時のサイコロタイムでも「1」か「2」が出ちゃったら、通過ポイントどころか、今夜も泊まる場所を探さなきゃなんない。真冬の12月なんだから、野宿なんかできない。

だけど、どうすることもできない。途方に暮れたまま、公園のベンチから動けず、ただ時間だけが過ぎて行く。そして、とうとうお昼になってしまった。その時、ずっとうつむいてる早希ちゃんに、「早希ちゃん!」て声を掛ける女性がいた。顔を上げると、真衣ちゃんを紹介してくれた有美ちゃんだった。有美ちゃんは、真衣ちゃんから「サイコロで1を出した」ってことを聞いて、心配して駆けつけてくれたのだ。そして、落ち込んでる早希ちゃんに、笑顔でこう言った。


「じゃあ、行こっか?」

「えっ?」

「ランチがてら、徳島ラーメンの『いのたに』でも」

「えっ?えっ?」


‥‥そんなワケで、早希ちゃんは、やさしい有美ちゃんのオカゲで、「いのたに」の美味しい徳島ラーメンを食べることができて、身も心もポカポカになり、通過ポイントもクリアできた上に、午後3時のサイコロタイムでは「1」と「2」の呪縛を振り払うことができた。そして、次の通過ポイントに向かって、ようやく、長い長い旅の第一歩を踏み出すことができたのだ。

これから向かう2番目の通過ポイント、「祖谷渓の小便小僧」では、山奥で「1」を出してネルカードのお世話になり、3番目の「二十四の瞳像」ではブログ旅初の船に乗り、4番目の「こんぴらさん」では地獄のような階段を上らされ、5番目の「道後温泉」ではセクシーな入浴シーンを披露し、6番目の「宇和米博物館」ではプラグスーツ姿で雑巾がけをして一部のマニアをハァハァさせ、7番目の「足摺岬でホエールウォッチング」では何日間も苦労して、最後の「中岡慎太郎像」は降りたバス停の目の前に立ってて拍子抜けしちゃったけど、この1つ1つの通過ポイントの間にも、今回の有美ちゃんたちとの出会いのように、その土地土地での人たちとのあたたかい交流があった。

早希ちゃんと一緒に泣き、早希ちゃんと一緒に笑い、時にはハァハァ(笑)したりもして、たくさんの感動とともに、長い長い旅は終わった。ただ、実際には1ヶ月半も前にゴールしてたのに、少しでも視聴率を稼ぎたい「ロケみつ」の魔の手によって、ゴール前の総集編だの、ゴールの回を2週にまたがせたりだのっていうコソクな手法で、前回と同様に、ズルズルと引き延ばされてた。早希ちゃんは、すでに次の旅を始めてるのに、こっちは、早希ちゃんが、今どこへ向かってどの辺を旅してるのかも知らされずに、すでにゴールしてる旅の様子を「リアルタイム風味」で観なきゃならないっていうヤマアラシのジレンマ! でも、そんな状態も、昨日の深夜の放送で、ついに早希ちゃんの感動のゴールが流れ、すべてが解決した。

‥‥そんなワケで、昨日の深夜の放送は、いつもの倍の1時間SPだったけど、感動のゴールシーンが流れたのは、ちょうど真ん中の30分のとこだった。そして、残りの30分は、恒例の祝賀会の様子から、ビールやワインを飲んで、酔って眠った早希ちゃんをどこかへ連れてくロケバス。それで、翌朝、見覚えのない場所で降ろされる早希ちゃん‥‥って流れだったから、誰もが、ここから第3弾のブログ旅がスタートすると思ったのもイタノマ、早希ちゃんが降ろされたのは、有馬温泉の高級旅館、「兆楽」の前で、ナナナナナント! 早希ちゃんのお父さんとお母さんが登場した! そして、スタッフから、「四国一周ブログ旅」をゴールしたお祝いとして、「兆楽」の離れの一泊20万円もするお部屋に泊まり、家族水入らずで楽しんでください‥‥ってことを告げられる。でも、これが、早希ちゃんを安心させるためのワナで、翌朝、早希ちゃんの前に現われたのは、「ロケみつ」のスタジオの八光さんとチャンちゃんのかぶりものをしたお父さんとお母さんだった。早希ちゃんは、自分の両親から、第3弾の旅、「目指せ鹿児島!西日本横断ブログ旅」のスタートを告げられちゃったのだ。分かってたことだけど、あたしもまたセッセとコメントを書き込むから、がんばれ早希ちゃん!‥‥って感じの今日この頃なのだ♪


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2009.09.26

江古田ラプソディー 後編

‥‥そんなワケで、どんなワケかって言うと、昨日の続きなワケで、とうとう「大学デビュー」することになったあたしは、ちょっとウキウキしながら水曜日を迎えた。だけど、テキトーな言葉が見つからなかったから「大学デビュー」って書いてみただけで、この場合、「大学デビュー」って言葉は妥当じゃない。「高校デビュー」とか「大学デビュー」ってのは、中学でイジメられてた男の子が、これからはイジメられないようにと、高校に進学してイジメっ子たちと離れたのを機会に、エグザイルのボーカルみたいなスジの入った坊主頭にして、田舎のヤンキー風味に方向転換するとかが「高校デビュー」で、高校で男の子たちからバカにされてた三つ編みにメガネのダサかった女の子が、これからはモテるようになろうと、大学に進学して上京したのを機会に、髪を染めて流行のヘアスタイルにして、メガネをコンタクトにして、今どきの女性へと方向転換するとかが「大学デビュー」だ。

 

つまり、それまでの自分に不満を持ってた子が、高校や大学に進学して、自分のことを知ってる同級生がほとんどいなくなり、周りの環境が変わることを利用して、自分のイメチェンを図ろうってのが「○○デビュー」ってワケだ。だけど、この言葉には、「遅ればせながら」って意味も含まれてるから、軽蔑‥‥ってほどじゃないけど、対象者を小バカにした意味で使われる。普通なら中学時代に経験してるようなことを高校生になってからようやく経験した‥‥とかって意味だ。本物のヤンキーなら、中学時代から悪かったワケで、中学時代は目立たなくておとなしい子だったのに、高校に進学してから突然ヤンキーになったような子は、周りのヤンキーたちから「お前、高校デビューのクセに」ってからかわれる。

 

だけど、まったく違う意味で使われてるのが、「公園デビュー」って言葉だ。赤ちゃんを産んだ若いママが、赤ちゃんをベビーカーに乗せて、おんなじような若いママたちが集まってるその地域の公園に初めて行くことを「公園デビュー」って言う。これは、読んで字のごとく、「公園にデビューする」って意味で使われてる。一方、「高校デビュー」や「大学デビュー」のほうは、高校や大学にデビューするワケじゃなくて、高校生や大学生になってから、遅ればせながら○○にデビューする‥‥って意味だ。だから、今回のあたしの「大学デビュー」は、本来の「大学デビュー」とは意味が違って、「公園デビュー」のほうの意味だと思って読んで欲しいと思う今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?

 

 

‥‥そんなワケで、いよいよ憧れの「大学デビュー」の日を迎えたあたしは、午前中の専門学校が終わってから、山手線で池袋へ行き、西武池袋線で江古田へ行った。ちなみに、これは「江古田駅へ行った」ってことだから、「えごた」じゃなくて「えこだ」だ。とにかく、あたしは、生まれて初めて西武池袋線に乗り、生まれて初めて江古田駅に降り立ったワケで、完全なるアウェイの雰囲気にビビリまくってた。東京生まれの人じゃないと分かんないと思うけど、渋谷生まれ、世田谷育ちのあたしは、渋谷区、世田谷区、目黒区、港区、大田区、品川区までが安心できる範囲で、これに準じるのが、杉並区、中野区、新宿区くらいで、あとはぜんぶアウェイになる。特に、あたしの場合は、神奈川県との境に住んでるから、これ以外の区に行くよりも、神奈川県の川崎とか横浜に行ったほうが落ち着くのだ。

 

で、完全にアウェイの江古田駅に降り立ったあたしは、ニコタマから向かったんじゃなくて、中間地点にある専門学校から向かったから、思ってたよりも遥かに早く着いちゃって、まだA子との約束の1時まで20分もあった。それで、朝から何も食べてなかったから、お腹もペコペコだったけど、ヘタに動いてA子と会えなくなって、見知らぬアウェイの土地を彷徨うのは恐かったから、ずっと北口の改札のハシッコを動かなかった。そしたら、あたしの心配とはウラハラに、1時5分前にA子がやって来た。あたしは、言葉も通じないアラブ世界かどこかの異国で、人ゴミの中に1人のニポン人を見つけた時のように、A子の顔を見てホッとした。そして、ホッとしたら、ヨケイにお腹が空いちゃったんだけど、A子って超能力者なのか、開口一番、こう言ったのだ。

 

 

「きっこ、お腹空いてるよね?」

 

 

あたしは、そんなに腹ペコな顔をしてたのかと思って恥ずかしくなったんだけど、そうじゃなくて、A子は、あたしがお昼に専門学校が終わって、そのまま江古田に来たってことを知ってたから、きっとお昼ご飯を食べてないと思ったそうだ。それで、あたしが「ペコちゃんだよ」って言ったら、「きっこと一緒にお昼を食べようと思って、あたしも食べてないんだ。イイトコに連れてってあげる」って行って、A子はそのまま歩き出した。A子が「この辺には安くて美味しいお店が多いんだよ」って言うから、あたしは、定食屋さんみたいなとこを想像してたんだけど、連れてかれたのは、駅からすぐの「黒田武士」っていう居酒屋さんだった。ちなみに、これは、あたしのお得意の変換ミスじゃなくて、「黒田節」にカケてある店名だ。

 

ようするに、夜は居酒屋さんで、昼間はランチをやってるってワケで、A子に続いて中に入ると、若い男の人たちで満員だった。だけど、あたしたちが入って来たのを見てなのか、偶然なのか、カウンターのハシッコにいた2人が立ち上がったので、そこに座ることができた。で、ここからがビックル一気飲みの連続だったのだ。このお店のランチはカレーなんだけど、他の人が食べてるのを見ると、ナナナナナント! ラーメンのどんぶりに入ってるのだ! そして、目の前の壁にぶらさがってたメニューを見て、あたしは、自分の目を疑った。だって、こんなメニューになってたのだ。

 

 

「カレー 330円」

 

「カツカレー 330円」

 

 

あたしは、お腹が空きすぎて、幻覚でも見てるんじゃないかと思って、目をパチパチしてみたんだけど、やっぱり、カレーもカツカレーも両方とも「330円」て書いてある。これじゃあ、トンカツが嫌いな人以外は、全員がカツカレーのほうを注文するに決まってる。これが、おそば屋さんだったとしたら、「かけそば 300円」「天ぷらそば 300円」みたいなもんで、これなら、あたしは絶対に「天ぷらそば」のほうを注文する。で、あたしが驚くと同時に、あたしの心を読める超能力者のA子は、「ここはね、カレーが330円なんだけど、トンカツを乗せても330円なんだよ。他にも、コロッケ、エビフライ、白身フライがあって、どれを乗せてもらっても330円なの。すごいでしょ!」って説明してくれた。でも、こんな説明を聞いても、「どうしてなのか」ってことを説明してくれないと、あたしの疑問は解決されない。

 

だけど、とにかくお腹がペコちゃんだったあたしは、疑問はさておき、A子とおんなじカツカレーを食べてみることにした。まだ、お肉を普通にパクパク食べてた時代だったし、他の人の食べてるカレーを見るとすごい量だったけど、「今ならぜんぶ食べられる!」って思ったからだ。でも、出て来たカツカレーは、見た目ほどすごい量じゃなかった。普通、どんぶりでカレーって言うと、カツ丼や親子丼みたいに、どんぶりの中に平らにご飯をよそって、その上にご飯が見えなくなるようにカレーが掛かってるものを想像するだろうけど、そうじゃなかったのだ。ちゃんと、お皿で出て来るカレーみたいに、どんぶりの中にナナメにご飯がよそってあって、ご飯の少ない側にカレーが掛けてあったから、見た目よりはご飯は多くなかった。

 

それでも、普通のカレーの1.5倍くらいはあったから、あたしは、お腹がパンパンになったんだけど、こんなにいっぱい食べられたのは、お腹が減ってたからだけじゃなくて、何よりもバツグンに美味しかったからだ。カレーの辛さ、コク、煮込み具合、どれもサイコーな上に、カレーに埋まってるカツとのバランスが絶妙で、正直、それまでに食べたカツカレーの中でナンバーワンだった。こんなあたしでも、それなりのレストランで1000円近くするカツカレーを食べたこともあったけど、このラーメンのどんぶりに入った330円のカツカレーは、そんなのとは比べ物にならないほど美味しかった。

 

‥‥そんなワケで、思わぬゴチソウに大満足したあたしは、あたしが大満足したことに大満足したA子に連れられて、いよいよ日芸に向かった‥‥って言っても、目と鼻の先で、ちょっと歩いたらすぐに着いた。あたしは、大学は大学でも「芸術学部」だから、もしかしたらアバンギャルドな眞鍋かをり‥‥じゃなくて、アバンギャルドな建物かもしれないって想像してたんだけど、そんなことはなくて、古めかしくて立派なコンクリートの大きな建物だった。でも、「古めかしくて」って言うのは、正門の「日本大学藝術学部」って看板の文字がオドロオドロしかったのと、校内に大きな木が並んでて、その横のコンクリートの巨大な建物が日陰になってたので、そんな印象を受けたんだと思う。ちなみに、現在は、新しい校舎に建て替えられてるそうだから、当時とは違うと思う。

 

そうそう、ついでだから書いとくけど、昨日の前編で「爆笑問題の2人とか、ガレッジセールのゴリさんなんかの母校」って書いたけど、この3人は、みんな中退なので、母校は母校だけど日芸は卒業してないそうだ。で、A子に連れられて、初めて大学の講義に出席したあたしは、めでたく「大学デビュー」して「天ぷら学生」になれたってワケだ。もちろん、この時点では、あたしは「天ぷら学生」なんて言葉を知らなかったから、これは「今思えば」ってことだけど、さっきのカツカレーでお腹がパンパンだったあたしは、「天ぷら学生」ってよりも「カツカレー学生」そのもので、ゲップをしたら、向こう三軒両隣にカレーの匂いが広がっちゃいそうなイキオイだった。

 

で、あたしが受けた講義は、あんまり詳しくは分からないけど、「公開講義」とか「公開授業」とか言うヤツで、その学科のコースを専攻してない学生でも自由に聴講できるものだった。だから、ふだん見かけない顔の学生が混じってても、教授や他の学生にはバレないってことだった。でも、念のために、もしも誰かに聞かれたら、「○○学部で××を専攻してる△△」って言うようにって、あらかじめA子から教わってたし、隣りにA子がいるから、フォローしてもらえば大丈夫だと思ってた。その講義は、色彩と造形の理論みたいな内容で、ものすごくフランク・ザッパに言うと、おんなじ色でも、それを平面じゃなくて立体に塗った場合、光の作用によって色が変わる的なことだ。四角い箱をぜんぶおんなじ黄色に塗っても、光源の位置や見る人の位置によって、黄色の濃い面と薄い面ができる的なことだ。

 

あたしが勉強してたヘアメークにも関係してる内容だから、すごく興味はあったんだけど、あたしにはリトル難しかった‥‥っていうか、専門用語みたいなのが分からなくて、何度かA子に小声で「今の○○ってどういう意味?」って聞いたんだけど、A子も「う~ん?」なんて言って、たいして分かってなかった(笑) だけど、教授の講義の仕方は、A子が言ってた通りで、すごく面白かった。だから、難しい言葉の意味が分かったら、もっと面白いんだろうな~って思った。そして、あたしは、大学生ってこんなに楽しい講義をいっぱい受けられるのか~って思って、とっても羨ましくなった。それなのに、あたしは、せっかく憧れてた大学の講義を初体験してるのにも関わらず、ジョジョに奇妙に眠たくなってきちゃった。「奇妙に」って言っても、お腹がパンパンだからなのと、ゆうべも深夜までバイトしてたからなんだけど。

 

そして、あたしは、それからと言うもの、水曜日に本屋さんのバイトに入れなかった時で、他の用事がなかった時には、日芸に通うようになった。いくら「天ぷら学生」とは言え、江古田まで行く電車賃と、行ったら必ず「黒田武士」に寄ってカレーを食べてたから、あたしにとってはすごいゼイタクだったんだけど、なんて言うか、あの、大学のキャンパスを歩いて、本物の大学生たちに混じって講義を受けるっていう独特の雰囲気が楽しくて、一瞬だけでも大学生になれたような気分を味わいたくて、何度も通っちゃった。

 

‥‥そんなワケで、あたしの場合、ホントは、高校を卒業したらすぐに就職して、少しでも早く母さんをラクさせなきゃならなかったのに、どうしてもヘアメークになる夢を諦めきれずに、ワガママを言って専門学校に行かせてもらった。いくら自分のお金で通ってたとは言え、親不孝をしてるっていう引け目があったから、高校を卒業してから、さらに4年間も自分の好きなことを勉強させてもらえる大学生って、あたしにとっては雲の上の人たちだった。だから、「天ぷら学生」をやってた時のあたしは、大ゲサじゃなくて、シンデレラみたいな気分だった。そして、それから、16年もの月日が流れ、あたしは何とかヘアメークとして生活してるけど、あの懐かしいカツカレーの「黒田武士」は、去年、とうとう閉店しちゃったそうだ。今から10年くらい前に、330円から350円に値上げしたけど、その代わりにミニサラダがつくようになって、閉店するまでずっと日芸の学生たちに愛されてたって聞いて、何だか、甘酸っぱいような、切ないような、不思議な気分になった今日この頃なのだ。

 

 

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2009.09.25

江古田ラプソディー 前編

今日は、ショッパナからバカバカしい「なぞなぞ」を出しちゃうけど、東京都の中で一番環境にやさしい街はど~こだ?‥‥って、あまりにもくだらない「なぞなぞ」だから、すぐに答えを書いちゃうと、それは、中野区の「江古田」、つまり、「エコだ」(笑)‥‥とかって言いつつも、あたしはずっと「えこだ」だと思ってたんだけど、正しくは「えごた」って言って、「た」が濁らなくなるぶん、「こ」のほうが濁るみたいだ。映画「釣りバカ日誌」のハマちゃんが、「ハマザキくん!」って呼ばれると、必ず「ハマザキじゃなくてハマサキです!濁らないんです!」って言うけど、アレみたいに「濁るか濁らないか」ってことなら簡単なのに、この「濁る場所が移動する」ってのは、なかなか複雑だ。ハマちゃんの場合なら、「ハマザキじゃなくてハマサギです!サは濁らなくてキが濁るんです!」ってワケで、大きくイメージが変わっちゃう。

 

ちなみに、あたしのパソコンだと、「えこだ」って入力しても「えごた」って入力しても、どっちでも「江古田」に変換される。それで、チョコっと調べてみたら、西武池袋線の江古田駅は「えこだ」で、中野区にある地名のほうは「えごた」だった。詳しく説明すると、西武池袋線の江古田駅って、名前は「江古田」なのに、中野区の江古田にはない。駅があるのは、中野区の江古田には近いんだけど、お隣りの練馬区なのだ。つまり、千葉県にあるのに東京ディズニーランドって言うようなもんだ。そう言えば、遊園地の「としまえん」も、豊島区じゃなくて、隣りの練馬区にあるのに「としまえん」て名前だ。練馬区って、中野区の地名を駅名にしたり、豊島区の名前を遊園地の名前にしたりって、自分の区に自信がないんだろうか?(笑)

 

とにかく、あたしが、「江古田」のことを「えこだ」だと思ってたのは、西武池袋線の江古田駅のホームの看板に「えこだ」って書いてあるからで、それを何度も何度も見てたから、本家本元の中野区の地名のほうも「えこだ」って言うのかと思ってたワケだ。だから、最初の「なぞなぞ」の出し方が悪かったワケで、東京都の中で一番環境にやさしい駅はど~こだ?‥‥って出題してれば良かったと思う今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?

 

 

‥‥そんなワケで、地名や人名の場合、「田」が最初につく「田中」とか「田村」とかの場合は濁らずに「た」って読むけど、「田」が最後につく場合は、「山田」とか「竹田」みたいに濁って「だ」になる場合と、「三田」や「村田」みたいに濁らずに「た」になる場合とがある。だけど、これが「川田」になると、普通は「かわだ」って濁るけど、ガレッジセールの川ちゃんの場合は、濁らなくて「かわた」って読む。だから、おんなじ「川田」って名字でも、「田」が濁る人と濁らない人がいるワケだ。「中田」の場合も、「なかだ」って読む人と「なかた」って読む人がいるし、パッとは思い浮かばないけど、この「どっちの読みもあるパターン」は、他にもいくつかあると思う。

 

だから、「江古田」の場合も、「た」って読むパターンと、「だ」って読むパターンがあってもいいと思う。だけど、これは、「田」の読みに関してだけのことで、「古」は「こ」としか読まない。だから、「えこた」か「えこだ」なら分かるけど、「こ」が濁って「えごた」って読むのは、すごく特殊な例だと思う。それに、ムリヤリに「こ」を濁らせて「ご」にするなら、「た」のほうも濁らせて「えごだ」にしたほうが、ムリヤリ感はなくなると思う‥‥ってのは、あたしのエゴだ(笑)

 

ま、そんなことは置いといて、あたしが、どうして西武池袋線の江古田駅のホームの看板を何度も何度も見てたのかって言うと、たぶん時効だと思うし、これから時効制度がなくなっちゃうかもしれないから、今のうちに白状しとくけど、実は、あたしは、今から16年か17年前、日芸に通ってたのだ。日芸ってのは、「日本芸者クラブ」のことじゃなくて、「日本芸能人養成所」のことでもなくて、爆笑問題の2人とか、ガレッジセールのゴリさんなんかの母校、「日大芸術学部」のことだ‥‥って、ナニゲにガレッジセールの2人が、別々の話題で登場しちゃったワケだけど、それで、江古田駅が日芸の最寄り駅だったので、あたしは、山手線で池袋まで行き、西武池袋線で3つめの江古田まで通ってた。

 

で、なんで「たぶん時効だと思うし」なのかって言うと、あたしは、ちゃんとした学生じゃなくて、「天ぷら学生」だったからだ。「天ぷら学生」ってのは、あたしの世代でも完全に死語になってて、日芸に通ってた時には、あたしも自分が「天ぷら学生」だとは知らなかった。あとから、コッソリ通ってたことを母さんに話したら、「天ぷらをやってたの?」って驚かれて、それで初めて知った言葉だ。母さんが教えてくれたのは、ホントは学生じゃないのに、学生服を着て学生になりすますことを「天ぷら学生」って言って、そのココロは、「衣(ころも)だけ」ってことらしい。つまり、外側の制服だけは学生だけど、中身は学生じゃないって意味だそうだ。でも、天ぷらなら、衣もついてるけど、ちゃんと中身も入ってるワケで、イマイチ意味が分からない。「まわりはだけが本物」ってことなら、「チクワ学生」とかのほうが意味が通じると思うんだけど。

 

ま、とにかく、母さんが若かったころは、学生じゃないのに学生になりすますことを「天ぷら学生」って呼んでて、それが転じて、その学校の学生になりすまして授業を受けたりする人のことを「天ぷら学生」って呼ぶようになったそうだ。だけど、いくら「天ぷら学生」になりたくても、中学や高校に潜り込んだらバレちゃうに決まってて、唯一、何とかなるのが、大学だけってことになる。大学なら、みんな私服だし、同世代ならキャンパスを歩いてても違和感もないし、少人数の特別な講義じゃない限り、後ろのほうにコッソリと紛れ込んでればバレる確率はほとんどない。

 

それに、講義を受けるんじゃなくて、学食でご飯を食べるだけなら、どこの大学でも普通に入れる。あたしはニコタマだから、多摩川沿いを下流に向かってサイクリングしてくと、ちょっと行ったとこに「ムサコー」がある。「ムサコー」って言うと高校の名前みたいだけど、「武蔵工業大学」って大学だ。ちなみに、今年の春からは、ナゼだか「東京都市大学」なんていうヘンテコな名前に変わっちゃったんだけど、昔からこの辺に住んでるジモティーは、今でもみんな「ムサコー」って呼んでる。あたしは、まだお肉をパクパク食べてたころ、タマに「ムサコー」に行って、学食で「焼肉定食」を食べてた。値段は450円だったかな? そのくらいで、そんなに安くはないんだけど、子供のころにおばあちゃんが作ってくれた焼肉の味に似てて、ナニゲに懐かしい気持ちになれたのだ。

 

そう言えば、10年くらい前に今のパンダを買った時、最初の車検は、「ムサコー」の自動車部の学生さんに頼んで、5000円でユーザー車検をやってもらったんだ。最初、1万円て言ってたんだけど、あたしが「できるだけ安くお願いします」って言ったら、「じゃあ特別に5000円でいいですよ」って言ってくれた。でも、あたしが、ノーマルのマフラーだの足まわりだのインジェクションだのを積んでパンダを持ってったら、車を見たトタンに「うがっ!」とか言ってフリーズしちゃって、「お姉さん、どんだけいじってるんですか!これじゃあ1万円でもムリですよ~」って言われちゃった。だけど、あたしが、「そこを何とか!」ってお願いしたら、シブシブ了解してくれて、2人掛かりで3時間くらい作業して、車検に通るようにしてくれて、それから鮫洲まで行ったんだよね。もちろん、5000円じゃ申し訳ないと思ったから、チャーシューメンをゴチソウしたり、缶コーヒーをゴチソウしたり、タバコを買ってあげたりって、当時のあたしにできる限りのお礼をしたっけ。あ~懐かしい。

 

‥‥そんなワケで、他にも、渋谷で遊んでたころは、トコトコと歩いて、よく「青学」の学食へ行った。「青学」は、説明の必要もないと思うけど、もちろん「青山学院大学」のことで、場所が場所だけに、とってもオシャレな学食で、生ビールまで置いてるのだ。そうそう、今、思い出したけど、高相祐一がお泊りしてた渋谷警察のとこから、「青学」方面へ青山通りをカーブしながら上ってくと、坂を上りきったとこに歩道橋がある。で、この坂の名前が「金王坂(こんのうざか)」って言うので、その歩道橋には「金王坂上」って書いてあるんだけど、どっかのファンキーな誰かが、「王」って漢字に点を書いて「玉」にしちゃったのだ。つまり、「金玉坂上」ってワケだ(笑)

 

たぶん、黒のラッカースプレーで近距離から「シュッ!」ってやったんだと思うけど、これが、歩道橋の側面のワリと下のほうに書いてある文字だから、歩道橋の上から身を乗り出しても、手を伸ばしたくらいじゃ絶対に届かない。ラッカースプレーを持ったヤツが歩道橋の上から逆さ吊りになって、もう1人がソイツの足を持つ‥‥とかじゃないと届かない距離なのだ。普通の歩道橋なら、車の通行が少ない明け方とかに、その文字の真下にワンボックスカーを停めて、屋根に上れば、ラッカースプレーが届くと思う。

 

だけど、青山通りの歩道橋は、普通の歩道橋よりも高いから、バスとか大型トラックとかの屋根に乗らないとムリだと思う。だから、きっと、歩道橋の上から、逆さ吊りになってトライしたんだと思う‥‥って、ついつい連続してダッフンしちゃったけど、「ムサコー」や「青学」の話じゃなくて、「日芸」の話だった。

 

今から16年か17年前、あたしは高校を卒業してヘアメークの専門学校に進んだんだけど、高校の同級生で、日芸に進んだ子がいた。便宜上、A子ってことにしとくけど、卒業から半年くらいしたある日のこと、地元でA子とバッタリ再会して、駅前のミスドでチョコっとお茶することになった。あれ?もしかするとドトールかもしれない。ま、どっちでもいいんだけど、とにかく、高校を卒業してから初めて会ったので、あたしは専門学校、A子は大学、それぞれの新しい生活にも慣れて来たころだった。それで、お互いの新生活のことをペチャクチャとおしゃべりしてた。でも、話してるうちに、プロになるために必死で勉強しながら、バイトに明け暮れてたあたしと比べて、大学生の生活ってヤタラと楽しそうで、なんとなく羨ましく思えて来た。

 

それで、ナニゲに「あたしも大学に行ってみたかったな~」って言ったら、「じゃあ一度来てみる?」って言われたもんだから、あたしは「へっ?」ってなっちゃった。A子が言うには、日芸には変わった学生がウジャウジャといるから、どんな人が紛れ込んでもぜんぜんバレないし、後ろの席なら講義に出ても大丈夫だってことだった。あたしは、いくつかの大学の学祭とか学食とかおトイレとかには行ったことがあったけど、サスガに講義に出たことなんてなかったから、興味津々天津丼で、ぜひ行ってみたいと思った。

 

だけど、当時のあたしは、専門学校の学費は中学と高校でバイトして貯めたお金で払えたんだけど、卒業してからNYに留学するための資金を貯めてた上に、母さんに毎月お金を入れてたから、平日も土日も複数のバイトをカケモチしてて、自由になる時間なんてほとんどなかった。この日だって、タマタマいつもより1時間くらい早く地元に戻って来られて、A子と駅前でバッタリと会い、居酒屋さんのバイトの時間まで少し余裕があったから、チョコっとお茶することにしたワケだ。だから、この日は、「じゃあまたね♪」で別れたんだけど、それから何日かした平日の夜に、あたしのバイトしてた居酒屋さんに、A子がカレシと2人でやって来た‥‥って、あ!これも時効だよね。

 

とにかく、A子はまだ未成年だったけど、カレシはハタチを過ぎてて、2人は生ビールを注文した。この日は、そんなに混んでなかったから、あたしもカウンター越しに少しおしゃべりしてたら、A子は例の話を覚えてて、「すごく面白い教授がいるから、とにかく一度遊びに来てみなよ」って言い出した。でも、あたしは時間がないし‥‥って思って聞いてたら、その教授の講義は毎週水曜日だって言う。水曜日は、専門学校が午前中の1コースだけで、お昼から居酒屋さんのバイトが始まるまでの6時間は、本屋さんでバイトしてた。でも、これは、不定期だった。水曜日の6時間がもったいないから、日曜日にバイトしてた本屋さんに「水曜日のお昼から夕方6時までやらせて欲しい」ってことをお願いしてみたら、「平日のバイトが足りなかった時だけ頼む」ってことになって、毎週入れる月もあれば、月に1回しか入れない時もあった。それでも、時給700円で6時間だから、1回行けば4000円以上になるので、あたしにとっては貴重なバイトだった。

 

‥‥そんなワケで、その教授の講義は、水曜日の午後だって言うから、あたしは、本屋さんのバイトがなかったら行ってみようと思って、A子にそう伝えた。ただ、当時は、まだケータイなんて持ってなかったから、アバウトな約束だけで出掛けることはできない。「どこそこに何時何分」てことを事前にキッチリと決めとかないとダメだから、次の日に本屋さんに確認して、あたしのほうから電話することにした。そして、翌日、幸か不幸か、次の水曜日はバイトに入れないって言われたので、あたしはA子に電話して、「水曜日の1時に、江古田駅の北口の改札のとこね」ってことになった16年前の今日この頃、あまりにもダッフンしすぎて長くなっちゃったので、明日へ続く♪

 

 

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2009.09.24

八ッ場ダム報道でヤラセ発覚

「八ッ場ダム報道でヤラセ発覚」(世田谷通信)

民主党が公約に掲げた「八ッ場ダムの建設中止」に対して、ダム建設の推進を訴える中年男性や中年女性など地元住民の映像が各テレビ局のワイドショーや報道番組などで繰り返し流されているが、これらの地元住民が、実はダム建設推進に深く関わって来た長野原町の自民党系の町議会議員であったことが分かった。町議会議員でも住民には違いないが、町議会議員であることをまったく報じず、いかにも仕事中のような服装をして「われわれ住民の気持ちはどうなる!」「わたしたち地元の人間のことはまったく考えてくれない!」などと、口にしているセリフも町議会議員の立場からのものではなく、あくまでも一般の住民を装っている。前原誠司国交相は、ダム建設の中止を宣言した一方、これまで自治体が負担した負担金の全額返還は当然として、できる限りの補償をすると伝えているが、住民側はまったく受けつけず、とにかく「ダムを造れ」と言い続けている。負担金を全額返還した上で十分な補償までするのだから、計画を中止にしても住民にとっては何のデメリットもないはずだが、こうした反対の声を上げているのが町議会議員だったということで、意地でもダムを造らせようとしている意図が明確になった。この八ッ場ダムの建設に関わっている7つの公益法人と13の民間企業には、そのすべてに合計で46人もの国交省の天下りがいる。また事業の基本方針を決定した検討委員会も、委員長から委員に至るまでそのほとんどが国交省の天下りで組織されており、石原慎太郎東京都知事も名を連ねている。言うなれば「天下りの天下りによる天下りのための公共事業」であり、ダムが計画通りに建設されれば、これらの公益法人と民間企業には巨額の予算が流れ込み、天下りたちの下にいる県議や町議らにも莫大な「おこぼれ」がある。こうした構図を見れば、町議会議員らが一般の住民を装うという悪質なヤラセを演じてまでダムを造らせようと躍起になっている異常さもつじつまが合うだろう。(2009年9月24日)


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緊急アンケートです!

「必要のない無駄な大型公共事業をすべて見直し、税金を本来の目的である国民のために使う」という理由で民主党が公約に掲げた1つ「八ッ場ダムの建設中止」に対して、何故だか各報道は一部のダム建設推進派の主張ばかりを報道しています。

それも、ダム工事はまったくの未着手なのにも関わらず、「すでに7割が完成している」という嘘の報道までしています。

皆さんは、「八ッ場ダムの建設中止」という民主党の公約を支持しますか?


【民主党の公約「八ッ場ダム建設中止」について】

1.民主党の「建設中止」を支持する
2.民主党の「建設中止」を支持しない
3.どちらとも言えない


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のりピー事件の矛盾点

まるで、衆院選と押尾学事件から国民の目をそらせることが目的だったかのように、連日、ヒートアップして報道され続けた酒井法子と高相祐一っていう「覚醒剤中毒夫婦」のドタバタ茶番劇だったけど、ちょっとでも薬物犯罪や警察の取り調べについて知ってる人なら、今回の事件は、誰もが疑問に思ったことがマウンテンだったと思う。その最たるものが、ウソをつき続けてた2人が「保釈」されたってことだ。これは、通常では絶対にアリエナイザーなことだ。

こうした薬物事件の場合、捜査当局が何よりも重要視するのは、その薬物の入手ルートだ。いくら末端の「使用者」を逮捕したとこで、「売人」のほうを逮捕しなかったら犯罪撲滅にはつながらないからだ。だから、今回のように、末端の「使用者」を逮捕した場合には、必ず入手ルートの解明に全力をあげる。いつ、どこで、誰から買ったのかを自白させ、その「売人」を逮捕し、そこから密売ルートの壊滅へと捜査の手を広げてくのが通常のパターンだ。

もちろん、逮捕された「使用者」は、おいそれとは口を割らずに、最初はウソをつく。逮捕された「使用者」の10人が10人とも口をそろえて言うウソが、東京の場合なら、「どこそこで外国人から買った」と「どこそこで拾った」ってセリフだ。そして、この「外国人」てのも、ひと昔前は、「黒人」てのがお決まりのセリフで、ここ数年は「イラン人」とかがメインになった。だから、取り調べをする刑事にしてみたら、こうしたセリフは聞き飽きてるワケで、新しく逮捕された「使用者」の口から、こうしたセリフが出た瞬間に、それがウソだってことはお見通しなワケだ。

高相祐一は、8月3日に渋谷で現行犯逮捕された時に所持してた覚醒剤については、「渋谷でイラン人から買った」ってウソをつき、7月に奄美大島で使用した覚醒剤については、「レイブ会場で拾った」ってウソをついた。こんなの、刑事じゃなくても、あたしたち一般人から見たってウソなのはバレバレで、普通に考えたら通用するワケがない。それなのに、他の所轄よりも薬物事件を多く取り扱ってるだろう渋谷署の刑事が、こんな大ウソを鵜呑みにして、「ああそうですか」って捜査を終わらせて、トットと保釈させるなんて、あまりにも常識を逸脱してると思う今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、細かいことを言うと、高相祐一が「レイブ会場で拾った」ってウソをついてる覚醒剤は、ストローに入ってたそうだ。これは、細くて白いストローの中に細かい結晶状の覚醒剤を入れて、端っこをライターであぶって指で密着させて閉じるもので、そこをハサミやカッターで切って使うぶんだけを出して、またおんなじように閉じておくものだ。だから、この形で落ちてたのなら、数え切れないほど覚醒剤を常用して来た高相祐一なんだから、ひと目で「覚醒剤だ」って分かっただろう。

だけど、いくらそんな形で落ちてたとしても、それが覚醒剤なのかどうなのかは、検査薬で調べてみないと分からない。たとえば、誰か悪意のある人間が、青酸カリみたいな猛毒をストローに入れて、シャブ中のバカを殺してやろうと思って、ワザと落としておいたって可能性だってある。そう考えれば、道端に落ちてた「何だか分からない薬品」を自分で使用してみようと思う人間なんて、普通はいないだろう。ま、そんな推測をする以前に、すでに「拾った」っていう供述がウソ丸出しなワケで、高相祐一は、ぶっ飛んだ状態で皆既日食を観たりセックスしたりする目的で、わざわざ東京から奄美大島へ持ってったって考えるのが世界共通の常識だろう。

覚醒剤は、いろんな持ち運び方があって、お水に溶かしたものをお弁当とかのお魚の形をしたお醤油入れに入れてるのが、通称「金魚」って呼ばれてて、これは、尾崎豊とかが愛用してたヤツだ。ちっちゃなお醤油入れだから、ポケットやバッグに入れて簡単に持ち運べるし、尾崎豊の場合は、喫茶店とかでコーヒーに入れて飲んでたそうなので、結晶や粉末よりも使いやすかったんだろう。だけど、酒井法子と高相祐一っていう「覚醒剤中毒夫婦」の場合は、酒井法子が自供してるように「あぶり」で吸ってたから、水溶液にしちゃったら使用できない。水溶液にして飲み込むと、胃や小腸から吸収されて、それから血液中に入るから、効いて来るまでに時間が掛かる上に、効き方もやわらかい。だから、酒井法子や高相祐一のような長期の常習者は好まない。長期の常習者は、効き目が速くて明確な方法を好むから、たいていは「あぶり」から「ショット(注射)」へと進んでく。

‥‥そんなワケで、話を本線に戻すけど、高相祐一は、「渋谷でイラン人から買った」とか「レイブ会場で拾った」とかってウソをつき、ホントの入手経路を話さなかった。そして、酒井法子は、「ダンナからもらった」の一点張りで、自分のほうの入手経路については、警察に出頭する前に自分のケータイを自分で壊して、捜査が及ばないように証拠隠滅した。そのため、何よりも重要な密売ルート解明は、すべて2人の供述に掛かってたワケで、捜査当局の取り調べに期待されてた。それなのに、捜査当局は、酒井法子はともかくとして、大ウソをつき続けてた高相祐一まで保釈しちゃったのだ。こんなことは前代未聞だ。

何らかの犯罪を犯して警察に逮捕されると、最初は2日間の「刑事勾留」で身柄を拘束される。場合によっては「72時間勾留」って言って、3日間、拘束されるケースもあるけど、これはマレで、たいていは2日間の「刑事勾留」の間に、検察に送検するかどうかを決めなきゃなんない。軽微な犯罪なら、送検されずに1日が2日で釈放されるし、送検が決定した場合には、例の薄いクリーム色に紺色のラインの入った、窓がアミアミになってる小型のバスに乗せられて、地検へと連れてかれる。このバスは、都内にいくつかのルートがあって、「Aルートのバスなら、○○署→××署→△△署~」ってふうに複数の警察署を回り、それぞれの警察署で「その日に地検に行く容疑者」を拾ってく。

バスに乗り込むと、両手錠に長いロープを通されて、全員の両手錠に通したロープを監視係のお巡りさんが持ってるから、まるで「鵜飼い」の鵜匠と鵜のようになる。そして、楽しいバス旅行は目的地の地検へと到着するワケだけど、硬いイスに身動きとれない状態で乗せられてる上に、とにかく、よく揺れるから、一番最初に乗せられた人なんかは、必ずお尻が痛くなる。そして、ようやく地検に到着したと思ったのもトコノマ、長いロープに曳かれてカルガモの親子のように地下の通路を歩いて行くと、今度は牢屋が並んでる広い「待合室」に入れられて、まだ容疑者だってのに、まるで犯罪者のように床のラインに合わせて整列をさせられ、番号で各牢屋に振り分けられてく。1つの牢屋は、両サイドに木の硬いベンチがあり、10人から12人くらいが詰め込まれ、一番奥に洋式の便器がある。そして、両手錠のまま、その硬くて冷たいベンチに、ずーーーーーーーーっと座らされてるのだ。

お昼ご飯の時間になると、パサパサした食パンが2枚と、パンに塗るマーガリン、イチゴジャム、チョコレートクリーム、ピーナツバターの中から、2種類が配られる。あと、10センチくらいの細いチーズが付くんだけど、こうした魚肉ソーセージタイプのものって、両側に金属が付いてる場合がある。でも、勾留してる容疑者に金属類は渡せないから、両サイドが金属じゃないタイプのチーズが配られる。飲み物は、大きなヤカンで沸かした水道水を冷ました「さゆ」で、小学校の給食の時に使ってたクリーム色のお椀に入れてくれる。できるだけ美味しく食べるには、1枚目のパンに、マーガリンを半分だけ塗って、そこにチーズを置いて、半分に折って食べ、2枚目のパンに、マーガリンの残りとイチゴジャムを塗り、デザート感覚でいただくことだ。ただし、食事の時も両手錠を外してくれないから、なかなかの器用さが要求される。両手錠を外して片手錠にしてくれるのは、おトイレを使う時だけなのだ。ちなみに、「さゆ」だけはお替りできる(笑)

で、お尻が痛くてガマンできなくなったころ、ようやくお呼びが掛かり、おんなじ地下にある検事の取調べ室へと連れてかれる。これも、広い部屋にいくつかの机があり、複数の検事が複数の容疑者を次から次へと淡々と取り調べしてて、いかにもお役所仕事って感じだ。どっちにしても、最初から「検事勾留ありき」の形だけの取り調べだから、通りいっぺんのことを聞かれて、またすぐに退屈な牢屋に戻される。そして、また、ずーーーーーーーーっと座らされて、夕方になり、全員の取り調べが終わると、今度は、来た時とは反対のルートでバスが送ってくれる。だから、おんなじAルートのバスでも、一番最初に乗った容疑者は、降りるのも一番最後ってことで、ホトホトくたびれちゃう。

道路が混んでた日なんかは、やっと自分の留置所に戻ると、もう他の人たちの晩ご飯は終わってて、自分のぶんだけがトレイに乗せられて取ってあったりする。だから、同室のみんなは食後の読書を楽しんでるのに、自分だけはボソボソとまずいご飯を食べなきゃなんない。それでも、毎日毎日つまらない留置所の中にいて、刑事からお呼びが掛かる取り調べの時間だけが唯一の楽しみな容疑者としては、多少でも外に出られる地検へのバス旅行は、ある意味、気分転換になる‥‥って、ずいぶんダッフンしちゃったけど、地検に行き、検事から形だけの取り調べを受けたら、その検事が裁判官に「勾留請求」をする。そうすると、100%の確率で10日間の勾留が決定するんだけど、これが「検事勾留」だ。

こうなると、その容疑者を担当してる刑事は、あと10日間は取り調べができるワケで、10日間で終わらなかった場合には、期限が切れる前に、もう一度、楽しいバス旅行をして、あと10日間の延長ができる。つまり、逮捕された容疑者は、最初の2日間の「刑事勾留」と、10日間×2回の「検事勾留」とで、最大22日間、身柄を拘束されちゃうってワケだ。これは、その警察署の中にある留置所にいるワケだから、「運動の時間」っていう名前のタバコを吸う時間もあって、1回2本までタバコが吸える。そして、この先も勾留されることになると、身柄は拘置所に送られる。東京だと、数々の有名人がお世話になってたことでもオナジミの小菅の拘置所で、ここに行くとタバコが吸えなくなる。でも、拘置所が満員だと、22日を過ぎても、所轄の留置所とか、別の空いてる警察署の留置所に回される場合もあって、そんな時は「スーパーラッキー」ってことになる。

ま、女性の場合は、逮捕された場所の所轄に女性用の留置所がない場合も多いから、最初からヨソの警察署に回されることも多いけど、それでも、酒井法子みたいに、すべての所轄の留置所に入れられてる容疑者たちの憧れのマトの湾岸署に、最初から入れてもらえるなんて、裏でどんなヤリトリがあったのか知らないけど、あまりにもスペシャルな特別扱いだ。ハッキリ言って、湾岸署の留置所なら、冷暖房は完備だし、食事は豪華だし、自弁(自分のお金で別に購入できる食事)はレストラン並みだし、マンガや雑誌や本は新しいものがドッサリと並んでるし、お風呂も広くてピカピカだし、そこらのアパートなんかよりも遥かに快適だ。

‥‥そんなワケで、話をクルリンパと戻すけど、10日間の「検事勾留」が終わり、あと10日間の延長をした場合には、警察はこの10日間が終わるまでに、容疑者の犯罪の事実を立件しなきゃなんない。本人の供述調書や証拠などを揃えて、犯罪が行なわれた事実を証明するってことで、これができなければ、警察は容疑者を釈放しなきゃなんない。そして、逮捕した容疑で立件しても、それ以外の別件がなければ、警察は、もう取り調べをすることができなくなる。だけど、立件した容疑とは別件の容疑が浮上した場合には、完全に別件として新たに捜査を開始することができる。

で、通常の薬物事件の場合、高相祐一のような「使用者」を現行犯逮捕した時には、警察が何よりも考えることは、「いかに1人でも多く『上の人間』を逮捕するか」ってことだ。逮捕した容疑者のシャブ仲間なんかをヤミクモに逮捕してっても、留置所がいっぱいになっちゃうし、自分たちの仕事が増えて大変なだけだから、そうしたシタッパじゃなくて、「売人」か「元締め」なんかの「上の人間」こそを捕まえなきゃなんない。実際、こうした薬物事件で、逮捕した容疑者から「一緒にやったことがある」って名前を出された仲間でも、その多くは捜査せずにホッタラカシにしてる。これは、ザコなんか捕まえても仕方ないからだ。

分かりやすく説明すると、Aっていう男を覚醒剤所持の現行犯で逮捕した場合、そいつが、Bっていう売人から覚醒剤を買ってたってことと、C、D、Eっていう3人の仲間と一緒に覚醒剤をやったことがあるって供述したとする。そしたら、警察が捜査するのは、何よりもBの売人てことだ。そして、Bを逮捕できれば、C、D、Eの3人のザコは見逃してやり、今度は、Bに覚醒剤を売らせてた元締めをターゲットにして捜査してくってことだ。ヘタに「イモヅル式」をやっちゃうと、刑事は自分で自分の首を絞めることになっちゃうから、ザコには手を出さない。これが、通常の捜査のパターンだ。

でも、C、D、Eみたいなシタッパのザコを捕まえることもある。それは、逮捕した容疑者Aが、誰から買ったのかを吐かなかった場合だ。「渋谷でイラン人から買った」だの「レイブ会場で拾った」だのなんてバレバレの大ウソをついてると、刑事は、C、D、Eを逮捕して来て、1人ずつ別々に取り調べをする。そして、コイツラが誰から買ってたのかを特定するってワケだ。これが、薬物のメッカの渋谷署や赤坂署に限らず、目黒の碑文谷署であろうと、世田谷の成城署であろうと、どこの所轄でも当たり前にやってる薬物事件の捜査の基本中の基本だ。

だから、あたしは、高相祐一が「渋谷でイラン人から買った」だの「レイブ会場で拾った」だのって大ウソをついてる上に、シャブ仲間の酒井法子も、自分のケータイを壊して密売ルートの証拠隠滅をしてたって状況から、絶対に保釈はないって思ってた。高相祐一が、誰から買ってたのかを吐かない以上、高相祐一のシャブ仲間を逮捕して、その仲間から聞き出すしかないからだ。そして、仲間を逮捕した場合には、双方の供述の相違点を突いてくことで、ウソを見破ったり情報を精査してくから、最初に逮捕した高相祐一は、絶対に保釈されない。

つまり、「検事勾留」の間に高相祐一を立件して、検察が起訴しても、保釈なんかしないで、売人を逮捕するために別件で取り調べを続けるのが普通なのだ。だけど、高相祐一も酒井法子も保釈されたっていう異常な結果から推測すれば、捜査当局は、どこからか大きな圧力が掛かったために、この2人が覚醒剤を入手してた経路の捜査を打ち切ることにした‥‥ってことになる。マスコミが報じてる真偽が定かじゃない情報によれば、2人が覚醒剤に手を染め始めたのは「4~5年前から」ってことになってるけど、あたしのとこに入ってる情報では、高相祐一は酒井法子と知り合う前から、覚醒剤を始めとしたいろんな薬物を常用してたって言われてるし、酒井法子も、高相祐一と知り合った当初から、つまり、結婚する前から覚醒剤や他の薬物を一緒にやってたって言われてる。

高相祐一と酒井法子が知り合った10年ちょっと前、高相祐一が中心になって毎日のように遊んでた当時のグループには、総理大臣も経験した自民党の大物議員(故人)の孫で、現在40代の女性の名前もあがってるし、酒井法子のサーフィン仲間の芸能人の名前も複数あがってる。そして、この遊び仲間のグループは、他の健全なサーファーたちから、「あいつのグループだけはヤバイから近づかないほうがいい」って言われてたのだ。それは、もちろん、薬物のウワサが絶えなかったからだ。そして、今回の事件を担当した捜査当局は、当然、こうした情報も得てるワケだし、大物議員の孫や芸能人の名前も確認してる。だって、あたしは、この情報を渋谷署の関係者から聞いたんだから、担当の刑事が知らないワケがない。

だから、通常の捜査をするんなら、こうした高相祐一の周りのシャブ仲間を任意で取り調べるなり、泳がせといて売人と接触したとこを現行犯逮捕するなり、方法はいくらでもあったハズだ。それに、他にも、高相祐一や酒井法子が出入りしてた、渋谷、新宿、六本木の複数のクラブでの証言もたくさんあるし、そうしたクラブで薬物を売買してる複数のプッシャー(売人)のうち、数人は特定してるとも聞いてる。それなら、何で逮捕しないのか? 売人を逮捕したなら、今度は、その売人と高相祐一との供述を摺り合わせなきゃなんないから、高相祐一は保釈されないし、外に捜査状況の情報を流されたら困るから、酒井法子だって保釈請求は棄却される。

でも、現実には、2人とも保釈された。それも、「2人は会わないように」なんていうアホみたいな口約束をして保釈したんだから、完全にこの事件はここで終わりにするっていう暗黙の了解の上での保釈だ。2人を保釈すれば、いくら「2人は会わないように」なんて言ったって、電話でいくらでも話しはできるワケだし、第三者を通じて手紙をやりとりすることもできる。シャブ仲間たちに連絡して捜査当局の情報を垂れ流すことも可能だし、裁判までに2人でいくらでも供述を合わせることも可能だ。たとえば、酒井法子だけは保釈したけど、高相祐一は保釈しなかった‥‥ってのなら、まだ分かるけど、今回のパターンは、あまりにも通常とは違う特殊なケースなのだ。

‥‥そんなワケで、高相祐一が「渋谷でイラン人から買った」だの「レイブ会場で拾った」だのって大ウソをついてるのは、自分がふだん覚醒剤を買ってる相手が自分の仲のいい知り合いで、その相手のことを守ってるからだ。ホントにそこらの外国人から買ったのなら、その電話番号を教えて、その売人の逮捕に協力したほうが自分のためにもなる。でも、今回の保釈を見れば、そうした売人の逮捕がなかったことは明白で、つまりは、高相祐一はウソをついてるってことになる。もちろん、警察だって、そんなことはジュージュー承知してるだろうし、これほど世間の注目を浴びてる事件なんだから、やる気マンマンだったハズだ。だけど、どこからかの大きな圧力によって、今回の事件はムリヤリに終息させられちゃったワケで、世の中の人たちが学んだことは、「5年以上も覚醒剤を常習してても、あちこちで言われてるように中毒になったり禁断症状が出たりしないんだ」ってことや、「覚醒剤で逮捕されそうになったら、6日間逃げ回ってから自首すれば尿検査をゴマカスことができるんだ」ってことや、「髪の毛を短く切って自分のケータイを壊してから自首すればいいんだ」ってことや、「覚醒剤に手を出しても1回目なら実刑にならずに執行猶予で済むんだ」ってことだけだった。ようするに、このバカップルのセイで、ますますニポン中に覚醒剤が蔓延することになったと思う今日この頃なのだ。


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2009.09.23

八ッ場ダムに関するデマ報道が相次ぐ

「八ッ場ダムに関するデマ報道が相次ぐ」(世田谷通信)

民主党は公約の1つに「八ッ場ダムの建設中止」を掲げて選挙で大勝したのだから、この公約を実行することは国民との約束を守る当然の義務である。しかしマスコミが先導して悪質なデマ報道を繰り返し、公約の実行を妨害している。マスコミが報道し続けているデマの筆頭は「すでに7割も進んでいる工事を今さらやめるのか?」というもので、石原慎太郎東京都知事も「事業がすでに70%終っているのに今さらやめられない」と、このデマ報道を後押しする発言している。しかし真実は「すでに総予算の7割を使ってしまった」というだけで、工事はまったく進んでいない。実際の工事の進行状況は、ダム建設のための付け替え国道が6%、付け替え県道が2%、付け替え鉄道だけは75%まで完成しているが一番重要な部分が残っている。そしてダム本体は全くの未着工なのだ。このような状況で、総予算4600億円の7割にあたる3200億円を使ってしまったというのが事実である。鉄道以外はほとんとが未着工の状態で、すでに予算の7割も使ってしまったのだから、残りの予算ですべての工事が完成するはずがないことは誰の目にも明らかであり、このまま工事を進めるのであれば、2004年の計画偏向で総予算が2100億円から4600億円へと2倍以上に引き上げられた時のように、また大幅な引き上げが行なわれることは明白である。またマスコミは「ダム建設を進めたほうが中止するよりもお金が掛からない」という賛成派の主張だけを一方的に報道し続けているが、これもまったくのデマであり、実際には中止したほうが建設を続けるより最低でも2000億円は節約になると試算されている。こうした状況でありながら、あたかも工事自体が7割も進んでいるかのようなデマ報道を繰り返し、ごく一部の「工事賛成派」の住民の声だけを取り上げ、大多数の「工事反対派」の人々の声を封殺し、真実を伝えようとしないマスコミは、とても正常なジャーナリズムとは思えない。もともと八ッ場ダムの計画は、1952年に「首都東京の水がめの確保、及び、首都東京と利根川流域を水害から守るため」という目的で計画されたものだが、計画から半世紀以上も経過した今、東京の水がめも十分であり、水害も起こっていない。つまり、計画当初の目的はすでに解決されており、まったく必要のない大型公共事業の代名詞のような計画なのである。(2009年9月23日)


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メールをくださる皆さんへ

今まで何度も書いて来てるんだけど、最近ヤタラと「○月○日の日記を転載させて欲しい」っていうメールが多いので、また説明する。あたしが「無断転載、転用は禁止」って書いてるのは、あたしの日記のエントリーを盗んで、自分が書いたものとして自分のブログに丸ごと掲載するようなドロボー野郎がいるからだ。文章の一部を「引用」する場合には、あたしの許可を取らなくても、「きっこの日記」から引用したってことを明記して、該当する日記のURLをリンクしといてくれれば、それで何も問題はない。また、1つのエントリーの全文を「転載」したり「転用」したりする場合は、あくまでも「無断」なものを禁止してるだけなので、事前でも事後でも「どこそこに転載させていただきました」っていうお知らせのメールをくれればOKだ。

意見や感想のメールを送って来る場合は、これも何度も書いて来たけど、こちらから返信できないデタラメのメールアドレスが記入してあるものは、受信箱がイタズラメールだと判断してゴミ箱行きになる。そして、ちゃんと届いたメールでも、人として最低限のマナーが守られてないメール、たとえば、アイサツや自己紹介もなく、最初から用件だけが書かれてるようなメールとかは、あたしは読まない。チョクチョクと「きっこの日記」を読みに来てくれてて、あたしのことを知り合いみたいに錯覚しちゃうのかもしれないけど、こっちにしてみたら、見ず知らずの人から、突然、なれなれしいメールが来るワケで、不愉快この上ないからだ。

それから、ヤタラと長いメールも困る。毎日、たくさんのメールが届くため、目を通すだけでも大変なので、できれば500文字以内に簡潔にマトメて欲しいし、最大でも1000文字くらいまでにして欲しい。これは、あたしが読むのが大変てだけじゃなくて、1000文字を超えるとアチコチが文字化けしちゃって読めなくなるからだ。あと、文中に複数のURLを入れると、受信箱がDMだと判断してゴミ箱へ行っちゃうから、URLを書く場合には1つだけにして欲しい。そして、あたしの場合、確認を取らずに日記でメールを紹介をしちゃうことがあるから、日記に紹介されたら困るって人は、メールの最後に、そのムネを書いておいて欲しい。以上、偉そうで申し訳ないけど、あたしは決して無理難題を言ってるワケじゃなくて、「はじめまして」も「こんにちは」も書かずに、いきなり用件だけを書いて来るような、人として最低限のマナーも守れない人はメールしないでくれ‥‥ってことを言いたいだけの今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、悪いメールの例をお見せすることはできないけど、良いメールの例はお見せできるので、13日の日記、「パンダの心意気」の感想を送ってくださった人のメールをご紹介させていただく。


お名前:TAT
コメント:はじめまして、きっこの日記ファンのおじさんです。いつも、楽しく読ませていただいています。私は現在48歳ですが、25年ほど前、チューニングショップで、メカニックとして働いておりました。当時は、メカからターボ、キャブからFIへとシフトしていた時期でした。そんな中、私は、サニーやスターレットと、決して速そうで無い車を速くするのが好きで、サニーの1400GLと言うオジサン車に、ブルーバードの1800ccのエンジンを積み、ヘッドチューン&SOLEXとNOSのみと言う車を作って乗っていました。当時も、NOSのキット価格は20万くらいだったと思います。確かに、NOSの爆発的なパワーは物凄く、初めて使った瞬間は、何が起こったかのか?って、気が動転してしまったほどです。確かに、20万円に対する費用対効果は、すごいと感じました。しかし、NOSのガスは、ゼロヨン2~3本でカラッポ。ガス充填は、当時1回1万円。20代前半で、貧乏走り屋だった私にとっては、とても維持できるものではありませんでした。結局、3~4回ガスを充填した後は、単なる飾りとして、お客さんに「こんなチューニングもありますよ」的なデモカーとして、空のタンク積んで走ってました(苦笑)なぜか、空のタンクで、CARBOY主催のゼロヨン大会に出場し、クラス2位になったりしてましたが(爆)色々と書かせて頂きましたが、いつも細かな計算をされているきっこさんなのに、維持費の計算が抜けている気がしたので、気になってメールさせていただきました。これからも、日記楽しみにしています。頑張ってください。


TATさん、どうもありがとうございました♪‥‥ってワケで、TATさんはとっても礼儀正しいし、伝えたいことの要点もキチンとマトメてあるし、それが実体験からの意見なので、すごく説得力もある。文字数も650文字ほどで、とっても読みやすかった。まるで、お手本のようなメールだ。せっかくなので、ここでレスさせてもらうけど、「ブルーバードの1800ccのエンジン」ていうと、L型の4発だ。日産のL型は、6発のL20とかのほうが遥かに有名だし、TATさんの時代だと、L28を3リッターとか3.1リッターにアップさせてのソレックス3連とかウエーバー3連のメカチューンが主流で、それからターボチューンへと移行してった時代だと思う。

ちなみに、国内だと、ブルーバードの1.8リッターがL型4発の最大だったけど、国外だと「L20B」っていうL型4発があって、輸出用のダットラとかが積んでたのだ。お金のある人‥‥っていうか、ほとんどの人が必死に働いて車をいじってたんだと思うけど、L28ベースの3リッターはお金が掛かり過ぎるから、TATさんのように、L型4発をチューニングして軽い車に乗せたり、日産ならもっと小さいA12とか、トヨタなら4Kとかをベースにしていじってた人も多かったと思う。

あたしのパンダは、排気量の大きいプントのエンジンに積み換えてあるんだけど、ヘッドを面研して圧縮比を高くしてあって、燃費のいいインジェクションをわざわざウエーバーのツインキャブに交換してあって、吸気に合わせて排気もタコ足とストレート管になってたんだけど、あまりにも環境に悪いのと車検のたびにメンドクサイので、今はこのままで車検に通るように、触媒を取りつけてもらって、お巡りさんに怒られない車検対応のスポーツマフラーに交換した。あとは、アルミのラジエターと、乾式バッテリーと、追加の電磁ポンプと、永井電子の同時点火システムと、その他モロモロだ。

足まわりは、こないだモンローの車検対応のショックをもらったので、ヘタってたショックと交換してもらった。そしたら、コーナーでもロールしなくなったので、乗り心地が悪くなり過ぎるから外してたストラットタワーバーをまたつけた。だけど、こんなに軽い車でガチガチにしちゃうと走りにくいから、また外してもらうつもりだ。いつかNOSを積んだアカツキには、ストラットタワーバーだけじゃなくて、リアシートを外してロールバーを入れて、これ見よがしに消化器も積もうと思う(笑)‥‥って、あたしのパンダはこんな感じなので、時代に逆行した化石のようなチューニングで、まさに、25年前のTATさんの時代のノリだと思う。やっぱり、あたしは、キャブレターの「コー!ココー!」っていう吸気音が好きだから、昔のメカチューンが一番好きなのだ。

それにしても、当時は、NOSのガスの充填が1回1万円だったのか‥‥。TATさんは、「こんなに高いんです」ってことでお知らせしてくれたんだけど、この「1回1万円」は、今の人たちにはウラヤマシー話なのだ。だって、今は「1回2万円」だからだ。もちろん、これは、ナンでもカンでも値段が高いニポンだからの話で、アメリカなら1回25~30ドル程度、2~3000円で充填できる。ま、あたしの場合は、知り合いの歯医者さんに行って充填してもらう作戦だから、原価で1回1000円程度だと思う。何を隠そう、歯医者さんが麻酔に使ってる「笑気ガス」ってのは、NOSのガスとおんなじ「亜酸化窒素」なのだ。ただ、この「亜酸化窒素」は、オゾン層を破壊する最悪のガスって言われてるから、NOSを使った場合に環境に悪影響があるかどうかを調べてからじゃないと使えないけど。


※プントのエンジンを積んだパンダにNOSを積むとこうなります♪


‥‥そんなワケで、続いては、20の日記、「敬老ロックンロール」の感想を送ってくださった人のメールをご紹介させていただく。


お名前:tleinus
コメント:きっこさんはじめまして。いつも日記を楽しく拝見させていただいています。40代育児中男の tleinus と申します。今回の「フレッシュプリキュア」の紹介、私も娘たち(2歳と4歳)と一緒に視聴したばかりだったので、余計に興味深く読ませていただきました。今回のような単純でない友情の育成といった微妙なテーマ、幼稚園児には難しいかなあと思いながら上の娘の横顔を眺めていたら、いつもよりずっと真剣に食い入るように見ていて、最後のミキのイメチェンを喜ぶ場面では、登場人物と一緒に褒めていました。どこまで理解できたのか分かりませんが、せつなとミキが仲良くなれたのが彼女なりに嬉しかったようです。さて、そのプリキュアですが、私は四人になってからの変身時の決め台詞が気になって仕方ありません。ラブがピーチになるときは「もぎたてフレッシュ、キュアピーチ!」、ミキがベリーになるときは「摘みたてフレッシュ、キュアベリー!」、ブッキーがパインになるときは「採れたてフレッシュ、キュアパイン!」とそれぞれ叫ぶのが様になるのに、新しく仲間に加わったせつなは「熟れたてフレッシュ、キュアパッション!」ですよ。熟れたてって…熟女が仲間入りしたかのような印象を抱いてしまうのは私だけでしょうか?そこで他にもっとふさわしい台詞がないか考えてみたのですが、みずみずしい果物のフレッシュさを強調する決め台詞がなかなか浮かびません。おもちなら「搗きたてフレッシュ」、お芋なら「掘りたてフレッシュ」、おそばなら「打ちたて」、まんじゅうなら「蒸かしたて」、パイなら「焼きたて」、魚なら「釣りたて」、鶏なら「絞めたて」?…最後のは冗談ですが、四人目のプリキュア戦士にふさわしい決め台詞、語彙の貧困な私にはこれ以上思いつきそうにありません。そこで、日本語スペシャリストのきっこさんなら、キュアパッションにふさわしい決め台詞を思いついてくださるのではないかと、ご相談した次第です。いや、本当に考えてくださらなくて結構です。くだらないメールだとご笑納くだされば何よりです。低次元の内容でごめんなさい。今後のご活躍に期待しております。


tleinusさん、どうもありがとうございました♪‥‥ってワケで、tleinusさんも、とっても礼儀正しいし、要点も分かりやすいし、TATさんよりも少し長いけど、ぜんぶで900文字以下にマトメてあるから、このくらいの長さまでなら、たくさんのメールが届いてても、負担にならずに楽しく読める。ちなみに、「ブッキー」ってのは、20日の日記では説明しなかったけど、伊吹祈里ちゃんの「伊吹」からのニックネームだ。

で、あたし的には、せつなちゃんのセリフよりも、みんなが変身する時に、1回「パン!」て手を叩くのが気になってる。そうしなきゃ変身できない規則でもあるのか知らないけど、あの「パン!」はカッコ悪すぎる。あれがあるから、あたしは、今のプリキュアの変身のマネをやらないのだ。それから、これは、すべてのプリキュアに共通して言えることだけど、何で変身する過程で、「左手首」→「右手首」→「左足首」→「右足首」って変身してくんだろう? 目の前に敵がいるんだから、こんなにモタモタしてないで、右手も左手も右足も左足も同時にか、それがムリでも、せめて両手は同時、両足は同時ってして欲しい。あたしは、歴代のプリキュアの変身シーンを観るたびに、イライラしちゃう。昔の「キューティーハニー」なんか、一瞬で変身してたのに‥‥。

ま、それはそれとして、せつなの「熟れたてフレッシュ、キュアパッション!」は、言われてみればおかしいと思う。「熟れる」ってことは「熟する」ってことで、「フレッシュ」とは対極にあるような状況だからだ。それも、他の3人は、「もぎたて」「摘みたて」「採れたて」って、「○○たて」って言葉にしてもおかしくないけど、「熟れたて」ってのは変だと思う。「熟れる」ってことは、時間を掛けて熟成してく過程のことで、「ここ」っていう到達点は明確じゃない。それなのに、「熟れたて」なんて言うと、「今、まさに、熟れたばっかり」ってニュアンスになっちゃって、どうもシックリ来ない。

果物に関する言葉で、「フレッシュ」に該当するような動詞で、「○○たて」って使ってもおかしくない言葉って言うと、すでに3人が使ってる「もぐ」「摘む」「採る」の他に、「搾る」なんてのもある。でも、これは、「搾りたて」ってしちゃうと、音数が1音多くて、語呂が悪い。4人の決めゼリフなんだから、音数も揃ってなくちゃカッコ悪い。だからって、「もぐ」「摘む」「採る」みたいに、たった2音の言葉なんて、そうそう見つからない。だから、ここはひとつ、「ピュアパッション」のほうを変更してもらうことにして、こんなのはどうだろう?


「揚げたてフレッシュ、ピュアコロッケ!」


でも、そうすると、カンジンの「フルーツつながり」が消滅しちゃうから、ラブちゃんは「炊きたてフレッシュ、ピュアご飯!」、美希ちゃんは「できたてフレッシュ、ピュア味噌汁!」、祈里ちゃんは「和えたてフレッシュ、ピュア春菊!」ってことにしてもらって、4人そろって「コロッケ定食」になるってのはどうだろう?‥‥って、あまりにもダッフンしちゃったので、話をクルリンパと戻すけど、果物に関する2音の動詞って言うと、「みかん狩り」とか「ぶどう狩り」とかの「狩り」がある。せつなのパッションフルーツも、ナニゲに枝から成ってるっぽいから、「もぐ」の他に「狩る」でもいいように感じる。

あとは、果物だから、皮を「剥く」ってのもあるけど、パッションフルーツは皮を剥かずに2つに切ってスプーンで食べるから、「剥きたてフレッシュ」は「キュアバナナ」にしか使えそうもない。だからって、「キュアパッション」を「キュアバナナ」なんかに変更しちゃったら、あまりにもエロくて、日曜日の朝からロリコンのお兄さんたちがハァハァしちゃいそうだ(笑)

‥‥そんなワケで、メールを送ってくださる皆さんにお願いしたいのは、今回ご紹介したTATさんやtleinusさんのように、キチンとマナーを守ったメールを送って欲しいってことだ。見ず知らずの相手にメールを送る場合の最低限のマナーさえ守られてれば、反論や批判でもちゃんと最後まで読ませていただくし、場合によっては「こんな意見もある」ってことで、日記で紹介させてもらうこともある。逆に、応援や賛同のメールでも、アイサツも自己紹介もなく、こちらからは性別も年齢も何も分からない人からの一方的なメールや、度を越して長すぎるメールは、やっぱり読む気が起こらない。あまりにも忙しくて、とても1人1人には返信できないけど、届いたすべてのメールに目を通すことにしてるので、それだけは守って欲しいと思う今日この頃なのだ。


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新たな日米関係の第一歩

「新たな日米関係の第一歩」(世田谷通信)

岡田克也外相は、21日(日本時間22日)、ニューヨークでヒラリー・クリントン米国務長官と日米同盟について会談した。クリントン長官は「新政権の新しい外相とさっそくお会いすることができて光栄です」と述べ、日本側がインド洋での給油活動を来年1月以降は延長しないとしている問題についても「日米関係は非常に幅広く深いもので、ひとつの問題(給油活動)だけで定義づけられるものではない」と、事実上、給油の延長中止を受け入れる姿勢を見せた。また沖縄の基地の問題に関しても、岡田外相が「今までの政権が容認していても、われわれ民主党は賛成してこなかった問題もある。そうした問題については日米両国で緊密に取り組みたい」と再協議の意向を示したところ、クリントン長官は「(米国としては)現行の計画を実現することが基本方針だが、(日本の新政権がそのような意見であるのなら)これからよく議論して行きたい」と柔軟な態度を見せた。鳩山内閣の誕生に合わせて、日本のマスコミは一貫して新政権批判を繰り返し、日米関係に対しても「米国を怒らせる民主党のやり方ではうまく行かない」という内容の偏向報道を繰り返して来たが、現実は日本国内の報道とは大きく違い、鳩山内閣の主張はほぼ受け入れられたようだ。米国の言いなりだったこれまでの主従関係から、新政権が目指している対等な日米関係へと、新たな一歩を踏み出したと言えるだろう。(2009年9月23日)


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2009.09.22

がんばれ!みずほ大臣

あたしの大好きなオムライス党のみずほたんに、「みずほ大臣、入閣おめでとうございます! バラのジャケットと黒のスカート、とっても上品でステキでした♪ でも、消費者対策・食品安全・男女共同参画・少子化対策担当大臣だなんて、4つも大変ですね! がんばってくださいね!」 的な入閣のお祝いのメールを送った。そしたら、こんなお返事が来た。


いつもありがとう。
4つ以外にも、自殺や外国人、障害者など10の共生政策も担当します。
今日は、久しぶりに少しゆっくりできる日。
シャネルの映画を見に行ってきます。


‥‥ってことは、みずほたんのホントの役職名は、「消費者対策・食品安全・男女共同参画・少子化対策・自殺問題・在日外国人問題・障害者支援・医療大麻解禁・車検制度廃止・テレビ地デジ化阻止・東京オリンピック反対・パチンコ等価交換推進・原チャリ2ケツOK・ドラクエレベルアップ補助担当大臣」とかなのかも?‥‥って、もちろんこれは、あたしの個人的な希望で、現実とは違うに決まってるけど、現実的な「消費者対策」「食品安全」「男女共同参画」「少子化対策」の4つの中で、イマイチ分かりにくいのが、「男女共同参画」っていう役職だ。フロッピー麻生に至っては、これを「だんじょきょうどうさんが」って読んでたほどで、総理大臣が漢字を読めない役職名って、いったい‥‥って思ってた。

「参画」は、もちろん「さんかく」って読むワケで、みずほたんが「さんかく」を担当するなら、国民新党の亀井静香は、「四角」を担当して、「男女共同四角大臣」も兼任すべきだと思う。ペヤングの桂文楽師匠とか、片桐はいりとか、F1のクルサードとか、「ゲゲゲの鬼太郎」のぬりかべとか、顔が四角い人たちを世界各国から集めて、四国に住んでもらう。そして、身の周りのものをすべて四角いものだけにして生活してもらう。こうすれば、四角いものが好きな人たちは、みんな四国へ観光に行くようになるし、「世界の四角の故郷」ってことで、海外からの観光客も増えると思う今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、ここ数日、民主党の公約の「こども手当」に関して、連立してるオムライス党と国民新党が「所得制限を設けるべきでは?」って言ってることについて、いろんな意見のメールが届いてるので、まずは、その代表的なものを紹介しようと思う。


お名前:ぱくぱく
コメント:はじめまして。ぱくぱくです。うちには3人のこどもがいます。子供手当は本当に助かるので喜んでいましたが、所得制限があるかもときいてがっかり・・・うちは育児手当も所得制限ぎりぎりでもらったことがありませんでした。社宅住まいの方たちから「高所得なのね」といわれるとむかつきます。社宅の方たちは安いお金ですめるし、その家賃分が所得扱いにもならないから手当はばっちり受け取っています。そういう方たちほど裕福な親をもち遺産ももらえるようです。かたやわたしは3800万で買ったマンションがいまや1700万に値下がりし、うちのローン残高は2700万です。社宅の方々からは「もうローンの返済終わったんでしょ」なんていわれ、もうはらがたつやら・・・。3人のこどもをかかえて本当にたいへんです。所得制限なんてやめてほしいです。応援していた社民党にいじめられるなんてショックです。きっとまわりからは3人分子供手当もらってる!と思われてじつはもらえてないなんて悲しすぎます。全然贅沢なんてしていません。服も化粧品も買えないのに・・・


ぱくぱくさんは、とっても正直な人で、お金が欲しいから社民党を応援してたのに、今になって何で社民党はジャマをするのか?‥‥って怒ってる。自分がもらえると思ってたお金が、もらえなくなるかもしれない。お金が欲しくて応援していたのなら、これは腹が立つことだろう。あたしは、結婚もしてないし、子供もいないし、母さんの病院代を工面しながら必死に賃貸マンションの家賃を払ってるような人間だから、ぱくぱくさんとはまったく違う生活形態だ。「こども手当」なんて、最初からあたしには無関係だし、こんなバラマキをするくらいなら、低所得者や母子家庭の医療費の補助を充実させて欲しいと思ってる。そのほうが、あたしの生活はラクになるからだ。

ま、あたしのことは置いといて、ぱくぱくさんは大きなカン違いをしてるので、その点だけはハッキリと言っておこうと思う。結論から言えば、たとえ所得制限が設けられたとしても、ぱくぱくさんは「こども手当」をもらえる。育児手当の所得制限は約800万円だから、それがギリギリでもらえなかったってことは、ぱくぱくさんの家庭の年収は約800万円てことになる。オムライス党も、国民新党も、主張している所得制限は「上限1000万円程度」なので、もしも所得制限が設けられたとしても、「こども手当」がもらえなくなるのは、年収1000万円以上を稼いでるお金持ちだけだ。現在の全国の平均年収は約450万円で、平均の2倍の年収900万円の人でも、こども手当はもらえる。もらえなくなるのは、あくまでも、全国のわずか数%の「もらえなくても何も困らない人たち」だけなのだ。

‥‥そんなワケで、ぱくぱくさんのようにカン違いしてる人が多いので、まずは、オムライス党の主張をキチンと説明しようと思う。民主党の「こども手当」は、「中学生までのすべての子供1人につき月額2万6000円を支給する」ってものだ。つまり、中学生までの子供が3人いれば、どんな大金持ちでも、毎月7万8000円、年間に93万6000円もらえるってものだ。一方、オムライス党がマニフェストに掲げてたのは、「18才までの子供に月額1万円、第3子からは2万円」てものだった。つまり、民主党も、オムライス党も、マニフェストに「所得制限」は掲げてない。

だから、オムライス党としては、民主党の「こども手当」に関しては、「月額2万6000円」て部分にこそ不満がある。こんなバラマキをしたら、子供のいない家庭の負担が増大するのは目に見えてるからだ。だけど、民主党とオムライス党や国民新党の議席数を比較するまでもなく、有権者が選択したのは民主党の「こども手当」であり、子供を持つ多くの有権者が「政権交代が実現すれば、うちは2万6000円もらえるんだ」って思ってるワケだ。だから、この点に関しては、オムライス党も国民新党も、民主党の「月額2万6000円」ていう金額に合意してる。みずほたんも、ちゃんと「国民の皆さんは民主党を支持したのですから、こども手当については民主党案で行くということが連立3党で合意しています」って明言してる。

でも、来年の参院選までに新政権を骨抜きにして、どうしても自民党に復活してもらいたいって思ってる新聞やテレビの偏向報道は、せっかく決まりかけてる民主党の「こども手当」に、オムライス党が難癖をつけてるように報道しまくってる。ぱくぱくさんも、きっと、そうした報道を鵜呑みにして怒ってるんだろう。バカ新聞やバカテレビの洗脳報道を鵜呑みにすれば、ようやく政権交代が実現して、いよいよ「こども手当」がもらえると思ったのもトコノマ、またまたオムライス党のみずほたんがシャシャリ出て来て、あーだこーだとゴネ始めた‥‥って思っちゃうだろう。

だけど、あたしが、このセクシーなクチビルを酸っぱくして言い続けて来たように、新聞やテレビの報道なんかを鵜呑みにしてるうちは、真実なんて何ひとつ分からない。「操作された嘘の情報を信じるのはバカの勝手。真実を書くのはあたしの自由。」って看板を掲げてる「きっこの日記」としては、マスコミによるバイアスが掛かってない真実をお伝えするけど、みずほたんは、今さらオムライス党の「18才までの子供に月額1万円、第3子からは2万円」ていう案なんかゴリ押ししてない。財源に不安があっても、「月額2万6000円」ていう民主党案にちゃんと合意してる。ただ、今度の新政権は、自公政権の時とは違って、何よりも「国民のために」ってことを第一としてる。だから、みずほたんは、限られた財源をもっとも良い形で国民へ還元すべきだって考えてる。その1つが、「所得制限の提言」なのだ。低能マスコミはいっさい報道しないから、あたしがキチンと書いておくけど、みずほたんが言ってるのは、こういうことだ。


「民主党のこども手当には3党で合意していますが、果たして年収何千万円なんていう裕福な家庭にまで、限られた財源の中からお金を配ることが最善なのでしょうか? 十分な収入があって子育てに掛かる費用に苦労していない裕福層にまでこども手当を配ったら、そのお金は本来の目的であるこどものためには使われません。裕福層には配らずに、そのぶんを他に回す。たとえば、保育園や学童クラブの充実、高額な不妊治療の補助金に回して誰でもが安心して不妊治療を受けられるようにするなど、こどものため、こどもが欲しくても産むことができない人たちのために、もっと有効に使うべきなのではないでしょうか? 基本的に『中学生まで2万6000円』という民主党案で行くことは決まっていますが、これは単年度のことではなく、これから何年、何十年と続いて行く制度なのですから、必要のないお金持ちにまでこども手当を配り、そのしわ寄せで保育園が増やせない、不妊治療が受けられない、低所得者が増税になった、ということになったら本末転倒です。一度スタートしてしまえば、なかなか修正することはできないのですから、スタートする前にキッチリと議論をすべきだと思います」


念のために言っとくけど、これをこのままみずほたんが言ったワケじゃない。カギカッコで括ってあるけど、これは、みずほたんがアチコチで発言して来たことをあたしが分かりやすくマトメたものだ。でも、何度も繰り返して来たことだから、内容に間違いはない。みずほたんは、「少子化対策大臣」の立場からも、限られた財源をキチンと子供のために、子供を育てやすい社会を作るために、子供を産みやすい社会を作るために、子供が欲しくても産めない人たちのために使うべきだって考えてる。年収が何千万もあって、ベンツを2台も3台も持ってるような人にまで2万6000円を配るのなら、そのぶんを保育園の増設に充てたり、不妊治療の補助金に回すべきなんじゃないかって言ってるのだ。

自公政権が選挙対策として配った「定額給付金」みたいに、何の目的もないバラマキであれば、貧乏人から大金持ちまで、すべての人にカタッパシから配ればいい。これは、選挙で自民党とナンミョ~党に投票してもらうための「買収」なんだから、配ること自体が目的であり、そのお金の使用には目的なんかなかった。それに、自公政権の場合は、何十兆円使おうとも、財源なんて気にもしないで、どんどん借金して未来の子供たちの借金にしちゃえばいいって考えだったから、何でも好き勝手なことができた。だからこそ、コイズミからフロッピー麻生までのわずか10年で、国の借金を2倍の300兆円にまで膨れ上がらせちゃったワケだ。

だけど、自公政権のバラマキとは違って、今回の「こども手当」みたいに、「子供のため」っていう目的がハッキリとしてる政策の場合には、できる限りその目的のために使われるように整備する必要がある。これまでの「国民不在」の自民党政権とは一線を画して誕生した新政権としては、「国民のための政策」ってことが大義名分なんだから、自民党とおんなじことをやってたら意味がない。今回の「こども手当」に関しては、選挙中は民主党の内部からも「所得制限を設けなければ自民党と同じ単なるバラマキで終わってしまう」って批判が多かった。冷静に中立の立場から選挙戦を見てた人たちの多くも、自民党と民主党のマニフェストを見比べて、「バラマキ合戦だ」って呆れてた。これは、あたしもそう思ったし、だからこそ、オムライス党にがんばってもらって、たとえ政権交代が実現しても、民主党の暴走に歯止めを掛けるブレーキ役になってもらわないと、自民党政権の時とおんなじことになっちゃうって思ってた。

もちろん、この「こども手当」は、民主党が目玉にしてた公約の1つだし、これだけ選挙で大勝したんだから、「インド洋の給油の延長中止」や「高速道路の無料化」のように、公約通りに実現させるのがスジだと思う。だけど、「インド洋の給油の延長中止」にしても、基本的には来年1月で終わりにするとしても、アフガニスタンに関する他の面でアメリカに協力するように摺り合わせが行なわれてる。「高速道路の無料化」にしても、「首都高速と阪神高速は無料化しない」っていう制限がついた。東京に住んでるあたしとしては、何よりも利用するのが首都高なワケで、あとになってからこんなことを言われたら、それこそ、ぱくぱくさんのように腹が立つ。最初はすべての高速道路がタダになると思ってたのに、今になって、あたしの一番使う首都高だけは別だなんて、これほどムカつく話はない。だけど、財源に苦労しながら公約を実現してく上では、こうした微調整は絶対に必要だろう。

‥‥そんなワケで、たとえば、オムライス党が、「上限1000万円程度の所得制限を設けて、18才までの子供に月額1万円、第3子からは2万円のこども手当を支払う」っていう公約を掲げてたのなら、今回の「所得制限」の提言は、ある意味、自分の党の公約の一部を押しつけて、ゴネてるように受け取られてもジンジャエールな部分もある。だけど、オムライス党のマニフェストには、民主党のマニフェストと同じく、「所得制限」については何も触れてない。つまり、みずほたんとしては、「中学生まで月額2万6000円」ていう民主党案にしても、「高校生まで月額1万円」ていうオムライス党案にしても、どっちが採用されたとしても、「所得制限」を設けるかどうかって問題に関しては、「こども手当」が実現する段になってから議論する‥‥ってことだったワケだ。

「インド洋の給油の延長中止」って公約を実現するために、アフガニスタンに対する代案を摺り合わせてる。「高速道路の無料化」って公約を実現するために、一部の高速道路の無料化を見直した。「八ッ場ダムの建設中止」って公約を実現するために、これまでに1都5県が負担した1460億円の負担金を返還した上で、ダムで地域活性を目指してた地元の人たちのために、ダムに代わる何らかの代案を考えてくって申し出てる。どんな公約を実現するにしても、こうした微調整ってのは必要なワケで、たとえば、コイズミ改革の負の遺産である「後期高齢者医療制度」の廃止にしたって、生活保護家庭の「母子加算」の復活にしたって、誰もが大賛成してたようなこれらの公約だって、いざ実現しようとしたら、「やっと新しい医療制度に慣れて来たのに、また変わるんですか?」って文句を言ってるお年寄りもいるし、全国のお役所からも批判が相次いでる。だけど、そんなことを気にしてたら、ホントの意味での国民のための改革なんてできやしない。

18日の日記、「公約」と「口約」に書いたけど、自民党との蜜月関係でまたまた甘い汁を吸いたい新聞やテレビの低能マスコミは、新政権が公約を実現してくことに対して、批判的な記事ばかりを連発するっていう幼稚なネガティブキャンペーンに終始してる。公約を破った時にこそ批判すべきマスコミが、公約を守ろうとしてる政権与党を批判してるんだから、バカ丸出しもイイトコた。だけど、ぱくぱくさんのように、こうしたマスコミの垂れ流す偏向報道を鵜呑みにして、せっかく誕生した連立政権を批判し始める人たちもいるワケだ。だからこそ、あたしは、「新聞やテレビの報道を鵜呑みにするな」ってことを繰り返してるワケだけど、欧米のほとんどの先進国の高速道路が無料なのに、こうしたマスコミの偏向報道を鵜呑みにして、新政権の「高速道路の無料化」まで批判してるアホまでいるくらいだから、何をかいわんやだ。

結局、自民党とマスコミが連動して連呼してた「財源はどうする?」「高速をタダにして、そのあとに増税か?」っていうネガティブキャンペーンに洗脳されちゃった人たちなんだろうけど、あまりにも知能が低すぎる。政府による「増税」だの「値上げ」だのを批判するなら分かるけど、トックに採算が取れてて、無料になって当たり前の高速道路を「無料にします」って言ってることに対して批判するなんて、真性のアホだと思う。そんなに料金を払いたいんなら、高速の入口に「きっこ」って書いた空缶を置いとくから、無料になってもそこに料金を入れてくれよ。あたしの酒代にするから(笑)

‥‥そんなワケで、「高速道路の無料化」に関しても、書きたいことはマウンテンだから、これはまた別の機会に書くことにするけど、とりあえず、「こども手当」に関しては、民主党とオムライス党と国民新党の間で、ちゃんと3党合意してるワケだし、みずほたんにしても、橘家円蔵‥‥じゃなくて、亀井静香にしても、別にゴネてるワケじゃないし、せっかく決まり掛けてることに対して水を差してるワケでもない。財源が限られた中で、「こどものため」って目的でこれだけ大きなことをやるんだから、「こども手当」を実現したことによって、全国の保育園の増設や不妊治療の費用の緩和なんかにシワ寄せが来ちゃったら本末転倒だ。だから、今、そうした細かい部分での「詰め」の議論をしてるワケで、決して3党の間に「不協和音」が出てるワケじゃない。みずほたんは、「何が何でも所得制限を儲けろ!」って詰め寄ってるワケじゃなくて、「保育園を増設したり不妊治療の費用を軽減する予算が他で確保できたり、所得制限を設ける場合の事務費が膨大になるのであれば、所得制限は行なう必要はない」って言ってるのだ。そして、たとえ「所得制限」ができたとしても、ホントに金銭的な面で子育てに困ってる人たちのとこには、間違いなく、子供1人あたり「月額2万6000円」が支払われる。もらえなくなるのは、あくまでも「もらわなくても困らない人たち」だけなのだ。だから、皆さん、低能マスコミの偏向報道なんかに踊らされないで、少しはユッタリした気持ちで新政権のやることを眺めてて欲しいと思う今日この頃なのだ。


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2009.09.21

敬老ロックンロール

世の中は「シルバーウィーク」っていう連休らしいんだけど、もともと1週間のうちで土日が一番忙しいあたしとしては、まったく関係ない。そんなことよりも、この「シルバーウィーク」ってのは、5月の「ゴールデンウィーク」に合わせて名づけたんだと思うけど、あたしは、「ゴールデンウィーク」って言葉を聞くたびに、いつも思うことがある。それは、「ゴールド」と「ゴールデン」の違いについてだ。そして、「金」は「ゴールド」と「ゴールデン」の2つの言い方があるのに、どうして「銀」は「シルバー」しかないのかってことだ。

フランク・ザッパに言えば、「ゴールド」は「金」ていう名詞で、「ゴールデン」は「金の」っていう形容詞だ。だけど、「ゴールドマン」て言えば「金の男」って意味になるから、「ゴールド」には形容詞としての使い方もある。そして、「シルバー」も、「銀」ていう名詞の意味と、「銀の」っていう形容詞の意味もある。だから、「ゴールデンウィーク」も「シルバーウィーク」もおかしくはないんだけど、それでも、やっぱり、「シルバー」に対応してるのは「ゴールド」であって、「ゴールデン」ていうと、リトル雰囲気が違って来る。

ポケモンだって、「ハートゴールド」と「ソウルシルバー」だから揃ってるワケで、「ハートゴールデン」じゃおかしくなっちゃう。双子の「きんさん」「ぎんさん」だって、「きん」と「ぎん」だから揃ってるワケで、「金乃さん」と「銀さん」だったら「揃ってる感」がなくなっちゃう。つまり、「金」だけしかない場合は、「ゴールデン」でも「ゴールド」でもどっちでも構わないけど、「金」と「銀」がセットになってる場合は、「ゴールド」と「シルバー」にしてもらわないと困るってことだ。

だけど、普通に「金」て言う時は、やっぱり「ゴールド」って言うワケで、ドラクエのお金の単位だって「ゴールド」だし、ニコタマの駅前のパチンコ屋さんだって「ゴールド」だ。そして、犬の「ゴールデンレトリバー」とか、昔のグループサウンズの「ゴールデンカップス」とか、エバ、マリア、ルナ、ユミの4人で「ゴールデンハーフ」とか、こうした特殊な場合にだけ「ゴールデン」て言う。ま、それはどうでもいいんだけど、少なくとも、9月の連休を「シルバーウィーク」って呼ぶのなら、5月の連休は「ゴールドウィーク」にして欲しいし、5月の連休を「ゴールデンウィーク」って呼ぶのなら、9月の連休は「シルビーウィーク」とか「シルビアウィーク」とか、ナニゲにゴールデンぽくして欲しいと思う今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、あたしの推理だと、この「シルバーウィーク」ってのは、5月の「ゴールデンウィーク」に対応して命名しただけじゃなくて、「敬老の日」を含んでることから、「お年寄り」を意味する「シルバー」ってことも重ねてあるように思った。どっちにしても、土日も祭日も働いてるあたしには、連休なんて関係ないワケで、明日の「敬老の日」だけは、お仕事をお休みして、毎年恒例の老人ホームの慰問に行くけど、それ以外は朝から夜までずっとジョブ!ジョブ!ジョブ!の毎日だ。段平のおっちゃんからのハガキを参考にして、内角をえぐり込むように打つべし!打つべし!打つべし!の毎日だ。そして、いつかは、この泪橋を逆に渡ってやるんだ!

とか何とか言ってみつつも、あたしには、どんなに疲れて帰って来ても、「お酒を飲みながらGyaOで映画やアニメを観る」っていう楽しみがあるから、その日のうちにリフレッシュして、次の日も元気マンマンでがんばれる‥‥ハズだった。それなのに、嗚呼それなのに、それなのに‥‥って、今日もまた五七五の俳句調で嘆いちゃうけど、今まで何年間も利用して来たGyaOが、ヤホーなんかと合体ロボしちゃったセイで、大きな画面で観ることができなくなっちゃった。ちょっとしたニュースか何かならともかく、2時間もある映画をちっちゃい画面で観るなんて、とてもじゃないけどムリな話だ。やっとのことで、「ドラクエ9」のちっちゃい文字に慣れて来たってのに、映画やアニメまでニンテンドーDSみたいなちっちゃい画面で観なきゃなんないなんて、ヤホーってホントにムカつく。

一応、「全画面表示への対応については、年内に対応時期をお知らせする予定です」とかってお知らせは出てたけど、「年内に対応する」じゃなくて「年内に対応時期をお知らせする」って、お前は自民党か?‥‥って思った。だから、あたしは、ずっと利用して来たGyaOに見切りをつけて、途中まで観てた「幽遊白書」や「中華一番!」の続きは、ヨソのホニャララとかの無料動画で観ることにした。あとは、今まで通りに、録画しといたテレビ番組を観て、明日への活力にすることにした。今日の場合なら、土曜日の「釣りロマンを求めて」と、日曜日の「フレッシュプリキュア」と「ちびまる子ちゃん」を録画しといたから、この3本をマトメて観た。ちなみに、今日は、「ねぎぼうずのあさたろう」と「侍戦隊シンケンジャー」はリアルタイムで観てて、「仮面ライダーダブル」の途中でお仕事に行ったので、「フレッシュプリキュア」を録画してたのだ。

‥‥そんなワケで、「ねぎぼうずのあさたろう」は、いよいよ来週が最終回だし、「侍戦隊シンケンジャー」は、今回は学園モノで女子高生スタイルのことはが可愛かったけど、何と言っても、あたしの録画した「釣りロマンを求めて」から「フレッシュプリキュア」への流れがワンダホーだった。今回の「釣りロマン」は、またまた児島玲子ちゃんの登場で、それも、「女の子同士で釣りを楽しもう」的な企画だった。ゲストは、森下千里ちゃんとテレ東の大竹佐知アナで、ビギナーでも楽しめるシロギスとアジのリレー船だった。ちなみに、「リレー船」てのは、乗り合いでも仕立てでも、ずっと1種類の釣りをするんじゃなくて、1艘の船で2種類以上の釣りをリレーするパッケージプランのことだ。

今回なら、前半は浅場でテンビン仕掛けによるシロギス釣りをして、それからポイントを移動して、後半はちょっと水深のある場所で、サビキでアジ釣りをするっていうリレーだった。場所は三浦半島で、先生役の玲子ちゃんを真ん中に、右が森下千里ちゃん、左が大竹佐知アナって並びで、玲子ちゃんがテンビンでの底の取り方とか、誘い方とかを教えて、レッツ・シロギス!‥‥ってワケで、「こうやるのよ」って教えてる時点で、すでに玲子ちゃんにシロギスがヒット! 一瞬のうちに目の前でシロギスを釣り上げた玲子ちゃんを見て、千里ちゃんは思わず「神様だ!」って叫んでた。あたしは、玲子ちゃんがホメられると、自分のことのように嬉しい。「天才だ!」とか「さすが先生!」とかなら普通だけど、「神様だ!」ってホメ言葉はメッタにない。いいぞ、森下!(笑)

そして、なかなか釣れない千里ちゃんに、玲子ちゃんが「5秒くらい待って、それでも当たらなければ底から10センチくらい浮かしてみて‥‥」ってアドバイスしたら、それを聞きながら実践してた千里ちゃんに、その場でヒット! 千里ちゃんは、ぎこちなくリールを巻きつつ、「言われた通りにしたら釣れた!」って言ってコーフンしてた。そしたら、大竹アナにもヒットして、最後に真ん中にいた玲子ちゃんにもヒットして、3人揃ってシロギスを釣り上げた。それでも、サスガ、玲子ちゃん。他の2人よりも2まわりも大きい24センチもある大物を釣り上げた。そして、テレビ的にも、3人が並んでシロギスを手にしてるオイシイ画が撮れたってワケだ。

でも、それからは、コツをつかんで着実に釣り上げる千里ちゃんとは対照的に、なかなか釣れない上に、やっと釣れたと思えば、ちっちゃなタイだったりメゴチだったりと外道ばかりの大竹アナ。付き合ってるカレシは、「安打製造機」って呼ばれてるヤクルトスワローズの青木宣親なのに、カノジョの大竹アナのほうは、なかなかヒットが出ない。この日、お世話になってた忠彦丸さんの船長さんが言うには、「ちゃんと底が取れてない」ってことだった。メゴチはともかく、タイなんかが釣れちゃうってことは、仕掛けが底を切っちゃってるワケだ。

ビギナーの場合は、最初にオモリが底に着くと、それで着底したと思って、そのあとのラインの調整をしない。まあ、前方に少しでもキャストしてればいいんだけど、大竹アナみたく真下に落としてる場合は、ラインのテンションを張ってれば、船の上下で仕掛けが底を切っちゃう。だから、オモリが底から離れないように、船の揺れに合わせて、竿先を下げたりしてラインを調整しなきゃなんない。

‥‥そんなワケで、第2ステージのアジ釣りでも、大竹アナはショッパナからゴマサバのダブルでフィーバーしてくれたりで、なかなかの大佐ぶりを発揮してくれた。ちなみに、「大佐」ってのは、名字の「大竹」と名前の「佐知」の頭文字からのニックネームだ。で、「なかなかの大佐ぶり」なんて言ってたら、ブリの小さいイナダまで釣れちゃうし、3人とも、とっても楽しそうだった。そして、釣りのあとは、お約束のお料理ってワケで、釣ったお魚を横浜は栄区の宮古寿司本店に持ち込んで、「アジのお刺身」「アジとキスの握り寿司」と来て、トドメに「キスの天ぷら」を抹茶塩でいただくっていう、ワンダホーなフルコースをタンノーしてた。

「キスの天ぷら」をヒトクチ食べた千里ちゃんは、あまりの美味しさにジタバタして、「やっぱり釣りたてのお魚は」的な常套句を口にしてたけど、すかさず玲子ちゃんが、「この揚げ方が素晴らしいですね」って、これまたお世話になってる宮古寿司さんにも気配りをするコメント。ああ、玲子ちゃんて、なんて素晴らしいんだろう♪ 美人で、セクシーで、可愛くて、努力家で、その上、巨大なGTをねじ伏せちゃう豪快さと、こうした細かい気配りがサラッとできちゃう繊細さとを兼ね備えてて、もう、才色兼備なんてレベルじゃない。すでに、「消費者行政・少子化対策・男女共同参画担当大臣」の域を超えてると思う。

とにかく、今回の「釣りロマンを求めて」は、玲子ちゃんの的確なアドバイスと気配りによって、みんなタップリと楽しめてたみたいだし、放送を観てるこっちにも、楽しさがたくさん伝わって来た。8月2日のTBSの「情熱大陸」以来、「釣りロマン」での玲子ちゃんの出番がグッと増えたけど、ただ単に出番を増やしてるワケじゃなくて、玲子ちゃんがメインで上級者向けの釣りをする回もあれば、ヒサビサに腰を落ち着けてヘラブナを釣る回もあれば、今回みたいにビギナー向け、女性向けの特集の回もあれば‥‥ってふうに、ホントによく企画されてる。サスガ、あたしが最高に大好きなテレビ番組だけのことはある。

‥‥そんなワケで、あたしは、女の子同士で仲良くしてるのが大好きだから、今回みたいな企画は大好物だ。そして、「釣りロマン」を観て、とっても楽しい気分になったとこで、その次に録画してた「フレッシュプリキュア」が始まったんだけど、これまた、ものすごくワンダホーな回だったのだ。最近のプリキュアって、毎週のようにルー大柴だの和田アキ子だのを登場させたセイで最悪になっちゃった「ヤッターマン」みたいに、オードリーなんかを登場させて最悪になっちゃってた。だから、あんまり期待しないで観始めたんだけど、今日のはホントに良かった。

ブリキュアは、皆さん、ご存知の通り‥‥って、ご存知じゃない人のほうが多そうな予感もしてるから、念のために解説しつつ進んでくけど、一番最初は、「ふたりはプリキュア」ってタイトルの通り、2人だった。そして、3人になったり、また2人に戻ったりしつつ、第3弾まではこの路線だった。だけど、第4弾の「プリキュア5」から、突然、5人になっちゃって、その続編の第5弾の「プリキュア5 GOGO!」まで、人数が多くてドタバタしてた。でも、あたし的には、知性の青き泉、キュアアクアの水無月かれんちゃんが好きだったから、毎週楽しみに観てた。そして、プリキュアシリーズもとうとう6年目に入り、またまた全面的な模様替えってことで、現在の「フレッシュプリキュア」は、4人になった。

でも、これは、もともとは3人だったのだ。主人公の桃園ラブちゃんがキュアピーチ、山吹祈里(いのり)ちゃんがキュアパイン、蒼乃美希ちゃんがキュアベリーで、この3人がプリキュアだった。だけど、ある日のこと、敵の組織、ラビリンスの幹部の1人、イースっていう女の子が、3人の素晴らしさに感銘を受けて、ラビリンスをやめてプリキュアに加わっちゃったのだ。それが、東せつなちゃんのキュアパッションだ。だから、今でも、ラビリンスと戦う時には、ラビリンスの現役の幹部は、キュアパッションのことを「イース」っていう昔の名前で呼んだりしてる。

で、あたしは、キュアベリーの蒼乃美希ちゃんが一番好きなんだけど、それは、「プリキュアのブルー系が好き」っていう昔からの伝統を踏まえつつも、今回は、とても他人とは思えないからだ。まず、この「美希」って名前が、あたしの名前を逆にしただけだし、その上、この子は、お母さんと2人暮らしの母子家庭なのだ。そして、ものすごくプライドが高くて、「私は完璧!」ってのが口癖で、なかなかのツンデレだ‥‥って、今、気づいたんだけど、あたしの名前が「キミコ」で、キュアベリーの名前が「ミキ」ってのは、もしかすると、さっきの「釣りロマン」のゲストとおんなじパターンだ! 森下千里ちゃんは「チサト」で、大竹佐知アナは「サチ」だからだ。「キミコ」と「ミキ」、「チサト」と「サチ」、どっちも合体ロボさせると、「キミコミキ」、「チサトサチ」って、回文になる。

ま、あんまりダッフンしないで先へ進むけど、ラビリンスの幹部をやめてプリキュアの仲間になった東せつなちゃんは、住むとこがないから、桃園ラブちゃんの家に居候してる。一緒に暮らしてて、中学にも一緒に通ってる。だから、まだ人間界には慣れないせつなちゃんだけど、ラブちゃんとはそれなりに打ち解けてる。そして、ワリとラブちゃんに近いキャピキャピの性格の祈里ちゃんも、まあまあ、せつなちゃんと仲良くやってる。だけど、プライドが高くて大人っぽい美希ちゃんは、せつなちゃんのことを決して嫌ってるワケじゃないんだけど、自分からは進んで仲良くなろうとはしてなかった。

そして、今日は、イメチェンを計ってる美希ちゃんのために、4人でお洋服を買いに行く約束をしてた。ようするに、美希ちゃんのお洋服を他の3人が選んであげて、今までとは違ったイメージの美希ちゃんにしよう‥‥ってことだった。それなのに、ラブちゃんは熱を出しちゃって、祈里ちゃんは自宅の動物病院が忙しくなっちゃって、2人とも来られなくなっちゃったのだ。そして、待ち合わせの場所に現われたのは、4人の中で一番距離のあった美希ちゃんとせつなちゃんだけだった。それで、仕方なく、2人だけでお買い物に行くんだけど、今まで、2人だけで会ったことも話したこともなかったから、どうしても会話が続かない。どうもシックリ来ないし、お買い物も楽しくない。

それで、2人で会話もなく商店街をブラブラしてたら、タコ焼きの屋台が出てた。屋根の上には作り物の大きなタコが乗ってる。それを見て、ギョッ!とする美希ちゃん。実は、美希ちゃんは、ちっちゃいころに、海でタコが腕に絡みついて、すごく恐い思いをして、それがトラウマになってたのだ。ちっちゃいころに、クモの巣に絡まって、それからずっとクモが苦手になった「サクラ大戦」の神崎すみれちゃんとおんなじだ。それなのに、タコ焼き屋さんのお兄さんは、生きたタコを美希ちゃんの目の前に差し出して、「うちのタコは活きがいいよ!」なんて言うもんだから、美希ちゃんは叫び声を上げてダッシュで逃げちゃった。

そしたら、そのあとに、ラビリンスの幹部のウエスターがやって来て、その屋台の屋根の上のタコの人形をモンスターにしちゃった。巨大化したタコの人形は、逃げまどう人々を次々と襲い、ビルを壊してく。離れた場所からそれを見たせつなちゃんは、すぐにプリキュアに変身して戦おうとするんだけど、タコが苦手な美希ちゃんは、恐くて震えてて立ち上がることもできない。それで、せつなちゃん1人で、変身して戦うんだけど、いつもは4人でも苦戦してるラビリンスのモンスターに、たった1人で勝てるワケがない。当然、危機一髪的な展開になる。ガタガタと震えながらその様子を見てた美希ちゃんは、自分のトラウマと戦いながら、何とか立ち上がって、せつなちゃんの元へと駆けつけた。そして、プリキュアに変身して戦うんだけど、タコの足は8本もあるから、2人じゃとてもかなわない。

で、「もうダメだ!」って時に、熱が下がったラブちゃんと、お家のお手伝いが終わった祈里ちゃんが、キュアピーチとキュアパインに変身して登場し、空からのダブルキックを炸裂させた。4人揃えば、もう恐いものなんかない。行け!プリキュア!‥‥ってワケで、相手はタコだけに、最後は8本の足が固結びになっちゃって解けなくなる‥‥っていうマンガの伝統芸で終わるんだけど、今までとは違ったセンスのお洋服を着てイメチェンに成功した美希ちゃんと、そのお洋服を選んだせつなちゃんがニコニコとお話してて、2人の距離がグッと近くなったってシーンでのハッピーエンドだった。

‥‥そんなワケで、あたしは、美希ちゃんが一番好きで、せつなちゃんがプリキュアに加わってからは、せつなちゃんのことも二番目に好きになったから、この2人が主人公だった上に、紆余曲折の果てに仲良しになるっていう今回のストーリーは、もう、たまんないほど、内角高めのツボにストライクだった。お酒を飲みながら観てたセイもあって、たかがプリキュア、所詮はプリキュア、完全に幼児向けのプリキュアなのに、思わずポロポロと涙が出ちゃった。とにかく、この感動を来週までFカップの胸の内に温存しといて、来週は「ねぎぼうずのあさたろう」の最終回で号泣しようと思う。あたしのリスペクトしてるニポンイチの浪曲師、国本武春さんが、どんな名調子で泣かせてくれるのか、今から楽しみだ。そう言えば、国本武春さんも、アニメになって「ねぎぼうずのあさたろう」の中に登場したことがあったけど、「フレッシュプリキュア」のオードリーや「ヤッターマン」のルー大柴なんかとは違って、ぜんぜん違和感がなくて、すごく良かった。だから、明日は、車の中で国本武春さんの「敬老ロックンロール」でも聴きつつ、老人ホームの慰問に向かおうと思ってる今日この頃なのだ。


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2009.09.20

靴を投げる人々

16日、イラクのファルージャで、走行中のアメリカ軍の車両に向かって、「アメリカ兵はイラクから出て行け!」とかって叫びながら自分の靴を投げつけたイラク人の男性が、この車両に乗ってたアメリカ兵に、ライフルで撃たれて殺された。この男性は、ファルージャ在住の32才の整備工で、アメリカ兵に家族を殺されたことが原因で、精神疾患にかかってたっていう情報もある。で、イラクの民間人を射殺したアメリカ軍の言いぶんは、投げつけられた靴を「手榴弾」だと思い、テロリストによる攻撃だと判断したので、防衛のために相手に向かって発砲したって言ってる。ようするに、悪いのはイラク人のほうで、自分たちには何の落ち度もない‥‥っていう、いつものパターンだ。

一方、おんなじイラク人でも、去年の12月にイラクを訪れたブッシュに向かって、「この犬野郎!」って叫びながら靴を投げつけたジャーナリスト、ムンタゼル・ザイディさんは、15日に釈放された。約9ヶ月間の服役だったけど、完全に英雄になっちゃったザイディさんには、アラブ世界の富豪たちから、純金の馬の置き物だの、高級スポーツカーだの、挙句の果てには立派な新居まで、高価な贈り物の話が次々と舞い込んでて、大金持ちになっちゃいそうなイキオイだとか。

おんなじイラク国内で、おんなじイラク人が、おんなじアメリカ人に向かって、おんなじように叫びながら、おんなじように靴を投げつけたってのに、片や英雄扱いされた上に大金持ち、片やその場で射殺って、あまりにも天と地だ。結局、この差は、懐かしい言葉で言うと、「TPO」の違いだったんだと思う。ザイディさんだって、ああいう記者会見の場で靴を投げつけたから、その場で取り押さえられて、一応はちゃんとした裁判を受けられたのだ。もしも、イラクに到着した大統領専用機から、ブッシュが降りて来たとこに靴を投げつけてたら、ヘタしたら、その場でSPに射殺されてたかもしれない。

そして、16日に射殺されたイラク人にしても、靴を投げつけた相手が、シタッパのアメリカ兵なんかじゃなくて、アメリカ軍のトップのブッシュだったとしたら、逆に、こっちの男性が英雄になり、ものすごい贈り物をもらいまくり、一生、その名声だけで暮らして行けたかもしれない。肉親や知り合いを無差別に殺され、アメリカに対する憎しみはおんなじなのに、いつ、どこで、誰に靴を投げつけたのかによって、こんなにも結果が違って来るなのて、何とも言えない複雑な気持ちになって来る今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、去年の12月に、ザイディさんがブッシュに靴を投げつけた時のことは、あたしも、12月16日の日記、「靴を投げた英雄」にタップリと書いた。そして、この日の日記に書いてあるように、ブッシュが飛んで来た靴をヒョイとよけた瞬間に、全世界の人たちとおんなじに、「おしい!」って思った。やっぱり、靴の裏が顔面を直撃して、ブッシュの顔の真ん中に靴の裏の模様がクッキリとついたりしてたら、世界中がもっともっと盛り上がってたと思う。何しろ、ブッシュほど、世界各国からだけじゃなくて、自国のアメリカ人たちからも嫌われてる大バカはいないからね。

で、残念なことに、ブッシュに靴は当たらなかったけど、その場面がバッチリと映像に残ってたもんだから、YOU TUBEではものすごい閲覧数を記録しちゃって、全世界に波紋が広がった。その影響の1つとして、今年の2月には、中国の温家宝首相がイギリスを訪問した時に、ケンブリッジ大学で講演をしたら、1人のイギリス人の男性が、「このウソつきめ!」とかって叫びながら靴を投げつけた。この時は、壇上まで距離があったけど、この男性はなかなかの遠投力とコントロールで、温家宝首相の1メートルくらい近くにニアピンした。そして、この男性も警察に逮捕されたけど、どんな罰を受けたのかは分からない。

とにかく、この「大統領や首相に靴を投げつける」って行為が、一気に世界に広まっちゃって、フィリピンでも、反政府の団体とかが、アロヨ大統領の似顔絵に靴を投げつけるパフォーマンスが流行しちゃった。それで、ホントにアロヨ大統領に靴を投げつけられたら一大事だから、政府のスポークスマンが、「フィリピンは進んだ国なので、ブッシュ大統領や温家宝首相に起きたような靴投げ事件は起こらないだろう」って、先手をとって国民に釘を刺すためのコメントを発表しちゃったのだ。ま、フィリピンはレディーファーストの国だから、いくら人気のないアロヨ大統領とは言え、女性に靴を投げつけるようなことをしたら、世論も黙ってない。ブッシュのケースとは正反対に、靴を投げつけたヤツは、国賊扱いになっちゃうだろう。

‥‥そんなワケで、このニポンにも、モリヨシローとか、コイズミとか、アベシンゾーとか、フロッピー麻生とかの顔に、思いっきり靴を投げつけたいって思ってる人は数え切れないほどいるだろう。特に、フロッピー麻生の場合は、ロクに字も読めないほどの大バカのぶんざいで、国民を見下したような態度やしゃべり方ばっかしやがって、心の底からムカついてる人もいっぱいいるだろう。ま、それがハッキリと表われたのが今回の衆院選だったワケだけど、人間てものは、自分より頭のいい人から見下されるぶんにはガマンもできるけど、自分よりバカから見下されるほどムカつくことはない。

だけど、自公政権による悪政が10年も続いても、ただの一度も暴動が起こらないほど「怒る」ってことを忘れちゃったニポン人なんだから、時の首相に靴を投げつけるような根性のあるヤツは1人もいなくなっちゃった。今の腰抜けニポン人にできることは、せいぜい、ノリピーのヒモ男の乗ったワゴン車に靴を投げつける程度なのだ。それも、「バカ野郎!」とか「くたばっちまえ!」とか叫びながら靴を投げたんなら、まだミドコロがあったけど、よりによって「高相、家族を守れよ!」って、お前はドリフか? こんなの、「歯、磨けよ!」とか「宿題やれよ!」と変わらないじゃん(笑)

ま、ブッシュに投げた靴も、温家宝に投げた靴も、ノリピーのヒモ男に投げた靴も、相手に当たらなかったからこそ、たいした罪にはならなかったんだと思う。だって、相手に当たってたら、「傷害罪」になってた可能性もあるからだ。ヨソの国の法律は分かんないけど、このニポンの場合で考えたら、ノリピーのヒモ男に投げつけた靴は、相手には当たらなかったけど、ワゴン車には当たってる。だから、あのワゴン車の持ち主が、「靴をぶつけられて車にキズがついた」って警察に訴え出れば、靴を投げたヤツは「器物破損」とか「器物毀棄」とかの罪に問われるハズだ。

それで、あたしは気づいたんだけど、「憎しみをもって誰かに向かって何かを投げつける」って行為って、犯罪として捉えた場合、人によって、投げるものによって、千差万別なんだと思った。たとえば、あたしが、野球の硬球を誰かに向けて投げつけたって、どんなに悪くても「傷害罪」だろう。だけど、松坂大輔が、10メートル離れた場所にいる人の顔面に向けて、全力で投げつけたら、ヘタしたら「殺人未遂」になるかもしれない。だって、道端でケンカをして素手で殴り合いをする時って、普通の人なら単なるケンカだけど、プロボクサーの場合は「素手」を「狂器」とみなされて、罪がずっと重くなっちゃうからだ。プロボクサーのパンチが「凶器」なら、プロ野球のピッチャーの投げる硬球だって「凶器」だろう。つまり、おんなじ硬球を投げつけるにしても、せいぜい時速50キロくらいのあたしの場合と、時速160キロのプロ野球のピッチャーの場合とで、罪の重さは大きく違って来るってことだ。

だけど、松坂大輔が全力で投げつけたとしても、それが野球の硬球じゃなくて、ピンポン玉だったら、どう考えても「殺人未遂」にはならないし、「傷害罪」にもならないと思う。つまり、おんなじ人が投げつけるとしても、「投げるモノの種類」によって、相手に与えるダメージも、罪の重さも違って来るってワケだ。たとえば、靴を投げつけるにしても、普通の革靴を投げつけたのなら、相手の顔面にヒットしたって、絶対に「傷害罪」どまりで、間違っても「殺人未遂」にはならないと思う。だけど、よくスパイ映画とかに出て来る、爪先からナイフが飛び出すような靴だとしたら、そんなものを人に向かって投げつけたら、間違いなく「殺人未遂」になるだろう。

普通に売られてる靴でも、「安全靴」の場合はどうだろう? 最近の安全靴は、爪先のガードに強化プラスティックとかを使ってるから、軽量だし、そんなに危なくないだろうけど、ひと昔前の安全靴は、爪先の部分に鉄が入ってるから、当たりどこが悪かったら、大ケガをしたり、ヘタしたら死んじゃうかもしれない。そんなことにでもなったら、「安全靴」どころか「危険靴」だ。爪先に鉄が入ってる靴を人に向かって投げつけるってことは、コブシ大の石を投げつけるのとおんなじくらい危険なことで、これだって、場合によっては、「傷害罪」じゃなくて「殺人未遂」になっちゃう可能性もある。

ま、「殺人未遂」の場合には、「加害者が殺そうと思って犯行に及んだか?」っていうメンタルの部分が大きく影響するから、普通の革靴を投げつけても、「殺そうと思って投げた」って言えば「殺人未遂」になるかもしれないし、爪先に鉄が入ってる靴を投げつけても、「ついカッとして投げてしまったが、殺すつもりなんかなかった」って言えば、結果的に被害者が死亡したとしても、「業務上過失致死」で済んじゃう場合もあるだろう。一概には言えないけど、おんなじ種類の靴をおんなじような状況で投げて、相手に与えたダメージもおんなじくらいだったとしても、加害者側の自供によって、罪の重さは大きく変わるし、罰も大きく変わるってことだ。だから、今回は、そうした加害者側のメンタルな部分は抜きにして、物理的なことだけで話を進めてくけど、「憎しみをもって誰かに向かって何かを投げつける」って行為の場合、やっぱり、何よりも「投げつけるモノ」の種類によって、罪の重さが大きく変わるって来ると思う。

たとえば、丸めたティッシュを投げつけたとしたら、それが相手の顔面に当たったとしても、絶対に「傷害罪」にはならないだろう。だけど、ナイフを投げつけたら、「傷害罪」どころか「殺人未遂」になると思う。缶コーヒーを投げつけたとしても、飲んだあとの空缶の場合と、中身の入ってる缶コーヒーの場合とで、相手に与えるダメージも、罪の重さも違って来ると思う。石を投げつけたとしても、直径が1センチほどの小石の場合と、コブシ大の大きな石の場合とでは、ぜんぜん違うと思う。

で、何でこんなことを書いてるのかって言うと、もしも、あたしが、フロッピー麻生の顔面に向けて靴を投げたら、どんな罪になるのか気になったからだ。ブッシュに投げた靴も、温家宝に投げた靴も、ノリピーのヒモ男に投げた靴も、どれも男性用の革靴で、大きくて重たそうな靴だった。だから、もしも顔面に当たってたら、死ぬことはないにしろ、ある程度のケガはしてただろう。クルクルと回転しながら飛んでった靴の、ちょうど爪先の部分が目や鼻に当たったら、失明したり鼻の骨が折れてたかもしれない。これは大ケガだ。

だけど、あたしが投げるとしたら、こうした男性用の革靴よりも、ずっと軽量のパンプスだ。男性用の革靴は、平均すると片方が400グラムくらいだそうだけど、女性用のパンプスは遥かに軽い。特に、あたしの履いてるピンヒールは、ソールも薄いしヒールも細いから、一番重たいものでも片方250グラムくらいで、平均すると200グラムくらいだ。男性用の革靴の半分の重さしかない。つまり、男性が自分の靴を脱いで投げつけるのと、あたしが自分の靴を脱いで投げつけるのとでは、おんなじ「靴を投げつける」って行為でも、「投げつけるモノ」の重さがぜんぜん違うってワケだ。

その上、あたしは、男性よりも腕力が弱いし、たぶん、コントロールも悪いと思う。だから、おんなじ位置から、フロッピー麻生に向けて自分の靴を投げつけるとしたら、男性の場合と、あたしの場合とで、罪の重さが違わないとおかしいことになる。男性の投げつけた靴がフロッピー麻生の顔面にヒットした場合、「傷害罪」になるとしたら、あたしの投げつけたパンプスがフロッピー麻生の顔面にヒットした場合は、いくらか罪のレベルを軽くしてもらって、道路交通法の「駐車違反」あたりにして欲しい。それだったら、免許の点数も丸々あるし、駐禁の反則金くらいなら何とか払えるからだ。

‥‥そんなワケで、いくら注文をつけたって、あたしの投げつけたパンプスがフロッピー麻生の顔面にミゴトにヒットしたら、どうせ「傷害罪」になっちゃうだろう。それも、公安関係での逮捕になるだろうから、取り調べも通常の「傷害罪」よりも厳しくて、何ヶ月も拘置所から出してもらえないかもしれない。だけど、拘置所から出て来たアカツキには、もしかしたら、あたしは、イラクのザイディさんみたいに、ニポン中の人たちから英雄扱いされちゃって、純金の招き猫だの、ダイハツのコペンの中古車だの、挙句の果てには、今のマンションの家賃を1年ぶんくらい支払ってもらえちゃうかもしれない。だから、軽くて破壊力のないパンプスでも、うまいことクルクルと飛んでって、ちょうどピンヒールの先が鼻の穴に突き刺さるように、タイガースの藤川球児の手元でホップする「火の玉ストレート」をマスターしとこうと思う‥‥ってのは、自民党が政権与党の時に妄想してたことで、今の風前のトモシビ状態の自民党なんて、まったく眼中にない今日この頃なのだ(笑)


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Peace Music Festa!'09 from 宜野湾

「沖縄のフジロック」との呼び名も高い音楽祭「Peace Music Festa」は、いよいよ明日で~す♪


『Peace Music Festa!'09 from 宜野湾~わったー地球(しま)はわったーが守る~』


音楽やアートの力で沖縄の基地問題についてアクションを起こそう!と、基地問題に揺れる「辺野古」の浜で発祥したイベントが、やんばるの森から「高江」、環境問題で注目される干潟「泡瀬」を巻き込み、普天間基地を抱える「宜野湾」で今年は開催されます!

歴史的な政権交代が実現した今、沖縄からニポンを変えて行きましょう!

GET UP! STAND UP! OKINAWA!





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自民党による長年の「アメとムチ」の悪政、つまり、地方に危険な米軍基地や原発を押しつける代わりに補助金をバラまき、地方の人たちが基地や原発に依存しないと生活できないようなシステムを作り続けて来たために、沖縄の人たちの間には「沖縄県民は国の負担なんだ」という意識が広まりました。そして、沖縄の多くの人たちが、自分たちの権利のために戦うこと、抵抗することを諦めてしまいました。これこそが、自民党が望んでいたシステムだったのです。


そんな中で、沖縄のレゲエ好きの若者達と共にソウル・フラワー・ユニオンのヒデ坊さん、DUTY FREE SHOPPの知花竜海さんらが立ち上がり「Peace Music Festa!」が始まりました。今年も、来たる9月21日、「沖縄インディーズの母」とも呼ばれるKEN子さん他、沢山の若いミュージシャン、青年達ががかかわり、宜野湾海浜公園屋外劇場で開催されます。


サブタイトルの「わったー地球(しま)はわったーが守る」のシマとは、沖縄では、島でもあり、自分たちの愛する地域、地元という意味をあらわします。ローカルな感性から飛躍させて「地球」という文字のルビにあてられています。この言葉には「立ち上がろう」「抵抗し、闘おう」というレゲエ・スピリットと自らの身体の内にある大切な沖縄の文化「平和と環境、地域、オジィ、オバァが育んできたもの」を守りたいう熱い思いが込められています。





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『Peace Music Festa!'09 from 宜野湾~わったー地球(しま)はわったーが守る~』


■日時 2009年9月21日(月曜・祝日)

■開場11:30 開演12:00 終演21:00
※ 雨天決行・荒天中止

■場所 沖縄県 宜野湾海浜公園屋外劇場

■出演 ソウル・フラワー・ユニオン/UA/OZOMATLI(from L.A.)/加藤登紀子/太陽風オーケストラ/ドーナル・ラニー/新良幸人 with サンデー/OKI DUB AINU BAND/山原Ragga兄弟/カクマクシャカ/DUTY FREE SHOPP. feat. G.A.C/Shaolong To The Sky/KACHIMBA1551/照屋政雄/KALIKOPUA HULA STUDIO
※青年エイサーやおいしい屋台なども出るよ♪

■チケット 前売り¥3500/当日¥4000/中学生以下無料
※取り扱い チケットぴあ、ファミリーマート全店(Pコード329-398)
その他協力店にて発売中!
http://peacemusic.ti-da.net/e2530416.html

■オフィシャルサイト
「PeaceMusicFesta!公式サイト」
http://peace-music.org/ 

「PeaceMusicFesta!ブログ」
http://peacemusic.ti-da.net


Peace Music Festa!09 from 宜野湾

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2009.09.19

荒船山で男性の遺体を発見

「荒船山で男性の遺体を発見」(世田谷通信)

人気漫画「クレヨンしんちゃん」の作者、臼井儀人さん(51)が行方不明になり、家族から捜索願が出ていた事件で、19日午前11時すぎ、捜索をしていた警察などが男性の遺体を確認した。臼井儀人さんは、今月11日に「群馬県の荒船山へ行く。今日のうちに帰ってくる」と言って出掛けたが、翌日になっても戻らなかったため、家族が捜索願を出していた。12日から警察などが群馬県と長野県の県境にある「荒船山」を中心に周辺の捜索を続けていたところ、19日午前11時前に、登山をしていた人から「岩の下に男性の遺体がある」という通報を受け、現場へ駆けつけた警察が遺体を確認した。遺体の服装が行方不明時の臼井儀人さんのものと酷似しているため、現在、家族に連絡をして確認を急いでいる。(2009年9月18日)


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「公約」と「口約」

民主党の鳩ポッポは、以前から「民主党が政権をとったら記者クラブは廃止する」ってことを繰り返して来た。マニフェストには書かれてないから、「公約」じゃなくて「口約」だけど、テレビなどで党の代表が口にして来た言葉なんだから、一応は国民に向けて約束してたことになる。あたしも、これまでの「記者クラブ談合」には大反対だったから、霞が関の解体とおんなじくらい、記者クラブの解体に期待してた。だけど、16日に行なわれた鳩ポッポの首相就任会見は、すべてのメディアには開かれなかった。この件に関しては、「お笑みのもんた劇場」さんが記事や情報をマトメてて、すごく分かりやすいので、ぜひ読んでみて欲しい。

で、この件に対して、一部のネットメディアでは、「民主党は公約を破った」って批判してる。でも、最初に書いたように、これは「公約」じゃない。だから、「公約を破った」って表現は間違ってる。それに、フランク・ザッパに説明すると、民主党側は「出席枠の拡大」を事前に記者クラブ側へ申し入れてて、これまでの自公政権では出席を拒否されて来た外国特派員や一部の雑誌の記者たちは出席することができたのだ。出席できなかったのは、ネットメディアやフリーランスの記者だけだ。だから、自公政権の時よりは、一歩も二歩も前進してるワケで、頭ごなしに批判するのはおかしいと思う。それに、今回の会見は、民主党を中心とした連立政権が誕生した「その日の会見」なんだから、その日のうちから、これまでずっと続いて来た記者クラブの談合を完全に解体することなんてムリだろう。

真偽はサダカじゃないけど、ある情報では、大手メディアを牛耳ってる「世界のナベアツ」‥‥じゃなくて、「読売のナベツネ」が、会見の数日前に、鳩山内閣で財務相に内定してた藤井裕久や官房長官に内定してた平野博文に対して、恫喝まがいの脅迫電話を掛けたって言われてる。「ネットメディアやフリーランスの記者を会見に出席させると、我々(新聞やテレビ)よりも早くネット上に記事を出されてしまう。そうなると新聞やテレビの報道価値が下がってしまうので、記者クラブ制度を温存するように」ってことだったらしい。それでも、民主党側は、簡単には折れずに、「出席枠の拡大」を記者クラブに対して申し入れたため、その折衷案として、今回の結果になったって言われてる今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、あたしとしては、まだ新政権が誕生して2日だってのに、ナンでもカンでも厳しく批判するんじゃなくて、少しは落ち着いてジックリと見てあげる「広い心」が必要なんじゃないの?‥‥って思う。今回の「記者クラブ」の問題にしても、民主党は一方的に約束を反故にしたワケじゃなくて、誰かさんの圧力を受けながらも「出席枠の拡大」を申し入れたワケだし、その結果として、今までは叶わなかった外国特派員や一部の雑誌の記者たちが出席することができたんだから、これまでの完全に閉鎖された「記者クラブ」の慣れ合いゴッコと比べたら、天と地ほどの差があると思う。民主党にしたって、一議員が無責任にオフレコで約束したんじゃなくて、仮にも党の代表がテレビを通じて何度も口にしたことなんだから、いくらマニフェストには掲げてない「口約」だとしても、きっと実現させる方向に進んでってくれると、あたしは信じてる。

とにかく、何の制限もなしに「誰でもどうぞ」ってことにしちゃうと、何でもない一般のブロガーとかまでが、「私も記者です。自分で取材して自分のブログに記事を書いてます」なんて言って、会見へ出席しようとしちゃうオソレもある。フリーランスの記者にしたって、これは自己申告みたいなもんだから、これまでにたくさんの記事を書いたり本を出版してる本物の記者も多い半面、何の実績もない一般人が現われて「今日からフリーランスの記者を始めた田中です」なんて言ったら、その人も会見に出席させるのか?‥‥って問題もある。こうした人達をすべてOKにしちゃったら、極端な話、首相や大臣の命を狙うようなテロリストとかも出入りが自由ってことになるし、何百人、何千人もの野次馬が、「自称サーファー」‥‥じゃなくて、「自称記者」として詰めかけたら、会見自体が開けなくなっちゃう。

もちろん、こうした「自称記者」だけじゃなくて、ちゃんと記事を書いてる記者だとしても、よく、ポータルサイトや独自のニュースサイトとかで、一般の人を「市民記者」に登録させて、送られて来た記事を採用して公開するようなシステムがあるけど、ハッキリ言って、そんな「市民記者」にまで門戸を開いてたら、収拾がつかなくなることは明白だ。だって、この「市民記者」にしても、誰もが簡単に登録できるワケだから、首相や大臣に危害を加えるために記者会見に潜り込みたくて、事前にどこかのサイトの「市民記者」に登録するような人も出て来るかもしれないからだ。

だからって、十把一絡げにして「フリーランスの記者はすべてダメ」とか、「ネットニュースの記者はすべてダメ」とかってことにしちゃうと本末転倒だ。フリーランスの記者でも、志葉玲さんみたいな素晴らしい記者もたくさんいるワケだし、ネットニュースでも「JANJAN」みたいな優れた媒体もあるからだ。そのため、こうしたジャンルの記者たちにも門戸を開きつつ、誰でも彼でもが好き勝手に出席できないようにするために、事前の整備が必要だ。たとえば、フリーランスの記者なら、事前に個々を書類審査して、これまでの活動内容や実績などから判断して、ちゃんとした記者と認められた人にだけ登録証を発行するとか、ネットニュースの場合なら、「JANJAN」から1人、どこそこから1人ってふうに、媒体ごとに記者の人数を決めておいて、事前にニュースサイト側から申し込みのあった名前の記者だけを受けつけるとか、こうした整備が必要だろう。

民主党の肩を持つワケじゃないけど、16日の鳩ポッポの首相就任会見は、ニポン国内のみならず、世界各国からも注目されてたんだから、まだ何の整備もできてない状態で、どこの誰かも分からない「自称記者」までカタッパシに出席させてたら大混乱になってただろう。そうした状況を踏まえれば、その記者の所属先を確実に確認できる外国特派員や雑誌の記者たちをOKにして、身元を確認できないネットメディアやフリーランスの記者をNGにしたのは、仕方ない判断だったと思う。たとえば、今後もまったくネットメディアやフリーランスに対しての規制が改善されないとか、逆に外国特派員や雑誌の記者までを締め出して、今までの悪しき「記者クラブ制度」に戻ったとかなら、その時に、初めて、声を大にして批判すればいいワケで、あたし的には、もうちょっと長い目で見るべきだと思う。

‥‥そんなワケで、マニフェストに掲げてない「口約」が完璧には果たされなかっただけで、ナゼだか「公約を破った!」だなんて大騒ぎしてる人たちがいる一方、既存のマスコミはと言えば、民主党がマニフェストに掲げてる「公約」を実行しようとしてることを攻撃し続けてる。「インド洋での給油の延長中止」にしても、「高速道路の無料化」にしても、「こども手当」にしても、「八ッ場ダムの建設中止」にしても、すべては民主党のマニフェストに掲げてある「公約」なのだ。だから、国民から支持されて政権をとった与党が、これらの「公約」を実行に移すことは、「国民との約束」を守ることであって、政党としても政治家としても何よりも重要なことだろう。

それなのに、こうした「公約」を実行しようとしてる新政権に対して、各マスコミの報道は、あまりにも幼稚で偏向的な批判ばかりを繰り返してる。たとえば、新しい鳩山内閣の新しい大臣たちが、「やっぱりインド洋での給油は延長することにしました」とか、「やっぱり高速道路の無料化はやめます」とか、「やっぱり八ッ場ダムは建設することにしました」とかって言った時にこそ、「公約違反だ!」って批判するのがマスコミの正しい姿勢だろう。それなのに、新聞やテレビのほとんどの報道は、まだ新政権が誕生する前から、「アメリカは懸念している」だの「財源なき無料化で経済は破綻する」だのって、まるで選挙期間中に自民党の無能候補者どもが連呼してた幼稚な批判とおんなじことを繰り返してる。

そして、16日に新政権が誕生したら、今度は、民主党の「公約」に対する反対派の意見ばかりを垂れ流し始めた。たとえば、「八ッ場ダムの建設中止」にしても、まずは「建設賛成派」の住民たちの意見を大々的に取り上げ、それを後押しする形で、ファッション右翼の石原慎太郎東京都知事だの、「デタラメな歴史教科書をつくる会」の上田清司埼玉県知事だの、自民党の大沢正明群馬県知事だの、自民党の息の掛かった守銭奴どもによる稚拙な反論ばかりを報じ始めた。だけど、「八ッ場ダムを考える会」や「八ッ場ダムをストップさせる市民連絡会」や「首都圏のダム問題を考える市民と議員の会」などを始めとした、これまで「建設中止」を訴えて来た数多くの団体や反対派の人たちの声はいっさい報じない。

「八ッ場ダムをストップさせる会」だけを見ても、東京、千葉、埼玉、群馬、栃木、茨城の1都5県にそれぞれ支部がある大きな組織で、末端の支援者まで入れると、ダム推進派を遥かに超える巨大な組織だ。それなのに、大手メディアは、こうした組織の声は、いっさい報じない。だけど、今回の衆院選では、この八ッ場ダムに関わる東京、千葉、埼玉、群馬、栃木、茨城の1都5県すべてで、「八ッ場ダムの建設中止」を「公約」に掲げた民主党が、ダム推進派の自民党を大差で破ったのだ。つまり、「八ッ場ダムの建設中止」は、動かしようのない民意なのだ。もちろん、民主党の中にも、八ッ場ダムの建設に賛成してる県議とかもいる。だけど、今回の衆院選においては、1つの政党として「八ッ場ダムの建設中止」っていう「公約」を掲げたんだから、これが民主党の総意ってことになる。この「公約」に反対する民主党の議員は、民主党を出て行ってから党の「公約」を批判すべきだろう。

八ッ場ダムに限らず、ほとんどの公共事業には賛成派と反対派がいるワケで、工事が進めば反対派が文句を言い、工事を中止すれば賛成派が文句を言う。こんなことは当たり前だ。それぞれの立場や利権やその他モロモロから、隣り同士の住民でも主張が分かれることもよくあることで、すべての人を納得させるやり方なんてアリエナイザーだ。だから、時の政府が公共事業を始めようとしても、始まってた公共事業を中止しようとしても、どっちの場合でも反論や批判は出る。だからこそ、民主主義の法則に従って選挙が行なわれるワケだし、選挙で大勝した政党が、マニフェストに掲げてた「公共事業の中止」っていう「公約」を実行することは、極めて正当な「民意の反映」だ。

八ッ場ダムの問題について、マスコミは、「付近の道路などはすべて完成している」だの「建設を中止したら公金支出が増える」だのって言う、ダム建設推進派の一方的な意見しか報道しない。だけど、「八ッ場ダムをストップさせる市民連絡会」によれば、「付近の国道や県道の完成割合は、まだ5%ほどで、95%は手もつけていない。『ほとんど完成している』という推進派の言っていることはデタラメだ」って言ってる。また、「建設を中止したら公金支出が増える」っていう意見に対しても、これは「工事ありき」で国交省が試算したもので、本来はダム工事と無関係な水道事業費などの国庫補助までをカタッパシから足し算してった数字を提示してるものだって指摘してる。民主党の試算によると、純粋にダム工事だけに関連した公金支出は、国交省の試算よりも600億円も低くなってる。

その上、国交省はまったく無視してるけど、このままダムを建設したら、地滑りの危険性がある場所が20ヶ所以上もできちゃうので、そうした場所の対策費なんかも掛かるそうだ。このままダム工事を進めたら、国交省の試算より、少なくとも1000億円以上は多く掛かるって言われてる。つまり、環境保護とかってことを考えずに、単に「税金のムダづかい」ってことだけで見ても、ダム工事を進めるよりも、ダム工事を中止したほうが、遥かに税金は節約できるってことになる。これが、長年、建設に反対して来た数多くの人たちの意見であり、民主党が「建設中止」をマニフェストに掲げた理由でもある。それなのに、低能マスコミは、こうしたことはいっさい報じない。

これまでの自公政権のように、国民の8割以上が大反対してた「自衛隊のイラク派遣」や「障害者自立支援法案」や「教育三法の改正」なんかを「数の暴力」を使って強行採決して来たことは、どう見たって政権与党って立場を悪用した犯罪行為だ。だけど、今回、鳩山内閣がマスコミだけから批判されてる「インド洋での給油の延長中止」や「高速道路の無料化」や「こども手当」や「八ッ場ダムの建設中止」とかは、最初からマニフェストに掲げてあった「公約」であり、国民から支持されて与党になった政党が、その「公約」を実行しようとしてることに対して、一部の反対派の意見だけを引き合いに出して批判するなんて、あまりにも偏向的でアンフェアな報道姿勢だ。繰り返すけど、選挙に勝って政権与党になった政党が、「公約」を守らなかった場合に批判するのが本来のマスコミの姿勢であり、「公約」を守ろうとしてることを批判するなんて、見たことも聞いたこともないバカ丸出しの愚行だ。

‥‥そんなワケで、今でこそ、新政権による「八ッ場ダムの建設中止」を偏向的に批判しまくってる低能マスコミだけど、それなら、もしも、今、前原国交相が「やっぱり八ッ場ダムは建設します」だなんて言い出したら、バカ新聞やバカテレビは「民意に沿った素晴らしい決断だ」とでも報じるんだろうか?‥‥って、タモリじゃなくても、そんなこたーない。それこそ鬼の首でもとったかのようなイキオイで「公約違反だ!」とか「早くもブレまくり!」とかって書きたてるに決まってる。「インド洋での給油の延長中止」にしても、民主党は「公約」に掲げたことを実行しようとしてるだけなのに、アホなマスコミは、まるでアメリカの飼い犬のように、アメリカの言いぶんばかりを報道し続けてる。だけど、もしも、民主党が、「やっぱり給油は延長します」って言ったとしたら、マスコミは「民主党は日米関係を重要視した適切な判断をした」とでも報じるつもりだろうか?どうせ、これまた「公約違反だ!」とか「早くもブレまくり!」とかって書きたてるに決まってる。だから、安倍内閣や福田内閣や麻生内閣と違って、ちゃんと国民の信託を得て政権を担った鳩山内閣は、低能マスコミの騒音なんか気にせずに、どんどん「公約」を実行してって欲しい。だって、「公約」を守っても反故にしても悪く報道されるんなら、守って悪く報道されたほうが百万倍もマシだと思う今日この頃だからだ。


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2009.09.18

誤字脱字の女王

1ヶ月以上も前のことだけど、あたしは、7月30日の日記、「女3人珍道中」の中で、作家の安部譲二さんのことについて触れて、いつも読みに行ってる安部譲二さんのホームページ、「大人気ないオトナ」を文中にリンクした。あたしは、このホームページの中の「あんぽんたんな日々」っていうコラムが大好きで、月に2回の更新を楽しみにしてるからだ。それで、あたしが安部譲二さんのことを日記に書いてから、最初に更新された8月6日付のコラムは、時期も時期だったから、衆院選について書かれてた。そして、そのままナニゴトもなく日々が過ぎて行き、あたしは、いつものように、2~3日に1回、「大人気ないオトナ」を覗いて、「まだ更新されてないな~」なんて思ってた。

で、8月16日の深夜、また覗いてみたら、ちょうどこの日に新しいコラムが更新されてたので、さっそく読み始めた‥‥と思ったのもトコノマ、あたしは幽体離脱しちゃいそうなほど驚いた。この日の安部譲二さんのコラムは、「七月三十日の午後から、突然このホームページへのアクセスが増えて、俺はビックリした。」っていう一節から始まってたんだけど、読み進むと、原因不明の大量アクセスが続き、何かマズイことにでも巻き込まれたんじゃないかって思った安部譲二さんは、心配で心配でお酒の量まで落ちちゃったそうだ。そして、こんなふうに結んであった。


「いろいろ考えて落ち着かない日々を送っていたら、ある日、読者からのメールで、『きっこの部屋』という超人気ブログに、この『大人気ないオトナ』」のことが載ったからだと分かった。すっかり安心して、その日から酒量が戻った。」


オーマイガー! あたしは、マサカ、こんなことになってたなんてツユ知らず、美味しいお酒を飲んで暮らしてたのだ。それで、あたしは、すぐにお詫びのメールを書いて、ついでに、「『きっこの部屋』じゃなくて『きっこの日記』ですよ」ってことも書き添えて、安部譲二さんへ送った。そしたら、2日後に、とっても丁寧でやさしくてアリガタイザーな返信をいただいちゃって、キョーシュクしちゃった今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、世の中に「ブログ」なんてモノも言葉もなかった時代から、もう10年も書き続けて来た「きっこの日記」だから、それなりに「知ってる人は知ってる」程度の知名度はある。見ず知らずの人のブログをタマタマ読んでたら、突然、「きっこの日記」って言葉が出て来たり、あたしのまったく知らないとこで取り上げられてたりすることもある。もちろん、そうしたケースについては、ご本人からメールでお知らせでもいただかない限り、あたしが偶然に見つけるなんて確率は激しく低い。

だけど、知り合い同士なら、毎度のことだ。たとえば、21日に沖縄の宜野湾で開催される「Peace Music Festa!'09 from 宜野湾」の告知を「きっこのブログ」にアップしたら、すぐにKEN子さんが「Peace Music Festa!」のブログにお礼のメッセージを書いてくださった上に、ミクシーの中でまでお礼を言われちゃった。パワフルに活動し続けてるKEN子さんは、あたしのリスペクトしてる女性の1人で、そんな人から丁寧にお礼なんか言われちゃうと、これまた、こっちのほうがキョーシュクしちゃう。

で、お互いのブログを読んでチェキしあってるって言うと、あたしの場合は、ネット上で一番仲良しの「カナダ de 日本語」のミニーちゃんだ。皆さん、ご存知の通り、あたしは誤字脱字や変換ミスの女王だから、いつもたくさんの人からツッコミを入れられてる。今日も、「世田谷通信」でF1のルノーが不正を認めたって記事をアップしたら、「泥仕合」って書くべきとこを「泥試合」って書いちゃってて、アッと言う間に十数人の人たちからツッコミのメールをいただいた。メールをくださった皆さん、どうもありがとうございました♪‥‥ってなワケで、ワタクシは、読者の皆々様のオカゲで日記を書き続けることができる瀬川瑛子でございます。モ~~~って、牛の鳴きマネを織り込みつつも、たいていの場合、誰よりも真っ先にメールで知らせてくれるのが、ミニーちゃんだ。あたしも、タマにミニーちゃんの変換ミスを見つけると、得意満面になってメールしてるんだけど、もちろん、あたしのほうが遥かにミスが多い。だいたい、あたしが8でミニーちゃんが2くらいの割合だ。

‥‥そんなワケで、あたしは、毎日のように、「ロクに確認しないで日記をアップする」→「読んだ人が誤字脱字や変換ミスに気づく」→「その中の誰かがメールで知らせてくれる」→「あわてて直す」ってことを繰り返してるワケだけど、あたしのほうが誰かの間違いに気づいてメールで知らせるのは、基本的にはミニーちゃんだけだ。あとは、江川紹子さんにも、1~2回ほどメールでお知らせしたことがある。紹子さんて、テレビで見るととっても落ち着いてるのに、ホームページの「江川紹子ジャーナル」のコラムになると、急にサザエさん的になっちゃうのか、それとも、あたしみたいに確認しないでアップしてるのか、時々、「うひゃっ!」って思うような誤字があったりするのだ。

だけど、あたしは、ミニーちゃんと紹子さん以外は、たとえ知り合いであっても、ミスに気づいても知らせることはない。これは、不親切とかメンドクサイとかってことじゃなくて、こういうことを指摘されるのを好まない人がいるからだ。ずいぶん前に、ネット上で知り合って仲良くなった同世代の女性のブログに、すごく単純な漢字の変換ミスを見つけたので、あたしは深く考えないで、コメント欄にそのことを書いた。今、思えば、メールにすれば良かったんだけど、あたしとしては、こんなことでわざわざメールすることのほうが迷惑だろうと思ったから、軽い気持ちで「変換ミスだよ」ってふうに書き込んだ。もちろん、小バカにしたような書き方じゃなくて、極めて普通に書いたのだ。

それなのに、その相手は、あたしの予想とはウラハラに、激怒しちゃったのだ。その相手が言うには、こういうことはメールでコッソリと知らせるもので、誰が見てるか分からないコメント欄に書くなんて、ワザと恥をかかせようとした嫌がらせだ!‥‥って言うのだ。それで、あたしは、「そんなつもりじゃなかった」ってこととか、こっちが引いて「軽率なことをして悪かった」とか、何度もメールで謝ったんだけど、どんどん変な方向へ行っちゃって、結局、ケンカ別れみたいになっちゃった。だから、あたしは、よっぽど分かりあえてる相手とか、どう考えてもあたしと同レベルの良識を持った相手だってことが分かってないと、恐くて指摘ができないのだ。

あたしなら、感謝して「どうもありがとう♪」ってお礼を言うようなことなのに、それが、まったくの正反対に激怒しちゃう人がいるなんて、ホントに人間の感性って十人十色だと思った。そして、こうした人がいる以上、コメント欄じゃなくてメールでの指摘でも、それを「親切」とは取らずに、「嫌がらせ」だと取る人だっているだろう。だから、あたしは、ヨホドの必要性がない限り、ミニーちゃんと紹子さん以外は、ブログのミスに気づいても、こっちから知らせることはない。

でも、しばらく前のこと、チョコチョコと読みに行ってる「ノーレイン ノーレインボー」っていうブログで、どうしても気になるミスを見つけちゃったのだ。これは、たかゆきさんていう大阪のストリートミュージシャンのブログなんだけど、2~3年前にタマタマ見つけて、タイトルがステキだったからチョコっと覗いてみたら、これがなかなか面白い。弾き語りで稼ぐお金だけで10年も暮らしてるっていう筋金入りの自由人で、すべてのことに対して正直に生きてるとこが好感を持てた。それで、何日か掛けて、過去ログをぜんぶ読み、それからは、安部譲二さんの「あんぽんたんな日々」と同じく、チョコチョコと覗いて、更新されてれば読む‥‥って感じだ。

で、その「気になるミス」ってのは、あたしの好きなシンガーの1人、「トレイシー・チャップマン」の名前を「トレイシー・チャップッマン」って、「ッ」を1つ多く書いてたのだ。それも、2ヶ所も出て来たから、きっと、たかゆきさんは、最初の間違いに気づかずに、2ヶ所目は、最初の「トレイシー・チャップッマン」をコピペしたんだろうって思った。だけど、こっちが一方的にコッソリと読みに行ってるだけで、相手からしたら見ず知らずのあたしなんかに、こんなことを指摘されるのは不愉快かもしれない。親切のつもりで指摘しても、いつかの女性みたいに激怒されちゃったら大変だ。

ただ、あたしは、たかゆきさんの文章をずっと読んで来たから、たかゆきさんが良識を持った頭のいい人だって感じてたし、多少は行き過ぎたギャグも通じるキャパの広い人だってことも感じてた。だから、あたしは、次の更新まで待って、それでも「トレイシー・チャップマン」の名前が直ってなかったら、思い切ってメールでお知らせしてみよう‥‥って決めたのだ。そして、昨日、次の日記が更新されても、前回のミスが直ってなかったから、あたしは、丁寧なツッコミのメールを送ってみた。

そしたら、しばらくして、なにやらコーフン気味の返信が来た。実は、たかゆきさんも、何年も前から、あたしの日記をコマメに読んでくれてたそうだ。そして、あたしからメールが来たことにコーフンして、「四国一周ブログ旅の早希ちゃんを応援しているのもきっこさんの影響です」なんてことまで書いてあった。この辺のやりとりは、すべて、たかゆきさんの「ノーレイン ノーレインボー」の今日のエントリーに詳しく書いてあるので、興味のある人は読みに行って欲しい。そして、良かったら、ランキングのクリックもポチッとヨロピク♪

‥‥そんなワケで、あたしは、ネット上の人間関係には苦労して来てるから、相互リンクはすべてお断りしてるし、トラックバックもコメントも受けつけてない。誰ともツルまずに、1人で淡々と日記を書き続けてる。そして、コッソリと読みに行ってるブログにも、コメントしたりメールを送ったりすることもメッタにない。だけど、今回のたかゆきさんとの出会いみたいに、あたしがずっと「ノーレイン ノーレインボー」を読みに行ってて、相手もずっと「きっこのブログ」を読みに来てくれてたってことが、たった1文字の誤字が原因で分かるなんて、これはこれでステキなことだと思った。だからって、あたしの場合は、やっぱり誤字脱字や変換ミスの女王だから、皆さんからのツッコミのメールはこれからもジャンジャン受けつけるけど、あたしからツッコミのメールを送ることはメッタにないと思う今日この頃なのだ。


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2009.09.17

岡田外相が普天間問題を見直すと明言

「岡田外相が普天間問題を見直すと明言」(世田谷通信)

昨日発足した鳩山内閣の岡田克也外務相は、17日、外務省での就任会見において、沖縄県の米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設問題が、地域住民の理解を得ないまま強引に進められて来たことに対し、「このまま現状を放置しておけば既成事実がどんどん積み重なっていく。議論を急がなければならない」と述べ、早急に見直しが必要であること、年内にも着手することなどを明言した。同時に見直しを求められている日米地位協定の問題もあるが、岡田外相は「地位協定の見直しは急がずにじっくりと取り組むべき案件であり、何よりも普天間の問題を優先する」との趣旨の発言をした。8月30日の衆院選では、沖縄県の4選挙区すべてで、米軍基地に反対している民主党、社民党、国民新党の候補者が当選し、基地推進派の自民党候補者は全員が落選している。今回の岡田外相の発言は、こうした選挙の結果を沖縄の民意として受け取ったものであり、また、普天間飛行場の移設に強く反対し続けて来た社民党の意向を汲んだものと思われる。国民の大きな期待を背負った新政権が、自公政権では決して叶わなかった平和への一歩を早くも踏み出してくれたようだ。(2009年9月17日)


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F1のルノーチームが八百長を認める

「F1のルノーチームが八百長を認める」(世田谷通信)

昨年9月のF1、シンガポールGPにおいて不正を行なったという疑惑が持ち上がっていたルノーチームは、16日、不正の事実を認め、チーム代表のフラビオ・ブリアトーレ氏とエンジニアリングディレクターのパット・シモンズ氏の辞任を発表した。昨年から始まったシンガポールGPは、市街地コースを使った初のナイトレースということで注目を集めたが、当時ルノーチームに在籍していたネルソン・ピケ・ジュニア選手は、13周目でクラッシュしてリタイアした。その結果、うまいタイミングでセーフティーカーが入り、チームメイトのフェルナンド・アロンソ選手が優勝した。しかし、今年の8月にルノーチームを解雇されたピケ・ジュニア選手が、この時の事故はアロンソ選手を有利にするためにチームから指示されて起こした故意の事故であったと、ブラジルのテレビ局に告発し、報道されるに至った。この報道を受けて、ルノーチームは疑惑を完全否定し、ピケ・ジュニア選手を告訴すると発表したため、泥仕合の様相を呈していた。しかし、FIA(国際自動車連盟)が調査に乗り出し、今月の21日にルノーチームを世界モータースポーツ評議会の聴聞会に召喚して審議を行なうと通知したところ、ルノーチームは一転して不正を認め、ブリアトーレ氏とシモンズ氏の辞任を発表した。ルノーチームや選手に対するペナルティーは21日の聴聞会後に決められるが、過去の例から推測する限り、数十億円から百億円以上の莫大な罰金が科せられるほか、チームや選手の永久追放などの厳罰も想定される。(2009年9月17日)


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早くも新政権が始動

「早くも新政権が始動」(世田谷通信)

衆院選での歴史的大勝により、16日、ついに発足した鳩山内閣だが、民主党、社民党、国民新党の3党による政策合意書には「小泉内閣が主導した競争至上主義の経済政策をはじめとした相次ぐ自公政権の失政によって、国民生活、地域経済は疲弊し、雇用不安が増大し、社会保障・教育のセーフティネットはほころびを露呈している。」と指摘した上で「国民からの負託は、税金のムダづかいを一掃し、国民生活を支援することを通じ、我が国の経済社会の安定と成長を促す政策の実施にある。」と掲げられていた。そして国民の大きな期待に応えるかのように、各大臣らが第一声をあげた。前原誠司国土交通相は、多くの住民の反対の声を受けてマニフェストに掲げていた群馬県の八ッ場ダムの問題について「マニフェストに書いてあることですので建設は中止します」と明言した。川端達夫文部科学相は、多くの国民からの反対の声を無視して麻生太郎前首相が推進していた「アニメの殿堂」に対して「方向は見えている」と中止する意向を表明した。原口一博総務相は、麻生前首相の指示で日本郵政に居座り続けている西川善文社長の進退に対して「辞任すべき」と明言した。長妻昭厚生労働相は、小泉改革の負の遺産である「後期高齢者医療制度」に対して「民主党のマニフェストで廃止を明言している」として廃止する意向を表明した。藤井裕久財務相は、ガソリン税に上乗せされたまま30年以上も引き延ばされて来た「ガソリン暫定税率」に対して「マニフェストの非常に大事なテーマであり廃止は当然」と来年2010年度には廃止すると明言した。岡田克也外務相は、自民党が半世紀に渡って隠蔽し続けて来た核持ち込みや沖縄返還に関する日米間の「密約文書」に対して、11月末までに徹底調査をするようにと外務省の藪中三十二次官に命じた。他の大臣らも、それぞれの分野での公約を守るべく、すぐにでも仕事に取りかかるという。長年の自公政権の失政による国民の被害は甚大だが、鳩山由紀夫首相は、これまでの麻生太郎、福田康夫、安倍晋三らとは違い、国民から選ばれた本物の首相なのだから、国民の期待に応えるために最善を尽くしてくれるだろう。(2009年9月17日)


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2009.09.16

祝島というニポンの宝

リトル古い話でキョーシュクなんだけど、2005年1月16日の日記、「島国に生まれて」に詳しく書いたように、ニポンは島国で、北海道、本州、四国、九州っていうデッカイ4つの島だけじゃなくて、ぜんぶで6852もの島がある。だけど、このうち、無人島が6000以上もあって、年間を通じて人が住んでる島は、わずか260しかない。そして、漁業や農業のために、1年のうち何ヶ月かだけ人が渡る「季節有人島」てのが200くらいあるんだけど、それを足しても、人が住んでる島は500以下だ。つまり、7000近くもの島がありながら、人が住んでる島はそのうちのわずか7%ほどで、とっても貴重なのだ。

Iwaishimazenkeiで、わずか260しかない有人島のうちの1つ、「祝島(いわいしま)」って島が、瀬戸内海の西のはずれにある。都道府県で言うと山口県で、一周が12キロほどのハート型の可愛らしい島だ。500人ほどの人たちが住んでるんだけど、若い人たちは都会へと出てっちゃって、65才以上のお年寄りが7割を占めてる。でも、みんな元気で、漁業や農業で生活してる‥‥って聞くと、豊かな自然に囲まれた島で、オジィやオバァたちが穏やかに暮らしてると思うだろうけど、現実はそうじゃない。後世に残すべき、この国のかけがえのない自然をカタッパシから破壊し続けて来た自民党の魔の手が、この祝島にも及んでるのだ。官僚と土建屋と暴力団ていう「人の命よりも金儲けを優先する人間のクズども」とベッタリ癒着した自民党が推し進めて来た原発建設が、この祝島のオジィやオバァたちを苦しめてるのだ。

祝島は、周防灘と伊予灘の境の島で、この立地によって、瀬戸内海屈指の漁場とされてる。四季を通じて、アジ、タイ、タコ、サヨリ、カレイ、ヒラメ、ハマチ、甲イカ、メバル、タチウオを始めとして、素晴らしい海の幸が水揚げされてる上に、世界最小のクジラ、天然記念物の「スナメリ」が住む貴重な海だ。それなのに、この国の政府は、今とはまったく状況が違った30年近くも前に立案された原発計画をゴリ押しして、この、かけがえのない漁場を持つ祝島の対岸、わずか4キロ先の海を埋め立てて、そこに危険極まりない原発を建設しようとしてるのだ。当然、祝島のオジィやオバァたちは、全員が大反対した。先祖代々受け継いで来た大切な海に、放射性物質を垂れ流す原発なんて造られたら、もう、漁ができなくなっちゃうと思った今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、祝島の住民は、9割以上が原発に反対してるんだけど、国民のことよりも金儲けが大事なアベシンゾー率いる原発利権ヤクザどもは、そんなことお構いなしに、住民の声を無視して、この計画を強引に推し進めて来た。そして、今も、座り込みを続けるオジィやオバァたちを暴力で脅しながら、ムリヤリに建設に着手しようとしてる。昨日、「祝島島民の会」から、こんなメールが届いたので、ここで紹介する。


【祝島島民の会からの呼びかけとお願い】 

瀬戸内に残された豊かな海が、今、原発のために埋め立てられようとしています。1982年に山口県の上関町に原発建設計画が持ち上がってから、地元住民は賛否の対立に苦しんできました。28年たった今でも未だに続いています。そして原発予定地の対岸わずか3.5kmに浮かぶ祝島では、住民の9割が計画に反対し続けてきました。原発建設予定地周辺は豊かな漁場であると同時に、小型の鯨のスナメリが群れをなして泳ぎ、天然記念物のカンムリウミスズメの生息が確認されるなど、希少な動植物の宝庫でもあります。

しかし、昨年、山口県は、原子炉設置許可申請すら出されていない状況にもかかわらず海の埋め立ての許可を出してしまいました。そして今、中国電力は原発建設予定地の目前に住む祝島の島民に対する説明も対話もないまま、海の埋め立てと原発の建設を強行しようとしています。

私たちは自分たち自身の命や生活を守るために、生活の糧である美しい海や豊かな自然を守るために、中国電力の埋め立ての強行に抗議しています。祝島島民の会では9月10日から12日までの3日間、埋め立て工事の先鞭となる大型浮標(ブイ)の搬出を阻止するため、平生町の田名埠頭で阻止行動を続けてきました。この3日間で、延べ80隻以上の漁船、陸上からも500人以上の人たちが阻止行動に参加しました。そしてまた本日(9月14日)も、海上では漁船約30隻が、陸上では県内外から応援に駆けつけてくれた人たちも含め100人以上が阻止行動を行っています。

今回の埋め立て工事の強行に対して、祝島島民は、地元の反対の声を無視して埋め立ての許可を出した山口県と、その許可をたてに反対意見を「一部の声」として力で押しつぶそうとし、祝島をはじめとした地元住民の27年以上に及ぶ思いを理解しようとする態度すら見せない中国電力に対しての怒りや憤りを強く感じています。山口県は埋め立ての許可を出す際に、中国電力に対して地元住民や県民の理解を得る努力を尽くすことを要請してますが、それが果たされていないことは現地の状況をみれば明らかです。全国の皆さん、どうか山口県や中国電力に対して「地元住民の理解を得ていない埋め立て工事は中止するべきだ」という抗議の声を届けてください。疑問があれば問い合わせをして彼らの姿勢を質してください。そしてこの呼びかけを多くの方々につないでください。どうかご協力をお願いします。

「祝島島民の会」では、ホームページ(http://shimabito.net/)やブログ(http://blog.shimabito.net/)も開設していますが、多くの島民が阻止行動に参加しているため、リアルタイムで現地の様子をお伝えできません。現地の状況は、RadioActive(http://radio-active.cocolog-nifty.com/blog/)に特に詳しく紹介されていますので、ぜひご覧ください。

2009/9/14 祝島島民の会


‥‥そんなワケで、群馬県の八ッ場ダムしかり、高尾山のトンネル工事しかり、ニポン全国には、何十年も前に立てられた守銭奴どもの建設計画に苦しめられてる人たちが数え切れないほどいる。計画が立てられた当初とは、世の中の状況がまったく違うのに、それでも、莫大な利権に群がる悪徳政治家や悪徳企業などの守銭奴どもによって、すでに必要のなくなった公共工事が強行され、かけがえのない自然が破壊されようとしてる。

美しかった瀬戸内海も、今では広範囲に渡って環境破壊が進み、かつては瀬戸内海全域に分布してた「スナメリ」も、今は祝島の周りにしか生息してない。それなのに、30年も前の計画を推し進めて、かけがえのない海を埋め立てて原発を造ろうだなんて、完全に札束で目がくらんだ大バカどもだ。そして、世界中の先進国が脱原発へと進んでる中で、こうしたニポンの時代遅れの計画は、政権交代が実現した今だからこそ、駆け込み乗車的に強行されようとしてるのだ。

あたしは、まだ赤ちゃんだったから分からないけど、今から35年前に、NHKの「鳩子の海」っていう連続ドラマの舞台になったのが、この祝島の海だそうだ。もしも、この海に原発が造られたら、祝島のオジィやオバァたちは、毎日、放射性廃棄物を海へ垂れ流す原発を眺めながら暮らさなきゃならないワケだし、その海で獲れたお魚や貝や海藻を食べて暮らさなきゃならないワケだ。こんなこと、絶対に許されない。あたしたち大人が、次の世代の子供たちに手渡すべきものは、奇形魚の泳ぐ放射能に汚染された海じゃなくて、豊かで美しい「鳩子の海」なのだ。

あたしは、2007年4月6日の日記、「大人のみなさんへ」で、今から17年前の1992年6月11日、ブラジルのリオデジャネイロで開催された国連の「地球サミット」で、世界中の大人たちへ訴えた、カナダの12才の少女、セヴァン・スズキのスピーチの全文を紹介した。いつ読んでも、涙が止まらなくなるスピーチだけど、その一部をここに再掲する。


「大人のみなさんへ」 セヴァン・スズキ

(前略)
今日、わたしが話すことは、すべて嘘のない本心の言葉です。なぜなら、わたしたちが環境問題に取り組んでいるのは、わたしたち自身の未来のためだからです。わたしたち子供が、自分たちの未来を失うということは、あなたがた大人が、選挙で負けたり、株で損をしたりすることとは次元が違う問題なのです。わたしがこれから話すことは、あなたがた大人が死んだあとも、この地球で生きて行かなくてはならないわたしたち子供のためなのです。世界中の飢えに苦しむ子供たちの泣き叫ぶ声は、あなたがた大人の耳には届きません。どこにも行くところがなく、次々と絶滅して行く数え切れないほどの生き物たちのことも同じです。だから、世界中の子供たちや生き物たちに代わって、わたしが話すのです。

わたしは、外に出てお日様にあたるのが恐いのです。それは、オゾン層に穴が開いているからです。わたしは、息をするのも恐いのです。それは、空気中にどれほど危険な化学物質が混じっているか分からないからです。わたしは、お父さんと一緒に、よくバンクーバーへ魚釣りに行っていました。でも、数年前に、全身がガンに冒されている魚を見てからは、魚釣りも恐くてできなくなってしまいました。今、毎日のように、多くの動物や植物が絶滅しています。そして、一度絶滅してしまった生き物は、二度と戻っては来ないのです。

(中略)

あなたがた大人は、オゾン層に開いた穴をどうやってふさぐのか知らないでしょう。死んだ川に、どうやってサケを呼び戻すのか知らないでしょう。絶滅した動物をどうやって生きかえらせるのか知らないでしょう。そして、砂漠になってしまった場所に、どうやって緑の森をよみがえらせるのか知らないでしょう。だから、お願いです。大人のみなさん、どうやって直すのか分からないものをこれ以上壊し続けるのはやめてください。

(中略)

わたしは、まだ子供ですが、それでも知っています。世界中の国の大人たちが戦争に使っているお金をぜんぶ平和のために使えば、環境や飢餓の問題のために使えば、この地球が、どんなに素晴らしい星になるかということを。小学校で、いや、幼稚園でさえ、あなたがた大人は、わたしたち子供に、「世の中ではこうしなさい」といろいろなことを教えてくれます。たとえば、「人と争ったりケンカをしてはいけません」「ものごとは話し合いで解決しなさい」「他人の気持ちを尊重しなさい」「自分が散らかしたら自分でかたずけなさい」「生き物をいじめたり傷つけてはいけません」「何でもみんなで分かち合いなさい」、そして、「欲ばってはいけません」と。それなら、なぜ、あなたがた大人は、わたしたち子供に「するな」と言うことを 自分たちはしているのですか?
(後略)


‥‥そんなワケで、あたしは、群馬県の八ッ場ダムの利権に群がる大人たちにも、高尾山のトンネル工事の利権に群がる大人たちにも、そして、祝島の原発の利権に群がる大人たちにも、この12才の少女の言葉を聞かせてやりたいと思ってる。金儲けのために平然と自然を破壊する大人たちって、自分自身のやってることが恥ずかしくないんだろうか? こうした自然破壊に関与してる大人たちが、もしも子供を持った親なら、自分の子供の顔をまっすぐに見られるだろうか? 何百年、何千年も前から、ずっと大切に受け継がれて来たかけがえのない海や山なのに、それを自分の代でメチャクチャに破壊して、美しい海や山の代わりに放射能に汚染されたコンクリートのカタマリを自分の子供や孫たちに残すだなんて、これほど愚かなことが他にあるだろうか?

祝島の歴史は古く、1300年前に編集された「万葉集」には、「伊波比島(いはひしま)」って表記で登場してる。中学校の歴史の授業の時に、居眠りしてた人も、早弁してた人も、「遣隋使(けんずいし)」とか「遣唐使(けんとうし)」とかの名前くらいは覚えてると思う。中国の「隋」に派遣した使節が「遣隋使」で、「隋」が滅びて「唐」になってから派遣した使節が「遣唐使」だ。そして、「遣隋使」や「遣唐使」よりも名前的にはマイナーだけど、「新羅(しらぎ)」が朝鮮半島を統一したあとに、ニポンから派遣した使節が「遣新羅使(けんしらぎし)」だ。

ニポンから朝鮮半島へ船で渡るんだから、今の山口県から出航するのがベターなワケで、そうすると、最後に寄港するのが祝島ってことになる。波の高い周防灘では、この祝島が、航行の安全を守る神霊の住む島として大切にされて来たのだ。そのため、朝鮮半島へ渡る「遣新羅使」たちも、この祝島を歌に詠み、自分を思いを残してる。「万葉集」の巻第十五には、「遣新羅使の歌」として、次の3首が選ばれてる。


筑紫道(つくしぢ)の可太(かだ)の大島しましくも見ねば恋しき妹を置きて来ぬ
 
家人(いへびと)は帰り早来(はやこ)と伊波比島(いはひしま)斎(いは)ひ待つらむ旅ゆくわれを
 
草枕(くさまくら)旅ゆく人を伊波比島 幾代(いくよ)経(ふ)るまで斎(いは)ひ来にけむ


1首目の「可太の大島」ってのは、山口県大島郡の周防大島(屋代島)のことで、「筑紫への航海で周防大島を過ぎる時に、都に置いて来た愛しい妻への思いを馳せてる」って意味の歌だ。2首目は、「家で待っている妻は、旅を行く私に、早く帰って来て欲しいと伊波比島の名前のように祝って待っているだろう」って意味の歌だ。3首目の「草枕」ってのは、草を束ねて作るアウトドア的な枕のことで、転じて「旅」を暗喩する言葉だ。この場合は、「旅」に掛かる枕詞として使われてる。「旅人を祝うという伊波比島よ。あなたはこれまでにどれほど多くの旅人を祝って来たのだろうか」って意味の歌だ。

1300年以上も前から、行き交う船の航海の安全を祈って来た歴史ある祝島だけど、現代においては、そうした文化や伝統だけじゃなくて、天然記念物の「スナメリ」や、生きた化石と呼ばれている「ナメクジウオ」など、絶滅の危機に瀕した生き物たちの最後の楽園として、後世へ伝えるべき貴重な宝としての意味も大きい。それなのに、この国の守銭奴どもは、こんなに貴重な海を埋め立てて、原発なんかを造ろうとしてる。それも、沖縄の辺野古でのアセス調査とおんなじに、「結論ありき」で作られたデタラメな調査結果を大義名分にして、時代錯誤の原発計画なんかを推し進めて来たのだ。

「原発は地球温暖化対策に適したクリーンエネルギーだ」なんて言うのは、原発利権に群がってる一部の守銭奴どもの大ウソで、大気中や海へと放射性廃棄物を垂れ流すことが「クリーン」であるハズがない。だからこそ、世界中のほとんどの先進国が、原発を「時代錯誤の悪しきシロモノ」として、脱原発の方向へと進んでるのだ。だけど、未だに原発利権が根強いニポンだけは、こんなに狭い国土の中に55基もの原発を林立させ、連日のようにアチコチの原発で事故が相次ぎ、毎日のように放射性廃棄物を垂れ流し続けてる上に、まだ新しい原発を造ろうとしてるのだ。それも、かけがえのない海を埋め立ててまで‥‥。

新しい政権与党の民主党は、原発に関して、マニフェストの中で「原子力利用については、安全を第一としつつ、エネルギーの安定供給の観点もふまえ、国民の理解と信頼を得ながら着実に取り組みます。」って言ってる。ようするに、「推進」の立場なワケで、ここは「原発反対」の姿勢を貫いて来たオムライス党とは大きく隔たりがある部分だ。ま、企業からの献金をガッポリと受け取って来た民主党と、1円たりとも企業献金を受け取らない清廉潔白なオムライス党とじゃ、「誰のために政治をやるのか」っていう出発点が違うんだから、「企業のための政治を目指す民主党」と「国民のための政治を目指すオムライス党」との意見が違うのは当然だ。だけど、民主党は、原発の「推進」を掲げつつも、自民党との違いを鮮明にするために、マニフェストにこんな文言を織り込んでる。


「国が国民に対して原子力政策に関する説明を徹底して行うとともに、関連施設の立地自治体および住民の十分な理解を得るため、国と自治体との間で十分な協議が行われる法的枠組みをつくります。」


‥‥そんなワケで、現場で原発の建設に反対して座り込みを続けてるのは、祝島の漁師さんたちと支援者たち200人ほどだけど、この原発に反対する署名は、山口県内だけでも10万人以上も集まってる。「祝島島民の会」では、この10万人を超える署名に、全国から寄せられた署名を合わせて、10月2日に経済産業省へ提出する予定だという。これほど反対の声があるってことは、民主党のマニフェストにある「住民の十分な理解」はまったく得られてないってワケだし、デタラメなアセス調査の結果を掲げて建設を強行してるってことは、民主党のマニフェストにある「国と自治体との間で十分な協議」が行なわれてないってワケだ。だから、「公約を守る」ってことや、「政治を官僚の手から国民の手に取り戻す」ってことを謳ってる新政権は、この「上関原発計画」を白紙に戻すことこそが、まずは公約実現の第一歩だと思う今日この頃なのだ。


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「祝島のオジィやオバァたちの命の叫び」


 

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セレブなお知らせです♪

靴とバッグのショッピングサイト「javari」に、待望のデザイナーズ・ストアがオープン しました♪

マノロ・ブラニク、エミリオ・プッチ、バリーなど、世界的トップブランドのあまりにもステキな「2009年秋冬コレクション」の最新の靴やバッグが通販でお買い求めできちゃいます!

もちろん、他の商品と同じく、30日間は返品が無料なので、「靴を買ってみたらサイズが合わなかった」「届いてみたら思ってたのとイメージが違った」という人は、返品することも他のサイズや商品と取りかえることも自由です。

とは言え、「家賃よりも高いパンプス」なんて、あたしにはとても手が出ないセレプなお値段なので、皆さんも、見るだけ見て目の保養をしてくださいね♪
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2009.09.15

石原都知事がまた無駄遣い

「石原都知事がまた無駄遣い」(世田谷通信)

石原慎太郎都知事が熱望している2016年のオリンピック招致だが、東京オリンピック招致委員会のメンバーや関係者らに、10月2日にデンマークのコペンハーゲンで行なわれる国際オリンピック委員会(IOC)総会でのプレゼン用として、高級なスーツ一式をオーダーして無料配布していたことが分かった。石原都知事のお気に入りのデザイナーに発注したスーツの上下に、ネクタイとワイシャツ数枚のセットで、1人あたり30万円だという。プレゼンで壇上に上がるのは10名だけだが、プレゼンに出ない関係者も含めて50人全員のスーツを作ったため、総額で1500万円以上もの血税が使われた。今回のオリンピック招致活動には、莫大な血税が使われ続けており、4月に国際オリンピック委員会のメンバーが視察のため来日した時にも、5億円をかけた都心のジオラマを始めとして、総額で200億円もの血税が使われた。しかし、2016年のオリンピック招致に立候補している4都市の中では、「その国の国民の何%がオリンピック招致を望んでいるか」という国民支持率において、スペインのマドリードの90%、ブラジルのリオデジャネイロの82%、アメリカのシカゴの77%と比べ、東京は56%と最低の数字である。また民間の調査会社のアンケートによると、東京都民の70%がオリンピック招致に反対しているという結果が出ている。新銀行東京のずさんな経営で1500億円もの累積赤字を出した上に、福祉予算を次々と削りながらオリンピック招致には湯水のごとく血税を使い続けている石原都政に対して、都民の不満は爆発寸前である。今回、不必要なスーツ一式に1500万円以上もの血税が使われたことで、都民のオリンピック招致に対する反発はさらに強まるだろう。(2009年9月15日)


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緊急アンケートです!

【次のキャラたちがガチンコで戦ったとしたら、一番強いと思うのは誰?】

1.孫悟空
2.則巻アラレ
3.ケンシロウ
4.空条承太郎
5.モンキー・D・ルフィ


【次のキャラたちがガチンコで戦ったとしたら、一番強いと思うのは誰?】

1.グレートマジンガー
2.イデオン
3.巨神兵(完全体)
4.デビルガンダム(最終形態)
5.エヴァンゲリオン初号機(暴走時)


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古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう

あたしは、歌謡曲の歌詞のおかしいと思った点について、9月4日の日記、「歌謡曲の功罪」で取り上げて、その中の「襟裳岬」の歌詞について寄せられたメールを9月7日の日記、「岬めぐり」で紹介させていただいた。その中で、当時の新聞に掲載されたインタビュー記事を教えてくださった旅好きオジさんからのメールも紹介したんだけど、しばらくして、また旅好きオジさんから、こんなメールをいただいた。


お名前:旅好きオジさん
コメント:きっこ様、先日、襟裳岬の歌詞についてメールを差し上げた旅好きオジさんです。メールを差し上げた後、ふと自分の記憶が間違っていないか気になったので、実家に行った際、本棚の奥に仕舞いこんであった昔読んだ北海道に関する本を引っ張り出して確認してみました。(先のメールの内容は、私が北海道ツーリングの途中、当の襟裳の民宿に泊った時、食堂の壁に貼ってあった新聞記事の切り抜きの記憶を元に書きました。)それによりますと、実際に岡本おさみさんが襟裳岬を訪れたのはずばり「春」だったそうです。(偉そうに「初秋」とお教えしてしまいまして、なんとも恥ずかしい次第です。)この事は、この本の著者がもう一方の当事者である民宿のご主人から直接聞いた話として書かれております。ですので、恐縮ながら「初秋」と書いた記述に関しましては私の記憶違いでしたので、訂正のうえお詫び申し上げます。(でも、そうなると余計に歌詞の状況が判らなくなってしまいますね…苦笑)ちなみに岡本おさみさんと民宿のご主人とのやり取りについては、先のメールの内容通りでほぼ間違いありませんでした。(参考文献:村野雅義 著「だきしめ北海道」情報センター出版局 昭和61年発行)


旅好きオジさん、ご丁寧にありがとうございました♪‥‥ってことで、前回は旅好きオジさんのメールの内容を「正解」として話をマトメちゃったんだけど、1点だけ、岡本おさみさんが襟裳岬の民宿を訪ねた季節が「初秋」じゃなくて「春」だった‥‥ってワケだ。そして、そうなって来ると、旅好きオジさんの前に紹介したHMさんの「おそらく岡本おさみさんはえりも岬に「春」訪れたのでしょう。」っていう推測がドンピシャ!ってことになる今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、この話題は、ホントは前回で終わりのハズだったんだけど、旅好きオジさんから訂正のメールが届いたことだし、ただそれを紹介するだけじゃもったいないので、「蒸し返す」ってことじゃなくて、さらに深く掘り下げるために、もう一度、検証し直してみたい‥‥って思ってたのもトコノマ、今度は、HMさんからもメールが届いたのだ。


お名前:HM
コメント:こんばんは。度々のメールまことに失礼いたします。本日の日記を拝見いたしました。小生の稚拙なかつ薄っぺらい想像力を露呈した内容の文章が引用されており、驚きとともに恥ずかしさのあまり、一日中穴に入って汗だくです・・・。確かに「冬」ではなく「秋」の情景でしたね。ここだけ心が東京に戻ってしまいました。謹んで訂正させていただきます。あと、旅好きオジさん様の情報にはびっくりしました。こんなエピソードがあったなんて全く知りませんでした。感動しました。でも30数年来、「今の苦しみを耐え希望ある明日に向かってがんばろう」「何もない襟裳の春がきっと新しい君をを迎えてくれる」というところにこの歌の美学を感じていた自分はどうすれば?ほんとうに「何もない春」には何もなかったんですね・・・(笑)。実は以前、岡本氏が詞のかなりの部分を拓郎にいじられた旨の発言をしておりました。具体的にどこをどうしたのかはわかりませんが、きっこさんの感じる残尿感はまさにこれが原因ではないでしょうか。いきなり春に飛躍してしまうのもおそらく拓郎のせいだと想像できます。(ちなみに自分は拓郎ファンであり、拓郎ファンは普通に彼を批判します。)拓郎の作詞はフレーズのインパクト感を強調することに重きが置かれ(と自分は思ってます)、前後意味不明な詞が多々あり、「そんなことはそっちで勝手に考えろ」的ないい加減な人間なんで、半ば慣れてしまってます。と話がずれそうなのでこの辺でやめておきますが、今回の一連の文章を拝読して、自分こそ目からウロコ状態であり勉強になりました。ただ襟裳の「何もない春」は「何もないからこそ素晴らしい」という自分の考えは未だ変わっておりません。来年の4月に仕事ではありますが北海道をほぼ一週ぐるりと巡る機会があり、時間があればこの肌で感じてきたいと思ってます。まだ寒いでしょうが・・・。お忙しい中、駄文をご丁寧に読んでいただき、さらに日本一のブログに取り上げていただいたことまことに感謝いたします。ありがとうございました。それではきっこさんの今後の益々のご活躍を期待しております。


HMさん、どうもありがとうございました♪‥‥ってことで、HMさんからも、「岡本おさみの書いた詞のかなりの部分を吉田拓郎がいじった」っていう新しい情報が届いたので、そうなって来ると、「襟裳岬」の歌詞の意味が分からないのは、岡本おさみさんだけの責任てことじゃなくなって来る。これは、HMさんの推測をモトにしたあたしの推測だけど、まだ寒い春に襟裳岬を訪ねた岡本おさみさんは、民宿のおじさんから「襟裳の春は何もないよ」ってことを聞き、そこから、長い冬に入る前の秋のことを思い浮かべた。そして、早くから暖炉を燃やす襟裳の人たちは、長い冬の間、いろんな悲しさやわだかまりなどを暖炉で燃やし続けて、重たかった気持ちをリセットさせて新しい春を迎える‥‥ってふうなイメージを表現しようとしたんじゃないだろうか?

つまり、民宿のおじさんは、ホントに「何もない春」だってことをポツリとつぶやいただけなんだけど、それをそのまま歌詞にしちゃったら切なすぎる。それで、岡本おさみさんは、現実的な「何もない春」を少しでも前向きなイメージにするために、その前提として「北の町ではもう悲しみを暖炉で燃やし始めてるらしい」っていう想像の景を置いて、その結果としての「何もない春」ってことにした‥‥っていう推測だ。長い冬の間、溜まってた重たい気持ちをきれいサッパリと暖炉で燃やして、そして、新たな気持ちで迎える新しい春。これこそが、「何もない春」のポジティブな捉え方だ。

そして、ホントは、悲しみを暖炉で燃やしてる景から、自然な流れで、この「何もない春」へと移行してたのに、吉田拓郎が乱暴に歌詞をいじり倒したオカゲで、意味も本意も伝わらなくなっちゃったのだ‥‥って、岡本おさみに「さん」をつけてるのに、吉田拓郎は呼び捨てなのは、HMさんのメールの口調に感化されたからじゃなくて、昔、フジテレビの「堂本兄弟」の前身の番組、「ラブラブ愛してる」で、吉田拓郎がMAXのりっちゃんにセクハラまがいのことを繰り返してたから、それに対する報復だ(笑)

‥‥そんなワケで、HMさんからのメールで、「襟裳岬」の歌詞は、岡本おさみさんのオリジナルじゃなくて、吉田拓郎が「かなりの部分」をいじったってことが分かったから、オリジナルの歌詞が分からない限り、これ以上は検証することができなくなっちゃった。でも、旅好きオジさんからのメールで、岡本おさみさんが襟裳岬を訪ねたのは「春」だったってことだけは分かったから、岡本おさみさんが何を表現したかったのかってことだけは、何となく分かったような気がする。

とにかく、岡本おさみさんが襟裳岬を訪ねたのは「春」だったね‥‥ってワケで、吉田拓郎の「春だったね」って歌は、ボブ・ディランの「Memphis Blues Again (メンフィス・ブルーズ・アゲイン)」のパクリだ。これは、吉田拓郎自身がそう言ってるんだから、聴き比べるまでもなく間違いないだろう。そして、吉田拓郎の「イメージの詩」ってのは、ボブ・ディランの「When the Ship Comes In (船が入ってくるとき)」のパクリだろう。「イメージの詩」は、いかにも70年代のフォークの説教くささがプンプンしてる歌詞なんだけど、時代背景を考えると、こういうのがカッコイイと思われる時代だったんだから、それはそれでキャッチーだったんだと思う。そして、この「イメージの詩」の中に、こんな一節がある。


「古い船には新しい水夫が乗り込んで行くだろう~古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう~なぜなら古い船も新しい船のように新しい海へ出る~古い水夫は知っているのさ新しい海のこわさを~」


この「イメージの詩」のモトネタ、ボブ・ディランの「When the Ship Comes In」は、1964年にリリースされた3枚目のアルバム、「The Times They Are a-Changin' (時代は変わる)」に収められてる曲だけど、「イメージの詩」の歌詞の一部は、アルバムタイトルにもなってる「時代は変わる」の冒頭の部分からインスパイアされたような感じもする。「時代は変わる」の冒頭は、「周りの水位がどんどん増して来てるから、時間をムダにしたくないヤツはすぐに泳ぎ出せ」って歌ってるんだけど、このフレーズの大意をベースにして、「When the Ship Comes In」のフレーバーで仕上げると、ちょうど、この「古い船には新しい水夫が~」のフレーズが出来上がる。

さらに、細かいことを付け加えると、「イメージの詩」の曲全体のコード進行や節回しは、「When the Ship Comes In」だけじゃなくて、1965年にリリースされた「Like a Rolling Stone」の入ってる6枚目のアルバム、「Highway 61 Revisited (追憶のハイウェイ 61)」の最後の曲、「Desolation Row (廃墟の町)」にも似てる。ま、吉田拓郎の楽曲が「タクロー節」って呼ばれてるように、ボブ・ディランの楽曲も「ディラン節」なワケで、「When the Ship Comes In」や「Desolation Row」だけじゃなくて、「Like a Rolling Stone」から「Hurricane」に至るまで、みんな節回しが似てるっちゃ似てる。だから、ボブ・ディランの曲をパクッて作った吉田拓郎の曲が、ボブ・ディランの他の曲にも似てることはジンジャエールだ。

そんなことよりも、吉田拓郎のスゴイとこは、自分で「パクリました」って白状しちゃってるような楽曲であっても、それなりのオリジナリティーがあるとこだと思う。さっきの「古い船には新しい水夫が~」のフレーズなんて、この中の「古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう」って部分が広島フォーク村のオムニバスアルバムのタイトルにもなってるけど、今から40年も前、1970年にリリースされた曲の歌詞とは思えない。それに、ロッド・スチュアートが大好きなあたしとしては、名曲「Sailing」が入ってる「Atlantic Crossing」がリリースされたのが1975年だってことを考えると、それより5年も前に、吉田拓郎が「古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう」ってフレーズを歌ってたことがビックル一気飲みだ。

‥‥そんなワケで、衆院選での自民党のボロ負けを早くから予言してた季刊誌の「SIGHT」では、今年の春の39号の「自民・民主の先が見たい」って特集で、渋谷陽一さんが田中秀征さんのインタビューを担当してるんだけど、田中秀征さんは、こんなことを言ってる。


「自民党は老朽住宅、民主党は仮設住宅、どちらかに永住しろと言われても困る。」


あたしは、思わず、「お~い山田く~ん! 田中さんに座布団一枚!」って言いそうになっちゃったほど、ホントにその通りだと思った。だからこそ、あたしは、民主党っていう頼りない仮設住宅に、オムライス党っていうちゃんとした柱を連立させて、耐震強度を高めなかったら意味がない‥‥ってことを連呼して来たワケだ。ま、その話は置いといて、この田中秀征さんの「自民党は老朽住宅」って表現は、まさしく、吉田拓郎の「古い船」とおんなじだと思った。


「古い船には新しい水夫が乗り込んで行くだろう~古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう~なぜなら古い船も新しい船のように新しい海へ出る~古い水夫は知っているのさ新しい海のこわさを~」


だけど、自民党っていう「古い船」は、「新しい水夫」を選ばなかった。モリヨシローしかり、アベシンゾーしかり、フクダちゃんしかり、フロッピー麻生しかり、自民党が一党独裁だったころの過去の栄光から目が醒めない、化石のような思考回路の「古い水夫」ばかりが残った自民党丸は、あとは沈んでくだけだ。河野太郎あたりの「新しい水夫」が総裁になって、モリヨシローやアベシンゾーやフクダちゃんやフロッピー麻生たちを粗大ゴミとしてトットと処分しちゃえば、自民党も何とか復活できたかもしれないけど、その可能性もなくなった。あとは誰が総裁になっても、今までと何ひとつ変わらない「古い水夫」ばかりの「古い船」であり、来年の参院選で完全に海のモズクになり、三杯酢でチュルチュルとすすられちゃうだろう。

‥‥そんなワケで、吉田拓郎の「イメージの詩」より6年も前、今から43年も前にリリースされたボブ・ディランの「時代は変わる」では、時代が変わる時の民衆のパワーのすごさについて、1番でみんなに泳ぎ出すように進言し、2番でマスコミのアホどもに進言し、3番で国会議員の腰抜けどもに進言し、4番で国中の大人たちに進言してる。3番は、「国会議員たちよ、肝に銘じておけ。ドアの前には立つな。ホールの入口をふさぐな。ぐずぐずしていると大ケガをするぜ。今、外では激しい戦いが繰り広げられている。すぐに国会の窓を震わせ壁が鳴り出すだろう。時代が変わりつつあるのだから」って感じの歌詞だ。これが、政権交代を余儀なくされた民衆のパワーであり、そのパワーの源は旧政権に対する怒りなのだ。そして、これほどの怒りの原因を作っていながらも、1ピコグラムも反省しないばかりか、「悪いのは国民どもだ」とでも言いたげなフロッピー麻生のひん曲がった口を見てると、草葉の陰から「ダメだこりゃ!」っていう、いかりや長介の声が聞こえてきそうな気がする今日この頃なのだ。


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2009.09.14

100万円のチャンスです!

奥村遊戯から、パチスロ「THE BLUE HEARTS」がリリースされます♪

奥村遊戯と言えば、パチンコ「CR笑ゥせぇるすまん」の「喪黒福造を探せ!」で「金の延べ棒キャンペーン」をご紹介しましたが、今度のパチスロ「THE BLUE HEARTS」のキャンペーンでも「100万円相当の純金の盾」が当たります!

今度は難しいゲームじゃなくて、「リンダリンダ」や「TRAIN-TRAIN」を始めとしたブルーハーツの名曲の数々の中から、あなたの好みとセンスで「7曲のメドレー」を作ってもらう‥‥というものです。そして、視聴回数の多いメドレーの中から3名に「100万円相当の純金の盾」が当たるのです。つまり、みんなが「おおっ!」と思うようなゴキゲンなメドレーを作った人ほど、当たる確率が高くなるのです。

それから、自分のオリジナルメドレーを作ると、閲覧後にランダムに「ブルハチャンス」が発生しますので、それにチャレンジして正解すると、キャンペーン応募画面へと進み、「5000円のオリジナルQUOカード」が当たる懸賞に応募できます。1人で何回でも応募できますので、どんどんチャレンジしてくださいね♪

このブログの右のサイドバーの、児島玲子ちゃんのCMの下にある「PLAY」と書かれてる黒いブログパーツのスタートボタンを押してください。そうすると、ヒロトがブログ上に飛び出して来て、キャンペーンの画面が表示されますので「参加する」をクリックしてください!
(音が出ても大丈夫な人は、最初に「sound」を「on」にしてから「スタート」をクリックしてください)


【キャンペーン日程】
シーズン1 9月14日~9月27日
シーズン2 10月1日~10月14日
シーズン3 10月18日~10月31日

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パンダの心意気

ブロントザウルスよりも首を長くして待ってたF1のイタリアGPの決勝戦だけど、観終わった今、あたしは、あまりの素晴らしさに全身がプルプルと小刻みに震えてる。録画しててこれから観る人も多いと思うので、内容はいっさい書かないけど、ただ、ヒトコトで言わせてもらえば、「ブラボー!モンツァ!」って感じだ。

今回のイタリアGPには、いろんな思いがあった。まずは、何よりも嬉しかったのが、マッサの頭の再手術が成功したことだ。事故後にブタペストで受けた手術は成功したけど、左のコメカミの辺りの頭蓋骨に穴が開いたままだったから、母国のサンパウロの病院で、そこに金属板を埋め込む手術を受けることになってた。それが、無事に成功して、マッサ本人は10月下旬の母国でのブラジルGPから復帰したいって言ってた。

でも、マッサに十分な休養をとってもらおうと考えたフェラーリチームは、ナナナナナント! マッサの代役として、フィジケラに白羽の矢を立てたのだ! F1の現役ドライバーの中では、ライコネンの次にイケメンのフィジケラが、フェラーリに乗る上に、それがモンツァからなのだ! つまり、イタリア人のフィジケラが、イタリアを代表するフェラーリに、イタリアのモンツァで乗るってことで、あまりにもイケてるハカライに、あたしも小さいきっこたちも小躍りしちゃった。もちろん、誰よりも喜んだのは、ずっとずっとフェラーリに憧れ続けて来たフィジケラ本人だ。

そして、この話を聞いたマッサは、すぐにフィジケラに電話して、「おめでとう!」って言ったんだよね。そしたら、フィジケラ、何て答えたと思う? 「少しだけマシンを借りるけど、君が帰って来られるようになった時には、すぐにマシンを返すからね。とにかく、安心して療養してくれよ」って言ったんだよね。ああ、10数年も憧れ続けてたフェラーリのマシンにやっと乗れることになったってのに、フィジケラ、何てカッコイイ男なんだろう。あたしは、胸がジーンとしちゃって、感動の涙がポロポロとこぼれちゃった今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、あたしは、これから録画を観る人たちのことを考えて、今日のイタリアGPの内容に関しては何も書かないようにしてるワケだけど、あたし的にはサイコーの結果になったので、書きたくてウズウズしてる。何と言っても、天才ロス・ブラウンを胴上げしたいし、マッサの手術の成功を祈ってヒゲを剃らなかったバリチェロが、キレイにヒゲを剃ってたこととか、最終ラップでのハミルトンのホニャララによってライコネンがハニャララしたこととか、書きたいことはいっぱいあるんだけど、ガマンしてる。

で、今日のイタリアGPのことは書かずに、その流れで書いてこうと思うんだけど、あたしは、とにかくフェラーリが大好きで、フェラーリこそが世界一の車だと思ってる。でも、これは、あくまでもF1の話であって、市販車のフェラーリにはまったく興味がない。だって、市販のフェラーリってカッコ悪いし、乗ってるヤツラがアホばかりだからだ。あたしが好きなのは、1.5リッターのターボから3.5リッターのレシプロに変わった時、1989年のベルガーとマンセルが乗ってた時の「640」がルーツで、そのあとの「641」「642」「643」の流れが大好きだ。あの、プロストやアレジも乗ってたマシンだ。そして、シューマッハ兄がフェラーリ入りするまでの「F92」や「F93」や「412」のシリーズも好きだ。マニアックに言わせてもらえば、最後の3.5リッター、1994年の「412T1B」がサイコーに好きだ。

だけど、あたしが、ホントにフェラーリのマシンをカッコイイと思うようになったのは、シューマッハ兄とバリチェロのコンビが乗るようになった2000年以降のマシン、「F1-2000」や「F2001」から「F2008」までで、特に好きなのが、「F2004」と2005年の「F2004M」だ。これを最後に、翌年の2006年からは、変態ウヨクのモズレー会長によって、2.4リッターなんていうヘナチョコマシンになっちゃったから、あたしのテンションはガクッと低くなった。それでも、外見だけはカッコ良かったから、まだフェラーリを好きでいたんだけど、今年から自民党並みに最低最悪になっちゃったから、もう、どうでもよくなった。

分かりやすく言うと、あたしが好きなのは、マシンの性能としては1994年の「412T1B」、見た目としては2004年の「F2004」てワケで、つまり、「F2004」に、「412T1B」のエンジン、「Tipo043」の3.5リッター、V12を積んでくれたら、言うことないってワケだ。だから、あたしは、愛用のママチャリに「フェラーリF2004」て名前をつけてるけど、あたしの脳内では、積んでるエンジンは「F2004」の「Tipo053」の3リッター、V10じゃなくて、「Tipo043」を積んでる気分でペダルを漕いでるってワケだ。

ま、そんなことはどうでもいいんだけど、とにかく、あたしがいいたいことは、フェラーリって、F1マシンは激しくカッコイイのに、市販車はヒザカックンされちゃうほどカッコ悪い上に、そうしたダサい市販のフェラーリに乗ってるヤツラが、死ぬほどカッコ悪いアホばかり‥‥ってことだ。何よりも、市販のフェラーリに乗ってるヤツラって、あまりにも運転がヘタクソで、見てるほうが恥ずかしくなって来る。朝の渋滞した上りの246をノッキングしながら走ってるフェラーリ、六本木の渋滞のど真ん中でエンストするフェラーリ、ガードレール沿いの路肩に停める時に寄せ過ぎてドアが開けられないフェラーリ、ファミレスの駐車場に入る時に後輪を縁石に乗り上げるフェラーリ‥‥って、どう考えても、シビックのオートマにでも乗り換えたほうが良さそうな感じの運転のヘタクソなヤツラばっかりだ。

‥‥そんなワケで、あたしは、フェラーリは大好きだけど、それは、サーキットを走ってるF1マシンが好きなだけで、国道は40キロから60キロ、高速道路でも80キロなんていう公道しかないニポンで、何千万円も払って、あんなモーターボートみたいなカッコのダサいフェラーリなんか乗ってるのは、ただのバカだと思ってる。もしも、あたしが、フェラーリの市販車を買えるほどの大金持ちだったとしても、間違ってもフェラーリは買わない。これは、前にも何度か書いたと思うけど、もしも、あたしに、車を買うために何百万円もの予算があったら、その予算で車は買わない。その予算の半分以下で車を買って、残りは改造費に充てる。

お金持ちって、どうして、ベンツだのBMWだのジャガーだのフェラーリだのって、バカのひとつ覚えみたいな車を買うんだろう? たとえば、あたしみたく改造とかに興味がなかったとしても、ベンツやフェラーリを買える予算があるのなら、ランチアだとかアストンマーチンだとか、もっとカッコイイ車がいっぱいあるのに、どうしてダサい車なんかにバカみたいなお金を払うんだろう? フェラーリと一緒で、ベンツだってBMWだって、カッコイイのはF1マシンだけで、市販車なんかダサダサなのに。

ま、それでも、トヨタのプリウスなんていうギョーザみたいなカッコのクソ車なんかを買うくらいなら、まだフェラーリやベンツのほうがマシだと思うけど、それでも、あたしから見れば、五十歩百歩だ。どっちもあまりにもダサすぎる。さらには、トヨタのセルシオだのクラウンだのを買うバカ。ホント、恥ずかしいと思う。トヨタのセルシオやクラウンて、欧米では「プア・メルセデス」、つまり、「貧乏人用のベンツ」って呼ばれてるんだよね。こんなに恥ずかしい車に乗るくらいなら、ママチャリにでも乗ってたほうが、よっぽどマシだしエコだと思う。つーか、何万人もの派遣労働者のクビを切ったクセに、F1には平然と参戦し続けてる上に、フェラーリチームの約500億円ていう年間の予算を遥かに超えた約600億円もの予算を使いまくってるトヨタみたいなファッキンな企業の車を買うなんて、普通の神経じゃ考えられない。

‥‥そんなワケで、あたしは、乗用車だとフィアットが好きなんだけど、フィアットと言えば、フェラーリの親会社だ。潰れそうだったフェラーリに愛の手を差し伸べて、傘下に入れてあげたのがフィアットってワケで、ガリバーで査定してもらったらキッパリと「0円」て言われちゃったフィアット・パンダに乗ってるあたしでも、この図式で見れば、何千万円もするフェラーリに乗ってるヤツよりも「上」ってことになる。それに、都内の公道でレースをしたら、確実にあたしのほうが速いんだから、車の性能的にも「上」ってことになる。でも、フィアットとフェラーリは親子なんだから、争うつもりはない。フィアットが民主党なら、その傘下のフェラーリはオムライス党ってワケで、ベンツやBMWやルノーを倒すために協力してかなきゃならないってワケだ。

そんな中、15日から27日まで開催される「第63回フランクフルトモーターショー」で、あまりにもツボな車がお目見えすることになった。その名も、「フィアット500アバルト695トリビュートフェラーリ」だ。「フィアット500」ってのは、ルパン三世が乗ってたことでもオナジミのちっちゃいフィアット、「チンクエチェント」で、そのルーツは「小ネズミ」って意味の「トッポリーノ」の愛称で親しまれて来た。今、50才以上の人なら、きっと「トッポジージョ」を連想したと思うけど、ニポンの軽自動車よりもちっちゃくて可愛い車だ。あたしも、ホントは、パンダよりもトッポリーノのほうが欲しかったんだけど、フルチューンのトッポリーノは200万円くらいして、その上、メンテナンスにもお金が掛かるって言われたから、その半分くらいの値段だったパンダにしたってワケだ。

で、今の「フィアット500」は、昔のチンクエチェントよりもグッと大きくなって、普通に街乗りができる車になったワケだけど、去年の夏のモーターショーで、「フィアット500アバルト」がお目見えした。「アバルト」ってのも、フェラーリと同じく、これまたフィアットに買収されて傘下に入った自動車メーカーで、激しいチューニングでワンダホーなマシンを作り続けて来たメーカーだ。昔のちっちゃい「フィアット500」にも、サソリのエンブレムのついたアバルトチューンのがあるけど、シビレちゃうほどカッコイイ。

そして、去年、この「フィアット500アバルト」のフェラーリ仕様が作られたのだ。だけど、これは、フェラーリがフィアットに発注して作らせたものだった。ヨーロッパ各国のフェラーリのディーラーが、お客さまの送迎用に用意した車で、市販はされなかったのだ。市販の「フィアット500」の最高級モデル、1.4リッター、16バルブの「スポルト」をアバルトがチューンしたモデルをベースにして、マニェッティ・マレッリ社が排気系のチューンをした上に、スカスカのデザインのアルミホイールの隙間から、ボディと同色のフェラーリの「スクーデリア・レッド」に塗装されたブレーキ・キャリパーが覗いてて、なかなかカッコ良かった。

Ff1そして、それから1年の月日が流れ、ついに、「フィアット500アバルト695トリビュートフェラーリ」が登場したってワケだ。この長い名前を見れば分かるように、「フィアット500」をベースにアバルトがチューンした「フィアット500アバルト」をさらにフェラーリ仕様にしたってワケで、ある意味、ギャグみたいな車だ。エクステリアがフェラーリ一色なのと同様に、インテリアもやる気マンマンで、アバルトの革貼りのバケットシートやステアリングなど、高級感だけじゃくて、性能的にもアップしてる。メーター類は、フェラーリとおんなじイエーガー製だし、アルミ製のペダルにはアバルトのサソリのマークがついてるし、要所要所に「スクーデリア・レッド」が配色されてる。

Ff2もちろん、何よりの「売り」がパフォーマンスで、足回りが強化してあるのは当然として、ブレーキはブレンボの大径タイプだし、フェラーリ風味の17インチのアルミホイールもなかなかだ。そして、1.4リッターのターボエンジンは、吸気と排気を中心にチューンされてて、ノーマルの135psから180psへと大幅にパワーアップされてる。そして、見た目もカッコイイ排気システムは、アバルトの「レコードモンツァ」なのだ。そう、今日のイタリアGPのサーキット、「モンツァのレコード」って名前の排気システムってワケで、この名前だけでもシビレちゃう。

‥‥そんなワケで、この「フィアット500アバルト695トリビュートフェラーリ」のベース車、「フィアット500アバルト」でさえも、ニポンで買うと300万円もする。車の大きさは軽自動車並みだし、エンジンも1.4リッターなんだけど、腐ってもアバルトってワケで、こんなにも高い。だから、この車をベースにして、さらにいじりまくってる「フィアット500アバルト695トリビュートフェラーリ」になると、最低でも100万円以上、ヘタしたら200万円以上は高くなるハズで、こんなにちっちゃい車なのに、500万円以上もしちゃいそうなイキオイだ。だから、逆立ちしたってあたしには買えないけど、こんなに強力なライバルが登場するなら、あたしも負けてられないから、前々から計画してた作戦をそろそろ実行に移す時なのかもしれない。ここらで査定が「0円」のパンダの心意気を見せて、エンジンをプントの1.2リッターのツインカムか、1.4リッターのターボに積み替えて、「NOS(ナイトラス・オキサイド・システム)」を組んで、ゼロヨンで13秒台を出せるようにしとけば、深夜の目黒通りの信号で「フィアット500アバルト695トリビュートフェラーリ」と並んでも、ちょっとやそっとじゃ負けないと思う今日この頃なのだ。


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2009.09.12

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ちょうどいい話

一文無しの旅から一転、ミゴトにサイコロで「6」を出して、5万円以上もの大金を手にした早希ちゃんは、高知市で一番高級な旅館、「城西館」の一泊2万円以上もするお部屋に泊り、前回よりも18秒も長い、1分23秒もの入浴シーンを披露してくれた。全国の早希ちゃんファンの皆さん、惣流アスカラングレーファンの皆さん、ハァハァしましたか?‥‥なんて、ショッパナから問いかけてみつつ、ロケみつつ、「四国一周ブログ旅」の今日のブログを読んでたら、早希ちゃんはレトルトカレーを買って来て食べたことを書いてて、その中に、こんな記述があった。


「私は甘口~中辛くらいがちょうど好きです」


最初は、このままサラッと読み流したんだけど、2~3行ほど先に進んでから、やっぱり気になって、この部分に戻って来ちゃった。だって、「私は甘口~中辛くらいが好きです」なら分かるけど、この「ちょうど」が分からなかったからだ。「甘口~中辛くらい」なんていう広い範囲じゃなくて、たとえば「中辛が好き」っていう狭い範囲の好みだったとしても、「私は中辛がちょうど好きです」って言うのはおかしい。この「ちょうど」を使うんだったら、「2倍」「4倍」「8倍」みたいに辛さのレベルが何段階もあるようなカレー専門店とかで、「私は辛さ2倍がちょうど好きです」って言うのなら、文法的には「?」だけど、何とかギリギリでニュアンスだけは伝わると思う。

つまり、この「ちょうど」って言葉は、「ある程度の範囲」に対してじゃなくて、できるだけピンポイントに対して使わないと、おかしな感じになっちゃうってワケだ。カレーの辛さにしても、食品の規格か何かで厳しく「甘口」「中辛」「辛口」の3段階に分かれてて、すべてのメーカーのカレールーやカレー専門店とかの辛さがみんなおんなじなら、「中辛」はどこで食べてもおんなじ辛さなワケで、「私は中辛がちょうど好きです」って言っても、ピンポイントだからおかしくない。だけど、実際には、「中辛」ほどアバウトなジャンルはないワケで、市販のカレールーの「中辛」だって、商品ごとに辛さが違うと思う今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、この「ちょうど」って言葉は、他にも、「ちょうど1時」とか、「ちょうど10個」とか、いろんな使い方をするけど、今回の早希ちゃんの表現とは別のパターンで、あたしが「?」って感じた例がある。ずいぶん前のことでキョーシュクなんだけど、フジテレビのCS放送の「フジテレビ721」で、「週刊少年カギカッコ」っていう番組があった。毎回、1人のマンガ家をゲストに呼んで、船越英一郎が崖の上‥‥じゃなくて、スタジオで「100の質問」をするって番組だった。で、この番組の2003年4月14日の回で、あたしの大好きな「ジョジョの奇妙な冒険」を描いてる荒木飛呂彦がゲストだった時に、「100の質問」の17問目の質問で、「現在、アシスタントは何人いるんですか?」って質問された荒木飛呂彦は、こう答えたのだ。


「ちょうど6人です」


あたしは、「えっ?」って思って、一瞬、自分の聞き間違いじゃないかと思ったんだけど、Vを巻き戻してみても、荒木飛呂彦は、やっぱり「ちょうど6人」て言ってたのだ。あたしは、どうしても理解できなくて、思わず、涙目のルカから、「いい友情関係ってのには、3つの坂が必要なんだなあ‥‥1つめは上り坂、2つめは下り坂、そして3つめはマサカ‥‥いいだろ?友情の3つの坂だ」なんてふうに説教されちゃったほど脳みそが「?」になった‥‥って、ジョジョ好きにしか分からないギャグも散りばめつつ、ゴゴゴゴゴゴゴ‥‥と先へ進む。

たとえば、「ちょうど4人いるから麻雀でもしない?」ってのは分かる。麻雀は4人でやるものだからだ。「ちょうど9人いるから草野球チームを作ろうぜ」ってのも分かる。野球は1チーム9人だからだ。でも、こうした「人数制限」がない場合には、人数に対して「ちょうど」を使うのなら、やっぱり「ちょうど10人」とか「ちょうど100人」とかが一般的で、これに準じるのが「ちょうど20人」とか「ちょうど50人」とかで、さらに準じるのが「ちょうど5人」とか「ちょうど15人」とかだと思う。だって、あたしたちが使ってるのは「十進法」だからだ。

「あずさ2号」にしたって、8時00分に発車するからこそ、「8時ちょうど」のあずさ2号で、私は私はあなたから旅立てるワケで、これが8時15分とかだったら「8時ちょうど」にはならないし、私は私はあなたから旅立ちそこなっちゃう。だけど、時間の場合でも、麻雀や野球の人数のように、最初から端数まで決まってれば、この「ちょうど」を使うことができる。たとえば、夜の8時15分から始まるテレビ番組を観たくて、急いで帰って来た人が、「よかった!8時15分ちょうどに帰ってこられた!」って言えば、これは成り立つ。他にも、「2時50分ちょうどに江頭2:50が登場した」って言うのもアリだ。だけど、こうした時間の設定がない限り、一般的に「ちょうど」を使う場合には、やっぱり「1時ちょうど」とか「2時ちょうど」とかが普通で、これに準じるのが「1時半ちょうど」とかだろう。決して、「1時15分ちょうど」とは言わないと思う。

‥‥そんなワケで、あたしたちが、ふだん、あんまり深く考えずに使ってる、この「ちょうど」って言葉は、カレーの辛さから人数から時間から、はたまた湯加減が「ちょうどいい」なんてのまで、いろんなものに使える意外と便利な言葉ってワケだ。そこで、遅まきながら辞書を見てみたら、4つの意味が書いてあった。


【丁度】(ちょうど)副詞

1.余分や不足なくぴったりと一致しているさま。ぴったり。きっちり。
「~体に合う」「定員~だ」「八時~に終了」

2.ある期待・予想にぴったりとあうさま。
「~よいところへ来てくれた」「~居合わせた」「~るすだった」「~旅行中だった」

3.まさに。たった今。
「兄は~出かけたところです」「~行こうとしたところだ」

4.まるで。あたかも。さながら。
「月は~鏡のように見えた」


これを見ると、1から3までは、ある意味、1つのジャンルと考えることもできる。だけど、4だけが、ちょっとニュアンスが違う。4番は、何かを何かに見立てるっていう「比喩」を強調するために使うパターンだ。この辞書の例文なら、「ちょうど」を使わないで「月は鏡のように見えた」って言っても意味は通じる。でも、例文のように「月はちょうど鏡のように見えた」って言うと、さらに「比喩」が強調されるってワケだ。実際の例をあげると、堀辰雄の短編、「雪の上の足跡」の中には、学生が「女の墓に夜ごとに訪れてくる老狐の話」をするシーンに、こんな一文が出て来る。


「なんでもその墓にひとりでに罅(ひび)が入って、ちょうど刀傷のように痛いたしく見えた、その傷のあたりをその狐が舐めてやっていたとかいう話でしたね。」


この「ちょうど」は、まさに4番の「ちょうど」だろう。他にも、おんなじ使い方をしてる例だと、黒島傳治(でんじ)の「入営前後」っていう、自身が昭和初期に徴兵を受けて軍隊に入れさせられた時のことを回想してる短編の中にも、こんな描写が出て来る。


「丁度、雪が積もっているように白い白鷺城を見上げながら、連隊の前の道を歩いた。」


また、「軍隊特有な新しい言葉」の説明の中で、「からさせ」が「云わなくても分っているというような意」、「まんさす」が「二年兵」、「つる」が「いじめること」などと並んで、当時の残酷な訓練の1つ、「太鼓演習」の説明として、こんな描写もある。


「兵卒を二人向いあって立たせ、お互いに両手で相手の頬を、丁度太鼓を叩くように殴り合いをさせること。」


これらの「ちょうど」や「丁度」は、どれも辞書の4番の使い方だ。「ちょうど」がなくても意味は通じるけど、ここに「ちょうど」を置いたことによって、山椒をふりかけた鰻重のように、その「比喩」がピリリと引き締まってる。特に、2回も「比喩」を強調させるための「丁度」を使ってる黒島傳治の「入営前後」は、この「ちょうど」って言葉を説明するには、ちょうどいい(笑)‥‥なんてことも言ってみつつも、実は、この「入営前後」は、次のヒトコトから始まってるのだ。


「丁度九年になる。」


おいおいおいおいおーーーーい! 「丁度十年」なら分かるけど、何なんだ? この「丁度九年」てのは? これじゃあ荒木飛呂彦の「ちょうど6人です」と一緒じゃん!‥‥ってことで、あたしは、またまた登場した涙目のルカから、「いい友情関係ってのには、3つの袋が必要なんだなあ‥‥1つめは給料袋、2つめは堪忍袋、そして3つめはオフクロ‥‥いいだろ?友情の3つの袋だ」なんてふうに説教されちゃったけど、今度は脳みそは「?」にならなかった。ナゼなら、そのあとを読んで納得できたからだ。


「丁度九年になる。九年前の今晩のことだ。その時から、私はいくらか近眼だった。徴兵検査を受ける際、私は眼鏡をかけて行った。それが却って悪かった。私は、徴兵医官に睨まれてしまった。」


そう、この「丁度」は、「九年」じゃなくて、「九年前の今晩」に掛かってたのだ。これなら、365日のうちの1日っていう激しくピンポイントな「ちょうど」なんだから、9年前だろうと14年前だろうと37年前だろうと、ちゃんと成り立つ。つまり、この「入営前後」って短編は、辞書の1番の「ちょうど」と4番の「ちょうど」を両方とも使ってるってワケで、おんなじ人が書いた1つの回想録の中に両方の「ちょうど」が使われてるってことは、同時代に両方の意味で使われてたってことになる。

‥‥そんなワケで、何でもルーツにあたらないと気が済まないあたしとしては、愛用の旺文社の「古語辞典」で「ちょうど」を引いてみた。そしたら、こんなふうに書いてあった。


【丁度】(ちやうど)副詞

1.たっぷり

2.ほどよく

3.まさしく、あたかも、さながら


これを見ると、2番の「ほどよく」が、現代の辞書の1番に近い感じだし、3番の「まさしく、あたかも、さながら」が現代の辞書の4番とほぼ一緒だけど、1番の「たっぷり」ってのは、今の使い方にはないパターンだと思った。現代の辞書の1番には「余分や不足なくぴったりと一致しているさま」って書いてあるけど、こっちの1番の「たっぷり」は、「必要な量よりも多く」ってイメージだから、完全に「余分がある」ってことになるからだ。でも、これを「コップにお水を注いでるとこ」だと仮定すれば、普通にお水を飲む場合なら「7分目」くらいしか注がないと思うけど、「たっぷり」って言われると、お水があふれるギリギリまで注ぐイメージになるから、そう考えれば、コップの容量に対しては「ちょうど」ってことになる。

それで、実際に、これらの「たっぷり」や「ほどよく」などの意味で「ちょうど」が使われてる例を紹介したいんだけど、相手は古語だから、古語を使ってる媒体ってことで、「狂言」のセリフから紹介しようと思う。まずは、1番の「たっぷり」って意味で使われてる例だけど、これは「悪太郎」に出て来る。もちろん、「悪太郎」って言っても、遥か昔のジャイアンツのピッチャーのことじゃなくて、狂言の演目だ。中川昭一並みに大酒飲みで酒癖の悪い悪太郎って男が、泥酔して道端で寝てるうちに、悪太郎のことを改心させようと思った伯父さんに髪を剃られてお坊さんにさせられちゃうってストーリーだ。それで、この「悪太郎」の冒頭の部分に、こんなセリフがある。


「とても飲むなら丁度飲みやがれ」


この「とても」は、今の「とても」と違って、「どうせ」って意味だ。つまり、「どうら飲むならたっぷりと飲みやがれ」って意味になる。この「ちょうど」の使い方は、現代のどの使い方とも違って、まさしく古語辞典の1番の使い方だ。そして、2番の「ほどよく」って意味で使われてる例だと、「猿座頭(さるざとう)」がある。勝新太郎でオナジミの「座頭市」で分かるように、「座頭」ってのは盲目のことで、これは猿と座頭が登場する名作だ。スーパーハショッて説明すると、盲目のダンナと奥さんが、京都は東山にお花見に行く。盲目なのにお花見に行くってとこが、ニポンならでは風情で、あたしは大好きだ。以前、盲目のおじいちゃんの手を引いて、梅を見に来てたおばあちゃんと出会った話を書いたことがあるけど、とってもステキなことだと思う。

で、ここから先が吉本新喜劇みたくなっちゃうんだけど、この奥さんはなかなかの美人で、2人で仲良くお花見をしながらお酒を飲んでると、そこへやって来た猿回しの色男が、その奥さんに目をつけて、誘惑を始めちゃう。ダンナが盲目だからって、猿回しの色男はやりたい放題だ。奥さんもその気になっちゃって、チョコチョコとダンナのとこを離れて、その色男のとこへ行っちゃう。それで、あまりにも何度も奥さんが席を立つもんだから、心配になったダンナは、長い腰ヒモの片方を自分に結び、もう片方を奥さんに結んだのだ。そして、そんなこととは知らずに、また奥さんがコッソリと色男のとこへ行くと、自分に腰ヒモが結ばれてることに気づく。それで、色男は、奥さんに結ばれてた腰ヒモを解いて、代わりに自分の連れてた猿を結んじゃう。そして、なかなか奥さんが戻って来なくて、心配したダンナが腰ヒモをたぐり寄せると、戻って来たのは奥さんじゃなくて猿だった! ウッキッキー!‥‥ってストーリーだ。

あたしのフランク・ザッパなアラスジじゃ伝わらないと思うけど、この「猿座頭」は素晴らしい名作なのに、主人公が盲目って理由で、今の悪しき風潮の被害に遭って、メッタに上演されない演目なのだ。2007年2月9日の日記、「差別用語もTPO」と、2月10日の日記、「続・差別用語もTPO」で、あたしは、歌舞伎や浄瑠璃の演目として有名な「箱根霊験躄仇討(はこねれいげんいざりのあだうち)」について書いた。こんなに素晴らしい仇討の名作が、主人公が「いざり」だって理由だけで、メッタに上演されないし、上演されるとしても「いざり」って言葉を使わないように、タイトルもセリフも変えられちゃってる。あたしからすると、表面上の言葉だけにピリピリと神経質になり、こうした素晴らしいニポンの文化が次々と消えてくことのほうが、遥かに「差別」だと思うんだけど、それについては「差別用語もTPO」と「続・差別用語もTPO」でちょうど書いてるから、ここでは繰り返さない。ちなみに、この「ちょうど」は、「たっぷり」って意味だ(笑)‥‥ってことで、話をクルリンパと戻して、この「猿座頭」に出て来るセリフだけど、最初にお花見をしながらお酒を飲んでるシーンに、こんなやりとりがある。


「さらば飲まう。注っがしませ。これこれ一つありさうな。」

「丁度ござる」


この「さらば」は「しからば」、「それなら」って意味で‥‥って、1つ1つ説明する必要はないか。ま、中学の時にちゃんと古文の授業を聞いてなくても、ナニゲに雰囲気は伝わると思うけど、「それなら飲みましょう。まずはお注ぎしますので、ささ、おひとつどうぞ」って感じだ。そして、注がれてるほうが答えてる「丁度ござる」は、「おっとっとっと」とはリトル違うけど、「ほどよい量になりました」って意味で、古語辞典の2番の意味の「ちょうど」なのだ。つまり、おんなじお酒でも、「泥酔するまで飲め!」って場合の「ちょうど」は1番の「たっぷり」って意味で、サカズキに注いでる時の「ほどほどに」的な場合の「ちょうど」は2番の「ほどよく」って意味になるってワケだ。

そして、3番の「まさしく、あたかも、さながら」って意味で「ちょうど」を使ってるのは、「布施無経」っていう狂言だ。これは、演じる流派によっては「無布施経」とも書くんだけど、読みはどっちも「ふせないきょう」で、これも「猿座頭」みたいな楽しいお話だ。お坊さんが檀家へお経をあげに行ったんだけど、お布施をもらわずに帰って来ちゃった。それで、途中で気づいたお坊さんは、お布施をもらいに戻りたいんだけど、自分のほうから「お布施をもらい忘れてました」なんて言うのはバツが悪い。それで、どうしたものかと考えた末に、檀家のとこに袈裟(けさ)を忘れて来たことにしちゃおうって思いついたのだ。「すみません。袈裟を忘れてしまって‥‥」なんて言いながら戻れば、バツも悪くないし、檀家さんもお布施のことを思い出すだろう‥‥って作戦だ。

それで、お坊さんは、自分の掛けてた袈裟を外して、フトコロに仕舞ってから、檀家さんのとこへ戻った。そして、「袈裟を忘れてしまいまして‥‥」なんて言ったら、檀家さんのほうも「すみません!先ほどはウッカリとお布施をお渡しするのを忘れてました!」なんて言い出すもんだから、お坊さんはホッとした。それなのに、檀家さんが用意してたお布施をお坊さんのフトコロへ入れたら、その拍子に、仕舞ってた袈裟がパラリと床に落ちちゃって、お坊さんは、まあバツの悪いこと悪いこと‥‥ってストーリーだ。こうしてアラスジとオチを聞くと、狂言て落語みたいなもんでしょ? だから、狂言にしても歌舞伎にしても浄瑠璃にしても、こうした面白い演目もあれば、人情話もあれば、幽霊モノもあれば‥‥って感じで、ほとんど落語の世界と一緒なんだよね。で、またまた話をクルリンパと戻して、カンジンの「ちょうど」に関してだけど、この「布施無経」の中には、こんなセリフが出て来るのだ。


「丁度貧僧のかさね斎(どき)」


「貧僧のかさね斎」ってのは、貧乏なお坊さんが、おんなじ日に2ヶ所から法事で呼ばれたために、結局、片方にしか行けずに、片方の食事しかゴチソウになれなかったって意味のコトワザだ。どっちかが1日でもズレてたら、もう一食、食べることができたのに‥‥ってワケで、「ラッキーな中にもアンラッキーがある」ってニュアンスだ。つまり、このセリフは、「無事にお布施はもらえたけど、袈裟を忘れたって理由がウソだとバレて恥をかいてしまった」って状況に対して、「まるで、貧僧のかさね斎のようだ」って言ってるワケだ。だから、この場合の「ちょうど」は、古語辞典の3番の「まさしく、あたかも、さながら」って意味になる。

‥‥そんなワケで、現代でもいろんなふうに使われてる「ちょうど」って言葉だけど、江戸時代ころまでは、こんなふうに、さらに別の意味でも使われてたワケで、改めてニポン語の奥深さにビックル一気飲みだ。だけど、現代でも、辞書にも載ってない新しい意味でも使われ始めてるみたいで、こないだ、深夜のテレビの通販番組をナニゲに観てたら、ある商品の値段を言う時に、「19800円ジャストです!」って叫んでた。この「ジャスト」は、どう考えても「ちょうど」って意味で使ってると思うんだけど、それなら、「19800円」のいったいどこが「ちょうど」なんだよ? 「1万円ジャスト」とか「10万円ジャスト」なら分かるけど、インターネットの通販を見ても、「19800円ジャスト!」とか「ジャストプライス9800円!」とかって言葉が並んでるけど、ぜんぜん「ジャスト」でも「ちょうど」でもないじゃん。でも、こうしたトンチンカンが増殖してくと、「氷雨」が「冷たい雨」のことになっちゃうみたいに、また1つ、伝統あるニポン語がおかしなことになってくような気がしちゃう。ま、ちょうど6匹いる猫たちにご飯をあげる時間だから、今回はこの辺にしとこうと思う今日この頃なのだ(笑)


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ラスト3日です!

映像の美しさに定評のある「iiyama」の液晶ワイドディスプレイの「期間限定大特価セール」も、14日までなので、いよいよラスト3日になりました!


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購入者のレビューがたくさんありますので、参考にしてくださいね♪

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自民のネガティブキャンペーンは逆効果だった

「自民のネガティブキャンペーンは逆効果だった」(世田谷通信)

今回の衆院選では、敵にエールを送りながら自分たちの主張を繰り返した民主党と、徹底的に民主党を批判し続けた自民党と、その選挙運動のスタイルがまったく違ったが、メディア研究者らが組織している「間(かん)メディア社会研究会」(主査=遠藤薫・学習院大教授)が調査したところ、今回の自民党による批判CM等を見た有権者の約6割が「自民党に対して悪い印象を持った」と回答していることが分かった。自民党は演説でも民主党に対する批判に終始し、麻生太郎総裁に至っては下品な言葉で誹謗中傷を繰り返し続けた。また自民党は数十億円もの予算を使い、民主党を批判するアニメCMを制作してホームページの更新が禁止されている選挙期間に入っても次々と公開し続けたり、選挙戦終盤には何種類もの悪質な中傷ビラを作り、自民党の工作員や支援者らに無差別にポスティングさせたため、インターネット上でも「悪質すぎる」という声が上がっていた。今回の調査をした「間メディア社会研究会」の主査、遠藤薫教授は、今回の自民党の選挙運動を「日本で初めての本格的なネガティブキャンペーン」と指摘し、完全に逆効果になってしまった結果に対しては「有権者は良識を持って行動した」と分析している。自民党の制作した中傷アニメに関しては、8月末の時点で、米国のロイター通信が「日本でもとうとうネガティブキャンペーンが始まった」ということを報じており「与党の自民党はラーメンを題材にしたネガティブなアニメCMを制作して批判を繰り返しているが、野党の民主党は自民党の酷いネガティブ攻撃をうまくかわし『日本は変わるべきだ』という主張を繰り返す王道で戦っている」と紹介していた。今回の調査結果を見ると、アメリカでは当たり前のネガティブキャンペーンも日本人の国民性にはなじまず、何十万枚もポスティングした中傷ビラの多くは自民党の票を減らす効果しかなかったということになる。(2009年9月12日)


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2009.09.11

モニターきっこ、只今見参!

突然だけど、絢香の「Jewelry day」のPVって、1番は絢香が誰もいないホールのステージの上で歌ってて、2番になると絢香がバスに乗って出掛けてくシーンに変わるんだけど、ちょうどそこの2番の歌い出しが、「遠い~街まで~出掛けたバ~スで~♪」ってなってる。だから、あたしは、この歌詞に合わせて、PVのほうもわざわざ絢香がバスに乗って出掛けてくシーンを撮影して織り込んだのかと思ってた。だけど、ゆうべ、地元のお友達と地元のカラオケに行って、初めてこの「Jewelry day」を歌ってみたら、1番が終わり、2番が始まったとこで、ナナナナナント! 画面にこんな歌詞が流れたのだ!


「遠い街まで出掛けたBirthday」


オーマイガー!‥‥ってワケで、ずっと「バ~スで~」だと思ってた部分が、実は「Birthday」だっただなんて、あまりにもビックル一気飲みで、あたしゃ思わず水嶋ヒロと電撃入籍しちゃいそうになっちゃったよ。とにかく、「Birthday」の部分を何年間も「バスで」だと思い込んでたあたしは、あまりのショックに打ちひしがれて、空缶を蹴りながらトボトボと帰って来たら、何かの小包が届いてた。

それで、「何だろう?」って思ってオープン・ザ・小包をしてみたら、早くも本日2度目のナナナナナント! モニターの募集に申し込んでたデニムのパンツが当たって、送られて来てたのだ! この瞬間、あたしのテンションは、マイナス80からプラス80へとジャンプアップして、盆と正月とクリスマスとバースデーが、バスに乗って一緒にやって来たような気持ちになった今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、あたしは、さっそく、「Right-on」の「BACK NUMBER」って新ブランドの製品、業界でウワサの「NEW SHINY DENIM」を広げてみた。これは、特殊なコーティングを施したデニムで、その名の通り、「ツヤ」のあるデニムパンツなのだ。あたしは、まだ写真でしか見たことがなかったんだけど、実物を見てみると、あまりにもワンダホーな光沢で、何よりも手触りがサイコー! まるで、プールから上がったばかりのオットセイの背中を触ってるみたいだ。触ったことないけど(笑)

ようするに、ビロードみたいな感じで、とにかくツヤツヤだ。その上、触った感じだけじゃなくて、生地自体がなめらかに作られてるから、はき心地もすごくいい。同封されてた説明文には、「一番のこだわりは、世界中にデニム素材を供給するトルコのISKO社が独自の工程を経て開発した、光沢感と柔軟性が特徴の“プレミアム コーティング フィニッシュ デニム”の素材を使用していることです」って書いてあった。「期間限定」とか「プレミアム」とかって言葉に弱いあたしとしては、市販のデニムパンツなのに、あたしのためだけに特注されたっぽい気分がハイオク満タンだ。





そちなみに、ISKO社って、トルコに飛んでイスタンブールに本社を構えるデニムのトップメーカーで、G社、D社、L社を始めとしたヨーロッパの高級ブランドにも生地を提供してるとこだ。海外のセレブたちが好んではいてる1本2万5000円だの3万円だのっていうデニムのパンツとかって、みんなこのISKO社の生地を使ってるんだよね。だから、生地が高級なのは言うまでもないけど、それだけじゃなくて、この「NEW SHINY DENIM」は、随所にコダワリがマウンテンだ。まず、すべてのステッチが目立たないように黒っぽい色の糸を使ってるし、ボタンも同色のカラーボタンを採用してる。そして、後ろのパッチも、黒の牛革で小ぶりのシックなものを使ってる。そのため、全体的に高級感が漂ってて、パッと見、デニムのパンツには見えない。いつものことながら、画像が粗くて申し訳ないんだけど、一応、ケータイで写メしてみたから、少し並べてみる。



で、実際にはいてみたら、ほど良いライズ加減で、スキニータイプのタイトなシルエットなので、ものすごくカッコイイしオシャレ度が高かった。特に、ヒップからモモにかけてのラインがなかなかイイ。そして、スキニータイプのデザインなのに、やわらかくて肌触りのいい生地のオカゲで、とっても動きやすい。楽勝でヒンズースクワットが30回くらいできちゃうほどだ。だから、シルエット重視の女の子だけじゃなくて、これまで「細身のジーパンはちょっと‥‥」って遠ざけて来た女の子にこそ、ぜひ、はいて欲しいと思う。

細かいことを言うと、脚を曲げた時にできるシワが細かいのだ‥‥って、ホントに「細かいこと」になっちゃったけど、デニムのパンツって、普通は生地がゴワゴワしてるから、シワも大きくてゴワゴワした感じになる。だけど、この「NEW SHINY DENIM」の場合は、しなやかでなめらかな生地だから、脚を曲げても細かいシワができるだけで、タイトなシルエットが崩れない。これをはけば、ナニゲに、「キャッツアイ」の3姉妹にも混ぜてもらえそうな気がして来た。

マトメとしては、あたしが送っていただいたレディースは、セクシーでエレガントな感じなんだけど、メンズのほうは、グッとワイルドな感じになってる。それも、普通のデニムのパンツが持つカジュアルなワイルドさとは違って、すごく質のいいラム革のパンツをはいてるみたいな、高級感あふれるフォーマルなワイルドさなのだ。だから、レディースとは、ずいぶん違った印象に仕上がってる。女の子でも、PUFFYの亜美ちゃんや由美ちゃんみたいにラフな感じにはきたい人は、あえてメンズを選んでみるのもアリエールだと思う。

一応はモニターなので、最後に少しだけ説明させてもらうと、この「NEW SHINY DENIM」は、生地も見た目も仕上がりもはき心地もチョー高級で、どう見ても2万円以上の商品に見えちゃうのに、「ワンウォッシュ」と「濃色加工」が8900円、ブラック、ベージュ、ブラウン、パーブルの4色から選べる「カラー」が7900円ていう驚きのお値段だ。サイズは26~31インチまで揃ってるけど、「9月上旬から順次発売」だそうだから、まだ発売されてないカラーもあると思う。それから、9月末までに購入すると、プレミアムバージョンの「ウォレットチェーン」や「コードブレス」が抽選で当たるキャンペーンもやっちゃってる。

‥‥そんなワケで、文章で説明するよりは、実際にモデルさんがはいてる写真を見てもらったほうが分かりやすいので、最後に「BACK NUMBER 」のオフシャルサイトをリンクしとくから、ぜひ覗いてみて欲しい。ちなみに、レディースのモデルさんは、ViViのモデルとしてもオナジミのスタイルバツグンの長谷川潤ちゃんで、メンズのモデルは、水嶋ヒロくんだ‥‥ってことで、ココで最初のマクラの部分の意味不明なフリがちゃんと着地するんだよね‥‥って感じの今日この頃なのだ♪


「BACK NUMBER」
http://backnumber.com/index.html


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2009.09.10

森田知事の会見に批判が集中

「森田知事の会見に批判が集中」(世田谷通信)

千葉県の森田健作知事(本名・鈴木栄治、59)は、8日、千葉県の全庁で約30億円に上る不正経理が見つかり、そのうちの約1億1000万円が使途不明金だった問題について「本当に申し訳ありません」と陳謝した。また会見が進むと「ふざけるな!何を考えているのか!」と語気を荒げて激怒するパフォーマンスも披露した。しかし森田氏本人も自民党の支部長でありながら「完全無所属」を謳って有権者を騙して当選した上に、自民党の看板で集めた1億5000万円以上の企業献金を自身の政治資金管理団体へと迂回させていた疑惑で市民団体から刑事告発されている身でありながら、まったく説明がなされていない。また暴力団員の名刺を使いビル建設工事の関連業者らを恐喝したとして先日逮捕された自民党千葉市議団の議長、小梛(おなぎ)輝信容疑者(66)が、千葉知事選の時に森田氏を強力に支援していたという黒い噂についても、森田氏側からはまったく説明がなされていない。こうした状況から、今回の会見の様子をテレビで見た千葉県の有権者からは「まずは自分自身の件について謝罪するのが先だろう」「自分のことを棚に上げてよく言えたものだ」などと厳しい批判が相次いでいる。(2009年9月10日)


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新政権誕生おめでとう♪

今日9日、民主党、オムライス党、国民新党の3党が、政策協議で合意して、3党連立による鳩山由紀夫内閣の発足が決定した。あたし的にも、オムライス的にも、「合意した」ってよりは「妥協した」って感じだけど、ま、この辺のことは、分かる人は分かってるからジンジャエールだろう。みずほたんもギリギリまで沖縄の人たちの民意を代表してがんばってくれたんだし、鳩ポッポも「沖縄県民の負担軽減の観点から、日米地位協定の改定を提起し、米軍再編や在日米軍基地のあり方についても見直しの方向で望む」っていう「限りなく透明に近いブルー」‥‥じゃなくて、「限りなく民主党のマニフェストに近いグレー」な結果になっちゃったけど、それでも、この点に釘を刺したことは、これまでの「何から何までアメリカ様の言いなり」だったヘタレな自民党政権よりは、百万歩も前進したことになる。

それに、ここでオムライス党が民意を強調し過ぎて閣外協力の道なんかを選択しちゃったら、「スジは通ってるのに融通が利かない共産党」とおんなじことになっちゃう。だから、先のこと、国民のことを考えれば、この「徹底的にアピールして、その意志の強さを印象づけといて、ギリギリのとこで妥協する」って作戦は、今現在、考えられうる中で、最善の選択だったと思う。とにかく、これで、今まで半世紀も続いて来た「国民不在の政治」が終わり、ようやく「国民のための政治」の第一歩を踏み出すことができたんだから、まずは、全国の皆さん、おめでとうございま~す♪

それにしても、あたしが呆れ返ったのは、民主党支持者の中にも、アホがいっぱいいたことだ。今回のオムライス党の当然の主張に対して、反省の「ハ」の字もない自民党の残党どもがあーだこーだと難癖つけてるぶんには、所詮は「負け犬の遠吠え」なんだから気にもならないんだけど、民主党を支持してる人たち、政権交代を望んでた人たちの中にも、オムライス党の今回の当然の主張を「ゴネてる」って見たアホどもがいたことには、あたしのセクシーなおへそがローズヒップティーを沸かしちゃった今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、今回の衆院選では、全国津々浦々のほとんどの地域で自民党とナンミョ~党が惨敗したけど、これは選挙の結果、ようするに「民意」だ。そして、沖縄でも、1区では国民新党の下地幹郎さんが勝ち、2区ではオムライス党の照屋寛徳さんが勝ち、3区では民主党の玉城デニーさんが勝ち、4区では民主党の瑞慶覧長敏さんが勝ち、自民党は全敗した。つまり、これも「民意」ってことだ。で、今回、オムライス党のみずほたんががんばって主張してた「沖縄の基地問題」について、沖縄の人たちが選択した4人の当選者のスタンスをご紹介しよう。

まず、沖縄1区で当選した国民新党の下地幹郎さんだけど、この人は、在沖米軍基地による沖縄の人たちの負担を軽減するための政治団体「そうぞう」の代表をつとめてる。沖縄における米軍施設や軍用地の返還、米兵の削減を始めとして、全体的な視野からの「基地の縮小」を訴え続けて来た。当然、「日米地位協定の見直し」も訴えて来たし、「米軍基地を返還して沖縄は自立した経済を」っていう極めて前向きな提言を続けてる。

そして、沖縄2区で当選したオムライス党の照屋寛徳さんは、今さら説明の必要もないだろう。戦争には絶対反対の平和主義者で、これまでも、コイズミがインペイし続けて来たイラクで死亡した自衛隊員の問題などを国会で追及して来たプリティーなオジサンだ。当然、沖縄の基地に対しては「完全返還」を訴え続けて来た。

沖縄3区で当選した民主党の玉城デニーさんは、「平和な暮らしは人権!」て主張をマニフェストに掲げて、「在日・在沖米軍基地の国外移転を提案し、負担軽減を進めます」「不平等な日米地位協定の抜本的見直しに取り組みます」ってことを謳ってる。そして、沖縄4区で当選した民主党の瑞慶覧長敏さんは、自身のブログの中で、こんなことを書いてる。


2009/4/11(土)
グリーンEU議員と辺野古・普天間基地・ヘリパッド基地建設予定地の視察をチョービン通訳で行ないました。
グリーン氏は辺野古の海の美しさに感動しており、次期衆議院議員選挙で政権交代がおきれば、この美しい海も守られるのではないですか、と感想を述べていました。
世界に誇れる美しい海を守るためにがんばっていきましょう!
http://chobinz.ti-da.net/d2009-04-14.html


瑞慶覧チョービンさんは、元英語教師という語学力を使って、辺野古の海や高江の森を守るために、海外にも働きかけて来たのだ。つまり、沖縄の人たちが選んだ4人の衆議院議員は、全員、沖縄の米軍基地には「反対」の姿勢であり、普天間飛行場の辺野古への移設にも、高江のヘリパット増設にも「反対」してるワケだ。そして、こうした主張をしてる候補者たちが当選し、基地の移設や増設を推進して来た自民党の候補者たちがすべて落選したってことは、これが沖縄の「民意」ってことなのだ! なのだったらなのなのだ!

‥‥そんなワケで、沖縄で当選した4人の議員のうち、2人は民主党の議員であり、その2人も「米軍基地の縮小や国外移転」や「辺野古への移設反対」や「日米地位協定の見直し」を訴え続けてるってのに、その訴えを主張したオムライス党のみずほたんが、民主党の支持者から「ゴネてる」なんて言われたんだから、あたしは呆れ返った。みずほたんは、オムライス党1人、国民新党1人、そして、民主党2人っていう、4人の議員の代表として主張してたんだし、この4人の議員の後ろには、それぞれ何万人という沖縄の人たちの「民意」があるのだ。

民主党が、在日米軍基地の増設に「賛成」してて、沖縄の民主党候補者2人も「賛成」して当選したのなら、みずほたんの主張は「ゴネてる」って言われても仕方ない。だけど、沖縄の基地の問題に限らず、日米同盟そのものに対して、民主党も根っこの部分ではオムライス党とおんなじ主張をしてるのだ。ただ、民主党の場合は、これからの新政権の主軸を成すワケだから、これまでの自公政権が見捨てて来た「国民生活」だけにスポットをあてるワケには行かない。アメリカとの関係も大事だし、アジアの国々との関係も大事だし、他にもいろんな面に平均的に気を配ってかなきゃなんない。

だからこそ、鳩ポッポは、こうした民主党内の議員からの声を聞いていながらも、沖縄の人たちの声を聞いていながらも、一応、表向きとしては、あんまり過激な表現はしないように気配りして、マニフェストには「日本外交の基盤として緊密で対等な日米同盟関係をつくるため、主体的な外交戦略を構築した上で、米国と役割を分担しながら日本の責任を積極的に果たす」っていう中和剤的な前提で目くらましした上で、最後にオマケみたいに「日米地位協定の改定を提起し、米軍再編や在日米軍基地のあり方についても見直しの方向で臨む」なんて文言をコッソリと付け足してたワケだ。

一方、オムライス党としては、あくまでも「国民の代表」だから、沖縄県議会が「沖縄の人たちの民意」として持って来た「普天間基地の移設計画を白紙撤回して欲しい」っていう訴えを代弁したのだ。そして、その「民意」は、沖縄の民主党議員の主張でもある。それなのに、みずほたんのこうした「党派を超えた当然の主張」に対して、ボロ負けした自民党の低能工作員どもが「負け犬の遠吠え」をするのなら分かるけど、民主党の支持者や政権交代を望んでた人たちまでもが文句を言うなんて、これまで自民党を支持して来たオッペケペーどもと五十歩百歩の低レベルだ。

平和を目指すオムライス党は、自公政権がメチャクチャにした国民の生活を再建するための10ヶ条を掲げたけど、その中の「平和・人権 平和憲法を世界へ」では、次のように前置きしてる。


「軍事ブロック間の対立と均衡の20世紀は終わりました。21世紀をテロと暴力が連鎖する混沌の世紀とするのか、国際社会の信頼と協調に基づく新しい集団安全保障体制の構築に向かわせるのかは、私たちの選択にかかっています。北東アジアにはいまだ冷戦構造が残り不安定な面が存在しますが、軍事的対抗を強め緊張を高めあうことはなんの解決にもなりません。米国に追従し軍事面の関係を強化するのではなく、アジアの国々との信頼醸成の努力をかさね地域の安全保障環境を改善するこそが必要です。社民党は、国家間の軍事力の均衡を中心に考える旧来の安全保障の発想を転換し、社会開発、人権擁護、環境保全などに軸足を置いた「人間の安全保障」の理念を重視していくべきと考えています。ヒロシマ・ナガサキ、オキナワの悲惨な体験を持ち、世界に誇る平和憲法を持つ日本こそ、平和な世界へのリーダーシップを発揮すべきなのです。」


そして、「北朝鮮に核保有を断念させ、戦後処理問題の解決に取り組みます」っていう主張と並行して、日米間の問題に関しては、「日米同盟の強化に反対し、多国間の安全保障システムを構築します」ってハッキリと主張して、次の項目を掲げてる。


一、米国に在日米軍再編についての再協議を求め、沖縄などの米軍基地の縮小・撤去をすすめます。普天間基地の閉鎖・返還を求め、辺野古への新基地建設など、基地機能の強化に反対します。「グアム移転協定」の廃棄を要求します。

一、日米地位協定の全面改正を求めます。在日米軍の駐留経費の負担について定めた特別協定を廃止し、本来負担する必要がない「思いやり予算」を段階的に削減します。

一、日米安保条約の軍事同盟の側面を弱めながら、将来的に経済や文化面での協力を中心にした平和友好条約への転換をめざします。

一、アジア・太平洋の多国間安全保障対話を推進させます。6ヵ国協議の枠組みを発展させ、北東アジア非核地帯と地域安全保障機構の創設をめざします。

一、横須賀への原子力空母配備に反対します。


これらは、自民党の今までの「ナンでもカンでもアメリカ様のおっしゃる通りにいたします。国民のことなど二の次でございます」っていう敗戦国の政治とは正反対で、すべて、あたしたち国民のことを第一に考えたマニフェストだ。

ま、民主党内からも在日米軍基地の縮小や海外移転の声が出てて、鳩ポッポ自身も「対等な日米関係」を求めていながらも、長年、自民党が構築して来た「日米の主従関係」っていう負の遺産のオカゲで、こうした外交的な部分に関しては、奥歯にモノがはさまったみたいなマニフェストしか掲げられなかった民主党だけど、それはそれでジンジャエールだ。そして、今回の3党による政策協議に関しても、今の民主党は、初めて路上に出た教習所の仮免ドライバーみたいにビクビクしながら運転してるとこなんだから、どんなに正論だって分かってても、オムライス党の主張をオイソレとは受け入れられない状況だってのもよく分かる。

だからこそ、オムライス党は折れたワケだし、さらに言えば、鳩ポッポがオバマと会う時のための手土産として妥協してやったってワケだ。だけど、オムライス党としても、スジを通して力を失う共産党スタイルなんかマネしても何の得もないから、ここで恩を売っときながら、とりあえずは第一歩を踏み出すことを優先したってワケだ。だから、形としてはオムライス党が折れた形だけど、結果的には双方にそれぞれメリットがあったってワケだ。

‥‥そんなわけで、沖縄に行ったことがある人なら、見たことがあるかもしれないけど、沖縄の基地の周りには、まるでリゾート地の高級別荘かと見間違えるような真っ白の豪邸が並んでる場所がアチコチにある。これらは、すべて、年間2000億円を超える米軍への「おもいやり予算」で建てられた米兵たちのための住宅だ。それも、米兵のための住宅は、基地の中にちゃんと用意されてるのに、あり余った「おもいやり予算」を使い切るために、わざわざ基地の外に新しい住宅を造り続けてるのだ。そして、高級別荘のような米軍住宅の道路をはさんだ向かいには、沖縄の人たちが暮らしてるボロボロのアパートが並んでる。潮風や台風で傷んだアパートは、階段やベランダの手すりが赤茶色に錆び、雨どいが途中で折れて垂れ下がってるものもある。

9月3日には、沖縄県浦添市内間2丁目のアパート、「渚マンションA」で、2階部分の通路が長さ15メートルに渡って崩落して、その下に駐車してあった乗用車が大破した。このアパートは、築35年の鉄筋コンクリート3階建てで、2階には4世帯7人が入居してたけど、幸いにもケガ人は出なかった。だけど、もしもこの通路を誰かが歩いてたり、通路の下に誰かがいたら、大事故につながってただろう。警察は「老朽化が原因」だって発表したけど、沖縄には、こうしたアパートが数え切れないほどある。そして、その多くが、現在の耐震基準値が制定される前に建てられたものだから、いつ、おんなじような事故が起こるか分からない。

アメリカに、毎年2000億円を超える「おもいやり予算」を上納し、米兵のためには豪華な新築住宅を建て続けてる一方、自国民は、いつ崩落するか分からない危険な住宅で暮らしてる。もちろん、これは、アパートだけに限った話じゃなくて、マンションやホテルのような高層の建物から、学校や病院などの公共の施設に至るまで、全国に200万棟以上もの耐震強度不足の建物があるって言われてる。そして、ジャーナリスト界の「しょこたん」こと、江川紹子さんが、衆院選直後の9月1日付のエントリーで、こんなことを書いてる。


(前略)
これまでの政治は、国民の「命」のためにはなかなか動かないが、「経済」のためには動く、というものであった。例えば、中国の四川大地震で、学校が倒壊してあれだけ悲惨な被害を出したのを見せられても、日本の政府は学校の耐震化工事を進めようとしなかったのに、景気対策が必要となると予算がついた。長い選挙戦の間に、国民は「経済成長」を第一に掲げる自民党と、最も守るべきものとして「命」を挙げた民主党を比較し、後者を選択したのだ。「国あっての民」ではなく、「民あってこその国」を信条とする国造りをしてもらいたいとという期待を込めて、民主党を選んだ人たちが多かったのだと思う。だから、新しい政権が、そうした方向性からずれれば、人心はすぐに離れていくことを、民主党の面々には、よくよく自覚してもらいたい。
(後略)


毎度のことだけど、紹子さんの分析は、いつも本質を突いてると思う。この1年間、フロッピー麻生は、湯水のごとく借金を繰り返して、次から次へとバカのひとつ覚えのバラマキを続けたけど、儲かったのなんて自動車メーカーと家電メーカーくらいで、あたしたちの生活なんて何ひとつ良くならなかった。それなのに、空気も漢字も経済も読めない「トリプルKY」のフロッピー麻生は、「あと10年、オレ様に任せれば、すべての国民の年収をプラス100万円にしてやる」って公約したのだ。その上、これほど選挙でボロ負けしたってのに、未だに「私の経済政策は間違ってなかった」ってノタマッてんだから、ホント、救いようもないほどの大バカだ。

‥‥そんなワケで、あたしは、年間にわずか60億円の「母子加算」を廃止しておきながら、117億円の「アニメの殿堂」を造ろうとすることも、いつ倒壊するか分からないような住宅に国民を住まわせておきながら、米兵のために高級な新築住宅を無料で造り続けることも、大企業が次々と派遣労働者のクビを切り、世の中に失業者をあふれさせてることを野放しにしておきながら、その大企業だけが儲かる「エコカー減税」だの「エコポイント」だののバラマキを続けることも、すべては自民党による「国民不在」の悪政が招いた結果だと思う。そして、自民党がここまでメチャクチャにした世の中を1つずつ直して行かなきゃなんないんだから、新政権に科せられた仕事はものすごく大きいと思う。だけど、今度の総理大臣は、漢字も読めるしニポン語もマトモに話せるから、今までの大バカ政権よりは遥かに期待できる。そして、何よりも、あたしたち国民の代表、オムライス党のみずほたんが、民主党が「民あってこその国」の路線からダッフンしないように厳しく監視してるんだから、間違いないと思う今日この頃なのだ。


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【きっこのミネラルウォーター講座】

ミネラルウォーターには、その名の通り、カルシウムやマグネシウムなどのミネラル分が含まれていますが、このミネラル分の含有量によって、水の硬度が決まります。ものすごくフランク・ザッパに言うと、ミネラル分を多く含んでいるのが「硬水」、あまり含んでいないのが「軟水」ということになります。海外のミネラルウォーターで有名なところだと、エビアンはミネラル分を多く含んでいる「硬水」で、ボルヴィックはミネラル分をあまり含んでいない「軟水」なのです。

でも、こう聞くと、ミネラル分を多く含んでいる「硬水」のほうが良さそうに思うでしょうが、そんなこた~ありません。「硬水」には「硬水の良さ」があり、「軟水」には「軟水の良さ」があるのです。たとえば、ご飯を炊く時などは、「硬水」よりも「軟水」のほうが、ふっくらツヤツヤに炊きあがります。また、鰹節や昆布でダシをとる時も、「軟水」のほうがグルタミン酸などの旨味成分を引き出すので、美味しいダシがとれます。そして、日本茶、紅茶、コーヒーなどをいれる時も、「軟水」のほうが香りが立って美味しく飲むことができます。

フラン・ザッパに言うと、「硬水」はミネラル分が多いぶん少しだけクセがあり、「軟水」はミネラル分が少ないぶんサッパリしていて口あたりが良い、ということになります。あたしの場合は、コーヒーや焼酎の水割りの時は「硬水」、ニポン茶や紅茶の時は「軟水」と決めています。

このボルヴィックは、フランスのオーヴェルニュ地方の緑豊かな大自然の地層をゆっくりとくぐり抜け、空気に触れずにそのままボトリングされたナチュラルミネラルウォーターで、「硬水」が一般的なヨーロッパでは、とても珍しい「軟水」なのです。そのため、まろやかでスッキリとした口あたりが人気で、ヨーロッパだけでなく、全世界で愛飲されています。今回は、通常のボルヴィックだけでなく、ほのかな甘みとレモンの香りが特徴の大人気のフレーバーウォーター「ボルヴィック フルーツキス レモン」も割引対象になっています。「ボルヴィック フルーツキス レモン」は、そのまま飲んでもサッパリしていて美味しいのですが、ウォッカやジン、ラムや焼酎を割るのに使ってもとっても美味しいので、まだ飲んだことのない人は、この機会にどうぞ♪


★ 今、ボルヴィックのお買い上げ1リットルごとに、アフリカに清潔で安全な水が10リットル生まれる「Volvic 1L for 10L」というプログラムを実施しています。



ボルヴィックの売り上げの一部でユニセフの活動を支援して、アフリカで清潔で安全な飲料水を確保するための井戸づくりを行なっています。

プログラムの期間は9月30日までなので、今回のセールでボルヴィックを買ってくださった売り上げの一部は、この「Volvic 1L for 10L」に寄付され、アフリカの子供たちの笑顔へと通じるのです♪

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2009.09.09

いま、沖縄から日本を問う

【いま、沖縄から日本を問う】

『沖縄「自立」への道をもとめて』の出版記念シンポジウムのお知らせです。

「基地に依存しなければ、沖縄の経済は本当に成り立たないのか?」というテーマで、沖縄の自立・自律を蝕んできた「押し付けられた常識」に沖縄側の論理で反論し、それを覆すことをめざして、2008年4月から2009年3月まで、4度のシンポジウムやティーチイン(主催「今こそ発想の転換を!実行委員会」)が沖縄で催され、研究者・ジャーナリストなど14人が登壇しました。

その討論の成果をまとめた『沖縄「自立」への道を求めて—基地・経済・自治の視点から』(宮里政玄、新崎盛暉、我部政明編著 高文研発行)が出版され、沖縄での出版の集いに続き、東京でも出版記念のシンポジウム【いま、沖縄から日本を問う】が開催されます。



日 時:2009年9月11日(金)
開場18時 開始18時半 終了予定21時

会 場:全水道会館 3階大会議室
JR総武線/水道橋駅東口(御茶ノ水寄り)から徒歩2分
地下鉄都営三田線水道橋駅から徒歩1分
丸の内線/南北線後楽園駅から徒歩7分

参加費:800円

※予約は不要です。会場に直接お越し下さい


「シンポジウム内容」

*日米関係の転機に沖縄から日米同盟を問う
   新崎盛暉さん(沖縄大学名誉教授)
*振興体制の問題と新たな沖縄の自治を求めて
   島袋 純さん(琉球大学教授)
*総選挙と沖縄~いま“自立”から“自律”へ
   前泊博盛さん(琉球新報社論説副委員長)
*書評『沖縄「自立」への道を求めて』
   坂手洋二さん(劇作家・演出家)


依然として冷戦感覚のまま米軍基地を正当化する日本、沖縄、米国の対日・対沖政策を問い直し、総選挙の結果も見すえて、沖縄に絡みついた「常識=既成観念」を覆すことで見えてくる沖縄、日本の今後を探りたいと思います。ふるってご参加ください。


《呼びかけ》
高文研 沖縄平和ネットワーク首都圏の会 大江・岩波沖縄戦裁判を支援し沖縄の真実を広める首都圏の会 沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック フォーラム平和・人権・環境
《連絡先》03-3295-3415(高文研・山本)


★ ぜひお読みください。
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「スカート男子」のススメ

ニポンでは‥‥っていうか、ニポンの東京の原宿とかのごく一部の特殊な地域では、最近、男なのにスカートを履いて歩いてる「スカート男子」ってのを見かける。今日、お仕事で表参道ヒルズに行ったんだけど、表参道とウラハラとで2人も見かけた。男がスカートを履くっていうと、今までは、首からバグパイプを提げたスコットランドの人か、女装が趣味の人が、あとは大川興業の阿曽山大噴火さんくらいだったけど、最近は、バグパイプを吹かない上に、女装の趣味もない一般のニポン人の男性が、ファッションの一環としてスカートを履いてるのだ。

ま、ほとんどは黒系のロングスカートだし、トップスは普通の男性ファッションだから、女装とは完全に一線を画してるし、遠目に見るとコートを引きずって歩いてる「だらしないファッションの男」って感じで、それほどは目立たない。正直言って、女性モノのピチピチのレギンスを履いて歩いてる「レギンス男子」のキモさに比べたら、「スカート男子」のほうが遥かに不快感は感じないし、あたし的にはOKだ。前から「スカート男子」が歩いて来ても、単に「ふ~ん」って思うだけで、ちょっと変わったファッションをしてる人にいちいちツッコミを入れてたら、原宿や青山は歩けない。

だいだいからして、ファッションの多様性を楽しむ上で考えれば、女性はスカートもパンツもOKなのに、男性はパンツしかダメってこと自体が、男性にとっては大きなハンデだと思う。だから、そうした意味で言えば、男がスカートを履いたって別に構わないと思う。それに、周りの人たちに不快感を与えるかどうかってことだけで言えば、すでに絶滅危惧種に指定されてる渋谷センター街の「ヤマンバ」や「汚ギャル」にしても、一部のアホ雑誌の影響で増殖しつつある「キャバ嬢ファッション」にしても、少なくともあたしには不快感のカタマリでしかない。

遠く離れたとこにいるぶんには構わないんだけど、電車の中やお店の中で近くにいたりすると、「ヤマンバ」や「汚ギャル」は生臭いし、「キャバ嬢ファッション」は安物の香水臭いからだ。たとえ高級な香水だとしても、多量にふりかけてるから、安っぽくて下品な匂いになっちゃう。だから、匂いに敏感なあたしとしては、誰がどんなファッションをするのも構わないんだけど、匂いが臭いのたけはカンベンして欲しいと思う今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、あたしは、別に潔癖症ってワケじゃないけど、人として最低限の清潔さだけは保っててくれないと、ファッション以前の問題として、お近づきにはなりたくない。逆に言えば、ちゃんとお風呂に入って、ちゃんと髪も洗って、ちゃんとお洗濯したものを着てるんなら、別に男がスカートを履いてようが女装してようがぜんぜん構わないってことだ。だって、ファッションは個人個人の自由だし、いくら周りの人たちからクスクスと笑われても、それでも本人がいいと思って着てるんなら、他人がとやかく言うことじゃないと思うからだ。

だけど、あたしがこんなことを言えるのも、このニポンに住んでるからなのだ。昨日の9月7日、アフリカ大陸にあるイスラム国家のスーダンでは、「女性なのにズボンを履いた」って理由で、1人の女性が逮捕されて収監された。そう、イスラム法(シャリア)では、女性がズボンを履くと「わいせつ罪」で逮捕されちゃうのだ。何でズボンを履くと「わいせつ罪」になっちゃうのかっていうと、イスラム法では、女性が外を歩く時に男性を誘惑するようなカッコをすることが厳しく制限されてる。イスラム女性が、みんな「へジャブ」っていう大きなスカーフを頭からかぶり、髪も顔も隠して目だけ覗かせてるのも、「女性は外を歩く時には髪や顔を男性に見せちゃいけない」っていう法律があるからだ。

で、ニポン的には、ズボンよりもスカートのほうが女性度をアピールできるって思うだろうし、初めてのデートの時には99%の女性がスカートやワンピを着てくと思うけど、イスラム国家の場合には、「女性は体のラインが分かる服装をしちゃいけない」ってことになってるのだ。イスラム的には、女性のヒップやフトモモのラインがハッキリ分かるズボンは、極めて男性を惹きつけるファッションてワケで、「わいせつ罪」で逮捕されちゃうのだ。実際、イスラムの女性は、大きな布で全身を覆う「チャドル」や「ブルカ」などの服装をしてるから、髪や顔だけじゃなくて、体のラインもぜんぜん分からない。

つまり、イスラム的には、「女性はスカートがOKでズボンがNG」ってことじゃなくて、どんなファッションであれ、女性の体のラインが分かるような服装で外を歩いたら、すべてNGってことなのだ。だから、イスラムの女性が、今、渋谷や原宿にいる女の子たちみたいなファッションで歩いたら、全員その場で逮捕されちゃうってことになる。で、逮捕されたらどうなるのかって言うと、そりゃあもちろん、イスラム名物の「ムチ打ちの刑」だ。ついこないだも、マレーシアで、イスラム教徒のカルティカ・サリ・デウィ・シュカーノさんていう32才の女性が、「ビールを飲んだ」って理由で逮捕されて、罰金5000リンギ(約13万円)とムチ打ち6回の判決を受けたばっかりだ。

ちなみに、カルティカさんは、8月の下旬にムチ打ちの刑を受けるために身柄を拘束されて、女子刑務所へ移送されたんだけど、ナンダカンダがあって、一時的に開放されたそうだ。マレーシアは、完全なイスラム国家じゃなくて、人口の6割程度がイスラム教徒の国なので、イスラム教徒じゃない4割の国民は、お酒を飲んでも罰せられない。そうした背景もあるため、「ビールを飲んだくらいで女性をムチ打ちの刑にするなんて酷過ぎる」って世論もあった上に、ちょうどこの時、イスラムの一大イベントの「ラマダン(断食月)」だったため、「ラマダン中の刑の執行は不適切だ」ってことになったらしい。

だから、今後、日を改めて刑が執行されるのか、はたまた、このままナシクズシ的にチャラになっちゃうのかは「神のみぞ知る」ってワケだけど、ビールを飲んだくらいでムチ打ちなんか食らうんなら、全世界が注目してたG7の会見で泥酔して醜態を晒した中川昭一なんか、もしもイスラム教徒だったら、その場で射殺されてたかもしれない。そのほうが、ニポンの国益のためにも良かったと思うけど(笑)

‥‥そんなワケで、話はクルリンパと戻って、ズボンを履いてただけで逮捕されちゃったスーダンの女性だけど、この人は、ルブナ・アフマド・フセインさんていう地元の新聞にもコラムを書いてるジャーナリストで、国連のスーダン派遣団に所属してる。7月3日、ルブナさんが、スーダンの首都のハルツームのお店で食事をしてたら、突然、そこに警官隊が突入して来て、ルブナさんを含む13人の女性を「ズボンを履いてる」って理由で逮捕したのだ。もちろん、この13人は、それぞれ別々のお客さんで、わざわざみんなで「ズボンを履いて食事に行こう!」だなんて危険なチャレンジをしてたワケじゃない。たまたま、その店に居合わせた女性たちだったのだ。

つまり、この状況から推測すれば、イスラム教徒であっても、多くの女性は、ふだんは動きやすいズボンを履いて生活してるってワケで、いくらイスラム法に「女性はズボンを履いちゃダメ」って書いてあるからって、こんなことで実際に逮捕するのはマレなことなのだ。で、この時に逮捕された13人の女性のうち、10人は自分の罪を認めて「ムチ打ち10回」の刑を受けたんだけど、ルブナさんを含めた3人の女性は、勇敢にも、この時代遅れの悪法に対して、裁判で争う道を選んだのだ。

もともと、何でイスラム圏では女性の外出時の服装に厳しい決まりがあるのかっていうと、預言者ムハンマドが、「男性は意思が弱く自分の性欲を抑えることができないから、女性は近親者以外には自分の肌を見せてはいけない」とかって言ったことがルーツになってる。つまり、この教えに基づけば、女性が外出時に隠さなきゃなんないのは、「体のライン」じゃなくて「肌」ってことになる。それなら、ズボンだろうが全身タイツだろうが着ぐるみだろうが、肌さえ見せなきゃ何を着たって自由ってことになる。

実際、ハルツームのお店で食事中に、突然、逮捕されちゃった13人の女性たちは、みんな熱心なイスラム教徒だったから、ちゃんと頭には「へジャブ」をかぶって髪や顔を隠してたのだ。そして、預言者ムハンマドの教えに従って、上半身も下半身もどこも肌が見えないように洋服を着てたのだ。それなのに、「体のラインが分かるズボンを履いちゃダメ」だなんて理由で逮捕されて、罰金とムチ打ちの刑だなんて、納得できないのも当然だろう。

だけど、警察と裁判所の命令に素直に従った10人の女性たちが「ムチ打ち10回」で済んだのに対して、権力に逆らって裁判で戦うことを宣言したルブナさんたち3人の女性は、大幅に刑をアップさせられちゃって、裁判に負けて有罪になったら、最高で「ムチ打ち40回」の刑を受ける可能性もあるという。ニポンの裁判の判例で考えれば、同時に同罪で逮捕された10人の女性が、すでに罪を認めて刑を執行されてるんだから、残りの3人を無罪にすることはアリエナイザーだ。そんなことをしたら、すでに刑を執行しちゃった10人に対しても、損害賠償とかが生じちゃうから、検察と裁判所は意地でも有罪にするだろう。

だけど、21世紀になっても、こんなトンチンカンな法律がある上に、その刑も「ムチ打ち」だの「石打ち」だのって、まるで紀元前みたいな国のことだから、アバウトな部分がマウンテンだ。時代遅れの悪法と戦う決意をしたルブナさんたちに対して、国の内外から多くの女性たちが支持を表明して、ジョジョに奇妙に国際的に注目されて来たら、スーダンの政府は困惑し始めちゃった。古くからのイスラム法を重んじて女性に厳しい刑を執行するか、それともここで思い切った判断をして、国際社会へアピールするか、それが問題だ‥‥って流れになっちゃったのだ。

‥‥そんなワケで、あたしは、イスラム法ってトンデモな法律だと思ってる。イスラム圏にはイスラム圏の歴史があり、その歴史を本や映像からしか知らないヨソモノのあたしが言うのは失礼だとは思うけど、それでもあえて言わせてもらうと、あまりにも女性に対する法律が厳し過ぎるからだ。その最たる例が、5年前の2004年8月15日に、イスラム法によって裁かれて、わずか16才で死刑になったイランの少女、アテファ・サハーラちゃんの問題だ。

アテファちゃんは、13才の時に、友人たちに誘われてパーティーに出席した。そして、そこで、ボーイフレンドの1人と車の中で話をしてたら、そこにイスラムの「道徳警察」がやって来て、「車の中に男性と一緒にいた」って理由で逮捕された。そして、「ムチ打ち100回」の刑を受けた上に、刑務所に入れられた。ハッキリと書いとくけど、アテファちゃんは、カーセックスをしてたワケでもなく、ボーイフレンドに体を触らせたりキスをしたりしてたワケでもなく、ただ単に「話しをしてた」だけなのだ。

そして、刑務所から出たアテファちゃんは、彼女のことを溺愛してるお父さんと仲良く暮らしてたんだけど、ある日のこと、近所に住んでるアリ・ダラビっていう51才のオッサンにレイプされたのだ。まだ少女だったアテファちゃんは、レイプされたことを家族に言うことができず、1人でずっと胸の奥にしまってた。そしたら、このアリ・ダラビっていうオッサンは、そこにつけ込んで、アテファちゃんのことを二度、三度とレイプし続けたのだ。そして、それは、イスラムの道徳警察の知るところとなった。

51才の妻帯者のオッサンが、16才の少女を何度もレイプしたんだから、普通に考えたら、逮捕されるのはオッサンのほうだろう。だけど、完全に「男性優位」なイスラムの法廷では、裁判官は、アリ・ダラビの嘘の証言ばかりを採用して、アテファちゃんの証言には耳も貸さなかった。何よりも、アテファちゃんには前科があったから、最初から「アテファちゃんのほうがアリ・ダラビを誘惑したんじゃないのか」って流れの偏向的な裁判だったのだ。これこそが、「女性が肌を出して男性を誘惑するのは罪」「レイプされるのは女性のほうに問題がある」っていうイスラムならではの感覚で、自民党の低能どもにも共通してる感覚だ。

自民党の恥知らず、太田セイウチは、今から7年前の総務庁長官だった時に、早稲田大学の「スーパーフリー」の集団レイプ事件に対して、「レイプする人はまだ元気があっていい」って言い放ったことでオナジミだ。そして、当時、内閣官房長官だったフクダちゃんは、この太田セイウチの暴言について意見を求められたら、鼻の下をいつもの2倍くらい伸ばして、「だけど女性にも、いかにも『レイプをしてくれ』っていうのがいるじゃない。そこらへんを歩けば、挑発的な格好をしているのがいっぱいいるでしょ?世の中には男が半分いるってことを知らないんじゃないかなあ?ボクだって誘惑されちゃうよ。そこらへん歩いてごらんなさいよ。そういう格好している方が悪いんだよ」ってノタマッたのだ。こんな感覚の大バカが、その後、総理大臣になり、たった1年で政権を丸投げし、記者に向かって「あなたとは違うんです!」って逆ギレしたんだから、サスガ、自民党にはワンダホーな人材がマウンテンだ。

‥‥そんなワケで、アテファちゃんの裁判だけど、自分の証言をまったく聞いてくれない裁判の進行に、アテファちゃんは焦り始めてた。アリ・ダラビの証言、「彼女のほうから私を誘惑して来た」「彼女は最初から服を着ていなかった」などは採用されるのに、アテファちゃんの証言、「口を押さえられて身動き取れなくされた」「無理やりに服を脱がされてレイプされた」などはすべて却下され続けた。それで、取り乱したアテファちゃんは、裁判長に向かって、思わず髪と顔を覆っていた「へジャブ」を取って大声を上げてしまった。自分の訴えを聞いてもらうために、思わずやってしまった行動だった。だけど、これが、決定打になってしまったのだ。ここまで何度も書いて来たように、イスラム法では、近親者以外に髪や顔を見せることはご法度な上に、ここは神聖な法廷だったのだ。そして、これで、アテファちゃんの死刑が確定してしまった。

イスラム法では、基本的に、「殺人」と「麻薬の密輸入」と「不倫(婚外交渉)」の3つが死刑の対象になってる。だけど、あまりにも若い人を死刑にするのは、国際的にも人道的に問題があるってことで、イラン政府は、一応は「18才以下は死刑にしない」っていう条約に署名をしてる。だけど、ここが、政府よりも宗教の力が強いイスラム国家の問題で、いくら政府が外交的に「18才以下は死刑にしない」って取り決めをしてたって、イスラム法の関係者たちは、そんなことは関係ないのだ。

結局、わずか16才のアテファちゃんは、レイプの被害者なのにも関わらず、2004年8月15日に、広場のクレーン車から提げられたロープに首を吊るされ、公開処刑されてしまったのだ。だけど、アテファちゃんは、16才で独身なんだから、たとえ誰かとセックスをしたって「不倫」にはならない。そこで、イランの裁判所は、アテファちゃんの罪状を「不倫」にするためと、「18才以下は死刑にしない」って条約をクリアするために、アテファちゃんのことを「22才の既婚女性」として死刑を執行したのだ。ようするに、国家ぐるみの殺人をしたってことだ。一方、再三に渡ってアテファちゃんをレイプし続けた上に、法廷で大ウソをつき、彼女を死刑にした張本人のアリ・ダラビは、「ムチ打ち95回」の刑だけで済み、今も女房子供と楽しく暮らしてるのだ。

‥‥そんなワケで、あんまりこの話は出したくないんだけど、沖縄で14才の少女がアメリカ兵にレイプされた時にも、「そんな時間(夜8時)に外をウロウロしてる少女のほうが悪い」とか、「どうせ少女のほうが自分から米兵を誘惑したんだろう」とか、まるで鬼畜のような暴言を吐いた人非人どもがいた。こういう人間のクズどもは、自民党の太田セイウチやフクダちゃんと一緒に、トットとイランやスーダンに移住して欲しいと思う。そして、お望み通りの時代遅れの男尊女卑の世界で、タップリと大バカぶりを発揮して、好きなように余生をまっとうして欲しい。それがイヤなら、明日からスカートを履いて、「スカート男子」として生活することをオススメする。こういう無神経なバカ男どもでも、スカートを履いて生活すれば、少しは女性の気持ちが分かるようになると思う今日この頃なのだ。


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2009.09.08

岬めぐり

9月4日の日記、「歌謡曲の功罪」で、あたしは、「旅の宿」や「襟裳岬」や「氷雨」や「秋桜」の歌詞の季感のズレてる点やツジツマの合わない点を挙げてツッコミを入れさせてもらったんだけど、そしたら、意外にもたくさんのメールをいただいた。特に「襟裳岬」に関してのメールが多くて、それこそ十人十色、この歌に関して、多くの人がいろんな解釈をしてたってことが分かった。とっても興味深いので、今日は皆さんから寄せられたメールを紹介しつつ、もう一度、この「襟裳岬」の歌詞を検証してみたいと思う。

それから、まず大前提として、あたしの「歌謡曲の功罪」ってタイトルを誤解してる人がいたので、念のために説明しとくけど、この「功罪」ってのは、「功績と罪」って意味で、「良い部分と悪い部分」ていう意味だ。歌謡曲は、特に「昭和の歌謡曲」は、娯楽の少なかった時代に、人々に夢と希望を与えた素晴らしい大衆文化であり、戦後のニポンの復興にも寄与した一大ムーブメントだ。だから、あたしは、歌謡曲ってものを十把一絡げにして否定するつもりなんてモートーないし、それどころか、大好きな歌謡曲がいっぱいある。中森明菜ちゃんは、あたしの永遠のヒロインで、今でもカラオケで「スローモーション」や「セカンドラブ」を歌うし、松田聖子ちゃんも大好きだ。

だから、あたしは、ニポンの歌謡曲のことを「J-POPS」なんて呼ぶアホどものことは軽蔑してるけど、歌謡曲そのものはちゃんと評価してる。だけど、その反面、「売れてナンボ」「ヒットしてナンボ」の商業音楽にアリガチな「ヒットメーカーに依頼して量産してもらう」っていう安易なシステムによって、デタラメな歌詞やパクリの楽曲が横行して来た現実もある。歌謡曲の全盛期には、売れっ子の作詞家や作曲家は、わずか30分で1曲を作ったそうだ。そして、その歌を聴いてみると、季感や文法がメチャクチャな歌詞が、どこかで聴いたことのあるメロディーに乗せられてるだけなのに、ミリオンセラーになったり、レコード大賞を獲ったりしてる。こうした部分が、あたしは、「歌謡曲の功罪」の「罪」の部分だと思ってる今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、あっちもこっちも広げちゃうと収拾がつかなくなっちゃうので、今日は「襟裳岬」に限定して検証してくけど、前回の日記であたしがツッコミを入れたのは、「ツジツマが合わない」ってことだった。繰り返しになるけど、「襟裳岬」の歌い出しは、「北の町ではもう~悲しみを暖炉で~燃やし始めてるらしい~♪」ってなってるので、あたしはこの部分を「北海道以外ではまだ暖房をつけるような季節じゃないのに、襟裳岬のほうの町では早々と暖炉を使ってる」ってふうに解釈した。これは、「もう」と「始めてる」による解釈だ。そのため、この歌は、冬に入る前の季節、「秋の景」だって解釈した。そして、それなのに、この「秋の景」から何の時間的進行もないまま、「襟裳の春は~何もない春です~♪」って締めてるから、あたしは「ツジツマが合わない」って書いた。で、ここからは、このあたしの意見に対して寄せられたメールを何通か紹介する。


お名前:zenbo
コメント:いつも楽しく拝見しています。今日の季語の解説は勉強になりました。私自身も氷雨のことを冬の冷たい雨だとばかり思っていました。ところで「襟裳岬」の暖炉の件ですが、私は全く逆に解釈していました。寒くなるから「暖炉を燃やし始める」のではなくて、春が近いので長い冬の間にたまった「悲しみを燃やし始めている」のだと思ったのです。だけど、じっといじけていた冬の悲しみを燃やしたとしても、この襟裳岬の春にはやはり何もないのだよ・・・と言う風に解釈していたのです。間違いでしょうか。またの記事を楽しみにしています。


お名前:やまぞえ
コメント:「こんばんは、森進一です」って名前まで言わないとわからないモノマネって何? きっこさん こんにちは、さっそくですが、「襟裳岬」の歌詞についての私見です。「北の街ではもう悲しみを暖炉でもやしはじめてるらしい」の問題の「もう」は、暖炉を使い始めることではなく、悲しみをもやすことにかかっていると思うのです。北の街では、暖炉そのものは夏の終わり頃から使い始めています(多分)。北海道では長い冬の間にたまってしまった悲しみを春が近づくと暖炉で燃やす風習があります(多分)。「ほら、春が近づいてきたんでないかい」「んだな、もう燃やさねばなんないな」ずっと、春を待ちこがれる歌だと思ってきました。こういう曲解はいかがでしょうか?


お名前:ふくちゃん
コメント:きっこさん、初めまして。いつも日記読んでます。「襟裳岬」の歌詞について、私なりの解釈をさせていただくと、「北の町では、もうすでに暗い冬の季節に起こったいやな事や悲しい出来事を暖炉で燃やし始めている」と読みました。これならあまり不自然さがないのでは?思うのですが いかがでしょうか?


お名前:けろっぴ
コメント:きっこさんはじめまして。いつも楽しく読ませていただいております。さて、「襟裳岬」の歌詞について、気になってしまいましてメールさせていただきました。『北の街ではもう悲しみを暖炉でもやしはじめてるらしい』というのは暖炉をもやしはじめているのではなく、冬の終わりに、春に向かって、『悲しみを暖炉でもやしてしまう』ということではないでしょうか? だから襟裳岬には豪華な観光施設もないけれど、悲しみも悩みもわずらわしさもいじけることも『なにもない』、『えんりょはいらないからあたたまっていきな』というあたたかさだけがある、ということなんだと思います。今後も更新を楽しみにしています。


‥‥そんなワケで、zenboさん、やまぞえさん、ふくちゃんさん、けろっぴさん、他にも同様のご意見のメールをくださった皆さん、どうもありがとうございました♪‥‥ってことで、若干の違いはあっても、これらの解釈は、ほぼおんなじだ。ようするに、あたしの「秋の景」って解釈とは違って、これらは「冬の終わりの景」もしくは「春の初めの景」ってことで、「襟裳の春は~何もない春です~♪」ってほうを「現在の季節」として捉えた解釈だ。

でも、これはこれで成り立つけど、あたし的には、ちょっとムリがあると思う。「悲しみを暖炉で燃やす」っていう心象的な表現は歌謡曲ならではの世界だから許容できるけど、それを「現実に北海道の人たちが実践してる風習」とする見方には、やっぱりムリがあると思う。最初から最後まで架空の恋愛か何かを歌ってる今どきの歌なら、イチからジューまで「虚(きょ)の世界」で構わないけど、こうした「ご当地ソング」的な固有名詞をテーマにした歌の場合は、絶対に「実(じつ)の世界」が土台にないと成り立たないからだ。で、このあたしの「ムリ」だと感じる部分を払拭してくれたのが、次のHMさんの解釈だ。


お名前:HM
コメント:こんばんは。いつも楽しみに拝見させていただいております。今回はじめてメールさせていただきます。先日のブログ「歌謡曲の功罪」の中の「襟裳岬」に関してのご意見ですが、少し誤解があるのではないかと思い失礼ながら少し私見を述べさせてください。この曲の季節背景は確かに「冬」と「春」二つが連想されます。しかしこの二つの季節は同じ時間軸で連続して存在する季節ではありません。このシナリオの背景はまぎれもなく「冬」であり、そこで人々の「苦悩」や「疲労」や「悲しみ」を表現しています。そんな人々の心にあって欲しいと願う心象風景が「えりもの春」です。つまり「春」という客観的な季節はこの物語の中には現実的にはないのです。「厳しい寒さが続いている」=「いろいろな苦悩が人々の心にある」「えりもの春はもうすぐ訪れる」=「きれいすっきり洗い流してくれる時が訪れる」ということを表現しているのではないのでしょうか?おそらく岡本おさみさんはえりも岬に「春」訪れたのでしょう。そしてその自然が与えてくれた「無」の時間と空間に感動し、自分の持つ苦悩など全て吹っきれてしまったのでしょう。つまり「えりもの春」のすばらしさを伝えたいがゆえの「冬」の出来事の描写があるのです。もちろん伝わる伝わらないは個々人によって様々でしょうが・・・。この歌の最後に「寒い友達が訪ねてきたよ。遠慮はいらないから暖まっていきなよ」という一節があります。ここに「冬」から「えりもの春」への入口があるのだと自分は考えてました。岡本さんの詩は他の作品も含めて一見叙景詩なのですが、実はこてこての人間くさい叙情詩が多く、だからこそあまりヒット曲に恵まれていない作詞家だと思ってます。以上長文しかもまとまりのない文章まことに恐縮いたします。それではこれからも興味深いブログを楽しみにいたしております。季節の変わり目ですが体調を崩さぬようご自愛ください。


HMさん、どうもありがとうございました♪‥‥ってワケで、HMさんは、「悲しみを暖炉で燃やしてる景」と「何もない春の景」との時間軸をズラして、別々に切り離して解釈してる。この見方は目からウロコだし、極めて合理的だ。これならツジツマも合うし、あたしが「おかしい」と思ってた点は、一瞬で氷解する。だけど、あたしは、実際に「襟裳岬」の歌詞を読んで、読んだ瞬間に「おかしい」って感じたことは事実だし、別にアラ探しをしながら読んだワケじゃない。何の先入観もないフラットな状態で普通に読んでみて、「おかしい」って感じたのだ。

それで、今度は、このHMさんの解釈を念頭に置いた上で、もう一度、「襟裳岬」の歌詞を読んでみた。だけど、やっぱり、最初に読んだ時とおんなじで、あたしは「おかしい」って感じた。だって、冒頭の「北の町ではもう~♪」の次には、「訳の分からないことで~悩んでいるうち~老いぼれてしまうから~♪」と続いて、「黙り通した年月を~拾い集めて暖め合おう~♪」と来て、この直後に「襟裳の春は~何もない春です~♪」って締めてる。つまり、冒頭の「北の町ではもう~♪」から、最後の「襟裳の春は~何もない春です~♪」ってフレーズまでの間は、すべて、「これまでの悩みや不満を暖炉で燃やす」って描写だけが羅列してあるだけで、まるでここまでの結論として導かれたごとく、忽然と「襟裳の春は~何もない春です~♪」ってフレーズが置かれてるのだ。

たとえば、「あと少しの辛抱だけど、襟裳の春は~何もない春です~♪」ってふうに、時間軸の変更を示唆する何らかのワンクッションがあれば別だけど、この唐突な書き方だと、やっぱり2つの時間軸の景を並列に描いてるとは理解しにくい‥‥つーか、ほぼムリだと思う。だからこそ、あたしは「おかしい」と思ったワケだし、他の多くの人たちも、それぞれ違った解釈をしてるんだと思う。ようするに、書き方が正確じゃないために、正しく意味が伝わってないってワケだ。そして、賢明なる「きっこの日記」の読者諸兄なら、すでにウスウスと気づいてたと思うけど、あたしがここまで引っぱって来たのは、正解を教えてくださった人がいたからだ。


お名前:旅好きオジさん
コメント:きっこ様、いつも楽しく拝読しております。いつもきっこさんのブログを読んで、自公、ネトウヨ嫌いの私は溜飲を下げさせて頂いておりますが、今回の「歌謡曲の功罪」については「?」と思う点がありましたのでメールさせて頂きます。「襟裳岬」の歌詞の「襟裳の春は何もない春です」ではツジツマが合わないとのことですが、この歌詞は、岡本おさみさんが初秋、襟裳岬にある老夫婦2人だけで営む民宿に泊った時の出来事が元になってます。片腕の無い民宿のご主人との会話の中で、「おじさん、襟裳って春は何があるの?」「う~ん…春は何も無いね~…」というやりとりから、「襟裳の春は何もない春です」というフレーズが生まれたとのこと。また、2番の歌詞にある「珈琲」の件も、この時の出来事が元になっているそうです。そして、片腕が無いというハンデ故に苦労されたであろうご主人と、そのご主人を支え続けてきた奥さんの人生を想った時に、「日々の暮らしはイヤでもやってくるけど…」という3番の歌詞のフレーズが生まれた…とのお話。これらの話は、この曲がヒットした当時の新聞に掲載された岡本おさみさんのインタビュー記事に書かれておりましたので、ウィキペディアなどのいい加減なネット情報よりは確かかと思います。上記のようなこの歌詞の生まれた経緯を知って頂けば、一応ツジツマも合うかと思います。(後略)


旅好きオジさん、どうもありがとうございました♪‥‥ってことで、これは作詞をした岡本おさみ本人の解説なんだから、何よりの正解だと思う。このメールによれば、岡本おさみが襟裳岬を訪ねたのは「初秋」ってワケで、つまり、冒頭の「北の町ではもう~♪」の部分に関する解釈は、「北海道以外ではまだ暖房をつけるような季節じゃないのに、襟裳岬のほうの町では早々と暖炉を使ってる」っていうあたしの「秋の景」の解釈で正解だったワケだ。そして、それまでの流れを無視して、突如として飛び出す「襟裳の春は~♪」っていうフレーズに関しては、民宿のおじさんの言葉だったってワケだ。だから、それまでの描写とこの部分の描写とは時間軸が違う‥‥っていう、HMさんの解釈がピンポンだったことになる。

ただ、HMさんの場合は、この「何もない春」を美化しすぎてて、民宿のおじさんの「う~ん…春は何も無いね~…」って言葉の現実的なニュアンスとは大きく違う。だから、逆に言えば、「何もない春」を飛躍的に美化して解釈できるほどの想像力がないと、この歌詞を二元的に捉えることは難しいってことになるのかもしれない。あたしの場合は、「省略の文芸」とも呼ばれてる俳句を20年以上もやってるから、そこに書かれてないことを読み取る力、行間を読む力は、俳句をやってない人よりはあると思ってる。でも、この「襟裳岬」の歌詞は、申し訳ないけど、行間を読ませるだけの適切な省略がなされてるとは言い難い。だから、歌詞を書いた本人の解説を知ったあとでも、やっぱり、解説通りに解釈するのは厳しい状況だ。

‥‥そんなワケで、あたしとしては、正解が分かったスッキリ感と、正解が分かったのに納得できないっていう残尿感が入り混じったミョ~な結果になっちゃったけど、この問題はここまでってことで、そろそろ森進一の「襟裳岬」をあとにすることにした。そして、次は、松山千春の「宗谷岬」とか、鳥羽一郎の「足摺岬」とか、水森かおりの「竜飛岬」とかを検証してみたいと思う。だけど、こんなことばかりしてたら、山本コータローとウイークエンドの「岬めぐり」になっちゃうから、ホドホドとしとこうと思う今日この頃なのだ(笑)


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2009.09.07

今日の勇者きっこ

【今日の勇者きっこ】


「スライムの丘」でメタル狩りをしてたら、はぐれメタルが5匹出ました!


きっことじゅりあに「はやぶさの剣」でのメタル斬り、みるくとまりあに「デーモンスピア」でのさみだれ突きをさせたら、「きゅうしょをひとつき」が4回も出ちゃって、1匹も逃がさずに1ターンで5匹ぜんぶしとめちゃいました♪


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アブラゼミはあたしのトラウマ

今朝、お仕事に行こうと思ってドアを開けたら、この夏、3回目の「猫のお土産」が置いてあった。「猫のお土産」ってのは、猫のマックスが、あたしのために、虫とかトカゲとかを捕まえて、マンションの2階まで階段を上って来て、あたしのお部屋のドアの前に置いてってくれる恐怖のお土産のことだ。だけど、1回目と2回目がアブラゼミだったのに対して、3回目の今日はツクツクボウシだったから、あたしは、ビビリながらも「秋だなあ~」って思った。

ツクツクボウシは、お腹を上にして微動だにしてなかったけど、だからって安心することはできない。セミ関連のお土産は、ぜんぜん動かないから完全に死んでるもんだと思っても、割箸でつまんだ瞬間に「ビビビビビーッ!」って鳴き出して、あたしはその場に尻もちをつくことが何度もあった。だから、あたしは、セミ関連のお土産の時は、必ず、まずは離れた場所からホウキとかでチョンチョンと突っついてみて、それでも鳴いたり動いたりしなかった場合に、初めて割箸でつまんで、ティッシュにくるんで、駐車場の植え込みに埋めるようにしてる。

で、今日のセミ関連のお土産は、アリガタイザーなことに、ホウキで突っついても動かなかった。それで、あたしは、指でつまんで、ティッシュにくるんだ。それで、駐車場の植え込みのとこにしゃがんで、落ちてた枝で穴を掘ってたら、後ろから「ナ~ン! ナ~ン!」っていう声が近づいて来た。マックスだ。マックスは、あたしの足にスリスリしながら、あたしの左手のティッシュの包みと右手の枝を見て、疑い深そうな目で、「ナ~ン? ナ~ン?」って質問気味に語尾を上げて鳴いた。それは、まるで、あたしに対して、「何をしてるのにゃ? まさかボクのお土産を埋めようとしてるんじゃないだろうにゃ?」って詰問されてるみたいで、あたしは、肩身の狭い思いをしながらツクツクボウシを埋めた今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、こうした「猫のお土産」だけど、あたしは、最初は、猫が自分の捕った獲物を見せたくて持ってくるのかと思ってた。だけど、タマタマの偶然なのかもしれないけど、あたしがマックスに特別なことをしてあげると、その翌日か翌々日の朝、ドアの前に、瀕死のセミとかバッタとかトカゲとかヤモリとかが置かれてるのだ。たとえば、この夏なら、7月の半ばころに、スーパーのお魚コーナーで、カツオやタイやいろんなお魚のアラが500gくらい入ってるパックが105円だったから、それを2個買って来て、大きなお鍋で煮て、身の部分をほぐして集めて、猫たちに振る舞った。みんな大喜びで食べてたけど、特にマックスは、「ウニャ‥‥ウニャ‥‥ウニャ‥‥」って鳴きながら食べてたから、よっぽど美味しかったんだと思う。そして、その次の日の朝、ドアの前にアブラゼミが置いてあった。

それから、8月の終わりころ、30日の歴史的な政権交代の前祝いとして、夜の駐車場で、猫たちにマタタビを振る舞った。みんな夏バテっぽかったから、少しでも元気になってもらおうと思って、いつものマタタビの枝だけじゃなくて、マタタビの実を粉末にしたスペシャルバージョンもゴチソウした。猫にマタタビをあげたことのある人なら分かると思うけど、人間にもお酒の強い人と弱い人がいるように、猫にもマタタビの効きやすい子と効きにくい子がいる。うちの猫たちの中だと、マックスとマイケルがマタタビが大好きで、ペペロンチーノとジジともんじゃがまあまあで、他の子たちはそんなに好きじゃない。一応は、興味を示してウニャウニャするんだけど、中川昭一みたいな泥酔状態にはならない。

だけど、マックスとマイケルは、もうヨダレをダラダラと垂らしながら、両手でマタタビの枝を上手に持って、噛んだり顔にこすりつけたりしながら、地面をゴロゴロと転がり続ける。こんな状態でG7の世界金融サミットに出席させたら、世界中から笑い者になって、財務大臣を更迭された上に、衆院選で惨敗しちゃうだろう。だけど、親の七光なんか使わずに自分の力で生きてる立派な猫たちは、中川昭一みたいに無責任なことはしない。誰にも迷惑をかけないようにマタタビを楽しみ、次の日には、マタタビをゴチソウになったあたしのお部屋のドアの前に、ちゃんとお礼のアブラゼミを持って来たくれた。

‥‥そんなワケで、昼間は暑い日もあるけど、朝晩は涼しくなって来た今の時期は、猫たちはそろそろ夏毛も終わるので、ここんとこ、順番に本格的なブラッシングをしてた。一度に全員はできないから、気づいた時に1匹ずつブラッシングをしてるんだけど、昨日はマックスの番だった。細かい目のブラシで全体をザッとブラッシングしてから、今度はノミ取り用の金属のコームでノミ取りをして、それから丁寧に仕上げのブラッシングをする。白黒ブチのマックスはシングルコートだからラクだけど、マイケルやペペロンチーノみたいにダブルコートの子は、なかなか手間が掛かる。

それで、昨日は、マックスをブラッシングしたんだけど、あたしの発見した「猫の特徴」の1つに、「マタタビの好きな猫はブラッシングも好き」ってのがある。マックスにしても、マイケルにしても、マタタビもブラッシングも両方とも好きで、逆に、そんなにマタタビが好きじゃないカルボナーラや小林君は、ブラッシングも嫌がるのだ。ようするに、マックスやマイケルは「気持ちいいことが好き」ってことなんだろうけど、マックスは、ブラッシングしてても、目を細めてグルグル言い出して、しまいには口を半開きにしてヨダレを垂らし始めちゃう。だから、マタタビとブラッシングを同時にしたら、きっと大変なことになっちゃうと思う(笑)

ま、この辺のことはいいとして、あたしが言いたかったことは、昨日、マックスをブラッシングしてあげたら、今朝、ツクツクボウシがドアの前に置かれてたってことだ。そして、それをあたしが埋めてたら、「何をしてるのにゃ?」って鳴かれちゃったのだ。だから、こんなにも偶然が続くと、マックスがあたしに「お礼」として、セミとかトカゲとかを獲って来てくれてるとしか思えないのだ。猫はお金を持ってないから、お礼に缶コーヒーを買って来たりはできない。だけど、お金を持ってない猫でも、あたしのために何かできることはないかって考えてくれて、一生懸命にセミやトカゲを捕まえて、わざわざマンションの階段を上がり、2階のあたしのお部屋の前まで持って来てくれるなんて、その気持ちが嬉しいし、もう、たまんないほどいじらしい。

だけど、ホントに気持ちは嬉しいし、ホントにたまんないほどいじらしいと感じてることに嘘はないんだけど、虫が苦手なあたしとしては、こういうお土産って、ある意味、嫌がらせに近い部分もある。特に、完全に死んでるように見えるのに、触った瞬間に「ビビビビビーッ!」って動くセミなんて、一種のビックリ箱だ。それでも、今日はツクツクボウシだったから指で拾えたけど、他のセミの場合は、トラウマがあって指で触れないから、完全に死んでても、割箸で拾うしかない。

あたしが小学校の低学年の時、夏休みに近所の公園で2~3人の同級生の女の子たちと遊んでたら、そこにクラスの男の子たちがやって来た。みんな虫捕り網と虫カゴを持ってて、セミを捕りに来たって言う。その公園は、周りが森っぽくなってて、セミがいっぱい鳴いてたのだ。それで、あたしは、そのころはそんなに虫が恐くはなかったから、他の女の子たちと一緒に、男の子たちのセミ捕りを見に行った。でも、いくらセミがいっぱいいるって言っても、それは東京の渋谷のど真ん中だから、いるのはほとんどがアブラゼミで、鳴き声的にもビジュアル的にはイマイチだった。

それで、男の子たちは次々とアブラゼミを捕って、肩から提げた虫カゴに入れてったんだけど、ひとしきりセミ捕りをしたら、1人の男の子が、自分の捕まえたアブラゼミを1匹、虫カゴが取り出して、持って来た絹糸をそのセミの胴体に結んで、飛ばして始めたのだ。セミの胴体に2mくらいの糸を結び、その糸の端を持った手を高く上げると、そのセミはブンブンと円を描いて飛び始めた。それで、他の男の子たちもマネをして、みんなでセミをグルグルと飛ばして遊び初めて、そのうち、1人の男の子が、女の子にも「やってみる?」って感じで糸を渡したのだ。

女の子たちも、キャーキャー言いながらセミを飛ばしてるから、あたしもやってみたくなって、何番目からやらせてもらった。でも、そのころになると、セミも疲れて来たのか、自力で飛ばなくてすぐに落ちちゃうようになった。それで、あたしが、男の子に糸を返したら、その子は、疲れきってるセミをムリヤリに飛ばそうと、腕をブンブンと回し始めたのだ。セミは飛ぶ気がないから、しばらくは羽ばたかないんだけど、ムリヤリにブンブンと回してると、仕方なくちょっとだけ羽ばたいたりした。だけど、疲れも限界なのか、またすぐに羽ばたくのをやめて、そのまま落下しちゃう。

それで、その男の子は、今までよりもすごい勢いでセミをブンブンと回し始めたから、あたしは内心で「もうやめればいいのに」って思った瞬間、そのセミが「ビビッ!」っと短く鳴いて、2つの物体が飛んでって、遠くの地面に落ちたのだ。みんなが駆け寄ってみたら、糸を結んでたとこからセミの胴体が真っ二つに切断されてて、羽根をバタバタさせてのたうち回ってる上半身と、ビミョ~にピクピクしてるお腹から下の部分が落ちてて、あたしは気絶しそうになった。糸を普通に結んだんじゃなくて、引っぱると縮まる輪にして、それをセミの胴体にはめてから糸を引いて固定してたので、あんまりブンブンと回したもんだから、遠心力で輪が閉まってセミの胴体を切断しちゃったみたいなのだ。

‥‥そんなワケで、その時の光景は、完全にあたしのトラウマになった。百歩ゆずって、切断されたセミが即死してたとしたら、こんなに何十年も悩まされることはなかったと思う。だけど、羽根のついてる胸から上は狂ったようにバタバタしてたし、サナギみたいなお腹から下の部分もピクピクしてたし、さらには、それを拾った男の子の人が、「セミの中って空っぽだぜ!」って言いながら、胴体の中が空洞になってることをあたしたちに見せて回ったもんだから、あたしは「ひぃ~!」って貧血っぽくなって、あとちょっとでホントに気絶するとこだった。

そして、それから何年かが過ぎて、外国に「ギロチン」ていう恐ろしい死刑があったことや、ニポンでも昔は人の首を刀で斬り落とす斬首刑があったってことを知った時に、このセミのことをすぐに思い出した。あたしは、想像力が暴走しちゃうタイプだから、「首を斬り落とされた人間はどうなるんだろう?」って想像しちゃって、小学生の時に見たアブラゼミのように、胴体だけが手足をバタバタさせてたり、頭だけがピクピクしてたりする光景を想像しちゃって、夜も眠れなくなるほどの恐怖に襲われた。

死刑は、もちろん残酷な刑だけど、それでも、即死する銃殺刑と比べたら、ギロチンの恐怖は喩えようがないほど恐ろしいと思った。だって、どう考えても、首を斬り落とされてから、数秒間は意識があるハズだからだ。「X51.ORG」の「斬首/切断された人間の頭部は意識を有するか」っていうエントリーによると、ギロチン刑になった死刑囚の中には、首を斬り落とされた瞬間に即死したケースがある一方、首だけになってから30秒間もマバタキを続けてたケースもあるそうだ。そして、それを「死後のケイレン」で片づけられればいいんだけど、首だけになった死刑囚の名前を呼んだら、その声を聞いて目を開けたってケースも報告されてるから、やっぱり、首だけになっても、数秒間は、目や耳と脳みそとが動いてるんだと思う。

さらには、この「X51.ORG」では、首がないまま18ヶ月も生存したニワトリのケースも紹介されてる。「奇跡の首無し鶏マイクの残したもの」っていうエントリーで、今から60年ほど前、アメリカのコロラド州の農家の人が、自分の飼ってるニワトリの中の1羽を食べようと思い、首を斬り落としたところ、そのニワトリは死なずに、そのまま歩いて自分の小屋へと戻って行ったそうだ。それで、農家の人は、そのニワトリに「マイク」って名前をつけて、切断された首の食道からスポイトでお水やエサを与えてたら、頭のない胴体だけのニワトリなのに、そのまま18ヶ月も生き続けて、首を斬った時には2ポンドしかなかった体重が、4倍の8ポンドになるまで成長したという。そしたら、ギロチンで首を斬り落とされた人も、首から栄養を与えてたら、胴体だけは何日かは生き延びるのか?‥‥って思っちゃう。

‥‥そんなワケで、あたしは、殴られたり蹴られたりする痛みには強いんだけど、鋭利な刃物でスパッと斬られるような状況が苦手だ。もちろん、今までに鋭利な刃物で斬られた経験はないけど、刃物で斬られるとしても、サバイバルナイフや刀とかは、そんなに恐くない。それよりも、カミソリやカッターみたいに薄い刃物が恐いし、レポート用紙で指を切ったりするのも恐い。だから、この感覚も、小学生の時に、糸で真っ二つに切断されたセミを見たトラウマなんだと思う。だから、オトトシのお正月に、100円ショップで買って来た薄い刃のパン切り包丁で、左手に持った夏みかんを切ったら、その下の自分の手の指までスパッと切っちゃって、左手の人差し指が骨まで見えるほど深いキズで、ものすごい大流血になっちゃった時は、マジで失神しそうになった。ま、その時のことは、2007年1月9日の日記、「キッコゲリオン活動限界」に詳しく書いてあるから、スプラッタ系がお好きな人は読んでみて欲しいと思う今日この頃なのだ。


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2009.09.05

ガリガリ君の謎

あたしの使ってるトイレットペーパーって、いつものスーパーで一番安い12個入りで198円のヤツなんだけど、前にも書いたように、今はシングルを使ってる。ダブルもシングルも値段がおんなじだから、あたしは深く考えずに、「おんなじ値段ならダブルのほうがいい」って思ってダブルを買ってたんだけど、ある時、間違えてシングルを買ってきちゃった。それで、初めてシングルを使ってみたら、ダブルの1.5倍くらい長持ちした。それで、それからは、ずっとシングルを使ってる。詳しくは、2年前の日記、「時代はシングル」を読んでもらうとして、とにかく、あたしは、2年前から、トイレットペーパーはシングルに変えた。

あたしが、いつものスーパーで買ってるいつものトイレットペーパーは、2年前までは168円とか178円とかだったんだけど、それから198円に値上がりして、今も198円だ。これは、あたしにとってはヒジョ~に高いんだけど、「トイレットペーパーは12個入りで200円以下」って決めてるあたしの生活ルールにギリギリセーフだし、売ってる中で一番安いのがコレなので、仕方なく買い続けてる。ま、あたしは1人暮らしなので、12個入りのトイレットペーパーを買えば2ヶ月は持つワケで、30円の値上げって言っても、1ヶ月あたり15円、2日で1円てことで、そう考えれば、そんなに腹は立たない。

それで、前に買ったトイレットペーパーが残り2個になったので、そろそろ買っとこうと思って、昨日、お仕事の帰りにいつものスーパーに寄って、いつものトイレットペーパーを買って来た。そして、おトイレの中の上の棚に乗せた時に、ある異変に気づいた。ビニール袋のデザインは一緒なのに、真ん中のトイレットペーパーのロゴの下に、「55m」って書いてあるのだ。あたしは、確か「60m」じゃなかったかと思って、隣りの残り2個が入ってるほうのビニール袋を見てみたら、やっぱり「60m」って書いてあった。おんなじメーカーのおんなじトイレットペーパーで、値段もおんなじ198円なのに、コッソリと長さを短くしやがったのだ! コレって、実質的な値上げじゃん! それも、「60m」を「55m」にしたってことは、約1割の値上げってことで、あたしの怒りのタコメーターはレッドゾーンをぶっちぎっちゃった今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、「30円の値上げ」に対しては、1ヶ月あたり15円、2日で1円て考えて、怒りを抑えてたあたしだけど、この「55m」に関しては、逆に怒りが爆発した。だって、1個あたり5m短くなったってことは、12個で60m短くなったってことで、結局、1個ぶんが丸々なくなったってことじゃん! これは、今までは12個入りで198円だったものが、これからは11個入りで198円になったのとおんなじことだ。それなら、こんなセコムなことなんかしないで、今まで通りに「60m」のを12個入れて値段のほうを220円にするとか、「60m」のを11個にして198円のままにするとか、どっちかなら納得できるけど、1個1個のトイレットペーパーの全長をセコセコと5mずつカットするなんて、あまりにもやり方が竹中平蔵だ!

もちろん、このトイレットペーパーのビニール袋には、ちゃんとハッキリと「55m」って書いてあるんだから、竹中平蔵みたいな悪質極まりないペテン師と一緒にしたら失礼なことは分かってる。そして、買う時に気づかなかったのは、あたしのほうに落ち度があることも分かってる。だから、一方的に「竹中平蔵だ!」だって決めつけてペテン師呼ばわりするのは、スージー・クアトロが通ってないってことはジュージュー承知してるんだけど、あたしは、どうしても、この、内容を減らしたり品質を下げたりして値段を変えないコソクな「実質的な値上げ」ってパターンがガマンできないのだ。それなら、まだ、内容も品質もそのままで、正々堂々と値段を上げたほうが気持ちいい。

最近のポテトチップスは、袋を開けて中を覗くと、今開けたとこなのに、もうすでに誰かが半分くらい食べちゃったのかと思うほど、底のほうに少ししか入ってない。以前は、最低でも半分くらいは入ってたのに、今は袋の容量の3分の1くらいしか入ってない。あたしは、お皿を汚すのがイヤだから、ポテトチップスは袋から直接食べる。そして、一度にぜんぶ食べず、何回かに分けて食べるから、俗に言う「パーティー開け」はしないで、上部を開けて袋状にする。

その上、あたしは、指や爪に油や粉がつくのがイヤだから、ポテトチップスを指でつまんで食べるのが嫌いで、たいていは割箸で食べる。だけど、開けた瞬間から3分の1くらいしか入ってない今のポテトチップスだと、割箸を奥のほうまで入れないとつまめないのだ。手が汚れるのがイヤで割箸を使ってるのに、割箸を持ってる手の部分まで袋の中に入れないとつまめなくて、手の周りの部分が袋の口の内側に触れて油がついたりしちゃうのだ。あ゛~~~~想像しただけでイライラしちゃう! だから、あたしは、もう1年以上も、ポテトチップスは買ってないし食べてない。だって、ほとんどのメーカーのポテトチップスが、内容量を減らした上に値段も値上げするっていう、まるで自民党みたいに消費者を無視した暴挙に出たからだ。たかがジャガイモを薄く切って揚げただけなのに、人をバカにするのもタイガイにしろ!‥‥って言いたくなる。

‥‥そんなワケで、最近、あたしが疑ってるのは、ナニゲに「ガリガリ君」が短くなったんじゃないかってことだ。これは、確実な証拠があるワケじゃなくて、「なんとなくそう感じてる」ってだけだから、ヘタな書き方をしたら赤城乳業から怒られちゃう。だから、あくまでも、あたしの個人的な感覚の問題として書いてくけど、あたしの「ガリガリ君」の食べ方は、ちょっと変わってる。「ガリガリ君」みたく棒のついたアイスって、普通の人は、袋の棒のある側を開けて、棒を持ってアイスを出して、そのまま食べるだろう。でも、あたしは違うのだ。

コレ、前にも書いたかもしれないけど、あたしの場合は、棒のない側を開けるのだ。そして、そこから「ガリガリ君」の頭の部分をヌッ!と押し出して、袋の上から棒を持ち、袋から出た部分だけを食べ、少しずつ「ガリガリ君」を押し出してく。この食べ方をすれば、溶けた「ガリガリ君」の汁が垂れるのを極力抑えられるし、その汁が棒を伝って来て指につくこともない。そして、最後に棒を捨てる時も、袋ごと一緒に捨てられる。これも、ポテトチップスの油や粉が指や爪につくのがイヤなのとおんなじで、指がベタベタになるのがイヤだから考えた食べ方なのだ。

で、この食べ方をしてると、「ガリガリ君」の全体像を見ることがない。それで、あたしは、気づくのが遅くなっちゃったんだけど、去年の夏ころから、ナニゲに、どうもガリガリ君が短くなったような気がしてた。だけど、袋からぜんぶを出して確認するのもアレだし‥‥って思って、疑問を持ちつつも、普通に食べてた。でも、今年の夏になって、またヒンパンに「ガリガリ君」を食べるようになったら、やっぱり、どうしてもすぐに食べ終わっちゃう。昔は、もっと、ずっと食べてられた上に、最後の一番美味しい部分に、思ってたよりも早く到達しちゃうのだ。

「ガリガリ君」の美味しさのポイントは、何と言っても、外側の硬い部分と内側のシャリシャリの部分とのコンビネーションだ。「コーラ味」なら「コーラ味」、「ソーダ味」なら「ソーダ味」って、1つの「ガリガリ君」はすべて1種類の味なのに、この2つの食感によって、1種類の味を複雑に楽しむことができる。そして、この美味しさが際立つのが、最後の部分だ。最後の部分は、外側の硬い部分が右から左まで全体を覆ってる上に、最初の部分よりもナゼか厚みがある。だから、少しだけ残ってるシャリシャリの部分との食感のコンビネーションをタップリと楽しむことができる。「美味しいものは最後にとっとく派」のあたしとしては、まさに理想的なアイスなのだ。

だけど、昔は、この「最後の美味しい部分」にたどり着くまでに、ケッコー長いこと時間が掛かってたのに、最近は、「えっ? もう最後の部分なの?」って感じがしてる。それで、こないだ、最後の部分になった時に、袋から出して棒を持ってみたら、最後の部分から出てる棒がヤタラと長く感じたのだ。ナニゲに、棒自体も細くなったみたいで、どうも昔の「ガリガリ君」とは雰囲気が違う。昔の「ガリガリ君」は、もっと棒の幅があったように思うし、もっと棒の根本のほうまでアイスがついてたような気がした。ものすごくフランク・ザッパに言うと、昔の「ガリガリ君」は、アイスから出てる棒の長さが4cmくらいだったのに、今の「ガリガリ君」は、6cmくらいあるような気がした。

「ガリガリ君」て、値段が安いのに大きくてガリガリと食べられるのが「売り」だったハズなのに、今の「ガリガリ君」て、長さが短くなっただけじゃなくて、何となく、厚みも薄くなったみたいな気がするし、全体的にひとまわりくらい小ぶりになったような気がするのだ。もちろん、これは、キチンと計ったワケじゃなくて、あくまでもあたしの感覚なので、間違ってたら、赤城乳業の関係者の皆さん、ごめんなさい。

‥‥そんなワケで、あたしの大好物だった明治エッセルの「スーパーカップ」も、グリコの「ジャイアントコーン」も、ずっと100円だったアイスが、次から次へと125円に値上がりして、あたしはメッタに食べられなくなった。今までは、スーパーで「3個100円」で売ってたから、1個あたり70円弱で、「スーパーカップ」が大好きなあたしは、1年中食べてた。平均すると週に2~3回は食べてたから、年間に100個以上は食べてたことになる。だけど、100円から一気に125円なんていう傍若無人な値上げを強行して、スーパーでも「1個98円」なんていうセレブ商品の仲間入りをしちゃったから、あたしは、パッタリと買うのをやめた。去年も1個か2個しか買ってないし、今年はまだ1個も買ってない。それまで、年間に100個以上も買ってたのが、ほぼ0個になったんだから、この値上げの酷さが分かるだろう。

さっきは、「あたしは、どうしても、この、内容を減らしたり品質を下げたりして値段を変えないコソクな「実質的な値上げ」ってパターンがガマンできないのだ。それなら、まだ、内容も品質もそのままで、正々堂々と値段を上げたほうが気持ちいい。」って書いたけど、それだって、198円のトイレットペーパーを220円に値上げする程度の「約1割の値上げ」のことを言ってるワケだ。あたしが許せるのは、100円のアイスなら、最大で110円までの値上げで、一気に125円に値上げするなんて、いくらなんでも経団連すぎる。

そして、他のアイスが次から次へと値上げする中、子供たちのためにガンコに60円を守り続けてくれてる赤城乳業の心意気も、「ガリガリ君」が、あたしの数少ない定番のオヤツになってる理由の1つだった。だけど、この、あたしが「赤城乳業の心意気」だと思ってた姿勢が、もしかしたら、「内容量を減らして定価を据え置く実質的な値上げ」なのかもしれないってワケで、そうなって来ると、トイレットペーパーやポテトチップスとおんなじで、あたしの大嫌いなパターンてことになる。

何の証拠もなくて、あたしの感覚だけによる疑惑なので、あんまり決めつけた書き方はできないけど、子供のころは巨大に見えたし、大人になってからも食べるたびに「安くて大きいガリガリ君」て感じてたのに、ここ2~3年くらいで、急に小さくなったように思えて仕方ない。そして、そう思うようになったのが、「スーパーカップ」や「ジャイアントコーン」を始めとした他のメーカーのアイスが軒並み値上げをした時期や、ポテトチップスが内容量を減らし始めた時期と重なってるから、あたしの感じてる疑惑にリアリティーさが加わっちゃってるのだ。

‥‥そんなワケで、疑惑は疑惑として、それでも、60円で買える「ガリガリ君」は、節約生活をしてるあたしにとっては大切なアイスだから、これからも、定番の「コーラ味」を始め、期間限定の味が出るたびに買うと思う。そして、冬場には少しやわらかい「ガリ子ちゃん」を買ったり、パチンコで大儲けした時には高級な「リッチミルク」や「リッチチョコ」を買うと思う。だけど、子供のころに食べた「ガリガリ君」は、今みたいな横向きの絵じゃなくて、確か縦向きに絵が書いてあって、食べるたびにその大きさに感動してた。大きくて、重くて、食べても食べても減らなかった。あのころの感動は、今の「ガリガリ君」からはぜんぜん感じられないから、あたしはいいけど、今の子供たちがちょっとかわいそうな気もする今日この頃なのだ。


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2009.09.04

歌謡曲の功罪

吉田拓郎の何十年も前の古い歌で、「旅の宿」っていう温泉の素みたいなタイトルの歌がある。「浴衣の君は~芒の簪~熱燗徳利の首つまんで~♪」って歌で、漢字も空気も読めないフロッピー麻生のために書いとくと、「浴衣(ゆかた)」「芒(すすき)」「簪(かんざし)」「熱燗(あつかん)」「徳利(とっくり)」って読む。「すすき」に関しては、他にも「薄」とか「尾花」とか書く場合もあるけど、俳句をやってるあたしとしては、漢字で書く場合には「芒」の字を好んで使ってる。

 

で、「俳句」って言えば、この「旅の宿」って歌の中には、「ああ風流だなんて~ひとつ俳句でもひねって~♪」って歌詞が出て来る。だけど、「浴衣」は夏の季語だし、「芒」は秋の季語だし、「熱燗」は冬の季語だから、この歌は季感がメチャクチャで、いったいぜんたい「いつ」の歌だか分かんない。それで、この歌の歌詞を検索してぜんぶを読んでみたら、後半に「上弦の月だったっけ~久しぶりだね月見るなんて~♪」ってのがあった。「月」はもちろん秋を代表する季語だから、歌い出しの部分の「芒」と合わせて考えると、この歌は秋の歌ってことになる。さらに言えば、「上弦の月」なんだから、9月の下旬か10月の下旬てことになる。

 

そして、「旅の宿」ってタイトルから考えれば、この「浴衣」だって、夏をイメージさせるキレイな浴衣じゃなくて、旅館の名前やマークが入った、夜の熱海とかをウロウロしてるオッサンたちが着てる、季感のない例の浴衣だってことが分かる。今でこそ、ちょっと気の利いた温泉宿なら、女性のためにキレイな浴衣と帯をとりそろえてて、どれでも好きなものを選んで着ることができるようになった。だけど、この歌がリリースされたのは、1972年、あたしが生まれた年で、今から36年も前なのだ。こんな昔に、女性用にキレイな浴衣を用意してる旅館なんてアリエナイザーで、家族で旅館に泊まれば、男性用も女性用も子供用も、すべておんなじ柄で、その旅館の名前やマークの入った味気ないものだった今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?

 

 

‥‥そんなワケで、吉田拓郎と言えば、ほとんどの楽曲を自分で作詞作曲してるけど、この「旅の宿」は、岡本おさみの作詞だ。そして、この「旅の宿」とおんなじに、作詞が岡本おさみ、作曲が吉田拓郎っていう組み合わせだと、森進一の「襟裳岬(えりもみさき)」が有名だ。それで、これまた歌詞を検索して読んでみたら、この「襟裳岬」も、季感がメチャクチャで、よく分からない歌だった。だって、歌い出しのとこでは、「北の町ではもう~悲しみを暖炉で~燃やし始めてるらしい~♪」ってなってるから、この部分からは、「北海道以外ではまだ暖房をつけるような季節じゃないのに、襟裳岬のほうの町では早々と暖炉を使ってる」ってふうに解釈できる。つまり、普通に考えたら、まだ冬になる前の季節で、秋ってことになる。だけど、この歌は、このあと、「襟裳の春は~何もない春です~♪」ってなってるのだ。

 

「北の町では悲しみを暖炉で燃やしている」ってのなら、何も問題はない。この書き方なら、秋でも冬でも春でも成り立つ。だけど、この文章に「もう」と「始める」が加えられて、「北の町では、もう、悲しみを暖炉で燃やし始めている」ってなると、ここには、「まだ暖炉を使うような季節じゃないのに」って意味が付加されるから、普通のニポン語の解釈をすれば、これは冬に入る前の秋ってことになる。だから、襟裳が何もない閑散とした町なのかどうかは別問題として、このあとに続く「襟裳の春は何もない春です」って部分は、正しくは「襟裳の秋は何もない秋です」ってなってないとツジツマが合わない。

 

そして、結論の「襟裳の春は何もない春です」のほうに季感を統一するのなら、歌い出しの「北の町ではもう悲しみを暖炉で燃やし始めてるらしい」の部分を直さなきゃなんない。この部分の「もう」を「まだ」に変えて、「始める」を「続ける」に変えて、「北の町ではまだ悲しみを暖炉で燃やし続けてるらしい」に直せば、このあとに「襟裳の春は何もない春です」って歌詞が出て来ても、「まだまだ寒い早春の景」として成り立つし、季感に一貫性が生まれる。「旅の宿」のほうは、「浴衣」を「宿の浴衣」、「熱燗」を「個人の好み」ってことにすれば、何とか「秋の景」として成り立つけど、こっちの「襟裳岬」のほうは、文法的に問題があるワケだから、直さないと通じない。

 

‥‥そんなワケで、こんな意味の通らない歌詞の歌でも、有名な歌手が歌うとレコード大賞を獲れちゃうんだから、ニポンの歌謡曲の世界って、歌詞に関してはイイカゲンなんだと思う。これが、もしも俳句だったとしたら、「著名な俳人がデタラメな季語の句を詠んだ」ってことになるから、作者が松尾芭蕉であろうと正岡子規であろうと、絶対に大きな賞を受賞することはできない。俳句の世界では、悪い俳句を批評する時の言い回しとして、「まるで歌謡曲の歌詞のようだ」とか「まるで演歌の歌詞のようだ」とかって言うんだけど、もちろんこれはホメ言葉じゃなくて、「デタラメだ」とか「安直だ」って意味として使われてる。

 

たとえば、「氷雨」って歌がある。「飲ませて~ください~もう少し~♪ 今夜は~帰れない~帰りたくない~♪」って歌で、「とまりれん」ていう作詞家が書いた歌だ。この歌の中には、「氷雨」って言葉は出て来ないけど、「外は冬の雨~まだ止まぬ~♪」ってフレーズが出て来るから、この歌は「冬の景」として書かれたことは間違いない。だけど、正しいニポン語的には、「氷雨」ってのは「冷たい雨」のことじゃないのだ。「氷雨」ってのは、「雹(ひょう)」のことを指す言葉で、夏の季語なのだ。真夏に、突然バラバラと降って来る「雹」のことをニポンでは古来から「氷雨」と呼んでて、「氷のように冷たい雨」じゃなくて、「氷そのものが雨のように降って来ること」を指す。

 

もっと語源にあたると、冬に降る「霰(あられ)」のことも、昔は「氷雨」って呼んでた。ようするに、いつの季節であっても、「雨」でもなく「雪」でもなく、「氷」が降って来ることを「氷雨」って呼んでたのだ。でも、冬は雪も降るから、「霰」が降ってもそんなに驚かない。そこで、夏に降る「雹」のほうを主に「氷雨」って呼ぶようになり、冬に降る「霰」とは区別するようになった。これが「氷雨」って言葉のルーツだから、ニポン語の成り立ちを大切に考えてる俳句では、古人にならって「氷雨」を夏の季語としてる。だけど、この「氷雨」って歌の流行によって、ニポン中に「氷雨」を「冷たい雨」だと思い込む人たちが増殖しちゃったみたいで、とうとう「大辞林」の第二版には、「氷雨」の第2の意味として、こんなことが書き加えられちゃった。

 

 

【氷雨】
(1)雹(ひよう)。あられ。[季]夏。
(2)晩秋・初冬の冷たい雨。

 

 

歌の「氷雨」は、とまりれんが1977年に作詞作曲して、5年後の1982年に大ヒットして、翌年の1983年にレコード大賞のロングセラー賞を始め、いろんな賞を獲ったそうだ。そして、「大辞林」の第二版は、「氷雨」のヒットから13年後の1995年に発行されてる。これを考えれば、本来は夏に降る「雹」のことを意味してた「氷雨」って言葉なのに、世の中の間違った認識のほうがあまりにも人口に膾炙(かいしゃ)しちゃったために、辞書までもが、その間違った意味を掲載せざるをえなくなっちゃった‥‥ってふうに考えられる。「晩秋、初冬の冷たい雨」のことは、何百年も前から「時雨(しぐれ)」っていう美しい言葉で呼ばれてるのに、「大辞林」てアホじゃないの? そして、また歴史ある美しいニポン語が1つ、デタラメな歌謡曲のセイで消えて行くのであった‥‥。

 

歴史ある美しいニポン語を大切にしてる俳人のハシクレとしては、こうしたケースって、とっても悲しい。歌謡曲なんて、どうせ聴くほうも「所詮は歌謡曲なんだから」ってことで、そんなに細かい部分までは気にせずに聴いてるんだろうけど、あたしは、そうした聴き手のイイカゲンな姿勢が、作り手のテキトーさを助長させてるようにも思う。たとえば、さだまさしが作詞作曲した山口百恵の「秋桜(コスモス)」って歌にしても、歌詞のテキトーさが、あたしにはシックリ来ない。歌い出しは「薄紅のコスモスが秋の日の~なにげない陽だまりに揺れている~♪」ってなってて、「コスモス」にしてもわざわざ「秋桜」って書いてるんだから、どう見たって「秋の景」を書いたものだと思う。それなのに、途中にこんなフレーズが出て来るのだ。

 

 

「こんな小春日和の~穏やかな日は~あなたの優しさが~しみてくる~♪」

 

 

「きっこの日記」の愛読者なら、この「小春日和」ってのが、冬の季語だってことはご存知だと思うけど、あたしが言いたいのは、そんな「重箱の隅」的なことじゃなくて、もっと本質の部分だ。「コスモス」は仲秋の季語で、「小春日和」は初冬の季語だから、少しムリをすれば重ねることはできる。だから、「冬の小春日和に秋のコスモスが揺れてる」って景は、現実的にもアリエールだ。だけど、「コスモス」と「小春日和」っていう季語の持つそれぞれ本質を考えた場合には、この取り合わせは、あまりにも無節操でセンスのカケラもないことが分かるのだ。

 

「コスモス」は、6月ころから咲き始めて、10月には終わりを迎える。場所によっては、それこそ11月の初冬に入っても咲いてるけど、漢字で「秋桜」って書くことからも分かるように、その本意は「秋」だ。「秋の風」は、別名「色なき風」とも言うけど、これは、秋の風を「白色(無色)」とした中国の感覚に基づくもので、「寂しさ」を表わしてる。それも、単純な「寂しさ」じゃなくて、「爽やかさ」を含んだ「寂しさ」ってことだ。たとえば、恋人との別れなら、別れてから泣き続けたり後悔したりする「あとを引く別れ」じゃなくて、別れたことは悲しいけど、どこかサッパリとした別れってことになる。ずっと繋がれてた風船が、ようやく糸を切って自由に大空を飛べるようになったような、そんな爽やかさがあるのが、「秋の風」を始めとした秋の季語の本意なのだ。

 

そして、6月ころから咲き始める「コスモス」が、何で夏の花じゃなくて秋の花とされてて、その上、「秋桜」なんてアテ字までつけられちゃって、秋を代表する花の1つに挙げられてるのかっていうと、それは、花びらが細くて可憐な花なのに、細長い茎がシッカリしてて、「秋の風」に揺れる姿に風情があるからだ。風ってものは、自分がその風に吹かれて肌で体感する以外には、目で見たり耳で聞いたりすることはできない。でも、その風の干渉を受ける何かがあれば、目や耳で確認することができる。窓から風に揺れてるコスモスを見れば、そこに秋の風が吹いてることが分かるし、夜中に強風が鳴らす電線の音を聞こえれば、外に台風が来てることが分かる。

 

つまり、ひと夏を咲いてる「コスモス」をあえて秋の花としてるのは、花のイメージだけじゃなくて、「色なき風」と呼ばれてる無色の秋の風を視覚的に感じさせてくれる媒体としての意味もあるワケだ。そして、さだまさしの「秋桜」の歌い出しの部分、「薄紅のコスモスが秋の日の~なにげない陽だまりに揺れている~♪」ってのは、さだまさしだけに、まさしく「秋の風」を感じさせてくれる表現であり、わざわざ「秋の日」なんて念を押す必要もないほど、秋っていう季感を的確にとらえた秀逸な表現てことになる。

 

それなのに、嗚呼それなのに、それなのに‥‥って、やっぱり五七五で嘆いちゃうけど、そのあとの「こんな小春日和の~穏やかな日は~♪」ってフレーズのデタラメさだ。「小春日和」は初冬の季語だけど、その背景には、「冬の気候」がある。11月の頭の立冬を過ぎ、北から寒気団が南下して来て、気温も風も一気に冬めいて来ると、街にはコートやブーツの姿が目立つようになる。そんな中で、移動性高気圧の影響で、数日間だけ、まるで春のように暖かくなることがあって、これが「小春日和」だ。つまり、通常が「冬の気候」になってるからこそ、この「小春日和」の暖かさが際立つワケで、まだ「秋の風」が吹いてるような状況下とは、まったく季感が違うのだ。ようするに、さだまさしは、「小春日和」って言葉の本意を深く考えずに、単に語呂として「使ってみたい言葉だったから使ってみた」ってふうに、あたしは感じてる。

 

‥‥そんなワケで、あたしは、季感のメチャクチャな歌謡曲の歌詞から、最近のヤタラと説教くさい似たり寄ったりのニポンのレゲエやラップの歌詞に至るまで、なんだかなぁ~って思ってるんだけど、そんな曲がヒットしてる現実を見れば、悪いのは作ってる側じゃなくて、聴いてる側のレベルの低さだってことは一目瞭然だ。ニポン語の美しさが分からず、言葉そのものの本意どころか、その言葉の表面上の意味さえも知らない人が作ったデタラメな歌が、こんなふうにヒットしてる現実を見れば、漢字の読めない総理大臣を笑うことはできないと思う。「ブスにはブスの生き方がある」や「尾崎んちのババア」とかでオナジミの元「まりちゃんズ」の藤巻直哉‥‥って言っても分かる人は少ないと思うから、「崖の上のポニョ」の「大橋のぞみと藤岡藤巻」の藤巻って言い直すけど、その藤巻直哉が「あまりにも吉田拓郎のインパクトが凄くて、僕ら拓郎世代からすると、その後の長渕剛や尾崎豊とかは拓郎の亜流に見える。それなら拓郎を聴いた方がいい」って言ってるように、今、一部のファンから神格化されてる尾崎豊だって亜流なんだし、その元になってる吉田拓郎だって所詮はボブ・ディランの亜流だろう。だけど、こうした亜流が売れちゃう背景には、ニポン人全体の感性の低レベル化があるんだと思うし、それに合わせて辞書までもが言葉の意味を変更しちゃう大衆迎合っぷりを目の当たりにしちゃうと、あたしみたいな「古くからあるニポン人の感性を大切にしたい」っていうマイノリティーは、完全にダッフンしちゃう今日この頃なのだ。

 

 

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2009.09.03

雑巾がけの旅

「K-1グランプリ」って言えば格闘技だし、「M-1グランプリ」って言えば漫才だけど、これらの名称のモトになってるのは、もちろん、モータースポーの最高峰、「F-1グランプリ」だ。とにかく、このナントカグランプリってのは、次から次に作られてて、最近だと、B級グルメを競う「B-1グランプリ」なんてのもできた。車のドリフトを競う「D-1グランプリ」なんてのもあるし、ヤマハが主催してるマリンジェットのレース、「S-1グランプリ」とか、麻雀好きの声優が集まって麻雀の腕を競う「J-1グランプリ」とか、ゴルフのドライバーショットの飛距離を競う「L-1グランプリ」とか、いろんなのがある。ちなみに、この「L-1グランプリ」の「L」ってのは、「Long Distance」の「L」だそうだ。

他にも、マイナーなとこだと、コピーライターがコピーを競う「C-1グランプリ」とか、名古屋の企業が競う「N-1グランプリ」なんてのもあって、ニポン中を探せば、AからZまで、すべてのグランプリがありそうな気がする。でも、元祖の「F-1グランプリ」が大好きなあたしとしては、やっぱり、スピードを競うレースとかに、この「グランプリ」って名前を使って欲しいと思う。漫才だのお料理だのに使われると、何か「F-1グランプリ」のことをバカにされてるような気がしちゃう。たとえば、「漫才グランプリ」とかって名前ならいいんだけど、「F-1」をパロって「M-1」とかされてる部分に腹が立つ。

ま、そんなこんなもありつつ、AからZまで、すべてのグランプリがあるとすれば、その最後のグランプリは「Z-1グランプリ」ってワケで、実は、これも実際にある。それも、あたしの理想通りに、スピードを競うグランプリなのだ。「Z-1グランプリ」って名前で、スピードを競うとなれば、ナニゲにすごくカッコイイ感じがしちゃうけど、この「Z」が何の頭文字なのかって言うと、聞いてビックル一気飲み! 「雑巾(ぞうきん)」の「Z」なのだ! そう、この「Z-1グランプリ」ってのは、雑巾がけのタイムを競うグランプリで、四国は愛媛県の宇和島で開催されてる今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、「雑巾がけ」と「宇和島」っていう2つのキーワードで「ハッ!」っと気づいた人もいるかと思うけど、これは、稲垣早希ちゃんの「四国一周ブログ旅」で、数え切れないほどのマニアの方々をハァハァさせちゃった例のコスプレ、アスカの真っ赤なプラグスーツでの雑巾がけに挑んだ場所、そう、「宇和 米博物館」だ。正確に言えば「宇和島市」じゃなくて「西予市」にあるそうなんだけど、「宇和 米博物館」ていう名前から、愛媛にも四国にも一度も行ったことのないあたしには、どうしても「宇和島」って地名が浮かんじゃう。ここは、古い小学校を利用して造られたお米の博物館だから、当時の全長109メートルの廊下もそのままで、この長い廊下を雑巾がけで一気に進み、何秒でゴールできるかっていうタイムトライアル、それが「Z-1グランプリ」なのだ!

早希ちゃんは1人でタイムトライアルしてたけど、この「Z-1グランプリ」では、2人ずつレースを行なう。これは、廊下の幅の問題もあるんだろうけど、2人で勝負するから、まるで車のゼロヨンみたいな感じだ。前に、アメリカのドラッグレースのことを書いたことがあるけど、あたしはゼロヨンが大好きだから、たとえ雑巾がけのレースだとしても、なかなか興味深い。だって、109メートルもある廊下なのに、去年の優勝者は「18秒29」っていうミラクルなタイムなのだ。これは、宇和高校の広瀬洋一君(当時18才)が出したタイムで、それまでの最高記録の「18秒38」を塗り替えて、現在のレコードになってる。

コレって、100メートルを普通に走っても一般人には速い部類のタイムなのに、109メートルを雑巾がけで「18秒29」だなんて、まるでお尻からジェット噴射でもしたんじゃないかって思っちゃう。だって、早希ちゃんのタイムは「3分15秒」だったし、その前にチャレンジしてた小学生の男の子でも、1分か2分か掛かってたからだ。これを考えたら、この「18秒29」ってタイムが、どれほどスゴイのかってことが分かると思う。ちなみに、「Z-1グランプリ」は、ちゃんと申し込みをして、夏に何度か行なわれる予選に出て、勝ち抜いた人たちが10月の決勝戦で戦うんだけど、ふだんの日に行っても、早希ちゃんみたいにタイムを計ってくれて、認定証がもらえるのだ。だから、今までに、早希ちゃんの他にも、いろんなタレントさんがチャレンジしてる。

有名なとこでは、3年くらい前に「鉄腕DASH!」でチャレンジしたTOKIOの国分太一と長瀬智也だ。国分太一は「2分9秒」、長瀬智也は「2分57秒」だったから、早希ちゃんの「3分15秒」は、そんなに酷い記録じゃないってことだ。だけど、明石家さんまが「1分18秒」、桂小枝が「2分7秒」、ナイナイの矢部浩之が「1分41秒」、テツ アンド トモのテツが「1分ちょうど」っていう記録を見ると、早希ちゃんが酷いとか酷くないとかって言う前に、国分太一と長瀬智也が情けないような気がして来る。あとは、体操選手の池谷幸雄が「25秒」、愛媛マンダリンパイレーツの安達哲郎が「24秒」ってタイムを出してるから、やっぱりスポーツ選手はケタ違いに速いみたいだ。

‥‥そんなワケで、あまりにも楽しそうな雑巾がけだけど、こうしたタレントさんたちのタイムを見ると、あたしの場合、どんなにがんばっても2分を切るのがいいとこで、奇跡が起こっても1分を切ることはできないと思う。だから、「Z-1グランプリ」には出られないけど、いつか愛媛に行った時には、通常のタイムトライアルにチャレンジさせてもらって、自分のタイムを知りたいと思う。もちろん、雑巾がけをするためだけに愛媛まで行くなんてできないから、何かの用事のついでにだけど。たとえば、母さんを道後温泉に連れてって、そのついでに「宇和 米博物館」に行って雑巾がけをして、それから高知の足摺岬へ行って「ホエールウォッチング」をして‥‥って、これじゃあ早希ちゃんとおんなじか(笑)

でも、早希ちゃんの「四国一周ブログ旅」を観てたオカゲで、あたしは、「愛媛と言えば宇和島」って感じになった。あたしは俳句が趣味だから、今までは「愛媛と言えば松山」って感じだった。だけど、「四国一周ブログ旅」の愛媛での通過ポイントが、「千と千尋の神隠し」の「油屋」のモデルにもなった「道後温泉」と、この「宇和 米博物館」だったから、今は「松山」と「宇和島」が浮かぶようになった。それにしても、「道後温泉」での早希ちゃんの入浴シーンと、「宇和 米博物館」での早希ちゃんのプラグスーツでの雑巾がけのシーンは、両方ともマニアの方々にはたまんない名シーンだったと思う。だからこそ、先週の総集編でもタップリと編集してたんだろうけどね。

とにかく、この「四国一周ブログ旅」の効果で、四国の県や市の知名度が上がったことだけは確かだと思う。西に住んでる人たちが関東や東北や北陸の県に疎いように、東に住んでる人たちは、四国や九州や中国地方の県に疎い。ニポンの地理はワリと得意なあたしでも、四国の4県の名前と場所くらいは分かるけど、県庁所在地までは自信がなかった。だって、四国って、高知県の県庁所在地が高知市で、徳島県の県庁所在地が徳島市なのに、愛媛県の県庁所在地は愛媛市じゃなくて松山市だし、香川県の県庁所在地は香川市じゃなくて高松市だからだ。

さっきも書いたけど、あたしは俳句が趣味だから、愛媛県の県庁所在地が松山市だってとこまでは分かるんだけど、いっつも最後の香川県の県庁所在地が分からなくなっちゃう。それは、高知市の「高」と松山市の「松」を合体ロボさせた高松市なんていう紛らわしい名前だからだ。それで、「他の県の県庁所在地の名前から1文字ずつとって組み合わせた名前」ってふうに覚えてるだけだから、いっつも「松山市の松と徳島市の島とで松島市だったかな?」とか、「高知市の高と松山市の山とで高山市だったかな?」とか、いろんな組み合わせを考えてるうちに、ワケが分からなくなっちゃうのだ。

だけど、今回の「四国一周ブログ旅」のオカゲで、そんなに悩まなくても、ワリとすぐに「香川県の県庁所在地は高松市」って出て来るようになった。その上、高松から小豆島に渡るフェリーの運賃が670円だってことも知ったし、小豆島には「二十四の瞳」の像があるってことも知った。あと、釜揚げの讃岐うどんにバターを入れて食べるのが美味しいってことも知った。この食べ方が気に入った早希ちゃんは、旅の最中にも何度か食べてたけど、お家に帰って来てからも、うどんを買いだめしてて、いつもこの食べ方をしてるってブログに書いてた。だから、ソートー美味しいんだろう。

ウロ覚えだけど、アツアツの釜揚げうどんを丼に入れて、そこにネギと天カスを入れて、キャラメル2~3個ぶんくらいのバターをヒトカケ乗せて、最後にお醤油を掛けて、バターを溶かしながら食べるみたいだ。炊き立てのご飯をお茶碗によそって、真ん中にバターを埋めて、上からお醤油を掛けて、バターを溶かしながら食べてもメッチャ美味しいから、この讃岐うどんの食べ方も、きっと美味しいと思う。ただ、ふだん質素な食生活をしてるっぽい早希ちゃんの場合は、カップ麺やコンビニのおにぎりを食べても「美味しい!」「美味しい!」って感動しちゃうから、あんまりアテにはできないけど(笑)

でも、旅の最後にサイコロで「6」を出して、大金を手にした早希ちゃんは、前々回の予告で豪華なホテルに泊まってたみたいだったから、きっと、ホントに美味しい料理をタップリと食べたんだと思う。その様子は、明日の放送で分かるハズだけど、やっばり、あたしは、泣いてる早希ちゃんよりも笑ってる早希ちゃんを観たいから、明日の放送が楽しみだ。それに、明日は、マニアの方々がお待ちかねの入浴シーンもあるみたいだし、つらい顔をしたゴールじゃなくて、笑顔でのゴールになればって思ってる。

‥‥そんなワケで、関西ローカルの毎日放送の「ロケみつ」は、この早希ちゃんの「ブログ旅」だけで持ってる番組だから、今回の「四国一周ブログ旅」が終わったら、当然、第3弾の旅がスタートする‥‥つーか、もうスタートしてる。でも、放送のほうは、いつものようにゴール前の総集編が先週だったから、明日の放送か来週の放送でようやく四国をゴールして、その次の週から第3弾の旅が放送される。ま、待ちきれないファンは、すでにこんな予告編まで作っちゃってるけど、これほど、放送されてなて地域の人たちまでが楽しみにしてるローカル番組って、他にないと思う。だから、第3弾の旅も、東京のあたしにとっては未知の世界の中国か九州だったらいいと思ってる。だけど、予算が少ない上に過酷なネタが好きな「ロケみつ」のことだから、もしかしたら「淡路島を雑巾がけで一周」なんていう企画かもしれないと思ってる今日この頃なのだ(笑)


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カンパのお願いです。

今回の衆院選では、沖縄は1区から4区まですべての選挙区で野党が勝利し、沖縄県民のことよりもアメリカのご機嫌ばかりうかがっている自民党は消滅しました。

これが、沖縄の人たちの民意なのです。

そして、ジュゴンの住む美しい海を守るために、1960日を超える座り込みを続けて来たオジィやオバァを始めとした名護の人たちの「平和をつくる運動」も、いよいよこれから新しいステップに入ります。

そこで、皆さんに、お願いがあります。

辺野古の海と高江の森を守るために、「平和をつくる運動」を続けている有志たちへのカンパにご協力ください。

また、この記事をご自分のブログなどに貼りつけて、呼び掛けをしてくださると助かります。

どうぞ、よろしくお願いいたします。


【カンパ方法】 郵便振込み
【カンパ先】 ヘリ基地反対協議会
【郵便振替番号】 01700-7-66142
【加入者名】 ヘリ基地反対協議会
【住所】 沖縄県名護市大西5-5-6
【電話】 0980(53)6992

※通信欄に「海上での作業監視、ジュゴンはみ跡調査など」と記載して下さい。激励メッセージもお寄せ下さい。



「辺野古浜通信」
http://henoko.ti-da.net/

「ちゅら海を守れ!」
http://blog.livedoor.jp/kitihantai555/

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2009.09.02

米国の鳩山批判に小泉氏の影

「米国の鳩山批判に小泉氏の影」(世田谷通信)

ニューヨークタイムズ紙の電子版などの一部のアメリカのメディアが、民主党の鳩山由紀夫代表が日本の月刊誌に寄稿した論文の一部を意図的に抜粋し、鳩山代表や新政権に対する批判を繰り広げている問題で、背後に小泉純一郎元首相の影があったことが分かった。8月31日に行なわれた日本外国特派員協会の会見で、ニューヨークタイムズ紙に何度も鳩山論文批判を繰り返して来たコロンビア大学のジェラルド・カーティス教授が改めて批判を繰り返したが、このジェラルド・カーティス教授という人物は、以前からアメリカにおける「自民党の広報マン」と呼ばれていた人物であることが分かった。ジェラルド・カーティス教授は、特に小泉純一郎元首相と懇意にしており、小泉純一郎元首相の次男である小泉進次郎氏がコロンビア大学の政治学部へ留学する際には、入学の手続きから毎年の単位取得に至るまで、すべてを根回しをした人物である。以後、小泉進次郎氏の肩書きに箔をつけさせるために、小泉進次郎氏を米国戦略国際問題研究所の研究員などにも斡旋し、コロンビア大学大学院修了の課程まで、すべてジェラルド・カーティス教授が根回しをした。このような人物が、鳩山代表の論文の中から意図的に抜粋した箇所を故意に婉曲させて英訳し、アメリカ人の批判を煽っていたのである。(2009年9月2日)


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自民党の運動員、続々と逮捕

「自民党の運動員、続々と逮捕」(世田谷通信)

衆院選京都5区で当選した自民党の谷垣禎一氏への投票を有権者に依頼し、見返りとして現金を渡したとして谷垣禎一氏の選対本部の副部長、自民党の千歳利三郎府議の実弟の千歳嘉四郎容疑者(71)が逮捕されたが、他にも全国で自民党候補者の運動員が次々と逮捕されている。茨城7区で当選した自民党の永岡桂子氏の陣営では、選挙運動で現金の報酬を渡したとして、茨城県坂東市議の渡辺利男容疑者(41)と北村周治容疑者(40)が公選法違反容疑で逮捕された。徳島2区で当選した自民党の首相補佐官の山口俊一氏の陣営では、山口氏の後援会の森公明容疑者(67)が複数の有権者に山口氏への投票を依頼して料理屋などで料理や酒などをふるまったとして、公選法違反(買収)容疑で逮捕された。また熊本1区で落選した自民党の木原稔氏の陣営では、運動員の矢野昭三容疑者(81)が同じ陣営の運動員らに木原氏への票の取りまとめを依頼し、報酬として数千円相当のステーキ肉などを渡したとして公選法違反(物品買収)容疑で逮捕された。長野4区で落選した自民党の後藤茂之氏の陣営では、運動員の小泉修造容疑者(52)が別の運動員や未成年者らに報酬として現金を渡す約束をしたなどとして、公選法違反(買収約束、未成年者使用)容疑で逮捕された。他にも全国で自民党候補者の運動員の逮捕が相次いでおり、その人数は数百名に上る勢いだという。(2009年9月2日)


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兵庫のおじさん「政治の転換」


「愛のブランデー日記」
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ニポンのマスコミは粗大ゴミ

民主党が大勝した翌日、NHKの討論番組があって、大好きなオムライス党のみずほたんが出るから、録画しといて観た。民主党はフランケン岡田、自民党はハ虫類の細田、あと、ナンミョ~党の誰かと他の党の誰かも出てたけど、あたしが何よりも驚いたのは、これほどボロ負けした自民党の細田が、「選挙の結果」という民意を完全に無視して、まだ民主党に対する批判を繰り広げてたことだ。国民は民主党を選んだんだから、自民党は反省すべき状況なのに、そんなことはお構いなしで、あの薄気味悪い腹話術の人形みたいな顔で、次から次へと民主党に対する批判を続けてた。

そして、その中でも呆れ返ったのが、「ニューヨークタイムズ紙」が8月27日付で部分的に引用した鳩山由紀夫の論文のことを取り上げて批判したことだった。誰に入れ知恵されたのか知らないけど、細田のバカは、「鳩山由紀夫がニューヨークタイムズ紙にアメリカを否定する論文を寄稿した」って思い込んでて、そのことをグチグチと繰り返してて、フランケン岡田が「それは事実誤認だ」って言っても、いつまでもグチグチと繰り返してた。そして、ニポンのバカマスコミも、おんなじように、鳩山由紀夫がアメリカを否定する論文をわざわざ「ニューヨークタイムズ紙」に寄稿したって報じたのだ。

あたしは、ニポンのバカマスコミに対して、これまでも「終わってる」って思ってたけど、今回のデマ報道を見たり聞いたりして、もう完全に「終わった」って思った。だって、ニポンのバカマスコミが報じてることって、ぜんぶ大ウソだし、特に「毎日新聞」と「産経新聞」の報道は、デタラメもデタラメ、こんな大ウソを平然と報道してるクソ新聞が、購読者から料金を徴収してるなんて、完全に「詐欺」以外のナニモノでもないと思ったからだ。あたしみたいな一般市民でさえ、海外メディアの報道に対しては、一応は原典にあたってから把握するようにしてるのに、「毎日新聞」や「産経新聞」の記者って、そこらのウワサ話をそのまま記事にしてるの?って思って、開いた口からエクトプラズムが出て来て幽体離脱しちゃいそうになった今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?


‥‥そんなワケで、テレビ朝日の「報道ステーション」でも取り上げられたから、この「鳩山論文」の問題を耳にしてる人も多いと思うけど、あたしは、1人でも多くの人に「真実」を知って欲しいから、ホントは「ドラクエ9」のことを書きたかったんだけど、今日も政治のネタを書くことにした。で、まずは、ニポンのバカマスコミと、細田みたいな人間のクズのセイで、カン違いしてる多くの人たちに言っとくけど、今回問題になってる「鳩山論文」てのは、鳩山由紀夫が「ニューヨークタイムズ紙」に寄稿したものじゃない。そして、この論文は、アメリカを批判したものでもない。

何も知らない人たちのために、順序立てて説明すると、この論文は、鳩山由紀夫が、日本の月刊誌「Voice」の9月号に寄稿したものだ。そして、「ニューヨークタイムズ紙」の記者が、その論文の中から、アメリカを批判してると受け取られるような部分だけを故意に抜粋して、悪意を持って編集した記事が「ニューヨークタイムズ紙」に掲載されたのだ。ナンダカンダ言っててもジンジャエールだから、まずはその論文を読んでみて欲しいと思う。ココに全文があるから、まずは読んでみて欲しい。

この論文をすべて読めば、鳩山由紀夫がアメリカのことを批判してるワケでもなく、ニポン人として極めて当たり前のことを言ってることが分かるだろう。で、「ニューヨークタイムズ紙」は、この長い論文の中から、鳩山由紀夫がアメリカを批判してると受け取られるような部分だけを故意に抜粋して、著者である鳩山由紀夫に無断で掲載したってワケだ。あたしは、あんまり重箱の隅をつつくのは好きじゃないから、ホントはこういうことはしたくないんだけど、今回の「ニューヨークタイムズ紙」のあまりにも意図的な偏向記事の正体を明らかにするために、あえて具体例を挙げさせてもらう。


「今回のアメリカの金融危機は、多くの人に、アメリカ一極時代の終焉を予感させ、またドル基軸通貨体制の永続性への懸念を抱かせずにはおかなかった。私も、イラク戦争の失敗と金融危機によってアメリカ主導のグローバリズムの時代は終焉し、世界はアメリカ一極支配の時代から多極化の時代に向かうだろうと感じている。しかし、今のところアメリカに代わる覇権国家は見当たらないし、ドルに代わる基軸通貨も見当たらない。一極時代から多極時代に移るとしても、そのイメージは曖昧であり、新しい世界の政治と経済の姿がはっきり見えないことがわれわれを不安にしている。それがいま私たちが直面している危機の本質ではないか。」


これは、さっきリンクした、鳩山由紀夫の論文の原文だ。そして、鳩山由紀夫は、自分の書いたものがネジ曲げられて海外に伝わることを避けるために、わざわざ英文の原稿も公開してる。それを見ると、この部分は、こうなってる。


「The recent financial crisis has suggested to many people that the era of American unilateralism may come to an end. It has also made people harbor doubts about the permanence of the dollar as the key global currency. I also feel that as a result of the failure of the Iraq war and the financial crisis, the era of the US-led globalism is coming to an end and that we are moving away from a unipolar world led by the US towards an era of multipolarity. However, at present, there is no one country ready to replace the United States as the world's most dominant country. Neither is there a currency ready to replace the dollar as the world's key currency. Therefore, even if we shift from unipolar to multipolar world, our idea of what to expect is at best vague, and we feel anxiety because the new forms to be taken by global politics and economics remain unclear. I think this describes the essence of the crisis we are now facing.」


だけど、「ニューヨークタイムズ紙」は、この部分をこんなふうに掲載してるのだ。


「The financial crisis has suggested to many that the era of U.S. unilateralism may come to an end. It has also raised doubts about the permanence of the dollar as the key global currency.I also feel that as a result of the failure of the Iraq war and the financial crisis, the era of U.S.-led globalism is coming to an end and that we are moving toward an era of multipolarity. But at present no one country is ready to replace the United States as the dominant country. Nor is there a currency ready to replace the dollar as the world’s key currency.」


最初に挙げたニポン語の論文で言えば、「今回のアメリカの金融危機は、多くの人に、アメリカ一極時代の終焉を予感させ、またドル基軸通貨体制の永続性への懸念を抱かせずにはおかなかった。私も、イラク戦争の失敗と金融危機によってアメリカ主導のグローバリズムの時代は終焉し、世界はアメリカ一極支配の時代から多極化の時代に向かうだろうと感じている。しかし、今のところアメリカに代わる覇権国家は見当たらないし、ドルに代わる基軸通貨も見当たらない。」ってとこまでだけを引用して、その先の結論にあたる「一極時代から多極時代に移るとしても、そのイメージは曖昧であり、新しい世界の政治と経済の姿がはっきり見えないことがわれわれを不安にしている。それがいま私たちが直面している危機の本質ではないか。」って部分を意図的にカットしてるワケだ。

どんな論文であれ、何よりも重要なのは「結論」であって、そこまでの流れは、すべて「結論」を導くためのステップに過ぎない。それなのに、そのステップの部分だけを引用して、カンジンの「結論」を省略するなんて、あまりにも意図が見え見えだ。この文章なら、鳩山由紀夫が言いたいことは、どう見たって「アメリカの一極時代から複数国の多極時代に移るとするなら、来たるべき新しい世界の政治と経済の姿がはっきり見えないことがわれわれを不安にさせている」ってことなのに、カンジンのその部分をカットして、そこまでのステップの「アメリカの一極時代」の部分だけをピックアップして引用すれば、アメリカ人が読めば反発するのは当たり前だ。

‥‥そんなワケで、あまりにも意図的な「ニューヨークタイムズ紙」の記事だけど、もっと最低なのが、ニポンの「毎日新聞」や「産経新聞」の記事だ。ニポンのバカマスコミは、この「ニューヨークタイムズ紙」の記事を見て、原典にあたることもせずに、一方的に「アメリカの有名なニューヨークタイムズ紙に鳩山由紀夫がアメリカを批判する論文を寄稿した」って趣旨のデマ記事を垂れ流したのだ。たとえば、「毎日新聞」の記事の場合は、こんなふうに書き出してる。


「民主党の鳩山由紀夫代表は27日までに、ニューヨーク・タイムズ紙(電子版)など各国主要英字紙に「日本の新しい道」などと題した論文を掲載した。」


これを読めば、誰だって、鳩山由紀夫が自分から進んで「ニューヨークタイムズ紙」に論文を寄稿したってふうに思い込むだろう。そして、そこに、アメリカを批判してるように受け取れる文言が羅列されてるとしたら、まるで鳩山由紀夫がアメリカにケンカを売ってるように思うだろう。だけど、真実は、鳩山由紀夫が日本の月刊誌「Voice」の9月号に寄稿した長い論文の中から、「ニューヨークタイムズ紙」が故意にアメリカ人の読者の反日感情、いや、反「新政権」感情を煽るような部分だけをピックアップして編集してたってワケだ。そして、それをわざわざご丁寧に、「毎日新聞」や「産経新聞」が原典にもあたらずに垂れ流してたってことになる。

‥‥そんなワケで、すでにアチコチで報道されてるから知ってる人も多いと思うけど、「産経新聞」は、衆院選の投開票が進み自民党の歴史的惨敗が伝えられてた8月30日の夜に、「Twitter」の「産経新聞」の公式サイトにおいて、「(選挙では負けたけど)民主党さんの思うとおりにはさせないぜ。これからが産経新聞の真価を発揮するところ」などというコメントを発信して大問題になった。「産経新聞」が自民党のタイコモチだってことは周知の事実だけど、仮にも公式サイトにおいて、記者がこんなコメントを出せば、報道機関としての中立性を自らが無視したことになる。それで、たくさんの人たちから批判のコメントがついたら、しばらくして、問題のコメントは削除され、「軽率な発言だったと反省しています。ご不快の念を抱かれた方にはお詫び申し上げます」っていう謝罪コメントが出たのだ。

ま、小学生の壁新聞にも劣る「産経新聞」に関しては、以前も悪質なデマ記事に対してツッコミを入れさせてもらったけど、何しろガン首並べてる記者がバカばっかりだから、お話にならない。記者の基本的な知能や文章センスが最低レベルなのはオナジミだけど、何よりも最悪なのが、自分が見てもいないことをまるで見て来たかのように大ボラを吹いて記事にしちゃうツラの皮の厚さだ。あまりにも恥ずかしい「産経新聞」のデマ記事に関しては、3月25日の日記、「マスコミもグルの国策捜査」を読んでもらうとして、こんなに大ウソや大ボラばっかり掲載してるのに料金をとってるなんて、「産経新聞」て、ホントに「ニポンの恥」だと思う。そして、こんなバカ新聞を購読してる人間がいるなんて、呆れ果ててモノも言えない。

そんな最低最悪な「産経新聞」だから、今回の鳩山由紀夫の論文に関しても「毎日新聞」に右へならえの酷さだし、それ以前に、今回の民主党の大勝利に関しても、デマ記事を連発してる。たとえば、今、「産経新聞」のWEBサイトの「注目ニュース」のとこにサンゼンと輝いてるのが、「【海外の目09衆院選】英紙「昨日の大勝、明日の幻滅に…」」っていう民主党を批判した小学生の夏休みの作文みたいな低能記事だけど、このタイトルだけを見ると、誰もが、イギリスの新聞が民主党のことを「昨日の大勝、明日の幻滅に…」って書いてると思うだろう。だけど、この記事を読んでみると、冒頭に、こんなふうに書かれてる。


「「1955年体制」といわれる自民党支配に終止符が打たれた日本の衆院選について、英紙は「日本の新時代に日は昇る」「政官財界の鉄の三角形が崩れた」(フィナンシャル・タイムズ紙)と評価する一方で、「日本の政治は新しい夜明けを迎えたが、昨日の地滑り的勝利は結局は明日の幻滅に終わることもある」(ガーディアン紙)と辛口の論評を掲載した。」


これって、おかしくない? 1つの新聞の記事が、良い点と悪い点を書いたことを紹介するのなら分かるけど、「フィナンシャル・タイムズ紙」が評価したことと、「ガーディアン紙」が不安を書いたことをこんなふうに意図的に並べるなんて、あまりにもコソクな上に幼稚だと思う。だって、これを逆に並べたら、こんなふうになるんだよ。


「「日本の政治は新しい夜明けを迎えたが、昨日の地滑り的勝利は結局は明日の幻滅に終わることもある」(ガーディアン紙)と辛口の論評もあったが、「日本の新時代に日は昇る」「政官財界の鉄の三角形が崩れた」(フィナンシャル・タイムズ紙)と評価された。」


ね? いい意見と悪い意見があった場合、その2つをどう並べるかによって、読者に与えるイメージは正反対になるんだよね。それも、今回のニポンの政権交代に関しては、あたしの知る限り、世界の先進国の9割以上のメディアは歓迎ムードで報じてるし、アメリカにしたって、「毎日新聞」や「産経新聞も」が意図的に取り上げてる一部の偏向的なメディア以外は、どこも歓迎ムードで報じてるんだよね。で、この「産経新聞」のウンコみたいな記事は、最後をこんなふうに結んでる。


「フィナンシャル・タイムズ紙は、民主党内で圧倒的勢力を得た小沢一郎代表代行を、かつて自民党を影から支配した田中角栄元首相になぞらえて「闇将軍」と表現し、「すべての関心が独裁的な戦略家に集まっている」と警戒感を示した。次期首相の鳩山由紀夫代表が小沢氏の意向に従わざるを得ないとの見方を伝え、小沢氏が今後、自民党との大連立を仕掛け、政界再編に動く可能性も示唆した。」


これを読むと、この、小沢一郎のことを闇将軍て言ってるのが「イギリスのフィナンシャルタイムズ紙の意見」みたいに思うよね。だけど、この記事の原典にあたってみたら、これって、「ナカモトミチヨ」っていう東京在住のニポン人の記者が書いた記事で、イギリスの「フィナンシャルタイムズ紙」は、それをそのまま掲載してただけなんだよね。ココに記事をリンクしとくから、読むほどの価値はない駄文だけど、興味のある人は読んでみればいいと思う。とにかく、「All eyes focus on victorious party's autocratic strategist (大勝利した民主党の独裁的な戦略家をすべての国民の目が見つめている)」なんていう、タイトルからして事実に反したオッペケペーな記事なんだもん。

ちなみに、このバカ記事を掲載してる「フィナンシャルタイムズ紙」には、他にも民主党の大勝利を歓迎する記事もある。だけど、どんなことをしても民主党を批判したい「産経新聞」としては、わざわざこの記事をピックアップして、この記事の中から、一番批判的な部分を引用して、これがあたかもイギリスの人たちの意見だってふうに取り上げてるのだ。サスガ、新聞社の公式サイトで「民主党さんの思うとおりにはさせないぜ」だなんて宣言しちゃう新聞社は、やることがスサマジイね。世界各国の新聞の9割以上が、今回のニポンの政権交代を歓迎して記事にしてるってのに、その中からわざわざ批判的なものを探し出して、あたかもそれが海外メディアの共通した意見みたいに意図的に編集して記事にするなんて、ジャーナリストとしてのプライドなんて1ピコグラムも持ってない虫ケラしかいないみたいだね。「産経新聞」て。

‥‥そんなワケで、「きっこの日記」を読みに来てくれる良識のある皆さんは、「産経新聞」や「毎日新聞」を始めとしたニポンの三流マスコミが垂れ流すデマ記事なんかには釣られないと思うけど、今回の鳩山由紀夫の論文に関するデマ記事の酷さには、改めて呆れ返ったと思う。そして、こんなデマ記事を鵜呑みにして、テレビで堂々と民主党の批判を繰り広げちゃう厚顔無恥な自民党の細田みたいな人間のクズに対しても、今まで以上にムカついたと思う。だから、皆さん、来年の参院選では、今回の衆院選以上の力を集結して、自民党なんていう期限切れの粗大ゴミは、このニポンから完全に排除して欲しいと思う。そして、「産経新聞」や「毎日新聞」を始めとした小学生の壁新聞にも劣るニポンのクソ新聞なんて、誰1人読まなくなるようにクチコミで広げてって欲しいと思う今日この頃なのだ。


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2009.09.01

自民谷垣氏の選対幹部の弟、買収で逮捕

「自民谷垣氏の選対幹部の弟、買収で逮捕」(世田谷通信)

30日の衆院選において、京都5区で当選した自民党の谷垣禎一氏への投票や票の取りまとめを依頼したとして、京都府警捜査2課と舞鶴署は、31日、千歳嘉四郎容疑者(71)を公職選挙法違反(買収)の容疑で逮捕した。千歳容疑者は8月25日、舞鶴市内で男性2人に計1万1000円の現金を手渡し、票の取りまとめなどを依頼したという。千歳容疑者は、谷垣氏の舞鶴選対本部幹部を務めた自民党の千歳利三郎府議の実弟であり、京都府警では谷垣氏の陣営が組織的に買収を行なっていた可能性もあるとして捜査を続けている。京都5区は、谷垣氏が民主党の小原舞候補を約7000票差で破ったが、仮に組織的な買収であったとすれば、閣僚までつとめた自民党の大物候補が民主党の新人を相手にこのような手段に出たとは、よほど危機感を感じていたのだろう。(2009年9月1日)


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拉致被害者を見捨てた麻生首相

「拉致被害者を見捨てた麻生首相」(世田谷通信)

1日、韓国のニュース専門テレビ局「YTN」は、北朝鮮の金正日総書記が拉致問題の解決に向けて話し合うために日本の麻生太郎首相に訪朝を申し込んだが、麻生首相が応じずに実現されなかったと報じた。報道によると、昨年末から数回、日朝間の非公式な接触が行なわれ、3月5日には麻生首相の秘書が北京のホテルで北朝鮮労働党作戦部の実務者と極秘に接触した。その時に麻生首相の秘書に対して「中山恭子首相補佐官(拉致問題担当)が訪朝し、金総書記に拉致問題の解決を促し、その対価として日本が北朝鮮に10億ドル(約930億円)を支払う約束をする。その後、麻生首相が訪朝し、そこで拉致被害者を返す」というシナリオが伝えられたという。しかし、この北朝鮮側からの申し出に麻生首相が応じなかったため、この計画は白紙に戻ったという。この報道が事実だとすれば、麻生首相は自身の支持層である保守派への体裁のために、拉致被害者を見捨てたことになる。2002年、当時の小泉純一郎首相が訪朝して拉致被害者を連れて帰って来た時には、金総書記との密約で100億ドル(当時・約1兆円)の身代金が支払われたが、当時の10分の1にまでダンピングされた今回の身代金要求は、北朝鮮労働党の経済の行き詰まりによるものと思われる。一部の保守派への体裁を優先し、拉致被害者を取り戻すチャンスを棒に振った麻生首相の行為は、政権交代を実現させた国民の目にはどのように映るのであろうか。(2009年9月1日)


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お知らせ参連発!

◆お知らせ、その壱◆

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◆お知らせ、その弐◆

アースシェイカーのSharaさんのソロプロジェクト「mintmints」のCD、「whitemints」は、限定発売ってことで、予約の段階でほぼ完売で、リリース後の数日で売り切れになってしまいましたが、このたび、これまた限定で再犯‥‥じゃなくて、再販されました♪

最近は、めっきりアキバ系のヲタクなギタリストになりつつある控えめなSharaさんのことだから、またチョコっとしかリリースしてないと思うので、激しく早い者勝ちだと思います!

レス・ポール師匠亡き今、Sharaさんの「泣きのギター」で、お部屋に居ながらにして時空旅行を体験してみてください♪

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◆お知らせ、その参◆

発売前からアマゾンのノンフィクションのランキングで1位だったために、発売日の翌日に売り切れになってしまった「冬の兵士」ですが、ようやく在庫も安定して、すぐに購入できるようなりました♪

平和を愛する有志たちが、1年の歳月をかけて翻訳した珠玉の1冊です!
1人でも多くの人に読んでもらい、イラクでの真実、ニポンの政府とマスコミの大ウソ、コイズミが犯した犯罪、戦争というものの本当の姿、平和憲法の大切さを知って欲しいと思います。

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